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崗上虜囚の備忘録

日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください

東大=日本解体の拠点

2012/01/15のエントリー『東大=馬鹿の生産拠点』の中の「東大大学院は全て授業が英語だそうである」の箇所は間違いでした。正しくは「英語コース」が開設されるとの事ようです。でも目的は留学生の為です。

然しながら記事に間違いが有ったとしても、やはり批判の言葉しか思い浮かばない。強いて言えば『『東大=日本解体の拠点』。

例えば、東大大学院情報理工学系研究科の「情報分野における教育の国際化」をテーマにした講演とパネルディスカッションを紹介したページでは、『カーネギーメロン大学のブライアント先生は、「米国では50%か、それ以上が留学生だが、情報理工の留学生30%は、悪い数字ではない」と評価し、それよりも多くなると、日本の教育機関としての役割が薄れると指摘している』記事を載せている。

処が、現在東大大学院生の7割が外国人である。ブライアント氏が言った日本の教育機関としての役割が薄れるとした3割を遥かに超える。それでも東大は、さらに留学生を受け入れたいようである。

そして今度は大学も秋入学である。国際的な大学間競争に対応する為と言うが、ホテルの客引き競争でも有るまいに、何故大学間競争に参加する必要が有るのだろうか。前にも述べたように、東京大学は国民の税金で賄われている大学ではないか、留学生が増えれば増える程国民の負担が増えるだけではないか。

日本人が得になる事は何処にあるのか。何も無い。東大に入学する日本人は、高校卒業後6ヶ月間遊んでいなければならないのだ。何故日本人の利便を無視してまで留学生を入れなければならないのか。

東大大学院でも日本人学生が大学院に行かないのは、学ぶべきものが無いからではないのか。例えば、某国立大学では支那人の軍人を留学させても、自衛官は研修生として入学させないようである。それは東大ではないのか。

このようなダブルスタンダードを疑問に思わない教授連中が、まともな研究が出来ると思えない。まともな教育が出来るとも思えない。日本人学生が大学院に進まないのは、名声に引かれ東大に入ったが、教授連中の頭の程度が分かったからではないのか。

大学では研究費の配分がしばしば問題になる。東大でも立派な成果を上げている研究室も有る。本来はそのような処に重点的に研究費を振り分けるべきであるが、結果は平均化されて分配される。今度は留学生で水増しされた研究室のおかげで、もっと酷くなるだろう。

此の度の東大の秋入学や、留学生受け入れを後押している団体には、TPP推進や尖閣諸島が日本の領土でないような発言をした会長米倉弘昌が率いる経団連が有る。東大の秋入学は、大学教育の国際化と言う名の、日本解体の布石の一つだろう。

東大は仕分けすべきである。日本人学生の少ない科からまず仕分け。



西郷隆盛、大久保利通、山本権兵衛、大山巌、東郷平八郎、黒木為禎。
この人達は、東大なんか行っていなかったですよね。しかも鹿児島の一つの町の出身者。中には世界的に有名な人もいます。この人達と比較して見て下さい。何が違うのか。教育は重要ですよね。

 
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東大=馬鹿の生産拠点

2012/01/13の産経のコラム欄に拓殖大学総長の渡辺利夫氏が書いた『「忘れられた日本人」の再発見』の記事があった。

渡辺利夫氏はこのコラムの中で、『東日本大震災で被災者は共同体を再確認し、自衛隊、警察、消防、海保の隊員や医療従事者の自己犠牲を厭わなぬ行動に国家を再発見したのではないだろうか。それに対して、日本の執権政党の国家にたいする「反感情」は何なのか』と国民が国家を意識し始めたのに、国家中枢にいて国家を背負わなければならない執権政党が、国家を否定する考えを持って行動することに疑問を呈している。

又その具体例として、現政権が専業主婦を否定し家庭の解体が目的と思われる「男女共同参画基本計画」や「選択的夫婦別姓制」、まともな国家観があれば出て来る筈がない「人権侵害救済法」や「定住外国人参政権付与法」の実現を目指していることを上げている。

まずは愛国者渡辺利夫氏ミッケであるが、大災害に遭遇せずとも、何処の国でも国民も政権も国家を意識するのは当たり前の事である。国民も政治家も国家観を持つ。その当たり前の考えを持っていないのが、日本の民主党現政権なのである。

