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崗上虜囚の備忘録

日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください

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続、用の用、無用の用、無用の無用

経済の根幹は食料とは言っても、米本位制の江戸幕府は立ち行かなくなった。江戸幕府は日本人のもっとも重要な食料である米を支配することで、国民を支配しようとしたが、立ち行かなくなった。腹が一杯になれば人の欲するものは別のものに移る。米を幾ら量産しようと、生憎人間の胃袋は一つしかない。

飢えていたときは、あれほど欲しかったメシも『もうゴッツアンです』となる。次の欲は、メシよりもお茶、お茶よりも器、そして釜、掛け軸、茶室等、食料とは別の方向に向かう。こんどの欲は胃袋が相手ではないので、果てしがない。取引される金も食料品どころでは無い。米の経済規模が一定でも、趣味嗜好の経済規模は拡大する一方となる。かくして江戸政府と農民は取り残された。米本位制の崩壊、江戸幕府の倒壊である。

経済は欲望のバブルなのである。17世紀にオランダで起きたチューリップ・バブルが悪しき例として引き合いに出されるが、価格が下がったから問題にされるのであり、価格が下がらなければ、それはオランダのGDP向上と文化向上に一役かっていた筈である。

人間の欲望は、文化とも密接に関係している。16世紀来日したバテレン達は、茶器が一国に相当する金で取引されるのを驚いていた。それに対して大名は『あんた方は、なんで石ころ(宝石)に高い値段をつけるのだ』と一蹴している。欲望の違い、文化の違いである。だから粗末な茶碗に高値が付けばGDPも上がる。

ともあれ、農本主義とでも言える江戸幕府の財政は農業生産に立脚していたが、農業以外の経済規模が大きくなるにつれ、国を経営する資金が足りなくなり破綻せざる得なかった。今風に言えば江戸幕府は小さな政府である。税収は農業生産高の何割かだけだった。

士農工商の身分制度は、江戸幕府の農本主義の思想を意味している。厳しい身分制度が有ったが、庶民は幸せだった。江戸時代を見た欧米人は皆そう言った。『庶民に生まれるなら日本人の方が良い』『日本人より幸福な民族はいない』『一度も生活の悲惨を目にしたことは無い』『死亡率はボストンより低かった』等々。

江戸幕府は経済破綻していたが、一番の問題は科学技術と軍事で西欧に遅れを取ったことである。それでも明治の成功は、江戸幕府の農業政策の成果があったからこそである。そして明治以降の日本の政府は大きな政府となった。今は政府の支出がGDPの40%以上ある。大きな政府は日本だけでは無い。でも国民は江戸幕府と同様、経済の根幹は食料であることを意識していなければならない。

前のエントリー『用の用、無用の用、無用の無用』では、経済の根幹は食料であると説いた。仕事をする人は、用の用、無用の用、無用の無用を念頭に置いて仕事をすべきと言った。又、国(政府)の役割が如何に国民に有用な仕事をさせるかにあるとも言った。そして此のエントリーでは、食料=米を重視していても江戸幕府が立ち行かなくなった例も示した。人間の欲望が経済活動であり、それはバブルであり、文化とも密接に関係していることも言った。

現在の日本政府は、これ等を意識して政策を行っているだろうか。それどころか現在、政府は破綻寸前だと言う。破綻寸前のため何も出来ないと言う。食料が充分あるのに、財源が無いので職の無い国民のために有用な仕事を与えること等できないと言う。

国民の中には政府の財政状況を心配して増税賛成者がかなりいる。彼等は自分達の生活を切り詰め、政府に協力する気である。国民には国家観があるが、処が今は政府の側に国家観が無い。増税はするが、仕分けと称して節約して、国はなるべく何もしない方針のようである。そのくせ子供手当てや高校無償化のばら撒きをする。何のことは無い、国民の生活や国を守るのでは無く、政府自身を守りたいようである。

政府支出がGDPの42%。その一部が赤字国債発行によるものだとしても、失業者も飢え死にするような事もなく、外国から借金をすることも無く、それが何年も続けられたことは、物理的には生産余力がまだ有るということである。

