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崗上虜囚の備忘録

日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください

オリンピック作戦、その1

今日のエントリーは『オリンピック作戦』であるが、『東京オリンピック』の事では無い。『オリンピック作戦』とは、大戦末期に連合国軍が計画していた日本本土上陸作戦の『オリンピック作戦』と『コロネット作戦』、総称して『ダウンフォール作戦』の前哨戦である九州上陸作戦のことである。
 
このエントリーは数年前から終戦記念日に載せようと構想していたのだが、ようやく取り掛かる事が出来た。チラシの草稿にするつもりでも書いたのだが、構想とは裏腹に文字数は多すぎるし、内容も複雑すぎて意味不明の文章になってしまった。それにとてもA3裏表に収まりそうもない。仮にチラシに出来たとしても、受け取った人は「なんじゃこれは」になるだろう。ま良いか、備忘録なんで。
 
オリンピック作戦、その1
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未だに先の大戦を「日本は無謀な戦争した」、「軍部が暴走して起こした戦争」、「無能な指導者の為に、国民が塗炭の苦しみを味わった」と言う人がいるが、何れも一知半解か無責任の人間の言葉としか思えない。では日本が当時の状況下に置かれていたとき、若し諸君が日本指的立場の人だったら、若しくは諸君の言葉が日本の命運を左右するとしたら、どのような選択するのだろうか。
 
方法論を聞いている訳では無い。戦うか戦わないかのどちらを選択するかである。なので難しくは無いはずなので、是非考えて抜いて答えてもらいたい。
 
戦争を仕掛けたのはアメリカ
結果として日本は『ハルノート』を見て日本は戦争の道を選んだのだが、少なくても当時の軍人でも政治家でも、指導者レベルの人間なら戦争になれば日本が負けるのは分っていた。それなのに何故日本は戦争への道を選んだのか。それは戦争をしたいのはアメリカ側だったのが分っていたからである。事実、近衛内閣のブレーンだった共産主義者の尾崎秀実が支那事変を煽ったように、F・ルーズベルト政権にも数百人もの共産主義者がおり、共産主義者が牛耳る新聞等と共に、厭戦気分のアメリカ国民を騙し、日本との戦争を画策していたのである。
 
それどころでは無い。真珠湾以前に日米戦争は始まっていたのである。例えばフライングタイガースは日中戦争時に中国国民党軍をボランティアで支援したアメリカ軍人パイロットAVGの愛称であるが、その戦闘機や弾薬はボランティアで送られた物ではない。F・ルーズベルト大統領の指示の下、アメリカ軍が主体となって仏印(ベトナム)やビルマ(ミャンマー)を経て輸送したのである(図1の中央、参照)。名目は日本の侵略に困っている中国の支援であるが、ルーズベルト大統領は日本に最初の一発を打たせる為に、日本近海に巡洋艦を出没させることも提案しており、実際にそれは実行され日本海軍も豊後水道にアメリカの巡洋艦らしき船が近づいたことを確認している。つまりF・ルーズベルトは何がなんでも日本と戦争したかったのだ。
 
アメリカ人の中にもルーズベルトが戦争したかったことを見破る人もいた。ルーズベルトの不可思議な行動を調べ上げ、ルーズベルトはアメリカ国民を騙したと非難したコロンビア大学の歴史教授チャールズ・A・ビーアド、『ハル・ノート』の存在を知り「あの戦いの真実は、ルーズベルトが日本を挑発したことにあった」と言ったハミルトン・フィッシュ上院議員、「ルーズベルトがわが国を戦争に引き込もうとしたのは疑いない」と言ったハーバート・フーヴァー第31代大統領などである。
 
ではルーズベルトが日本と戦争をしたかった本当の理由は何だったのか。ドイツと戦っているイギリスを助けたかった、ルーズベルト自身も共産主義者にシンパシーが有り、ロシアを助けたかった等とよく言われており、勿論それもあるだろう。だがルーズベルトが人種差別主義者だった事の方を注目すべきではないか。
 
例えばルーズベルトは、駐米英公使ロバート・キャンベルに、アジア系人種とアーリア系人種を交配させて、それによって極東に文明社会を生み出していく事を提案しており、さらに「但し日本人は除外し、元の島々に隔離してしだいに衰えさせる」と語っているのだ。それにしてもルーズベルトは、人種交配政策で何故日本人だけ除外したのかのだろうか。
 
それは日本人が奴隷に向かないからである。白人に反抗したアメリカインディアンも奴隷に向かないとされ、虐殺され抵抗力が無くなると隔離政策が取られ、その結果コロンボスがアメリカ大陸を発見した頃には2000万人程いたと思われるインディアンの人口は30万人程になったのである。そしてインディアンに行われた最後のホロコースト、即ち餓死はインディアンが武器を置いた後に行われたのだ。
 

図1、[左]バイソンの頭蓋骨の山、[中]ビルマから中国に輸送される戦闘機、[右]大崎町の陣地
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図1の左は1870年頃撮影されたバイソンの頭蓋骨の山であるが、これはただのハンティングの結果では無い。米国内務長官のコロンブス・デラノによるインディアン政策の結果である。デラノ内務長官はバイソンを殺すことでインディアンを鎮め、移住させ保護することが白人文化への同化を進めると説明しているが、実際は「隔離し衰えさせる」ことが目的だったのだ。因みコロンブス・デラノはルーズベルトの母方の縁者である。
 
ルーズベルトのような人種的偏見は、ハリー・トルーマン大統領も同じであった。原爆投下を知ったキリスト教会連邦議会からの疑義の電報に対して、トルーマンは「原子爆弾が獣に分らせる唯一の言葉だ」と返事を書いている。後日、原爆投下に対する批判を抑えるために「原爆が戦争を早く終結させた」との神話を作り出したヘンリー・スチムソン陸軍長官も人種差別者である。日系人強制収容政策の最高責任者は彼だったのだ。要するにアメリカが言う『太平洋戦争』の主たる目的はインディアンと同じく、日本人絶滅なのだ。
 
