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崗上虜囚の備忘録

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日本人のデザイン力2

工業製品と言えども、日本人の手に掛かると日本の文化背景が滲み出て来る。しかし、これが日本の文化の一つで有ることを、日本人自体が気が付いていない。

例えば文芸評論家富岡幸一郎氏は、多くの日本人がハヤブサの惑星からの帰還を称える中、『日本の科学技術、コンピュータとか優れていると言うのは確かに有ると思うが、只それが日本の文化というか日本人の器用さとか、能力だけになっちゃうと非常にさびしい物がある』と、まるで理解していない。



 

 【日本人のデザイン力2】
戦前の日本を代表する航空機零戦も『こだわり、気配り、美意識』を感じさせる飛行機である。零戦は海軍の過酷な要求仕様から生まれた。それは、20mm機銃の装備の重武装、双発の爆撃機に匹敵する大航続距離。、最高水準の高速性能、航空母艦に発着艦させる為の短い離着陸距離、そしてどの戦闘機に負けない空戦性能等である。

それを1000馬力のエンジンの飛行機にまとめるためには、機体側で出来ることは機体を空力的に洗練させ軽くするしかない。設計者堀越二郎は、設計にあたって1gまでの重量管理を行う。そこまで徹底しないと目的の重量に出来ないと感じたからである。そして材料の安全基準が形状によっても同じ安全率であったのを馬鹿げているとして見直してしまう。

極限まで追求したのが零戦である。写真の上の零戦と、同時代のアメリカの艦上戦闘機F4Fと比較して見ればよく分かる。零戦の方が圧倒的に美しい。そして性能も零戦の方が上である。

零戦の能力はカタログ性能だけでは分からない。高速でも低速でも昇降舵の効きを同じにする工夫がなされている。今で言えばマンインターフェースへの配慮。つまり人間への気配りである。

堀越二郎にとって零戦は3作目の設計である。1作目の7試戦闘機は失敗である。堀越は反省する。まず美しくなかったと。そして2作目の零戦と同様に重量軽減と空力的洗練を徹底した9試戦闘機戦が初めて空へ飛んだとき、堀越二郎はつぶやく『美しい』と。この9試戦闘機が後の96艦戦であり日本が世界に追いつき、やや追い越したときである。

この時のつぶやきのように、堀越二郎にとっても良い設計は美しい筈であると信念が生まれていた。この9試戦闘機の成功により、日本の航空機エンジニアは一斉に外国を真似ることを止める。それは回答は外に有るのでは無く、自分の頭にあったことに気が付いた時である。

この成功にも関わらず零戦が軽量化を図る余り防弾装備を考えない人命無視の設計だと言う人がいる。1000馬力のエンジンのまま防弾をして重くなれば、敵機より空戦性能は悪くなりそれこそ人命軽視となる。

又、零戦はあまり限界を追求した設計の為、より大馬力のエンジンに換装出来ず失敗だったと言う人もいるが、堀越二郎はそれ等を一知半解の妄言と切り捨てる。零戦と同じ低翼面加重で出発した英国の戦闘機スピットファイヤーが最後は2000馬力のエンジンにしたのをみれば分かる。それは可能であった。

零戦が最後まで1000馬力のエンジンだったのは、生産に阻害となる大改造を軍が許さなかったからである。堀越二郎は英国が最後までスピットファイヤだけで押し通したように、新たな戦闘機の開発を止め最後まで零戦を改良して使うべきと言っている。

零戦の設計が極限を追求した為、副次的にその他の研究を促す結果となった。その一つが金属疲労の研究であり、もう一つがフラッターの研究である。

金属疲労の研究は、堀越が材料の安全基準の見直しをした為から始まった。戦後英国が開発したジェット旅客機コメットが度々空中分解を起こし、英国はその調査の為、機体を水をはったプールに入れ上下の加重を加えることで、機体上部の窓部の金属疲労が空中分解の原因だと知る。日本ではこのような疲労試験等は、戦前既にあらゆる航空機の試験で行っていたのである。

又、零戦は空中分解を2度起こしている。これは強度とフラッター限界速度の関係の算定が甘すぎた為である。零戦が極限の設計をした為表に出てきた問題であった。これにより日本のフラッター研究は世界に一歩リードすることになり、後の航空機の軽量化に一役かっている。限界速度が分からないと機体を頑丈に作るしかないからである。終戦後アメリカの調査団は、海軍航空技術廠の技師松平精氏のフラッター限界速度の推定が10ノット前後の言葉を聞いて驚いている。

堀越二郎がこだわり、厳密を追求したおかげで、日本の航空機研究は世界に先んじたのである。

このように、日本人の航空機に対するデザイン力は、やはり欧米とは違うなにかが隠されている。それは文化的背景であろう。『こだわり、気配り、美意識』はその言葉があること自体、日本人の中に未だにその文化が伝承されていると思われる。

戦後日本はGHQにより航空機の研究や製造が禁止されたが、航空機開発は細々と続けられれている。1960年代三菱は小型自家用機のMU-2を開発する。このMU-2にもこだわりを感じさせるものがある。補助翼を廃止し、全翼に及ぶフラップを設ける。無くなった補助翼の代わりはスポイラーで行う。それでも運動性はライバルより上である。このため高速でありながら、短い離着距離性能を持つ高性能機となった。

その結果 MU-2は世界の小型機の中でもベストセラーの地位を獲得し、2005年には米国航空雑誌の自家用機プロダクトサポートのターボプロップ部門において第1位の評価を得た。

然しながらMU-2の販売は赤字であった。その後継機のMU-300も同様であった。今はMU-2は生産を停止しMU-300は製造権も売られホーカー400の名称の外国機となっている。

これは設計者の罪では無い。アメリカの景気後退や円高不況、そしてアメリカが自国製品を優遇するバイアメリカン法の等の為である。

航空機の開発は金がかかる。その為に、どこの国でも政府がなんらかの援助をしている。処が日本はどうだろう。政治家は、こういった事にまるで理解も興味も無い。幾ら子供手当てで生めよ増やせよと生ませても、子供は自分の才能が発揮出来ない夢も希望も無い時代に生まれて来る事となる。

次は、日本の絵画。

写真説明:
右上:零式艦上戦闘機21型、
右下:米海軍艦上戦闘機F4F

中:陸軍試作戦闘機キ-83
 アメリカの飛行機ではない。戦時中の混乱により間に合わなかった試作機である。それでもアメリカ軍の手により飛ばされた機体は762km/hと日本機最高をマークする。やはり美しい。

左上:小型ビジネス機 MU-2
左下:ホンダのビジネスジェット HF120


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