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和を以て貴しとなす
初め記事の題を『アメリカの変節』とでもしようかと思ったが、『和を以て貴しとなす』としたのは、日本が現在歴史問題で特亜国家やアメリカ等から矢面に立たされている状況や、ウクライナをめぐってロシアとEU、アメリカ対立が起きた構図からも、実はハンティントンが提唱した『文明の衝突』では無いかと思われたからである。それに今更アメリカが変節したわけではない。無実の罪をでっち上げ、プロパガンダで他を攻撃するのは、アメリカそのものの姿である。
 
でも何故記事の題が『和を以て貴しとなす』になるのかは、その精神こそが日本が世界で最古の国であり、主要国の中で最も治安が良く、世界で2、3を争うGDP大国になった理由であり、逆に『和を以て貴しとなす』精神が従軍慰安婦問題を生んだ原因だったからである。そしてこの精神は他文明では理解されず、逆に付け入る隙になっているからである。
 
従って、従軍慰安婦問題も南京大虐殺問題や靖国参拝問題も、歴史の嘘か真実かどうかが焦点では無く、『アメリカ・西欧文明』と『中華文明』連合対『日本文明』との生死を分けた攻防戦と言えるだろう。日本が幾ら従軍慰安婦や南京大虐殺が捏造である証拠を見せても、相手が聞く気も持たなかったのは、『日本文明』の存在が『アメリカ・西欧文明』や『中華文明』の存在を脅かすと考えているからと結論した結果である。
 
従軍慰安婦問題は、証拠が無かったのに日本政府が謝罪した事から問題が大きくなった。謝罪した理由は、元慰安婦の境遇を哀れんで問題を大きくさせないように配慮した結果と思われる。本来なら「元慰安婦は嘘つきの集まりだ」と言って良かったのであるが、『和を以て貴しとなす』精神を発揮したばかりに、悪辣な河野洋平や韓国政府の付け入る隙を作ってしまったのである。
 
では、この問題に対するアメリカの動きはどうかと言うと、例えば3月2日の時点でもニューヨーク・タイムズの記事は相変わらず、従軍慰安婦問題をめぐる河野洋平官房長官談話の検証問題で謝罪を撤回する可能性を問題視し、安倍首相が第2次大戦の歴史をごまかそうとしているとの批判の記事を書いている。歴史問題で安倍首相を批判しているのはニューヨーク・タイムズだけではない。ウォールストリート・ジャーナルなんかも同じである。アメリカのマスコミの殆どが、こと日本の歴史認識問題に関してはアメリカ政府と同じ考えなのである。
 
それにしても不思議ではないか。従軍慰安婦については、米軍がビルマで朝鮮人慰安婦から聞き取り調査したときの立派な報告書が公文書図書館に存在する。
ところがこの調査報告書をアメリカのマスコミが取り上げたのは聞いたことががない。アメリカで取り上げたのは民間人のトニー・マラーノ氏(テキサス親父)のホーム・ページ程度しかないだろう。この調査報告書を読めば、普通の人間ならトニー・マラーノ氏と同様「これが性奴隷かよ!」となる筈であるが、アメリカ政府もアメリカのマスコミも、このアメリカの公文書をスルーである。
 
自由の国と標榜しているが、政府もマスコミも殆ど同じ意見。自由の国だから真実を報道が出来るなどと言っていたアメリカのマスコミが、まるで共産主義時代のソ連時代の機関紙のイズベスチャかプラウダと同じだったのである。自由主義国家で同じだったと言うことは、殆どのアメリカ人も同じ考え方なのだろう。
 
そしてこれまた共通項の安倍首相の歴史認識批判である。つまりアメリカ人の不可解な従軍慰安婦問題への対応は、日本人から永遠に自信を無くさせたい願望が垣間見えたと言えるだろう。
 
日本人の中には、従軍慰安婦問題や南京大虐殺問題、又靖国参拝問題等の歴史認識問題についてのアメリカの不可解な行動について、アメリカは中国が分かっていないとか、情勢の変化で変節したとかの理由で説明する人もいるが、戦前からの日本に対するアメリカの動きをみれば、実は文明の衝突だったことが分かる筈である。
 
多数の支那人が犠牲となり、日本人の仕業とされた上海爆撃は、蒋介石国民党軍の仕業だった。日本が満州で麻薬僕熱のため統計調査をして世界に発表したら日本が麻薬を蔓延させている証拠だとされた。多数の日本人婦女子が残虐な方法で殺害(通州事件、通貨事件)されても、それをアメリカのニュースで報道されることは無かった。代わりに架空の南京大虐殺が大々的に報じられているのである。
 
