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崗上虜囚の備忘録

日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください

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誰が敵か?

安倍首相を巡って保守陣営が混乱しているようである。聞くところによると足の引っ張り合いを演じるところまでになっているとか。それこそ支那・朝鮮や反日日本人の思う壺である。『安倍普三は日本の敵』の記事に、早速朝鮮人工作員が嬉しそうに書き込んで来たのがそれを示している。
 
保守陣営で安倍首相を批判する人も、安倍首相を支持する人も、言っていることは同じである。安倍首相を支持する人だって、TPP、増税、河野談話の継承、靖国参拝についての安倍首相の現在の姿勢に対しては「これはまずいぞ」と思っている筈である。
 
また安倍首相を批判する人だって、あまり安倍批判を行うと、安倍首相が成果を上げている外交や、NSCの設置、集団自衛権の見直しが後退し、また朝鮮人政党である民主党や社民、生活の党などの反日政党が復活しかねないと危惧しているのである。
 
では何故保守陣営が混乱しているのか?。それは安倍普三と言う政治家への期待が大きすぎたからである。アベノミクスは安倍政権の売りであるが、そもそもネットではアベノミクスが言われる遥か前からデフレ不況が論じられ、その対策は円を刷ることが常識となっていたのである。
 
又、ネット社会では、人気の高い政治ブログは、何れも東京裁判史観の脱却を言い、従軍慰安婦の嘘を暴き、反日国家である支那・朝鮮の危険性を警告し、支那・朝鮮の味方となっている反日マスコミを糾弾していたのある。
 
そこへ、支那・南北朝鮮や反日マスコミが目の敵にし、過去戦後レジームの脱却を旗印にし、靖国参拝は当然と言い、デフレ脱却、河野談話見直し、憲法改正を引っさげた安倍政権が登場すれば、奇跡だと熱狂したのは当然である。
 
処が結果は、消費税増税:「消費税引き上げはデフレ脱却が前提だ」→デフレ脱却前に増税、河野談話:「誤解を解くべく新たな談話を出す」→無条件の河野談話の継承、靖国参拝:「国に殉じた英霊に崇敬の念を示すのは当然」→参拝せず、である。
 
増税はすぐ景気のマイナスに影響する。一方アベノミクスの効果が出るのは時間が掛かる。僅かな財政出動なら尚更である。格差は広がり景気は低迷する。安倍政権の支持率が下がるのは目に見えている。さらに主権放棄のTPPである。そう考えれば、安倍首相を支援してきた人達が混乱するのも無理は無い。
 
やはり奇跡は起きなかったのある。そう思えば混乱するのは馬鹿ばかしいではないか。去年の自民党総裁の有力候補者は、左翼思想でないかと言われた石破茂や、お花畑の石原伸晃だったのである。仮に彼らの誰かが自民党総裁になったとしても、民主党よりましと思って支持した筈である。そして安倍政権誕生により少しは好転した。現在の首相は石原伸晃だと思えば良いのである。
 
では一国民として今後どうすべきか?。・・今まで通り少しでも多くの国民を目覚めさせるしかない。
 
昨日小さな会合に出席した。そこに出席した一人の主婦が「私はチャンネル桜の会員です」と言って話だした。内容は「チャンネル桜の会員になった理由は、携帯を2回も壊してしまい、次に買ったのがスマホで、そこで偶然見たのがチャンネル桜の動画だった。それ以前にTVで言っている事に疑問を感じていたが、チャンネル桜を見て、ようやく真実の報道に出会えた。日本人は物を言わないから、TV等が言っていることが世論のようになってしまうが、それは違う。」であった。
 
前述したように、ネット社会では政治ブログは何れも保守系ブログが上位を占めるようになった。それはFC2の政治ブログを見入れば一目瞭然である。そして保守系ブログの支持数が多くなったのは、先の主婦のようにマスコミが言っていることに疑問を感じた普通の日本人が、ネット情報等で目覚めた結果なのである。それは、TV新聞しか見ない日本人でも、真実の情報を得れば日本が確実変わることを意味している。
 
