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崗上虜囚の備忘録

日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください

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発送電分離の怪

5月8日のサンケイのコラム欄に、東京大学・大学院教授伊藤元重氏による『中立な電力需給の監視』と題した記事が載っていた。

産経ニュース:
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120508/plc12050803070004-n1.htm

発言の趣旨は、『 現在の地域毎に電力会社が電力を供給するシステムでは、この度の地震と原発事故で、電力を喪失した地域に他の地域から電力を供給することが出来ない問題が露呈された。電力供給は全国規模のネットワークであるべきであり、その為には電力会社から独立した中立的な立場で電力需給を監視する組織が必要だ 』 と思われるが、記事の先頭には、発送電分離の推進を仄めかせている。

発送電分離をすると停電が増えるとの主張があるが、電力需給の信頼を義務つける法整備と共に、電力需給を監視する組織があれば、発送電分離をしても停電は増えないと言いたいようである。

「言いたいようである」と書いたのは、伊藤元重氏の奥歯に挟まったような物の言い様からである。ようするに伊藤元重氏は、日本でも発送電分離にしたいと言いたいのであろう。しかし、この発送電分離、果たして良い事なのであろうか。

発送電分離の話が出たのは、原発事故が起きてからで有った。確かに伊藤元重氏が言うように、日本国民は、原発事故による電力供給不足に直面し、電力供給は全国規模のネットワークが必要であることを痛感したであろう。そして全国規模のネットワークとなれば、監視する組織も必要である事も認識する筈である。

しかしだからと言って、その解決策が発送電分離には結びつかない。電力会社が電力を作り、家庭や工場に責任を持って届けるとの考えは、日本では極普通の考え方である。日本では産地直送の方を信頼しているのである。

一方欧米では、建築の世界でも設計と施工を分離するのが一般的であるように、発電と送電を分離した方が信頼できると考えたのであろう。だがそれは、欧米の文化の人間不信から来ているもので、決して効率が良いものでは無く、それによって安定的な電力供給の信頼性が上がるものでは無い。

この、欧米の人間不信を基準とするシステムと、日本の人間を信頼するシステムの差は、2010/10/30のエントリ『ジャパン・システムが世界標準』の中で、『嘘9000とアンドン』を例として書いた。

又、今後の原発事故のような電力供給不足事態に対処するは、個別地域の電力不足が起きたときでも、電力会社は安定して電力供給を義務付ける法整備をすれば、電力会社同士で話し合って供給を行う筈である。これは、保険会社が大規模な災害が起きても、対応出来るのを見れば分かる筈である。

従って、大規模な災害の可能性から、発送電分離が必要とする解も導き出せない。むしろ、発送電分離は電力会社の体力を弱め、電力供給の信頼性を弱めることになる筈である。

その一つは、相互融通する為には地域間の商用電源周波数の違いを周波数変換によって、その地域用に変換しなければ使えない地域が有るからである。

日本では、東日本と西日本で商用電源周波数が違う。その周波数変換を行う所は3箇所しかない。それを増やすには莫大な費用がかかる。発送電分離したとしても、金がかかる周波数変換所の設置を送電会社がやる訳がない。行うとしたら、未だ体力がある現在の電力会社しかない。

周波数変換所の設置は、災害時を見越したものであるから国が行っても良い。国、電力会社、どちらが周波数変換所の設置を行っても、国民が負担する事になる。それでも電力会社が行えば、国民の負担は多少少なくなるであろう。

では、送電会社は何をするのか。只、儲けるだけである。そんな事より、先ず、原発事故により、電力会社、事故に対する保障や、新たな安全対策を行わなければならないときに、発送電分離の話が出たこと自体異常である。

