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崗上虜囚の備忘録

日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください

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日本人が伝えて来た心とは

 「花は桜木、人は武士」との歌の節も在りますように、その潔さの高さ、見事さは、正に桜に譬えられるに相応しい。

 その武士階級は江戸期の人口の凡そ1割に過ぎません、一面ですが、日本社会のエリート像を生まれながらに背負わされる階級であったと云う事です。

 武士であるが故に、上に立つ者として下のモノの為し事の責任を問われる事を、頭から承服しなくてはならない。 武士である事を理由に、泣き言は一切恥である。

 私は、この様に江戸期までの日本社会の身分制度というのは、社会における「職務分担」と言う機能担保を主にしたモノでは無かったかと思います。

 武士に措いては、「人の上に立つモノ」としての役割を背負うモノである限り、時として、頑是ない幼子で有ろうと、本人の意思や覚悟とは全く関係なく、唯、腹を切らねばならないと謂う例も有ったと聞いております。 

 責任を取るべきモノが、切腹しなければ、事がおさまらない事態だからです。

 その武士が凡そ千年間、墨守してきた心は、明治大正を経て、「自分の責務を全うする心」として昭和に伝わった。

 直接の戦闘の場のみでは無く、多くの職場でも武士階級の出自では無い庶民が、女や子供でさえ、その武士の心をお手本に、自分に与えられた責務を全うせんと命を懸けた。

 是は、残る9割の多くを占めた農民を種とする庶民層にも、村に与えられた年貢・夫役と言う義務履行
が有り、一方で農民にも「我々の責務履行が、社会全体を支えて居るのだ」と言う矜持があった。

 それ故、村の掟は殊の他厳しく、破戒者には、村八分と言う制裁が待って居た、是は現代に云えば、公民権停止に近い性質のものだと理解して居る。 その百姓魂が云わんとして居る処は、「秩序の維持」でしょう、それ故、武士も己の立場の厳しさを自覚する他は無かったのです。 

 時に如何に身分制度が峻烈な結果をもたらそうとも、庶民は納得したし、武士階級もおごる事は無かったと思います、亦、武士自体江戸期末期には、江戸期の初期/末期を比較するに、コメの生産高が倍増したのに消費人口が殆ど変わらないと云う現象が現れた為に、コメの価格が暴落して、俸禄に拠る安定した豊かな生活を維持できなくなり、武士である事に困窮した。

 其れが故に、廃藩置県と言う世界に類を看ない大改革が、寧ろ、貨幣経済活動が盛んな大都市を抱える大藩ほど通ってしまったのでしょう。

 武士道ダケが日本の心としてもてはやされるのは、寧ろ、是等、維新までのマトモな歴史を喪った現代日本人だからであり、反面、大戦争を3つも戦った日本人の美意識の根源で有ろうと思うのです。

 江戸期までの社会規範であった「愚直なほどに秩序を守れ」「途中で投げ出さず、職責を全うせよ」、「結果に誇りが持てる質の良い仕事をせよ」と言うフレーズは、明治期以後も色々な生産職場にも敷衍され、日本のモノ造りの心として成長しました。

 此の美意識こそ紛れもなく日本の製造業の品質を支えている精神的支柱です。

 我を出して調和を乱す利己主義者を嫌い、秩序を重んじ、調和を楽しむのが、日本人の昔と変わらぬ基本的なメンタリティで在りましょう。 

 我々現代を生きる日本人は、その日本人の在るべき姿、社会に織り込まれている「伝えられた心」を正しく読みとって、次世代に伝える義務を背負っていると私は思います。

 時に天意を知れば、無私を貫き、罵倒・批判に耐えても遣り抜かねばならない事は多々ありますが、基本として「見苦しい」と言う武士の価値観を喪失したモノに、上に立つ資格は無いのです。

無題

武人の心得、覚悟
いつ頃から日本人に無くなったのでしょうか?

