http://kojoryoshu83.edoblog.net/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%8F%B2%E8%A6%B3/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%8F%B2%E8%A6%B3東京裁判史観
朝鮮人と不愉快な仲間達により、未だ東京裁判史観の洗脳工作が行われているが、ヴェノナ文書公開、マッカーサ証言、ルーズベルトの言動等、ネットや書籍によりこれらの事実を知る機会が増えたことで、多くの日本人が東京裁判史観から目覚め始めている。
もっとも『ヴェノナ』や『ルーズベルトの責任:チャールズ・A・ビーアド著』など読まなくても、ハル・ノートに書かれていたことさえを知っていれば、東京裁判のインチキに騙される人間はいない筈であるが。
『一昨日来やがれ』は喧嘩の挨拶言葉である。つまり相手に出来ないことを要求することで、話し合いを拒否する意思を示した言葉である。
これと同じような文書が外交文書に書かれていた。それがハル・ノートである。
それには、日本国政府は『支那及び印度支那より全ての陸・海・空軍兵力及び警察部隊を撤退させること(。police forces from China and from Indochina.)』と書かれていた
これを読んだ国務省の人間で、この覚書の条件に日本が受諾する筈が無く、これが戦争の序曲にならないと思わない人間はいなかった筈であると、チャールズ・ビアーズは思った。
ハル・ノートは最後通牒である。戦争の始まりの通告である。事実、アメリカが対日禁輸とハル・ノートにより、日本は真珠湾攻撃に踏み切った。
アメリカが対日禁輸を決定したのは、1941年7月の日本軍の仏印進駐の為であり、ハル・ノートが示す強行姿勢は、それによるものであり、戦争開始責任=平和への罪は日本側に有ると言う人がいるかも知れない。
だが、それなら『支那より全ての陸・海・空軍兵力及び警察部隊を撤退』とはならなかった筈である。条件は『印度支那より撤退』になっていた筈である。
日本軍が仏印進駐をしたのは、中華民国を軍事援助するための輸送路=蒋援ルートの一つ仏印ルートの遮断の為であった。ゴムや石油を求めてでは無い。
それよりアメリカは、この蒋援ルートから中華民国を軍事援助を行い、すでに日本に対して戦争をしかけていた。真珠湾攻撃の以前に、アメリカ合衆国義勇軍(AVG)なるものが日本と戦争状態だったのである。
アメリカ合衆国義勇軍(AVG)、即ちフライングタイガースのことである。AVGは蒋介石空軍のオブザーバーをしていた陸軍航空隊大尉クレア・L・シェンノートがルーズベルト大統領に要請して出来た組織である。義勇軍が出来、軍事物資で支援するのは戦争とは言えないと思うかもしれない。
しかし戦時国際法では、中立国が戦争当事国に軍需物資や武器、戦争必需品を供与することは戦争行為とみなされる。と言う事は、真珠湾攻撃の前、既にアメリカは日本に戦争しかけていたのだ。それが何故か、日本だけが平和に対する罪として裁かれている。
対日禁輸やハル・ノートやAVG等により、当然アメリカは日本の攻撃を予想していた筈である。しかしルーズベルト大統領は何もしなかった。否、敢えて軍事基地を無防備にさせた。
日米関係が緊張状態であることは、全てのアメリカ人は知っていた。当然軍人なら日本の攻撃を意識し準備する。大統領命令の真珠湾に戦艦を並べて置くことの危険性も知っていた。太平洋艦隊司令長官ジェームス・O・リチャードソン大将もその一人ある。そのため彼が太平洋艦隊司令長官だったときは、太平洋艦隊は海上にいるときが多かった。
しかし、リチャードソン大将はホワイトハウスに呼びつけられ、太平洋艦隊司令長官を解任され少将に降格される。代わりにハズバンド・エドワード・キンメル少将が中将を飛び越え大将になり、太平洋艦隊司令長官に就任する。ルーズベルトの強引な人事である。
そしてリチャードソン大将の『艦隊をこれだけ進出させると日本を刺激して日米戦争の引き金となる』の言葉どおり、真珠湾攻撃が行われる。しかし責任はキンメル大将に向けられ、彼の名誉は未だ回復に至っていない。それはキンメル大将の名誉回復をさせると、真珠湾の被害を招いた本当の責任者であるルーズベルトを追求しなければならないからである。
