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崗上虜囚の備忘録

日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください

禅・達磨の目2

8日の記者会見で、藤村修官房長官がダライラマを会談した口頭で注意したことを明らかにした。理由は『(ダライラマとは)接触はしないのが通例だ』とか。

恐らく支那の目が怖いからであろう。藤村修本人も気が付いていないと思われるが、知らずのうちに支那に洗脳されていたのである。民主党の手合いはこんな者ばかりである。公平に言えば、公明、社民、共産も全員同じ、自民も殆どであろう。

戦争と聞けば反対としか思いつかず、核については考えてもいけない。自分の頭で考えなかった人間は皆こうなる。洗脳頭ほど上から目線線である。そのくせ自信が無い。会議が好きだが、自信が無いから国際会議ではだんまりである。だから誰かに指摘されると、突如謝ったりする。

この手の指導者を頂いた国民は不幸である。まず国民の自由を奪う。何故なら、彼(指導者)自身、思考の自由が無いからだ。自分の頭で束縛を断ち切らなかったからだ。

【禅・達磨の目2】
禅の開祖達磨大師を模した高崎ダルマは、縁起物で有名である。それは願掛けに使用する。願掛けをする場合、左目に墨で目を入れて床の間に飾って置き、満願成就のあかつきに、もう一方の目も入れるのをしきたりとする。

何故、願掛けのとき片目で、満願成就のあかつきに両目とするのか。この理由について書かれているのを見たことがないので、勝手な解釈をして見る。

禅書を読むと、しばしば一隻眼を具すとか、片目が開くの言葉が出て来る。禅でなくても、一隻眼を有するような人間は、達人の域に達した人間を指す。

片目でも目が開いてる時と、両目が塞がった時ではえらい差である。両目を瞑った状態では道など歩けない。処が片目でも開けば全てが見える。片目が開くこととは、即ち世界が見える状態になることである。

つまり禅では、一隻眼を有するは悟りを開いた状態を表し、片目が開くの意味は悟りを得た時を指すのである。恐らく高崎ダルマの目入れも、この故事から来たものであろう。

(この悟りを開く=片目が開くの例えは、少し引っかかる。片目が開いていない人は、見えないのではない。色付きサングラスをかけているのである。サングラスをかけないと見えないと思い込んでいる人である。従って、悟りを開く=サングラスを外す、であろうか)

しかし高崎ダルマは願掛けの時片目を入れる。禅の目標は悟りでは無いのか。両目が開いた状態はどの様な状態なのか。禅では両目を開くのは何時なのか。申し訳無い。私は両目が開いた状態はどの様なのものか、それが何時なのかは分かない。

只、般若心経には、片目が開いた者が最初に言う言葉である『色即是空』と『空即是色』が書かれているが、経の最後に『羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦』と呪文のようなものが書かれている。

これは、サンスクリット語『ぎゃていぎゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼじそわか』の漢字による音訳である。意味としては『行こう、行こう、彼岸へ行こう』程度の他愛無いものであるが、これこそ片目が開き、悟りを開いたときは、まだ彼岸に達していない事を意味しているものである。

昔、日経の有識者のコラム欄に、加藤辨三郎と言う協和発酵社長が時々投稿していた。本質的な処から物事を見、鋭い分析をするので注目していたが、そのうち時折禅句等も引用するので、禅をたしなんだ人であろうと想像していたが、果たしてNHK教育TVに禅の講師として出ていた。一隻眼を有する人間だったのである。

会社では研究者達に請われ、禅の講義をする事もあるという。処が何年後かに又NHK教育TVに出ているのを見て驚いた。何と今度は念仏の講師としてである。自力本願の禅から他力本願の念仏へである。社長から会長になったのであろう。会長室に観音様を持ち込み念仏三昧だそうである。これも悟りだけでは駄目だったということなのであろう。

又、臨在宗の祖・臨在は、師・黄檗の下で大悟するに至ったが、ある日臨在は黄檗がお経を読んでいるのを見てあきれた。『経典も釈迦の言葉も、月を指す指のような物。そんな指を有り難がるとは』と思い、黄檗の下を離れようと、暇の挨拶をして少し問答した後に下山した。だが『はてな、まてよ』と思い直して引き返した。臨在はもう一つ悟った。悟りの先が有ることを。