戦前に教育を終えた方々や段階世代前の先輩方々には、あったように思います。

戦後生まれの私は学校で習った記憶が御座いません。ただ、親の背中を見て育ち、親から人の生き方を習いましたが…。(一応、武士の家系です)

「千人を救うため、一人を犠牲にできるか?」
私の答えはYESです。

其の一人が自分であれば迷いなく犠牲になります。
例えば、原発事故で自分が逃げたら幾千万の人々が犠牲者となると知っている原発技術者のように。家族や友人知人、そして故郷を一命を賭して護ります。

命令する立場なら、他に方法がないか熟慮し、なければ断行します。但し、自分の命令で人独りの命を奪う事の責任は消えません。犠牲者の御家族から「腹を切れ」と言われたら、事態が収まったら腹を切ります。
また、無能な上司の間違った指示で余計な犠牲者が一人でもでると知っていたら、無視をし最善を尽くします。後で、腹を切ると分かっていても…。『至誠天に通ず』を信じて。

まぁ、一介の庶民ですが私は…。其れが、生を受け育ててくれた社会や国への義務と考えます。
エリートなら
率先して国民に範を示せ
です。

無題

江戸時代からの貯金が、もう既に今の日本人にありそうもありませんね
残金0・・・(ため息)

こちらはケータイからエントリーとコメントだけ見えますが、記事は真っ黒で見えません
とても残念です。

butti様へ

butti様へ

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崗上虜囚 様は、ワンクリック詐欺サイトを貼りませんから、安心して押してみましょう。

いらぬお節介、失礼しました。

Re. ナポレオン・ソロ様、酒と泪と様、butti様

>ナポレオン・ソロ様
幕末の頃訪れた西欧人は、武士階級は一番自由が無いと同情的です。それも階級が上な程自由が無くなると。これも良い意味での、庶民との意地の張り合いで出来た文化だったかも知れません。

でも「愚直なほどに秩序を守れ」なんかは、権力者に盲従する民と、西欧人に誤解されていますね。日本人も誤解している人が増えてきました。それが平気で嘘を付き、嘘を付かれても平気な日本人が増えた原因です。

>酒と泪と様
酒と泪と様の職業と無縁では無いと思いますが、命がけの責任は民間でも同じですね。先だっても、シールド工法の工事現場で出水があり、助けに戻った上司と部下が共に無くなりました。

庶民の方に、命がけで責任を果たす精神が生きていると思います。

>butti様
>江戸時代からの貯金が、もう既に今の日本人にありそうもありませんね

日本の国を無くそうとしている輩が、一杯いるんですから。
写真を小さくしてみました。これでも駄目ですかね。

無題

崗上虜囚様、 酒と泪と 様、ご丁寧にありがとうございます。
教えていただいた事をしましたら画像だけは観られましたが、やはり記事自体は観られず真っ黒の画面でした。
PCからは普通に観られますので、良しとします。
ありがとうございました。

休みの昨夜はちょうど、星亮一氏の「会津戊辰戦争の真実」をイッキに完読しました。
侍はもちろんですが、会津武家の女性達は強かった
たった140年前の日本です。
江戸時代に学ぶ事は実は大切な原点ではないのかと思っています。

贋物だな。

貴様の様な人間が、人助けも出来ず口ばかりなのだよ。

武人の心得、覚悟

以前にも書いたが、東大生に『千人の人を助けると1人が犠牲になり、1人を助けると千人が犠牲になる事故が起きた、君が為政者ならどうするか』と聞くと、殆どの学生はいとも簡単に、1人を犠牲にして千人を助ける、と答えるそうである。百人対千人と設問を変えるとようやく事態の深刻さを理解すると言う。

これとまったく同じ設問を中学生の時に考え付き、『君が首相ならならどうする』と同級生に聞いて回ったことがある。中学生の時の私の解答は、『何もしてはいけない』であった。そうだろう、『首相だろうと他人の命を奪う権利など誰も持っていない。全員が死んだとしても、それは自然の摂理ではないか』と同級生に説いた記憶がある。

東大生について遺憾に思ったのは、彼等は将来人の上に立つ人間であると自他共に認めており、自負心も有るように見受けられるが、処が中学生でも考え付く設問を考えていなかったからだ。ある者は、首相、大臣、官僚、首長、上級警察官、等々になるだろう。だが、彼等が上に立つ者についての決断する勇気や、決断した後の責任について、何も考えていなかったとしても、そのような事態は必ずやってくる。

