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高学歴にサヨクが多い理由
若い仲間から「サヨクに高学歴の人が多いのは何故なんでしょう?」と聞かれた。学問と言うのは先生から学ぶ事である。つまり学ぶ事とは一種の洗脳なのだ。教授がサヨク思想なら、サヨク思想に染まった学生が最も優秀な学生と思うだろう。そしてその学生は次の教授になり、またサヨク思想を教える。しかしその学生は本当は優秀では無い。自分の頭で考える事が無い人間だから教授になれたのだ。智の劣化の連鎖はこうして続いて行くのだ。
 
だが本当に優秀な学生なら自分の頭で考え、直ぐ師を越えるだろう。『守・破・離』の破から離まで行ってしまうのが本当に優秀な人間なのだ。当然本当に優秀な学生はサヨクにならない。
 
一方,我々一般人は学ぶ事が苦手である。そうなると物事全て自分の頭で考えなくてはならない。従って偏差値が低くても、一般人は常に自分の頭で考える訓練がされているのである。これ又当然サヨク思想に嵌る筈が無い。サヨクがカルトで有る事も見破るだろう。それでもサヨク思想に嵌る偏差値の低い人間がいるが(W)、その人間は学ぶ事もせず、自分の頭で考えることもしない一番馬鹿と言うことになる。
 
こう説明した処、彼は「俺は勉強しなかったからなー」と言って納得した。(アーサー・C・クラークがカルトに嵌る高学歴の人間を憂いて「知能指数以上に教育を受けた人」と評したが、こちらの方が適切な説明かもしれない。)
 
この事について、田中英道氏が大学がサヨクに席巻されている事の理由を考察していた。
 
      
https://www.youtube.com/watch?v=mZstTjzsvkE&t=112s
【日本国史学会】「第四十三回連続講演会」講演:田中英道「近現代史研究3 日本とユダヤ人の歴史的考察」 (2017/02/25)
 
田中英道氏が日本国史学会を立ち上げたのは、正に大学がサヨクに席巻されている事を憂いたからである。彼が言わんとしている事は、
 
理系は実験成果などで有用性の結果が出る客観性の有る学問である。それに対して人文系(文系)は元々客観性が無い学問である。芸大などもそうで有るが、芸術にどう客観性を持たせると言うのだ。芸大出身の天才など見たこともない(確かに殆ど芸大出身者は芸術活動より学芸員のポストを欲しがる)。文学だって歴史学だって同じ、否社会学全般が、有る種の情念が有るから是非の評価が出来るのである。
 
そう考えると、人文系学問が狭い分野の学問に分割されているのが可笑しい事になる。文学も芸術も庶民文化も歴史も区切りなど無い。人文系は狭い分野を突破しないと学問として成り立たない。第一狭い分野に区切って何々学部として大学で教える必要が有るのか?。好きな人間なら大学で教えなくても勝手にやるだろう(確かに、趣味で骨董をやっていた叔父が、教授に出土品の年代を教えていた)。
 
そこで客観性が無い人文系学問に権威付けたい教授達が飛びついたのが西欧の社会学である。だが社会学はユダヤ人が始めた学問である。それも共産主義、特にフランクフルト学派のユダヤ人学者である。なので彼らが始めた社会学が客観性があると言っても、ユダヤ人の価値観に基づいている。ユダヤ人が国家や団体を否定し個人に重きを置いているのは、ユダヤ人が国家を持っていなかったからである。
 
ユダヤ人学者が国家や家庭、伝統文化までを個人を縛る物として否定するのは、その思想の背景に異民族は騙しても良いと教えるタルムードに有る事は間違いないだろう。つまり世界中の異民族の国・家庭・伝統文化・既存の価値観を破壊してバラバラの個人にすれば御すると思っているのだ。それが客観性のあると言われている社会学の正体である。
 
それも知らずに多文化主義とか地球市民と騒いでいるのが、知能指数以上に教育を受けた高学歴のサヨクである。自分の頭で考えない彼らは、批判理論を叫んで権威を批判してもユダヤ人学者が作った権威に頭は上がらない。ユダヤ人学者も自ら権威に乗っている矛盾は無視である。その矛盾は彼らが批判する人間を「ナショナリスト」とか「歴主修正主義」とレッテルを貼るだけで討論に応じないのを見れば明らかである。
 
社会学を作ったのもユダヤ人なら西欧の思想家は殆どユダヤ人である。だとしても凄いと思う必要は無い。むしろ彼らが稚拙な言葉の奴隷であることを哀れむべきである。東洋では釈迦以降、哲学・思想の類は全て無意味になったのだ。日本人でも哲学者と自称する人間を見かける事が有るが彼らも言葉の奴隷、全て偽者である。
 
仏教にしても同じである。釈迦が言った事を記した万巻の経典が有るが、思想を記した書物ではない。釈迦が言ったのは全て方便、比喩の類である。第一、空・無がどのような思想に成りえるのか。法華経が最高の経典と言っている宗教が有るが、これも全て偽物である。唯一つの道路標識を有り難がっているようなものである。
 
田中英道氏の言っている事と多少脱線したが。氏も、この文の意を知れば同意するだろう。
 
  
油絵に挑戦して、改めて筆と墨の凄さが分る。広重の「大はしあたけの夕立」と言う浮世絵をゴッホが模写しようとしているが、油絵であの様な細い線を描く事は無理である。日本人が陰影法に遅れを取ったのは、筆と墨の便利さにかまけた為と思う。
 
