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長江人は朝鮮半島にも逃げてきた。朝鮮人の中に40%近く存在するO2bのY遺伝子がそれを示す。南朝鮮に土着していたと言われる馬韓人がそれに当たると思われる。
朝鮮半島の北部では、殷に出自を持つ箕子が建国し、起源前194年まで900余年国を治めたとなっている。この箕子朝鮮についてはあまり詳しいことは分からない。箕子朝鮮は箕氏41世の箕順のとき、元遼東からの難民であった燕人の衛満に襲撃され箕子朝鮮は滅びた。そして、その地は衛氏朝鮮と呼ばれるようになった。衛満に敗れた箕順は、残党を連れて馬韓を攻めて、これを撃ち破り、韓王となったとある。
その後、朝鮮半島南部は馬韓、辰韓、弁韓の三韓時代と呼ばれる時代に入る。この内、辰韓は労役から逃亡してきた秦人とされており、馬韓は東の地を割いて彼らに与えた。その辰韓がその後新羅となり、朝鮮半島を統一する。おそらく辰韓人は漢民族と同系統の遊牧民なのだろう
馬韓も百済となるが、百済は支配層が満州にいた扶余族であったとされる。またしても馬韓人は異民族に支配されることになる。扶余人は遊牧民なので、高度な文化を支える技術は持っていない。百済は文化が高かったと言われるは、支配層の扶余人のマネジメントが良かったのだろう。
百済の文化水準が高かったのは、馬韓人が物作りに精通していた長江人だったからである。長江人は農耕技術者であり優れた工芸家でもある。その百済も新羅となった辰韓に攻められ滅びる。
長江人は日本と朝鮮に同時期流入した。日本には長江文化の流れを汲むと思われる文化が多数存在する。しかし朝鮮には殆ど残っていない。そしてその後の日本と朝鮮の文化は圧倒的な差が生まれる。朝鮮人は百済に高度の文化があったことを自慢するが、それは長江人が支えていたからである。
朝鮮半島を統一した新羅だが、すぐ貧乏国になる。そのためか、新羅は度々日本に侵略する。さらに新羅の次の李氏朝鮮となると最貧国である。理由は、支配階級がなんら生産技術も、それに対する理解も持ち合わせず、只人の上に立ちたがり、人から収奪する事しか考えない人間だったからである。
支配階級は労働せずは、支那・朝鮮の文化である。労働せずとは聞こえが良いが、実際は、支配階級の出自が強盗家業が本業になった遊牧民だった為、労働する能力も技術もなかったと言うのが本当の処である。
日本と朝鮮に逃げられなかった長江人の中には山岳地帯に逃げ込んだ者もいる。現在の支那少数民族である。また大陸に留まった長江人は漢人の支配化に置かれることになる。
例えば、周王朝の太伯と虞仲が立てた呉は、領民が長江人だったとようである。理由は、周王朝を相続させるために太伯と虞仲を呼び戻そうとした処、その地の風俗であった刺青を全身に施して、それを拒否した逸話があるからである。刺青は長江人の風俗である。又弥生時代の倭人の風俗でもある。
太伯と虞仲のような人間が、代々国を治めれば、支那にもヨーロッパや日本のように、封建領主と領民の関係が生まれ、近代への礎になった筈であるが、支那は中央政権の道を歩む。そして支那には封建時代は訪れなかった。
それは、堅実な企業経営や従業員の待遇改善などに興味が無く、ひたすら企業規模の拡大のみに血道をあげる現代の経営者の姿に似ている。それは遊牧民が、遊牧で生きていくでもなく、定住民から学ぶでもなく、定住民から収奪して生きていく道を選んだ時から決まっていたことである。
その後、長江人はどうなったかは分からない。只、長江文明が滅んで2000年程たった頃、アメリカ領事が目撃した話 『 豚と支那人を満載したサンパンが岸近くで波に呑まれ転覆し、豚も人間も川に投げ出された。岸で見ていた人間は直ちに現場に漕ぎ出し、われ先に豚を引き上げた。船に泳ぎ着いた人間は、頭をかち割って殺し、天の恵み、とばかり新鮮な豚肉を手にして、意気揚々と引き上げ、あとは何事もなかったかのようにいつもの暮らしが続いた 』 というのが支那大陸の普通の光景であったことで想像できる。
