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崗上虜囚の備忘録

日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください

天皇の遺伝子

高島宗一郎福岡市長の支那から研修生年間800人受け入れとか、海水淡水化技術を公開するなどのニュースに血圧が上がる思いをしている人から見ると、お花畑と言われそうですが、今日のエントリーは天皇の遺伝子、つまり出自です。『天皇の遺伝子』は、進化生物学者氏の著書名ですが、『天皇の出自』と題するのには、恐れ多いので『天皇の遺伝子』としました。(同じかも)

『天皇の遺伝子』を書くに至ったのは、最近読んだ中田力著『日本の古代史を科学する』に、ちょっと気になる天皇の出自が書かれていたからです。

私は、日本人の形成に興味を持って調べています。なので、書店にいっても日本の古代が書かれた本の棚に目が移ります。しかし興味をそそられる背表紙の題とは裏腹に、トンデモ類ばかりが並んでいます。それにしても、朝鮮人やサヨクが書いた本が多いこと。

最近は本を買うのにも、サヨクか朝鮮人が書いたものかを確かめることにしています。何故なら、彼らが書いたものは、面白くないのです。僅かに残った遺跡や、DNAや言語、民族の文化から古代人の営みを推論するのは、楽しい遊びです。

しかしサヨクが書くと、いきなりサヨク価値観からのお説教となります。(そのお説教が、どういうものか『「日本人」はどこから来たのか 』を見て想像して下さい)
 

又、朝鮮人が書く本も面白く有りません。現在世界に喧伝している剣道・茶道などと同様、日本の文化はすべて半島から来たものばかりと言っているだけで、学術的価値はゼロ、推論を刺激をするものも有りません。

それに対して、『日本の古代史を科学する』を書いた中田力氏は、MRIの世界的権威者で複雑系脳科学でも世界的権威者だそうです。従って、魏志倭人伝等を複雑系科学から読み解いて、新たな見解をこの本にまとめています。

それによると、奴の国は佐賀平野に位置していると想定して、従来の福岡市としていたのと違います。確かに魏志倭人伝に書かれている方位に従えば、奴の国は佐賀平野に位置し、吉野ヶ里遺跡が有った事からも、納得できます。それから水行過程は有明海を陸沿いに行くことであり、そこから陸行して行く着く先は宮崎平野になります。

結果、中田氏の推論では、邪馬台国は宮崎県・日向の国に有ることになります。水行10日や陸行1ヶ月の時間は、距離ではなく%として、方位は正しいとするとそうなるのかも知れません。

確かに、神話に書かれている天孫降臨の地は日向の国で、また宮崎県は神社が多いことも有名です。しかし宮崎県は、奈良県・大和の国のように大型の古墳が多数ある訳では有りません。邪馬台国が金印を貰ったのは、印度や大月氏のように大国であることが認めれらたからです。

この点、蔵琢也氏は、宮崎県は平野部が少なく、大人口を養うのに不利だとしています。そこで中田氏は、小国にも関わらず、魏が邪馬台国に金印を与えたのは、邪馬台国を治める者の出自が高貴な出自だったからではないかと推測します。

日本人の中には、O2bのY遺伝子を持つ男性が多数存在します。このO2bタイプは長江文明の遺児のタイプと思われています。長江文明は黄河流域の牧畜民=漢族に滅ばされ、かなりの人間が日本列島や朝鮮半島南部に逃れたと思われます。これがボートピープルの第一波です。

日本列島では、稲作は縄文時代から始まっていますが、それを伝えたのも長江から逃れた人々だと思われます。一方大陸に残った、長江人は稲作技術を買われ、漢族に支配下に置かれます。それが呉の国や越の国等です。百済がそうで有ったように、呉も越も、支配者と被支配者が違う民族で有ったことが想像されます。

呉の国を治めた太伯、虞仲は、周の皇帝の長子、次子です。二人は末弟の季歴に後継を譲るため、呉の国の民の風習である刺青を全身にしたとの伝説が残っています。刺青は蛮族の証と言われていたそうですが、別の見方をすると、刺青をしてまで被支配階級に理解を示したのは、被支配階級である長江人の文化が高かったから、とも読めます。

その後、呉は隆盛を誇りますが、越に滅ぼされます。支那の興亡の歴史は虐殺の歴史でもあります。当然多くの人間が、先を争って逃げ出した筈です。これがボートピープルの第二波です。呉の国は、日本とゆかりが深く、庶民の技術は高かったようで、『呉の国の刀は優秀で、倭鍛冶、韓鍛冶が挑戦したが匹敵するものが出来なかった』との記録もあります。その後日本は日本刀を開発しますが、日本刀の祖は呉の刀剣なのでしょう。

そして高貴な出自と言うのが、ボートピープルの中にいた周の皇帝の血を引く呉の貴族であり、邪馬台国には、周の皇帝の血を引くものがいたから金印を与えられた、つまり天皇家は周の皇帝の血をひいている、と言うのが中田力氏の説です。

果たしてそうでしょうか。私はまず、言語と神話の観点から見て違うと思います。日本語は孤語言語と言われています。近いとされる朝鮮語とも8000年以上離れていると言われています。現在の日本語は縄文時代から伝わっているものです。中田氏の言うように、高度な文化を持つ集団が、縄文人を追いやって邪馬台国を築き、その後の日本に発展したなら、日本語は長江人が使っていた言語に近いものになっていた筈です。

逃れた長江人が作ったと思われる国の一つにタイがあります。タイの男性のY遺伝子の殆どはO2aなので、日本人のO2bのタイプとは多少違いますが、かなり近いタイプです。呉越の時代では、支那の南部はタイ語に近い言葉が話されていたの説もありますので、長江人がその後の日本を作ったなら、日本語はタイ語とかなりの共通性がなくてはなりませんが、そうでは有りません。