しかし絶滅させる前に足りない事がある。それは屈服の儀式である。アメリカは原爆投下をされても日本は最後まで戦うと思っていた。何発原爆投下されても、海上封鎖で餓死することになってもである。だとしても日本が屈服しなければ気持ちが治まらないのだろう。そこで考えられたのが日本本土上陸作戦、即ち『ダウンフォール作戦』である。
 
第一段階の『オリンピック作戦』は1945年11月1日に、米第6軍が南九州の3分の1を占領して空軍基地と海軍基地を確保し、そこを基点に第二段階の1946年の3月頃に3個軍が東京・横浜地域を占領する『コロネット作戦』に移行する筈であった。
 
日本の決意
一方日本側でも、1945年1月頃に本土決戦の概念が固まり50個師団の増設を打ち出したのである。と言っても如何せん、年寄りの新兵をかき集めても充分な武器は無く、武器も粗製乱造で行くしかなかった。そこで考えついたのが全軍特攻である。粗製乱造の武器でも使い方しだい。一人一殺戦法なら上陸軍より数で勝るし、勝てないまでもアメリカに重症を負わせる、つまり一矢を報えると考えたのである。
 
海軍の計画では1945年9月までに、蛟龍73、海龍252、回天119、震洋2150、伏龍200?を生産し、『オリンピック作戦』が行われる頃には、陸海の航空機は凡そ1万機が本土決戦用に準備された筈である。性能が左右される航空戦など、はなから無視である。特攻なら旧式飛行機でも十分戦力になるとされたのである。
 
沖縄戦では1827機の航空機による特攻が行われたのだが、本土から600km以上も離れており、特攻機はレーダに補足されて戦闘機が待ち構えたところに突っ込まなければならなかった。また特攻機が狙ったのは航空母艦など強力な対空兵器がある艦船である。当然特攻機の損害が増えても戦果は上がらない。硫黄島の戦いでは1000km以上離れているので航空機による大規模な特攻は使えなかった。
 
では島を防御する地上軍が上陸部隊を叩けるかと言うと、沖合の戦艦が巨砲を打てば島の反対側のはるか向こうを飛び越してしまうような小さな島に一重二重に艦船が取り巻いているので、一番脆弱な上陸部隊を叩くことが出来なかったのである。戦艦の主砲弾は一発1トン以上、それを1隻で1000発程度搭載しているので、戦艦1隻で一式陸功1000機分に相当する火力である。防御する地上軍が上陸部隊を1回だけ叩けたとしても見つかったら最後である。
  
ところが本土決戦では隠匿した飛行場から一山越せば戦場である。さらに今度特攻機が狙うのは航空母艦などでは無く、輸送船やLST及び上陸用舟艇である。ここに至って日本軍はようやく米兵を殺す作戦に転じ、地の利を生かした水際作戦が出来る環境も得られたのである。海中でも沖縄戦や硫黄島戦で出来なかった大々的な特攻が行われ、陸でも戦車には刺突爆雷、布団爆弾での特攻である。
 
日本軍の基本的な戦法は、硫黄島で行われた上陸を許して敵味方入り乱れた白兵戦にすることで米軍の有力な艦載砲を封じる戦法が柱であるが、今度はそれに水際特攻作戦が加わるのである。更に後方の霧島山中に決戦部隊を配置し、頃合を見て白兵戦に加わるのだから当然米軍の損害は甚大になる筈であった。それは戦後米軍によっても認められているのである。
 
そして日本側は、米軍は1945年11月初旬に必ず南九州を占領し、次に関東地方に上陸する筈と予測し、準備を始めたのである。日本側の予測は『オリンピック作戦』及び『コロネット作戦』の、米軍が上陸を予定した場所と侵攻時期がぴたり一致した。これは『マッカーサー参謀』とあだ名された堀栄三少佐のいた第6課米国班の分析によるところが大きいと思われる。
 
 
図2:オリンピック作戦(南九州の戦域) <拡大
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南九州に展開する日本軍の布陣は以下である。
第57軍 大隅半島
 第156師団 樋口敬七郎中将(本庄方面)
 第154師団 二見秋三郎少将(日向灘沿岸)
 第212師団 桜井徳太郎少将
 第 86師団 芳仲和太郎中将(志布志方面)
  独立混成第98旅団 
  独立混成第109旅団
  独立戦車第5旅団  高沢大佐(3式20輌+10))
 第 25師団 加藤怜二中将(都城後方)
  独立戦車第6旅団(1/2) 松田大佐(都城後方)3式10輌
 
40軍 薩摩半島
 第 77師団  中山政康中将(国分方面) 北海道から転出
 第146師団  坪島文雄中将(川辺方面) 
 第206師団  岩切秀中将(伊作方面)  機動打撃師団
 第303師団  石田栄態中将(川内方面) 速成師団
  独立混成第125旅団 倉橋尚少将
  独立戦車第6旅団(1/2)3式10輌 
 
決戦兵団 4個師団+戦車6個連隊、3式40輌程?
 第 57師団 矢野政雄中将(福岡) 関東軍精鋭 
 第216師団 中野良次中将(熊本) 機動打撃師団
 他2個師団
 
その他、大本営では関東地方に展開する最精鋭の36軍を九州・四国に進出させるべきとの考えに傾きつつあった。恐らく36軍は九州に駆けつけたであろう。何故なら九州で決戦を行った後、日本は燃料が枯渇しているのである。決戦のチャンスは一度しかないのだ。
 
決戦が行われる南九州では地下道・洞窟陣地(図1右)、特攻機や特攻舟艇などの秘匿壕が婦女子によって掘られており、粗完成の域まで行っていた。また秘匿飛行場も95を超えていた。この準備が出来たのは、あの桜島より小さな硫黄島の戦いで1月も持ちこたえ、沖縄戦でも2月も持ちこたえた将兵の決死の戦いが有ったからである。
 