支那人の宣伝工作が上手だったからではない。欧米から多くの特派員が支那に駐在していたにも関わらず、真実を捻じ曲げ偏向報道をしていたのは、アメリカや欧米の特派員だったのである。真実を言ったのはラルフ・タウンゼントやフレデリック・ブィンセント・ウィリアムなどの少数のアメリカ人だけだった。現在の、米軍による従軍慰安婦の調査報告書を取り上げたのが、トニー・マラーノ氏しかいない状況と全く同じである。
 
理由は、当時も今も日本が良い国であっては困るのからである。彼らにとって、価値観が異なる文明が台頭する困るのである。然しながら、日本が彼らの価値観を受け入れることは日本文明の崩壊、即ち日本の滅亡を意味する。彼らの価値観を受け入れることは、日本の価値観、日本精神を失わせることだからである。
 
日本では肩が触れ合うだけでも、お互いに謝ることがある。子持つ親なら子供の遊び相手が怪我でもすれば、自分の子供に落ち度が無くても謝ることは一般的である。又、日本人は自分の意見を大声で主張して、他人に自分の意見を押し付けたりしない。聖徳太子が言うまでもなく『和を以て貴しとなす』は、日本文明の価値観(=精神)の一つだったのである。そうする事により和が保たれ、社会が円滑になることを日本人は知って知っていたのである。
 
その『和を以て貴しとなす』の精神が弱点になったのは前に述べたが、その弱点を補うために青少年にディベート教育を行うなどは止めた方が良いだろう。「主体的な行動力が身に付く」、「自分の意見を持つようになる」など利点が上げられているが、結局は相手を意識した勝負事の世界に身をやつすことになる。庶民がディベートに現を抜かせば、それは日本の良き文化を無くすことになるだろう。結局は『日本文明』が『アメリカ・西欧文明』と同じになるのである。
 
と言っても『河野談話』のように、日本文明崩壊の危機を招き、何の反論も出来ず只手をこまねいているのはやはり問題である。原因は日本の政治家や官僚の思考能力が欠けている為と言わざる得ない。問題は、エリートに相応しくない人間が政治家や官僚になっている事である。それには、エリートに相応しい、否国民全員に別の教育が必要である。
 
それは禅である。チベット仏教や禅では問答が行われるが、ディベートや討論とは違う。仏教や禅で何の為に問答を行う意味は、デバッグ (debug) である。デバッグとは主にはコンピュータプログラムで欠陥を発見する作業で使われる言葉であるが、自分一人で行う事もあるが複数の人間が行う事もある。つまり仏教の問答は、相手の思考の欠陥を指摘する事で相手を一段引き上げてあげるために行うのである。
 
自分の思考の欠陥を探す事は、当然コンピュータプログラムのデバッグ同様、本来は一人で行うべき処であるが、日本のエリート層と思われる人はこの自分の思考の欠陥を探す事などやった事がないような人間ばかり見受けられる。所謂丸暗記教育の弊害である。
 
そこで若いときから禅を行う事により思考の欠陥は取り除かれる筈である。禅の修業の最後は思想さえも無くす処に行く付くのであるが、そこまで行かなくてもエリート層が、若いときから禅を行っていれば、韓国政府に騙されたりと言ったり、カルト宗教や外国思想にかぶれる人間は、政治家や官僚から激減する筈である。
 
『日本文明』は世界の指標になる可能性がある。もったいない!。
 
                    
日本人は無宗教では無い。多くの神社仏閣の存在がそれを示している。日本人が他宗教な寛容なのは、知らず知らずに禅の到達点、無宗教・無思想を実践しているのである。庶民は禅の教えを実践しているが、ところがエリート層がカルト宗教に溺れ、外国思想に被れて自分も迷い国民も惑わせて、日本を滅亡の危機に追いやっているのである。
 
 
それでもアメリカとの関係を重視する向きに、次は「日高義樹:アメリカの大変化を知らない日本人。日米関係は新しい時代に入る。(PHP研究所¥1500)」から考察してみたい。
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【2014/03/09 22:39 】 | 文化・歴史 | 有り難いご意見(6)
ジャパン・システムが世界標準2
自民党と首相官邸にTPP反対のメールを出しました。
以下メール内容:

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TPP加盟反対
TPPの危険性は、関税が0になることで、農業等の生産性は低いが、独立国として最重要な産業が無くなる危険性については、ご存知と思われますが、それ以上に危険なことがあります。

その一つが、民主主義的な国民の合意で作られた法が、何処から沸いた分からない合理的とか科学的とかの言い分に、切捨てられることです。

もとより国民の合意とは、日本文化から生まれた価値観ですが、TPPで謳われている合理的とか科学的とかの価値観も、人類普遍的な価値観ではなく、何処かの国の価値観にすぎません。

