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最後の定住民国家日本2
日本の価値観や日本の特徴は毎年失われているが、それでも世界有数な先進国でありながら犯罪率が少ないとか、古い伝統文化も維持しているとか、まだ多くの特徴を備えている。

『最後の定住民国家日本』を書こうと思ったのは、日本が何故そのような特徴を持つ国になったかである。

このシリーズを書いているときに、チャンネル桜の討論番組 『【討論!】大東亜戦争開戦70周年記念大討論[桜H23/12/10](18:06頃から)』 の中で、陸上自衛隊特殊作戦郡初代郡長の荒谷卓氏によるグローバリゼーションに関する興味深い話があった。

内容は、『ヨーロッパで武道を教えているが、教わるヨーロッパ人の関心は武道のテクニカルの事ではなく、武士道の精神、神道的な文化である。それは、大震災で我が身を犠牲にする日本人の姿が紹介された事にもよる。現在(ヨーロッパでは)多くの市民レベルでは、利己主義や個人主義については反対意思を表明している。日本社会には理論だって説明されていないが、グローバリゼーションが誘導している個人主義とは違う、利他的社会的理念、即ち反グローバリゼーションが実存している。従って、日本は世界に牽引力となる文化を有する少数な存在ではないか。』である。

世界は、個人主義やグローバリゼーションに疑問を感じている。世界は日本にはそれと違う何かが有ると気付き始めた。それなのに日本人自身が日本を壊し始めている。グローバリゼーションに信奉した日本人は、日本の潜在能力を理解出来ない。又、甚だしきは、先のエントリーで挙げた神戸市役所職員のように、朝鮮人の嘘に洗脳され日本を憎んでいる者がいる。彼等も日本の可能性が理解できない。

理解するには日本人の生い立ちや生き方、それと対比した世界の人の生い立ちと考え方を知る必要がある。

最後の定住民国家日本・縄文文化
現代の日本人は、古くから日本列島に住みついた縄文人と、その後大陸・半島から流入した渡来人で構成される説が一般的である。男性のY遺伝子から見ると、日本人は、Cタイプ、Dタイプ、Oタイプの遺伝子を持つ男性から構成されている。

CタイプとOタイプの遺伝子は、アジア大陸に多く見られるタイプであるが、Dタイプについては、世界的に見て日本人以外にチベット人、アンダマン諸島にいる黒人、支那の少数民族であるイ族と、少数しかいない。その為に、Dタイプの男性が多いのが日本民族の特徴であるとされている。但し、日本人のDタイプはD2タイプであり、チベット人のD1、D2タイプと若干違う。

そして、このDタイプは縄文人のY遺伝子のタイプと言われている。支那文化圏や東アジア文化圏に属するといわれながら、日本は他のアジア諸国と何かが違う。日本が他のアジア諸国と違う何かが有るとするなら、日本人が縄文人の性格や縄文文化の影響を受け継いでいる為である、と言うのも可能性の一つである。

人類の故郷はアフリカである。人類が密林や林から、草原に出たのは狩ができるようになってからである。Y遺伝子の中で比較的早く分岐したDタイプは早くからアフリカから狩の旅に出る。

そして何故Dタイプが日本列島くんだりまで来たのか。それは獲物が少なくなった事と、後からくる集団との縄張り争いに敗れたため、追われるような形で日本列島にたどりついたのでは無いかと考えられる。

当時は氷河期の為、海は後退し日本列島は陸橋で大陸と繋がっていたが、日本列島で獲物であるナウマン象を撮り尽くした時、地球は温暖化に向かい、陸橋は海となり、Dタイプの人間は日本列島列島に取り残された。

しかし陸の獲物はいなくなったが、幸い海には魚が豊富にいた。Dタイプの人間は狩猟から、漁労採取の生活をするようになる。漁労採取であれば移動する必要は無くなる。海は広い。獲物を巡って縄張り争いをする必要は無くなる。縄文人は定住して生活するようになった。

そして定住したおかげで、生活に必要な道具を時間をかけて作れるようになった。その道具の一つが縄文土器である。縄文人は縄文土器だけでなく漆製品等も作るようになった。現在の処、漆製品は縄文時代の物が世界最古である。

このような手の込んだものが作られたのは、縄文時代に分業化と専門化が進んだからである。現代でも日本は分業化と専門化が進んでいるのが特徴である。例えば、ミシュランのガイドブックでは、東京の料理店の特徴として専門店に細分化されていることを挙げている。

