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崗上虜囚の備忘録

日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください

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一番美味しい日本料理は?

一番美味しい日本料理は?。それは『ご飯』である。「ご飯が料理か?」と思う人がいるかも知れないが『炊く』等の『ご飯』を作るときしか使わない言葉が有るのを見て分るように、『ご飯』は立派な料理である。当然炊き具合によっても味が落ちるし、日本料理の特徴である素材、即ちお米を厳選しないと味が落ちる。
 
欧米人の中には「ただ煮れば良いのに電気釜を買う人間の気が知れない」とか「こんな味のないものとか」と言う人間がいるが、恐らく味音痴の人なのであろう。
 
その点、電気釜を秋葉で爆買いしていた支那人は味が分っているようである。「日本のご飯は何故か美味しい」と言っていたシンシアリーと言う韓国人も味が分っているみたいである。
 
それでも支那人も朝鮮人も米を炊く料理法は思いつかなかった。第一、漢の皇帝でさえ米の『ご飯?』を食べるのがままならなっかった時代、日本では『豊葦原の瑞穂の国』と天皇も国民も一緒に米を追及していたのである。
 
散歩道にある小さな田圃。美味しいお米を作ってくれる人に感謝です。
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ジャスティン・マッカリー

ガーディアン紙のジャスティン・マッカリーという記者が、財務次官セクハラ疑惑をめぐって、日本社会は未だにセクハラと戦うことに消極的だとの記事を書いている。

       
その中で彼は「福田氏の一件は日本社会が未だにセクハラ(場合によっては、より深刻な性的暴行も含む)と戦うことに消極的であることを示しました。」だと。
 
「おいマッカリー。日本の国の強姦発生率はOECD諸国の最下位だ。処がお前の国の強姦発生率は堂々の世界5位(日本の25倍)ではないか。そんな国の人間が、今回のようなセクハラもどき問題で、日本に説教する等おこがましいと思わないのか。こちらもおこがましい事を言わせて貰うが、未開人に説教を垂れたかったらオーストラリア(日本の84倍)かニュージーランド(日本の28倍)やアメリカ(日本の26倍)に行ったらどうだ。どれも英語圏なので言葉に不自由はないだろう。」


        OECD諸国の強姦発生率(拡大)
から。
 
マッカリーとデイビッド・マックニールは、お仲間のようだ。フェークニュースで有名な朝日新聞ともだ。当然ガーディアン紙も朝日新聞同様、何処かの集団に乗っ取られたフェークニュース垂れ流す新聞社なのだろう。
 
CNNもマッカリーと同じく、伊藤詩織を引き合いにしてきたが、フェークニュース専売のCNNが言ってもねぇ。
 
 
福田次官セクハラ疑惑問題では、フジテレビ「とくダネ!」(201804/18)でこんな事もあった。
     
デーブスペクターが「・・、でも自らああいう酔っ払ってる状況の中にみずから夜遅く居て、同意も無く録音してるわけですよ。そういうタイプだとエロ親父だと分かってる上で、確かに不愉快かもしんないですけど、それを皆が一緒になって守ってあげようということなのかと思いますよ」と言ったことに対して、柿崎明ニ(共同通信 論説委員)が「やり方は多分アンフェァなのかもしれないけど、日本の社会自体はまだアンフェアなので、・・」と、ドサクサに紛れて、日本を貶める発言をしたのだ。
 
「おい柿崎、お前もOECD諸国の強姦発生率のグラフを見ろ!。日本が最下位なのは、日本社会が他の国の社会よりフェアな証拠ではないか。因みに韓国の強姦発生率は日本の12倍。日本が他国よりアンフェアな社会だと言う証拠を見せろ」
  
でも、朝日新聞=共同通信=CNN=BBC=ガーディアンが繋がっていることを公表してくれて有難う。
 

思考停止は罪である

【経済討論】財務省主導の経済でいいのか?日本[桜H30/4/14]
 
久々に見ごたえのある討論番組であった。
この討論会での結論は「間違った財政再建論に誑かされて、今直ぐにでもやらなければならない将来投資をしないと、20年後は日本が消滅する」である。
 
これは、この討論の参加者全員の合意の筈であるが、何の為の増税阻止か、何の為の財政出動か、なんの為の何の為の経済政策か、が合意されてなかったのが残念である。藤井聡氏は言葉の端々で言っており、恐らく参加者も頭の隅では分っていたのだろうが、きちんと認識していないと増税問題やデフレ問題に端を発している経済政策の話が、今後経済の為の経済論議になりかねない事になるだろう。
 
