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崗上虜囚の備忘録

日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください

最後の定住民国家日本3

長江文明は長江流域に発展した古代文明のことを言う。その発見は浙江省の莫角山(ばっかくさん)遺跡で東西670m、南北450m、高さ10mに及ぶ基壇跡や大量の玉器が見つかったことから始まった。

その後、長江流域の各地で巨大城壁や世界最古の水田跡も見つかり、長江文明が紀元前14000年ぐらいに始まった黄河文明より古い文明であることが分かった。

長江文明が、世界の4大文明と言われるメソポタミア文明、インダス文明、エジプト文明、黄河文明等と異なるのは、世界の4大文明が何れも湿潤と乾燥の狭間の大河のほとりに位置するのに対し、長江文明は湿潤の照葉樹林帯に位置することである。

従って、作物も世界の4大文明が畑作による麦や大麦に対して、水田による米である。又、長江文明は金属器と文字を持たない。

長江文明は紀元前1000年頃無くなる。長江人は呉越等の漢民族が立てた王朝に組み込まれて行く。長江文明が滅んだのは、黄河流域にすむ牧畜民の執拗な攻撃にされた為と言われる。実際、長江文明の遺跡を見ると、後の年代になるに従って城壁を構えるようになる。

長江文明は武器と無縁な社会であった。それが城壁を構えるようになったのは、外部からの襲撃に備えた為である。それでも金属器持たない長江文明は滅びるしか無かった。

それより、何故長江人が湿潤な照葉樹林帯に住むようになったのであろうか。森林は意外と食性に乏しい。大東亜戦争時、ニューギニアの密林に入った日本兵は、皆栄養失調で倒れている。サゴヤシ等のデンプンが豊富にある植物は有ったが、タンパク質が無いのである。

大河の畔といえ、長江人が森のそばで定住せざる得なかったのは理由がある。

そもそも人類が森を捨て草原に進出したのは、動物性タンパクを得る為であった。ユーラシア大陸を横断し、アメリカ大陸まで分け入ったのは、狩により動物が減った地を捨て、新たな狩の場所を探す為だった。

でも、アメリカ大陸まで行かずとも、又森に定住する迄も無く、ユーラシア大陸には動物が居た。だが、その動物は誰かの持ち物であった。持ち主は遊牧民である。

ユーラシア大陸の草原地帯に初めて入った人類は、バイソンの群れを見たアメリカ人のように『ワーオ』と言ったであろう。始めは仲間と一緒に動物の群れと共に移動し、次は後からきた人間に動物を横取りされないように守った筈である。遊牧民の始まりである。

後からきた人間集団の方が強ければ、囲った動物は奪われたであろう。お互い生きる為である。ユーラシア大陸中央の草原では、のべつ奪い奪われの生存競争が行われていたのである。今は牧歌的な遊牧民であるが、現在の遊牧民は嘗ての草原の覇者の末孫である。草原の歴史は日本人が想像できない程過酷である。

草原で狩を出来なかった者は、止む無く川の畔で採取を行う。長江人もその一人である。漁労採取から栽培へ栽培からの農耕へ。そして長江人は終に水稲栽培を完成した。米はデンプンだけでなく、少量であるが質の良いタンパク質を含む。米だけでなく色々な野菜や果実も栽培した筈である。一昔前であるが、農村と漁村を比較すると、農村の方が栄養状態が良かった。

かくして長江人は、遊牧民より豊かになった。しかし4000年前(紀元前3000年~紀元前2500年)頃、寒冷化が支那大陸を襲う。そして寒冷化により食糧不足になった黄河流域の牧畜民が南下し襲ってきた。この牧畜民こそが現在の漢民族である。

漢民族は黄河上流で遊牧を営んでいたが、黄河中流にいた先住民を追い出し、住み付き畑作牧畜を行うようになっていた。漢民族は元遊牧民、いわば草原の覇者であった。漢民族は既に鉄と馬を使用していた為、長江人はなすすべも無かった筈である。

漢民族による来襲と殺戮。今チベットやウイグルで起きていることは、古代から繰り返し起きていたのである。長江人は水に慣れ親しむ水の民でもある。度重なる襲撃により、船で逃げ出すものも多数いた筈である。

しかし定住民である長江人が逃げ出すのはよほどの事である。彼の財産は水田であり田畑である。遊牧民のように金銀財宝では無い。現代でも残虐な支那人である。当時は目も当てらぬ惨状が起きていたであろう。度重なる襲撃による惨状から、常に農耕具や種籾を船に積んでいた者もいたかも知れない。

