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崗上虜囚の備忘録

日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください

最後の定住民国家日本

日本は現存する世界最古最長の国家である。又、地理的にも民族は移動せず最古の定住民国家とも言える。2000年以上たいした人間の入れ替わりも無く、殆ど単一民族の国とでも言える国で有ながら、多様な文化が有るのは古さゆえんである。

又、多様な文化が有るのは、様々な知識ノウハウが失われること無く蓄積されている事を意味している。日本が鎖国を解いたら直ぐさま列強に追いつき、また国土が焼け野原になるような敗戦が有ったにも関わらず瞬く間に復興し、経済規模が世界第2位第3位の国になったのも、様々な知識ノウハウの蓄積が有ったからである。

日本が世界最古最長の国家として存続出来たのは、一つに他国と海を隔てた孤島に有ったことと、鎖国をしていたことである。同じ島国のイギリスが、アイルランド先住民、ケルト人、アングロサクソン人、ノルマン人と度々主を変えたのに、建国以来皇室が万世一系と変わらず国が維持出来たのは、早くから国をまとめて他国からの脅威に対処できた事も大きな理由である。

日本は付いていたと言っても良い。何故なら、大陸にある国は皆短命である。理由は、他国からの絶え間ない侵略により、国が維持出来なったからである。現在大陸にある国家は、それに生き残った国、即ち侵略紛争に勝ち残った国である。

侵略紛争で行われることは、先住民への略奪、虐殺、奴隷化である。そうとなれば、たとえ侵略紛争に勝ち残ったとしても、その地域の文化が如何に隆盛を誇ろうと、地域の歴史が如何に古かろうと、文化は継承されず様々な知識ノウハウは、その都度失われる。

日本は一度もこれを経験していない。日本は大文明など築かなくても、小さな文化を継承するだけで、大文明を築いたことと匹敵する知識ノウハウを蓄積出来たのである。これが、資源もない小国の日本が、世界の冠たる国になった理由である。

しかし、その日本が最後を迎えようとしている。それは異民族による国家乗っ取りによるものである。

異民族による国家乗っ取り。今日本で起こっていることは、日本人から見れば異様なことであるが、歴史を見れば国家の乗っ取りは良く行われていたことである。 古くは、メソポタミア文明を築いたシュメール人のシュメール王国も乗っ取られる。度々侵入し、シュメール人から野蛮人と蔑んでいた遊牧民のアムル人にシュメール王国は乗っ取られる。原因はアムル人を傭兵、役人に次第に登用するようにした事による。

民族の生活の仕方から見るとシュメール人は定住民、アムル人は遊牧民である。遊牧民が定住民の国を乗っ取った出来事と言える。先の侵略紛争でも、後は遊牧民同士の争いになるが、元は遊牧民が定住民を襲ったことが始まりである。ユーラシア大陸の遊牧民は皆乗っ取りが正業となった。定住民の国は皆乗っ取られた。日本は最後の定住民国家である。

現在、世界にあるのは元遊牧民だったような国ばかり。家畜を扱うことに長けている彼等は人間を動物のように長けている。しかし此処に来て、彼等の隆盛に陰りが出て来た。

世界の先進国は皆同じ資本主義経済なのだから、日本も同じに落ち込んでもよさそうである。しかし何故か日本の通貨が一番高い。震災、原発事故、デフレ不況、異民族による国家破壊活動と2重苦、3重苦にある日本がである。

世界のひのき舞台で脚光を浴びぬ日本であるが、実は二つのことで注目されている。一つは遊牧民が狙う餌である最後の定住民国家として、もう一つが世界最古の国にある明日の人間社会を築くなんらかのノウハウが有る国としてである。

日本が世界に明日の人間社会を示せるか、遊牧民に滅ぼされた最後の定住民国家となるか、それは日本国民次第である。

続く

乗っ取るため侵入した異民族達の図


 
三種の神器の一つ勾玉
勾玉は縄文時代から有る。縄文人の血も現代日本人に生きている。日本の歴史は縄文時代から途切れることなく続いている。


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ジャパン・システムが世界標準2

 
武士に二言は無い。上図は武士の魂、太刀一助則

 
嘘9000とアンドンの続き
ジャパン・システムは他人を善意を信用するシステムである。それには、殆どの人間が正直でなくてはならない。フランシスコ・ザビエルの『日本人は嘘をつくのが大嫌いの国民である』の報告は有名だし、18世紀以降に日本を訪れた欧米人も皆同じ感想を述べている。