悟りは始まりなのである。北禅を伝えた神秀の偈『時時に勤めて払拭せよ。塵埃を惹かしむる勿れ』や、趙州が『塵が、また一つ飛んできた』と答えたのも、常に心の掃除をしなければならない事を教えてくれる。

常に掃除をしなければならないのなら、説法を暗誦できないほど愚鈍だった周利槃特が、釈迦に言われて比丘衆の履物等を『塵や垢を除け』と唱えつつ払浄して、ついに安心立命を得たのだから、悟りを得た者と未だ悟りを得ていない者は、同じスタートラインにいることになる。

これを修行とするなら、清潔好きな日本人は皆資格がある。第一禊や清めが努めである神道の信仰が修行である。しかし個人が安心立命を得る為修行するのにも、静かな環境が無くてはならない。

昔の日本にはそれが有ったのである。昔の為政者や知識人は、両目が開くまで至らなかったかも知れないが、仏教の奥義を知り、禅に通じ、悟りを開き、片目の開いていた人間が多かったからである。

それより何より、悟った者、片目の開いた者は思考が自由である。上に立つ為政者や知識人の思考が自由なら、下々にも思考は保障される。以前のエントリーで日本の芸術が如何に自由であるか言った。何故日本の芸術が自由なのに、日本に古い伝統が保存されのか。それは、片目の開いていた為政者や知識人により、静かで自由な環境が作られていたからである。

しかし現在の日本はどうであろうか。もう言論統制は始まっている。色メガネをかけた思考の不自由な人間達が、同じ色メガネをかけろと騒いでいる。何も見えぬ目で古いものは悪いと壊し始めている。おそらく経済も文化も衰退するだろう。片目の開いていない為政者は資格が無いのだ。

悟りは始まりである。しかし始まりの始まり、一言有る者はまず悟るべきである。
高崎だるま屋さんの画像を借りました。
 

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コメント

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無題

色メガネをかけた思考の不自由な人間達・・・

これは、特にキリスト教徒に多いような気がします。

前のエントリーで書かれてましたが、キリスト教と言う宗教は、ほんとに心を縛ってしまいますね。
あれを、信じ込んでしまうと、もう、なにも耳にはいりません。

私が、中韓さんのブログで、キリスト教の贖罪論を批判した後でしたか、、、へんな女性のコメントがありました。
あのブログの保守は左翼より始末が悪いとかなんんとか書いてましたが、、わたしにはなんとなく、クリスチャンではないかと言う気がしました。たぶん、わたしへの当てつけだったんじゃないかと思っております。

はっきりいいまして、キリスト教徒にメシアはこないし、死人が蘇ることもないし、彼らが、イエスの再臨で救われることもないでしょう。救いとは、自分がやるもので、他者から押し付けられるものではないからです。

キリスト教徒の悪いところは、キリストに縋ってばかりで、自分の足で歩こうとしないところです。

例えて言えば、優秀なクリスチャンとは行儀のいいおぼっちゃんです。
行儀はいいかもしれませんが、キリストにまとわりついてはなれようとしない甘えん坊ですね、、。


こんなところで彼らの文句を言ってもしかたありませんが、、^^。
自分でも笑ってしまいました。


とにかく、崗上虜囚さんのおっしゃるように、人間は自分で自由に考え、取捨選択することが重要なんでしょう。

それは、傲慢ではなく、神が造りたもうた世界を自らの手でさぐり、足で歩き、探究するところに価値があると思うからです。

ただ、重要なのは、この被造世界の真理と言う因果律を感じ取る、感性をつねに磨いて、曇りをなくしておくことなんでしょうね。

無題

今の世界は、言ってみれば経済ありきの世界です。

人間、食べられなくなれば死ぬ。
現実の、世界で、生命財産を守るのは金だ!!(ユダ金そのもの)。
経済なくして、物事は語れない、、。


今の世界はほとんど、この論理で動いています。
ユダ金もそうだし、中国の軍閥もそうでしょう。
自分たちがいつまでも繁栄する道筋を一歩たりともはずれない。


人間が、思考の転換をするなら、まさにここですね。
経済を、離れた思考。、、人間としてあるべき生き方への思考。
そういったことが大事なのではと思えてなりません。


今、騒がれてるTPPも、経済至上主義で、限界がきたアメリカの最後のあがきにしか見えない気もしてきます。

仮に、このTPPで、アメリカが一時的に救われたにせよ、いずれ最後の時がくるような、、。
間違ったやり方は、限界が来るというものですね。
が、その時に、日本がいかような姿になってるかは、想像したくないですね。