そこで改めて、何の為の増税阻止か、何の為の財政出動か、何の為の経済政策かを言うと、ずばり国防の為である。
 
食料とエネルギー確保、国防は国の根幹である。食料の有無は直ぐ生死に結びつくので重要性は分るだろう。エネルギーの有無も、日本のような高度な工業社会ではエンルギー不足も生死に結びつき、重要性も理解できるが、江戸時代のような生活を考えればかなり倹約できるはずである。それでいて不幸せになるかと言えば、そうとも言えない。
 
例えばブータンはGDPを追求することを止め、GNH(国民総幸福量)の追求を国策としている。そして97%の国民が幸せと答えている。
 
江戸時代も同じであった。「日本国民ほど幸福に充ちた国民はいない」エドーワード・パーリントン・ド・フォンブランケ将軍1861年、「平和、裕福、明らかな充足感を見出した」オールコック1860年、「私はいたるところで子供達の幸せそうな笑い声を耳にした。そして一度も生活の悲惨を目にしたことがない」ヒュースケン1857(注、『鉄砲を捨てた日本人』より)、であった。
 
江戸時代、日本人は貧しかったが、不幸せだった訳ではなかったのだ。経済力がなくて幸福は得られるのである。日本が経済一辺倒ではなく、ブータンのように国民の幸福度を追求することになんら異存は無い。
 
だが江戸庶民の幸せな生活を打ち破ったは黒船である。日本は黒船来航後、富国強兵に舵を切り、欧米による植民地化を逃れることが出来た。だが、ブータンは中国の領土侵略から国民の幸福を守れるだろうか。無理であろう。ブータンは経済力も無く、スイスのように自力で国防を行えることも出来ない小国だからである。
 
そして、国防力が無ければ、国民のささやか幸せだって守れないのである。つまり国防力は食料についで重要なのである。この事は以前弊ブログで言ったと思うが、国防力は科学技術力であり、科学技術力は経済力から生まれてくるのである。
 
高橋洋一氏によると、国が財政出動できる金額は数年間毎年200兆円程あるそうなので後は国民の能力だけである。まあ、お金が有るからもっと働けの話である。そうなると外貨を稼ぐなどの話が如何に馬鹿げた事だと分かるだろう。カジノや観光は勿論、輸出産業も外国人の為に国民の能力を割いているのである。この点はGDPの中には輸出の総額が入っているので、特に産経の田村秀男氏なんかは自由貿易の必要を説くかも知れないが、必要な外貨は資源を輸入するための金だけで、それ以上は必要ではないことを認識すべきである。
 
後は、どのような形で財政出動をするかであるが、日銀の国債買取の裏事情を知っている高橋洋一氏は何でも有りであるが、健全財政論に洗脳された財務官僚・経済学者・政治家・マスコミそして国民を如何に納得させるかである。財政赤字なんかは幾ら大きくなっても気にする必要は無いと言う高橋洋一氏に対して、三橋貴明氏は一度財政赤字というものをチャラにしないと国民は納得しないのではと言うが、この際、日本は政府紙幣を発行し、輸出なんぞが入っているGDPなんかは止めにして、GDPに代わる経済指標で経済政策を行う国に脱皮すべきと思うが、どうだろうか。
 
討論番組の中では、国の借金は1300兆円、資産は900兆円、400兆円は子会社日銀が持っているので、1300兆-900兆-400兆=0、即ち国の借金は0円と言っているが、そんな事を知らなくても、誰かが借金をしないと世の中に存在しないお金を、国が増税して借金を返済する側に回ると日本経済が縮小する事が、何故分らないのだろうか。
 
この事について、渡邉哲也氏は財政破綻論者は自分の頭で考えないのだろうと言い、藤井聡氏は冒頭での「思考停止は罪である」と言った。『思考停止は罪である』これこそが今回の討論番組の最も重要な結論である。
 
ついでにもう一つ、討論番組の中で科研費の問題が出てきた。Wikiには、
1、学術上重要な基礎的研究(応用的研究のうち基礎的段階にある研究を含む)の遂行のための助成
2、学術研究の成果の公開のための助成(学術書の出版費の補助、学術団体による学術雑誌刊行費の補助)
3、学術研究に係る事業への助成
とあるが、この科研費、山口二郎法政大学法学部教授に6億円も出ているのである。それに対して山中伸也京都大学教授の科研費は、なんとたったの2億5千万円である。
 