又魏志倭人伝にも『盗窃せず、諍訟少なし』とあるので、日本人は古代から正直であったようである。恐らく、他民族から侵略や支配を受けたことが無いため、嘘をつかずお互いを信用すことが良い結果を生むことを学ぶ時間が有ったのだろう。

ではジャパン・システムは普遍的システムなのか。日本人だけの阿吽の社会で通用するシステムではないのか。その回答は、アヘン、土匪、風土病が蔓延る荒涼の島が、緑の楽園と呼ばれるようになった台湾の事例である。台湾の劇的変化は、確かに日本が莫大な資本を投下し近代施設を作った面もあるかも知れない。

しかし日本の統治時代を懐かしむ台湾人の証言『昔は鍵などかけなくても安心して暮らせた。ところが今は窓にも鉄格子を嵌めなければならない』は、何を物語るのだろうか。日本統治前の台湾では、風俗習慣や言語が異なる複数の山岳民族と平地民族、漢族、匪賊等が互いに殺し合いをし、漂流者さえ見つかれば殺されるか奴隷にされるかが普通だったのである。

それが、日本統治により他人の善意を信用する社会になった事は、ジャパン・システムが他民族でも機能できる事の証明である。又多くの台湾人が、他人を信用出来ない現在を嘆いているのは、他人の善意を信用する社会の方が心地が良いと思っている証拠であり、ジャパン・システムが普遍的である証拠である。

ジャパン・システムは正直だけでは無い。自己犠牲も特徴である。それは公に殉じる心である。東北大震災でもそれは如何なく発揮された。被災者であっても、騒がず、列に並び、他人を気遣う。これは終戦直後に起きた福井地震でも同じであった。東北大震災を見て、欧米人が驚嘆したのと同様、GHQも未曾有の災害にも関わらず被災者の冷静な態度に驚いている。

そのジャパン・システムだが、此処に来て危機に瀕している。それは日本の支那・朝鮮化である。否、朝鮮族による乗っ取りと言ったほうが良いだろう。その代表例がフジTVの韓流騒動である。

フジTVによる韓流ゴリ押しは商業主義が原因ではない。フジTV社員に入った朝鮮族の社員がそれなりの地位になり、彼等が自分の部下に朝鮮族を採用し、主なるポストは朝鮮族によって占められたからである。そうなると朝鮮族は、必ずと言って良いほど自国(韓国)製品を採用する。これが韓流ゴリ押しの原因である。

自分達の近い者を優遇する。公を無視し私を優先する。これは支那・朝鮮の伝統的な文化である。フジTVに入った朝鮮族はそれを遺憾なく発揮したに過ぎない。これが支那・朝鮮の社会の中であれば、一つの集団だけが主要なポストを占める事は出来ない。何故なら回り人間も集団も同じ考え方なので、拮抗してしまうからである。

処が、日本のように他人の善意の期待し、公に殉じる精神文化がある社会では、朝鮮族のように公を無視し私を優先する集団が組織に入り込めば、その集団に簡単に乗っ取られてしまうのだ。現在、日本の主だったあらゆる組織や団体は、既に皆朝鮮族に乗っ取られていると言って過言では無い。フジTV等は氷山の一角である。

此処まで来ると、日本人だって公に殉じるなど馬鹿馬鹿しくなる。日本人だって徒党を組み公を無視し私を優先する事になる。即ち日本人の支那・朝鮮化である。

しかし支那・朝鮮の歴史を見れば、嘘を付き公を無視した文化だったが故に発展出来なかったのではないか。韓国は順先進国と言われながら、国を捨て出て行く人間が後を立たないではないか。輸出好調と言いながら大学卒が就職出来ず、ウオン安に歯止めが利かないのは何故か。ジャパン・システムの対極、嘘を付き、徒党を組み、公を無視し私を優先する支那・朝鮮システムには明日は無いのだ。

それでも日本を乗っ取った朝鮮族は留まることを知らないだろう。日本人は成す術も知らない。日本人は結局、社会を法や契約で雁字搦めに縛るしかないと結論するだろう。これは日本人の欧米化である。ジャパン・システムの放棄である。TPPに加盟することもジャパン・システムの放棄である。