従って、TPPに加入することは、日本の文化を破壊し、日本が他国の価値観の国になることに他なりません。つまり日本が日本でなくなるのです。

日本に訪れた多くの外国人が指摘するように、日本は古来から礼の国です。人と人とがぶつからないように、お互いに一歩退き礼を交わすことで、社会を円滑にしてきました。だから日本は発展したのです。

処がTPPに加盟することは、日本の良き特性を失わせ、日本がアメリカのような野蛮な訴訟社会になることです。

それは、日本の国益を損ねることに止まらず、人類の一つの指標を無くすことです。
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ジャパン・システムが世界標準2
前回の『ジャパン・システムが世界標準の記事は、トヨタの『アンドン方式』を例に、実は西洋も東洋も人間平等の精神はなく、日本のみ人間平等の精神があり、人間平等のジャパン・システムが世界標準になりつつあることを書きました。

今回は、首相官邸と自民党に送った、TPP加盟反対理由にあげた日本文化の礼儀について補足説明をしながら、もう一つのジャパン・システムが世界標準であることを紹介します。

多くの日本を訪れる外国人が、日本人の一大特徴として清潔と並んで礼儀をあげています。18世紀に日本に訪れたスェーデン人ツュンベリーは、身分が低いものが身分が高い者と出合ったときは勿論、『身分が等しい者が出会えば、両者は立ち止まって挨拶を交わし、軽く頭を下げたままで通りすぎる』だけでなく、身分の上の者が身分の下の者に対する一定の礼儀があることも観察しています。

そしてツュンベリーが、日本人のことを『最も礼儀をわきまえた民族といえよう』と言ったように、礼儀は現在の日本社会でも欠かせないものになっています。

誰にでも頭を下げる礼儀の文化は支那・朝鮮にないようで、ペコペコを頭を下げる人間は身分の低い人間と見なされ、侮蔑の対象となるためか、支那人朝鮮人は身分が分からぬ他人に対しては、できる限り尊大に振舞おうとします。

そこが日本と支那・朝鮮の決定的な違いです。否、欧米とも違うところです。日本人がお互いに一歩退き礼を交わすことは、お互いを対等な立場を認め、尊敬し合っている証を示している訳ですが、それが日本の一大特徴であり、日本が他国より一歩進んだ国になった理由でもあります。

つまり、お互いに一歩退き礼を交わす社会システムは、社会を円滑にし効率的で理に適っているのです。面白いことに、それに似た成功したシステムが有ります。それはインターネットで使用されている、通信技術のイーサーネット(Ethernet)です。

最近のイーサーネットで使用されるLANケーブルは、4対の平行線が多いですが、以前は一本の同軸ケーブルがよく使われました。でも平行線も同軸ケーブルも同じ方式が使われています。ということは、一本の同軸ケーブルに多数のパソコンや端末が繋がり、行きの信号も帰りの信号も、同じ線を共有してることになります。

言うなれば、たった一本の一車線の道路を、多くの商店や個人の家が共有していると同じと言えます。それも信号も交通整理も無しにです。

それを可能にしているのは、CSAM/CDと呼ばれる方式です。それは通信線が空いていることを知る回路と衝突を検知する回路からなります。それにより、個々のパソコンや端末は、通信線が空いているとき送信が出来、もし複数のパソコンや端末が同時に信号を出して信号が衝突したときは、一定時間待ことで衝突を回避して通信が行えるようになります。また、通信データは大容量であっても、1500バイトの小さなパケットに分割して、CSAM/CD方式がうまく行くようにしています。

現在のインターネットでも、このような簡単な仕組みで、個人のメールも大容量の映像データや、印刷データの通信も行われているのです。これが効率的と言われる所以は、調停する為の特別の装置もいらず、その為の信号線(電線)もいらないからです。

これを道路に当てはめて見るとどうでしょう。お互いに一歩退き礼を交わす社会でなければ、力の強い者だけが道路を優先するか、お互いに譲らず道路渋滞で動けない状態になったりします。又それを回避するには、信号整理する人間が必要になったりします。

力の強い者だけ有利になったり、お互いに譲らない光景は、なにやら支那や朝鮮の社会に似ていませんか。又、衝突を回避するため細かい規則を設けても、結局衝突するので、年がら年中それを調停するための裁判が行われている、アメリカ社会に似てないでしょうか。

支那・朝鮮の社会は、一歩退けば一歩付込んでくる社会です。それは結局は経済活動を妨げ、国の発展を阻害します。だから支那・朝鮮は、日本の後塵を拝しているのです。アメリカの膨大な弁護士が存在する訴訟社会も同じです。どれも効率が悪いのです。

お互いに一歩退き礼を交わすことで、社会も円滑にし、経済活動も効率的している日本に比して、支那・朝鮮もアメリカも、文明が未熟で野蛮な国なのです。この礼儀に代表する日本システムは、お互いに一歩退き礼を交わすという、一見消極的に見える面だけでは有りません。客の心を見越してサービスをする接客とか、請け負った仕事の仕様書に書かれていないところまで仕事をすることで、複数の人が協調して物事を完成させてしまうことも含まれます。

