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崗上虜囚の備忘録

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最後の定住民国家日本4

長江人は朝鮮半島にも逃げてきた。朝鮮人の中に40%近く存在するO2bのY遺伝子がそれを示す。南朝鮮に土着していたと言われる馬韓人がそれに当たると思われる。

朝鮮半島の北部では、殷に出自を持つ箕子が建国し、起源前194年まで900余年国を治めたとなっている。この箕子朝鮮についてはあまり詳しいことは分からない。箕子朝鮮は箕氏41世の箕順のとき、元遼東からの難民であった燕人の衛満に襲撃され箕子朝鮮は滅びた。そして、その地は衛氏朝鮮と呼ばれるようになった。衛満に敗れた箕順は、残党を連れて馬韓を攻めて、これを撃ち破り、韓王となったとある。

その後、朝鮮半島南部は馬韓、辰韓、弁韓の三韓時代と呼ばれる時代に入る。この内、辰韓は労役から逃亡してきた秦人とされており、馬韓は東の地を割いて彼らに与えた。その辰韓がその後新羅となり、朝鮮半島を統一する。おそらく辰韓人は漢民族と同系統の遊牧民なのだろう

馬韓も百済となるが、百済は支配層が満州にいた扶余族であったとされる。またしても馬韓人は異民族に支配されることになる。扶余人は遊牧民なので、高度な文化を支える技術は持っていない。百済は文化が高かったと言われるは、支配層の扶余人のマネジメントが良かったのだろう。

百済の文化水準が高かったのは、馬韓人が物作りに精通していた長江人だったからである。長江人は農耕技術者であり優れた工芸家でもある。その百済も新羅となった辰韓に攻められ滅びる。

長江人は日本と朝鮮に同時期流入した。日本には長江文化の流れを汲むと思われる文化が多数存在する。しかし朝鮮には殆ど残っていない。そしてその後の日本と朝鮮の文化は圧倒的な差が生まれる。朝鮮人は百済に高度の文化があったことを自慢するが、それは長江人が支えていたからである。

朝鮮半島を統一した新羅だが、すぐ貧乏国になる。そのためか、新羅は度々日本に侵略する。さらに新羅の次の李氏朝鮮となると最貧国である。理由は、支配階級がなんら生産技術も、それに対する理解も持ち合わせず、只人の上に立ちたがり、人から収奪する事しか考えない人間だったからである。

支配階級は労働せずは、支那・朝鮮の文化である。労働せずとは聞こえが良いが、実際は、支配階級の出自が強盗家業が本業になった遊牧民だった為、労働する能力も技術もなかったと言うのが本当の処である。

日本と朝鮮に逃げられなかった長江人の中には山岳地帯に逃げ込んだ者もいる。現在の支那少数民族である。また大陸に留まった長江人は漢人の支配化に置かれることになる。

例えば、周王朝の太伯と虞仲が立てた呉は、領民が長江人だったとようである。理由は、周王朝を相続させるために太伯と虞仲を呼び戻そうとした処、その地の風俗であった刺青を全身に施して、それを拒否した逸話があるからである。刺青は長江人の風俗である。又弥生時代の倭人の風俗でもある。

太伯と虞仲のような人間が、代々国を治めれば、支那にもヨーロッパや日本のように、封建領主と領民の関係が生まれ、近代への礎になった筈であるが、支那は中央政権の道を歩む。そして支那には封建時代は訪れなかった。

それは、堅実な企業経営や従業員の待遇改善などに興味が無く、ひたすら企業規模の拡大のみに血道をあげる現代の経営者の姿に似ている。それは遊牧民が、遊牧で生きていくでもなく、定住民から学ぶでもなく、定住民から収奪して生きていく道を選んだ時から決まっていたことである。

その後、長江人はどうなったかは分からない。只、長江文明が滅んで2000年程たった頃、アメリカ領事が目撃した話 『 豚と支那人を満載したサンパンが岸近くで波に呑まれ転覆し、豚も人間も川に投げ出された。岸で見ていた人間は直ちに現場に漕ぎ出し、われ先に豚を引き上げた。船に泳ぎ着いた人間は、頭をかち割って殺し、天の恵み、とばかり新鮮な豚肉を手にして、意気揚々と引き上げ、あとは何事もなかったかのようにいつもの暮らしが続いた 』 というのが支那大陸の普通の光景であったことで想像できる。