山中伸也教授は世界の国が渇望する知的人間であるが、山口二郎教授は典型的な「自分の頭で考えない思考停止」人間である。つまり米国で「IYI(Intellctual Yet Idiot)=知的バカ」と揶揄(やゆ)される高学歴エリートと同じである。幾らこれから財政出動の大盤振る舞いをするといっても、こんな教授の科研費は0円でいいだろう。こんな人間に金を与えるのは、豚に真珠どころか、むしろ××に刃物ではないか。

京大学長と東大総長を解任せよ

京都大学と東京大学は、「軍事研究をしない」と公式サイトで発表した。
ネットでは早速、インターネットもGPSも軍事研究から生まれた技術、それを利用していながら「軍事研究をしない」とは、矛盾していないのか?と言われている。
 
京都大学学長は山極寿一、第24期日本学術会議の会長も山極寿一である。従って日本学術会議が「軍事研究をしない」と発表したのも彼の力によるものである。何故なら第23期の会長大西隆は「大学などの研究者が、自衛の目的にかなう基礎的な研究開発することは許容されるべきだ」の考えだったからである。
 
おそらく山極寿一学長はWGIPで思考力を失わされたの洗脳された者なのだろうと推測した処、やはりそのようである。それは下の、憲法改正に強い危機感を持つ直木賞作家の中島京子と山極寿一の対談に現れている。
 
中島京子の「ところで政治家はよく『必要な戦争がある』という言い方をしますが、攻撃性は人間が本能として持っているものなんでしょうか」の質問に対して、山極は「違うと思います。オバマ大統領が人類は古い時代から戦争と共にあり、戦争は平和をもたらす上で有効な手段となりうる、といった発言をしましたが、それは間違いです。何故かというと、人類が武器を持って同種を殺した歴史はたかだか一万年しかない」
 
と言っている処がある。山極寿一は「武器を持って同種を殺した歴史はたかだか一万年しかない」と言うが、自動車の歴史はニ百数十年、飛行機の歴史は百数十年しかない。だからと言って、仮に自動車や飛行機の存在が問題になったとしても、歴史が理由になる事は無い筈である。
 
集団が武器を持って闘う様を表したにすぎない『戦争』と言う言葉を聞くと、すかさず『反対』と答えるように条件付けされたのがWGIPで洗脳された典型的な人間(書くのがめんどくさいから、以降9条信者とする)であり、中島京子はそのまんまであるが山極寿一も同様、上記の思考力欠如の考え方を見れば、洗脳された人間の一人であろう。勿論それは学者としての欠陥である。
 
そして、こんなのも有った。
 
山極教授は研究者として教育者として、学生や京大職員からの評価が高いらしい。それならば総長に適任だと考えられるのに、「山極教授に投票しないで」と書かれたビラで京大中の掲示板が埋め尽くされてしまった。なぜかといえば、山極教授はニホンザルやゴリラの研究に40年以上取り組んできた「霊長類研究の宝」であり、総長になって研究職を退いてしまったら世界の霊長類学、ひいては京大にとって大きな損失になる、という理由からなのだという。だから総長にはならずにずっと研究に打ち込んでもらいたいし自分たちを指導し続けてもらいたいのだそうだ。
 
と美談のように報道されているが、ビラが掲示板を埋め尽くす等、何やら信者が動員されたみたいで不気味な話である。「類は類を呼び友は友を呼ぶ」ように、山極寿一学長始めとする9条信者達が、京都大学を席巻しているようにしか見えない。熱狂的信者程、活動も熱心だからである。
 
又、核研究で総連系から奨励金受け取る京大准教授が居たが、京都大学は何の措置もしない。やったことは産経新聞の取材に当面応じないよう准教授に伝えただけである。このようにダブルスタンダードなのも熱狂的信者の特徴である。
 
それにしても、若しBC兵器から国民や自衛隊員の命を守る研究の要望が来たらどうするのだろう。事実ロシアが使用した神経ガスは、解毒剤も中和剤もない。暗殺にVXガスを使用した北朝鮮が、同様な神経ガスを開発していないと言う保証も無い。又それらが日本で使われない保障もない。
 
従って現在の日本程そのような研究が必要な国はないのである。地下鉄サリン事件で自衛隊が出動したように、当然それは国防の範疇であり軍事研究である。
 
勿論、その研究をやるかやらないかは個々の研究者の勝手であるが、研究者によっては自分の研究の方向と有っていれば、是非やりたいと言う研究者が出てきても可笑しくはない。だがそのような事態になった時、恐らく山極寿一学長は強権を持って研究をさせないのだろう。?、でもそれはなんの権限で?。
 