別に、精神論をふりかざす訳ではありませんが、経済のみでは解決しないことを悟ってほしいものです。
経済と言う、魔物から越えた先に、自然な本来あるべき社会があるように思えるんですけどね。

日本が、それを失いさえしなければ、それに気が付いてくれる国は多いと思うんですが、、。


それも、最近はこころもとない気がします。

愚痴ってよいですか

崗上虜囚 様、こんばんは。

私も御相伴にあずかり、禅のお話を聴いております。
しかしながら、禅とは?悟り大悟とは?まるで理解できそうにありません。不肖な弟子?で申し訳ないです。

話変わりますが、愚痴っていいですか?

もう皆様は、中韓さんでコメントしないのですか?

昔から常連さんなどがコメント欄をリードし交通整理してた頃、新参者の私も安心して意見表明できました。

中韓さんで、懐かしいHNだったので声を掛けたら…昔のママ、頭が良すぎてついて行けなかった。スルーすべきだった。(笑)

つい最近、○仙○さんが○さんと理解しました。
『しののめ』さんも『篠の目』にHN変えたんですか。中韓さんで酷い目にあったから、中韓さんに来ないのですか?
あの事件以来、あそこ少しギスギスした感じに思う。
はぁ~。

無題

酒と泪と 様
>悟り大悟とは?まるで理解できそうにありません。
気が付くだけです。ほっぺたについたご飯つぶみたいに。なんでも根本を考えると気が付くことが多いです。経済も同じです。

もっとも、何も悩まなければ悟りなんて無用です。白隠禅師の公案『片手の音を聞くより、両手打って商いせよ』です。それが出来ない人が悟りを必要とします。

>もう皆様は、中韓さんでコメントしないのですか?
しばらく、コメントしないで様子を見てたら、結構新しい人もコメントしてるし、荒れが少なくなったように見えます。

荒れたのは、アンチ中韓連中は、中韓さんのブログが目障りで、まず中韓さんを貶めるコメントをしていましたが、常連に叩かれ矛先を常連に向けたからのようです。なので暫く様子見です。中韓さんにも言ってあります。コメントしても別HNでします。

>○仙○さんが○さんと
エ?。誰だろう。

処で、篠の目さんも言っていましたが、安倍さん桜井さんのTPP賛成をどう見ます?。フリーメーソンに入っているとか、明らかに一般国民と違うグループにいると思います。

無題

杜若 様
カトリックは禅が公認なんです。加藤辨三郎氏が禅から念仏に鞍替えしたように。禅からキリスト教も有りと思います。キリスト教をやりながら禅に入るも有りでしょう。悟りを得た後、信仰の道に入れば、本当に迷い無しの信仰です。

>TPPも、経済至上主義
支那人も、欧米人も欲の任せる処、勝手な理論を振りかざして、我が物顔で突き進んでいるだけですが、日本人がその勝手な理論に振り回されているのです。だから悟るべきと言っているのです。

泥棒猫が来れば追っ払う。可愛い猫が擦り寄ってくれば撫でる。世界中の猫にどう思われるかなんて、普通は考えないでしょう。でも日本人は悩んでいます。

TPP?。シッシッ。

安倍元総理

崗上虜囚 様

安倍晋三氏のTPPについての考えは、私が知る限り
YouTubeでのインタビュー映像、反対が盛り上がる前の古い情報と認識してます。

安倍晋三氏のホームページでは、TPPにふれた発言なし。

2ちゃんで知った、ザクザク?での連載記事では慎重派と見ることが出来る。TPPでの前の私のコメント時。

新しい情報は知りません。

正直、安倍晋三氏が賛成派なのか慎重派なのか判断つきかねます。

祖父の岸元総理の流れから親米派とは思いますが、親米=アメポチと私は考えません。
アメポチから見れば、私など反米民族主義者でしょうが。一番尊敬している政治家はJ.F.ケネディで米国人です。私自身は親米派と思っています。(過去は別)