言語こそ文化の元です。言語から見れば、大陸から渡ってきた人は、多くの文化を伝えたが、先住民である縄文人に飲み込まれたと言わざる得ません。恐らく、縄文人が三々五々渡ってくる渡来人を受け入れ、渡来人と急速に融和したと思われます。

それは、縄文人の男性のY遺伝子のタイプと言われているD2タイプが、現在、30から40%の多数派を占めていることからも窺がえます。縄文人は縄文末期の寒冷化により数万人に激減したと言われています。それが長江人がもたらした稲作で救われたのです。稲作も数十年で名古屋あたりまで北上しています。これも定住生活が長く、物作りに長けた縄文人なので、技術伝承も容易だったのでしょう。

後、中田氏の説が違うと思うのは、神話です。若し呉の貴族が邪馬台国を築く、若しくは邪馬台国の長に祭り上げられて、それで金印を与えられていたのなら、古事記や日本書紀に誇らしげにその事が書かれている筈です。

呉の国の伝説は支那にありますが、呉越同舟の言葉があるように、史実に近い形で残っています。それは記憶が新しいからです。それなら当然、呉の国を脱出してきた人々の話は史実に近い形で神話の中に残っているはずですが、なにもありません。天の岩舟の話は有りますが、神が船で渡って来た記述も無いのです。

古事記の初めに有るのは、天地未だ別れていない時に、次々と現れて消えてゆく不思議な神達の描写です。そして、イザナギ命、イザナミ尊にまつわる、火山の描写としか思われない火の神の多さです。これは大陸とは関係なく、神話の形成時期が古い事を意味します。

そう考えると、天皇の出自は、D2タイプの遺伝子を持つ縄文系ではないかと思わざる得ません。勿論、先住民も渡来人も融和した社会の中から、優れた長が選ばれたのだと考えれば、天皇の出自が渡来系の可能性も否定できません。しかし中田氏が言うような、渡来系が縄文系を追いやったことは無いと思います。当然、騎馬民族が天皇家の先祖などの話は、荒唐無稽以外何ものでもないでしょう。

中田力は、線形科学しか知らない人文系科学者が現実とは掛け離れた解を出しているが、複雑系科学を応用すれば解けると言っていますが、氏の解も首を傾げたくなるのが一杯あります。

その一つが、徐福伝説です。徐福が始皇帝を欺き、3千人の技術者と五穀の種を持って日本に旅立った目的は、徐福が姫姓の再興の為に、日本にいると思われる姫姓の人間を迎える為と、中田氏は考えているようです。

そして中田氏の説がトンデモだと思われるのは、『徐福が連れて行った貴族の臣下に、チベット族である羌族が多く含まれており、日本にDタイプのY遺伝子を持つ男性が多いのはその為である』との説です。

そもそも、Dタイプと言っても、チベット族のY遺伝子のタイプはD1かD3タイプで、日本人のD2タイプとは違い、D1・D3タイプは日本列島にいません。D2タイプは、アイヌや琉球人の方が多く存在しているので、彼らを徐福が連れて行った子孫とすると説明が付かなくなります。

又、あいまいですが、大国主命が韓半島からの養子であり、それは邪馬台国と同様、高貴な血を持つ博多の奴の国に対抗するため、半島から養子を迎えたというのが中田氏の考えです。

しかし新羅の前身は辰韓。辰韓は秦の労役から逃亡してきた秦人であり、馬韓が地を分け与えて出来た国です。しかも王族は馬韓人だった国です。半島の三韓時代、馬韓も辰韓も弁韓も金印処か銅印も貰えず、王も名乗れず、陶印程度しか貰っていないような国々です。そのような前身を持つ新羅に、とても高貴な血が有る訳がありません。

中田力氏は、大上段に複雑系科学から『日本の古代史を科学する』書いたとしていますが、全てとは言いませんがトンデモ本に加えたくなるような内容です。

 

お勧め:『天皇の遺伝子』、『Y染色体からみた日本人』

 

 

後書き。
太伯、虞仲の刺青の話を読むと、こういう領主と領民の関係が続けば、支那にも封建時代の経験が残り、その後の支那の国民意識も変わったものと思われます。しかし支那では戦国時代から中央集権にしか移行しなかった。それは日本のような天皇の存在が無かったからです。封建時代があったヨーロッパでは、天皇はいなかったが、ローマ法王がいました。結局の処、支那では覇者が全てを支配する中央集権国家にならざる得なかったのです。そして、領民・領主の関係は存在せず、中央だけ見て民を食い物にする知事等の地方役人と、一方的に食い物にされる民の関係しか生まれなかったのです。


来週は用事が有るので、しばらくサボリます。
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皇室は縄文人系?

崗上虜囚 様、皆様
こんにちは。

随分昔ですが、神話について書かれた本を読みました。翻訳本だったかな?。

神話には、古い物と新しい物(歴史的スケールの)とが有り、古い物ほど民族の歴史が神話になった。また、神話は伝播力が強く、新しい物ほど他の影響を強く受けていると。
なるほど…と強く感銘を受けました。
欧米では、シュリーマンがギリシャ神話を信じてトロイの遺跡を発見して以来、神話だと切り捨てない学者がいる…神話と馬鹿にしている日本の学者が阿呆に見えた…が読後の感想でした。
また
当時の私が知っていた神話は、ギリシャ・ローマなどの欧州、司馬遷の史記に書いてあった漢民族の神話、そして我が日本神話ですが
其の中には、文字が発明される有史以前の口伝が神話になった、民族の歴史が有るのだと…。(後で朝鮮神話を知りましたが、他の影響が強い新しい神話で民族の歴史とは思えない)

それ以来、私の日本神話を見る見方が変わりましたね。
虜囚 様の仰る通り、日本神話は他の影響をあまり受けていないです。
其処からすると、日本神話が古くからの口伝で有り、民族の歴史だった?…。
すると…大国主命(縄文人系?)から国譲りされた皇室は弥生人系?…弥生人は何処から?…
と考えています。