結局のところ「軍事研究をしない」は山極寿一学長の趣向なのである。従って山極寿一学長は京都大学を私物化したのである。若し強権を発動した場合、職権乱用になるだろう。当然、大学を私物化し職権乱用することは解任理由にあたり、東京大学総長も同様な状態である。
 
だが、そんな事より大問題は、日本の学問の世界が暗黒時代に入る事である。洗脳されるとは、色眼鏡を掛けることである。否、色眼鏡が無いと物が見えないと思い込む人間が洗脳された人間とも言える。当然そのような人間は一つの色しか見えないだろうし視野も狭くなる。学者としては欠陥である。学問はあらゆる角度から物を見る事が求めるられるのに、日本の大学が色眼鏡を掛けた人間ばかりなるのである。
 
現在、日本のノーベル賞は過去の遺産によるものと言われている。中山教授が金策に走り回りっている事で分かるように、国の研究投資費が少ないのである。そこに日本の大学が9条信者のような者ばかりになったら、ノーベル賞等は絶望的になるだろう。
 
文中敬称略。

書評:リベラルに支配されたアメリカの末路

今日の記事は「リベラルに支配されたアメリカの末路」ジェイソン・モーガン著、ワニブックス)の書評である。ジェイソン・モーガンの本は「アメリカは何故日本を見下すのか」に続いて2冊目であるが、この本に注目したのはアメリカの共産主義者の動きと、現在のアメリカがどのようになっているかを知りたかったからである。
   
 
前々回の記事「NHKの洗脳番組」もアメリカを含む世界の現在の共産主義者がどのような考えを持っているかの一端が出ていたので先に紹介した。
 
違う点は、NHKの『欲望の経済史2018』『欲望の資本主義』の中では共産主義者は依然資本主義をターゲットにしていたが、この『リベラルに支配されたアメリカの末路』では、「昔の共産主義者は資本主義を敵対視し、直接攻撃しようとしていたが、最近の反社会分子(つまりアメリカの教授のほぼ全員)は共産主義の原点まで遡って、マルクスとエンゲルスを紐ときながら改めて社会攻撃の仕方を学び直している」と、共産主義者が別のターゲットに的を絞って活動している事を紹介している処である。そのターゲットとは「家族」である。『ジェンダーという破壊兵器』も現在の共産主義者の武器である。
 
モーガン氏は日本史を研究する過程で、本当のアメリカを知り、偽りのアメリカであるリベラル派の行動を知ったとあるので、彼が至った結論は馬渕睦夫氏や水島総氏等の現在の日本の保守とかなり近い。例えばトランプ政権が誕生するまではリベラル派がアメリカを支配しているとか、ロシアを悪に見立てることにしたリベラル派とかや、従軍慰安婦等の問題についても殆ど同じ認識である。
 
と言っても引っ掛かる処があった。それはモーガン氏が国家主義を批判している処である。例えば『国家主義が完治していない日本』のタイトルの項では天皇機関説を唱えた美濃部達吉を国家主義者で極悪人としており、『明治維新は「復古」か「刷新」か』の項では、明治維新を遂行した者を君主主義者ではなく、国家主義者と断じているのである。
 
敢えて反論するが、共産主義者が天皇の存在を肯定すると機関説にせざる得ないのである。元日本共産党のNo.4であった筆坂秀世氏によると日本共産党は天皇の存在に否定的ではないそうである。そうなると常に建前を言わなければならない共産主義者としては、つじつまを合わせる理論を言わなければならないのである。つまり天皇機関説は、天皇を残したいが、さりとて共産主義思想にはそぐわないと思っている共産主義者が、つじつま合わせの為に考えた理論と言うことになるのではないか。
 
又、明治維新を遂行した者を君主主義者ではなく、国家主義者と非難するのも同じである。武士が率先して身分制度を止め、福沢諭吉が「天は人の上に人を作らず」と言った事を、当時の日本人がすんなり受け入れたのは、少なくても幕末時点の日本人は人が平等である事が常識だったからである。当然天皇についても同じである。その明治天皇が神に近い形で祭り上げられたのは、それは日本の祭りと同じ、または仏具屋の宣伝文と同じく「心は形を求め、形は心を進める」を実践したにすぎない。
 