若し計画通り『オリンピック作戦』が行われていたら、3昼夜の空と海からの特攻により米軍上陸部隊の何割かが海の藻屑となり、アメリカ側の見通し「上陸側の兵力は防御側のは3倍あるので過大な死傷者を出さなくても済む」の目論見は大きく崩れ、陣地で待ち構える同数の兵力と戦う羽目になるのだ。更に大本営では本土決戦の為の精鋭、36軍も投入する予定なので、そうなれば日米の戦力は完全に逆転する。
 
硫黄島の戦いでは、守る日本軍2万に対して上陸部隊7万5千と3倍以上あったが、米軍の死傷者は2万8千以上になったのだから。日本軍の方が多いとなると米軍の死傷者は15万どころではないだろう。下手をすれば上陸部隊は全滅と言うこともあり得る。
 
 
図3、本土決戦に備えて温存されていた三式中戦車[上段左]。恐らく数10輌の四式中戦車[上段中]も投入した筈である。75mm砲を搭載したキ-109[上段右]。本機はB-29迎撃用に開発されたが高空性能が悪いので、用途を上陸用舟艇攻撃に変更し、本土決戦に備えて温存された。日本軍主力の九六式十五糎榴弾砲[中段左]。射程26kmの九六式十五糎加農砲[中段中]は有効であるが隠匿するのが難しい。同じく主力に使われたであろう90式野砲[中段右]。このような火砲より硫黄島の戦いで有用だったのはロケット砲だった。四式二十糎噴進砲[下段左]。四式四十糎噴進砲[下段中]。もっと活躍するのは八九式重擲弾筒[下段右]のような小型迫撃砲かも知れない。

 
図4、対戦車兵器である。口径47mm程度の弾ではM4中戦車シャーマンには効かないと言われていた一式機動四十七粍砲[左端]であるが、それでも沖縄戦では多数のM4中戦車を撃破している。五式四十五粍簡易無反動砲[左から2個目]。試製八十一粍無反動砲[右から2個目]なら有効であろう。九六式対戦車地雷[右端]を抱いての特攻も考えられていた。
 

図5、海の特攻兵器である。甲標的丁型蛟龍[上段左]は小型潜水艦であり特攻兵器ではない。沖縄戦でも少数使われたが、南九州の戦いでは近距離であり多数の蛟龍の攻撃には、米軍は手を焼いた筈である。モータボートの特攻兵器、航空機と震洋[上段右]の多数の同時攻撃はどのような結果となるのだろうか。海龍[下段左]は小型潜水艦であるが、爆装して特攻兵器として使用することになっている。回天[下段右]は純然たる特攻兵器である。
 

図6、志布志湾方面の防御陣地
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日本側の備えに対して米軍は、当初日本軍は九州には3個師団程度しか配備してないと思っていたのだが、無線傍受で九州に11個師団程いると知り驚愕する。初めは『オリンピック作戦』に前向きだった太平洋艦隊司令長官ニミッツ元帥は反対に周り、マッカーサやマーシャル将軍は依然推進派であったが、トルーマン大統領が損害の大きさを知る事になり『オリンピック作戦』は中止となった。
 
恐らく『オリンピック作戦』が実行に移されていれば、米軍は重症を負うかも知れないが、北海道本州はソ連軍の蹂躙するところとなり、満州で起きた数千倍以上の惨劇が日本の各所で見られたであろう。勿論日本は消滅する。と言っても『オリンピック作戦』が実行に移されなくても戦争長引けば同じ、やはり日本は消滅する。
 
終戦
そこに飛び込んだのが『ポツダム宣言受諾』の一報である。一番喜んだのはメンツを潰されなくて済んだアメリカだろう。トルーマン大統領が「日本をソ連の助力なしに英米のみで屈服させることが可能になったことから作戦中止を決定する」等と言っているようであるが、嘘である。「ほっとした」のが正しい。
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< つづき > 
 終戦
 人種差別者との戦い
 共産主義はタムルード原理主義宗教
 戦争は終わっていない

参考文献:伊藤正徳著『帝国陸軍の最後』他
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脱亜、脱欧

またドイツ政府とフランス政府が日本の死刑制度を批判している。
どうも白人国家では、他人を批判すると免罪符が貰える文化があるようだ。
 
図1は世界の武器輸出ランキングである。フランスとドイツは堂々の3位4位ではないか。日本と比較しようとしたら、日本のバーがグラフに出てこないので対数グラフにした。日本の800~1000倍だ。日本の死刑制度を批判するからには、フランスとドイツの武器は人を殺さない武器なんだろう?。ぅんな訳が無い、鉄面皮が。
 
図2はOECD各国の殺人事件発生率である。フランスは日本の5倍、ドイツは日本の2.7倍。人の国に説教したいなら自国をユートピアのような国にしてから言ったらどうだ?。
 
これらの図を作っていたら、もっと意味のある図が出回っていた。それが図3。なんだ両国共、裁判無き死刑が行われているではないか。ついでに何時もの強姦発生率の図(図4)を載せておこう。
 
義和団事件を調べていたら、Wikiに「アメリカの海兵隊員は、ドイツ兵とロシア兵が女性を強姦したあとで彼女たちを銃剣で突いて殺害するのを見たと記していた」と有った。
 
フランス兵も似たようなもの。「中でもひどいのはフランスの兵隊で、分捕隊といった組織立った隊をつくり、現役の少佐がこれを指揮して、宮殿や豪家から宝物を掠奪しては、支那の戎克*を雇って白河を下らせ、そっくり太沾に碇泊しているフランスの軍艦に運ばせたというが、その品数だけでも莫大な量だったという。(注1から)」
 
馬鹿々しい事に、昔はこんな国をお手本にしようとしていたのだ。もう化けの皮が剥がれたのだから、お手本する事を止めるのは勿論、お付き合いもそこそこにしたほうが良いだろう。
 

