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崗上虜囚の備忘録

日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください

日本の再生の鍵はオタク

日本はオタクの国
外国人の中にはそれなりの日本ファンがいるが、日本の名を高めている要因の一つにはオタクの存在がある。でもオタクと聞けばアニメ・オタクや鉄道オタク等を思い浮かぶかかも知れないが、ここで言うオタクとは物事にはまり熱中する人達全般を言う。そのオタクの代表である葛飾北斎や伊藤若冲の名を聞けばオタクの評価の意味を納得するだろう。北斎や若冲は絵画オタクであるが、オタクは美術工芸品の分野だけでは無い。関孝和もそうだろうし、からくり職人から東芝の創業者になった田中久重や自働織機を発明して現在のトヨタグループの創始者となった豊田佐吉もオタクである。彼らの特徴は寝食を忘れ、物事を追求する事である。彼らにとって金や名声も二の次である。田中久重や豊田佐吉まで行かないが、金や名声も二の次で物事をとことん突き詰めようとするオタク達が多いのが日本の特徴なのである。
 
例えばミシュランは2007年に東京を世界一の美食の街と評したが、東京版を作成するに当たって調査した結果分かった事は、東京の料理店は一つの食材を追求した専門店が多い事だった。また東京の料理店の中にはミシュランの評価など歯牙にかけない店が多い事も彼らを驚かせた。つまり東京の料理人は金や名声など二の次のオタクが多かったのである。東京の料理人に言わせて見れば、他人の舌より自分の舌、他人の評価より自分による評価と言うことになるであろう。
 
次に示すのは別の分野のオタクの例である。それは雑誌『歴史通』の記事で世界的ギターリストであるマーティ・フリードマンが述べていた事である。彼が日本に居着いたのは日本が面白い国だからだそうである。例えば新宿に海賊版の音楽CDを売っているレコードショップ店がある。ライブコンサートで録音するのは違法であるが、その店で売っているのはライブコンサートで録音したCDだったりする。そんな物を買いに来る客もオタクなら店の主人もオタクである。客は安いから買うわけではなく、店も金儲けのために売るわけでは無い。純粋に音楽ヘに対する愛からである。そんな店の主人とマーティ・フリードマンが街でばったり合った。店の主人は「マーティさん此処でちょっと待ってて下さい」と言って戻ってきて「これは絶対アンタが持っていなけばならいよ」と言ってマーティ・フリードマンのライブコンサートのCDを手渡した。マーティ曰く「こんなサービスをしてくれる場所が他にあるかな?ないよ(笑)」、「絶対に儲かってない」である。これが中国だったらどうだろう。彼らが海賊版を売るのは金儲けのためだけである。マーティ・フリードマンは音楽だけで無く、あらゆる分野の専門に特化した店が東京に有ることも言う。彼がそれを発見したのは、勿論彼自身が音楽を追求するオタクだからである。
 
オタクの原動力
ではオタクの原動力は何んだろうか。それは脳内麻薬とか脳内報酬物質とも言われるドーパミンであろう。ドーパミンは覚醒剤と似た快楽物質であることが知られている。ドーパミンは物事の構想を練るとき、その構想で何かを作るときに脳内から分泌され、眠気も飛びハイになるのである。つまり何かに打ち込んで事を成し遂げた人は、ただ気力を振り絞って努力したのでは無く、脳内からの報酬が関係していたのである。個人的経験でも、難しい開発の仕事を請け負ったとき、重圧で打ちひしがれそうになると共に、それを打開するためのソフトウェア、ハードウェア、構成・配置などを思い巡らすと、ワクワクするような快感を覚えるのが常で有った。田中久重や豊田佐吉が執念をもって発明をやり遂げたのは、恐らくドーパミンの喜びを知っていたからと思われる。従ってオタクとは、田中久重や豊田佐吉まで行かずとも、脳内からの報酬を知っている人達のことである。
 