脱出先は東シナ海である。東シナ海に出ると海流の関係から、運が良ければ朝鮮半島より九州に漂着する。長江人の日本への漂着は何度もあったと思われる。縄文時代に稲作が行われたのはボートピープルの長江人が持ち込んだ稲によるものと考えられる。

また黄河流域の牧畜民が南下した原因となった寒冷化は縄文人の生活も襲う。縄文晩期、縄文人は激減する。それを救ったのは長江人である。日本列島全体で稲作が盛んになり、人口は増大した。日本列島は豊葦原の瑞穂の国として再生した。

縄文人と長江人。定住民同士。森の民同士。お互い世界最古の土器を作り、最古の漆工芸品を作る。片や硬玉の翡翠のでアクセサリを作り、片や軟玉の翡翠で各種の玉器を作る。縄文人と長江人の出会いを幸せな邂逅と呼ぶ人もいる。

日本にいる長江人と思われるY遺伝子はO2b1。縄文人のY遺伝子はD2。どちらも日本しかいない絶滅危惧種である。

(前の記事)、続く



 
おまけ(天皇の先祖は長江人か?)
長江文明が太陽や鳥を祭ることから、神社の原型は長江にあると言う人もいる。天皇は長江人から出たと言う人もいる。果たしてそうであろうか。

確かに日本の風俗習慣、食べ物着る物、かなりの物が長江文化に由来するものが多い。しかし二つの点から違うと思う。一つは長江文明が祭祀として人間の生贄を使うことである。もう一つは言語である。日本語は色々な語彙を取りれている。しかしベースは縄文語である。

もし長江人が天皇家の先祖なら、神話にも一大イベントであった大陸脱出劇が記載されている筈であるが、それも無い。日本の神話に有るのは、火の神による逸話である。古事記にはやたら火の神が出て来る。

伊邪那美神が無くなったのは、火の神の迦具土神を生んだからである。神武天皇の祖父は彦火火出見尊(火遠理命)である。火遠理命の親邇邇芸命(ニニギの尊)の別名は彦火瓊瓊杵尊とも言われる。邇邇芸命の兄は天火明命である。

それより、なんと言っても伊邪那美神が黄泉の国から蘇ったときの記述である。『頭には大雷居り、胸には火雷居り、腹には黒雷居り、陰には拆雷居り、右手には若雷居り、左手には土雷居り、左足には鳴雷居り、右足には伏雷居り、併せて八雷神成り居り』。

これは火山の噴煙を夜見た人は、火山の噴火の描写だと気が付く筈である。夜の噴煙は稲妻が蜘蛛の巣のように噴煙を覆う。そして霧島火山の規模の大きい噴火で一番新しいのは、約4200年前の縄文時代の噴火である。この時の噴火で、高千穂峰の形成後、御池や御鉢が作られた。高千穂は天孫降臨の地である。

写真家Peter Vancoillieさんの噴火の写真
 

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コメント

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無題

前に朝鮮人、朝鮮半島の歴史を再び、とお願いしたものです。

そうでした、朝鮮の歴史はシナの歴史の余波で成ったもので今回の「最後の定住国家日本3」と次の4、5、、、がなければ歴史を殆ど知らない私には訳が判りませんね。

今回は、忘れずコピーして残します。誠に有難うございます。

無題

つくる人々と奪う人々。

世界規模で今でも進行中のような気が・・・。

無題

崗上虜囚 様
こんにちは。

長江人は、日本人の主流に成らなかった?そんな感じがします。DNA的には、どうか解りませんが。

今の日本人の御先祖様は、農民と其処から誕生した武装農民=武士が主流ですよね。人口のパーセント的に。

武士は『一所懸命』が基本です。

勝ち目がないと逃げるより、闘って田地田畑や家を守る。敗亡し落人になる事があっても、ほとんどは逃げずに死にます。
それは農民も同じで、先祖伝来の土地から離れないでしょう。

武士の興りは、自分で耕し荒れ地を美田にしたにもかかわらず、理不尽にも取り上げる貴族たち権力者に立ち向かう武装農民です。あとから、地方に下ってきた平氏や源氏などが武装農民を自分の武門に繰り入れました。
つまり、土地を守るのに積極的に闘った農民が武士となり、太閤秀吉の刀狩りまでは武士と農民に身分的な違いは殆どなかったですよね。

つまり長江人からは、死んでも土地を手放さない武士(農民)が想像できません。
やはり縄文人が主流のままだったのでしょうか?