江戸幕府は潰れたが、田園や文化を遺産として残した。なら政府が潰れることなど心配せずに大増税でも赤字国債の大発行でもして、国民に仕事を与えるべきである。増税しても年貢と違い、全て国民に帰って来るのである。赤字国債と言っても投資である。

政府が与える仕事なら、当然『用の用』や最低でも『無用の用』にこしたことは無い。しかし『無用の用』と『無用の無用』の間には境目など無い。この境目には新たな文化の芽が眠っているのだ。日本に新たなチューリップ・バブルが起きれば、それは新たな文化の発生であり、経済規模の拡大になる。現政府が潰れても、文化の遺産は残せる。

新たな文化が起これば、そのうち国民自身が欲を出し、政府の仕事に飽き足らず自分で仕事を見つけるだろう。何回も言うが、一番駄目なのは国民が仕事をしていない状態である。

しかしながら、日本人は無一物の文化も知っている。最低限の食料さえあれば、生活を楽しむことができることも知っている。GDPの空騒ぎに背を向けるのも悪くは無い。華やかに金を掛けた文化と質素で素朴な文化、大きな政府と小さな政府、どちらの道を行くのも日本人の自由である。

とは言え、日本がどの道に歩もうと、それを守る軍事力と食料とエネルギーだけは確保しなければならない。この点に関しては国民は働かなければならないのである。反日朝鮮人政党の民主党政権に、何を言っても無駄であるが。

後書き:
『用の用、無用の用、無用の無用』の題は、分かりににくかったようだ。

言いたかったのは、「大きな政府にしたとき、必ず格差が生まれる。片や補助金漬け。片や全て自前。片や潰れる心配がない職。片や倒産を心配しなければならない職。放っておくと国民同士がいがみ合い、国の荒廃にも繋がる。金など雪の吹き溜まりと同じと割り切り、どのような職に付いても、謙虚に『用の用、無用の用、無用の無用』を念頭において仕事をすれば、多少うまくいくだろう」である。

身分制度があった江戸庶民が幸せになれたんだ、出来ない訳が無い。

補足:
現在、小さな政府を推奨する人がいますが、その中にはグローバル主義者がいます。彼らの考えは、国境を無くそう=国を無くそうですから、注意が必要です。


利休が所持していた長次郎 黒楽茶碗 大黒。
こんな茶碗に価値を見出すのは日本だけ。それが良いんです。
 
大般若長光。
名前の言われは、この太刀の購入価格が銭600貫であったことと大般若経600巻結びつけたものである。現在の価値は3000万円程。現在もバブルは続いている。否、文化が続いている。そう目的は金では無い。金は単なる尺度である。大金を手にしても長船長光が作刀をやめた話など聞かない。彼の目的は、もっと良い刀を作ることにある。

ちょっと金を手にすると、その金でもっと稼ごうとする自称発明家とは違いますね。原発事故に付け込んで、太陽発電商売をしようとする奴のことですけど。

 

女性宮家創設問題追加記事
羽毛田宮内庁長官の女性宮家創設問題を書いた11月29日の『緊急拡散 女性宮家創設問題』の記事に対して、Baronと言う人による下記のコメントがありました。

  旧宮家の復帰という論は極めて危険であり 徹底排除すべきです。

  その論の中心にいる竹田某は八木秀次という 国粋カルト思想の超危険人物
  とつるんでおり マトモではありません。

  今上陛下もこの点については深く懸念されて いるはずです。


不審に思い検索して見たところ、あちらこちらのブログに、全く同じ文章のコメントが有りました。

羽毛田宮内庁長官の要請に対して、震災復旧など国民のためになることは何もしない朝鮮人政権の野田首相がすぐさま反応し、『緊急性の高い課題』と言って有識者会議を設立して検討を進める方針を示しましたが、これに呼応するように、竹田恒泰氏や八木秀次氏を中傷するようなことを拡散している者が現れたと言うことは、女性宮家創設提言が、かなり組織だった日本の皇室破壊工作に基づくものと考えられます。
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用の用、無用の用、無用の無用