図1、世界の武器輸出国ランキング
 

図2、OECD各国の殺人事件発生率
 

図3、G7の国の警官に殺された率
 

図4、OECD各国のレイプ犯罪発生率

日本にエリートは不要

日本にエリートはいない。如何に高学歴であろうと名声が高かろうと、特に憲法九条信者はエリーとではない。彼等は日本を惑わすカルト信者である。
 
以前のブログ『チラシの草稿:天皇の遺伝子は縄文系』に、「本来なら日本では天皇以外の権威は不要である。 例えば何を勘違いしたのか、恰も権威者の如く発言する例えば学術審議会等の人がいるが、日本型民主主義を理解していない不遜な人だと言えるだろう」と書いたが、日本には国の将来を託せるようなエリートは居ないと言う事を言いたかったのである。
 
それは、このチラシの草稿を書くのに何冊かの遺伝子関連の本も参考にしたが、どうも執筆者の目が曇っているのではないかと思われる本が何冊か有ったからである。その科学者の目さえ曇らす一番の要因は、宗教的信仰心である。
 
例えば『日本人になった祖先達』の中で、執筆者の篠田謙一氏は本の最後に「同じ遺伝子を持ち、DNAから見れば親戚関係の集団であるアジアの人々に、公正と信義を期待することは間違いないはずです。DNAを用いた人類の由来に関する研究は、この日本国憲法前文の精神の正しさを生物学の立場から保証しているように思えます」と結び、完全に憲法九条信者であることを隠していない。
 
熱烈な九条信者である彼の目には、北米や南米で起きた原住民へのホロコーストがY-DNAの系統分布に異常を来たしていることも、それが過去アジア大陸で起きていただろうことも想像できないようだし、現にチベットやウィグル、内モンゴルで起きている民族浄化(女性は漢人男性と結婚させらるか、別の地に連れ去れられ、結果としいてY-DNAの系統分布が異常になる)さえも目に入らぬようである。
 
嘗てオウム真理教の教祖麻原彰晃が、誰の目から見ても飛び跳ねているとしか見えないのに、東大・京大を初めとする高学歴の信者達の目には空中浮遊と見えていたのと同じである。
 
こうなると、いかに高学歴であろうと、いかに科学者として実績をあげようと、酷な言い方かも知れないが、彼の専門分野以外は馬鹿と同じである。彼の専門分野以外の発言は、『one of them』でしかないのである。
 
宗教的信仰心で科学の目を曇らせているのは篠田謙一氏だけではない。ネットに科学研究費ランキングが出ていたが、上位10人の中の9人までもが左翼、おそらく9条信者と思われる。中にはノーベル賞受賞者もいる。当然の事、彼等の専門分野以外の発言は『one of them』でしかない。
 
科学研究費ランキング
1位 永田和宏: 9億5463万円:京大。細胞生物学者
2位 酒井啓子: 3億5763万円:千葉大。国際政治学者、社民党の広報誌で執筆活動
3位 渡辺 治: 2億5753万円:一橋大。政治学、九条の会事務局員
4位 益川敏英: 2億2568万円:京大。ノーベル賞受賞者。九条科学者の会呼びかけ人
5位 大沢真理: 1億5860万円:東大。経済学博士。ジェンダーフリー
6位 吉田 裕: 1億4768万円:一橋大。歴史学者。南京虐殺肯定、昭和天皇の戦争責任論。
7位 山口二郎: 1億4352万円:法政大。おなじみの「アベが~」。民主党のブレーン。
 
つまり日本には国の将来を託せるようなエリートは居ないので、国民全て対等な立場で『廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ。上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フべシ』と言うことになるだろう。
 
それにしても文系の科学研究費は不要である。零で良い。

ノアのコンクリート船

まずは今回の地震でお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表します。
 
今日は妄想のエントリーである。まあ何時もであるが、題はノアの箱船ならぬコンクリート船である。
 
今回の地震については兵庫県南部地震の割れ残りの可能性だったかも知れない。何故なら地震加藤でお馴染みの慶長伏見地震では、兵庫県南部地震の延長の京都付近まで震源域だったからである。どうも野島断層や有馬-高槻断層帯は中央構造線にぶつかる一つの構造線のようである。
 
今回そこに地震が起きたことや、東北地方太平洋沖地震がM9.0の巨大地震だったのに、その後M8クラスの地震が無いのは不気味である。そこで取り沙汰されているのは南海トラフの巨大地震である。
 
但し南海トラフの巨大地震の発生は最短で百年程度の周期であり、南海大地震が1946年、東南海大地震が1944年に発生しているので、発生まで未だ数十年あるのではないかと考えられる。
 
  南海トラフで起きた巨大地震(図1参照)
   白鳳 :  684 : A+B+C+?+?
   仁和 :  887 : A+B+C+?+?
   永長 :1096 : ____C+D+E
   康和 :1099 : A+B______
   正平 :1361 : A+B+?+?  
   明応 :1498 : ____C+D+E
   慶長 :1605 : A+B+C+D+E+?
   宝永 :1707 : A+B+C+D+E
   安政 :1854 : A+B______
   安政 :1854 : ____C+D+E
   昭和 :1944 : ____C+D+E
   昭和 :1946 : A+B+C____
 
もっとも、それがもっと早く起きないとは言い切れない。明日起きるかも知れないのだ。従って地震が何時くるかの予想等やっても始まらない。国、自治体、企業/団体、個人がやるべき事は地震対策である。地震による家屋の倒壊や火事は人災と言うものである。全て人間が作ったものではないか。それなら地震の被害を零にすることも可能である。
 
然しながら防げないものがある。それは津波である。津波対策をすると言っても、全国津々浦々防潮堤を設ける訳には行かないだろう。
 

  図1: 南海トラフ              (拡大
ピンクは海抜10m以下の土地である。大阪や名古屋の平野部は当然海抜10m以下であるが、その全部が津波被害がある訳ではない。但し川などに押し寄せた津波が遡上して奥の方で津波被害が発生するかも知れない。
 
要は人の命が助かれば良いのだ。水に流される資産を惜しむ向きもあるかも知れないが、そこは考え方一つ。例えば江戸は度々大火が起きたが、そのおかげで町並みは常に新しく、大工の腕も上がったのだ。安政の地震に遭遇した欧米人は、災害にもめけず直ぐさま復興に取り掛かる庶民を見て驚いている。
 