発送電分離を行うことで電力会社の体力を弱め、安全対策にも電力の安定供給にもなんら関与せず、只儲けるだけの送電会社を作る意味が何処にあるのだろうか。

勘ぐれば、発送電分離の話は、電力会社が原発事故で叩かれる今の機会に乗じて、一儲けしようとする人間達の工作の一環ではないかと思いたくなる。

この発送電分離を推進する団体には、『脱原発世界会議』等の反原発団体も顔を連ねる。まるで、弱った動物の周りに集まるハゲタカやハイエナ達が、さらに弱らそうと突っついているように見える。

 

この伊藤元重氏、TPPを推進したかと思うとデフレ下での増税を推奨したりする。今度ははっきりとは言わないが、電力の発送電分離である。全て日本を弱体化することばかりではないか。韓国から電力を買えと言った高橋洋氏といい、東大は馬鹿の生産所なのか反日の拠点なのか。


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日本の繁栄と幸福の道

『日本人と支那人は、体つきがよく似ている。が、似ているのは体型だけで、性格は似ても似つかない。・・他人に対する態度が大きく違う。儲け話となると腰が低くなるのが支那人。日本人は違う。自然に腰が低くなり、礼をもって接すること自体に喜びを見出している。』

これは、ラルフ・タウンゼント著『暗黒大陸・中国の真実』にある言葉である。日本人と支那人の性格の違いを現したした言葉であるが、日本人の仕事の接し方、日本人の社会の中での生き方を現した言葉でもある。

最近こそ言われなくなったが、以前は日本人は仕事中毒と呼ばれていた。仕事が大変だと言いながら、日本人は実は仕事が好きだったのである。それが証拠に、定年退職すると殆どの人が落ち込んでしまう。

では日本人は、仕事の何処に喜びを感じていたのだろうか。それは古来からの日本文化、もてなしの心と関係がある。それが、傍から見ると『礼をもって接すること自体に喜びを見出している』ように見えるのだろう。

もてなしの心と言っても、人と接する職業だけ有るのではない。物作りの気配りの心も、人をもてなす為のものである。顧客の顔も見ないのに、部品の一個一個の品質にこだわるのも、実は根底は、もてなしの心から来ているのである。

代表的な日本文化である茶道や華道も、もてなしの心から来ている。日本人は、人をもてなす事こそ人間の喜びである事を知った民族である。働くの語源が傍楽から来ていると言うのは、こじつけであるが、日本人は傍楽と言ったほうがシックリくるだろう。

この点が、日本人と支那人(朝鮮人)、否、欧米人等とも違う処である。支那人・欧米人も労働は嫌な点では同じであり、働くのは金を儲けるためと言う。日本人とて、働かないと食べていけないので、働く目的を聞かれれば、欧米人と同じことを言うかも知れない。

しかしそれは違う。日本人なら違うと気付くべきである。金の為に働くと言う考えは、まだ人をもてなす事が人間の喜びである事を理解していない欧米人に教えられたものであり、日本の文化は、彼等の先を行っている事を知るべきである。

もっとも、現在デフレ不況で仕事が無い。仕事が無ければ、傍楽こと、即ち人をもてなす事もできない。そこで憂国の士が盛んに円を刷り、国は仕事を創出せよと叫んでいる。国は公共事業を行えと叫んでいる。同意である。民間で仕事を作り出すことが出来なければ、国は仕事を作るべきである。

しかし、気をつけなければならない事は、日本人にとって、仕事は人をもてなす為の仕事でなければならない事である。やりがいの有る仕事とは、人をもてなす事になる仕事だと言う事である。国民に仕事をさせるなら、やはりやりがいの有る仕事を与えるべきである。その点だけ注意して、公共事業も大いにやるべきである。

実は私は経済鎖国論者である。エネルギーに関していえば、日本は自給自足が出来る可能性を秘めた国である。食料も広大な海洋と潤沢なエネルギーを使うことを考えれば、自給自足が出来るようになる筈である。

しかし考えることは、有り余る食料やエネルギーで、日本人が満ち足りた生活を送るようになるかと考えると、そうでは無さそうなことである。日本は海外資源を購入する代金を得る為、輸出に力を入れて来た。しかしそれだけではない。輸出型企業や商社で働く日本人は、世界の人をもてなす事に喜びを感じている可能性がある。