それなら保守系ブロガーは、今まで以上に正論を言い、真実の情報を流すしかない。又、前述の主婦が言ったように、日本人がおとなしいことが問題の解決を遠ざけているのなら、自分の意見をブログやツィッターで発言するべきである。そこまで行かなくても、正論を言い、真実の情報流すブログの支持を表明するだけでも、日本は変わって行くだろう。
 
当面の方針が決まったなら、此処で整理するがあるだろう。それは保守系ブログを書いている人は何と戦い、何を訴えようとしているかである。又、先の主婦のようにネットで目覚めた人は何処に疑問に感じたのかである。
 
結論から言えば、保守系ブログを書いている人が戦っているのは、日本を無くそうとする動きに対してである。現在の戦いは日本を無くそうとする勢力との戦いなのである。
 
人が沢山いればその数だけの意見や思想が有るだろう。その中には「国家を消滅させるべきだ」と考える思想があっても可笑しくはない。しかしそのような思想を、日本という国家に安住する大多数の日本国民に説得するためには、それなり理論が必要である。
 
処が現在、国家を無くそうとする、又は国家破壊に繋がる動きは一杯あるが、「国家を無くす方が良い/国家は無くすべき」に関しての説得力の有る意見は聞いた事がない。有るのは日本の否定や日本国家の破壊の動きだけである。しかも静かに深く進行中である。
 
仮にそれらの考えに理論が有ったとしても、誰も見た事が無いのは、日本国民になんら利点を示すことが出来ないからと思われる。それにも関わらず日本の否定や国家を行っているのだから、それに加担している人の意見には嘘・矛盾が含まれることになる。
 
従って、保守系ブログを書いている人は、その嘘や矛盾を記事にしており、ネットで目覚めたはじめた人とはその嘘・矛盾を感じた人である。
 
では、国家否定・国家破壊を画策又は加担している者は誰であろうか。
 
その一つはグローバル主義者である。TPPがその代表である。しかしながら、殆どの日本人のグローバル主義者は、国家を無くし国境を無くした後、誰がどのように秩序を維持するのかの回答を持ち併せていない。ようするに現在TPPに浮かれている殆どは、思考力の無い馬鹿か、国家否定・国家破壊を画策している世界組織の一員の筈である。何れにしても、彼らは保守の敵、日本国民の大多数の敵である。
 
二つ目が、日本の存在が邪魔と考える反日国家である。当然、彼らに日本国民を説得出来る理論など考えられる訳がない。出来るのは、支那・南北朝鮮や在日朝鮮人が現在やっているように、嘘と分断工作だけである。
 
そして三つ目が反日日本人、いわゆる左翼である。これらの人間のことを、知人はリストカットする人間に例えた。自虐も極まれりであるが、自分だけ痛い目に合うのは勝手だが、周囲はたまったものでは無い。でも大江健三郎のように、日本の否定をしながら一向に日本から出て行かず日本破壊に精を出している処を見ると、リストカットと言うより、むしろ過程内暴力と言ってよいだろう。
 
反日国家の人間達の深層心理に、日本の否定と同時に日本国民その物の否定が有るように、反日日本人の深層心理にも日本人への憎しみがあるようである。従って彼らが反日支那人・朝鮮人と親和性が良いのはそのためである。そして当然反日支那人や反日朝鮮人と同様、左翼の理論は支離滅裂である。
 
最後が、お花畑日本人である。日本の悪口を言うことがインテリだと勘違いしても、国境が有るから戦争が起きると信じていても、現実を見ても事実を見せても、自分の意見を変えないのは、日本の敵だとするしかないだろう。
 
纏めれば、保守系ブログを書いている人やネットで目覚めた人は、上記を敵として意識する必要があると言うことである。
 
 
           
