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崗上虜囚の備忘録

日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください

書評:リベラルに支配されたアメリカの末路

今日の記事は「リベラルに支配されたアメリカの末路」ジェイソン・モーガン著、ワニブックス)の書評である。ジェイソン・モーガンの本は「アメリカは何故日本を見下すのか」に続いて2冊目であるが、この本に注目したのはアメリカの共産主義者の動きと、現在のアメリカがどのようになっているかを知りたかったからである。
   
 
前々回の記事「NHKの洗脳番組」もアメリカを含む世界の現在の共産主義者がどのような考えを持っているかの一端が出ていたので先に紹介した。
 
違う点は、NHKの『欲望の経済史2018』『欲望の資本主義』の中では共産主義者は依然資本主義をターゲットにしていたが、この『リベラルに支配されたアメリカの末路』では、「昔の共産主義者は資本主義を敵対視し、直接攻撃しようとしていたが、最近の反社会分子(つまりアメリカの教授のほぼ全員)は共産主義の原点まで遡って、マルクスとエンゲルスを紐ときながら改めて社会攻撃の仕方を学び直している」と、共産主義者が別のターゲットに的を絞って活動している事を紹介している処である。そのターゲットとは「家族」である。『ジェンダーという破壊兵器』も現在の共産主義者の武器である。
 
モーガン氏は日本史を研究する過程で、本当のアメリカを知り、偽りのアメリカであるリベラル派の行動を知ったとあるので、彼が至った結論は馬渕睦夫氏や水島総氏等の現在の日本の保守とかなり近い。例えばトランプ政権が誕生するまではリベラル派がアメリカを支配しているとか、ロシアを悪に見立てることにしたリベラル派とかや、従軍慰安婦等の問題についても殆ど同じ認識である。
 
と言っても引っ掛かる処があった。それはモーガン氏が国家主義を批判している処である。例えば『国家主義が完治していない日本』のタイトルの項では天皇機関説を唱えた美濃部達吉を国家主義者で極悪人としており、『明治維新は「復古」か「刷新」か』の項では、明治維新を遂行した者を君主主義者ではなく、国家主義者と断じているのである。
 
敢えて反論するが、共産主義者が天皇の存在を肯定すると機関説にせざる得ないのである。元日本共産党のNo.4であった筆坂秀世氏によると日本共産党は天皇の存在に否定的ではないそうである。そうなると常に建前を言わなければならない共産主義者としては、つじつまを合わせる理論を言わなければならないのである。つまり天皇機関説は、天皇を残したいが、さりとて共産主義思想にはそぐわないと思っている共産主義者が、つじつま合わせの為に考えた理論と言うことになるのではないか。
 
又、明治維新を遂行した者を君主主義者ではなく、国家主義者と非難するのも同じである。武士が率先して身分制度を止め、福沢諭吉が「天は人の上に人を作らず」と言った事を、当時の日本人がすんなり受け入れたのは、少なくても幕末時点の日本人は人が平等である事が常識だったからである。当然天皇についても同じである。その明治天皇が神に近い形で祭り上げられたのは、それは日本の祭りと同じ、または仏具屋の宣伝文と同じく「心は形を求め、形は心を進める」を実践したにすぎない。
 
そもそも明治維新は黒船来航により、日本が殖民地になる危機を感じた者達が、日本を富国強兵な体制にするため起こした革命であって、共産革命と違って何々主義に染まった者による革命では無いし、国家主義とか君主主義の論争の末できたのでは無い。彼等が唱えた『王制復古』にしたって、只の看板である。それが看板であるのは、彼等が最初に唱えた『尊王攘夷』も、後で『尊皇開国』変更したのを見れば分る筈である。
 
国家がある限り、有る時は全体主義的に、有る時は独裁主義的にせざる得ない時もある。それは周辺の事情によるものである。第一、国家の概念もない縄文の日本列島に国家が成立したのは、日本列島周辺が穏やかでなくなり、他民族に支配される危機が迫っていたからである。幕末の日本も同じであった。そして明治維新により日本は戦時体制になったのである。
 
それより、国家主義という言葉は、恐らく共産主義者が特定な国家を否定的に言うために作った造語ではないだろうか。つまり左翼お得意のレッテル貼りである。残念ながらモーガン氏は「イデオロギーは体を蝕む毒薬である」と言っていながらレッテルに嵌り、架空の日本の国家主義を否定して、架空の日本に理想を抱いているのである。
 