続きが楽しみです。

無題

人間を幸せにする原動力はいかに価値あるものを創り出す社会を造りだせるか、にあると思えます。

今の中韓さんの主題はアメリカのユダヤ資本の陰謀からいかにこの国を守るか、みたいなことのように読めます。
しかし、ユダヤ資本というのは金はあるがただそれだけのことですね。
結局、価値を創り出せるものが多いほど幸せな社会ができるし、そこが世界の中心になるということなんではと思えます。

日本と言う国の古代は世界的には知られていないのでしょうが、縄文時代のファッションや漆塗りの櫛や、華麗な煮炊き可能な土器など・・・非常に文化水準は高かったのではと思います。
ペットを埋葬するなんてことは、ほとんど現代と変わらない次元の文化水準ではと思えます。

朝鮮人が生きたままの犬を沸騰した鍋に投げ入れる動画がありますが、彼らはもう原始人レベル(原始人を引き合いにするのも気が引ける・・)ですね。縄文人の足元にも及ばない。


私たち日本人が守らねばならないのは価値創造文化の伝統であり、いかに特アの策謀を受けたとしてもそこだけは崩してはならない聖域ですね。
文化を創り出す地力が健全ならばこの国の未来は明るいと思います。

Re:無題

なんかコメント欄に書くと、拒否されるのでこちらに書きます。ブログ主なのに。

* 様

私なんかより、朝鮮史にずっと詳しい人は一杯います。4、5、なんか期待しないほうが良いと思います。下のページ等を参考に見て下さい。

三国志魏書 東夷伝
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/gisi-toi.html
百済概史
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kudaragaisi/bakan-kudara-tsusi-mokuji.htm

篠の目 様
>つくる人々と奪う人々。
>世界規模で今でも進行中のような気が・・・。

そうです。このシリーズで言いたかったのも、その事です。
もう分かっていらっしゃるようなので、次を書く必要がなさそうです(笑)。


酒と泪と様

ウィキペディアの日本人のY染色体による系統分析で見ると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA

東京では、縄文系と思われるD2が45%、長江系と思われるO2bが26%、漢民族系と思われるO3が14%程度の人口比になります。

一方朝鮮では、縄文系のD2は0%、長江系と思われるO2bが38%、漢民族系と思われる40%で、東京では0%のC3は12%いますが、これはモンゴルに支配された影響か、高句麗人の影響かと思います。

日本人の中にも朝鮮人の中にも長江人はそれなりに居ます。で、日本に来た長江人と、朝鮮に来た長江人は何で違うのか?。それは支那・朝鮮文化でまともな長江人は淘汰されたのでしょう。次は日本人の番です。

現在の支那人と長江人は違います。長江人の流れを組むと言われるミャオ族は、結構戦闘的な民族です。又長江人とは違いますが、台湾の高砂族は日本兵以上に勇敢だったと聞きます。支那人・朝鮮人は残虐ですが、戦争となるとからっきしです。ようするに欲得づくで動く人間は、何をやらしても駄目だということです。

杜若 様

このシリーズの結論を言ってしまいます。
支那人も朝鮮人もユダヤ人もアメリカ人も変節したのです。過酷の運命で翻弄され。
私は、日本人が一番原始人に近いと思うようになりました。死者に花を手向けたネアンデルタール人のように滅ぼされないようにしたいものです。

  • 崗上虜囚
  • 2011/12/18(Sun.)

無題

崗上虜囚さん

コメント欄のメモ帳のアイコンを見ておもわず笑ってしまいました。

コホン・・・失礼。

でもブログ主なのにコメントできないとは、、、^^、、失礼しました。

無題

>もう分かっていらっしゃるようなので、次を書く必要がなさそうです(笑)。

またまた、そんなことを(^_^;)

しかし、私自身一応表現する主体という体裁を得ましたから、「表現の動機は何か」を考えざるを得ません。

わざわざ書くからには喜びよりは、警告、怒りの表明にならざるを得ませんね。

一見「負のネルギー」ですが、「浄められたもの」になる可能性も大です。本来が自民族、近親者への愛情から発していますから。

種族の本能的な「警告」ならば、そして、いつまでも気付かぬヤカラが要る以上、何度発してもよいと思うのです。

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