「みのもんた降板は、原子力ムラの陰謀」だって左翼=反日日本人?朝鮮人が言ってることは支離滅裂。スミマセン勝手に画像を借りました
 
そして、どのように戦うかであるが、私の想像では、恐らくTPPにより日本は解体されると思われる。関税自主権は無くなり、統合通貨により通貨発行権も奪われる。おまけに移民も行われるだろう。TPPは支那からの防衛に役立つのかどうかも分からない。実は支那も南朝鮮もTPP加盟を検討しているのである。支那も南朝鮮もTPPに加盟すれば、今まで以上に支那人・朝鮮人が流入するだろう。
 
以上は職業柄、最悪の事を想定しているが、可能性は十二分に有ると思っている。
 
結局は、戦いは此処から始めることになる。先の大戦では日本は多くの国を独立させたが、自国の独立の為の戦争では無かった。日本が独立をさせたと言っても、インドネシア、ベトナム、インドで血を流して独立を勝ち取ったのは現地の人間である。
 
今度の戦いは日本の独立の為の戦いになると思われる。独立の為に日本人も血を流すことになるだろう、と言うのが私想像である。(つづく)
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裁判官の暴走

最近気になる事に不可解な判決続いている事がある。その一つは、朝鮮学校に在特会がデモを行ったことに対して、京都地裁が、そのデモを「『人種差別撤廃条約』が禁止する人種差別に該当しるため違法」と認定し、在特会側に1226万円の支払いと、学校周辺(200m以内)での街宣活動の禁止を命じたことである。
 
そもそもそのデモは、朝鮮学校が日本の公共施設である公園を自らの私有地であるか如く、朝礼台やサッカーゴール置いて勝手に占有し、行政も放任していたから起きたのである。
 
国民であれば犯罪を見れば届ける義務がある。処がこの事例では国民が届け出ても行政は動かず、50年間も放置しており、朝鮮学校の校長が都市公園法違反の罪で罰金10万円が確定したのは、在特会のデモにより問題が大きくなってからである。
 
それどころか、50年間も放置していた行政側はなんらお咎め無しのくせに、在特会はこのデモで威力業務妨害罪で有罪判決が下されているのである。なんと、犯罪が続けられる事を防いだ国民が罰せられたのである。
 
そして、さらに今回の異常な判決である。判事はその在特会のデモを「『人種差別撤廃条約』が禁止する人種差別にあたる」と言うが、行われつつ有る犯罪を行政に届けても何も変わらない事態を止めるのに、一般国民に言論以外のどのような手段が有ると言うのか。
 
今回の判決を鑑みれば、今後外国人の痴漢を見ても「痴漢!」と言ってたら人種差別違反とされて罰せられるかも知れない。外国人の泥棒を見て「泥棒!」と言ったら、泥棒に金を支払わされるかも知れない。泥棒に追い銭どころではない。勿論このような事は、日本人に対する言論封殺である。
 
然しながら、裁判官が如何に『人種差別撤廃条約』で日本国民を裁こうと、日本はこの条約に対して「日本国憲法の下における集会、結社及び表現の自由その他の権利の保障と抵触しない限度において、これらの規定による義務を履行する」という留保宣言しているのである。いわば日本は『人種差別撤廃条約』より『言論の自由』を優先しているのである。
 
処が最近の不可解な判決事例では、外国の慣例や世界の流行、又は外国人の意見を優先し、日本の法を無視する傾向がある。
 
日本人男性が自分の子供だと認知さえすれば、外国人が日本国籍を取得できるようになった『改正国籍法』は、最高裁判所が「日本人男性と外国人女性との間に生まれた非嫡出子」に日本国籍を与えないのは、憲法違反との判決を下した事により改正されたものである。
 
しかし最高裁判所の判決理由は憲法違反にしているが、判決文の中で「諸外国においては、非嫡出子に対する法的な差別的取扱いを解消する方向 にあることが伺われる」と言っている事をみれば、判事達の姿勢は、日本の法を無視し外国の慣例や世界の流行を優先していることは明らかである。
 