もっとも、モーガン氏が国家主義に懸念を抱く理由がある。実は「政府を信じろ」と言うのがアメリカのリベラルだそうである。アメリカの主要機関であるFBI、CIA、NSA、国防総省、歳入庁などがリベラル派に握られていればそうなるだろう。リベラルに支配されたアメリカは共産国ソ連に近いのかも知れない。
 
以上引っ掛かる点はあるが、アメリカ人の悲鳴が聞こえてくる本であった。「アメリカの左翼から見れば、リベラルは右翼と同じ」と言う話は初耳であった。そして本の前書きには、「日本にもお願いしたい。 リベラル派を馬の上から引きずり下ろして、本当のアメリカと組もうと」とあるので、日本人としては、その答えを準備する必要があるだろう。
 
モーガン氏にはこれからも頑張って欲しいが、一つ言いたいのは「折角日本に居るのだから、是非禅をやって欲しい」と言う事である。と言っても座禅を薦めている訳ではない(下手に永平寺などに参禅して馬鹿坊主に師事したりすると、それこそリベラル地獄に嵌ってしまうだろう)。
 
禅の古典『碧巌録』に『至道無難唯嫌揀択』と言う言葉がある。直訳すれば、「道に至るのは難しくは無い、ただ揀択をしないことである」で、『揀』も『択』も選ぶの意味なので、意味は「言句に囚われて執着して選り好みしなければ、悟るのは簡単」ということになるだろう。と言う事で、モーガン氏には、禅の古典にでも接し、是非悟って欲しいのである。
 
近代政治に興味を持った歴史学者と禅。奇妙な取り合わせかと思うかも知れないが、左翼から右翼の総本山と思われている『日本会議』の発起人は円覚寺貫主・朝比奈宗源だったのである。この事は最近知って驚いた。朝比奈宗源、私にとって懐かしい名前である。20代の前半、『碧巌録』、『無門関』に続いて読んだ3冊目が朝比奈宗源が訳した『臨在録』で有った。宗源禅師の訳も素晴らしかったし、当然片目は開いている筈である。そうなれば確かに悟った者の言動は変幻自在・融通無碍、何でも有りの世界である。恐らく宗源禅師は共産主義者の奏でる音痴の音曲が気に入らなかったのだろう。
 
私も街宣活動をやっているが、何も天皇教を日本国民に強要しようと活動をしている訳ではない。共産主義やカルト宗教が蔓延して、人々の自由な心が奪われた世界を見たくないからである。従って共産主義のカルト宗教活動が治まれば、我々の街宣活動も収束する。これは何故保守活動が活発でないのか、保守活動の動員数が少ないのかを、同じ理由で説明出来るだろう。保守活動はアンチカルト活動なので消極的なのである。
 
話をモーガン氏に戻すと、共産主義は人から自由を奪うカルト宗教であるが、それは共産主義者自身が自らを束縛しているからである。モーガン氏が本当のアメリカを取り戻したいと思っているなら、まず自らが自由になるべきではないか。それには悟る、即ち禅に接して解脱することが手っ取りはやい。
 

この中で(51:30/1:21:19)川口ロマーン恵美氏が「ドイツが他の意見を入れないような息苦しい時代になっているような気が此処2~3年特にしてた」、「平等とか人権ばかり強くなって自由が無くなっている」と言っているが、この懸念はジェイソン・モーガン氏と同じ懸念である。
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高学歴にサヨクが多い理由

若い仲間から「サヨクに高学歴の人が多いのは何故なんでしょう?」と聞かれた。学問と言うのは先生から学ぶ事である。つまり学ぶ事とは一種の洗脳なのだ。教授がサヨク思想なら、サヨク思想に染まった学生が最も優秀な学生と思うだろう。そしてその学生は次の教授になり、またサヨク思想を教える。しかしその学生は本当は優秀では無い。自分の頭で考える事が無い人間だから教授になれたのだ。智の劣化の連鎖はこうして続いて行くのだ。
 
だが本当に優秀な学生なら自分の頭で考え、直ぐ師を越えるだろう。『守・破・離』の破から離まで行ってしまうのが本当に優秀な人間なのだ。当然本当に優秀な学生はサヨクにならない。
 