Re. 皇室は縄文人系?、酒と泪と様

>大国主命(縄文人系?)から国譲りされた皇室は弥生人系?…弥生人は何処から?… と考えています。


こう本を何処かで見ましたが、違うと思います。言語の事は書きましたが、皇室も大国主命も縄文人系です。

支那から見た倭人は長江人ですが、日本側から見た倭人は縄文人+長江人です。長江人は河姆渡文化滅亡(前4500)の頃から既に、日本に流入しています。

呉の滅亡のときも、呉の民衆=長江人が日本と朝鮮半島に渡っています。彼らが伝えたのは、青銅器、新たな稲作技術、戦争の仕方です。でも、彼らは三々五々やってきたボートピープルであり、イギリスにやってきたケルト人やノルマン人と違って、征服民族では有りません。

同じ長江人がいる縄文人とは直ぐ融合したでしょう。でも何故、朝鮮半島を差し置いて、日本の方が金印を貰うような大国になったと言うと、石器時代とは言え、縄文人の文化がそれなりに高かったからと思います。鉄砲が伝来したら、あっという間に鉄砲を作ってしまったのと似ています。

近畿・中国地方に渡来人が多い形跡については、新たな長江人の手引き?により、倭人が鉄を求めて朝鮮半島に渡ることで、更に交流が盛んになり、O3の遺伝子を持つ漢人も日本に流入し、国際化が進んでいる近畿・中国地方の遺伝子分布が朝鮮半島に近くなったと思っています。

従って、弥生人=渡来人とは思っていません。当然渡来人による縄文系日本人征服は無かったと思っています。その証拠の一つは武器です。魏志倭人伝に書かれている倭人の弓は、上が長く下が短い独特な長弓です。その後竹と木のタミネート構造になりましたが、それでも日本人は世界一長い弓を使い続けています。

これは、倭人の文化圏が、大陸・半島と違う独自の文化圏である証拠です。命のやり取りをするのに、扱いにくい被征服民族の武器を使用する訳が有りませんから。若し、渡来人が日本を征服したのを倭と言うのなら、大陸や半島とも違う文化圏の人間が倭を作ったことになってしまいます。

又、呉の国の刀云々とあるように、日本は呉の国を外国と見ています。弥生を下った古墳時代の服装を見て下さい。未だ呉服とも支那風とも違う服を着ています。この時代の衝角付冑や短甲も日本独自のものです。ようするに弥生人は、縄文人+古長江人+新長江人+αと言う事です。

そして国譲の伝説ですが、是も天孫族も出雲族も同質であった証拠です。土蜘蛛なんかは有無も言わさず滅ぼしていますから、種族が違うと思っていたのでしょう。隼人は天皇の祖(火遠理命)の兄、海幸彦(火照命)の子孫でしょうか。

この戦争を起こさずホロコーストも起こさなかった国譲の伝説を見ると、戦国時代を終わらせて江戸時代になったのを思い浮かべます。記事の最後に封建制の事を書きましたが、倭国大乱の後、日本は天皇を中心とした中央政権に移るのですが、支那と違って緩やかな中央政権なのですね。これも国譲のような禅譲が有ったからと思います。

ついで、私の先祖は菅原道真と聞いていますので出雲系です。落武者ですが。

無題

酒と泪さん

>神話と馬鹿にしている日本の学者が阿呆に見えた…が読後の感想でした。

とありますが、私も最近神話はバカには出来ないと思うようになりました。
このコメントと同じような内容を楽仙さんとこで書いたことがあるのですがもう一度書いてみます。

この間、この地球という閉ざされた世界で生命という大樹にはエントロピーの法則は適用できないと書きました。
逆にいえば、この地球という命の統合体には太陽光のような無機質な外的作用とは別に、何らかの外的意志が常に作用していると思われます。

ここでちょっと見て頂きたいリンクを貼ります。
日本雛形理論
http://oxtagon888.web.fc2.com/world/hinagataron/top.html

上記リンクの細かいところを見ますと、まさにこれは偶然の産物とは思われない部分がたくさんあります。

色分けしているので判りやすいのですが、朝鮮半島と宮城県の出っ張りの部分とか伊勢湾に対する、カスピ海の対応とか、、。

もちろん五大陸に相似した日本列島そのものがこの日本が世界のモデルになっている言っても過言ではないと思います。

図における沖縄と日本、北方領土に対応するキューバ等の地政学的な、、あるいは歴史的な相似性というのはなかなか考えさせられる部分です。

この、地球という命の統合体における地殻変動にもその意志を見てとれるように感じられます。

他にもこんなのもあります。
「日本は世界のひな形」で日本国土は世界の縮図
http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-d47d.html

私は、こういうのを見てから、日本の国生み神話も単なるファンタジーではないと思うようになりました。

提案します

虜囚 様が今週はサボルと宣言されています。お忙しいみたいですね。
其処で提案します。皆様の古代日本人論を御聴かせ下さい。どうでしょうか?


杜若 様
実は…私も其の阿呆な人間でした。
神話は物語、口伝なんて‥アハハ、と考えていました。証拠が無いと断じてね。また、トロイの件は偶々の偶然に過ぎないと…。

私には口伝についての不信感もありましてね…。
虜囚 様の御家が菅原道真公の御子孫と聞いて、私も白状しますが
我が家も清和源氏の流れをくむとの口伝がある武家でした。
GHQの農地解放で、完全に没落する前には立派な家系図があったそうです。其の家系図は、農地解放のおり叔父が燃やしましたが…この叔父さん、人は良いのですが血の気が多い人で。(後に共産党に入った叔父です)
私は、小さい頃からこの話をされた事で、何時しか反発を感じてました。何が源氏だ武家だ、ただの没落した家だろう。家系図?江戸時代に作った偽物だろ。口伝なんて嘘に決まっている。(→ノンポリ)
こんな感じでした、若い頃は。