それなら当然経済鎖国をしても、彼等の喜びを奪うべきではないであろう。むしろ貿易を通して、人をもてなす事が人間の喜びである事を、世界の人に知らすべきかも知れない。

何れにしても、日本が食料・エネルギーで自給自足が出来るまで、まだ時間があるだろう。その間、食べるため生きるために日本は貿易をしなければならないであろう。しかし、その間であっても『人をもてなす事が人間の喜びである事』を忘れてはならない。それが日本の繁栄と幸福を両立させる道だからである。

 

こんな茶碗でもてなされても、分からない外国人もいるかも知れませんが。
 


のさばる風評被害源

連休の初めに福島に行ってきた。福2近辺程度まで行きたかったのだが、道路は広野で封鎖されており、広野海浜公園まで行けなっかた。海岸に出れば津波被害の後は見られるが、今は殆ど片付けられている。

福島の魚を食べようと思い、食堂で刺身定食を頼み、福島の魚は入っているかと聞いたが、福島では放射線騒ぎにより漁は全滅だそうである。その一方、小名浜港にある魚介類市場『いわき・らら・ミュウ』は、大盛況であった。神奈川県や埼玉県のナンバーの車も有り、セシウムもストロンチウムも気にしない人間が多いのが分かる。

只、残念な事に、ここでも福島産の魚介類は無く、近いのは宮城県産だった。しかし、食品放射性セシウム基準値が、500ベクレルから100ベクレルと厳しくなった為、この宮城県の漁業も全滅するのではないかと言われている。

一体、何時まで続けるのだろうか。2年も続けたら東北の漁業・農業は壊滅状態になり、2度と元に戻る事は出来ないであろう。

何回も書くが、1960年~1970年代の放射線量は、平常時の一万倍から千倍。日本各地の平常時の平均は約0.05μSv/hだから、一時間で500μSv/h~50μSv/h、年にすれば確実に438mSv以上有った(注1、福一敷地内250μSv/h)。そしてその年代を越した人々を含め、日本は現在世界一の高寿命国である。

又、放射線は生物に必須のものであり、放射線が無い環境では生物は生きられないと言うのが、世界の科学常識になりつつあるのに、日本はそれに背を向けて東北地方を荒廃させようとしている。一番問題なのは政府であるが、マスコミもその情報を国民に伝えず、放射線は怖いの風評被害を拡散している。

その一人が、慶大教授金子勝である。反日放送局NHKとは相性が良いのか、朝のラジオには度々出演している。専門の経済ではトンチンカンな事を言っていたが、今は東電を潰す事が人生の目的になっているようである。彼のブログを見ると3.11前までは、エネルギー問題には興味も無さそうであり、取り留めの無い記事がならんでいた。

変わったのは、孫正義等が脱原発から再生可能エネルギーへと言い出した時期と同じ頃である。そして口を開くと、言う事は常に同じ、『東電はもう駄目だ』、『放射線は危険だ』だけである(当然だろう。風評被害を受け、原発を止められ、保障を払えば潰れるしかない)。勿論、放射線の何処が危険か、とか何故危険かの根本の事は言わない。従って、やってる事は只の風評被害源となっている。

金子勝氏のブログを見て、面白いことを発見した。彼は国会で『国会は一体何をやっているのですか』と吼えた、児玉龍彦(東京大学アイソトープ総合センターセンター長兼東京大学先端科学技術研究センター教授)氏と『新興衰退国ニッポン』共著していたのだ。

ついでに児玉龍彦氏についても調べて見た。有り難い事に、彼の国会での発言を文字起こしをしてくれたブログ(注2)が見つかった。おかげで、彼がとんでも発言をしている事も分かった。またそれを指摘している人のブログ(注3)も有った。

