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崗上虜囚の備忘録

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O1b2は長江にいないけどな

天皇の遺伝子3

今日のタイトルは『天皇の遺伝子3』としているが、記事は天皇の遺伝子の話では無い。
 
有名人のハプログループ』のサイトを覗いたら「評論家・崗上虜囚のY染色体は、ハプログループD1b1a2b1(D-CTS3397)である」と私の事が載っていた。しかし(D-CTS3397)は間違いで、私の正しいハプログループは(D-CTS1982)なのだが、連絡をしようが無かったので天皇関係のエントリーにしておけば、目に留まるかと思って題を『天皇の遺伝子3』とした次第である。
 
因みにD1b1a2b1としたのは『familytreedna.com/』に(D-CTS1982)がD1b1a2b1a...Z1500+と書いて有ったので、端折って書いてしまった次第。
 
『familytreedna.com/』では私と同じD-CTS1982に韓国人男性が一人いた。菅原道真は出雲出身であるが、出雲神話には『国引き神話』が伝承しているので、ひょっとしたらその韓国人男性の先祖は、出雲の国が新羅に足掛かりを持っていた頃に新羅に赴いた菅原道真の縁者なのかも知れない。
 
ついでに母親のミトコンドリアの方は(B4F)である。ナショナル・ジオグラフィックでは「この古いアジアの系譜のメンバーは、ほぼ完全に北部日本に限られています」と有った。
 
        
     
      火山噴火に対する稲妻
 
噴火に稲妻は付き物である。天皇家を縄文系だろうと睨んだのは古事記の伊奘諾尊が黄泉国で伊邪那美尊に会う下り、「頭に大雷居り、胸には火雷居り、腹には黒雷居り、陰には拆雷居り、左の手には若雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴雷居り、右の足には伏雷居り、」は噴火と稲妻の描写ではないか思ったからである。
 
そう思ったのは私だけでは無い。破局噴火を描いた小説『死都日本』の作者石黒耀氏も小説の中で「古事記に噴火活動について書いたと思われる描写が何カ所かある」と指摘している。黄泉国のシーンもそうであるが、天照大神が天の岩屋に隠れるシーンで昼夜の区別がつかなかったのは、噴煙が空一杯に覆われていたからのように思える。
 
さらに石黒氏は、須佐之男命が伊邪那美尊が黄泉国に行ってしまわれたことで泣き喚くと「悪しき神の声、『狭蝿』の如く皆満ち」とか、天照大神が天の岩屋に隠れるとき「ここに万の(邪)神の声は『狭蝿』なす満ち」にある『狭蝿』を(降り注ぐ)火山灰に置き換えれば、これ以上適切な表現はないと主人公に言わせているのである。
 
これだけダイナミックで恐ろしい噴火を経験しているのだから、それは約7300年に起きた喜界カルデラの破局噴火に結び付けたくなるがどうだろう。9000年前から7500年前の縄文時代の遺跡である上野原遺跡の所在地は霧島市、喜界カルデラの噴火の火砕流が目と鼻の先で止まっている所である。霧島市近辺は殆ど全滅だろうが、若し生き残る事が出来た縄文人が居れば、とてつもない経験をした事になり、その経験は神話として代々受け継がれていても可笑しくは無い。
 
しかし古事記が書かれたのは西暦712年。文字も無かった時代に7000年前の記憶が受け継がれてきたとは到底思えないので、古事記に描かれているのは霧島連山か阿蘇山等の比較的大きな噴火なのだろう。
 
だとすれば、その記憶を受け継いできたのは長江人かも知れないし、朝鮮半島から渡って来た人かも知れないのではないかと言われるかかも知れないが、長江人は命からがら三々五々東シナ海を渡ってきたのを、恐らく縄文人が助けたので生き延びられたと人々と思われるので、彼らが縄文人を含めた集団の長になり、古事記の主人公になったとは思われない。
 
また長江人と思われるY-DNAは日本人がO1b2a1a1が主流で、朝鮮半島や満州(注1)の人のY-DNAはO1b2a2が主流で、同じ長江人でも日本と朝鮮半島では部族が違うと考えられる。従って朝鮮半島から来た長江人が主人公になり、噴火の記憶を受け継いで来たのも考え難い。次に多い集団である朝鮮半島で主流の漢族のY-DNAのO2の人々は日本ではパーセンテージが低いので、これも長江人の例と同じである。日本では縄文人のD1bのY-DNAが一番多いのである。
 
従って古事記は縄文人である天皇一族が記憶を受け継いで出来たものであると推測出来る。つまりこれ等の情報だけでも天皇は縄文系となる。
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注1:長江人と思われるO1b2のY-DNAの人が何故満州にいるかと言えば、モンゴルが高麗に要求した数十万人の奴隷が長江人だったのではないだろうか。全羅道はかって馬韓があった地域、長江人のボートピープルが流れ着いたであろうと推測される地域である。そして今でも差別される地域でもある。そう考えると奴隷に差し出されたのは全羅道にいた長江人が多く、モンゴルは彼らを満州で使用し、満州のO1b2はその子孫ではないだろうか。
 
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