しかし、この本に出会い、衝撃を受けて自分の信念が揺らぎました。
更に、名字と家紋で家系がわかる本を読むと
我が家の口伝もあながち嘘ではない。
今は、口伝を信じても良いかなと思っています。

無題

提案者として、最初に古代日本人論を書きます。

其の前に、色々な方々の論に影響されて考えが変遷してきた事を告白します…今も。(汗)
尚、私の考えは
古代支那の倭国や日本の記述に嘘は無い、日本書紀や古事記は間違いが有るにしても虚構では無い、口伝で遺された神話は民族の歴史を基にしている
を前提にしています。

(始まり)
縄文人や弥生人については、考古学やDNA分析により、虜囚 様と同じ考えです。
しかし、天孫族は日向の国に降臨し、其処が最初の国となったと思います。但し他民族の征服王朝では無い。天孫族が初めて倭国として国をまとめたのでしょう。詰まり、邪馬台国は九州にあった…。
国譲り神話は、天孫族が九州
/脇道に逸れますが九州の名前の由来を考えると…支那の三皇五帝…楽しいですね/
から中国地方に進出した折りの出来事、小が大を飲み込んだ歴史と思います。大国主命の国は、北陸や諏訪地方まで勢力があったみたいですから。また、ヤマタノオロチ伝説は天孫族の素戔嗚尊が主人公ですが、大国主命系の伝説を天孫族に置き換えたのでしょう。詰まり、大国主命系は天照大神の弟?と。
神武天皇の東征は大和遷都の物語ですが、国譲りは其の時の出来事なのでは?と考えています。

(終わり)

無題

私の場合は、ほとんどなにも知りません、、^^。

もうこれは、皆さんの書かれることを、フム、ナルホド、、と読むしかない立場です。

ねずさんところを読んでますと、日本文化というのは古代においては大陸より、より古いみたいなことが書かれています。

縄文土器は世界最古のものですし、そうとう古い時代から煮たきした食生活があったようです。
熱いものを食べるときに素手で食べる人間はいないからたぶんスプーンとか箸を使ってたのでしょうが、日本の考古学者の多くは箸のようなものが出土してもそれは簪で箸ではないと言い張ってるのだとか、、。
大陸の方が古くないと気が済まないようです。

土器の出土も、大陸の中央部に行くにしたがって新しいものになるのだとか、、。
推論すれば、土器は日本から大陸に伝わったとなります。

・・・・
古代の衣装なんかも見ましたが、今の最新のファッションと遜色ないし、漆塗りの簪なんかもあったりして、縄文時代というのは私たちが考える以上に平和で、文化的だったのかもしれないですね。

それと、興味が尽きないのは古代の食生活ですね。
農耕民族ですから穀物中心の生活だったのでしょう。
日本人はもともとが菜食主義民族です。肉食を当たり前にするようになったのは、ここ数十年でしかありません。
私の母なんかも田舎ということもあって、ついぞ肉を口にするのをみたことがありませんでしたし、肉を勧めると極端にいやな顔をしたものです。
うちの母だけではなくちょっと昔の田舎はどこもそうだったはずです。


私が思いますところの、日本の古代は、そういった食生活をも加味したものでないと本当のところは判らないのではと、思います。

なんとなれば、食べるものは人格形成にも多大な影響を与えると思えるからです。

・・・・
なんにしろ、、
どのようであれ、、真実を知りたいと願っています。たいへん難しいことだとは思うんですが、、。

神武の東征は外交。

>>長江人は河姆渡文化滅亡(前4500)の頃から既に、日本に流入しています。
 大陸の変化が日本列島に波及する順番で列島の変化を考えて行くと、ややもすれば列島の文化は大陸の二次的なモノと限定して終いそうになりますが、↑のお言葉やその前後の説明で、日本には、独自の文化が纏まった形では無いにせよ、既に点在して居た事になりましょう。

 その先文化とは、勿論、ベーリング海峡が閉まって居た氷期のオホーツク海沿岸を中心にした
漁労、狩猟を生業にした人々だったでしょう。 是が神道に謂う「山の神域」の始めではないかと。 即ち、神道では、神は日頃山の際の辺りに御坐しまして、人の霊魂もそレに随って、山の植生の枝等に御坐して居られる。 正月は時の神、歳神が、歳の変わった事を告げに下界に降りて御出でになるのに、御先祖様の御霊も同行するから、其れを酒食を以てお迎えする。 是が「正月」。 そして夏。 御先祖様ダケが家に御帰りに成られる、是が孟蘭盆です。

 私説ですが、大和とは、浜の民=呉越からの渡来民で、漁労海産に海岸の後背地での水耕稲作を善くし、既に地方豪族化して居た勢力、すなわち海人族と、山の民=日本の北方に古くから原住していた民、海人(アマ)の民(島の民)=海人族の現役部族で、漁労海産は勿論、交易に至るまで、海の王者で、彼らの許可が無くば、安全な貿易は望めなかった。 是等、列島で勢力を持って居た三族が、協調した結果、生まれたモノだと思っております。

 国譲りの故事は、美濃、飛騨迄を含み、更に越三国に能登迄入れた大国が、オソラクは天候異変か大災害で危機に瀕した際、国主だった、大国主が敢えて自分の利益に拘らず、水田稲作は不可能と思われて居た山岳部で、棚田を以て成功させる、食糧倍増計画を受け容れたからではないかと思います。

 「神武の東征」も中国地方を抜くにのに16年も懸っている事から、実は征伐に非ず。 「製塩法と棚田法の伝授」を以て、飢餓に苦しむ人々を救い、人口を増やし、国力を上げて、大陸からの侵略勢力に備えると同時に、神武の恩寵を受けた勢力が、それを伝えた神武をキーとして結び付きあって巨大な防衛力を編成し、大陸からの干渉を跳ね付けられる程の軍事的実力を皆で養うと同時に、その状態を維持するに、「徳の高いモノが治める国」をアピールして、結果、大陸からの干渉を極小に抑えこんだ政治的な策略だったと思っております。