だが、この当たり前の考えを持っていないのは、民主党の政治家だけでは無さそうである。政治家だけでは無い。TVによく出てくる有識者や学者等で国家観を持つと思われる人間はあまり見かけない。否、むしろ国家に対する反感を持つ人間の方を良く見かける。又、この国家観が無い人間は高学歴の人間程多いように見受けられる。

その一例が、これで↓ある。
東京大学はこの秋から大学院を秋入学にした。日本の大学は大学は春卒業なので日本人学生は、春卒業しても秋まで待たなければならない。学資を払う親も余計な失費を迫れるし、学生にとっても授業が長期中断される事と同じであり、宜しい事ではない。

それなのに何故東京大学が大学院だけ秋入学にしたかと言えば、理由は海外の大学は秋卒業なので、春入学だと海外から留学生を呼び込むには不利になるからだそうである。又、海外から留学生を呼ぶ目的については、海外の優秀な学生を呼び込むことで、大学のレベルを上げたいそうである。

東京大学は国立の大学であり、運営は全額国民の税金で賄われている。そもそも、国に文部科学省と言う国民の教育の為の省庁があり、予算規模も国防予算より大きいのは、国民の教育が国家にとって如何に重要であるかを示していものである。

東京大学の存在する目的は、日本国民を教育することが目的ではないか。私営の大学が、運営資金を稼ぐために海外の裕福な留学生を呼び込むならまだ分かる。それを大学の価値を高めたい理由で、日本国民の教育をないがしろにしするのは、国民に対する背信行為では無いか。

恐らく東京大学は、海外から来た優秀な学生に論文を書かせることで大学の評価を高め、その評価からより多くの予算の獲得を狙っていると思われる。それでなくても日本は留学生に対しては寛大すぎる程の予算を計上しているのだ。如何に東京大学のレベルが上がろうと、国民に取っては外国人の為に余計な負担が増えるだけで、なんらメリットは無い。

第一優秀な留学生を招くことで大学の評価が上がったとしても、それは東京大学の教育の成果では無い。その優秀な留学生が他の大学に移れば、他の大学でも同じ成果を上げる筈である。東京大学がやらんとしていることは教育では無い。只の儲け主義、それも国民からの税金を、国家から如何にふんだくろうと画策する只の儲け主義である。

東京大学の方針から感じられるのは、東京大学を運営する人間の国家観の無さである。恐らく彼等は国等無いほうが良いと思っているのだろう。学者であるなら、国家に対して反感の思想を持つのも良いだろう。それなら国家が無くなった後はどうするかのビジョンを示すべきである。学者なら尚更である。

彼等から、そんなビジョンは見たことは無い。聞かれるのは国際化とか、世界に取り残されるとか、流行に浮かれた言葉だけである。しょせん彼等はレールの上で走る事しか出来ない部類の人間である。科挙制度の価値観の上で踊らされ、自分が優秀と勘違いしている馬鹿者である。

東大大学院は全て授業が英語だそうである。まるで李氏朝鮮の科挙試験に受かった両班が漢文のみで行政を行っていた事の再来ではないか。それは李氏朝鮮の文化が立ち遅れたの理由の一つではないか。秋季入学式には濱田純一総長が嬉々として英語で挨拶している。馬鹿。

東京大学のレベルは、上海大学より下だと言われている。それは、濱田純一総長のように、世界の未来ビジョンはおろか、国家の事さえ考えられない人間がトップにいるような大学なら当然である。教授レベルも同様であろう。日本の政治家のレベルが低いのも分かった。馬鹿教授が馬鹿者を量産しているのだ。

東京大学のレベルを上げるには、海外から優秀な教授達を招き、総長以下教授連を入れ替えることは必要であっても、優秀な留学生を招くことでは無い。

最低でも、東京大学法学部は仕分けしたほうが良いだろう。

東京大学の成果物。ルーピ鳩山。おから頭。以下。
   
    

最後の定住民国家日本4

長江人は朝鮮半島にも逃げてきた。朝鮮人の中に40%近く存在するO2bのY遺伝子がそれを示す。南朝鮮に土着していたと言われる馬韓人がそれに当たると思われる。

朝鮮半島の北部では、殷に出自を持つ箕子が建国し、起源前194年まで900余年国を治めたとなっている。この箕子朝鮮についてはあまり詳しいことは分からない。箕子朝鮮は箕氏41世の箕順のとき、元遼東からの難民であった燕人の衛満に襲撃され箕子朝鮮は滅びた。そして、その地は衛氏朝鮮と呼ばれるようになった。衛満に敗れた箕順は、残党を連れて馬韓を攻めて、これを撃ち破り、韓王となったとある。