○○堂さんが、御自分のブログで半分告白してます。内容からして
○さん さんではないかと…。

無題

酒と泪と 様
櫻井よしこ氏は歯切れが悪かったので何かを隠しているように見えます。大田弘子は洗脳組かな?。でも産経、読売とかは、明らかにアメリカの代弁者です。

戦後の、米食からパン食へのプロパガンダも、厚生省がアメリカの資金でやっていたのだから、未だにアメリカの代理人はあちらこちらに根を張っていると思います。

現在の朝鮮系が日本の組織を乗っ取った状態は、元はといえばアメリカの政策でしょう。なので日本を立ち直らせるには、支那・朝鮮系を日本の政治から排除すると同時に、アメリカとの腐れ縁を断ち切る必要があります。
安部氏がそれを、断ち切れるかです。

自分でプログを書くようになって、情報収集が疎かになっています。イカンですね。

無題

>酒と泪と様

お久しぶりです。

私の場合、中韓さんが突如私をアクセス禁止になさったため、書き込めませんし、書き込む気もありません。

多少無理をして書き込んでもいたので、お役御免となったのはむしろ好機でもありました。

みなさんにごあいさつしたくてもできなかったこと、また「はる」さんのご投稿が最近までないのだけが心残りでした。

最近はアメブロで独り言のような書き込み(偶然私も「備忘録」と自己紹介しました)をしております。

中韓さんに関してはあまり多言するつもりはありませんが、最近見に行ってもあいかわらず荒らしコメントも放置してありますね。

コメント数が多すぎて管理できないのでしょうが、連絡先を伝えてあるにも関わらずいきなり削除されたり、誹謗中傷コメントは放置なので、むしろ番犬気取りは迷惑なのだろうと考えています。だから、もう私は中韓さんのところのコメント欄がどうであろうが何も感じないようにしております。

お声かけ感謝しております。

なお、HNを一部変えているのは、万万が一のことですが、中韓ブログで粘着していたものにこちらでまでストーカーされないための用心です。

無題

しののめ 様
>「はる」さんのご投稿が最近までないのだけが心残りでした。

そうですね。私も遺伝子の続きを待っているのですが。

>最近はアメブロで独り言のような書き込み(偶然私も「備忘録」と自己紹介しました)をしております。

ブログ開設をしたなら、URLを教えて下さい。

>なお、HNを一部変えているのは、万万が一のことですが、中韓ブログで粘着していたものにこちらでまでストーカーされないための用心です。

心配は無用です。

無題

達磨・・・・ですか。

ボクは崇高で深い考えってのは
出来ないんですが、
この『神様』におめににかかるのは、選挙の手伝いの時だけです(笑)
ブログ主様が丁寧に触れておりまして『あ、なぁ~るほど』って
思いましたが、やはり達磨さんはかわいそうです。
神様(?)なのに、人様からは、
願いを叶えてくれないと、目を入れてやらないぞ・・・ですもんね。
まぁ、本人(?)にしたら、入れてもらうのは余計なお世話なんだと言うこともわかりましたが。

ためになりました。ありがとうございます。


>篠の目さん

おひさしぶりです。お元気でしたか?

ボクは篠の目さんのコメント、
大好きなんですよ(笑)
その人、その人に合わせた口調は『さすが・・・』って思わせます。
子をあずける親の目から見れば、目尻を下げるキャラの先生って感じです。

世の先生たちも、価値観を多岐に有する子供たちに難儀してるようです。
ご近所に住んでる元先生達・・・退職されて初めて本音を言える
環境になるんだと、しみじみ言って居られました。

意味深ですよねぇ・・・・・。

無題

みなさんお元気そうでなによりです。

中韓さんのコメント欄は、ちょっと他人行儀の観がして、コメントしにくくなりましたね。

私が最初にコメントした頃と比べるとずいぶん顔ぶれも変わったような気がします。

なにしろ、ちょっとのことで荒れちゃいますんで、へたな援護射撃も出来ません。


ところで、私は気分でコメントをすることが多いので、それも手伝って、最近はコメントが減りました。

でも、常連さんは減っても、最近頑張っておられる、御隠居さんとか、、^^、、いい味だしておられますね。
もちろん、酒と泪とさんも!。

ここのところ、久しぶりに、けんぶつさんのコメントが多いですね。一時期、あの人と論争したことがありました。、、ちょっと苦手なタイプです。

篠の目さん、URLがわかれば、まさにお邪魔しますよ、、^^。

無題

崗上虜囚 様、皆様、こんにちは。

千客万来ですね。
篠の目 様
お久しぶりです。
中韓さんでアク禁ですか…信じられない。ブログ主が忙しいので、新たに管理する人を置いたと認識してましたが…。そこまで強権発動ですか。くわばらくわばら。
私にもブログを教えて下さいな。
ブログ主になれば強権がありますから、ストーカーは排除できます。御心配無用。