現在の処、日本システムは世界で一番進んだ社会システムと言えるでしょう。しかし、この進んだ日本システムも、支那人や朝鮮人が日本社会に多数を占めるようになったり、日本の社会システムにアメリカン・ルールのシステムを入れたりしたら、日本システムはあっというまに壊れてしまうでしょう。

知り合いにこの話をして、日本人は自信を持つべきで、誰かが国際会議で『偉そうに言うんじゃねぇ。お前ら野蛮人なんだ。日本を見習え』と言うべきだと言ったら『それが言えないのが日本システムなんですよね』と言われてしまいました。

日本のTPP加盟は日本システムをアメリカ・システムに変えることです。つまり日本が日本で無くなることに他なりません。それは地球上から日本システムが無くなることで、人類から一つの指標を無くすことなのです。それが私のTPPに反対する第一の理由です。


http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=
動画は、アイスホッケー決勝戦で負けた為カナダ人による暴動ですが、支那人とあまり変わりません。

最近、日本での在日朝鮮人の活動は、目覚しいものが有ります。しかしよく見れば、お互いに一歩退き礼を交わす日本社会の中で、相手が一歩退けば一歩付込むことで、のし上ったに過ぎないことが分かります。フジTVやNHKが何時の間にか、朝鮮放送局のようになっているのも、同じ理由でしょう。

TPPと同様、支那人・朝鮮人の流入は日本システムを破壊します。やはり在日朝鮮人は帰国さすべきでしょう。

それは日本の国際貢献が、ジャパン・システムが世界標準であることを、背中で教える為だからです。



【2013/03/03 10:19 】 | 文化・歴史 | 有り難いご意見(2)
命よりも大切なもの
人間は、自分が及びもつかない自然の驚異等に接すると、それに畏敬の念を生じる。しかし畏敬の念を生じるときは、人間に対しての時も有りうる。


2012/0812の産経の記事に、吉田昌朗福島第一原発前所長の原発事故当時の話が載っていた。

『 そんな大変な放射能がある場所に何回も行ってくれた同僚たちがいる。私は見てただけ。・・・・現場に行って帰ってきて、もうヘロヘロになって、寝ていない、食事も十分でない、それから体力ももう限界という中で、また現場に行こうとしている連中がたくさんいた。その後ろ姿に、感謝して手を合わせていた 』

勿論、吉田所長は撤退など考えていなかった。これだけ勇敢で使命感のある人間が一杯いれば、撤退など考えられなかったであろう。

先ずは国民の一人として、吉田所長並びに福島第一で奮闘した諸氏の勇気に、敬意とお礼を申しあげたい。また今尚奮闘してしている諸氏の健康を願って止まない。

勇敢さは、仲間意識と使命感から来るのである。

『あいつがやれば僕もやる、見てろ今度の激戦に、タンクを一つ分捕って 、・・・』これは、昭和13年のヒット曲『上海だより』の一節であるが、 面白いことにハワイ2世部隊・アメリカ軍「第442連体」に応募したドン・セキ氏に、応募した理由を尋ねたところ、いきなりこの歌を歌いだしたと言う。

日本兵が勇敢だったのと同様、日系二世部隊も勇敢だった。それは仲間意識、即ち仲間への義務感あったからである。そして福島第一の男達の勇敢な行動も、お互いの仲間意識に支えられていたと思われる。

しかし彼らはたった一人でも使命を果たした筈である。職務規定に、命に代えても職務を遂行しろなど書かれていない。それでも彼らが職務を遂行しようとしたのは、それは自ら課した使命だからである。では彼ら使命感は何処から来たのであろうか。それは靖国を見ればわかる。

靖国神社に祭られている戦死者2466532名。彼らは福島第一の男達同様、勇敢な人間達である。彼らは損得を超えて、自分の命を投げ出した人間である。だが、たった一つの自分の命を引き換えてでも果たす使命とは何なのであろうか。

それは誇りである。彼らは誇りの為に死んだ人間である。彼らは自らの誇りを守ることに、自ら使命を課したのである。靖国で彼らが教えてくれるのは、人間には命以上に大切なものがあると言うことである。

処がどうだろう。現在、靖国に祭られている英霊を、その他の戦没者と一括りにして戦争犠牲者と言う人がいる。でもそれは違うだろう。彼らは犠牲者では無い。やはり畏敬の念を持って祭るべき英霊である。

そしてまた、今年も政教分離を持ち出して、公人の靖国参拝を否定する人間がいる。それなら私人である彼らが靖国を参拝するかと言えば、そのような人間に限って靖国参拝はしない。彼らは、英霊に畏敬の念を持つこともないし、英霊を戦争犠牲者と言いながら、その犠牲者に哀れみを持つことさえもしない。彼らは、人々が靖国を参拝する事を只止めさせたいだけのように見える。