中学生だったときの私の解答は『人を助けるのに、誰かを犠牲にしなければならないのなら、何もしてはいけない』であったが、では、『何もしない人間が何故、人の上に立つのだ』、『決断する勇気も責任を取る覚悟も無い人間が、何故そのような職業につくのだ』と聞かれたら、答えられるだろうか。

軍人が身を挺して国土を守る戦闘行為は、まさに人を助ける為に何人かを犠牲にしなけれならない事態である。当然、軍隊が有る国のトップは、その決断を下す事が迫られる。戦争が無くても日本は災害の多い国である。実際日本では、何人かを助けると何人かを犠牲にしなけれならな事態が起き、誰かの決断を待っていた事が有ったのである。

その一つの例が、阪神淡路大震災の時の首相村山富市の対応である。

阪神淡路大震災では地震と同時に火災が起きたが、上水道が断水していた為、地上からの消火活動が出来なかった。空からの消火も検討されたが、水による圧力で建物が破壊され、下にいる人間にも被害が及ぶ可能性があるとの話があり、誰も決断を下さない為に火災は放置され、一日中燃えるに任せた。その為に、恐らく倒壊した家屋の中で逃げらずに焼け死んだ人間が、かなりいた筈である。(注1)

阪神淡路大震災は、まさしく誰かが決断して、何人かの犠牲を払ってでも類焼を食い止め、多くの人が焼け死ぬのを防がなければならない事態であった。しかし此の村山富市と言う男、何もしなかった。そのくせ定例勉強会等には出席しているが、その他の時間は阿房宮の火事でも眺めているかのように、一日TVを見て過ごしていたのだ。これは決断するとか、上に立つ者の覚悟以前の問題である。

又、原発事故の時に、当時経済相の海江田万里が権限が無いにも『速やかにやらなければ処分する』と消防隊員を恫喝した行為も、何人かを助ける為に何人かを犠牲にする命令であった。此の海江田万里も、恐らく消防隊員に犠牲者が出ても責任を取る覚悟等、無かったであろう。

しかし、首相であろうと大臣であろうと他人の命を奪う権利は無い。だが何もしなければ首相として又大臣としての責務が果たせぬ。ではどうすべきか。それには日本的解決法があった。

それは腹を切ることである。日本では、古来から責任を取ると言う事は腹を切ることであり、腹を切る事で失敗も許される文化があった。

封建時代、日本を訪れた西欧人は、法が厳格に守られ犯罪も少ないことに驚く。又、庶民が支配階級の武士を尊敬している事も指摘する。理由として考えられるのは、支配階級の武士が常に死の覚悟をしていた事を庶民は知っていたからと思われる。

例えば幕末、日本は国後島を訪れたロシア人艦長ゴロウニン以下8人を捕まえ捕虜としたが、その後ゴロウニン達は脱走を企てるが捕まえられる。その時奉行は、以前と変わらず晴れやかな態度で接し、『その方達が逃げおおせれば、奉行以下の数人の役人が命を捨てねばならないことを存じていたか』と尋ねる。奉行は、何時でも腹を切る覚悟の上、職務を行っていたのである。

武士達が横柄であろうと、常に死を覚悟して職務を行っていたことを知れば、その心は庶民にも伝わる。法も守るようになる。

幕末で、実際に切腹した幕府の官僚に川路聖謨がいる。川路聖謨はロシアの使節プチャーチンと交渉にあった人間である。ロシア側は彼の知性に驚かされ、彼の洒脱でユーモア精神に富んでいる人柄に魅了された。彼が切腹したのは責任を取った為ではない。しかし彼の切腹死により、彼が常に命がけで職務を行っていた事が分かった。

川路聖謨は有能な官僚であった。彼が有能であったのは知性の為だけでは無い。常に従容として腹を切れる程の勇気有ったからこそ、知性が発揮できたのである。逆に勇気が無い人間は、幾ら知性が有ったとしても能力を発揮する事はできない。臆病者は無能ともいえる。

明治以降では、切腹死した人間に乃木希典がいる。彼は切腹に先立ち正装し、十文字に割腹した後、外した軍服のシャツのボタンを締め、ズボンを上げ、軍刀で喉を突くことで絶命した。真に壮烈な最期である。