『日本の農産物は高い。国民は高い農産物を無理やり買わされている』と言う人がいる。『働いても税金で持っていかれるから小さな政府にすべきだ』と言う人もいる。ちょっと待って頂たい。そんな人には『お前さん。あんたはどのような生産活動をしたんかい』と逆に聞きたい。

自分の過去を振り返れば、盆正月も無く休み無しに仕事をしたことも有った。誰よりも先に出社し最後に会社を出ることを続けたことも有った。しかし片隅では、この仕事が生産活動と言えるのか、無くてもよい仕事ではないかと、常に疑問に感じていた。

封建時代の農民は、一次産品だけなく加工品も作り、年貢まで納めていた。農村は一大生産拠点だった。人間はメシを食べなければ活動は出来ない。封建時代では商も工の活動も農民の生産物の上に成り立っていたのだ。

現在は、経済活動との名の下に、給料を貰っていれば何やら生産活動を行っているように見える。確かに物流が止まれば農業の生産力も落ちる。複雑な現代社会では、無用な仕事と有用な仕事の切り分けは出来ない。しかし現代でも、働けるのは農民が作った物を食べているからであることにはかわりがない。

尤も現在日本のカロリーベースの食料自給率は39%(2007年度)。穀物自給率が27%(2003年度)なので、日本の農産物など食べなくても、食料など世界中どこからでも手に入れられると言う人もいるかも知れない。でも昔を知る人は1973年のソ連の不作による穀物大量買い付けが要因による、アメリカの大豆禁輸措置と食料危機を覚えている筈である。穀物は、事が起きたときには自由に買うことが出来ない戦略物質なのである。

しかし、このエントリーで言いたいのは、農業が如何に大切かが言いたいのもあるが、農業に従事せずに農産物を食している人間どのような付加価値を作って食べているかである。それは農業の生産性向上により出た余剰人員達の仕事の話である。

カロリーベースの食料自給率は39%と言っても、実際は、コンビニやファーストフード店での大量処分や破棄を勘案すると、日本のカロリーベースの食料自給率は50%を超えると言われている。日本の農業就業人口は300万弱。労働人口の5%程度でなので、耕作地さえあれば、10%程度の農業人口で90%の労働者とその家族を食べていかせることができることとなる。

勿論、農業になんらかの補助する人間がいなければ農業生産もおぼつかないが、それ以外の労働者は農業とは関係ない仕事をしても良いし、遊んでいても食べて行ける筈である。

でも、汗水垂らして労働している農民にとって、遊んでいる者を食べさせているのは面白い筈がない。遊んでいる者への農産物の供出は拒むであろう。そこで遊んでいた者は、止む無くなんらか付加価値のある仕事を見つけて農民に報いることになる。とは言っても農民に報いる仕事はそんなに沢山無い。農民に報いる仕事をやっている人に報いる仕事、その報いる仕事をやっている人に報いる仕事と、終には農業とは関係な仕事の方が大きくなってくる。

そして、私のように付加価値のある仕事をやっている振りをして食料を得る人間も現れるようにもなる。かなり荒っぽいが、これが現在の経済の構図である。そして、経済の根幹は食料ということである。石器時代の経済を考えれば、もっと単純に、食料を得ることが即経済活動で有ったことが分かる。

しかしながら、人間腹がくちくなれば『人はパンのみに生きるにあらず』などと言って、別の価値観を見つけようとする。その発展が文化であり、経済活動の隆盛である。が、元は人間活動のエネルギー源、食料である。ならば当然、食料生産をしている者、その生産物には感謝があってしかるべきである。自分がどれだけ有用な事をしているか知るべきであろう。

石器時代より複雑になったはといえ、少なくとも江戸時代の人はそれが分かっていたと思われる。江戸の数学者関孝和は『算術には用の用、無用の用、無用の無用がある』と言ったのは、算術だけではなく物事全般を言ったのだろう。はたして『無用の無用』が、関孝和自身が考案した行列演算や三次方程式の解法等を指しているのかどうか分からないが、彼が『無用の用』たらんと思っていたことは事実だろう。