そもそも明治維新は黒船来航により、日本が殖民地になる危機を感じた者達が、日本を富国強兵な体制にするため起こした革命であって、共産革命と違って何々主義に染まった者による革命では無いし、国家主義とか君主主義の論争の末できたのでは無い。彼等が唱えた『王制復古』にしたって、只の看板である。それが看板であるのは、彼等が最初に唱えた『尊王攘夷』も、後で『尊皇開国』変更したのを見れば分る筈である。
 
国家がある限り、有る時は全体主義的に、有る時は独裁主義的にせざる得ない時もある。それは周辺の事情によるものである。第一、国家の概念もない縄文の日本列島に国家が成立したのは、日本列島周辺が穏やかでなくなり、他民族に支配される危機が迫っていたからである。幕末の日本も同じであった。そして明治維新により日本は戦時体制になったのである。
 
それより、国家主義という言葉は、恐らく共産主義者が特定な国家を否定的に言うために作った造語ではないだろうか。つまり左翼お得意のレッテル貼りである。残念ながらモーガン氏は「イデオロギーは体を蝕む毒薬である」と言っていながらレッテルに嵌り、架空の日本の国家主義を否定して、架空の日本に理想を抱いているのである。
 
もっとも、モーガン氏が国家主義に懸念を抱く理由がある。実は「政府を信じろ」と言うのがアメリカのリベラルだそうである。アメリカの主要機関であるFBI、CIA、NSA、国防総省、歳入庁などがリベラル派に握られていればそうなるだろう。リベラルに支配されたアメリカは共産国ソ連に近いのかも知れない。
 
以上引っ掛かる点はあるが、アメリカ人の悲鳴が聞こえてくる本であった。「アメリカの左翼から見れば、リベラルは右翼と同じ」と言う話は初耳であった。そして本の前書きには、「日本にもお願いしたい。 リベラル派を馬の上から引きずり下ろして、本当のアメリカと組もうと」とあるので、日本人としては、その答えを準備する必要があるだろう。
 
モーガン氏にはこれからも頑張って欲しいが、一つ言いたいのは「折角日本に居るのだから、是非禅をやって欲しい」と言う事である。と言っても座禅を薦めている訳ではない(下手に永平寺などに参禅して馬鹿坊主に師事したりすると、それこそリベラル地獄に嵌ってしまうだろう)。
 
禅の古典『碧巌録』に『至道無難唯嫌揀択』と言う言葉がある。直訳すれば、「道に至るのは難しくは無い、ただ揀択をしないことである」で、『揀』も『択』も選ぶの意味なので、意味は「言句に囚われて執着して選り好みしなければ、悟るのは簡単」ということになるだろう。と言う事で、モーガン氏には、禅の古典にでも接し、是非悟って欲しいのである。
 
近代政治に興味を持った歴史学者と禅。奇妙な取り合わせかと思うかも知れないが、左翼から右翼の総本山と思われている『日本会議』の発起人は円覚寺貫主・朝比奈宗源だったのである。この事は最近知って驚いた。朝比奈宗源、私にとって懐かしい名前である。20代の前半、『碧巌録』、『無門関』に続いて読んだ3冊目が朝比奈宗源が訳した『臨在録』で有った。宗源禅師の訳も素晴らしかったし、当然片目は開いている筈である。そうなれば確かに悟った者の言動は変幻自在・融通無碍、何でも有りの世界である。恐らく宗源禅師は共産主義者の奏でる音痴の音曲が気に入らなかったのだろう。
 
私も街宣活動をやっているが、何も天皇教を日本国民に強要しようと活動をしている訳ではない。共産主義やカルト宗教が蔓延して、人々の自由な心が奪われた世界を見たくないからである。従って共産主義のカルト宗教活動が治まれば、我々の街宣活動も収束する。これは何故保守活動が活発でないのか、保守活動の動員数が少ないのかを、同じ理由で説明出来るだろう。保守活動はアンチカルト活動なので消極的なのである。
 
話をモーガン氏に戻すと、共産主義は人から自由を奪うカルト宗教であるが、それは共産主義者自身が自らを束縛しているからである。モーガン氏が本当のアメリカを取り戻したいと思っているなら、まず自らが自由になるべきではないか。それには悟る、即ち禅に接して解脱することが手っ取りはやい。
 

この中で(51:30/1:21:19)川口ロマーン恵美氏が「ドイツが他の意見を入れないような息苦しい時代になっているような気が此処2~3年特にしてた」、「平等とか人権ばかり強くなって自由が無くなっている」と言っているが、この懸念はジェイソン・モーガン氏と同じ懸念である。

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