他人を善意を信用するジャパン・システムに対して、欧米の訴訟社会は人間不信から生まれたものだ。しかし法と契約でがんじがらめで縛っても要領の悪い者は騙される。人々は常に法の抜け道を探す。だから災害等で法の支配が届かないと感じると略奪暴動が始まるのだ。本当は欧米人とて、法や契約に頼らず、他人を善意を信用する社会の方が良いと思っている筈である。

日本が他人を信用して公に殉じる精神がある社会を放棄し、法と契約でがんじがらめで縛る欧米型社会に移行することは、文化の退化である。数千年来培ってきた民族の知恵を捨てるものだ。それはトヨタが『アンドン』を止め、嘘9000を取り入れるようなものだ。
 

ジャパン・システムが世界標準

野田総理はTPPに参加したいようだが、今度は仙石政調会長代行がTPP反対の農協を批判している。彼は嘗て反米闘争を行って来た全共闘学生。60過ぎても転向もせず、頭はサヨクのままの筈。?なんだ反米では無く反日だったのか。

野田総理も同様、韓国大好き、女房も韓流狂い。この二人、何の逆恨みか知らないが、日本を破壊することの為ならアメリカであろうが、支那であろうが、朝鮮だろうが、何処とでも手を結ぶように見える。

TPPを薦める連中は、これがグローバルスタンダード、世界標準などと言っているが、アメリカだけが儲かるアメリカン・ルールのローカル・スタンダードでは無いか。これを開国だと言う人間もいる。

その幕末の開国だって、結果は不平等条約。開国を迫ったアメリカだって中世か古代そのものの奴隷制度があり、識字率だって日本より遥かに下だったではないか。

当時の、日本を観察をした西欧人の感想も『日本の庶民は西欧の庶民より幸せ』であり『日本に行く目的が、日本を文明国にする為である、とういうのは真実から遠い。なぜなら日本にはすでに文明が存在している』であった。『ではなぜ行くのかというと、貿易によって利益を上げるという目的以外はもっていない』と言っている。

それは、TPP騒動の現在も同じである。アメリカン・システムは世界標準だなんて時代は、とっくに過ぎ去っている。今やジャパン・システムが世界標準なのだ。その一例を挙げよう。

以下は、ブログ『中韓を知りすぎた男』さんに投稿した記事と同じ内容である。嘘9000はISO9000のもじりである。

【嘘9000とアンドン】
『アンドン』とはトヨタが生んだ生産方式である。アンドンは工場のラインの作業者のそばにぶら下がっている紐つきランプのことである。この状態が行燈に似ているからアンドンと名付けられた。従って日本語である。

作業者は、生産過程に異常を発見すると紐を引く。紐を引くとランプが点灯し、ラインが停止し、そこの責任者や関係者達が駆けつける。そして関係者は何故異常が起きたかその場で調べ解決する。ラインを止めることは大きな損失であるが、異常の原因を速やかに調べ対応することで、同じ異常を二度と起こさせないことから、結果的にはコストの削減となる。

このアンドンを外国の工場で導入しようとした時、すんなりと導入出来なかった。アンドンの紐は自分のミスでも引かなければならない。自分のミスで工場のラインを止めるのである。査定されてしまうのでは?、ラインを止める判断はもっと上の人間なのでは?、と作業者が躊躇したのが原因である。

日本人は始めからこのような躊躇はしない。アンドン生産方式は正直を前提にしたシステムであり、人間を信用したシステムである。日本で当たり前とされたのは、日本の社会全体が正直を前提に、又人間を信用して動いているからである。欧米ではこのアンドンは革命的思想として受け入れられた。

それはイギリス生まれのISO9000と比較して見れば分かる。ISO9000で書類を提出させるのは、不正が行われていない事を証明する為である。しかし幾ら書類の山を提出させても品質は改善されない。書類に嘘が紛れ込ないようにするには、益々書類の山となる。ISO9000は労働者を信用せず、また人格をも否定し、嘘を前提としたシステムなのである。

それに対して、今や『アンドン』は、世界各国の企業で採用されている。革命的思想の意味は、労働者を自発的にさせた方が働くことを認識させたことであり、労働者自身を奴隷意識から開放したからである。

私がこの問題に興味を持って調べたのは、トヨタがISO9000を行っているかであった。果たして、トヨタはISO9000行っていなかった。それどころか、ISO9000の問題点を指摘しているのがイギリス人であり、彼はISO9000の問題点をトヨタ方式を比較した上で言っているのである。