それは普通の長江人は淘汰され、支那大陸に適合された長江人のみが生き抜くことが出来たのだろうとの推測である。想像出来ない人は、『暗黒大陸中国の真実:ラルフ・タウンゼント著、芙蓉書房出版』を読むべきであろう。大人しい人、正直な人、優しい人、奥ゆかしい人は、支那では生きていけないのだ。

O2*のY遺伝子を持つ長江人の子孫は今も支那にいるであろう。しかし支那にいるのは、日本人となった長江人とは全然性質が異なり、遺伝子以外支那人とな変りがなくなっている筈である。縄文人と長江人の出会いを、幸せな邂逅と言うのはその事も指す。

強盗家業が本業になった遊牧民は、漢民族だけでは無い。今世界を金融で支配しているユダヤ人=ハザール人も遊牧民である。

聖書が祝福する十二支族ではないので、第十三支族と呼ばれるハザール系ユダヤ人は、昔はフン族の配下になったこともある怖面の遊牧民であった。それは当時のイスラム教徒から見ても不潔な野蛮人であった。

ハザール人が半分強盗をやりながらハザール帝国を維持していたとしても、それを責める気にはならない。ユーラシア大陸で平和を愛する民が立てた国などあれば、一晩でその国は侵略され、国民は奴隷になるか虐殺されるしか道は無いからである。

剛勇でならしたハザール人であったが、やはり野蛮人のルス人に国を破壊され、バイキングにも侵され、帝国を維持出来なくなった。留めを刺したのはモンゴル帝国である。それでも国が東西南北の要衝に位置した為、ハザール人は商売を覚える。帝国の崩壊前から国民は、ヨーロッパにちりじりに散りながら、ハザール人は商売や金融で身を立てる。恐らく遊牧民特有のネットワークも壊さなかったのだろう。

流浪の民である遊牧民は、物作りより商売が上手である。支那人も同じである。商売が上手と言えば、インド人(アーリア系)も元遊牧民である。最近インダス文明を作ったのはインド人(アーリア系)だったと言う説が出ているが、プロパガンダであろう。カースト制を作ったのも、遊牧民ならではである。インダス文明を作ったのは、カースト制最下位のドラビダ族であろう。

インド人が大人しくなったのは、宗教である。蒙古人がラマ教を信じるようになってから大人しくなったのと同じである。しかし支那人は宗教を信じていない。十三支族が有名になった今日、ハザール人がユヤダ教を信じているのは疑わしい。その二つの民族が世界を二分しようとしている。

又、ドイツは日本と同じく物作りが得意であるが、ドイツ・アーリア人も東ヨーロッパから侵略し、定住民を奴隷にして居座った遊牧民である。中世の農奴と言うことばがそれを表す。しかしドイツは封建時代を経て、領主が領民の気持ちを分かるようになる。そして実際に手を汚し、現場作業を尊ぶ精神が戻った。これがドイツが物作りを得意になった所以である。近代は封建時代があったからと言われるはこの事である。

こうして見ると遊牧に侵略されず、又他民族から収奪されなかったり、他民族から奴隷にされなかったのは日本民族だけである。又、他民族にも、そうしなかった。でもそうなる危機は幾度とあった。日本列島は縄文人時代、首長がいない国のようであったが、それでは遊牧民のような民族に支配される恐れがあった。それを救ったのは古代天皇である。

日本民族は幸せな民族である。過酷な境遇にされされた事は無い。その為に悪い心に侵されなかった。津波にさらわれた金庫の金23億円に世界は驚いたが、処が日本人は驚かなかった。実は原人類は日本民族のような人間だったのではないだろうか、世界の人間の方が変質したのではないだろうか。

途中をかなり端折ったので意味が判らなくなったが、『日本人が変質すると人類は指標が無くなりますよ』と『古代天皇が守ったように国を守らないと、日本人が変質しますよ』と言いたかった。