 日本人が日本人である事は根源的なモノで、否定しようがないのは、その歴史が2,3千年ではなく、1万年近くに、或いはそれ以上である仮説も十分に立つからでしょう。

Re.杜若 様、ソロ 様

杜若 様
日本の学者は左巻きが多いから、支那を憚っている?
しかし、支那人の説は世界レベルの検証に耐えうるか?と見極める必要があるでしょう。素人が見ても…本当??な事が有りますからね。
しかも、支那は「歴史はプロパガンダの国」ですから…。

支那の人々が真摯に支那大陸史に向き合えば、古代漢民族が自分達の祖先か?と疑問を感じると思うんですが…。
その点、半島の学者は分かり易い。歴史はファンタジーの国。それに反する遺跡はなかった事にする…笑。世界を相手にせず、自国民だけを相手にするウリナラ学問。日本に其れを強制するのが、迷惑ですがね。


ソロ 様
成る程です。
虜囚 様も言語学の見地から述べられていましたが、言語は征服された民族の最後の砦と謂われていますね。民族の言語が残っていれば民族のアイデンティティも残る。民族の言語が消滅した時、民族は征服者に同化され消滅した証明となると。

日本語は孤立言語です。朝鮮語などの近隣の言語は全く関係ないとされてますね。関係が有るのが琉球語だけで、日本語としては沖縄方言になり同一言語とされている。
詰まり、DNA的に沖縄は縄文人圏ですから、縄文人は日本語(古代の)を話していた、になります。
日本人は、いったい何処まで遡れるか…楽しいですね。

日本人のルーツの一つは東夷。

>酒と泪さん、留守居役御苦労さまです。
>>日本人は、いったい何処まで遡れるか…楽しいですね。
 私の一番の興味は、1万年前の日本人が一体何語を話して居たのか、と言う点です。

 何故、言語が普及して居たと核心を持っているかと云えば、氷期の前から、もしくは氷期の最中に列島に棲み着いた御先祖様達は、言語は有ったとしても、文字は無かったでしょうが、氷期が終わった12000年前(紀元前100世紀)以降、海進期に列島に亘り住んで来た人々は、例外なく船を遣い、海流に乗ってやって来た筈です。

 川では無く、海を渡れる船を造るには、防水加工が完全でなければなりません。 船底は勿論、波浪の打ち込みに耐えるダケの高い乾舷と高度な水密性を発揮する上部被覆が無ければ、黒潮の本流に乗る事すら適わないでしょう。

 一旦黒潮に乗ったら乗ったで新たな危険が待って居ます。 自力推進力が無く、潮任せ、風任せでは、漂流の危険が伴います、一歩間違えば、近世のジョン万次郎の様にアメリカ西海岸まで漂流の憂き目に遭う。

 こう云う難題をクリアして初めて、日本の太平洋沿岸に辿りつけるのですから、 船の構造が外洋に耐えられない=凌波性が低い裡は、沿岸伝いに走しって、内海である日本海に入った事でしょう。

 然し、其れでも日本海の入り口である玄界灘も、日本海自体も荒れる海です。 相当の凌波性は要求されるワケですが、先ず、船首尾線で線対称に造らねば忽ち転覆するワケですし、安定させる為には、浮心と重心(KB=keel buoyancy)と、メトリックセンターをバランス良く配置する必要が在ります。

 この為には、文字、数字ダケでは無く、数学やきちんとした単位の制定が必要になります。 それに、水密の方法、木材の加工法、船の進水方法迄、現代の造船学の基礎が全て必要になります。 

 船は定期的に修繕をしなくてはもちません、亦、破損すれば新たな船を造らねばならない。

 すると是等の知識を子々孫々に伝承する必要が出てくるではありませんか。

 其処に言葉や文字が無いワケが無いのです。 是等海人族、詰まりは東夷族は、早くからこうした技術を開発し、生活に生かして居た、先見の明るい民であったと思います。

 余談ですが、日本人が和船を江戸期まで弛みなく造り続けて居たからこそ、明治期に英独の鋼船を買い込んでも、何も困らなかったのです。 いえ、それどころか、その鋼製の軍艦から忽ちの裡に日本には無かった発動機や高性能の動力ポンプを学び取って、30年後には、機関改良で英国で特許を取った日本人までが現れたのは、中韓ブログで紹介されて居ましたね。

 しかもそれが、近世日本の国運を賭けた海戦の命綱になろうとは、天晴れな事ですね。

 同じ開明東夷族の筈の、半島の住民が、何故に、無知蒙昧の千年間を過ごしてきたかと云えば、彼ら自身既に東夷族では無いからと言うべきでしょう。

 彼らの正体は、済州島民を除けば、全て満州族の亜流の民か古の南蛮族の末裔でしょう。 自分の生存の為に、裏切り、略奪、殺人と強姦を正当化出来る常識を持つ蝗民です。

無題

ソロ 様
流石、専門家…。
外洋を渡る舟は、簡単にはできないのですね。

私は
黒潮に乗って日本に辿り着いた海人族は、インドネシア地域にあったスンダ大陸の人々、氷河期が終わり海面上昇で住処を失った人々
との説が有力と思ってます。
必要は発明の母、命を賭けた脱出作戦は技術の進歩を速めたのでしょう。
また、海人族は
海幸山幸の神話からすると、海幸(長男→先住民)=海人族(隼人族?)で山幸(末弟→新参者?)=天孫族?な感じがします。
平和的な合流がされ、言語も互いに影響し合って一つになったのでしょう。だから、互いの技術が保存できた。
でも、原日本語の主体は山幸側と思います…やはり数の多い方が主流でしょう。