その後、朝鮮半島南部は馬韓、辰韓、弁韓の三韓時代と呼ばれる時代に入る。この内、辰韓は労役から逃亡してきた秦人とされており、馬韓は東の地を割いて彼らに与えた。その辰韓がその後新羅となり、朝鮮半島を統一する。おそらく辰韓人は漢民族と同系統の遊牧民なのだろう

馬韓も百済となるが、百済は支配層が満州にいた扶余族であったとされる。またしても馬韓人は異民族に支配されることになる。扶余人は遊牧民なので、高度な文化を支える技術は持っていない。百済は文化が高かったと言われるは、支配層の扶余人のマネジメントが良かったのだろう。

百済の文化水準が高かったのは、馬韓人が物作りに精通していた長江人だったからである。長江人は農耕技術者であり優れた工芸家でもある。その百済も新羅となった辰韓に攻められ滅びる。

長江人は日本と朝鮮に同時期流入した。日本には長江文化の流れを汲むと思われる文化が多数存在する。しかし朝鮮には殆ど残っていない。そしてその後の日本と朝鮮の文化は圧倒的な差が生まれる。朝鮮人は百済に高度の文化があったことを自慢するが、それは長江人が支えていたからである。

朝鮮半島を統一した新羅だが、すぐ貧乏国になる。そのためか、新羅は度々日本に侵略する。さらに新羅の次の李氏朝鮮となると最貧国である。理由は、支配階級がなんら生産技術も、それに対する理解も持ち合わせず、只人の上に立ちたがり、人から収奪する事しか考えない人間だったからである。

支配階級は労働せずは、支那・朝鮮の文化である。労働せずとは聞こえが良いが、実際は、支配階級の出自が強盗家業が本業になった遊牧民だった為、労働する能力も技術もなかったと言うのが本当の処である。

日本と朝鮮に逃げられなかった長江人の中には山岳地帯に逃げ込んだ者もいる。現在の支那少数民族である。また大陸に留まった長江人は漢人の支配化に置かれることになる。

例えば、周王朝の太伯と虞仲が立てた呉は、領民が長江人だったとようである。理由は、周王朝を相続させるために太伯と虞仲を呼び戻そうとした処、その地の風俗であった刺青を全身に施して、それを拒否した逸話があるからである。刺青は長江人の風俗である。又弥生時代の倭人の風俗でもある。

太伯と虞仲のような人間が、代々国を治めれば、支那にもヨーロッパや日本のように、封建領主と領民の関係が生まれ、近代への礎になった筈であるが、支那は中央政権の道を歩む。そして支那には封建時代は訪れなかった。

それは、堅実な企業経営や従業員の待遇改善などに興味が無く、ひたすら企業規模の拡大のみに血道をあげる現代の経営者の姿に似ている。それは遊牧民が、遊牧で生きていくでもなく、定住民から学ぶでもなく、定住民から収奪して生きていく道を選んだ時から決まっていたことである。

その後、長江人はどうなったかは分からない。只、長江文明が滅んで2000年程たった頃、アメリカ領事が目撃した話 『 豚と支那人を満載したサンパンが岸近くで波に呑まれ転覆し、豚も人間も川に投げ出された。岸で見ていた人間は直ちに現場に漕ぎ出し、われ先に豚を引き上げた。船に泳ぎ着いた人間は、頭をかち割って殺し、天の恵み、とばかり新鮮な豚肉を手にして、意気揚々と引き上げ、あとは何事もなかったかのようにいつもの暮らしが続いた 』 というのが支那大陸の普通の光景であったことで想像できる。

それは普通の長江人は淘汰され、支那大陸に適合された長江人のみが生き抜くことが出来たのだろうとの推測である。想像出来ない人は、『暗黒大陸中国の真実:ラルフ・タウンゼント著、芙蓉書房出版』を読むべきであろう。大人しい人、正直な人、優しい人、奥ゆかしい人は、支那では生きていけないのだ。

O2*のY遺伝子を持つ長江人の子孫は今も支那にいるであろう。しかし支那にいるのは、日本人となった長江人とは全然性質が異なり、遺伝子以外支那人とな変りがなくなっている筈である。縄文人と長江人の出会いを、幸せな邂逅と言うのはその事も指す。