西斗康拳 様
超お久しぶりです。
私の知らない間に、中韓さんからコメント撤退されたよし、寂しい思いをしてました。また宜しく御願いします。

杜若 様
ときどきは、ご意見を聴かせて下さい。
御隠居さん、いい味出してます。本当に。コメントのしかたから、確かに新人さんと思います。
新人さんの中には、常連さんが新HNでと感じる方もいます。○蔵さんとか参○さんとか、私の感覚だけですので根拠はありませんが。
中韓さんは、やっぱり楽園であって欲しいですね。

皆様のお言葉に甘えて

ブログの最初のページのURLを書かせていただきました。でも、どこに反映されるのかな?

ランキングにも参加していないし、義理あってこわごわ参加しているfacebookで再会した教え子が一度コメントを書き込んでくれただけという閑散とした所です。

お茶も出せませんが(笑)そんなところでよろしければ感想文程度の駄文を肴にしてご歓談くだされば幸甚です。(ただし、私としてはこちらで皆様とご一緒させていただけたら、いつでも私のアメブロなど閉鎖して構わない思いです)


>崗上虜囚様

本来のコメントですが、お世辞ではなく、相変わらず達意かつ簡明な文章で禅あるいは悟りについてご教示くださり、ありがとうございます。怜悧な洞察と広汎な知識あふれる文章のセットで、その1、その2とも、上質な文章を堪能させていただきました。

私も「色即是空」と言った直後の「空即是色」には、数学でいう「必要十分」の証明をしたというより、「意識の流れ」を読み取るのが自然でいいと思います。

悟った、と思った次の瞬間からウソになっていく自覚・・・

「生きている人間は何とも形容しがたい。死んで初めて落ち着く」という言辞も昔からあるようです。

「かたち」にすれば「形骸化」という堕落あるのみ、だからあえて「未完成」にとどめ置くという思想が、日光東照宮の一本だけさかさまの柱などに現れているやに聞きます。

そこに、言葉の場合「レッテル張り」という固定化を嫌う、「ありのままの生命」を尊ぶ真情を読み取れると私は思います。

無責任なくらい第三者的な冷めた目で、言語を美的鑑賞の対象とした芭蕉は「言いつくして何があろうか(いやない)」と喝破しましたが、これもまた、「ありのままの生」を貴ぶもので、ゴージャスに構築して自己満足する西欧風の建築様式、どこまでも説明しきるつまり完成形に執着・拘泥する哲学・科学とは一線を画するものでしょう。つまり、作者の「あえて一歩踏み込まない」姿勢が享受者の「自由な想像」を援けるといった、「あそび」を作っておく仕事(句作)に結実している。

エントリの文章を拝読し、ドナルド・キーンさんの昔の文章を思い出したこともあり、想起の赴くままにつづらせていただきました。

無題

>酒と泪と様

あ、いえいえ、こちらこそ大変ご無沙汰しております。
お元気そうですね・・・・よかったぁ。


楽仙堂さんのところから
こちらにワープしてきました。
近所のよしみで、仲良くさせてもらってるんです(笑)
ただ、最近ボケキャラでやってるので、TPPについて『なっとらん』と、楽さんに叱られたばかりです・・・・・いかんですねぇ。

無題

今日はお客様が一杯で。
西斗康拳 様
神様(さん)は毎日拝んでいるんじゃないですか。いや、しかられているかも。

篠の目 様
さっそくリンクを貼らさせていただきました。

杜若 様
>私は気分でコメントをすることが多いので

それが一番いいですね。私も気分でブログを書くことにします。

>酒と泪と 様
読んでいただけるだけでもありがたいのに、毎回コメントして頂スミマセン。

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