それでも、幾ら人が有用な仕事をしようとしても、自分で仕事を作り出せる人は僅かである。そこで政府の出番となる。
上の図は、主要国の政府支出の比較である。日本のそれは悪名高い特別会計も入れての数字であるが、何処の国も政府支出はGDPの40~50%程度もある。この数字を見ると何処の国も政府がかなりの雇用を生みしている事がわかる。即ち国が仕事を作っているのである。

だから、政府支出のGDP比が如何に高くても、封建時代の年貢のように考えてはいけない。政府支出が如何に少なくても、全ての国民が有用な仕事をしていなければ、有用な仕事をしている者は不平等を怒るだろうし、国全体の豊かさも得られない。

為政者のするべきことは、如何に全国民に有用な仕事をさせるかである。

まあ、言いたかったのは『農業を馬鹿にして、農業を無くすようなことをすると全てを失いますよ』と『如何に収入が多かろうと、如何に生産性を誇ろうと、用の用、無用の用、無用の無用を念頭に置いて仕事をしなければ、社会全体がうまく行きませんよ』である。

経済の根幹は食料とは言っても、米本位制の江戸幕府は立ち行かなくなった。その話はその次に。


           
          関孝和           円周率の算出方法と行列演算。
この手の人はメシさえ食わせれば、大発明もやってのける。尤も普通の人でもメシを食わせ、それに酒を加えれば、それなりの仕事をする人はいる。

小沢一郎考察2

携帯電話問題とは、1989年頃、アメリカがモトローラ社製携帯電話を日本で売れるようにしないのは、貿易障壁だと言って経済制裁をすると通告していた事である。

そのころ日本ではNTTドコモ方式が全国に着々と整備つつ有った。確かに現在のように津々浦々とまでとは言えないが、日本の携帯電話はNTTドコモ方式で順調に整備されていた。

NTTドコモ方式とモトローラ社は、同じアナログ方式でも通信方式は違う。そもそも通信方式が異なる携帯電話を整備している国など無かった。何処の国も、一つの通信方式だけで携帯電話網を整備していた。

その時既に電信電話局はアメリカの要求により民間会社NTTとなっていた。民間会社であるNTTが整備した通信網を使って、モトローラ社製携帯電話を売りたいのなら、ドコモ方式の携帯電話を作って売ればよいだろうし、あくまでモトローラ方式の携帯電話を売りたいなら、モトローラ方式の基地局はモトローラ社が勝手に作ればよかった話である。

それをアメリカは、日本政府に対して非関税障壁だと言った。モトローラ社製携帯電話が売れないのは非関税障壁だと言のである。

これを横暴と言わずして何を横暴と呼ぶか。当然郵政省は反対だし、心ある日本人もアメリカの横暴を憤った。しかし、このアメリカの横暴を政治決着しようちする政治家がいた。小沢一郎である。

彼は、郵政官僚達が止めるのも聞かず、単身アメリカに乗り込み、日米携帯電話問題を決着した。おみごと!。アメリカの言い分は全て丸呑み。アメリカの完勝、日本の完負である。

FSXのときと同じである。小沢一郎がアメリカの犬であるのは決定的となった。しかし、この話は後述談が有った。何故このような形で決着したのか、取引条件は何なのか。これだけ騒がれていたのに、その後マスコミの報道に此れが書かれることは一切無かった。

諦め切れない私は情報を探し続けた。何しろ、日本の航空産業を潰した憎っき敵である。そしてインターネットで見つけた。『携帯電話機の脅迫セールスと「国賊」小沢一郎』と言う記事である。

 「今回の日本降伏を仕組んだ確信犯は、政府の公職にもついていない新生党代表幹事の小沢一郎氏と大蔵省の斉藤次郎次官の二人だった。(中略)(両通信協定締結)当時の竹下登首相と小沢一郎副官房長官が米国の言うとおりに自らの保身、政権維持の目的で日本の通信市場を米国に売り渡していた。(中略)カンター氏(米通商交渉部代表)はモ社提訴で小沢氏を揺すぶれば、87年と89年の国家主権売り渡しの旧悪露顕を恐れて、もみ消しのために『モ社決着』に走ると読んだのだった」
http://www.jca.apc.org/~altmedka/denpa-7-1.html