では何故彼らは靖国を否定するのか。それは命以上の価値観を持つ社会が来ると困るのだろう。誇りや勇気の価値観が上に来ると自分の社会的地位が落ちると思っているからであろう。彼らは自ら卑怯者と知っているからである。

古来からの日本の文化は命より大切なものが有ることを知っている。しかし卑怯者は、日本のみならず人類の価値観に相反する。つまり彼らの居場所は世界中にない。


 
護衛空母サンモンに突入する特攻機      ミズリーに突入する特攻機



日本機の攻撃により、空母フランクリンは1000以上の死傷者を出し戦列を離れた。


英霊の皆さん有難うございます。皆様は命より大切なものが有る事を教えてくれました。後は我々が皆様の意思を継ぎ、日本を守って行きます。今は安らかにお眠り下さい。
【2012/08/14 21:42 】 | 文化・歴史 | 有り難いご意見(3)
天皇の遺伝子

高島宗一郎福岡市長の支那から研修生年間800人受け入れとか、海水淡水化技術を公開するなどのニュースに血圧が上がる思いをしている人から見ると、お花畑と言われそうですが、今日のエントリーは天皇の遺伝子、つまり出自です。『天皇の遺伝子』は、進化生物学者氏の著書名ですが、『天皇の出自』と題するのには、恐れ多いので『天皇の遺伝子』としました。(同じかも)

『天皇の遺伝子』を書くに至ったのは、最近読んだ中田力著『日本の古代史を科学する』に、ちょっと気になる天皇の出自が書かれていたからです。

私は、日本人の形成に興味を持って調べています。なので、書店にいっても日本の古代が書かれた本の棚に目が移ります。しかし興味をそそられる背表紙の題とは裏腹に、トンデモ類ばかりが並んでいます。それにしても、朝鮮人やサヨクが書いた本が多いこと。

最近は本を買うのにも、サヨクか朝鮮人が書いたものかを確かめることにしています。何故なら、彼らが書いたものは、面白くないのです。僅かに残った遺跡や、DNAや言語、民族の文化から古代人の営みを推論するのは、楽しい遊びです。

しかしサヨクが書くと、いきなりサヨク価値観からのお説教となります。(そのお説教が、どういうものか『「日本人」はどこから来たのか 』を見て想像して下さい)
 

又、朝鮮人が書く本も面白く有りません。現在世界に喧伝している剣道・茶道などと同様、日本の文化はすべて半島から来たものばかりと言っているだけで、学術的価値はゼロ、推論を刺激をするものも有りません。

それに対して、『日本の古代史を科学する』を書いた中田力氏は、MRIの世界的権威者で複雑系脳科学でも世界的権威者だそうです。従って、魏志倭人伝等を複雑系科学から読み解いて、新たな見解をこの本にまとめています。

それによると、奴の国は佐賀平野に位置していると想定して、従来の福岡市としていたのと違います。確かに魏志倭人伝に書かれている方位に従えば、奴の国は佐賀平野に位置し、吉野ヶ里遺跡が有った事からも、納得できます。それから水行過程は有明海を陸沿いに行くことであり、そこから陸行して行く着く先は宮崎平野になります。

結果、中田氏の推論では、邪馬台国は宮崎県・日向の国に有ることになります。水行10日や陸行1ヶ月の時間は、距離ではなく%として、方位は正しいとするとそうなるのかも知れません。

確かに、神話に書かれている天孫降臨の地は日向の国で、また宮崎県は神社が多いことも有名です。しかし宮崎県は、奈良県・大和の国のように大型の古墳が多数ある訳では有りません。邪馬台国が金印を貰ったのは、印度や大月氏のように大国であることが認めれらたからです。

この点、蔵琢也氏は、宮崎県は平野部が少なく、大人口を養うのに不利だとしています。そこで中田氏は、小国にも関わらず、魏が邪馬台国に金印を与えたのは、邪馬台国を治める者の出自が高貴な出自だったからではないかと推測します。

日本人の中には、O2bのY遺伝子を持つ男性が多数存在します。このO2bタイプは長江文明の遺児のタイプと思われています。長江文明は黄河流域の牧畜民=漢族に滅ばされ、かなりの人間が日本列島や朝鮮半島南部に逃れたと思われます。これがボートピープルの第一波です。

日本列島では、稲作は縄文時代から始まっていますが、それを伝えたのも長江から逃れた人々だと思われます。一方大陸に残った、長江人は稲作技術を買われ、漢族に支配下に置かれます。それが呉の国や越の国等です。百済がそうで有ったように、呉も越も、支配者と被支配者が違う民族で有ったことが想像されます。