一方,我々一般人は学ぶ事が苦手である。そうなると物事全て自分の頭で考えなくてはならない。従って偏差値が低くても、一般人は常に自分の頭で考える訓練がされているのである。これ又当然サヨク思想に嵌る筈が無い。サヨクがカルトで有る事も見破るだろう。それでもサヨク思想に嵌る偏差値の低い人間がいるが(W)、その人間は学ぶ事もせず、自分の頭で考えることもしない一番馬鹿と言うことになる。
 
こう説明した処、彼は「俺は勉強しなかったからなー」と言って納得した。(アーサー・C・クラークがカルトに嵌る高学歴の人間を憂いて「知能指数以上に教育を受けた人」と評したが、こちらの方が適切な説明かもしれない。)
 
この事について、田中英道氏が大学がサヨクに席巻されている事の理由を考察していた。
 
      
https://www.youtube.com/watch?v=mZstTjzsvkE&t=112s
【日本国史学会】「第四十三回連続講演会」講演:田中英道「近現代史研究3 日本とユダヤ人の歴史的考察」 (2017/02/25)
 
田中英道氏が日本国史学会を立ち上げたのは、正に大学がサヨクに席巻されている事を憂いたからである。彼が言わんとしている事は、
 
理系は実験成果などで有用性の結果が出る客観性の有る学問である。それに対して人文系(文系)は元々客観性が無い学問である。芸大などもそうで有るが、芸術にどう客観性を持たせると言うのだ。芸大出身の天才など見たこともない(確かに殆ど芸大出身者は芸術活動より学芸員のポストを欲しがる)。文学だって歴史学だって同じ、否社会学全般が、有る種の情念が有るから是非の評価が出来るのである。
 
そう考えると、人文系学問が狭い分野の学問に分割されているのが可笑しい事になる。文学も芸術も庶民文化も歴史も区切りなど無い。人文系は狭い分野を突破しないと学問として成り立たない。第一狭い分野に区切って何々学部として大学で教える必要が有るのか?。好きな人間なら大学で教えなくても勝手にやるだろう(確かに、趣味で骨董をやっていた叔父が、教授に出土品の年代を教えていた)。
 
そこで客観性が無い人文系学問に権威付けたい教授達が飛びついたのが西欧の社会学である。だが社会学はユダヤ人が始めた学問である。それも共産主義、特にフランクフルト学派のユダヤ人学者である。なので彼らが始めた社会学が客観性があると言っても、ユダヤ人の価値観に基づいている。ユダヤ人が国家や団体を否定し個人に重きを置いているのは、ユダヤ人が国家を持っていなかったからである。
 
ユダヤ人学者が国家や家庭、伝統文化までを個人を縛る物として否定するのは、その思想の背景に異民族は騙しても良いと教えるタルムードに有る事は間違いないだろう。つまり世界中の異民族の国・家庭・伝統文化・既存の価値観を破壊してバラバラの個人にすれば御すると思っているのだ。それが客観性のあると言われている社会学の正体である。
 
それも知らずに多文化主義とか地球市民と騒いでいるのが、知能指数以上に教育を受けた高学歴のサヨクである。自分の頭で考えない彼らは、批判理論を叫んで権威を批判してもユダヤ人学者が作った権威に頭は上がらない。ユダヤ人学者も自ら権威に乗っている矛盾は無視である。その矛盾は彼らが批判する人間を「ナショナリスト」とか「歴主修正主義」とレッテルを貼るだけで討論に応じないのを見れば明らかである。
 
社会学を作ったのもユダヤ人なら西欧の思想家は殆どユダヤ人である。だとしても凄いと思う必要は無い。むしろ彼らが稚拙な言葉の奴隷であることを哀れむべきである。東洋では釈迦以降、哲学・思想の類は全て無意味になったのだ。日本人でも哲学者と自称する人間を見かける事が有るが彼らも言葉の奴隷、全て偽者である。
 
仏教にしても同じである。釈迦が言った事を記した万巻の経典が有るが、思想を記した書物ではない。釈迦が言ったのは全て方便、比喩の類である。第一、空・無がどのような思想に成りえるのか。法華経が最高の経典と言っている宗教が有るが、これも全て偽物である。唯一つの道路標識を有り難がっているようなものである。
 