とんでも発言の内容の一つは、『核燃料というのは、ようするに砂粒のようなものが、合成樹脂のようなものの中に埋め込まれております。これがメルトダウンして放出されるとなると、細かい粒子がたくさん放出されるようになります』の箇所である。

エントリー『小型原子炉4S炉』の中で述べたように、核燃料はウランを酸化させそれを焼結させた物(ペレット)をジルコニウムパイプに詰めたものであり、これがメルトダウンで飛び散った訳ではない。飛んだのは原子炉内で中性子を吸って、放射性原子に変わったヨウ素やセシウムであり、別にメルトダウン等しなくても原子炉内にそれらの元原子があれば生成され(注、誤り)、ベントすることで周囲に撒き散らされることになる。

通常の運転では真水を使うため、ベントしても、それほど放射性物質は放出されないが、今回は不純物の多い海水を注入した為、周囲に放出された放射性物質が多かったと考えられる。どうも児玉龍彦氏は、原子炉内で何が起きているか分かっていないようである。エーッ?、アイソトープ総合センター長、先端科学技術研究センター教授が、トンデモ教授?。

又、国会での説明の『癌がなぜ起こるか』についても、素人相手にくどくどDNA損傷の説明をしているが、一細胞あたり一日100万回修復されているので、今の医学界は、損傷した細胞が何故癌にならずに治ってしまうかに関心が移っている。アメリカ科学アカデミーやフランス科学アカデミーの動向は無視のようである。

金子勝氏と児玉龍彦氏の取り合わせ。不思議では無いが、彼等のパフォーマンスを見ると、出自を知りたくなる。何方か教えてください。でもなんであろうと、どちらも風評被害の発生源であるのは同じである

 

 
 

注1、http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/f1/images/2012monitoring/f1_lgraph-j.gif
注2、http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65754131.html
注3、http://blogos.com/article/18915/


ラッキー論文:
原爆の健康への効用

放射性廃棄物による健康増進

注、ヨウ素139やセシウム137は、ウラン235が中性子を吸収してウラン236になった後、崩壊したとき生成される原子です。
 


大日本帝国憲法改正

自民党が自主憲法と騒いでいるので、ようやく欠陥憲法を破棄するのかと思って、『自民改正憲草案要旨』を見た。感想は何だこれはである。

自民改正憲草案の【第2章安全保障】を読むと、
『9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない』とあった。

なんの事は無い、現憲法の9条の1『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』の『永久にこれを放棄する』が『用いない』に変わっただけはないか。

そもそも何故国家を拘束しなければならないのか。確かに国際法や条約のように国家を拘束するものは有る。しかし国際法も条約も、その時々の都合や力関係で決まる妥協の産物ではないか。わざわざ自国を束縛する事を憲法に書く理由が何処に有ると言うのだ。

本来、人も国家も自由な筈である。人が従う法は国家間の条約と同様、人間同士の契約によるものである。したがって何人も、人間同士の契約(=法)外なら、全て自由である。法が人間同士の契約である事は、契約外である動物を殺して食べているのを見れば明らかである。(但し、猫を殺す自由だけは無い)。国家も同じである。契約も無しに、自国を拘束する馬鹿が何処にいる。

そして憲法改正と言うからには、改正する理由の方が重要である。何故現憲法ではまずいのか、現憲法の何処に欠陥があるのかを、改憲法草案を提出する前に述べるべきである。さらに現憲法が欠陥が有るというなら、何故今、憲法を改正しなければならないのかの説明と反省の弁も有ってしかるべきである。

しかし、『自民改正憲草案』に国防に関する国民の義務もなければ、未だルーズベルトの亡霊に取り付かれたままなような文言が有るのを見れば、今の自民党に現憲法の欠陥も分からなければ、60年間放置してきた事に対しての反省する気持ちも無いのだろう。

此処で自民党が理解していない現憲法の欠陥をはっきり言おう。千島列島はソ連(ロシア)に強奪され、竹島は4十数名の漁船員の命と共に韓国に奪われ、今尖閣諸島が支那に取られようとしている。そして北朝鮮から国民を拉致されているではないか。