呉の国を治めた太伯、虞仲は、周の皇帝の長子、次子です。二人は末弟の季歴に後継を譲るため、呉の国の民の風習である刺青を全身にしたとの伝説が残っています。刺青は蛮族の証と言われていたそうですが、別の見方をすると、刺青をしてまで被支配階級に理解を示したのは、被支配階級である長江人の文化が高かったから、とも読めます。

その後、呉は隆盛を誇りますが、越に滅ぼされます。支那の興亡の歴史は虐殺の歴史でもあります。当然多くの人間が、先を争って逃げ出した筈です。これがボートピープルの第二波です。呉の国は、日本とゆかりが深く、庶民の技術は高かったようで、『呉の国の刀は優秀で、倭鍛冶、韓鍛冶が挑戦したが匹敵するものが出来なかった』との記録もあります。その後日本は日本刀を開発しますが、日本刀の祖は呉の刀剣なのでしょう。

そして高貴な出自と言うのが、ボートピープルの中にいた周の皇帝の血を引く呉の貴族であり、邪馬台国には、周の皇帝の血を引くものがいたから金印を与えられた、つまり天皇家は周の皇帝の血をひいている、と言うのが中田力氏の説です。

果たしてそうでしょうか。私はまず、言語と神話の観点から見て違うと思います。日本語は孤語言語と言われています。近いとされる朝鮮語とも8000年以上離れていると言われています。現在の日本語は縄文時代から伝わっているものです。中田氏の言うように、高度な文化を持つ集団が、縄文人を追いやって邪馬台国を築き、その後の日本に発展したなら、日本語は長江人が使っていた言語に近いものになっていた筈です。

逃れた長江人が作ったと思われる国の一つにタイがあります。タイの男性のY遺伝子の殆どはO2aなので、日本人のO2bのタイプとは多少違いますが、かなり近いタイプです。呉越の時代では、支那の南部はタイ語に近い言葉が話されていたの説もありますので、長江人がその後の日本を作ったなら、日本語はタイ語とかなりの共通性がなくてはなりませんが、そうでは有りません。

言語こそ文化の元です。言語から見れば、大陸から渡ってきた人は、多くの文化を伝えたが、先住民である縄文人に飲み込まれたと言わざる得ません。恐らく、縄文人が三々五々渡ってくる渡来人を受け入れ、渡来人と急速に融和したと思われます。

それは、縄文人の男性のY遺伝子のタイプと言われているD2タイプが、現在、30から40%の多数派を占めていることからも窺がえます。縄文人は縄文末期の寒冷化により数万人に激減したと言われています。それが長江人がもたらした稲作で救われたのです。稲作も数十年で名古屋あたりまで北上しています。これも定住生活が長く、物作りに長けた縄文人なので、技術伝承も容易だったのでしょう。

後、中田氏の説が違うと思うのは、神話です。若し呉の貴族が邪馬台国を築く、若しくは邪馬台国の長に祭り上げられて、それで金印を与えられていたのなら、古事記や日本書紀に誇らしげにその事が書かれている筈です。

呉の国の伝説は支那にありますが、呉越同舟の言葉があるように、史実に近い形で残っています。それは記憶が新しいからです。それなら当然、呉の国を脱出してきた人々の話は史実に近い形で神話の中に残っているはずですが、なにもありません。天の岩舟の話は有りますが、神が船で渡って来た記述も無いのです。

古事記の初めに有るのは、天地未だ別れていない時に、次々と現れて消えてゆく不思議な神達の描写です。そして、イザナギ命、イザナミ尊にまつわる、火山の描写としか思われない火の神の多さです。これは大陸とは関係なく、神話の形成時期が古い事を意味します。

そう考えると、天皇の出自は、D2タイプの遺伝子を持つ縄文系ではないかと思わざる得ません。勿論、先住民も渡来人も融和した社会の中から、優れた長が選ばれたのだと考えれば、天皇の出自が渡来系の可能性も否定できません。しかし中田氏が言うような、渡来系が縄文系を追いやったことは無いと思います。当然、騎馬民族が天皇家の先祖などの話は、荒唐無稽以外何ものでもないでしょう。

中田力は、線形科学しか知らない人文系科学者が現実とは掛け離れた解を出しているが、複雑系科学を応用すれば解けると言っていますが、氏の解も首を傾げたくなるのが一杯あります。

その一つが、徐福伝説です。徐福が始皇帝を欺き、3千人の技術者と五穀の種を持って日本に旅立った目的は、徐福が姫姓の再興の為に、日本にいると思われる姫姓の人間を迎える為と、中田氏は考えているようです。

そして中田氏の説がトンデモだと思われるのは、『徐福が連れて行った貴族の臣下に、チベット族である羌族が多く含まれており、日本にDタイプのY遺伝子を持つ男性が多いのはその為である』との説です。