強盗家業が本業になった遊牧民は、漢民族だけでは無い。今世界を金融で支配しているユダヤ人=ハザール人も遊牧民である。

聖書が祝福する十二支族ではないので、第十三支族と呼ばれるハザール系ユダヤ人は、昔はフン族の配下になったこともある怖面の遊牧民であった。それは当時のイスラム教徒から見ても不潔な野蛮人であった。

ハザール人が半分強盗をやりながらハザール帝国を維持していたとしても、それを責める気にはならない。ユーラシア大陸で平和を愛する民が立てた国などあれば、一晩でその国は侵略され、国民は奴隷になるか虐殺されるしか道は無いからである。

剛勇でならしたハザール人であったが、やはり野蛮人のルス人に国を破壊され、バイキングにも侵され、帝国を維持出来なくなった。留めを刺したのはモンゴル帝国である。それでも国が東西南北の要衝に位置した為、ハザール人は商売を覚える。帝国の崩壊前から国民は、ヨーロッパにちりじりに散りながら、ハザール人は商売や金融で身を立てる。恐らく遊牧民特有のネットワークも壊さなかったのだろう。

流浪の民である遊牧民は、物作りより商売が上手である。支那人も同じである。商売が上手と言えば、インド人(アーリア系)も元遊牧民である。最近インダス文明を作ったのはインド人(アーリア系)だったと言う説が出ているが、プロパガンダであろう。カースト制を作ったのも、遊牧民ならではである。インダス文明を作ったのは、カースト制最下位のドラビダ族であろう。

インド人が大人しくなったのは、宗教である。蒙古人がラマ教を信じるようになってから大人しくなったのと同じである。しかし支那人は宗教を信じていない。十三支族が有名になった今日、ハザール人がユヤダ教を信じているのは疑わしい。その二つの民族が世界を二分しようとしている。

又、ドイツは日本と同じく物作りが得意であるが、ドイツ・アーリア人も東ヨーロッパから侵略し、定住民を奴隷にして居座った遊牧民である。中世の農奴と言うことばがそれを表す。しかしドイツは封建時代を経て、領主が領民の気持ちを分かるようになる。そして実際に手を汚し、現場作業を尊ぶ精神が戻った。これがドイツが物作りを得意になった所以である。近代は封建時代があったからと言われるはこの事である。

こうして見ると遊牧に侵略されず、又他民族から収奪されなかったり、他民族から奴隷にされなかったのは日本民族だけである。又、他民族にも、そうしなかった。でもそうなる危機は幾度とあった。日本列島は縄文人時代、首長がいない国のようであったが、それでは遊牧民のような民族に支配される恐れがあった。それを救ったのは古代天皇である。

日本民族は幸せな民族である。過酷な境遇にされされた事は無い。その為に悪い心に侵されなかった。津波にさらわれた金庫の金23億円に世界は驚いたが、処が日本人は驚かなかった。実は原人類は日本民族のような人間だったのではないだろうか、世界の人間の方が変質したのではないだろうか。

途中をかなり端折ったので意味が判らなくなったが、『日本人が変質すると人類は指標が無くなりますよ』と『古代天皇が守ったように国を守らないと、日本人が変質しますよ』と言いたかった。

取り留めが無くてスミマセン。
終わり。

 

  

最後の定住民国家日本3

長江文明は長江流域に発展した古代文明のことを言う。その発見は浙江省の莫角山(ばっかくさん)遺跡で東西670m、南北450m、高さ10mに及ぶ基壇跡や大量の玉器が見つかったことから始まった。

その後、長江流域の各地で巨大城壁や世界最古の水田跡も見つかり、長江文明が紀元前14000年ぐらいに始まった黄河文明より古い文明であることが分かった。

長江文明が、世界の4大文明と言われるメソポタミア文明、インダス文明、エジプト文明、黄河文明等と異なるのは、世界の4大文明が何れも湿潤と乾燥の狭間の大河のほとりに位置するのに対し、長江文明は湿潤の照葉樹林帯に位置することである。