ジャパン・システムとは、人間を信用するシステムである。正直を前提にしたシステムである。それは日本の文化と言るだろう。そして、未だ日本に根付いている文化である。だから津波にあった金庫が届けられ、もの金が持ち主に返されたのだ。

中にあった36億円これを知ってイギリス人は又驚いた。しかしこのジャパン・システムは危機に瀕している。一つはTPP、もう一つは日本の支那・朝鮮化である。(続く)


目の癒し(北斎):江戸時代の人は良く働き、よく遊んだようです。
 

訂正:36億円→23億円

侍文化

日本の文化を言うのなら、まず武士道、武士(もののふ)文化、侍文化を言わなくてはならないだろう。


その前に、10月25日の産経新聞に面白い記事が載ってた。ホワイトハウスで行われた李明博大統領に対する晩餐会の際、メニューに日本料理が出されたことに対して、韓国のメディアが批判しているとの記事である。

なんでも韓国では、近年日本料理に対抗して『韓国料理の世界化』キャンペーンを官民挙げて行われているそうである。この記事を見ると、韓国人でも日本文化と韓国文化が混同されて理解されるのは、好まないようである。

だったら、これを ↓↓↓ 何とかしろぃ。

        

左、日本剣道着そっくりな衣装を着て、剣道は韓国文化だとい言い張る輩。
中、椿三十朗や座頭一映画が、あたかも韓国映画だと言わんばかりのポスター
右、日本の茶道そのままコピーして韓国茶道だと。彼女の師匠っているんですかね。

【侍文化】
日本が他国から侵略されず、欧米の植民地にもならなかったのは、日本に武士がいたからである。実は日本は、他国からの侵略を度々受けている。代表的な侵略者は、新羅、李氏朝鮮である。それが人々の記憶に残らなかったのは、軽く撃退していたからである。

それでも蒙古による侵略は、歴史に残る事件であった。もっとも時の中央政府(鎌倉幕府)には、対した記録は残っていない。鎌倉幕府が大事件とするのは、国内紛争のようである。そして蒙古を撃退したのは神風としてし片付けられ、それが現在も常識となっている。しかし蒙古の撃退したのは、日本の武士達の奮戦によるものである。

神風神話が生まれたのは、大帝国を作った蒙古軍だから向かうところ敵無しの筈で、日本が敵う訳が無いとの思い込みがあったからである。実際、蒙古軍は向かうところ敵なしだった。しかし蒙古軍はそれ程強く無い。

実は蒙古軍はエジブトで完敗し、ドイツでもドイツ騎士団の巧みな戦術により、攻めきれず、危ういとこで撤退している。エジプトで完敗したのは、エジプトにマムルーク軍団がいたからである。マムルーク軍団の戦士は少年の頃奴隷として買い取られ軍事訓練を受けた後、奴隷身分から開放されマムルーク軍団に編入された人間達である。

蒙古軍がアジアやヨーロッパで連戦連勝だったのは、相手にマムルーク軍団のような訓練した戦士で構成された軍がいなかったからと思われる。処が日本にはマムルーク軍団と同じ、子供の頃から軍事訓練を受けた特異な武士が多数いたのだ。

蒙古兵は弓馬術は得意であっても読み書きも出来ず、日本の武士のような死ぬ覚悟の教育等受けてもいない。蒙古兵が略奪し残虐であるのは欲や恐怖心によるもので、規律や義務感からもたらされる日本の武士の勇敢さとは相反するものである。

確かに文永の役では、日本の武士団は集団戦法や初めて目にする鉄砲に苦戦したが、菊池軍は高麗軍を破り、翌日、本格的な戦闘が始まると思われる前に蒙古軍は撤退してしまった。この蒙古軍の不思議な行動に、あれは威力偵察だと解釈する人もいる。しかしそれにしては2万8千にと数が多すぎる。恐らく以外に手強わかったったので、陸で一夜を越すのが恐ろしかったのであろう。それでも戦術としては有り得ない。

弘安の役では、日本の武士達も慣れたのか志賀島に上陸した東路軍を追い落とし、壱岐島に東路軍と江南軍の一部が集結したことを知るや、逆上陸して勝利し、鷹島に集結した東路軍と江南軍に夜襲を加える等、終始の日本の武士団の方が積極的に戦っている。