遺書には連隊旗を奪われたことを償うための死と述べられているが、この壮絶な死にざまを見れば、連隊旗を奪われた責任を追及する者はいないであろう。旅順攻撃の拙さや、多数の死傷者を出した責任を追及する者もいたが、切腹により全て帳消しになった。

乃木希典の切腹を時代錯誤とか、狂っているとか言う者がいる。これは西欧かぶれで日本文化を解せない人間か、自分が出来ない事への嫉妬した卑怯者の言葉である。

有能な人間とて失敗はあり得る。失敗を恐れては何も出来ない。日本は腹を切る事で失敗も許される文化なのである。それは自分の死を克服する勇気を持つ人間こそ、大事をなし得ることが分かっていたからである。


千人の人を助けると1人が犠牲になり、1人を助けると千人が犠牲になる事故が起きた、君が為政者ならどうしますか。


後書き
切腹はグロテスクである。しかし昔の武士は死を克服する以上の勇気を示すため、切腹を選んだ。明治以降、軍人以外で切腹する者はいなくなった。それと同時に政治家や役人で死を意識してまで職務を行おうとする精神も薄れていった。政治家や役人の価値観から勇気が失われていった。

政治家や役人が、命をかけて職務を行わなくなってきたのだ。当然勇気の無い人間は自己犠牲等しない。勇気が無い人間は、全てが無い人間なのだ。もう肩書きだけの人間に騙されるべきではないだろう。

人の上に立つ人間の選択基準は、まず勇敢であることを一番に上げるべきである。当然な事ながら、もし運悪く自分が人の上に立つ立場になったら、やはり腹を切る覚悟でその職務をまっとうしなければならないだろう。それが日本の伝統なのだ。


 


ヘリコプターCH47
 

注1、森林火災では空中から消火するのが普通である。地上に消火活動をする人間がいても実施されている。『森林火災で使用されているヘリコプターCH47が3機あれば、阪神淡路大震災の火災を1%に激減できた』との報告もある。


 

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日本人が伝えて来た心とは

 「花は桜木、人は武士」との歌の節も在りますように、その潔さの高さ、見事さは、正に桜に譬えられるに相応しい。

 その武士階級は江戸期の人口の凡そ1割に過ぎません、一面ですが、日本社会のエリート像を生まれながらに背負わされる階級であったと云う事です。

 武士であるが故に、上に立つ者として下のモノの為し事の責任を問われる事を、頭から承服しなくてはならない。 武士である事を理由に、泣き言は一切恥である。

 私は、この様に江戸期までの日本社会の身分制度というのは、社会における「職務分担」と言う機能担保を主にしたモノでは無かったかと思います。

 武士に措いては、「人の上に立つモノ」としての役割を背負うモノである限り、時として、頑是ない幼子で有ろうと、本人の意思や覚悟とは全く関係なく、唯、腹を切らねばならないと謂う例も有ったと聞いております。 

 責任を取るべきモノが、切腹しなければ、事がおさまらない事態だからです。

 その武士が凡そ千年間、墨守してきた心は、明治大正を経て、「自分の責務を全うする心」として昭和に伝わった。

 直接の戦闘の場のみでは無く、多くの職場でも武士階級の出自では無い庶民が、女や子供でさえ、その武士の心をお手本に、自分に与えられた責務を全うせんと命を懸けた。

 是は、残る9割の多くを占めた農民を種とする庶民層にも、村に与えられた年貢・夫役と言う義務履行
が有り、一方で農民にも「我々の責務履行が、社会全体を支えて居るのだ」と言う矜持があった。

 それ故、村の掟は殊の他厳しく、破戒者には、村八分と言う制裁が待って居た、是は現代に云えば、公民権停止に近い性質のものだと理解して居る。 その百姓魂が云わんとして居る処は、「秩序の維持」でしょう、それ故、武士も己の立場の厳しさを自覚する他は無かったのです。 

 時に如何に身分制度が峻烈な結果をもたらそうとも、庶民は納得したし、武士階級もおごる事は無かったと思います、亦、武士自体江戸期末期には、江戸期の初期/末期を比較するに、コメの生産高が倍増したのに消費人口が殆ど変わらないと云う現象が現れた為に、コメの価格が暴落して、俸禄に拠る安定した豊かな生活を維持できなくなり、武士である事に困窮した。