従って、作物も世界の4大文明が畑作による麦や大麦に対して、水田による米である。又、長江文明は金属器と文字を持たない。

長江文明は紀元前1000年頃無くなる。長江人は呉越等の漢民族が立てた王朝に組み込まれて行く。長江文明が滅んだのは、黄河流域にすむ牧畜民の執拗な攻撃にされた為と言われる。実際、長江文明の遺跡を見ると、後の年代になるに従って城壁を構えるようになる。

長江文明は武器と無縁な社会であった。それが城壁を構えるようになったのは、外部からの襲撃に備えた為である。それでも金属器持たない長江文明は滅びるしか無かった。

それより、何故長江人が湿潤な照葉樹林帯に住むようになったのであろうか。森林は意外と食性に乏しい。大東亜戦争時、ニューギニアの密林に入った日本兵は、皆栄養失調で倒れている。サゴヤシ等のデンプンが豊富にある植物は有ったが、タンパク質が無いのである。

大河の畔といえ、長江人が森のそばで定住せざる得なかったのは理由がある。

そもそも人類が森を捨て草原に進出したのは、動物性タンパクを得る為であった。ユーラシア大陸を横断し、アメリカ大陸まで分け入ったのは、狩により動物が減った地を捨て、新たな狩の場所を探す為だった。

でも、アメリカ大陸まで行かずとも、又森に定住する迄も無く、ユーラシア大陸には動物が居た。だが、その動物は誰かの持ち物であった。持ち主は遊牧民である。

ユーラシア大陸の草原地帯に初めて入った人類は、バイソンの群れを見たアメリカ人のように『ワーオ』と言ったであろう。始めは仲間と一緒に動物の群れと共に移動し、次は後からきた人間に動物を横取りされないように守った筈である。遊牧民の始まりである。

後からきた人間集団の方が強ければ、囲った動物は奪われたであろう。お互い生きる為である。ユーラシア大陸中央の草原では、のべつ奪い奪われの生存競争が行われていたのである。今は牧歌的な遊牧民であるが、現在の遊牧民は嘗ての草原の覇者の末孫である。草原の歴史は日本人が想像できない程過酷である。

草原で狩を出来なかった者は、止む無く川の畔で採取を行う。長江人もその一人である。漁労採取から栽培へ栽培からの農耕へ。そして長江人は終に水稲栽培を完成した。米はデンプンだけでなく、少量であるが質の良いタンパク質を含む。米だけでなく色々な野菜や果実も栽培した筈である。一昔前であるが、農村と漁村を比較すると、農村の方が栄養状態が良かった。

かくして長江人は、遊牧民より豊かになった。しかし4000年前(紀元前3000年~紀元前2500年)頃、寒冷化が支那大陸を襲う。そして寒冷化により食糧不足になった黄河流域の牧畜民が南下し襲ってきた。この牧畜民こそが現在の漢民族である。

漢民族は黄河上流で遊牧を営んでいたが、黄河中流にいた先住民を追い出し、住み付き畑作牧畜を行うようになっていた。漢民族は元遊牧民、いわば草原の覇者であった。漢民族は既に鉄と馬を使用していた為、長江人はなすすべも無かった筈である。

漢民族による来襲と殺戮。今チベットやウイグルで起きていることは、古代から繰り返し起きていたのである。長江人は水に慣れ親しむ水の民でもある。度重なる襲撃により、船で逃げ出すものも多数いた筈である。

しかし定住民である長江人が逃げ出すのはよほどの事である。彼の財産は水田であり田畑である。遊牧民のように金銀財宝では無い。現代でも残虐な支那人である。当時は目も当てらぬ惨状が起きていたであろう。度重なる襲撃による惨状から、常に農耕具や種籾を船に積んでいた者もいたかも知れない。

脱出先は東シナ海である。東シナ海に出ると海流の関係から、運が良ければ朝鮮半島より九州に漂着する。長江人の日本への漂着は何度もあったと思われる。縄文時代に稲作が行われたのはボートピープルの長江人が持ち込んだ稲によるものと考えられる。

また黄河流域の牧畜民が南下した原因となった寒冷化は縄文人の生活も襲う。縄文晩期、縄文人は激減する。それを救ったのは長江人である。日本列島全体で稲作が盛んになり、人口は増大した。日本列島は豊葦原の瑞穂の国として再生した。

縄文人と長江人。定住民同士。森の民同士。お互い世界最古の土器を作り、最古の漆工芸品を作る。片や硬玉の翡翠のでアクセサリを作り、片や軟玉の翡翠で各種の玉器を作る。縄文人と長江人の出会いを幸せな邂逅と呼ぶ人もいる。