話し言葉は、ホモサピエンスが誕生した時からあったと考えます。ネアンデルタール人は言葉を話すことができなかったそうですが(解剖学的に)、我々ホモサピエンスは言葉でコミュニケーションをし、狩りの仕方や石器の作り方などを効率的に子孫へ伝えました。結果、ネアンデルタール人は絶滅しホモサピエンスが人類として残ったそうです。


>>留守居役(重役)?
とんでも御座いません。
大家さんの留守中に
黙って入り、書斎に迷い込んだ長屋の飲んだくれ(八五郎?か)
大家さんが帰ってくる前に
退散いたします。(汗)

帝の血筋考

>>高貴な出自と言うのが、ボートピープルの中にいた周の皇帝の血を引く呉の貴族であり、邪馬台国には、周の皇帝の血を引くものがいたから金印を与えられた、
 私も此処までは、賛同します。

 周が事実上滅んで終うのは、春秋時代と戦国時代の分け目のBC6世紀ごろでしょうか、周王室が船に乗って遣って来たのは、山東半島~済州島~対馬~壱岐~博多~国東半島では無かったか。

 国東半島の根っこには宇佐神宮があり、その先端には、周王室の姓である「姫」島があるからです。
 
 然も、関門瀬戸~豊後水道に至る海域は、豊かな漁場で知られ、当時もトヨ=豊の一族=邪馬台国の背後勢力の勢力圏の中心地であったが、トヨの一族は、半島産出の鉄を主体とする貿易の担い手、当然、お得意様であった周王室とは、臣下の仲であった事でしょうから、周王室をお迎えするのは、カナリ蓋然性のある事だと思います。

 然し一方で、この海域に面した山口県側南部は、嘗て周防国=周を防ぐ国と云う名の国であった。 詰まり、その周王室の日本逃避行を進出・侵略と警戒する向きも当然居たと云う事です。 

 瀬戸内の中国地方側には現在も、そのものズバリの呉市が在る位で、大陸からの渡来人~国人=地方豪族化したものが多く棲んで居たから、落ちぶれたとはいえ、嘗て、大陸を纏める力を持って居た周王室は善く知られて居た筈で、警戒するのは是亦当然でしょう。

 よって、
>>つまり天皇家は周の皇帝の血をひいている
 は、カナリ難しい事になりますね。 譬え、その後九州で周王室が地価rを延ばし、神武帝が周王室の直系の子孫であったとしてもです。

 検証された歴史の部分で云いますと、現在の皇室のお血筋は、継体帝~(聖徳太子)~天武帝~文武、聖武、桓武帝・・・後醍醐帝・・・孝徳帝~明治帝と連なって居ますが、推古帝以降、吉備や播磨の勢力=出雲系豪族の力が背後勢力として働いていたとはいえ、継体帝と天武帝ご自身が、丹波の海人族を背後勢力にして居られたのは史実の証する処です。

 その当時、日本列島西部随一の勢力を持って居た豊の一族の支持を得て居たとはいえ、周王室が日本に来られたのは継体帝の御代と千年の隔たりが在ります。 

 可能性として神武帝の血筋が周王室を租とするモノで有ったとしても、その背後勢力は、河内地方の豪族連合=大和、播磨、吉備主体の連合です。 河内政権には途中、倭の五王の時代と言う隆盛期が在りますから此の間に周王室の血は限りなく薄まった事でしょう。

 然も、河内政権は磐井の乱で九州征伐まで遣っているのですから、九州は既に、皇帝の由縁の地であるにも拘らず、蝦夷・熊襲の地と同じ扱いになって居たのではないでしょうか。

 逆にお血筋が全く繋がって居ないとも思いませんが、是を以て、周王室=天皇家のお血筋であると断じるのはカナリ無理があると思います。

訂正です。

 スミマセン訂正です。
 ×・・・孝徳天皇
 ○・・・孝明天皇

Re.ソロ 様

皆様
こんばんは。
崗上虜囚 様は、まだ留守かな…。

ソロ 様
日本人は何処からきたのか?
皇室の出自は?
…考えると楽しいですね。

近年の考古学やDNA解析学の発達で
日本人または大和民族が単一血族ではなく、幾つもの民族や部族が長い間(一万年以上?)に融合した結果
世界から単一民族と見られる
日本人が誕生した事が解ってきました。
また、これらの学問が
日本の古代史や神話の信憑性を裏付けるようになって来たと考えています…私は。

でも、皇室は日本統合の象徴、言わば全日本人の総本家です。私は、天皇家のDNAは何か?に拘る必要を感じません。むしろ、アヤフヤなままの方が良いのではないかと感じてます。
ですから、皇室の御先祖様の墓である古墳の中を暴き調べる必要も、皇室の方々のDNAを調べて明らかにする必要も感じません。逆に、学問追求との大義名分を振りかざす方々が、革命分子に見えます。遺体や墓を物と見るメンタリィティーは、欧米人と違い日本人には無いでしょう。

少しぐらい謎が残り、ロマンとして語れるぐらいが良いのではないかと…思う、今日この頃です。

しかし、ソロ 様と私でコメント欄を占拠してますね。
他の方々の御意見が聴けたら幸いです。

失礼しました。

Re. 皆様

皆様、こんばんは。
皆様のコメントの方が私の記事より面白いです。

>王室の姓である「姫」島があるからです。
>嘗て周防国=周を防ぐ国と云う名の国であった。

流石、詳しいですね。

朝鮮人が天皇の先祖が朝鮮半島から来たとか、支那人が日本人は徐福の子孫と言っているのをみると、彼らに天皇への憧れがあるのが分かります。でも日本に渡って来た人の子孫は、大陸では絶えており、半島でも僅かです。

これも遺伝子の話ですが、日本人に多い長江人の子孫と思われるY-DNA=O2bは、大陸では皆無であり、日本列島のO2bは、実は殆どがO2b1で、この型は半島では僅かです。最初に風土が民族を作ったのでしょうけど、その民族が風土をまた作っているのですね。それも悪い方への+のフィードバックです。