取り留めが無くてスミマセン。
終わり。

 

  

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最後の定住民国家日本3

長江文明は長江流域に発展した古代文明のことを言う。その発見は浙江省の莫角山(ばっかくさん)遺跡で東西670m、南北450m、高さ10mに及ぶ基壇跡や大量の玉器が見つかったことから始まった。

その後、長江流域の各地で巨大城壁や世界最古の水田跡も見つかり、長江文明が紀元前14000年ぐらいに始まった黄河文明より古い文明であることが分かった。

長江文明が、世界の4大文明と言われるメソポタミア文明、インダス文明、エジプト文明、黄河文明等と異なるのは、世界の4大文明が何れも湿潤と乾燥の狭間の大河のほとりに位置するのに対し、長江文明は湿潤の照葉樹林帯に位置することである。

従って、作物も世界の4大文明が畑作による麦や大麦に対して、水田による米である。又、長江文明は金属器と文字を持たない。

長江文明は紀元前1000年頃無くなる。長江人は呉越等の漢民族が立てた王朝に組み込まれて行く。長江文明が滅んだのは、黄河流域にすむ牧畜民の執拗な攻撃にされた為と言われる。実際、長江文明の遺跡を見ると、後の年代になるに従って城壁を構えるようになる。

長江文明は武器と無縁な社会であった。それが城壁を構えるようになったのは、外部からの襲撃に備えた為である。それでも金属器持たない長江文明は滅びるしか無かった。

それより、何故長江人が湿潤な照葉樹林帯に住むようになったのであろうか。森林は意外と食性に乏しい。大東亜戦争時、ニューギニアの密林に入った日本兵は、皆栄養失調で倒れている。サゴヤシ等のデンプンが豊富にある植物は有ったが、タンパク質が無いのである。

大河の畔といえ、長江人が森のそばで定住せざる得なかったのは理由がある。

そもそも人類が森を捨て草原に進出したのは、動物性タンパクを得る為であった。ユーラシア大陸を横断し、アメリカ大陸まで分け入ったのは、狩により動物が減った地を捨て、新たな狩の場所を探す為だった。

でも、アメリカ大陸まで行かずとも、又森に定住する迄も無く、ユーラシア大陸には動物が居た。だが、その動物は誰かの持ち物であった。持ち主は遊牧民である。

ユーラシア大陸の草原地帯に初めて入った人類は、バイソンの群れを見たアメリカ人のように『ワーオ』と言ったであろう。始めは仲間と一緒に動物の群れと共に移動し、次は後からきた人間に動物を横取りされないように守った筈である。遊牧民の始まりである。

後からきた人間集団の方が強ければ、囲った動物は奪われたであろう。お互い生きる為である。ユーラシア大陸中央の草原では、のべつ奪い奪われの生存競争が行われていたのである。今は牧歌的な遊牧民であるが、現在の遊牧民は嘗ての草原の覇者の末孫である。草原の歴史は日本人が想像できない程過酷である。

草原で狩を出来なかった者は、止む無く川の畔で採取を行う。長江人もその一人である。漁労採取から栽培へ栽培からの農耕へ。そして長江人は終に水稲栽培を完成した。米はデンプンだけでなく、少量であるが質の良いタンパク質を含む。米だけでなく色々な野菜や果実も栽培した筈である。一昔前であるが、農村と漁村を比較すると、農村の方が栄養状態が良かった。

かくして長江人は、遊牧民より豊かになった。しかし4000年前(紀元前3000年~紀元前2500年)頃、寒冷化が支那大陸を襲う。そして寒冷化により食糧不足になった黄河流域の牧畜民が南下し襲ってきた。この牧畜民こそが現在の漢民族である。

漢民族は黄河上流で遊牧を営んでいたが、黄河中流にいた先住民を追い出し、住み付き畑作牧畜を行うようになっていた。漢民族は元遊牧民、いわば草原の覇者であった。漢民族は既に鉄と馬を使用していた為、長江人はなすすべも無かった筈である。