日本にいる長江人と思われるY遺伝子はO2b1。縄文人のY遺伝子はD2。どちらも日本しかいない絶滅危惧種である。

(前の記事)、続く



 
おまけ(天皇の先祖は長江人か?)
長江文明が太陽や鳥を祭ることから、神社の原型は長江にあると言う人もいる。天皇は長江人から出たと言う人もいる。果たしてそうであろうか。

確かに日本の風俗習慣、食べ物着る物、かなりの物が長江文化に由来するものが多い。しかし二つの点から違うと思う。一つは長江文明が祭祀として人間の生贄を使うことである。もう一つは言語である。日本語は色々な語彙を取りれている。しかしベースは縄文語である。

もし長江人が天皇家の先祖なら、神話にも一大イベントであった大陸脱出劇が記載されている筈であるが、それも無い。日本の神話に有るのは、火の神による逸話である。古事記にはやたら火の神が出て来る。

伊邪那美神が無くなったのは、火の神の迦具土神を生んだからである。神武天皇の祖父は彦火火出見尊(火遠理命)である。火遠理命の親邇邇芸命(ニニギの尊)の別名は彦火瓊瓊杵尊とも言われる。邇邇芸命の兄は天火明命である。

それより、なんと言っても伊邪那美神が黄泉の国から蘇ったときの記述である。『頭には大雷居り、胸には火雷居り、腹には黒雷居り、陰には拆雷居り、右手には若雷居り、左手には土雷居り、左足には鳴雷居り、右足には伏雷居り、併せて八雷神成り居り』。

これは火山の噴煙を夜見た人は、火山の噴火の描写だと気が付く筈である。夜の噴煙は稲妻が蜘蛛の巣のように噴煙を覆う。そして霧島火山の規模の大きい噴火で一番新しいのは、約4200年前の縄文時代の噴火である。この時の噴火で、高千穂峰の形成後、御池や御鉢が作られた。高千穂は天孫降臨の地である。

写真家Peter Vancoillieさんの噴火の写真
 

最後の定住民国家日本2

日本の価値観や日本の特徴は毎年失われているが、それでも世界有数な先進国でありながら犯罪率が少ないとか、古い伝統文化も維持しているとか、まだ多くの特徴を備えている。

『最後の定住民国家日本』を書こうと思ったのは、日本が何故そのような特徴を持つ国になったかである。

このシリーズを書いているときに、チャンネル桜の討論番組 『【討論!】大東亜戦争開戦70周年記念大討論[桜H23/12/10](18:06頃から)』 の中で、陸上自衛隊特殊作戦郡初代郡長の荒谷卓氏によるグローバリゼーションに関する興味深い話があった。

内容は、『ヨーロッパで武道を教えているが、教わるヨーロッパ人の関心は武道のテクニカルの事ではなく、武士道の精神、神道的な文化である。それは、大震災で我が身を犠牲にする日本人の姿が紹介された事にもよる。現在(ヨーロッパでは)多くの市民レベルでは、利己主義や個人主義については反対意思を表明している。日本社会には理論だって説明されていないが、グローバリゼーションが誘導している個人主義とは違う、利他的社会的理念、即ち反グローバリゼーションが実存している。従って、日本は世界に牽引力となる文化を有する少数な存在ではないか。』である。

世界は、個人主義やグローバリゼーションに疑問を感じている。世界は日本にはそれと違う何かが有ると気付き始めた。それなのに日本人自身が日本を壊し始めている。グローバリゼーションに信奉した日本人は、日本の潜在能力を理解出来ない。又、甚だしきは、先のエントリーで挙げた神戸市役所職員のように、朝鮮人の嘘に洗脳され日本を憎んでいる者がいる。彼等も日本の可能性が理解できない。

理解するには日本人の生い立ちや生き方、それと対比した世界の人の生い立ちと考え方を知る必要がある。

最後の定住民国家日本・縄文文化
現代の日本人は、古くから日本列島に住みついた縄文人と、その後大陸・半島から流入した渡来人で構成される説が一般的である。男性のY遺伝子から見ると、日本人は、Cタイプ、Dタイプ、Oタイプの遺伝子を持つ男性から構成されている。