明日は、街宣活動の手伝い行ってきます。ブログを休んだのは、チラシ作りをしていたのからですけど結構大変でした。以前は、あまり悩まずにチラシ作が出来たのですけど、一般な人と話す機会があった為なのか、悩みました。情報格差がありすぎるのと、現在の日本が抱えている問題が多すぎて、どう説得良いか考えつかないのです。

その報告は、また。
お越し頂いたのに、留守ですみませんでした。

無題

Y染色体ハプロタイプについて、もしくは「マーカ」について説明させて下さい。ここで、専門的な話をしますが、日本人は正確には「D2A」「O2B1」「O3」「C1」「N」でしょうか(アイヌの人達は「D2*」)。日本人集団の中でその占める比率は、日本人であるあなた個人の体の混血比率となります。マーカ「D2A」を持っている日本人と、マーカ「O3」を持っている日本人、それと日本人女性(Y染色体を持たない)も、その混血比率は全く同じです。しかしながら、マーカはその人が偶然もっているだけで、個人に対しては何の意味もなさないのです。ここのところおわかりでしょうか。「マーカ」は動的遺伝子ではありません。突然変異でしか変わらないので「マーカ」として使えるのです。例えば、韓国の人の中にも、数こそ少ないながら、マーカ「D2A」を持っている方がおそらくいるでしょう。しかし、その人の混血比率は朝鮮民族の比率であって、日本人とは違うのです。その人は遠い過去にあったマーカ「D2A」を偶然持たされただけにすぎません。「マーカ」はいわば気まぐれカードです。色々なカードがある中で、偶然それを持っているだけにすぎません。Y染色体ハプロタイプにしても、またミトコンドリア遺伝子にしても、「マーカ」は「大規模な集団」については強力な判別情報となりますが、「個人レベル」では全く意味をなさないのです。有名な良い例をもう一つ上げますと、どこからどう見ても白人のイギリス人なのに、黒人の「Y染色体ハプロタイプA系統」を持っている人がかなりいます。これも同じです。数学の世界となりますが、「マーカ」は、その比率のみ、その集団を他と識別する情報になる意外、何にも使えないという事を理解しておいて下さい。特に個人レベルでは全く判別不能です。「遺伝子からルーツを探ろう」というのがありますが、それは「マーカ」のルーツを探るのであり、その人個人のルーツでは決して
ないという事です。

無題

>天皇の出自は、D2タイプの遺伝子を持つ縄文系ではないか
>渡来系が縄文系を追いやったことは無いと思います

上記のあなたの考えは、日本書紀の天孫降臨そして神武東征とは両立しません

率直にいえば、縄文人やD2を日本人の根本とするのなら、皇室やO2bは外来勢力でしょう

逆に皇室やO2bを日本の根本と考えるのであれば、縄文人やD2は日本建国以前の在来勢力です

あなたは日本の根本を何と考えますか?

無題

>日本人に多い長江人の子孫と思われるY-DNA=O2bは、大陸では皆無であり、
>日本列島のO2bは、実は殆どがO2b1で、この型は半島では僅かです。

まずO2bが「長江人」だとする主張には何ら根拠がありません。なぜなら長江流域に住む人の中でO2bをもつ人は1%未満だからです。

また、日本におけるO2b*とO2b1の比率は概ね1:2です。このことは中堀の「Y染色体から見た日本人」に書いてあります。読んでないなら一度読んでください。2/3では殆どとはいいません。

さらに、韓国におけるO2b*とO2b1の比率は概ね2:1です。このことも中堀の「Y染色体から見た日本人」に書いてあります。読んでないなら一度読んでください。少なくとも7~8%を僅かとはいいません。

ついでにいうと、韓国でもD2は2~3%はいます。少なくとも長江流域でO2bが見つかるよりも多いです。

無題

日本人全体のY染色体のハプログループの構成比は、別に個人レベルの遺伝子の混合比を表わすものではありません。

いまどきは常染色体でも個人の遺伝情報から、遺伝子をクラスタ分類できます。結果として得られたクラスタに基づいて、各集団のクラスタ構成比も、個人の遺伝子全体のクラスタ構成比も求められますが、前者と後者は一致しません。集団は個人の平均に過ぎませんから、違いがあるのは数学的に明らかです。

そもそも民族は、言語・文化による区別であって、どちらも遺伝するものではありません。

Re.☆様

>上記のあなたの考えは、日本書紀の天孫降臨そして神武東征とは両立しません
>率直にいえば、縄文人やD2を日本人の根本とするのなら、皇室やO2bは外来勢力でしょう

いきなり理由も言わず断定ですか?。私は可能性を言いましたが断定などしていません。可能性の理由は、日本語の動物の内臓に関する語彙の少なさや、孤立語である日本語そのもの問題です。又、魏志倭人伝に記されている、上に長く下に短い弓や、天皇の騎馬の描写も無いことも、列島独自と思えるからです。

又、縄文独自の勾玉が、稲作の弥生まで受け継がれて処をみると、D2+O2bの混合集団があったのでしょう。当然、団体の長=天皇がO2bだった可能性もあります。

>まずO2bが「長江人」だとする主張には何ら根拠がありません。なぜなら長江流域に住む人の中でO2bをもつ人は1%未満だからです。

これも可能性を述べただけですが、理由はO2bはベトナム人にもいるからです。恐らくミャンマー人にもいる筈です。不思議ですね。ベトナム、日本、朝鮮半島にいるのに、長江流域に1%ですか。私の推測では、ホロコーストです。

『長江文明は、黄河流域の牧畜民の侵攻により滅びた』は、日中学者の粗定説になっているようです。半島経由でない稲の渡来を考えれば、長江流域から誰かが持ってきたと考えるのは、普通でしょう。そして、日本人のY遺伝子の構成を見れば、O2bがその担い手だと言えます。