漢民族による来襲と殺戮。今チベットやウイグルで起きていることは、古代から繰り返し起きていたのである。長江人は水に慣れ親しむ水の民でもある。度重なる襲撃により、船で逃げ出すものも多数いた筈である。

しかし定住民である長江人が逃げ出すのはよほどの事である。彼の財産は水田であり田畑である。遊牧民のように金銀財宝では無い。現代でも残虐な支那人である。当時は目も当てらぬ惨状が起きていたであろう。度重なる襲撃による惨状から、常に農耕具や種籾を船に積んでいた者もいたかも知れない。

脱出先は東シナ海である。東シナ海に出ると海流の関係から、運が良ければ朝鮮半島より九州に漂着する。長江人の日本への漂着は何度もあったと思われる。縄文時代に稲作が行われたのはボートピープルの長江人が持ち込んだ稲によるものと考えられる。

また黄河流域の牧畜民が南下した原因となった寒冷化は縄文人の生活も襲う。縄文晩期、縄文人は激減する。それを救ったのは長江人である。日本列島全体で稲作が盛んになり、人口は増大した。日本列島は豊葦原の瑞穂の国として再生した。

縄文人と長江人。定住民同士。森の民同士。お互い世界最古の土器を作り、最古の漆工芸品を作る。片や硬玉の翡翠のでアクセサリを作り、片や軟玉の翡翠で各種の玉器を作る。縄文人と長江人の出会いを幸せな邂逅と呼ぶ人もいる。

日本にいる長江人と思われるY遺伝子はO2b1。縄文人のY遺伝子はD2。どちらも日本しかいない絶滅危惧種である。

(前の記事)、続く



 
おまけ(天皇の先祖は長江人か?)
長江文明が太陽や鳥を祭ることから、神社の原型は長江にあると言う人もいる。天皇は長江人から出たと言う人もいる。果たしてそうであろうか。

確かに日本の風俗習慣、食べ物着る物、かなりの物が長江文化に由来するものが多い。しかし二つの点から違うと思う。一つは長江文明が祭祀として人間の生贄を使うことである。もう一つは言語である。日本語は色々な語彙を取りれている。しかしベースは縄文語である。

もし長江人が天皇家の先祖なら、神話にも一大イベントであった大陸脱出劇が記載されている筈であるが、それも無い。日本の神話に有るのは、火の神による逸話である。古事記にはやたら火の神が出て来る。

伊邪那美神が無くなったのは、火の神の迦具土神を生んだからである。神武天皇の祖父は彦火火出見尊(火遠理命)である。火遠理命の親邇邇芸命(ニニギの尊)の別名は彦火瓊瓊杵尊とも言われる。邇邇芸命の兄は天火明命である。

それより、なんと言っても伊邪那美神が黄泉の国から蘇ったときの記述である。『頭には大雷居り、胸には火雷居り、腹には黒雷居り、陰には拆雷居り、右手には若雷居り、左手には土雷居り、左足には鳴雷居り、右足には伏雷居り、併せて八雷神成り居り』。

これは火山の噴煙を夜見た人は、火山の噴火の描写だと気が付く筈である。夜の噴煙は稲妻が蜘蛛の巣のように噴煙を覆う。そして霧島火山の規模の大きい噴火で一番新しいのは、約4200年前の縄文時代の噴火である。この時の噴火で、高千穂峰の形成後、御池や御鉢が作られた。高千穂は天孫降臨の地である。

写真家Peter Vancoillieさんの噴火の写真
 

最後の定住民国家日本2

日本の価値観や日本の特徴は毎年失われているが、それでも世界有数な先進国でありながら犯罪率が少ないとか、古い伝統文化も維持しているとか、まだ多くの特徴を備えている。

『最後の定住民国家日本』を書こうと思ったのは、日本が何故そのような特徴を持つ国になったかである。

このシリーズを書いているときに、チャンネル桜の討論番組 『【討論!】大東亜戦争開戦70周年記念大討論[桜H23/12/10](18:06頃から)』 の中で、陸上自衛隊特殊作戦郡初代郡長の荒谷卓氏によるグローバリゼーションに関する興味深い話があった。