日本では、一人の天才が全てをやるのでは無く、専門毎に数世代数百年かけて技術と伝統の継承性が行われているのである。これも縄文時代に定住した頃からの生活様式が今に伝わっているからと思われる。

又、糸魚川の翡翠や南方の貝の装飾品が三内丸山遺跡で発見されたりしているように、縄文時代では交易が盛んに行われていた。遠くの住人も近隣の住人も獲物を巡って争いをする相手では無くなった。分業化に必要な相手となったのである。

又、縄文時代は、墓に埋葬される副葬品が首長と思われる人と一般人の差があまり無いことから、縄文時代は格差が少ない社会と思われている。世界最古の皇室である京都御所が小さく質素なのも、これと関係しているのかも知れない。そして縄文時代は飼い犬も埋葬する優しい時代でもあった。

Dタイプの縄文人と縄文時代をざっと説明したが、次に日本人男性を構成するO系統を説明する。、日本にいるO系統はO1、O2a、O2b、O3タイプに分類される。O3タイプは漢民族に多いタイプであり、O2a、O2bは支那少数民族、元長江人と思われるタイプである。

O2aO2b共長江人と思われるタイプであるが、大陸にはO2aタイプは多いがO2bが少なく、逆に日本人と朝鮮人にはO2bは多いがO2aが少ない特徴がある。従って同じ長江人でも部族や住んでいた地域などが違う可能性がある。
(注、O2bも朝鮮人がO2b*であるのに対して、日本人のはO2b1と若干タイプが違う)

O2a、O2bタイプが何故長江人の流れを汲むかと言うと、1970年代頃、黄河文明より古い遺跡が長江流域で発見されたからである。その長江文明と名付けられた文明は、他の古代文明が乾燥地帯で麦の栽培を行っていたのと違い、湿潤な地帯で水稲栽培を行っていた。

そして長江文明は黄河文明を築いた牧畜民に滅ばされ、かなりの長江人は四散した。日本や朝鮮にいるO2a、O2bタイプは四散した一部であろうと思われている。

前の記事)、続く

鳥浜貝塚より出土した縄文時代の漆製の櫛
『漆の文化:受け継がれる日本の美』(室瀬和美著、角川選書から)
 

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【2011/12/15 22:35 】 | 文化・歴史 | 有り難いご意見(2) | トラックバック(0)
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有り難いご意見
無題
崗上虜囚 様
御話を聴いていて、ある親方をふと思い出しました。

ふた昔ほど前、親方が涙を流しながら仕事をしていました。
親方とは気が合い、休み時間によく世間話をしてました。親方は五十代で、知識が有りながらもひょうきんな人柄でした。何でも、若い頃はトルコ嬢の紐をしてたとか、「それは羨ましい」と返すと、「とんでもない」と紐の苦労話を始めたりとか。
その親方が泣きながら仕事をしているのです。そっと弟子に訳を尋ねると、朝早く苦労をかけどうした母親の危篤の電報がきたとの事。
訳を知り上司と相談の上、親方に仕事を止めて国に帰るよう説得しましたが、親方は聴きません。自分がいなくなったら全体の仕事が止まると。事実です。
親の死に目より、請け負った仕事の責任を果たすと。困りました、此方も仕事をさせられません。
そこで、工程表を大至急で組み直し上司の許可を取り、親方の仕事を一週間あけました。
親方もやっと納得し夕方の汽車で故郷に向かいました。何遍も頭を下げ、感謝しながら。
そうです、紙の上でなく何十倍も苦労しないと実際の工程は変えられませんから。

こんな日本人の心情も、得か損かの世界に負けてしまうのか?嫌になります。

日本人論?
続きが楽しみです。
【2011/12/16 19:41】| | 酒と泪と #56b710da1b [ 編集 ]


無題
酒と泪と様
親方の話。スポーツ選手など、日本では似たような話を良く聞きますが、隣の国ではありえない話のようです。

坂井三郎の本で、練習生の操縦がおかしいので問い詰める話が出てきます。『貴様何か有ったか』、『何も有りません』。それでも問い詰めると、親が危篤の電報が来ていたのを動揺を見せないように練習機に乗ったが、教官には隠せなかった。

日本人同士でなければ分からない話です。
【2011/12/16 23:04】| | 崗上虜囚 #991510bb42 [ 編集 ]


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