又、大反対運動が起きた外国人参政権付与問題は、当時最高裁判事であった園部逸夫が判決主文の傍論部分に「憲法上禁止されていない」と付け加えたことに端を発する。園部逸夫は後に産経新聞の取材に対し「在日韓国・朝鮮人をなだめる意味があった」と言ったとされる。結果的には、裁判官が外国人に同調し、日本の法を無視する姿勢を示したのである。
 
この姿勢は、最近の最高裁判所大法廷による『婚外子の遺産相続違憲判決』も同じである。婚外子に相続を与えないのは違憲」とする理由は、「諸外国でも差別撤廃が実現していることなど」だったのである。
 
近代国家は、立法、行政、司法の国家権力が一カ所に集中しないように三権分立を図っているのだが、処が最近の裁判を見ると、司法の府が法の番人たる仕事を放棄し、あたかも立法府の上に立っているかのような事を行っているのである。つまり主権者たる国民に選ばれた人間により作られた法を蔑ろにし、裁判官達が自分たちの思想の趣くままに、あらたな法を作り出したり、今ままで法に勝手な解釈を加えていると言えるだろう。
 
現在起きていることは、裁判官の暴走、裁判官による下克上と言ってよいだろう。それどころか、外国の思想に影響されたり、外国人のために法解釈変えたりしている処を見ると、外国勢力による日本乗っ取りや日本国民への弾圧に、裁判官が加担していると言える。
 
三権分立と言っても、裁判所などは所詮て国家の一機関にすぎない。従って本来なら、上記のような裁判官は裁かれなければない筈である。ところが弾劾裁判で裁かれるのは、ストーカ行為や、 首相への偽電話、饗応等の破廉恥罪ばかりである。判決によるものは裁かれないのである。例え判決が、憲法で保障された言論を封殺する事になってもである。
 
抜本的解決は、憲法の司法の独立に「日本の法以外の法で判決を下した裁判官を罰する」との但し書きをつけるしかないだろう。
 
しかしそれまでは、政治家や国民が声を大にして判決に対して異議を唱え、裁判官を批判するしかない。裁判官も人の子である。カルト宗教にはまる裁判官もいるだろうし、外国思想に被れたり、反日裁判官がいてもおかしくない。だが現在の処、その裁判官の暴走を止める法は無いのである。
 
結局の処言論による以外、裁判官の暴走を止める手段はない。この問題の本質は、その言論の自由が裁判官のよって言論封殺されてようとしている事のようである。まるで、いたちごっこのような問題である。
『五箇条の御誓文』にある『広く万機公論に決すべし』は、明治帝国憲法の精神であるが、批判する向きは帝国憲法に不敬罪や出版法・新聞紙法があるから、現在のような言論の自由は無かったと言う。だが現代では人権や差別に名を借りた、言論封殺が行われているのである。
在特会側に1226万円を命じた判決は、その際たるものであるが、馬鹿なことに、この判決をめぐり、菅義偉官房長官は7日の記者会見で、「ヘイトスピーチと呼ばれる差別的な発言で商店の営業や学校の授業、各種の行事が妨害されていることは極めて憂慮すべきだ」と言ったようである。言わずもがなであるが、言った以上、官房長官は京都地裁の言論封殺判決に迎合したと同じである。
 
なんたる臆病、なんたる卑怯者であるか。言論の自由が無くなった国は全てを失った国と同じである。菅官房長官を評価する向きもあるが、このような政治家に国民の自由や権利を守る意思があるとは思えない。日本を抹殺せんとする反日勢力は、日本国民の言論封殺に全精力を傾けているのである。
 
例えば、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」と書かれた放送法を悪用解釈して「政治家は放送番組を批判してはならない」と政治家の言論封殺を行おうとしたのは、支那の手先のNHKだったではないか。
 