田中英道氏の言っている事と多少脱線したが。氏も、この文の意を知れば同意するだろう。
 
  
油絵に挑戦して、改めて筆と墨の凄さが分る。広重の「大はしあたけの夕立」と言う浮世絵をゴッホが模写しようとしているが、油絵であの様な細い線を描く事は無理である。日本人が陰影法に遅れを取ったのは、筆と墨の便利さにかまけた為と思う。
 
それにしても油絵は思う所に思う色が乗らない。コンピュータお絵かきソフトも思う所に思う色が乗らないが、油絵は被覆力が弱いため思う色が乗らないのである。一方コンピュータお絵かきソフトは思う場所に筆を運べない事である。何事も修練かな。

猛威を振るポリテカル・コネクトネス

ポリテカル・コネクトネスは、差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す言葉だと言うが、これは共産主義者であるフランクフルト学派が仕掛けている文化破壊工作の一つである。
 
ポリテカル・コネクトネスは文化革命と同様、実質言論弾圧活動である。その工作活動に従事している人間はその目的を知らず、これも文化革命時の紅衛兵と同く只洗脳されやすい馬鹿者が殆どだと思われるが、今や世界で猛威を奮っており、これからの社会に与える被害は計り知れないことになると思われる。現在の処、その被害が大きいのはアメリカである。
 
その例であるが、最近読んだエドーワード・ルトワックの『中国4.0(暴発する中国)』)の中に、ルトワックがイラク侵攻の際に、アメリカの対外政策を議論する会合で、イラクには宗派も人種も違うアラブ人、クルド人、トルクメン人がおり、同じ宗派でも分裂して殺しあっている現状を説明した処、突然ルトワックの発言を遮って「ルトワック氏はイラク国民には民主制は無理だとおっしゃってるのでしょうか?」と聞いてきた者がいた。ルトワックが「その通りです」と答えると、その者は「ルトワック氏は人種差別者です!、私は同じ席で人種差別主義者と議論することを拒否します」と言ってきたのである。
 
その後のやりとりでも、その者はルトワックの言質を捕らえ、ルトワックは人種差別主義者と断定する。ルトワックは「『人種差別主義者だ』というレッテル貼りのおかげで、このやりとりを聴いていた人々は、私の意見に賛同できなくなってしまった」と書いている。
 
ルトワックが反論出来ないのも情けないが、周りの人間もレッテル貼りに影響されるのも情け無い。アメリカは自由の国を標榜しているが、小説『緋文字』に見られるように、元々原理主義で魔女狩りに近い事を行うような国である。その土壌の上に今はポリテカル・コネクトネスである。現在のアメリカはさらに言論の自由が無くなったと思われる。
 
EUも同じである。EU諸国が移民によるテロや犯罪率増加に対処出来ないのも、ポリテカル・コネクトネスによる言論封殺の結果だと考えられる。日本も百田尚樹の講演が中止に追い込まれるなど似たような状況になりつつあるが、日本のインターネットの世界を見る限では、言論封殺やレッテル貼りを批判する意見が大勢を占めているようなので、多少まともに見える。
 
それにしても、左翼も左翼に左右される人間は、レッテル貼りで思考停止してしまう傾向にある。左翼に限って思想々と煩いが、左翼の思想はレッテル貼りだけである。その一例がこれである。
その箇所は、朝まで生TVでケントギルバートと護憲派の弁護士伊藤真が楽屋で大喧嘩したところであるが、原因は伊藤真が安保法案の事を「これは戦争法案だ」と言った事である。「正式な名称が有るのに何故別の名称を言うのか?、弁護士なら正式な名称を言え」がケントギルバートの怒った理由である。果たして伊藤真は「これは戦争法案だ」と言った意見に意味が有ると思っているのだろうか。只レッテルを貼り変えて自分が納得しているだけではないか。
 
もっともレッテルを貼り変えて納得しまうのは左翼だけでは無い。全ての思想はレッテルを貼り変えることなのである。左翼が思想々と煩いのは、元々左翼は欧米人に劣等感を持ち、その欧米人が思想々と煩いからである。特に共産主義思想に代表されるユダヤ人は思想に煩いのである。
 
これについて仲間の青年に 「ユダヤ人が共産主義思想を生んだのは、彼らは言葉を信仰しているからである。言葉なんぞは他人との情報伝達の道具である。それを思想々と言っているのは、言葉を崇め奉っている言葉の奴隷ではないか」と説明した処、「田中英道さんが言葉は事の葉っぱ(即ち重要なのは事であり、言葉は端くれ)だと書いていました言われた。
 