それは普通の長江人は淘汰され、支那大陸に適合された長江人のみが生き抜くことが出来たのだろうとの推測である。想像出来ない人は、『暗黒大陸中国の真実:ラルフ・タウンゼント著、芙蓉書房出版』を読むべきであろう。大人しい人、正直な人、優しい人、奥ゆかしい人は、支那では生きていけないのだ。
O2*のY遺伝子を持つ長江人の子孫は今も支那にいるであろう。しかし支那にいるのは、日本人となった長江人とは全然性質が異なり、遺伝子以外支那人とな変りがなくなっている筈である。縄文人と長江人の出会いを、幸せな邂逅と言うのはその事も指す。
強盗家業が本業になった遊牧民は、漢民族だけでは無い。今世界を金融で支配しているユダヤ人=ハザール人も遊牧民である。
聖書が祝福する十二支族ではないので、第十三支族と呼ばれるハザール系ユダヤ人は、昔はフン族の配下になったこともある怖面の遊牧民であった。それは当時のイスラム教徒から見ても不潔な野蛮人であった。
ハザール人が半分強盗をやりながらハザール帝国を維持していたとしても、それを責める気にはならない。ユーラシア大陸で平和を愛する民が立てた国などあれば、一晩でその国は侵略され、国民は奴隷になるか虐殺されるしか道は無いからである。
剛勇でならしたハザール人であったが、やはり野蛮人のルス人に国を破壊され、バイキングにも侵され、帝国を維持出来なくなった。留めを刺したのはモンゴル帝国である。それでも国が東西南北の要衝に位置した為、ハザール人は商売を覚える。帝国の崩壊前から国民は、ヨーロッパにちりじりに散りながら、ハザール人は商売や金融で身を立てる。恐らく遊牧民特有のネットワークも壊さなかったのだろう。
流浪の民である遊牧民は、物作りより商売が上手である。支那人も同じである。商売が上手と言えば、インド人(アーリア系)も元遊牧民である。最近インダス文明を作ったのはインド人(アーリア系)だったと言う説が出ているが、プロパガンダであろう。カースト制を作ったのも、遊牧民ならではである。インダス文明を作ったのは、カースト制最下位のドラビダ族であろう。
インド人が大人しくなったのは、宗教である。蒙古人がラマ教を信じるようになってから大人しくなったのと同じである。しかし支那人は宗教を信じていない。十三支族が有名になった今日、ハザール人がユヤダ教を信じているのは疑わしい。その二つの民族が世界を二分しようとしている。
又、ドイツは日本と同じく物作りが得意であるが、ドイツ・アーリア人も東ヨーロッパから侵略し、定住民を奴隷にして居座った遊牧民である。中世の農奴と言うことばがそれを表す。しかしドイツは封建時代を経て、領主が領民の気持ちを分かるようになる。そして実際に手を汚し、現場作業を尊ぶ精神が戻った。これがドイツが物作りを得意になった所以である。近代は封建時代があったからと言われるはこの事である。
こうして見ると遊牧に侵略されず、又他民族から収奪されなかったり、他民族から奴隷にされなかったのは日本民族だけである。又、他民族にも、そうしなかった。でもそうなる危機は幾度とあった。日本列島は縄文人時代、首長がいない国のようであったが、それでは遊牧民のような民族に支配される恐れがあった。それを救ったのは古代天皇である。
日本民族は幸せな民族である。過酷な境遇にされされた事は無い。その為に悪い心に侵されなかった。津波にさらわれた金庫の金23億円に世界は驚いたが、処が日本人は驚かなかった。実は原人類は日本民族のような人間だったのではないだろうか、世界の人間の方が変質したのではないだろうか。
途中をかなり端折ったので意味が判らなくなったが、『日本人が変質すると人類は指標が無くなりますよ』と『古代天皇が守ったように国を守らないと、日本人が変質しますよ』と言いたかった。
取り留めが無くてスミマセン。
終わり。
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