情報の出所は、ニューヨーク市立大学教授の霍見芳浩氏である。これによると、小沢一郎はカンター通商代表に、1987年と1989年の国家主権売り渡しの悪事をばらすぞと恫喝されたらしい。

売国奴小沢一郎の真骨頂である。

その後、小沢一郎は何故かアメリカと疎遠になって行く。国連中心主義のような事を言ったのもアメリカから離れる為だった。嘗ての彼のアメポチぶりを知っている国務省の人間は不思議がった。『ひねくれているんじゃないか』と。

アメリカは小沢のような金に汚い独裁者が好きである。小沢一郎は、日本のノリエガであった。日本のゴジンジェムである。日本のパーレビである。日本のマルコスである。日本のフセインであった。これ等は皆、アメリカの為働いた独裁者達である。

しかし、その末路はどうなったであろうか。皆アメリカに見捨てられるか、裏切られている。彼自身、自分が日本のノリエガであることを一番知っているだろう。当然、自分の末路がどうなるかも知っている。第一彼の嘗てボス田中角栄がそうであった。

田中角栄自身は、自分が日本のノリエガだと思っていなかったかも知れない。だがアメリカは、田中角栄を日本のノリエガだと思っていた。田中角栄は餌に食いつき自国の権益を売り渡したのだ。アメリカは、彼を金に汚い独裁者と見たのだ。だから勝手な行動、即ちアメリカの頭ごなしの日中国交正常化を知り、処罰したのだ。

訂正です。TPPのアメリカ側の推進者は、ミッキー・カンターでは無くクレイトン・ヤイターでした。日米半導体協定のときの通商代表です。カンターもヤイターもどっちもどっちですけど。間違いです。スミマセン。
で下記の記事はボツです。
  
ちょっと横道にそれるが、カンター通商代表。この名前に聞き覚えが有るだろか。彼こそが現在のTPPのアメリカ側の推進者である。今、日本側のTPP推進者は、彼に昔のすねの傷を触られ、アメリカの犬になることを躾けられているのだろう。

本題に戻り、小沢一郎は自分の末路を知っている。そこで考えたのが支那である。支那に助けてもらう。日本をお土産にすれば助けてくれるだろうと彼は考えた。手下を引き連れての大訪中団。将来の日本の総理と言われる人間が、GDPでは支那に匹敵する国の政治家が、何故あそこまで支那に諂うのか。それは、お願いごとがあるからだ。

しかしそれより、何故小沢一郎が売国行為をするのか。おとなしくしていれば首相の席は転がりこんできた筈であった。この疑問もインターネットで小沢一郎=朝鮮人を知って氷解した。

母の墓参りの為、度々済州島へ渡り、日本人が殆ど知らない韓国で英雄とされる、強盗殺人犯『金九』の墓参りをし、騎馬民族征服説を信じ、韓国人に日本人を決断出来ない民族と聞かせ、天皇陛下を貶める等の彼の行いを見れば、間違いなく朝鮮人である。

しかし彼の売国行為は、彼にとっては売国行為では無い。反日という民族の血によるものだった。

又、彼の兄弟子とも言えるお仲間、金丸信も朝鮮人のようである。これは重村智計氏の『外交敗北・日朝首脳会談の真実』に書いてある。北朝鮮は金丸信の出自を調べ上げ、『先祖はご苦労しましたね』と言い、金丸信は感激の涙を流したと言われる。彼も又、日本の国益を損ねることをしている。

恐らく小沢一郎が朝鮮人であるのは、在日朝鮮人(帰化、成りすましも含む)達も知っているのだろう。彼等にとって小沢一郎はホープであったようだ。数々の疑惑が顕になり、大嘘つきであることも判明した現在でも、小沢一郎を支持しているのは朝鮮人である。これは私が『中韓を知りすぎた男』のコメント欄を分析した結果の推測である。