件の青年は、田中英道の「日本人にリベラリズムは必要ない」を読み終えたところ、こちらはちょうど買ったところであった。どちらも目的の本が無かったので、たまたま買ったのであるが、読んだ感想は田中英道が私と全くおなじ考えであることが分った。
 
それは、ポリテカル・コネクトネスがフランクフルト学派の共産主義思想であり、共産主義思想は言葉に絶対的価値をおく宗教から生まれた、と言うことである。当然キリスト教も同じである。旧約聖書に「始めに言葉あり」と書いてあるが、言葉は絶対的な神より先に存在しているのである。そしてその言葉への追求は無しである。従って欧米人がレッテルを貼りで思考停止してしまい、物を言えなくなるは宗教的背景と言えるだろう。
 
それに対して日本は新道には教義は無い。言葉を絶対的のものとして扱っていない。古事記に宇宙開闢等の話は出てくるが、言葉は混沌とした様を言い表すのに使われているだけである。さらに後から入った仏教は、言葉そのものを追求した宗教である。その結論は空、無であり、もはや是は何々であるの言葉を超越しているのである。禅が不立文字の所以がそれである。日本では、言葉は正しい目的の為に使われているといえるだろう。但し左翼以外。
 
田中英道の言わんとしている事は、当ブログ記事『共産主義は人類共通の敵』の中の『11、欧米社会は未熟、日本の手本にはならない』で「言葉狩りをする共産主義者が誘惑する自由は束縛でしかない」や「日本人は欧米人より自由なのである」とか、『12、日本の生き方が世界を救う』で「釈迦以降、哲学も思想も不要になったのだ」と書いたと同じである。まさに「日本人にリベラリズムは必要がない」である。
 
思想とはレッテル貼りであり、別の言葉の置き換えに過ぎない。そういうと「お前さんのその言葉も、言葉の置き換えに過ぎない」という御仁が出てくるかも知れないが、「何だ、臭い溝から出たのかと思ったら、また入りに来たのか」と先にお返しをしておく。
 
   

ついでに臨済録(朝比奈宗源訳)に出てきた話を載せておこう。
 
・修行僧たちは、名前や言句に執らわれ、凡夫とか仏かの概念にひっかかり、その心眼をくらまされて悟ることが出来ない。お経すら薬の効能書きにすぎぬのだ。
 
・お前たちよ、世間には修行すべき仏道があり、悟るべき法があるなどと説くものがいるが、一体どんな法を悟りどんな修行をしようというのか。
 
・わし(臨在)は幾通りもの衣装を着て見せる。すると修行僧たちは、その衣装、即ち言句についてまわり、ああかこうかと推量する。めくら坊主共だ。そこでそれらに衣装を脱ぎ捨てて、本来無一物の境界に入れば、修行僧たちは、これは尊い、これこそ我々が求めたところだと喜ぶ。わしがさらにそれも脱ぎ捨てると、修行僧たちは肝をつぶし、うろたえてわしに衣装が無いと言う。
 
さらに臭みに嵌りたい人は臨済録(タチバナ教養文庫)を買ってね。

種子法廃止の大問題

食料エネルギーの確保、国防は国の根幹です。今回は食料安保の話です。重要な事なので是非動画を見て下さい。
 
何故カテゴリーを『共産主義・グローバル主義』にしたのか?。種子法廃止の裏で蠢いているのはモンサント社です。モンサント社の大株主はロックフェラー一族、つまりユダヤ金融資本、つまり共産主義・グローバリズムの大本だからです。
 
【討論】種子法廃止は日本農業を滅ぼすのか?[桜H29/5/20]
パネリスト:
 入澤肇(公益財団法人すかいらーくフードサイエンス研究所理事長)
 河添恵子(ノンフィクション作家)
 篠原孝(衆議院議員)
 三橋貴明(経世論研究所所長)
 安田節子(「食政策センター ビジョン21」代表)
 山田正彦(元農林水産大臣・弁護士)
司会:水島総
 
