http://kojoryoshu83.edoblog.net/%E6%96%87%E5%8C%96%E3%83%BB%E6%AD%B4%E5%8F%B2/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%8A%9B%EF%BC%91日本のデザイン力1
現在の日本崩壊の危機は、反日国家や少数の反日外国人のせいではない。問題は日本人自身である。大多数の日本人は、日本の素晴らしさが分かっておらず、人によっては日本等無くても良いと思っている。もし日本が無くなることがあれば、勿体無い話であり世界にとっても損失である。
本当の日本はあらゆる分野で可能性を秘めた国である。
【日本人のデザイン力】
最近は外国人の日本のアニメファンが多くなり、一昔前と比べて日本人は想像力が無いとか真似ばかりの声は少なくなったが、それでも未だ日本人の間ではその神話は生き続けている。特に工業製品に対してそうである。
はたしてそうなのか。日本は西欧諸国に比べ後発である。その分、西欧から教師を招請し技術を学び、西欧諸国の製品をお手本としたことは事実である。だが技術が対等になるや、すぐさまオリジナリティを発揮した例が多々ある。
それは国家の存亡を賭けた軍事技術だったのはやむ得ない。まず艦船はイギリスを手本にして設計製造が行われたが大正年代では同等の物が設計出来るようになった。そして1923年には、ジェーン海軍年鑑に特記項目付きで掲載された軽巡洋艦夕張が誕生する。
設計者は平賀譲である。夕張は予算節約の為、従来5500トンであった軽巡洋艦を同等の武装でどこまで小型化出来るかの思想から生まれた。極限を追求して出来上がった船体は今までの軽巡のイメージを一変させることになる。日本タイプの誕生である。そしてこの艦以降、日本の艦船は独特な姿となる。
その後、平賀譲は8,000トン級巡洋艦古鷹を設計して又世界を驚かせる。下の写真は彼が3番目に設計した1万トン級重巡洋艦妙高である。上の写真は妙高と同時期に作られたイギリスの1万トン級重巡洋艦ケントである。
よく見て頂きたい。どちらが美しいと感じるであろうか。それは妙高であろう。それは日本刀のような曲線と鋭さがある。妙高はケントに比べ低重心。妙高の主砲は20cm砲10門、砲塔は5基。ケントは8門、砲塔は4基である。船体の長さは妙高の方がケントより長い。それでいて先頭の砲塔から最後尾の砲塔間の長さは妙高の方が短い。
1937年、キング・ジョージ6世戴冠記念観艦式に派遣された妙高と同型艦足柄を見たイギリス人は「飢えた狼」と称した。
軍艦のデザインは、車のデザインがデザインの為のデザインであるのに対し、機能優先である。つまり感じる美は機能美である。従って重巡洋艦妙高に感じるのは、機能が凝縮された張り詰めた美である。機能美である以上、当然妙高の形状の成り立ちには一つ一つの理由がある。
平賀譲は、実艦を使っての船体摩擦抵抗試験を実施し、その実験式を求める論文により日本人で初めてイギリス造船協会より金牌が与えられる。この理論から妙高の船体の長さは、どの国の1万トン級重巡洋艦より細く長い。長くなるとその分重量が増えるので、船体の深さを浅くしてある。つまり乾舷が小さい。
乾舷が小さい船体で他国の重巡洋艦より1基多い砲塔を広げて置くと、重量配分の関係で凌波性が悪くなり荒天時に波を被る。その為砲塔間の長さを極力短くした。そのしわ寄せが煙突に行った。実は妙高の煙突は上のケントと同じ3本煙突である。最初の煙突は2本を一本にまとめた集合煙突である。
さらに艦橋を煙突の排煙から避けるため煙突を傾斜させる。その為2本目煙突も傾斜させる必要が生じた。この煙突の傾斜により見た目にスピード感が出た。さらに凌波性を高める為艦首を高くしフレヤー(艦首部のそり)を大きくした。又艦尾は凌波性に関係無く重量軽減の為一段低くした。これにより曲線の多い引き締まった独特の形になったのである。デザインの為のデザインではない。
それでも、平賀譲は東京大学で造船工学の講義の中で『此れ等の点を美しい線で結び』と講義している。やはり美を意識していたのである。
『気配り、こだわり、美意識』これが日本人のデザインに対する回答であった。
それは、航空機でも同じであった。続く。
(この記事は、2009年12月、mixiに投稿したものである)
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