オタク型人間の原動力は脳内報酬物質すなわちドーパミンであるが、しかし殆どの人の原動力は生存欲や性欲である。性欲であればホルモンは男性ホルモンである。資本主義は競争の原理が働いているから発展すると言われている。生存欲や性欲があるから競争が生まれるのだがオタク同士にも競争は存在する。そしてオタク同士の競争はより良い結果を生み出す。競争という熟語から争う文字を外し競う合うだけにしたように。例えば剣道に「負けて感謝、勝って反省」と言う言葉があるが、これは切磋琢磨する競争であり、剣道オタク同士がお互いに影響を与えながら剣道を追求していく様を表して示している。また江戸時代、和算の世界では難しい数学の問題が解けたときに算額と言う絵馬を神社や仏閣に奉納する慣習があったが、その絵馬にはさらに難しい問題を載せる(遺題継承)のが常であった。これにより和算は一層進歩・発展したのである。オタク同士の競争が良い結果が得られたのは、オタク達が物事を深く追求するからである。
 
性欲が原動力の人間
それに対して生存欲や性欲が原動力の人間同士の競争は金や地位や名声を得るための人との競争である。確かに生存欲や性欲が原動力の人間も努力をするのでそれなり結果を生み出す。いや資本主義の競争原理はそれである。しかし彼らの努力は金や地位や名声を得れば終了する。これが料理の世界であれば、彼らの料理がミシュランが評価した東京の料理人の域に達する訳がない。つまり生存欲や性欲が原動力の人間は物事をとことん追求することが無い。それだけは無い。生存欲や性欲が原動力の人間同士の競争は、こと日本ではマイナスに作用する場合が多々有る。
 
まず何故日本にはオタク型人間の割合が他の国、例えば中国や韓国などより多いのだろうか?。これは逆に中国や韓国では金や名声や地位に拘る人間が何故多いのか?と考えれば分かる。その理由は中国や韓国の国の生存競争が熾烈だったからである。つまり中国や韓国ではオタクのような人間などが生き残れる社会では無く、オタクは淘汰され金や名声や地位に拘る人間ばかりになったのである。そう考えると日本の社会が如何に生存競争に優しいかが分かるだろう。オタクまで行かないが、金や名声や地位に拘る人間が少ないのも日本の社会が優しいからである。日本に生存欲や性欲が原動力の人間が少なかったからである。だがその日本のような社会に金や名声や地位に拘る人間がいたらどうだろう。高い地位は金や名声や地位に拘る人間ばかりに占められてしまうのである。結果オタク達の気持ちは腐り才能は殺される。
 
例えば先の大戦の航空戦を見ると、戦果を上げていたのは坂井三郎や岩本徹三のような操縦技術を追求する下士官の操縦オタク達であった。それに対して士官パイロットはどうかと言うと、坂井氏によれば士官パイロットと下士官パイロットの宿舎は数キロも離れており、戦術の打ち合わせ打ち合わせなど一度も無かったというから驚きである。操縦が下手な低い士官パイロットに「上官が技量が低いのはまずいのでは無いか」と坂井氏が訪ねたところ、若い士官の答えは「何時までもこんなことはやってないよ」であった。もちろん彼は操縦技術に興味を持つオタクでは無い。彼が海軍兵学校に入学した理由は軍事技術を学ぶためでは無く、人との競争に打ち勝つためであった。結果日本海軍は、腕の良いパイロットの気持ちを腐らせ、消耗させ、みじめな敗戦に繋げたのである。
 
陸軍も同じである。陸軍でも陸大出身者が陸士出身者を馬鹿にする風潮があった。馬鹿馬鹿しいことに陸軍は、陸大出身者に天保銭を胸につけさせ、誇示させることでさらにその風潮を増長させたのである。競わせることでより向学心の向上を目的とする筈が、地位や名声を巡っての人と競うことが目的となってしまったのである。天保銭は昭和11年に廃止されたが、その後の二二六事件に繋がる皇道派と統制派の抗争も、原因は陸軍の生存欲や性欲が原動力の人間達を量産させた教育の結果である。
 
李氏朝鮮に向かう日本
そして現在、学問の世界でも学問の追求することをそっちのけで人との競争が続いている。結果は東大を頂点とするカースト制か築かれることになっている。彼らが如何に勉強して東大卒の覇者になったとしても、生存欲や性欲が原動力の人間たちが覇者となることは、現物の物に接して物を追求するオタクの存在を脅かすことになる。両班が社会を席巻していた李氏朝鮮を思い出して欲しい。李氏朝鮮が停滞したのは両班達が物に接して格闘している人間を馬鹿にして、四六時中朱子学について空理空論の議論を戦わせていたからである。その議論の理由も、己のカーストの順位を上げるために仲間を蹴落とすためにである。学問で競い合うだけなら良い。だがそのような人間に限って上に諂い下を腐らすのが常である。
 