そもそも、Dタイプと言っても、チベット族のY遺伝子のタイプはD1かD3タイプで、日本人のD2タイプとは違い、D1・D3タイプは日本列島にいません。D2タイプは、アイヌや琉球人の方が多く存在しているので、彼らを徐福が連れて行った子孫とすると説明が付かなくなります。

又、あいまいですが、大国主命が韓半島からの養子であり、それは邪馬台国と同様、高貴な血を持つ博多の奴の国に対抗するため、半島から養子を迎えたというのが中田氏の考えです。

しかし新羅の前身は辰韓。辰韓は秦の労役から逃亡してきた秦人であり、馬韓が地を分け与えて出来た国です。しかも王族は馬韓人だった国です。半島の三韓時代、馬韓も辰韓も弁韓も金印処か銅印も貰えず、王も名乗れず、陶印程度しか貰っていないような国々です。そのような前身を持つ新羅に、とても高貴な血が有る訳がありません。

中田力氏は、大上段に複雑系科学から『日本の古代史を科学する』書いたとしていますが、全てとは言いませんがトンデモ本に加えたくなるような内容です。

 

お勧め:『天皇の遺伝子』、『Y染色体からみた日本人』

 

 

後書き。
太伯、虞仲の刺青の話を読むと、こういう領主と領民の関係が続けば、支那にも封建時代の経験が残り、その後の支那の国民意識も変わったものと思われます。しかし支那では戦国時代から中央集権にしか移行しなかった。それは日本のような天皇の存在が無かったからです。封建時代があったヨーロッパでは、天皇はいなかったが、ローマ法王がいました。結局の処、支那では覇者が全てを支配する中央集権国家にならざる得なかったのです。そして、領民・領主の関係は存在せず、中央だけ見て民を食い物にする知事等の地方役人と、一方的に食い物にされる民の関係しか生まれなかったのです。


来週は用事が有るので、しばらくサボリます。
【2012/07/07 19:50 】 | 文化・歴史 | 有り難いご意見(26)
武人の心得、覚悟

以前にも書いたが、東大生に『千人の人を助けると1人が犠牲になり、1人を助けると千人が犠牲になる事故が起きた、君が為政者ならどうするか』と聞くと、殆どの学生はいとも簡単に、1人を犠牲にして千人を助ける、と答えるそうである。百人対千人と設問を変えるとようやく事態の深刻さを理解すると言う。

これとまったく同じ設問を中学生の時に考え付き、『君が首相ならならどうする』と同級生に聞いて回ったことがある。中学生の時の私の解答は、『何もしてはいけない』であった。そうだろう、『首相だろうと他人の命を奪う権利など誰も持っていない。全員が死んだとしても、それは自然の摂理ではないか』と同級生に説いた記憶がある。

東大生について遺憾に思ったのは、彼等は将来人の上に立つ人間であると自他共に認めており、自負心も有るように見受けられるが、処が中学生でも考え付く設問を考えていなかったからだ。ある者は、首相、大臣、官僚、首長、上級警察官、等々になるだろう。だが、彼等が上に立つ者についての決断する勇気や、決断した後の責任について、何も考えていなかったとしても、そのような事態は必ずやってくる。

中学生だったときの私の解答は『人を助けるのに、誰かを犠牲にしなければならないのなら、何もしてはいけない』であったが、では、『何もしない人間が何故、人の上に立つのだ』、『決断する勇気も責任を取る覚悟も無い人間が、何故そのような職業につくのだ』と聞かれたら、答えられるだろうか。

軍人が身を挺して国土を守る戦闘行為は、まさに人を助ける為に何人かを犠牲にしなけれならない事態である。当然、軍隊が有る国のトップは、その決断を下す事が迫られる。戦争が無くても日本は災害の多い国である。実際日本では、何人かを助けると何人かを犠牲にしなけれならな事態が起き、誰かの決断を待っていた事が有ったのである。

その一つの例が、阪神淡路大震災の時の首相村山富市の対応である。

阪神淡路大震災では地震と同時に火災が起きたが、上水道が断水していた為、地上からの消火活動が出来なかった。空からの消火も検討されたが、水による圧力で建物が破壊され、下にいる人間にも被害が及ぶ可能性があるとの話があり、誰も決断を下さない為に火災は放置され、一日中燃えるに任せた。その為に、恐らく倒壊した家屋の中で逃げらずに焼け死んだ人間が、かなりいた筈である。(注1)

阪神淡路大震災は、まさしく誰かが決断して、何人かの犠牲を払ってでも類焼を食い止め、多くの人が焼け死ぬのを防がなければならない事態であった。しかし此の村山富市と言う男、何もしなかった。そのくせ定例勉強会等には出席しているが、その他の時間は阿房宮の火事でも眺めているかのように、一日TVを見て過ごしていたのだ。これは決断するとか、上に立つ者の覚悟以前の問題である。