種子法廃止の経緯は、アメリカの圧力で大店法(大規模小売店舗法)を廃止したのと同じですね。大店法が廃止になり、スーパが近くが出来た消費者にとっては便利な事だったようですが、地元商店街は消えました。日本長期信用銀行や山一證券が潰れた背景もアメリカの圧力だったと言われています。郵政民営化もそうですね。しかし種子法廃止は日本の食料安保が脅かされるという国家主権に関わる大問題なのです。
 
食料安保についての危機意識の薄い日本の中で、僅かに食料安保を守って来たのが種子法(主要農作物種子法)です。その種子法を安倍首相は無くそうとしています。思い起こせば、安倍首相がニューヨーク証券取引所やロンドンのシティでの演説で男女共同参画を推進し、日本を開放しますと演説していた事が頭に浮かびます。事実上移民政策である外国人労働者の受け入れも安倍首相は推進しています。多くの人がTPPの問題点を指摘しているのにTPPを熱心に推進しているのも安倍首相です。憲法改正と言っていながら、何と9条二項を残すとか。
 
安倍首相は、実は金融資本の代理人じゃないでしょうかね。
 
安倍首相の事をニューヨークタイムズのよう様な共産主義新聞はナショナリストだと言ってましたが、アメリカ人の中でも彼の政策をチャント見てる人は、安倍首相は新自由主義者(ネオリベラリズム)ではないかと言っています。新自由主義とは社会自由主義(ニューリベラリズム)が国家が失業、健康、教育などを関与しすぎる反動として生まれた思想ですが、新自由主義は国家解体をもくろむ勢力が望んでいる思想なのです。新自由主義とはグローバリズムですから。つまり新自由主義とは共産主義の別思想です。社会主義者は左翼など言われていますが、食料安保を考えている社会主義者の方がナショナリストなんですね。分りにくいですが。
 
今回チャンネル桜の討論番組に新たに加わったのは、山田正彦(元民主党で脱原発)、篠原孝(民進党で女性宮家創設賛成、原発反対)、入澤肇(自由党→保守新党→自民党で夫婦別姓賛成)、安田節子(原発反対)、さんです。
 
皆さん脱原発とか夫婦別姓賛成とか女性宮家創設賛成とかと花畑みたいですが、反グローバリズムで食料安保を考えている国士でもあります。是非チャンネル桜の討論番組に参加して下さい。食料安保だけでなく、国防、エネルギー問題についても話有って欲しいものです。恐らく何れ水島さんなどとも意見が一致するでしょう。日本の原子力発電の行き先を憂えている服部禎男さんを交えてのエネルギー問題の討論なんかも良いですね。
 
今回参加者全員の意見の一致したのが『農業に所得保障すべき』です。どのように所得保障すべきかは色々あるでしょうが、私も基本的に賛成です。食料安保の問題だからです。

左翼という集団精神病症候群

アメリカも日本も、教育機関が左翼に乗っ取られています。恐らくヨーロッパも同じでしょう。
 
では左翼とは何かですが、テキサス親父が言っていた「ポリティカル・コレクトネスは精神病」の言葉が一番端的に言い表しているでしょう。揶揄している意味では有りません。これは集団精神病症候群とでも命名して、全ての国がまじめに取り掛かるべき大問題なのです。
 
集団精神病症候群の社会問題
以前書いたブログで、九条信者が国防に関する質問に対して答えられなかった例を示しましたが、普通に考えればまともに出せる結論が答えられないとか、甚だしくは精神異常かと思われる左翼に見られる言動は、彼等の論理的思考能力欠如を示すものなのです。
 
彼論理的思考能力は個人々の脳に形成された脳内回路による情報処理の結果を示すものですが、その脳内回路は個人だけで形成されるものでは有りません。幼い時からの周りの環境にも作用されるものです。論理的思考能力は、秩序だった環境で形成された脳内回路によるものなのです。
 
心理学で行うネズミの実験で、ブザーを鳴らした後に電気刺激を与えるような条件付けされたネズミは、結構この試験に耐えられるようになりますが、今度はその条件付けしたネズミに、ブザーと電気刺激の条件を無関係にランダムに与えるような実験を行うと、そのうちネズミは無反応になり、何れ毛は抜け落ち、人間で言うノイローゼ状態になります。
 