この小沢一郎のために、現在、在日朝鮮人は支那派とアメリカ派と分裂しているようである。どちらも日本を売ることに違いは無いが、今後小沢一郎が生き残ることが有れば、日本を支那に売り渡すことは間違いないだろう。

雨の五十鈴川:変わらぬ清流。こう有りたいものです。
 

小沢一郎考察

私が小沢一郎に関心を持つようになったのは、時期支援戦闘機FSX選定(現在のF-2)の不可解な決まり方からだった。不可解な決まり方は、対潜哨戒機PX-Lの機種選定のときもそうであった。PX-Lが国産からロッキード社製P-3Cオライオンに決まった理由は、売国奴田中角栄へのロッキード社からの贈賄だった。ロッキード事件である。

PX-Lの機種選定前の川崎重工の対潜哨戒機開発に賭ける意気込みは、名戦闘機飛燕を始めとする多くの軍用機を設計した土井武夫氏を中心とし、多くの技術者を雇い入れるなど非常に意欲的であった。戦時中、土井武夫氏はB-29以上の4発大型爆撃機を設計したこともある。戦後初めての国産旅客機YS-11も彼がいなければ失敗に終わった可能性もあった。土井武夫氏達の情熱は、日本が航空機王国であった時の時代をもう一度復活させたいと思っていたからであろう。

しかし結局は田中角栄の汚職によりYS-11に次ぐ国産大型機の夢は頓挫した。しかし今度の時期支援戦闘機FSXが国産で無くなると、細々と技術伝承を行ってきた日本の航空産業も壊滅する。今度は、アメリカに付け入る隙を与えないよう、航空機メーカと防衛庁や通産省の官僚を中心にしたと思われるプロジュクトチームが、国産機を推薦する理由をまとめた。

それは『価格は国産開発とすると割高になるが、技術の波及効果、経済活性により国内開発をする方が得である。但しエンジンについては外国製とするしかない』である。

それを受た三菱独自案の機体モデルが日経に載っていた。双発、カーナード翼の先進的な機体は、フランスのラファール戦闘機や、現在のF4の代わりの次期主力戦闘機候補になっているユーロファイターを先取りしたものだった。

三菱による時期支援戦闘機への技術的回答は、支援戦闘機F1を改造して研究したCCV技術を用いることで、高いGを掛けなくて高い運動性を得ることが出来、それにより機体を軽く出来、エンジンもそれ程こだわらなくても良く、アメリカが提供を断れば、ロールスロイス製でも良いと言うものだった。

さらに軽量化への回答は、富士重工が開発した、炭素繊維の複合素材を一体成型で焼く技術で作った主翼を使用する予定であった。この案通り国産にしていれば、恐らく、現在選定中のF4にかわる次期主力戦闘機も、国産の支援戦闘機FSXを改造したもので充分であり、それにより国産路線の道が開かれ、F-15の後の主力戦闘機も国産になっている筈である。

しかし国内にはアメリカ製を推す派が存在した。そして1986年にはアメリカとの共同開発も選択事項に加えることとなった。しかしその時点でもワインバーガー国防長官は『FSXの選定は日本が決めること』と言い、干渉するそぶりは見せなかった。アメリカのグラマン社の社長も『日本が多年に渡り航空機の研究を行っているのは知っている。我が社FSX開発の手伝いができるのなら協力したい』と極めて謙虚であった。

ところが1989年に入ると、レーガン大統領からブッシュ大統領に替わるとアメリカの態度は一変した。貿易不均衡を理由に、共同開発を主張してきた。その間、日本の総理大臣も竹下内閣1987/11~1989/06、宇野内閣1989/06~1989/08、海部内閣1989/08~1991/11とめまぐるしく変わっている。

一方小沢一郎は、竹下内閣では小沢一郎は官房副長官に、海部内閣では47歳の若さで党幹事長を勤めていた。竹下内閣では官房副長官だったと言っても、竹下内閣の官房長官は実質小沢一郎だったといわれる。