 其れが故に、廃藩置県と言う世界に類を看ない大改革が、寧ろ、貨幣経済活動が盛んな大都市を抱える大藩ほど通ってしまったのでしょう。

 武士道ダケが日本の心としてもてはやされるのは、寧ろ、是等、維新までのマトモな歴史を喪った現代日本人だからであり、反面、大戦争を3つも戦った日本人の美意識の根源で有ろうと思うのです。

 江戸期までの社会規範であった「愚直なほどに秩序を守れ」「途中で投げ出さず、職責を全うせよ」、「結果に誇りが持てる質の良い仕事をせよ」と言うフレーズは、明治期以後も色々な生産職場にも敷衍され、日本のモノ造りの心として成長しました。

 此の美意識こそ紛れもなく日本の製造業の品質を支えている精神的支柱です。

 我を出して調和を乱す利己主義者を嫌い、秩序を重んじ、調和を楽しむのが、日本人の昔と変わらぬ基本的なメンタリティで在りましょう。 

 我々現代を生きる日本人は、その日本人の在るべき姿、社会に織り込まれている「伝えられた心」を正しく読みとって、次世代に伝える義務を背負っていると私は思います。

 時に天意を知れば、無私を貫き、罵倒・批判に耐えても遣り抜かねばならない事は多々ありますが、基本として「見苦しい」と言う武士の価値観を喪失したモノに、上に立つ資格は無いのです。

無題

武人の心得、覚悟
いつ頃から日本人に無くなったのでしょうか?

戦前に教育を終えた方々や段階世代前の先輩方々には、あったように思います。

戦後生まれの私は学校で習った記憶が御座いません。ただ、親の背中を見て育ち、親から人の生き方を習いましたが…。(一応、武士の家系です)

「千人を救うため、一人を犠牲にできるか?」
私の答えはYESです。

其の一人が自分であれば迷いなく犠牲になります。
例えば、原発事故で自分が逃げたら幾千万の人々が犠牲者となると知っている原発技術者のように。家族や友人知人、そして故郷を一命を賭して護ります。

命令する立場なら、他に方法がないか熟慮し、なければ断行します。但し、自分の命令で人独りの命を奪う事の責任は消えません。犠牲者の御家族から「腹を切れ」と言われたら、事態が収まったら腹を切ります。
また、無能な上司の間違った指示で余計な犠牲者が一人でもでると知っていたら、無視をし最善を尽くします。後で、腹を切ると分かっていても…。『至誠天に通ず』を信じて。

まぁ、一介の庶民ですが私は…。其れが、生を受け育ててくれた社会や国への義務と考えます。
エリートなら
率先して国民に範を示せ
です。

無題

江戸時代からの貯金が、もう既に今の日本人にありそうもありませんね
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とても残念です。

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いらぬお節介、失礼しました。

Re. ナポレオン・ソロ様、酒と泪と様、butti様

>ナポレオン・ソロ様
幕末の頃訪れた西欧人は、武士階級は一番自由が無いと同情的です。それも階級が上な程自由が無くなると。これも良い意味での、庶民との意地の張り合いで出来た文化だったかも知れません。

でも「愚直なほどに秩序を守れ」なんかは、権力者に盲従する民と、西欧人に誤解されていますね。日本人も誤解している人が増えてきました。それが平気で嘘を付き、嘘を付かれても平気な日本人が増えた原因です。

>酒と泪と様
酒と泪と様の職業と無縁では無いと思いますが、命がけの責任は民間でも同じですね。先だっても、シールド工法の工事現場で出水があり、助けに戻った上司と部下が共に無くなりました。

庶民の方に、命がけで責任を果たす精神が生きていると思います。

>butti様
>江戸時代からの貯金が、もう既に今の日本人にありそうもありませんね

日本の国を無くそうとしている輩が、一杯いるんですから。
写真を小さくしてみました。これでも駄目ですかね。

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崗上虜囚様、 酒と泪と 様、ご丁寧にありがとうございます。
教えていただいた事をしましたら画像だけは観られましたが、やはり記事自体は観られず真っ黒の画面でした。
PCからは普通に観られますので、良しとします。
ありがとうございました。

休みの昨夜はちょうど、星亮一氏の「会津戊辰戦争の真実」をイッキに完読しました。
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