現在日本は間違いなく李氏朝鮮に向かっている。共通一次学力試験の結果などを有難がっているのがその証拠ではないか。李氏朝鮮の両班がそうだったように、少なくとも東大卒の政治家で賢いと思った政治家は殆どいない。それどこか専門の分野でも同様の場合がある。例えば東大出身の経済学者が、日銀の借金にすぎない財政赤字を大問題にして、緊縮財政を言っているのがそれである。両班がそうだったように、彼らは学問は知識を誇示するためだけに学ぶもので、物事を自分の頭で追求するものでは無いと思っているようである。
 
ここで彼らとオタク型人間と対比させるために、生存欲や性欲が原動力が顕著な人間を両班型人間としよう。
 
日本の再生
そして本題の日本の再生であるが、それには日本の良き特質であるオタク型人間を発掘し彼らへの教育支援と資金投資を行うこと。そしてオタク型人間の敵である両班型人間が増えないような措置と国民の意識改革が必要である。
 
ではオタク型人間の発掘と彼らへの教育支援と資金投資が何かと言うと、例えば第二の第三の田中久重や豊田佐吉のような人間を探しだし、彼らに科学教育を行うことである。理由は、もし田中久重や豊田佐吉が科学の知識を持っていたら、彼らの発明はとてつもないものになっていたと考えれば分かるだろう。また田中久重や豊田佐吉まで行かずとも現在の単なるフィギュア・オタクでも彼らにロボット工学を学ばされば有用なロボット開発をするかも知れないのだ。そう考えれば当然投資すべきはオタク型人間となるが難しく考える必要は無い。オタクの原動力はドーパミン、彼らを腐らせず食わせてやるだけで、オタク達は勝手に走ってくれるのである。
 
では両班型人間が増えないような措置と国民の意識改革が何かと言うと、やはり教育である。それも必要なのは理数系の教育である。理数系教育の結果が人間同士の競争になったとしても、そこは数字の結果が物を言う世界、文系であった両班型人間は育ちにくい。例えば国家公務員上級職試験などは理数系の試験とすべきである。現在の官僚は法学部出身者ばかりであるが、法学部出身者に対しては別枠で法律の専門職として採用すべきである。また多数の移民は考えものである。理由は、移民は日本ではマイナスに作用する生存欲や性欲が原動力の人間が多いからである。そして国民の意識改革とは学歴崇拝や地位の崇拝を止めることある。
  

『反秀才論』柘植俊一著
この本で述べている反秀才は今回の記事のオタクと通じる。この本にはその反秀才の代表として、後退翼理論の元になった斜め翼を発明したロバート・T・ジョーンズ博士が登場する。彼は飛行機オタクだで大学へも行かず航空機理論は独学である。もっともジョーンズ博士の興味は飛行機だけでは無い。ストラディバリウスより音響効果の良いバイオリンを自作するほど多方面のオタクである。だが後退翼効果さえ理解する人がいなかった時代で、さらに上を行く斜め翼を発明したジョーンズ博士はオタクと言うより天才と言うべきである。NASAで「20世紀の最高の航空エンジニアの1人」とされているのだ。でもジョーンズを大天才とすると、現在の日本のオタク達は小小天才と言っても良いのではないだろうか。
 
この『反秀才論』には超秀才とも言える人物も登場する。それはエイムス研究所所長でロバート・ジョーンズの上司であるハンス・M・マーク博士である。マーク博士は研究所の色々の分野の天才達が生み出した理論をあっという間に理解する頭を持ちながら、彼自身自分は自分を天才だと思っていない。多くの研究所には一人の基礎研究を行っている研究員に対して十人の応用間研究員がいる。これは基礎研究をやる能力ある人が少ないからであるが、マーク博士は「私自身、そのタイプではありません」非常に控えめであり、実際無私の人のようである。今回の記事ではオタクの有用性を述べたが、マーク博士のような人間を育てることも必要である。
 
追記
日本は天才が出ない国と思っている日本人は大勢いる。しかし嘆くことは無い。小天才は山のようにいる国なのである。日本は小天才の宝庫なのである。小天才、それがオタクである。
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