日本は結局の処、次期支援戦闘機はアメリカとの共同開発案を受け入れ、FSXはF-16を改造することで落ち着いた。しかし今度はアメリカ議会と商務省がイチャモンを付けていた。F-16のソース・コードの使用がまかりならぬと言うのである。しかも日本があたかもアメリカの技術を盗む為、共同開発をしようと言ってきたと、喧伝してきた。

共同開発はアメリカの強い意向によるものであり、開発費は100%日本が支払うにも関わらず、アメリカ議会もアメリカのマスコミも技術泥棒日本の大合唱であった。それに対して、当時の日本の内閣はなんら反論をしていない。

このような決着の為、FSXの開発は高いものに付いた。アメリカから火器慣制のソースコードの提供を受けられなかったため、日本は新たに火器慣制装置を開発した。それよりアメリカは、三菱が既に自主開発していた航空機用フェイズド・アレイ・レーダー技術を共同開発と言い張り、だたで持って行った。三菱は開発費を請求したが、支払われた開発費は、たったの1000万円程度。恐らく支払ったのも日本政府であろう。

F-22はスマートスキンと呼ぶフェイズド・アレイ・レーダーを搭載しているが、元はFSXのとき得た三菱の技術を発展したものである。この他、炭素繊維の複合素材を使用した一体成型で主翼を作る技術もアメリカはただで得た。共同開発により日本も得をしたと言う人もいるが、はっきり言ってFSXの日米共同開発は日本の損であった。しかも日本は技術泥棒の汚名まで着せられた。

しかし幾らアメリカのごり押しと言っても、日本側が肯定しなければ、アメリカだってごり押しは出来ない筈である。開発費は100%日本の税金なのである。

ロッキード事件の対潜哨戒機PX-Lの経験により、私は当初から日本側にFSXの国産開発を潰すグループが存在している、と見ていた。そして案の定、対潜哨戒機の時と同様、不可解な決まり方をした。又、そのグループはロッキード事件の時と同様、田中派の流れを汲む経世会だと見ていた。

それは、自分達のボス田中角栄がアメリカに嵌められたにも関わらず、金丸信等のアメリカへのサービスぶりを見ていたからだ。思いやり予算。早期警戒管制機AWACS導入。まるでアメリカに楯突いていないことを証明するように見えた。そして、しばらくしてFSXの国産開発潰しは小沢一郎であることが分かった。航空雑誌に小沢一郎が国産開発潰しに暗躍したと載っていた。推測は当たっていた。

このFSXの件と前後して、日米間には携帯電話問題が持ち上がっていた。(続く)

このFSXの時の日米の動きは、TPPに似ているので多少長くなった。

土井武夫設計による戦闘機飛燕

コリア&アメリカ・コネクション

車の中でNHKのラジオ放送を聞いていたら、経済の専門家らしいのが財政再建の話をしていました。彼の話によると『♂♀§★○長期金利が、&*▼※企業が海外で稼いだ金を還元させてφ∈♪ωで、増税をして☆Ωζδ』だそうです。

くれぐれも経済学者に騙されないように。あと、禅とか悟りとか言っている野狐にも騙されないように。

コリア&アメリカ・コネクション
民主党が反日朝鮮政党であることは、今や政治ブログでは共通認識である。又殆どのマスコミも朝鮮人に乗っ取られていることも、インターネットの世界では共通事項である。だから反日が党の綱領とでも言える民主党や、朝鮮人に乗っ取られたマスコミが、日本を破壊するTPPを推進する理由は納得できる。彼等は日本が損になることは何事も賛成なのだ。

しかし此処に来て、今まで保守と思われた人の中にもTPPを推進しているのが多数表れてきた。

支那と通じ支那を手引きして、内と外から日本を破壊しようとする民主党や、日本人の自信を失わせるような情報操作を行うマスコミに対して、それに抗してくれる人と思われた人がTPPに関しては、手を結んでいるのである。保守と朝鮮人。不思議な組み合わせである。