ならばどうやって津波から人命を失わないようにするかであるが、東北大震災の時も物干し台のような津波避難場所があったのだが、津波がそれ以上の高さだったので使い物にならなかった。それなら地下に避難施設を作ったらと言った人もいるが、この案は駄目だろう。それは何時誰がハッチを占めるかが問題だからである。果たして逃げ遅れた人を目前にしてハッチを閉められるのか?。閉め遅れれば地下に水が流れ込み、避難した人が全員溺れ死ぬのが判断出来るのか?。ハッチを高くすれば良いが、それでは登れない人が出て来る。
 
そこで思い浮かぶのは船である。東北大震災では打ち上げられた船が多数あった。転覆するでもなく破損するでもなく、船は結構丈夫なんだなと感心したものである。
 
だからと言って船を陸上に持って行くわけには行かない。それなら陸上で船ならぬ浮かぶ家を作ってしまえば良いだろう。と言っても浮かぶ家を作れる大工が津々浦々にいるのかと訝るかもしれないが、大丈夫。それはコンクリートで作る船だからである。施工法を書いた図面さえ有れば町の工務店だって出来るだろう。
 
そして現在は小さな町でも町会毎に集会所がある。その集会所が緊急避難場所になっていれば、逃げ遅れた人や足の不自由な年寄りは助かるだろう。
 


  図2:集会所=コンクリート船。 (拡大)
 
図2はその浮かぶ集会所、別名ノアのコンクリート船の例である。大きさは一般的な町の集会所ぐらい、船としての大きさは270トン程になり、一人100kgとした場合は300名ぐらい収容できる。
 
乾舷は1m、喫水は1.5m、乗員300名の時、0.186mだけ沈む。集会所の出入りは2階からで、階段で上がるか周囲に巡らしたバリアーフリーのスロープで上がる事になる。階段は水の中に浮いたときに泳ぎ着いた人が自力で登れるようにと集会所に作り付けである。勿論水の中の人が捕まれる取っ手等を周囲に張り巡らし、図3のような縄梯子も用意しておく。勿論、舳先や艫に相当する箇所の設置方向は水の流れる方向である。
 
  
    図3、縄梯子
  
図2の1階の部分が船であるが、内部は水密のコンクリートで囲まれ、災害の為の備蓄倉庫や発電機等や燃料が置かれる機械室とする。その他の空間は浸水しても最低限の浮力を維持するための水密空所とするべきかも知れない。
 
地上が浸水した場合は、集会所はガイドの支柱にそって上下し、水が引けば元の位置に着底する。図2の支柱は30mとしたが30m以上の津波は綾里村(過去38mを記録)のような特殊なところしか発生しないので、もっと短くても良いだろう。支柱の長さを超える津波だった場合は、集会場はあらぬ所に漂うことになる。海に漂う事になる事も想定し、出入り口の水密も念入りに。場合によってはアララト山の山腹に着底するかも知れない。これも想定内。
 
集会所の救える人数は数百人であるが、体育館程度をコンクリート船にした場合は数千トンの規模になり、収容人数は優に千人を超える筈である。そして乾舷を高くして船内に人を収容する形にすればさらに収容人員が益す筈である。公立学校の体育館を建替えるなら考慮すべきである。
 
以上は南海トラフの巨大地震の津波対策であるが、八十数メートルの津波があった石垣島のような島なら、本物の船(図4参照)を陸に置いて、普段の集会所にした方が良いかも知れない。勿論エンジンつきで。
 
  
  図4:全長 29.50m。幅 5.20m 。49トン。128名~110名。津波避難場所とする場合は、これを外洋仕立てとする。
 
然しながら、言いたいのは地方自治体の何人の長が災害の事を考えているかと言う事である。日頃人権や人の命と声高にに言う左翼に限って、災害など考えていないようである。阪神・淡路大震災のときの村山富市や貝原俊民元兵庫県知事しかり、今回の濱田剛史高槻市市長しかり。彼等に災害に対する危機感が無いのは当然である。何故なら彼等は国家として最重要な国防さえも考えていないからである。ところがそう言う人間程、政治家になりたがる。

チラシの草稿:天皇の遺伝子は縄文系

今日はチラシの草稿である。内容はブログで度々書いていることで新しいことは殆ど無い。エントリー『天皇の遺伝子2』と殆ど同じである。実際のチラシにするときは何処か訂正するかも知れない。
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天皇の遺伝子は縄文系:天皇は日本列島の先住民だった
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近年遺伝子検査技術が簡便になったためか、天皇のY-DNAについての情報が色々出てきた。例えば東山天皇の複数の子孫のY-DNAがD1b1a2、崇光天皇を先祖とする伏見宮家の子孫のY-DNAも、近衞文麿の子孫のY-DNAも、その他どのようなサンプルか不明だが、継体天皇、桓武天皇、後村上天皇のY-DNAも皆D1b1a2である。
 
D1b系統の遺伝子(図1の濃緑)は、近縁の系統(図1のD*=緑)がチベット等にいるが世界で日本列島とアンダマン諸島にしか見られない極めて稀な遺伝子であり、日本列島の先住民である縄文人の遺伝子と考えられている。現在日本人男性の30~40%、アイヌ人の88%がこの遺伝子である。 
つまり天皇は日本列島の先住民だったのだ。それにしても日本国の権威の象徴であり日本の長である天皇が日本列島の先住民である縄文系で有った事は、騎馬民族征服王朝説の完全否定は勿論、実は凄いことなのである。
 
Y-DNAでしか分らない民族の歴史
まずY-DNAとは何かであるが、Y-DNAとは父親から息子へと、男性のみに伝えられる遺伝子である。そしてその系統の分布を知ることにより民族が辿った歴史を推定できるのだ。
 