それにしても油絵は思う所に思う色が乗らない。コンピュータお絵かきソフトも思う所に思う色が乗らないが、油絵は被覆力が弱いため思う色が乗らないのである。一方コンピュータお絵かきソフトは思う場所に筆を運べない事である。何事も修練かな。
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【2017/11/25 19:19 】 | 共産主義・グローバル主義 | 有り難いご意見(4)
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有り難いご意見
文系と理系に求められる頭の差
>>何故、高学歴者にサヨクが多いのか
文系と理系に分けて考えた時、文系で評価が高いのは、広範な知識を持って居る事であるが、其れは、物事を主張する際に、色んな角度からの意見等、比較の対象がより多い方が有利な所為だと思います。つまりは記憶力中心の評価になりますね。 処が理系の場合知識の広さよりも、思考力の問題、つまり、深さが問題になりますが、是って具体的に言えば、先を予想して仮説を建てる力、更には、知識を使って新たなものを見出す力だと思います。

 私は所謂、海運界でいう「地方の高専」出で、然も、2回も留年を経てやっと卒業した落ち零れですが、同級生や下級生には頭のいい奴がワンサといました。 然し文系・理系は混在して居て、区別はつきにくかったですね。 

 でも中には、ハッキリと理系と分る奴も居て、本を読ませると感じを飛ばして読むので何を言っているのか判らない位なのですが、高等数学でも大学課程の問題を、授業を一切聞いて居ないのに、試験前の夜に例題を2,3解いたダケで、教えを請いに来たガリ勉野郎に教え、且つ試験で及第点を取らせ、自身は満点に近いと言う離れ業を熟す奴が居ました。

 余談でスミマセンが、私自身は航海科だったのですが、卒業後、就職難で頼んだ人に勝手に機関の整備の会社にネジ込まれて、爾来22年に亘って船のエンジンの分野のエキスパートをやらされ、学校で習った船舶の運航技術に関する事は一切生かせなかったと言う苦い思い出があります。 航海科は、謂わば、暗記中心の学科で、必要な計算と言えば天文航法での自船の位置を、星の位置を六分儀で測り、計算で出す事位で、とても理系の仕事とは言えないモノでした。処がエンジンの整備は、当然理系ですから、毎年頭が痛かったですね。

 そんなですから、自分では文系だと思って居たし、文系が陥り易い反体制志向のヒロイズムに取り憑かれそうになったり、共産主義を勉強しようと本を読み漁ったり、デモに参加したりしましたが、結局、何も得られないママでしたね。 今からその後を考えれば、運が良かったのだと思いますがね。

 マァ記憶力は一応、人並み以上あったかもしれません、頭の中はゴミ箱状態でしたがね。然し、お蔭で是までやってこられたのですから。 理論を通り一遍理解し、覚えるのはいいのですが、其れを駆使して問題を解くというのは、相変わらずの苦手で、式やら答えやらを丸暗記するしか無かったのですから、自分の頭の悪さを恥じて居ました。

 虜囚さんが言う、「知能指数以上の負荷を与えられた例」なのでしょう。そう考えれば、大学など行かずによかったのかもしれません。 

 唯、私は歴史学をモゥちょっと専門的にやりたかったと言う気持ちはありますが、大学の歴史の先生の云って居る事を聞いて居ると、唯、覚えて居るダケで、所謂、知識を使えない文系バカでしかないと言う気がします。

 そう言う意味でいえば、沖修理の事は、体を毀す位きつかったけれど、頭も体も限界まで使う言い仕事だったと思って居るので、是に20年以上関われた事で、満足はして居ます。
【2017/11/26 16:27】| | ナポレオン・ソロ #581d38ce9a [ 編集 ]


Re.文系と理系に求められる頭の差
ソロさん
>文系と理系に分けて考えた時、文系で評価が高いのは、広範な知識を持って居る事であるが、其れは、物事を主張する際に、色んな角度からの意見等、比較の対象がより多い方が有利な所為だと思います。つまりは記憶力中心の評価になりますね。

理系文系とか記憶力とかより、現物を重視するか言葉を重視するかの差です。

理系でも学者になると論文を書かければなりませんから言葉の方が重視されます。文系の学者は特にそうですが、場合によっては理系の学者で現物にノータッチで文献を読み漁って論文を書く人もいるかも知れません。

しかし田中英道氏が言うように、日本語の『言葉』の語源は『事の葉っぱ』であり、日本は現物を重視した文化です。日本で職人が尊ばれるのはその事です。宮大工の木組みを見れば分ると思いますが、彼らは図面無しで複雑な形状の木組みを完成させます。馬鹿で大工は務まりません。

逆に支那・朝鮮の儒教文化は言葉重視の文化です。空理空論を積み重ねても何も生まれません。さすが支那人の庶民もあきれて儒学者を読書人と馬鹿にするようになりました。

その現代版儒教文化が日本の大学で起きてます。文系学問が儒教がフランクフルト学派共産主義に変わっただけの空理空論の学問であることを、日本の殆どの文系学者は気が付いていないと思います。
【2017/11/26 19:39】| | 崗上虜囚 #29ee8ffb97 [ 編集 ]


無題
崗上虜囚さん

絵も鍛練です。

わたしは色鉛筆ばかりなので
絵の具の大変さを忘れました。
高価で面倒くさかったように思います。
【2017/11/27 23:24】| | 楽仙堂 #984ddc9420 [ 編集 ]


Re.楽仙堂様
色鉛筆ですか。色鉛筆であそこまで描けるのは凄いです。
下手な油絵でも縮尺するとましに見える事が分りました。

楽仙堂さんの仕事は、自然や物を相手にして、体も頭を使う農業。趣味は手芸や絵とかで、これまた物が相手。
ソロさんも現物と格闘した経歴みたいで、御2人が洗脳などとは無縁な理由が良く分ります。
【2017/11/28 07:14】| | 崗上虜囚 #29ee8ffb97 [ 編集 ]


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