確かにその保守と思われた人は皆親米である。では朝鮮人とアメリカの結びつきはどうであろうか。

結び付きは有った。従軍慰安婦問題はアメリカから世界に波及した。そしてそのとき、日本ではシーファー駐日米大使が『河野談話から後退したら、日米関係は破壊的になる』と言ったことを思い出してもらいたい。

従軍慰安婦は反日左翼と朝鮮人の嘘と捏造である。今では、左翼が作った教科書でさえ、従軍慰安婦のことを記述することは無くなった。それが捏造であったことは、当時でも多くの日本人の共通認識であった。その情報をアメリカが知らない訳が無い。

朝鮮人慰安婦の言うことは尽く嘘。出てくる証拠は軍による強制は無かったという証拠ばかり。それでもアメリカは朝鮮人の捏造を支持し、安部首相をブッシュ大統領と豪首相の二人がかりで河野談話から後退させないように説得することに成功した。アメリカと朝鮮は連携しているのである。

アメリカと朝鮮人の連携は古い。遡れば終戦直後、GHQが治外法権の対象に朝鮮人と支那人を含めたことからでも分かる。警察官二人が殺害された、朝鮮人による生田署襲撃事件はGHQ管轄下で起きた。無抵抗な警察官が襲われているにも関わらず。GHQは止めることすらしなかった。人質を凶暴な犬に監視させるようなものである。

だが派手な騒ぎだけに目を奪われてはならない。その裏ではGHQは数千冊の書物の焚書を行っていた。アメリカに都合の悪い情報、日本人が自信を持つ情報が消されていたのだ。そしてそれと同時に、全ての手紙や通信文の検閲が行われていた。

どの書物がアメリカに都合悪い書物か、どの手紙にアメリカに都合悪い内容が書かれているかを調べるには、膨大な人手がいる。なにより検閲する人間は日本語が堪能でなければならない。秘密も守られなければならない。GHQが適任者は誰かと考えれば、日本で高等教育をうけた朝鮮人が最適と考える筈である。

否、もっと古くからアメリカと朝鮮の結びつきは有った。韓国併合以後、朝鮮人の生活は台湾と同様、年々改善してきた。それを悪意をもって朝鮮人を奴隷のような境遇に置かれているとアメリカに報告していたのは宣教師であった。対日戦のプロパガンダにも奴隷状態にある朝鮮人の解放もうたわれていた。そして日本の敗戦。朝鮮に進駐したアメリカ軍は、有りもしない奴隷解放に来たと言いい、実態とかけ離れているのに訂正することは無かった。

又戦時中でも、日本の情報はアメリカに筒抜けだった。軍服を着て行けば、海軍省などフリーパスだったと言う。誰がそう言っているのか。もちろん目の青いアメリカ人ではない。これも朝鮮人だと考えるのが妥当である。ようするに、戦前からアメリカと朝鮮は結びつきが有ったのだ。

又戦後の国内に目を転じれば、GHQは東大等に親米と反日教授を置いた。東大だけでは無いだろう。主だった組織で、軍部に協力したとの名目で、普通の日本人を追い出し、親米日本人と反日左翼を置いたのである。当然反日左翼の中に多数の朝鮮人がいた筈である。その証拠に、吉田茂がマッカーサに宛てた書簡にも、密航してきた朝鮮人の多くが共産主義者となって政治的犯罪を犯すことが書かれている。

此処に来て、日本のあらゆる組織団体に朝鮮人の姿が見えるようになった。その代表が民主党でありマスコミである。元はと言えば、GHQが日本人を監視しコントロールする為に育てたものだ。数多い成りすましもGHQが容認し育てたものだろう。

ところがそれが、今や支那と結びつきアメリカの利益に反する行動を取るようになった。当然アメリカは黙っていない。それがTPPである。TPPは日本の再占領とタガの締め直しである。親米保守と反日朝鮮人の不思議な結びつき。別々に見えるが、お互い日本を締め付けるタガとして同じ役目を負っているのだ。

眠いので、反米になった小沢一郎の考察はいずれ。

気分転換:金箔の障壁画と言えば日本です。智積院障壁画
 

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