何処に『正義と秩序を基調とする国際平和』が有ると言うのだ。この精神こそ自国を縛り、他国の跳梁を許している原因ではないか。武力の行使をしない精神失ったからこそ、不正を犯されても何も出来なかったのではないか。

改正憲草に、『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し』や『武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない』の文言を入れているのは、自民党が現憲法の問題点を理解していない証拠である。

この『自民改正憲草案』は、別の問題も含む。一番目に、若しこの憲法草案が次の憲法となった場合、欠陥であろうと、これが自主憲法になってしまうのである。

『自民改正憲草案』は、現日本国憲法同様、国民の義務も記載されていなければ、国家によけいな縛り入れている等、現日本国憲法の欠陥を引き継いでいる。この欠陥が後で顕になっても、自主憲法で有るが故に、しばらく改正できないことになる。

二番目の問題として、憲法改正なり新たな憲法を作るなりすると、これがGHQの占領政策肯定になってしまう事である。

巷に溢れている自主憲法と言う言葉自体おかしな言葉である。独立して間もない国なら兎も角、日本には自主憲法が既に有ったのである。日本は『大日本帝国憲法』と言う立派な自主憲法が有り、GHQの占領政策により自主憲法を奪われ、欠陥憲法を押し付けられたのである。

現日本国憲法が交付されたのは、占領直後の昭和22年5月3日。嘗て日本の中枢に居た人間は尽く公職追放され、全ての書簡は検閲され、占領国に都合の悪い書物は焼かれ、又墨を塗られ発禁処分にされ、日本の言論の自由が奪われていたとき、GHQが起草したのが現日本国憲法である。

現憲法が国際法を犯して作られたのは、紛れも無い事実である。だからこそ改正する必要が出てきたのではないのか。

当然、自主憲法というからには、現憲法を破棄し『大日本帝国憲法』に戻すことではないか。それを元の戻し、改正することこそ自主憲法の改正である。これを新たに憲法を作る事は、東京裁判もGHQが作った押し付け憲法も全て肯定することになってしまうだろう。こんなことで、戦後レジームの脱却など出来る訳が無いではないか。

因って、今やるべきは、新たな憲法を作ることでは無い。しかし『大日本帝国憲法』只戻しても、第3章の帝国議会に書かれている貴族院は最早作れない。でも戦後60年間、『大日本帝国憲法』が仮に続いていたとしたら、幾つかの改正がされていた筈である。それなら、やるべき事は『大日本帝国憲法』を改正することである。そしてそれから『大日本帝国憲法』に戻す。

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自民党が憲法改正の理由も反省の言葉も述べないので、代わりに現日本国憲法を破棄し、改正した大日本帝国憲法に戻す理由と反省の言葉を述べてみる。

現憲法は、占領国が被占領国の言論を奪った上で占領国が起草したものであり、明らかにハーグ陸戦条約・第三款・第43条、『占領地の法律の尊重』に違反して作られたものである。

又その内容も、被占領国を永遠に拘束しようとする悪意から生まれたものであり、この憲法が有る限り、国際紛争にも対処できず、対等な国家間の関係も築くことが出来ない事になる。

では何故今『大日本帝国憲法』に戻すのか。一つは先に上げた現憲法の欠陥による問題が現実に起きている事(国際紛争)と、この現憲法に込められた占領国の悪意が、ベノナ文書等の新たな情報で近年明らかになったからである。

日本国民は反省した、現憲法に理想があるかと幻想した。それが60年間改正もせず、大日本帝国憲法にも戻さなかった理由である。しかし現在、現憲法に悪意が込められていた事を知った。現憲法に正当性も無い事を知った。正当性は大日本帝国憲法にあることを思い出した。

日本国民は60年間騙されていたと言えよう。然しながら、騙すのも悪なら、騙されるのも悪に加担した事と同じである。憲法9条が欠陥で有ることぐらい、ちょっと思考してみれば分かった筈である。