それに対して母親から伝えられるミトコンドリアの遺伝子でも民族の歴史を推定できるのだが、女性は子孫を残せる確率が男性のように不平等ではない。どの女性も子孫を残せる確率が高いので民族の歴史が曖昧になってしまうのだ。例えば図1のように、日本のY-DNAの系統の分布は明らかに近隣と異なるが、これがミトコンドリアのDNAの系統の分布では、日本と近隣との差はあまり出なくなるのである。
 
これがどういう事かと言うと、旧約聖書の民数記・第31章を見れば分るだろう。「ミデアンびとと戦って、その男子をみな殺した」、「女たちとその子供たちを捕虜にし」、「この子供たちのうちの男の子をみな殺し、また男と寝て、男を知った女をみな殺しなさい」、「まだ男と寝ず、男を知らない娘はすべてあなたがたのために生かしておきなさい」とある。つまり男性が子孫を残せる確率が平等ではないのだ。
 
これは旧約聖書だけの話では無い。その典型的な例がアメリカ大陸のY-DNA状況である。北米でも南米でも現在の男性の遺伝子を調べて見るとY-DNAは白人のものばかりになっており、原住民男性のY-DNAは殆ど出てこないのだ。
 
ミトコンドリアDNAだけのデータで、昔は民族や国境などの境もなかった等と言う者がいるが、何か別の目的の恣意的な学説か、理解力が足りない者の説と言って良いだろう。

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図1:東アジアのY-DNAの分布。 注、円グラフは崎谷満『DNAでたどる日本人10万年の旅』とwikipediaの情報から作成した。但し、崎谷満の本では古い系統名称だったので、新しい系統名称とした(カッコ内に旧**とあるのが旧系統名称)。また一部推定も含まれる。
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世界の歴史は乗っ取りとホロコーストの歴史
例えば、北米には先住民のインディアンが『土地や自然、全ての物はみんな物』の精神の下、極めて民主的で平穏な暮らしを営んでいた。そこに15世紀にメイフラワー号に乗った正教徒達がやって来きた。インディアンは飢えに苦しむ正教徒達に物を分け与えて彼等を救ったが、正教徒達がやった事は、彼等を救った酋長の息子を殺し、彼の妻子を奴隷商人に売り飛ばし、インディアンの土地を奪ったのだ。
 
これはアメリカ大陸だけで起きた事 では無い。むしろ世界の常識だったのだ。世界の歴史は、後からやって来た民族が先住民族を迫害し、又は奴隷にし、あるいはホロコーストをしたりして、国/土地を乗っ取った歴史でもあるのだ。
 
ところが日本だけが世界と違う。日本では先住民が後から来た民族を受け入れ、先住民による乗っ取りも起こらず、ホローコーストも起こらず、一つの民族になってしまったのだ。当然先住民指導の下、秩序ある受け入れが行われたのであろう。その証拠が先に示した天皇のY-DNAである。
 
図1をもう一度見て頂きたい。日本を特徴付けるD1b(濃緑色)のY-DNAと近縁のD*(緑色)系統のY-DNAであるが、現在の中国の中央に見かけないのはどうした事だろう。チベット、朝鮮、ウィグル、ヴェトナム等の辺境に追いやられているように見えるのは何故だろうか。
 
もう一つ注目してもらいたいのは、日本でD1b(濃緑色)の次に多いO1b2(黄橙)のY-DNAであるが、これは日本に稲作を伝えた長江人のY-DNAと考えられている。長江人とは世界で初めて水稲方式の稲作を発明し、黄河文明より1000年以上前に長江文明を作った民族である。
 
ところがこのO1b2(黄橙)のY-DNAも、日本、韓国、ヴェトナム、インドネシア、雲南の辺境では見かけるが、肝心の長江周辺には殆ど無いのである。実は長江文明は黄河流域の牧畜民の度重なる攻撃により滅ぼされたと考えられている。その長江人のY-DNAが日本人にいるのは、彼等の襲撃から逃げ延びてきた可能性が高いのである。
 
それにしても農民であった長江人が、田畑を捨てて脱出先を危険な海を選んだのは尋常な事では無い。それはヨーロッパの中央に住んでいたゴート人が、フン人のあまりの残虐さに恐れをなして逃げ出した時と同様な事が、東アジアの大陸でも起きていたと想像するしかない。
 
従って長江人のY-DNAと見られるO1b2が中国で殆ど見られないのはホロコーストによるものと考えられる。また中国の少数民族のY-DNAの過半がO2のY-DNAになっていることを見れば、アメリカ大陸の覇者が白人であったように、東アジアの大陸の覇者は中華人民共和国の人口の94%以上を占める漢族であることは間違いないだろう。何故ならO2は漢族のY-DNAと言われているからである。当然長江文明を滅ぼした牧畜民とは漢族だった事は推測できる。
 
縄文人と長江人の幸せな邂逅
然しながら、長江人と縄文人の出会は不思議なめぐり合わせである。この事を幸せな邂逅と言う人もいる。縄文時代は日本列島の人口は東高西低であった。それが縄文時代の後期から始まったの寒冷化により縄文人は南下をする。それでも縄文人の人口は激減する。
 
それを救ったのが長江人のボートピープルがもたらした稲作である。初めは陸稲栽培であったが水稲栽培が成功することによりに日本列島の人口は大幅に増える。それが弥生時代である。つまり弥生時代とは縄文人が長江人の助けで起こした生活革命だったのである。なので従来言われてきた「半島から渡来人が多数来て云々が弥生時代」の説は間違いである。それを裏付ける事実が以下である。
 
朝鮮半島にもO1b2のY-DNAを持つ長江人が流れ着いており、現在の朝鮮人の主要な一員になっているが、日本人の主流になっているO1b2のY-DNAはO1b2a1a1 で、朝鮮人の主流になっているO1b2のY-DNAはO1b2a1a2aと若干系統が違うのである。そのことは同じ長江人でも日本に流れ着いた集団と朝鮮半島に流れ着いた集団とは部族が違うと言うことであり、夫々の比に差が有るのは、その後に朝鮮半島から日本へ来る人の流れはそれ程活発で無かった事を物語る。
 