内容は、『ヨーロッパで武道を教えているが、教わるヨーロッパ人の関心は武道のテクニカルの事ではなく、武士道の精神、神道的な文化である。それは、大震災で我が身を犠牲にする日本人の姿が紹介された事にもよる。現在(ヨーロッパでは)多くの市民レベルでは、利己主義や個人主義については反対意思を表明している。日本社会には理論だって説明されていないが、グローバリゼーションが誘導している個人主義とは違う、利他的社会的理念、即ち反グローバリゼーションが実存している。従って、日本は世界に牽引力となる文化を有する少数な存在ではないか。』である。

世界は、個人主義やグローバリゼーションに疑問を感じている。世界は日本にはそれと違う何かが有ると気付き始めた。それなのに日本人自身が日本を壊し始めている。グローバリゼーションに信奉した日本人は、日本の潜在能力を理解出来ない。又、甚だしきは、先のエントリーで挙げた神戸市役所職員のように、朝鮮人の嘘に洗脳され日本を憎んでいる者がいる。彼等も日本の可能性が理解できない。

理解するには日本人の生い立ちや生き方、それと対比した世界の人の生い立ちと考え方を知る必要がある。

最後の定住民国家日本・縄文文化
現代の日本人は、古くから日本列島に住みついた縄文人と、その後大陸・半島から流入した渡来人で構成される説が一般的である。男性のY遺伝子から見ると、日本人は、Cタイプ、Dタイプ、Oタイプの遺伝子を持つ男性から構成されている。

CタイプとOタイプの遺伝子は、アジア大陸に多く見られるタイプであるが、Dタイプについては、世界的に見て日本人以外にチベット人、アンダマン諸島にいる黒人、支那の少数民族であるイ族と、少数しかいない。その為に、Dタイプの男性が多いのが日本民族の特徴であるとされている。但し、日本人のDタイプはD2タイプであり、チベット人のD1、D2タイプと若干違う。

そして、このDタイプは縄文人のY遺伝子のタイプと言われている。支那文化圏や東アジア文化圏に属するといわれながら、日本は他のアジア諸国と何かが違う。日本が他のアジア諸国と違う何かが有るとするなら、日本人が縄文人の性格や縄文文化の影響を受け継いでいる為である、と言うのも可能性の一つである。

人類の故郷はアフリカである。人類が密林や林から、草原に出たのは狩ができるようになってからである。Y遺伝子の中で比較的早く分岐したDタイプは早くからアフリカから狩の旅に出る。

そして何故Dタイプが日本列島くんだりまで来たのか。それは獲物が少なくなった事と、後からくる集団との縄張り争いに敗れたため、追われるような形で日本列島にたどりついたのでは無いかと考えられる。

当時は氷河期の為、海は後退し日本列島は陸橋で大陸と繋がっていたが、日本列島で獲物であるナウマン象を撮り尽くした時、地球は温暖化に向かい、陸橋は海となり、Dタイプの人間は日本列島列島に取り残された。

しかし陸の獲物はいなくなったが、幸い海には魚が豊富にいた。Dタイプの人間は狩猟から、漁労採取の生活をするようになる。漁労採取であれば移動する必要は無くなる。海は広い。獲物を巡って縄張り争いをする必要は無くなる。縄文人は定住して生活するようになった。

そして定住したおかげで、生活に必要な道具を時間をかけて作れるようになった。その道具の一つが縄文土器である。縄文人は縄文土器だけでなく漆製品等も作るようになった。現在の処、漆製品は縄文時代の物が世界最古である。

このような手の込んだものが作られたのは、縄文時代に分業化と専門化が進んだからである。現代でも日本は分業化と専門化が進んでいるのが特徴である。例えば、ミシュランのガイドブックでは、東京の料理店の特徴として専門店に細分化されていることを挙げている。

日本では、一人の天才が全てをやるのでは無く、専門毎に数世代数百年かけて技術と伝統の継承性が行われているのである。これも縄文時代に定住した頃からの生活様式が今に伝わっているからと思われる。

