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崗上虜囚の備忘録

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無題

崗上虜囚さん

コンクリートの箱舟があちらこちらに建ったら
ちょっとロマンチックかもしれませんよ。


楽仙堂様

町会の集会所の外見をクルーザヨット風みたいすれば、参加する人も増えますね。

ノアのコンクリート船

まずは今回の地震でお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表します。
 
今日は妄想のエントリーである。まあ何時もであるが、題はノアの箱船ならぬコンクリート船である。
 
今回の地震については兵庫県南部地震の割れ残りの可能性だったかも知れない。何故なら地震加藤でお馴染みの慶長伏見地震では、兵庫県南部地震の延長の京都付近まで震源域だったからである。どうも野島断層や有馬-高槻断層帯は中央構造線にぶつかる一つの構造線のようである。
 
今回そこに地震が起きたことや、東北地方太平洋沖地震がM9.0の巨大地震だったのに、その後M8クラスの地震が無いのは不気味である。そこで取り沙汰されているのは南海トラフの巨大地震である。
 
但し南海トラフの巨大地震の発生は最短で百年程度の周期であり、南海大地震が1946年、東南海大地震が1944年に発生しているので、発生まで未だ数十年あるのではないかと考えられる。
 
  南海トラフで起きた巨大地震(図1参照)
   白鳳 :  684 : A+B+C+?+?
   仁和 :  887 : A+B+C+?+?
   永長 :1096 : ____C+D+E
   康和 :1099 : A+B______
   正平 :1361 : A+B+?+?  
   明応 :1498 : ____C+D+E
   慶長 :1605 : A+B+C+D+E+?
   宝永 :1707 : A+B+C+D+E
   安政 :1854 : A+B______
   安政 :1854 : ____C+D+E
   昭和 :1944 : ____C+D+E
   昭和 :1946 : A+B+C____
 
もっとも、それがもっと早く起きないとは言い切れない。明日起きるかも知れないのだ。従って地震が何時くるかの予想等やっても始まらない。国、自治体、企業/団体、個人がやるべき事は地震対策である。地震による家屋の倒壊や火事は人災と言うものである。全て人間が作ったものではないか。それなら地震の被害を零にすることも可能である。
 
然しながら防げないものがある。それは津波である。津波対策をすると言っても、全国津々浦々防潮堤を設ける訳には行かないだろう。
 

  図1: 南海トラフ              (拡大
ピンクは海抜10m以下の土地である。大阪や名古屋の平野部は当然海抜10m以下であるが、その全部が津波被害がある訳ではない。但し川などに押し寄せた津波が遡上して奥の方で津波被害が発生するかも知れない。
 
要は人の命が助かれば良いのだ。水に流される資産を惜しむ向きもあるかも知れないが、そこは考え方一つ。例えば江戸は度々大火が起きたが、そのおかげで町並みは常に新しく、大工の腕も上がったのだ。安政の地震に遭遇した欧米人は、災害にもめけず直ぐさま復興に取り掛かる庶民を見て驚いている。
 
ならばどうやって津波から人命を失わないようにするかであるが、東北大震災の時も物干し台のような津波避難場所があったのだが、津波がそれ以上の高さだったので使い物にならなかった。それなら地下に避難施設を作ったらと言った人もいるが、この案は駄目だろう。それは何時誰がハッチを占めるかが問題だからである。果たして逃げ遅れた人を目前にしてハッチを閉められるのか?。閉め遅れれば地下に水が流れ込み、避難した人が全員溺れ死ぬのが判断出来るのか?。ハッチを高くすれば良いが、それでは登れない人が出て来る。
 
そこで思い浮かぶのは船である。東北大震災では打ち上げられた船が多数あった。転覆するでもなく破損するでもなく、船は結構丈夫なんだなと感心したものである。
 
だからと言って船を陸上に持って行くわけには行かない。それなら陸上で船ならぬ浮かぶ家を作ってしまえば良いだろう。と言っても浮かぶ家を作れる大工が津々浦々にいるのかと訝るかもしれないが、大丈夫。それはコンクリートで作る船だからである。施工法を書いた図面さえ有れば町の工務店だって出来るだろう。
 
そして現在は小さな町でも町会毎に集会所がある。その集会所が緊急避難場所になっていれば、逃げ遅れた人や足の不自由な年寄りは助かるだろう。
 


  図2:集会所=コンクリート船。 (拡大)
 
図2はその浮かぶ集会所、別名ノアのコンクリート船の例である。大きさは一般的な町の集会所ぐらい、船としての大きさは270トン程になり、一人100kgとした場合は300名ぐらい収容できる。
 
乾舷は1m、喫水は1.5m、乗員300名の時、0.186mだけ沈む。集会所の出入りは2階からで、階段で上がるか周囲に巡らしたバリアーフリーのスロープで上がる事になる。階段は水の中に浮いたときに泳ぎ着いた人が自力で登れるようにと集会所に作り付けである。勿論水の中の人が捕まれる取っ手等を周囲に張り巡らし、図3のような縄梯子も用意しておく。勿論、舳先や艫に相当する箇所の設置方向は水の流れる方向である。
 
  
    図3、縄梯子
  
図2の1階の部分が船であるが、内部は水密のコンクリートで囲まれ、災害の為の備蓄倉庫や発電機等や燃料が置かれる機械室とする。その他の空間は浸水しても最低限の浮力を維持するための水密空所とするべきかも知れない。
 
地上が浸水した場合は、集会所はガイドの支柱にそって上下し、水が引けば元の位置に着底する。図2の支柱は30mとしたが30m以上の津波は綾里村(過去38mを記録)のような特殊なところしか発生しないので、もっと短くても良いだろう。支柱の長さを超える津波だった場合は、集会場はあらぬ所に漂うことになる。海に漂う事になる事も想定し、出入り口の水密も念入りに。場合によってはアララト山の山腹に着底するかも知れない。これも想定内。
 
集会所の救える人数は数百人であるが、体育館程度をコンクリート船にした場合は数千トンの規模になり、収容人数は優に千人を超える筈である。そして乾舷を高くして船内に人を収容する形にすればさらに収容人員が益す筈である。公立学校の体育館を建替えるなら考慮すべきである。
 
以上は南海トラフの巨大地震の津波対策であるが、八十数メートルの津波があった石垣島のような島なら、本物の船(図4参照)を陸に置いて、普段の集会所にした方が良いかも知れない。勿論エンジンつきで。
 
  
  図4:全長 29.50m。幅 5.20m 。49トン。128名~110名。津波避難場所とする場合は、これを外洋仕立てとする。
 
然しながら、言いたいのは地方自治体の何人の長が災害の事を考えているかと言う事である。日頃人権や人の命と声高にに言う左翼に限って、災害など考えていないようである。阪神・淡路大震災のときの村山富市や貝原俊民元兵庫県知事しかり、今回の濱田剛史高槻市市長しかり。彼等に災害に対する危機感が無いのは当然である。何故なら彼等は国家として最重要な国防さえも考えていないからである。ところがそう言う人間程、政治家になりたがる。
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