また米の遺伝子は7種類ほどあるが日本で発見された米は2種類のジャポニカ種(短粒種)しかなく、朝鮮半島では6種類あるが日本で発見された1種類の遺伝子の米が無いのである。それは日本の米は朝鮮半島経由でないことを物語る。
 
さらに日本の水稲栽培3200年前から始まっているのに、朝鮮半島では1500年前程度しか遡れない事や、朝鮮半島の米の遺伝子が、日本の古来米の遺伝子に満州から入った米の遺伝子が交雑しているのが多いことから、朝鮮半島の水稲は日本から伝わったとの結論が中国政府の学術機関からも出ているのである。
 
まさに『豊葦原瑞穂国』の面目躍如の結論である。天皇が率先して長江人の助けを借りながら水稲栽培に力を注いでいる姿が目に浮かぶではないか。
 
石器時代のままであったが世界最古の土器を作り、世界最古の漆細工を作り、硬玉の翡翠を加工するなど物作りが得意な縄文人。これまた石器時代のままであったが縄文土器縄文漆細工と同時代に土器作成や漆細工を行っており、軟玉で有ったが翡翠工芸が得意で、水稲栽培を発明した長江人と縄文人の出会いは幸せな邂逅であった。
 
図2:縄文晩期勾玉、縄文前期赤漆塗櫛、
   長江下流良渚文化玉璧、長江下流河姆渡遺跡赤漆塗椀
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リーダが強権を持たなくても機能する定住民型社会
縄文人と長江人の両者に共通するところはもう一つある。実は縄文人も長江人は落ちこぼれなのである。縄文人はナウマン象ハンターとして日本列島に入ったのだが、ナウマン象は取り尽した時には温暖化が始まったので陸続きだった日本列島は孤島してしまい、帰るに帰れずやむなく海辺や川辺で定住生活に入ったのである。
 
長江人もまた大陸での羊の囲い込み競争で遊牧民に敗れ、動物性たんぱく質を得ることが出来ないため、やむなく長江の川辺で漁労・採取の定住生活に入ったと考えられる。しかしそこは必要は発明の母、土器や漆工芸、特に稲作などは定住したからこそ生まれたのである。
 
それだけでは無い。定住することは人々の仕事を専門化し分業化することを促す。その利点は、一般的な共同作業で人々を協調させて仕事をさせるには、リーダを立てないとうまく進める事が出来ないが、人々が分業している世界ではリーダ無しでも専門家が色々居るだけで協調体制になっているのである。そうなると隣の人は生存競争の競争相手では無くなるのである。
 
日本ではリーダに能力が無くても何となくうまくいってしまうのは、縄文時代からの人々の生き方が身についているのではないだろうか。そして当然早くから定住生活に入っていた縄文人と長江人の出会いは、うまく行くことが約束されていたのである。
 
遊牧民型社会は乗っ取りか足の引っ張り合い
遊牧民も草原が有る大河の辺で牧畜・麦栽培等の定住生活に入るのだが、元々遊牧も牧畜も色々な専門家同士が分業する仕事は少ない。遊牧民同士が協調体制になるときは強力なリーダの指導下に他民族を襲うか他民族の襲撃から守るときぐらいである。その他の時は同じ部族同士でも競争相手、足の引っ張り合いも起きるわけである。国の乗っ取り、奴隷、人間を家畜のように去勢して使う宦官等は何れも遊牧民の発明である。
 
結局のところ習い性となる例え通り、定住しても元の遊牧民型の性質は隠しようも無い。中国が古代そのままにチベットやウィグルに侵攻して、乗っ取りとホロコーストを続けているのは漢民族の性なのだろう。文化大革命は遊牧民時代からの仲間内の足の引っ張り合いと考えれば納得する。
 

図3:支那の人口推移。
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図3のように、支那では王朝が変わる毎に人口が激減する。しかも何れの王朝も寿命が短い。
 
朝鮮半島も遊牧民型
朝鮮半島も後から来た異民族による乗っ取りの歴史である。まず朝鮮半島ではBC10000からBC5000の間に人が住んでいた形跡が無い。その後長江からのボートピープルが流れ着いたと考えられる。そこに魏志東夷伝に登場する三韓の一つの馬韓は長江人が築いた国と考えられる。
 
馬韓はその後百済になり、百済は遊牧民族の扶余が作った国と自称していたが、披支配階級とは言語が異なるとあるので馬韓は乗っ取られたことは確かである。しかし百済は新羅に滅ぼされる。
 
ところがその新羅の前身は魏志東夷伝に登場するもう一つの国の辰韓だが、辰韓は唐の支配から逃れて来た難民を馬韓の王が土地を分け与えて出来た国である。つまり馬韓は二重に乗っ取られたのである。
 
百済を滅ぼした新羅はその後李氏朝鮮そして現在の南北朝鮮に繋がるのだが、現在全羅道と呼ばれるかって馬韓があった地域は、統一国家が出来て1300年になろうとするのに依然差別の対象地域なのである。
百済は繁栄するが短命。李氏朝鮮は長命だったが衰退する一方。乗っ取ることは上手でも国作りは下手なようである。
 
異民族の受け入れは厳正な秩序が必要
縄文人と長江人の邂逅が幸せな邂逅と言っても、無秩序な異民族の受け入れだったら、その後単一民族と言われる程の融和的混合は無かったろう。それが出来たのは先住民である縄文人の指導の下、後から来た民族の勝手、すなわち徒党を組んで内なる外を作ることを許さなかったからである。
 
その悪しき例が現在の欧州での難民受け入れである。例えばスウェーデン。スウェーデンは善意で難民を受け入れたのだが、難民は一部地域に塊って住み、その地域には元から住んでいたスウェーデン市民は勿論、消防車さえ警察官が一緒ででなければ入れなくなっているのである。
 