ルーズベルトが日本との戦争に導いたのは、彼のブレーンにソ連に通じる共産主義者が多数いたからと言う人もいる。多少はそれ等の人にそそのかされた事もあるかも知れないが、本当の動機はルーズベルトが持つ有色人種に対する偏執的な性格から来たものである。
ヘンリー・ルイス・スティムソンを呼び寄せたのも、彼が同じような性格だったからである。日系人の強制収容の推進、原爆の使用の許可したのスティムソン長官である。フーバ大統領の国務長官時代、彼の偏執的な日本嫌いに周りもあきれ、フーバ大統領にも度々たしなめられるような人間であったが、ルーズベルトとは性格が合ったようである。それは人種偏見と言う性格で。
戦争に責任を追求される人間があるなら、ルーズベルトは戦争責任が有るといえるだろう。ルーズベルトこそが平和に対する罪で裁かれなければならないだろう。ハル・ノートに書かれている『支那及より全ての陸・海・空軍兵力及び警察部隊を撤退』が平和にたいする罪なら、日清戦争もアメリカが調停した日露戦争も平和に対する罪となる。千島列島を放棄させられた事を見ると、千島樺太交換条約も平和に対する罪となる。
東京裁判では追求されたのは日本人だけである。戦時国際法が有ろうと、戦勝国の無差別爆撃は裁かれず、戦争当事国の片方に軍事援助を行っても戦勝国の行為は戦争行為とみなされず、遡及法で裁判が行われたのである。
馬鹿馬鹿しい事に、当時の多く日本人も現在の日本人の中にさえ、この茶番劇を正しい裁判と思い込んでいるのがいる。
東京裁判の茶番劇を企画した、レイテ島で1899年にフィリッピン人の皆殺し行った、あのアーサー・マッカーサーの子ダグラス・マッカーサーでさえ、最後には議会で『Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security(日本が戦争した目的は、主として安全保障上の要求によるものであった)』と証言したのにである。
それでも当時から、この裁判が茶番劇であることを正確に判断していた日本人も大勢いた。その一人が先帝陛下(昭和天皇)である。
昭和天皇は史上初の公式記者会見で、『原爆投下をどう思うか』の質問に対して『戦争中のことですから』とお答えになり、『戦争責任についてどのようにお考えになっておられますか』の質問に対して『そういう文学方面はあまり研究していないので』とお答えになられた。流石陛下は賢い。戦争の本質が分かっておられる。
幾ら新たな規定を戦争法に追加して他国を裁こうと、敗戦国民に贖罪意識を植え付けようと、やはり戦争は勝てば官軍。裁判による処刑も只の報復劇。当然原爆投下の無法行為も戦勝国は裁かれないことを陛下は知っていた。
従って、陛下の『戦争中のことですから』の意味は、『インディアン絶滅政策も、インディアンを狭い土地に押し込めた事も知っています。貴方方の戦争のやり方は全て分かっていますよ』であり、『そういう文学方面』の意味は『そういう洗脳工作のやり方は研究していないが、洗脳工作であることは分かっていますよ』の意味である。
東京裁判の茶番劇を知ったとしても、敗戦に至った反省はするべきである。数百万の有為な人材を失ったのだ。当然反省すべきは東京裁判史観では断じて無い。何故戦争に負けたのか、避ける道は有ったのか、負けないようにするにはこれからどうすべきか、二度と同じ轍を踏まないために反省すべきである。

この本と『暗黒大陸、中国の真実:ラルフ・タウンゼント著』と『中国の宣伝の内幕、日中戦争の真実:フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ著』を併せて読むことをお勧めする。1930年代から、プロパガンダの形で戦争は始まっているのが分かる筈である。
若かれし頃、映画館で『夜の大捜査線』『ソルジャーブルー』を見た。アメリカが変わろうとしているが分かった。現在のアメリカが、まだ人種差別と戦っていることも知っている。
しかし、未だ東京裁判史観を押し付けるアメリカ人がいたら、強烈な反撃を食らわす必要があるだろう。反撃の材料は一杯ある。原爆を言わなくても、インデアンの虐殺。スペイン戦争のインチキ。フィリピン人の虐殺と独立潰し。ハワイの乗っ取り。占領軍の強姦と慰安婦の要求等々。どうせそのような人間はフランクリン・D・ルーズベルトやヘンリー・R・スティムソンのような人間である。どうせそのような人間とは会話は成立しないのだ。
だが東京裁判史観を押し付けないアメリカ人に、それを言う必要は無い。彼らも知っている『戦争だったのだ』。