CタイプとOタイプの遺伝子は、アジア大陸に多く見られるタイプであるが、Dタイプについては、世界的に見て日本人以外にチベット人、アンダマン諸島にいる黒人、支那の少数民族であるイ族と、少数しかいない。その為に、Dタイプの男性が多いのが日本民族の特徴であるとされている。但し、日本人のDタイプはD2タイプであり、チベット人のD1、D2タイプと若干違う。

そして、このDタイプは縄文人のY遺伝子のタイプと言われている。支那文化圏や東アジア文化圏に属するといわれながら、日本は他のアジア諸国と何かが違う。日本が他のアジア諸国と違う何かが有るとするなら、日本人が縄文人の性格や縄文文化の影響を受け継いでいる為である、と言うのも可能性の一つである。

人類の故郷はアフリカである。人類が密林や林から、草原に出たのは狩ができるようになってからである。Y遺伝子の中で比較的早く分岐したDタイプは早くからアフリカから狩の旅に出る。

そして何故Dタイプが日本列島くんだりまで来たのか。それは獲物が少なくなった事と、後からくる集団との縄張り争いに敗れたため、追われるような形で日本列島にたどりついたのでは無いかと考えられる。

当時は氷河期の為、海は後退し日本列島は陸橋で大陸と繋がっていたが、日本列島で獲物であるナウマン象を撮り尽くした時、地球は温暖化に向かい、陸橋は海となり、Dタイプの人間は日本列島列島に取り残された。

しかし陸の獲物はいなくなったが、幸い海には魚が豊富にいた。Dタイプの人間は狩猟から、漁労採取の生活をするようになる。漁労採取であれば移動する必要は無くなる。海は広い。獲物を巡って縄張り争いをする必要は無くなる。縄文人は定住して生活するようになった。

そして定住したおかげで、生活に必要な道具を時間をかけて作れるようになった。その道具の一つが縄文土器である。縄文人は縄文土器だけでなく漆製品等も作るようになった。現在の処、漆製品は縄文時代の物が世界最古である。

このような手の込んだものが作られたのは、縄文時代に分業化と専門化が進んだからである。現代でも日本は分業化と専門化が進んでいるのが特徴である。例えば、ミシュランのガイドブックでは、東京の料理店の特徴として専門店に細分化されていることを挙げている。

日本では、一人の天才が全てをやるのでは無く、専門毎に数世代数百年かけて技術と伝統の継承性が行われているのである。これも縄文時代に定住した頃からの生活様式が今に伝わっているからと思われる。

又、糸魚川の翡翠や南方の貝の装飾品が三内丸山遺跡で発見されたりしているように、縄文時代では交易が盛んに行われていた。遠くの住人も近隣の住人も獲物を巡って争いをする相手では無くなった。分業化に必要な相手となったのである。

又、縄文時代は、墓に埋葬される副葬品が首長と思われる人と一般人の差があまり無いことから、縄文時代は格差が少ない社会と思われている。世界最古の皇室である京都御所が小さく質素なのも、これと関係しているのかも知れない。そして縄文時代は飼い犬も埋葬する優しい時代でもあった。

Dタイプの縄文人と縄文時代をざっと説明したが、次に日本人男性を構成するO系統を説明する。、日本にいるO系統はO1、O2a、O2b、O3タイプに分類される。O3タイプは漢民族に多いタイプであり、O2a、O2bは支那少数民族、元長江人と思われるタイプである。

O2aO2b共長江人と思われるタイプであるが、大陸にはO2aタイプは多いがO2bが少なく、逆に日本人と朝鮮人にはO2bは多いがO2aが少ない特徴がある。従って同じ長江人でも部族や住んでいた地域などが違う可能性がある。
(注、O2bも朝鮮人がO2b*であるのに対して、日本人のはO2b1と若干タイプが違う)

O2a、O2bタイプが何故長江人の流れを汲むかと言うと、1970年代頃、黄河文明より古い遺跡が長江流域で発見されたからである。その長江文明と名付けられた文明は、他の古代文明が乾燥地帯で麦の栽培を行っていたのと違い、湿潤な地帯で水稲栽培を行っていた。

そして長江文明は黄河文明を築いた牧畜民に滅ばされ、かなりの長江人は四散した。日本や朝鮮にいるO2a、O2bタイプは四散した一部であろうと思われている。

前の記事)、続く

鳥浜貝塚より出土した縄文時代の漆製の櫛
『漆の文化:受け継がれる日本の美』(室瀬和美著、角川選書から)
 

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