又、原発事故の時に、当時経済相の海江田万里が権限が無いにも『速やかにやらなければ処分する』と消防隊員を恫喝した行為も、何人かを助ける為に何人かを犠牲にする命令であった。此の海江田万里も、恐らく消防隊員に犠牲者が出ても責任を取る覚悟等、無かったであろう。

しかし、首相であろうと大臣であろうと他人の命を奪う権利は無い。だが何もしなければ首相として又大臣としての責務が果たせぬ。ではどうすべきか。それには日本的解決法があった。

それは腹を切ることである。日本では、古来から責任を取ると言う事は腹を切ることであり、腹を切る事で失敗も許される文化があった。

封建時代、日本を訪れた西欧人は、法が厳格に守られ犯罪も少ないことに驚く。又、庶民が支配階級の武士を尊敬している事も指摘する。理由として考えられるのは、支配階級の武士が常に死の覚悟をしていた事を庶民は知っていたからと思われる。

例えば幕末、日本は国後島を訪れたロシア人艦長ゴロウニン以下8人を捕まえ捕虜としたが、その後ゴロウニン達は脱走を企てるが捕まえられる。その時奉行は、以前と変わらず晴れやかな態度で接し、『その方達が逃げおおせれば、奉行以下の数人の役人が命を捨てねばならないことを存じていたか』と尋ねる。奉行は、何時でも腹を切る覚悟の上、職務を行っていたのである。

武士達が横柄であろうと、常に死を覚悟して職務を行っていたことを知れば、その心は庶民にも伝わる。法も守るようになる。

幕末で、実際に切腹した幕府の官僚に川路聖謨がいる。川路聖謨はロシアの使節プチャーチンと交渉にあった人間である。ロシア側は彼の知性に驚かされ、彼の洒脱でユーモア精神に富んでいる人柄に魅了された。彼が切腹したのは責任を取った為ではない。しかし彼の切腹死により、彼が常に命がけで職務を行っていた事が分かった。

川路聖謨は有能な官僚であった。彼が有能であったのは知性の為だけでは無い。常に従容として腹を切れる程の勇気有ったからこそ、知性が発揮できたのである。逆に勇気が無い人間は、幾ら知性が有ったとしても能力を発揮する事はできない。臆病者は無能ともいえる。

明治以降では、切腹死した人間に乃木希典がいる。彼は切腹に先立ち正装し、十文字に割腹した後、外した軍服のシャツのボタンを締め、ズボンを上げ、軍刀で喉を突くことで絶命した。真に壮烈な最期である。

遺書には連隊旗を奪われたことを償うための死と述べられているが、この壮絶な死にざまを見れば、連隊旗を奪われた責任を追及する者はいないであろう。旅順攻撃の拙さや、多数の死傷者を出した責任を追及する者もいたが、切腹により全て帳消しになった。

乃木希典の切腹を時代錯誤とか、狂っているとか言う者がいる。これは西欧かぶれで日本文化を解せない人間か、自分が出来ない事への嫉妬した卑怯者の言葉である。

有能な人間とて失敗はあり得る。失敗を恐れては何も出来ない。日本は腹を切る事で失敗も許される文化なのである。それは自分の死を克服する勇気を持つ人間こそ、大事をなし得ることが分かっていたからである。


千人の人を助けると1人が犠牲になり、1人を助けると千人が犠牲になる事故が起きた、君が為政者ならどうしますか。


後書き
切腹はグロテスクである。しかし昔の武士は死を克服する以上の勇気を示すため、切腹を選んだ。明治以降、軍人以外で切腹する者はいなくなった。それと同時に政治家や役人で死を意識してまで職務を行おうとする精神も薄れていった。政治家や役人の価値観から勇気が失われていった。

政治家や役人が、命をかけて職務を行わなくなってきたのだ。当然勇気の無い人間は自己犠牲等しない。勇気が無い人間は、全てが無い人間なのだ。もう肩書きだけの人間に騙されるべきではないだろう。

人の上に立つ人間の選択基準は、まず勇敢であることを一番に上げるべきである。当然な事ながら、もし運悪く自分が人の上に立つ立場になったら、やはり腹を切る覚悟でその職務をまっとうしなければならないだろう。それが日本の伝統なのだ。


 


ヘリコプターCH47
 

注1、森林火災では空中から消火するのが普通である。地上に消火活動をする人間がいても実施されている。『森林火災で使用されているヘリコプターCH47が3機あれば、阪神淡路大震災の火災を1%に激減できた』との報告もある。


 

【2012/03/24 20:08 】 | 文化・歴史 | 有り難いご意見(7)
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