図4:スウェーデン国旗を燃やす難民。テレビクルーに暴力を振る難民。デモで天皇の骸骨かざす在日外国人。日の丸をうんこの形に変形して、参政権をよこせとデモをする在日外国人。
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日本で長江人を受け入れたとき、天皇の先祖がその地域の長だったかどうかは分らないが、その後の天皇の時代では日本は高句麗や百済からの難民を受け入れ、移り住んだ彼等が日本民族の良き一員となっているところを見れば、権威を持つ天皇が居たからこそ秩序ある受け入れが出来たと思われる。
 
人は集団の中でしか生きることが出来ない。その集団の秩序があってこそ人は安らかでいられる。その秩序を得るには集団を治める長が必要になる。そして長は権威がないと集団を治めることが出来ない。残念ながら我々は未だ長を必要とする猿なのだ。日本ではその長が天皇なのだ。 
では権威はどのようにして得ることが出来るのだろうか。天皇の場合は国民が担ぎ上げる事で出来上がる。そこにはチンギス・ハーンのような能力もカリスマ性も必要が無い。逆にそれだからこそ日本が現存する一番古い国なのだ。つまり天皇は神輿なのだ。そして国民がお互いに謙って神輿を担ぐ姿こそ、日本型民主主義の発露なのである。
 
それに対して西欧型民主主義はどうだろう。お互い権利を主張し衝突するので裁判官、弁護士、警察官がより必要いなる。渋谷のスクランブル交差点が外国人の観光のメッカになる理由は、日本型民主主義を見ての驚きなのである。図6も日本型民主主義の成果の一つである。
 
図5:
左、膝を突いて被災者を見舞われる両陛下のお姿を見て海外の多くの人が感動した。
右、天皇賞で貴賓室の天皇皇后両陛下に最敬礼する優勝したイタリアのミルコ・デムーロ騎手。
しかしこれも多くの日本国民が陛下に敬愛の念を持ってこそ。
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ついで言えば、本来なら日本では天皇以外の権威は不要である。 例えば何を勘違いしたのか、恰も権威者の如く発言する例えば学術審議会等の人がいるが、日本型民主主義を理解していない不遜な人だと言えるだろう。
 

図6、OECD諸国の強姦発生率(拡大)
世界各国の強姦発生率である。日本は最下位。日本は女性の人権について遅れていると言う人がいるが、これを見てどう反応するだろうか。それは日本が単一民族だからと言う人もいるかも知れないが、それは違う。Y-DNAの配分を見ても分かるように、日本は東アジアで滅亡した民族を含め多様な民族で構成されている。それを単一民族にしたのが日本なのだ。
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北海道独立論・沖縄独立論
最近北海道では、『日本人に虐げられている先住民族アイヌ』の構図を作りだそうとしている人達がいる。最初にそれを言い出したのはアメリカ人だったが、現在は在日韓国人もその運動に加わっているようである。アメリカ人の場合は自分達の悪行を日本に転化する為であり、韓国人の場合は日本の悪評を広めることが自分達の地位を上げると信じているからである。
 
では江戸時代の日本人はアイヌ人をどう見ているかと言うと、幕末のおり千島列島に上陸して捕虜になって日本人をつぶさに観察したロシア仕官ゴローニンが、日本人はクリル人(千島アイヌ人)と日本人はかって同一民族だったと信じており、それに対して日本人は支那人同じ祖先と考えることすら忌み嫌ってことを書き残しているのである。事実、世界中で同じY-DNA持つ民族は日本人しかいない。当然同胞と思っているアイヌを日本人が迫害する訳がない。
 
また沖縄でも同様に中国が『琉球人と中国人は同じ民族だった』などと、沖縄を日本から切り離すために盛んに沖縄独立を行っているが、Y-DNAを見る限り沖縄人と現代中国人は殆ど関係が無い。沖縄人の主流なY-DNAは本土と同じD1bであり、漢族のY-DNAのタイプと言われているO2の割合は、日本本土の20%程に比べて沖縄ではおよそ16%と、沖縄の方が少ないぐらいである。
 
ではこのO2のY-DNAが何処から来たかであるが、例えば中国には日本に来た長江人のY-DNA(図1、O1b2=黄橙)と少しタイプが違うが、やはり長江人と考えられているミャオ族(図1、O1b1=濃橙)のような少数民族がいる。ミャオ族は明の時代まで漢族に抵抗した民族であったが、ところが彼等のY-DNAの割合は殆どO2で占められているのである。その理由は北米のインディアンのY-DNAの殆どが白人のDNAになっていることと同じである。
 
従ってこれは日本全体に言えることだが、日本列島のO2のY-DNAの殆どは、漢族が長江人女性に生ませた男子のY-DNAと言うことである。つまりそれは漢族ではなく長江人であり、少なくとも長江文明が滅んだ後の漢族とは別民族である。また本土の方がO2のY-DNAの割合が多いのは、朝鮮半島からの流入の為であるが、それも少数である。
琉球方言は古い日本語の万葉言葉。稲作も本土から伝わるなど沖縄は完全に日本の文化圏なのだ。
 
もう一つ。こじつけかも知れないが、ひょっとしたら沖縄人は火照命の子孫かも知れない。日本の古称はヤマトである。漢字では大和と書くが、倭・日本をヤマトと言う時もある。しかしヤマトは山人ではないだろうか。山幸彦と海幸彦の神話があるが、山幸彦は火遠理命(ほおりのみこと)で天皇の直系にあたり、海幸彦は火照命(ほでりのみこと)のことで火遠理命の兄にあたる。山幸彦が山人なら海幸彦は海人、つまり沖縄方言ではウミンチュとなるのである。
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あらためて日本に天皇以外、権威は必要が無いと思う。このチラシを作るため10冊以上の本が側にあるが、納得いった結論に至ったのはネット発信しくれた一般人の情報である。と言ってもこれ等の本を書いてくれた専門家に文句を言っている訳ではない。彼等とて、いい加減な研究から本を書いたわけではないだろう。色々な情報を発信してくれた事には感謝している。只、彼等をNHKなどが権威者として登場させるのが気に入らない。人々が新しい情報を知ることさえも阻害するのだ。あらゆる事に日本に権威者などいないと物事を進めれば、日本は多少は良くなるのではないだろか。

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