それを60年間騙され、思考することさえしなかったのは、他国が国防を肩代わりしてくれた事を良いことに、安逸に溺れ怠惰に過ごしていたからに他ならぬ。それが今亡国の危機を招いている。これと、大東亜戦争で多くの若者が自分を犠牲にした事を比べれば、反省してもしたらない。今は英霊に対して申し訳ない気持ちで一杯である。

以上。

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まあ『自民改正憲草案』生かすとしたら、『大日本帝国憲法』を改正する間、暫定的に使用する仮の憲法ぐらいであろう。だとしても、当然自主憲法など絶対に言うべきでは無い。

偵察風船

連休でお休みの方も多いようなので、私も今日は遊びです。まじめな記事ではないので、突っ込まないように。スルーして下さい。

大東亜戦争で、日本が米本土を空襲したことがある。一つは伊17潜水艦の小型搭載機によるものと、もう一つが風船爆弾によるものである。風船爆弾は1万メートル上空では強い偏西風があるので、その高さに気球を上げればアメリカに到達する筈との考えから実施された。

風船の材料は和紙とコンニャク糊で有ったが、その性能は中々優秀で有った。日本軍は和紙とコンニャク糊の風船より、ゴム引きの風船の方が優秀と考え、何個に一個の割合でゴム引きの風船に無線機を載せて飛ばしたが、こちらの方は皆海に落ちてしまった。

風船爆弾で攻撃したときが冬であったため、山林火災など起きず、戦果は軽微なものであった。夏に行っていれば、かなりの山林火災を起こしたものと言われているが、あいにく夏は偏西風が弱まる時期なので、できなかった。

今回のエントリーは、気球を使った偵察衛星ならぬ偵察風船の話である。それは、偵察衛星は常に高速で飛び続けているので、高価なのに撮影するのに時間間隔が開くのと、瞬間しか撮影できないからである。

その点、気球であれば低価格であり、常駐させての撮影も出来る。風船爆弾は偏西風を利用したが、2万メートル以上になれば無風であり、僅かなコントロールで常駐させる事も可能である。

偵察風船は、図のように水素ガスを入れた気球本体と、太陽電池パネルと蓄電池、4つのプロペラとその駆動モータ、複数のカメラと、無線機からなる。これを、3万以上上空に1000個程度、33個×33個で10Km間隔のメッシュになるように飛ばすのである。

カメラを1600万画素(4000×4000ドット)程度の市販のカメラを使用すれば、10kmの範囲を撮影すれば、2.5mの解像度になる。これに首振り機能を付け、ズーム撮影をすれれば解像度はさらに上がる。

撮影範囲は、1000個の気球で10km間隔の33×33なので、330km四方を監視することができる。又、異方向のプロペラがついているので、編隊のまま360度の水平移動が可能である。

尖閣海域の常駐監視に有効と思われるが、勿論北朝鮮のミサイル発射地点に常駐させる事も可能である。

製作で考慮しなければならないのはコストである。10万以下に抑えても、1000個で1億はかかる。それでも偵察衛星とは比べられない程安い。それでもコストに拘るのは、打ち落とされるときの、こちらの風船のコストと相手側の打ち落とすためのコストの差が重要だからである。

つまり、風船を打ち落とすのに、相手は高価なミサイル等は使えず、仮にミサイルを使って風船を落としたりすると、風船がミサイルを打ち落したことになってしまうからある。

恐らく、偵察風船が一般化すると、相手もキラー風船で対抗しようとするだろうから、レーザー銃で武装した用心棒風船を随伴する必要があるかも知れない。

尚、この記事は軍事機密なので、敵国の人間には教えてはならない。

 

想像図:4本のワイヤを引くことで傾けることも可能である。昼夜の寒暖による気球の高度変化は、圧縮ポンプをつけるか、傾けてプロペラで上昇させるかである。


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