これ等の戦いと夜間の武士による切り込みは、蒙古軍にとって脅威だったと見え、上陸しようともせず結局は台風に遭遇することになる。この間5月から夏の2ヶ月半、船中の衛生状態は想像を絶する状態と思われるが、それでも彼等は数に勝るにもかかわらず上陸しようともせず、船同士を鎖で繋ぎ船に篭城していたのである。それは偏に日本の武士団への恐怖であった。

確かに西南戦争での武士の切り込みは、近代兵器を持つ政府軍にさえ恐慌をもたらしたのだから、死ぬまで戦う日本の武士は彼等の理解を超えていたようである。元史の中にも『日本兵は頑強で死を恐れず、十人百人遇ってもまた戦う。敵に勝てない場合、敵と刺しちがえて共に死ぬ。戦いに敗れておめおめ帰って来ると倭主が成敗してしまう』と書かれている程である。

この『倭主が成敗してしまう』と言う処が、彼等の精一杯の理解だったのだろう。敵より味方の方が恐ろしいのだと、兵士を脅して戦場に駆り立てるのが大陸の流儀である。しかし日本の武士が勇敢なのは自己訓練の賜物である。自主的なのである。彼等の驚きは、大東亜戦争の時に日本兵の働きを目の当たりにした連合軍の驚きと良く似ている。

勇敢さだけでは無い。武器でも日本の武士は世界で一番長い長弓(和弓)を馬上で操る。文永の役ではその弓で小弐景資が蒙古軍の副将劉復亨を長距離から射倒している。長弓は矢も長く射程が長い。そう和弓は矢を耳の後ろまで引く。イギリス人も長弓を扱うが、実験した結果では和弓のほうが威力が上であった。当然なこと、和弓は竹と木のラミネート構造である。和弓と比較しイギリスの弓は原始人の武器のようである。

日本の武士が扱い難い長弓を使うのは意味有ってのことである。何しろ、日本の武士は世界最高性能の日本刀持つのだ。教育程度の高い武士なら集団戦等、すぐに学習するだろう。

戦った日本軍の数は蒙古軍より少なかった。しかし日本の武士の数は多いのである。1221年の貞永の乱では鎌倉幕府は東国の武士だけでも19万騎を動員している。1359年の九州で起きた筑後川の戦いでは両軍合わせて10万の軍が戦っている。

もし蒙古軍が上陸出来たとしたらどうだったであろうか。 恐らく蒙古軍は全滅していたと思われる。鎌倉幕府は国家総動員令にあたる動員令を朝廷に願い出、勅許されたが動員をかけるまでに、九州の御家人だけが戦い戦は終わってしまった。

持っている武器は同等以上。兵の質も勇敢さも日本軍が上。数も日本軍の方が上となると、13万程度の徴用兵で日本を攻めることが出来ると考えたフビライハーンは日本を知らなさすぎたと言える。

日本を知らないのは現代日本人も同じである。1939年に起きたノモンハン事件では、長く日本軍の完敗が信じられていた。しかしソ連崩壊後に出てきた資料ではソ連軍は日本軍以上の大損害を被っており、ソ連軍歴戦の将ジューコフも生涯で最も苦しかった戦いをノモンハンのハルハ河と答え周囲を驚かせている。又、文禄・慶長の役における泗川の戦いでは7千の島津軍が20万の明・朝鮮軍を敗走させているのだ。

戦争反対と叫んでいる、お花畑の日本人諸君。今君達が生きているのは、命を捨てて日本を守ってくれた日本人がいたからだ。彼等は死の恐怖を克服して戦った。君達にもその血は流れているのだ。そして今、日本は無くなろうとしているのだ。戦え!。

  
 

この記事を書く前、『モンゴル来襲と神国日本(三池純正著)』を読んでみた。高麗軍の将『金方慶』を持ち上げたり、『三別抄』の活躍を大げさにに言ったりする反面、武士が恐怖心で一杯だったとか、日本は完敗だったとか、なんだか著者の出自を疑ってしまうような内容であった。まあ、神風神話は打ち消したいが、武士達が活躍してもらっても困るというジレンマで書いたのであろう。この手の人間の精神分析をして見たい向きには、お勧めの本である。


 