又、糸魚川の翡翠や南方の貝の装飾品が三内丸山遺跡で発見されたりしているように、縄文時代では交易が盛んに行われていた。遠くの住人も近隣の住人も獲物を巡って争いをする相手では無くなった。分業化に必要な相手となったのである。

又、縄文時代は、墓に埋葬される副葬品が首長と思われる人と一般人の差があまり無いことから、縄文時代は格差が少ない社会と思われている。世界最古の皇室である京都御所が小さく質素なのも、これと関係しているのかも知れない。そして縄文時代は飼い犬も埋葬する優しい時代でもあった。

Dタイプの縄文人と縄文時代をざっと説明したが、次に日本人男性を構成するO系統を説明する。、日本にいるO系統はO1、O2a、O2b、O3タイプに分類される。O3タイプは漢民族に多いタイプであり、O2a、O2bは支那少数民族、元長江人と思われるタイプである。

O2aO2b共長江人と思われるタイプであるが、大陸にはO2aタイプは多いがO2bが少なく、逆に日本人と朝鮮人にはO2bは多いがO2aが少ない特徴がある。従って同じ長江人でも部族や住んでいた地域などが違う可能性がある。
(注、O2bも朝鮮人がO2b*であるのに対して、日本人のはO2b1と若干タイプが違う)

O2a、O2bタイプが何故長江人の流れを汲むかと言うと、1970年代頃、黄河文明より古い遺跡が長江流域で発見されたからである。その長江文明と名付けられた文明は、他の古代文明が乾燥地帯で麦の栽培を行っていたのと違い、湿潤な地帯で水稲栽培を行っていた。

そして長江文明は黄河文明を築いた牧畜民に滅ばされ、かなりの長江人は四散した。日本や朝鮮にいるO2a、O2bタイプは四散した一部であろうと思われている。

前の記事)、続く

鳥浜貝塚より出土した縄文時代の漆製の櫛
『漆の文化:受け継がれる日本の美』(室瀬和美著、角川選書から)
 

雑文2011/12/13

以下は篠の目様のブログのコメント欄に書き込んだもののコピー(篠の目様には申し訳ありませんが、明日早出なので手抜きです)ですが、 最後の『定住民国家日本』の一連の続きの中の縄文国家を説明する内容なので、乗せました。

国が対象である限り、TPPは自由貿易では無い
TPP賛成者は自由貿易になると豊かになると思っています。この点はTPP反対の佐藤ゆかり氏も同じです。櫻井よし子氏も佐藤ゆかり氏も自由貿易論者と言う点では同じです。違うのは、(田久保氏、櫻井氏)米国主導だから安心、または中国包囲網の一環と、(佐藤ゆかり)ISD条項などで主権が制限される、アメリカとこれ以上自由貿易をしても得るものは少ない、でしょうか。

でも、私は自由貿易を行うと豊かになると言う考え方に疑問を持っています。国内交易であれば、分業することで効率が良くなり、それで浮いた労力は別な処に振り分けられることで豊かになりますが、国単位の貿易ではそうはなりません。

一連托生の付き合いの出きる国同士が自由貿易をするのなら判りますが、日米、日豪、日本対ベトナムを考えてもそれぞれ性質の異なる利害対立があります。統合された筈のEUでさえ、国の壁は厳然と有ることを見せ付けられました。

国同士の貿易では、一生懸命働いて輸出を伸ばしても得るのは、貨幣だけです。自由貿易論者に聞きたいのは、『一生懸命働いて金を稼いで、その金で日本は一体何を買うべきなのでしょうか』です。

失われた豊かさを取り戻すためである震災復興を行うには、日本人自身が護岸を作り直し、漁船を新造し、田畑の海水を抜き、家を立て直すことだと思いますが、外国人の為にせっせと物を作り、外国人のためにサービスをして、復興がはかどるのでしょうか。豊かさを取り戻すには、回り道ではないのでしょうか。

生産効率は重要です。国の中で生産効率が上がった処があったなら、政府はすかさず金を刷り余剰人員を新たな産業に振り分けるべきです。GDPはこうして上がります。自由貿易など宛てにしなくても、日本なら独自で経済規模を拡大し、豊かになれると思いますが、如何でしょうか。