長江流域に住む人の中で、O2bは1%未満だからO2bが長江人で無いと言うのも、何ら根拠が無いと言うのも、何の根拠も無いですね。その考え方から言えば、D2はユーラシア大陸に殆ど見つからないから、チッベットから沸いて出て、空から飛んで来たことになります。

>日本におけるO2b*とO2b1の比率は概ね1:2です。このことは中堀の「Y染色体から見た日本人」に書いてあります。読んでないなら一度読んでください。2/3では殆どとはいいません。
これは、不勉強でした。

>ついでにいうと、韓国でもD2は2~3%はいます。少なくとも長江流域でO2bが見つかるよりも多いです。

当然でしょう。神宮皇后の話や任那日本府の話、朝鮮半島で見つかる前方後円墳、その後の朝鮮半島との交流から見れば、いない方がおかしいくらいです。

>別に個人レベルの遺伝子の混合比を表わすものではありません。

これは、「Y染色体 #2893da586d」の方↑の意見ですよね。私もそう思ってはいません。

Re.☆様

>逆に皇室やO2bを日本の根本と考えるのであれば、縄文人やD2は日本建国以前の在来勢力です >あなたは日本の根本を何と考えますか?

質問を見落としていました。

まず、縄文人やD2が日本建国以前の在来勢力と言うのは変ですね。縄文時代に、日本列島に無かった稲のプラントオパールが見つかっています。縄文時代から、大陸や半島から、人は来ているのです。縄文時代以前にも縄文人以外の人がいたのではないかと言われています。まだ骨は見つかっていませんが。

又、天皇のY-DNAが、O2b、O3であろうと、D2、C3であろうと、なんでそれが日本の根本(問題?)なんですか?。イギリスの王室は大陸から渡ってきたと言っていますが。

無題

>縄文時代に、日本列島に無かった稲のプラントオパールが見つかっています。

正しくは縄文後期です。2万年も前ではないでしょう。D2は2万年前から日本列島にいることは統計学上否定できません。否定するということは、分子遺伝学及び数学を全面否定するということです。つまり学問を否定するトンデモということです。

>天皇のY-DNAが、O2b、O3であろうと、D2、C3であろうと、なんでそれが日本の根本(問題?)なんですか?。イギリスの王室は大陸から渡ってきたと言っていますが。

多くのイギリス人が、王室を外国人(具体的にはドイツ人)だとして蛇蝎のごとく嫌っている事実を知らないとは、井の中の蛙ですね。

王室嫌いなのか?

>☆
>>多くのイギリス人が、云々
 そのイギリス人って、何人? イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランド。皆、日本人にとっては、「イギリス人」と云う認識ダロ? 

 亦、ドイツ人って云うが、アングロサクソン人って、アングル人もサクソン人も、ゲルマン人の一種ダロ? 

 で、現在の王室はウィンザー朝で、確かに先祖はプロイセンのゴーダ朝の出身ダケど、元々は皆バイキング=ゲルマン族と言えるんじゃないの? フランク族だってゲルマン族の一種だし、遺伝子の変化って、1500世代位かかるんじゃなかったっけ?

 唯、ゲルマン族は北方民族と云う「括り」しか意味しなくて、生物学的な分類・特定はし難い」との声もあるがね。

 本当に英王室が、「大方のイギリス人」に嫌われているのなら、あの赤ん坊誕生の時の大騒ぎや生まれた時の国民の幸せそうな顔は何?

 嫌っているのは、大方、左巻きの方々なのでは?

Re. ☆君

>正しくは縄文後期です。2万年も前ではないでしょう。

日本の漆技術は9000年前からですが、2万年前では有りません。でも縄文時代です。前期だろうか後期だろうが、最古の稲のプラントオパールも縄文時代のものです。何処かに2万年も前なんて書いて有りましたか?。

>D2は2万年前から日本列島にいることは統計学上否定できません。否定するということは、分子遺伝学及び数学を全面否定するということです。

・どうやって統計を取ったのですか?。サンプルは?。サンプル数は?。
・分子遺伝学は統計学の上に成り立っているのですが?。
・仮に10サンプルで統計を取った結果の意味を否定すると、数学を否定することになるんですか?。
・統計学を分かっているのですか?。分子遺伝学も分かっていないんじゃないんですか?。

>多くのイギリス人が、王室を外国人(具体的にはドイツ人)だとして蛇蝎のごとく嫌っている事実を知らないとは、井の中の蛙ですね。

天皇を嫌っている日本人も一杯いますけど。それが何か?。


誰も言っていないことを勝手に自分で思い込む妄想癖。そして論理性の無さ。単語の意味も分からず、聞きかじった単語を只並べている脈絡のない文章。どうも言いたいことは「トンデモ」とか「井の中の蛙」とか、蔑みたい言葉だけのようですね。

お前、日本人じゃ無いだろう。お前が本当にやりたいことは、天皇の否定だろう。

無題

まあ、この論文でも読んだらどうだ?

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16328082

サンプルは、今なら数百~千人単位でとっている論文がある。

素人は一億人のうちの千人とかいうが、確率論に基づいて評価すれば、千人のサンプルなら、かなり正確なことがわかる。

無題

科学者が読み解く日本建国史

今日買ってワクワクしながら読みましたが、読み終わって「ん?」と思うことがあり、若干の後悔をしつつ中田力で検索してここにたどり着きますました。
後悔が一気に記念日になった思いです。
私も縄文人が色んな人や文化を取り込みつつ、ずっと主体的に歴史を綴って今の日本人に至ったと思っている一人です。
残念ながら浅学なため、理論立てて知識を披露することは出来ませんが、やっぱり言葉って大事だなって言うのが私の思想の根幹にあります。(日本語で考えているから、日本人の心情が分かる)

これからも、ちょくちょく寄らせてもらいますね^^

Re.ナル様

Wikipedeiaに、天皇家のご親族の方のY遺伝子がDタイプだったと載っていましたね。縄文も弥生も切れ目無く続いていたことを証明しているみたいです。

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