神道、仏教、禅

スゥエーデン人ツュンベリーが日本人は自由だと言ったのは精神の自由である。それは日本の古来からの思想や宗教が精神を束縛するものでは無かったからである。

日本の代表的な宗教と言えば神道と仏教である。どちらも排他的では無い。排他的で無いというのは、善悪や優劣を主張しないからである。

例えば、神道では穢れを嫌うのが唯一の主張である。仏教も同様、周利槃特が釈迦に言われた通りに『塵や垢を除け』と唱えながら仲間の履物を拭った故事のように、仏教の教えは伽藍を掃き清める如く、自らを清めるのが教えである。当然、清める事に善悪や優劣の思想は無い。

その神道や仏教の教えの為か、16世紀来日した宣教師フロイスは、日本文化の特徴としてまず清潔を言う。これは現在でも海外の人が日本の特徴として挙げることである。又、キリスト教を広めようとした多くの欧米人は、キリストの教えを知らない異教徒の国の日本の方が、何故キリスト教の国より犯罪率が低いのか疑問が解けず、首をひねるばかりであった。

キリスト教国や儒教国の支那朝鮮を見ると。どうもキリスト教や儒教のように、善悪や優劣を殊更主張する宗教や思想では、人間の道徳心は育たないようである。むしろ善悪や優劣で精神の自由を縛ることによる弊害の方が多いようである。日本の犯罪が低いのは、やはり穢れを嫌う神道や仏教の教えが根付いていたからであろう。

日本では儒教は根付かなかった。十七条憲法にも引用され、多くの日本人が必須科目のように学んだが、儒教は嗜みか一般教養程度としかならなかった。それは日本人の勘である。儒教が観念的になり、精神の自由を奪うと感じたからであろう。

その点仏教は解脱、即ち精神の開放を目的としている。しかしながら日本に入ってきた大乗仏教は、ヒンズー教や伝来経路の世俗的宗教を巻き込みながら伝わって来た為、仏教本来の目的が曖昧になっていた。

そこへ伝来したのが禅宗である。禅の祖、達磨が支那に来たのも仏教本来の目的が解脱すること、即ち悟りを開くことであると正すことであった。単刀直入の禅宗に伝来により、多くの日本人が仏教の本質を知り、片目が開き、又ある者は悟りを開いた。

片目でも開けば、そこは自由な世界である。室町時代に自由奔放の生き方をした佐々木導誉に代表されるバサラ大名などは、禅により開放された武士だったのかも知れない。武士達の動きは庶民にも伝わる。禅はこれ以降の日本のあらゆる文化から切り離すことが出来ないものとなる。

バサラ大名の系譜は戦国大名にも繋がって行く。織田信長はその代表であろう。。佐々木導誉同様、彼も芸術を理解し何よりも自由を愛していた。信長と対談した宣教師フロイスは、信長の宗旨は法華宗であるが若干の見解は禅宗であるとしている。恐らく信長も若くして禅に親しみ片目を開いていたのだろう。それは彼が好んだ『敦盛の舞』の一節『人間五十年・・』を聞けば想像出来る。

戦国の世、人々は何故この残虐で傲慢で危険な男、織田信長に期待したかと言えば、彼の持つ自由に期待したのだろう。期待たがわず、信長から始まった安土桃山時代、それは日本で最も自由な時代であった。その自由と比例して日本は発展した。

ついで日本に伝来した禅宗は、6祖慧能から始まった問答を主する南禅である。南禅では、人とは問答して潰され、とことん行くつくとこまで自問自答して悟りを開くので、リベート合戦で負ける訳が無い。当然、キリスト教だろうと儒教だろうと相手にならない。なにしろ既に一物も捨て去っているので失うものが無いのだから。

日本にキリスト教が根付かなかったのも、儒教が根付かなかったのも禅宗が有ったからかも知れない。神道が今も続いているのも禅宗が有ったからかも知れない。日本は精神の自由が有ったから発展した、日本の自由は、禅等によりとことん自問自答した人間が指導層にいたからである。

処がどうだろう、民主党やそれを支持するマスココミの連中は何であろうか、人権、差別、ジェンダーフリーと言いながら精神を束縛する。戦争と言えば反対としか言わせない、核は考えてもいけないと言う。自分の頭で考えたことが無い連中が、稚拙な考えで日本の自由を奪おうとしているのだ。

馬鹿集団の民主党を出したので、口直しに安土桃山時代流行した『辻が花染め』の小袖をお見せする。左右非対象なんて当たり前。シンメトリーなんて糞食らえ。奇抜と言われようと、何より自由である。もっともその流行は廃れ、次は庶民の『粋(いき)』や『いなせ』の文化になる。
 
 

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