最後の定住民国家日本

日本は現存する世界最古最長の国家である。又、地理的にも民族は移動せず最古の定住民国家とも言える。2000年以上たいした人間の入れ替わりも無く、殆ど単一民族の国とでも言える国で有ながら、多様な文化が有るのは古さゆえんである。

又、多様な文化が有るのは、様々な知識ノウハウが失われること無く蓄積されている事を意味している。日本が鎖国を解いたら直ぐさま列強に追いつき、また国土が焼け野原になるような敗戦が有ったにも関わらず瞬く間に復興し、経済規模が世界第2位第3位の国になったのも、様々な知識ノウハウの蓄積が有ったからである。

日本が世界最古最長の国家として存続出来たのは、一つに他国と海を隔てた孤島に有ったことと、鎖国をしていたことである。同じ島国のイギリスが、アイルランド先住民、ケルト人、アングロサクソン人、ノルマン人と度々主を変えたのに、建国以来皇室が万世一系と変わらず国が維持出来たのは、早くから国をまとめて他国からの脅威に対処できた事も大きな理由である。

日本は付いていたと言っても良い。何故なら、大陸にある国は皆短命である。理由は、他国からの絶え間ない侵略により、国が維持出来なったからである。現在大陸にある国家は、それに生き残った国、即ち侵略紛争に勝ち残った国である。

侵略紛争で行われることは、先住民への略奪、虐殺、奴隷化である。そうとなれば、たとえ侵略紛争に勝ち残ったとしても、その地域の文化が如何に隆盛を誇ろうと、地域の歴史が如何に古かろうと、文化は継承されず様々な知識ノウハウは、その都度失われる。

日本は一度もこれを経験していない。日本は大文明など築かなくても、小さな文化を継承するだけで、大文明を築いたことと匹敵する知識ノウハウを蓄積出来たのである。これが、資源もない小国の日本が、世界の冠たる国になった理由である。

しかし、その日本が最後を迎えようとしている。それは異民族による国家乗っ取りによるものである。

異民族による国家乗っ取り。今日本で起こっていることは、日本人から見れば異様なことであるが、歴史を見れば国家の乗っ取りは良く行われていたことである。 古くは、メソポタミア文明を築いたシュメール人のシュメール王国も乗っ取られる。度々侵入し、シュメール人から野蛮人と蔑んでいた遊牧民のアムル人にシュメール王国は乗っ取られる。原因はアムル人を傭兵、役人に次第に登用するようにした事による。

民族の生活の仕方から見るとシュメール人は定住民、アムル人は遊牧民である。遊牧民が定住民の国を乗っ取った出来事と言える。先の侵略紛争でも、後は遊牧民同士の争いになるが、元は遊牧民が定住民を襲ったことが始まりである。ユーラシア大陸の遊牧民は皆乗っ取りが正業となった。定住民の国は皆乗っ取られた。日本は最後の定住民国家である。

現在、世界にあるのは元遊牧民だったような国ばかり。家畜を扱うことに長けている彼等は人間を動物のように長けている。しかし此処に来て、彼等の隆盛に陰りが出て来た。

世界の先進国は皆同じ資本主義経済なのだから、日本も同じに落ち込んでもよさそうである。しかし何故か日本の通貨が一番高い。震災、原発事故、デフレ不況、異民族による国家破壊活動と2重苦、3重苦にある日本がである。

世界のひのき舞台で脚光を浴びぬ日本であるが、実は二つのことで注目されている。一つは遊牧民が狙う餌である最後の定住民国家として、もう一つが世界最古の国にある明日の人間社会を築くなんらかのノウハウが有る国としてである。

日本が世界に明日の人間社会を示せるか、遊牧民に滅ぼされた最後の定住民国家となるか、それは日本国民次第である。

続く

乗っ取るため侵入した異民族達の図


 
三種の神器の一つ勾玉
勾玉は縄文時代から有る。縄文人の血も現代日本人に生きている。日本の歴史は縄文時代から途切れることなく続いている。


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