又、代表的な精神病である統合失調症(以前分裂病と呼ばれていた)の人は、異常な言動が見られますが、これは情報伝達物質である脳内ホルモンのドーパミン分泌過多により、脳内に処理しけれない程の過剰な情報が溢れるため、脳がそれに辻褄を合わせるような結論を導きだした結果の言動です。この統合失調症も治療がうまく出来なければ、何れ無気力、無反応となり、最後は人格破壊にまで陥ります。もう辻褄を合わせるような脳内回路が作れなくなったのでしょう。
 
自閉症は子供の統合失調症の場合があります。幼いときから脳内に溢れる過剰な情報により、論理だった脳内回路がうまく形成出来ず、病状が改善しない場合は社会に適応できない人間になります。これも脳内回路が作れなくなったのでしょう。
 
左翼の人間でそこまでなった人は余り見かけませんが、しかし若し日本が彼らが多数を占める不条理の国になったら、誰かが犠牲になる筈です。勿論、最初に犠牲となるのは子供です。そしてその子達が成長した世界、李氏朝鮮を思い浮かべて下さい。何故李氏朝鮮では産業も発達せず民衆は無気力だったのでしょうか。翻って、同時代の日本は産業が盛んで民衆は生き々していました。江戸中期に来日したスエーデン人C.P.ツュンベリーは「厳格な法と執行が有るにも関わらず、自由は日本人の生命である」と言ってます。李氏朝鮮と江戸時代の比較は、いかに条理のある環境が、人の精神衛生や国の発展に関係しているか示しています。
 
集団精神病症候群は洗脳によるもの
現在の日本にも不条理な事は一杯有りますが、それ程では有りません。それなのに何故左翼になる人がいるのかですが、それは誰かからの洗脳若しくはマインドコントロールによるものです。マインドコントロールはカルト宗教を思い浮かべますが、左翼も同じです。左翼思想の元は共産主義であり、共産主義こそカルト宗教です。(ここに言うカルト宗教の定義は、絶対的の教義を有し、その絶対的な教義に対しては反論を許さず、教義を伝えるのに洗脳の手法を使用し、其の点に関しては極めて排他的である事です)
 
人は何故洗脳させられるかと言うと、先に話した統合失調症の「脳内に処理しけれない程の過剰な情報が溢れるため、脳がそれに辻褄を合わせるような結論を導きだした結果」の場合は脳内の現象ですが、まだ脳内回路がまだ論理的に不十分に出来上がっていない段階では、脳外からの情報、否、結論さえも自家薬籠中の物としてしまうからです。繰り返される情報とか、その人にとっての権威者からの情報ですね。
 
では、その洗脳させる側である誰かとは誰なのかですが、新興カルト宗教の場合は殆どが教祖ですが、古くからの宗教や共産主義の場合は、それは洗脳された者、即ち先輩の宗教信者や先輩の共産主義者でしょう。特に洗脳されやすい者程権威に弱く、まじめに上の人の言う事を聞く傾向があります。オウム真理教を思い出して下さい。東大、京大、阪大、筑波大、慶応、早稲田等、信者には有名大学在籍者が大勢いました。中には在学中に日本で一番若くして弁護士資格を取った者もいましたね。共産主義思想にかぶれる左翼も同じです。
 
此処に、集団精神病症候群が国民の精神衛生上にも国家の為にもならないと、国の指導者が感じても、根絶できないやっかいな問題が見えてきます。何しろ国の指導層に集団精神病症候群の患者が一杯いますしね。更に特に共産主義や広域の宗教は、国内だけでは対処出来ないので、先に挙げたカルト宗教の定義と共に問題点を提示して、納得付くで外国と協調して対処する必要があるでしょう。
 
共産主義はカルト宗教
共産主義は科学を標榜していますが、教義も今まで行ってきた行動もカルト宗教の定義に一致しています。そして言い出しはユダヤ人で、最初の指導者達もユダヤ人です。ユダヤ人がユダヤ人であるのはユダヤ教を信じているからですが、彼らの信じているのは旧約聖書(だけ)では有りません。ユダヤ人を有らしめているのはタルムードの教義です。従って共産主義は恐らくタルムードの異教徒を蔑む思想から生まれたものと考えられます。当然ながら共産主義思想に善意は有りません。なにしろ信者は異教徒ですから。共産主義を標榜するユダヤ人はユダヤ教の信者ですが、共産主義の世界では教祖の立場になります。
 
殆ど宗教はカルト的要素を持っていますが、共産主義は最悪、誰も救われません。それにしても洗脳は駄目ですね。

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