「日教組は教育のガン」と言った 中山成彬大臣を辞任に追い込むことで、政治家の言論封殺を行おうとしたのは、日教組の仲間の反日マスコミだったではないか。
 
言論だけで生業としている政治家が、自ら言論封殺に加担してどうするつもりか、と言いたい。

終戦の日を迎えるにあたって

水戸護国神社には、数々の戦没者の慰霊碑が立っています。その中にの一つに『あゝ戦友の碑』と言うのがあります。ニューギニアで亡くなった戦友の死を悼む碑ですが、自分も含めて現在の日本人を痛烈に批判する碑でもありました。
 
碑文は風雨にかすれ、全文の読み取りは困難でしたが、インターネットに全文を載せていた人がおられたので、勝手ながらそれを写し取り、その内容を此処に紹介致します。
(私が写した写真は、整理して保管したつもりでしたが見つかりませんでしたので、画像は掲載できませんでした)
 
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あゝ戦友の碑
     国を想い南溟の果てに散り行きし戦友の亡きがら抱き涙す
   とこしえの平和をねがって
 過ぐる大東亜戦争に際し、わが茨城県出身の將兵は、第四十一・五十一師団、第四十四兵站等の主力として、昭和十八年一月より昭和二十年八月の終戦に至る間、灼熱瘴癘の地ニューギニアの山野に優勢なる米・豪軍と激闘を続け、実に八千六百三十九名の若い生命を失うに至りました。
 これら戦友諸子は、その戦いの場において、命終わらんとするとき、何を願い、何を祈ったことでありましょうか。
 終戦後二十七年、わが国は奇跡的ともいうべき復興大発展を遂げ、本県また今日の隆昌を迎えましたが、これこそ、ただひとすじに日本民族の平和と繁栄を願い、無量の望郷の懐いを抱きつつ絶海の地に散華したこれら八千有余の同胞のご加護によるものと信ずるのであります。
 昭和四十四年秋県民各層の力強いご支援のもとに私どもニューギニアの生存帰還者は、慰靈收骨団としてニューギニアの戦跡に派遣され、念願久しかった現地慰靈を行なうとともにご遺骨を郷里にお迎えし、翌四十五年春、茨城県護国神社顯勲の塔に納骨し慰靈大祭を催すことを得ました。
 しかるに、この二十有星霜、今なお南海の孤島ニューギニアのジャングル奥深く苔むす屍をとどむる英靈の鬼気は陰々として膚に寒く、その慟哭は惻々として耳朶を打つことしきりであります。
 ひるがえって、日本の現状に想いを到すとき、世をあげて安逸豊饒の泥海に浸り、巧詐恥なく、若人またその理想を失い堕弱享楽の弊風吹きて止まざるものがあります。
 人間として耐えうる限界をはるかに越えた悪條件のもと三年有半にわたる悪戦敢闘の末に散った益荒男の遺志を偲び祖国の前途を思うとき、まことに寒心に堪えざるものを覚えます。
 よって、ここに、記念碑を建立し、亡き戦友諸子の冥福を祈るとともにそのいさおしを後世に伝え、もって祖国恒久の平和と繁栄を心からこいねがう次第であります。
      昭和四十七年三月吉日
                             茨城県東部ニューギニア戦友会
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ニューギニアに上陸した日本軍20万の内、生還したのは2万人。実に18万人の日本軍将兵がニューギニアで亡くなったのですが、沖縄、硫黄島、サイパン、インパール、ガダルカナルなどと比べて、それ程語られていません。
餓死、風土病による戦病死、サラワット越えなどによる凍死、転落死、悲惨すぎて語る人が少ないからかも知れませんが、そんな中でも日本軍は逃げ回っていたのでは有りません。
 
米国の公刊戦史をして、世界一の猛闘--と嘆ぜせしめたブナ地区の戦闘にはじまり(昭和17年10月-18年1月)、また日本兵の驚くべく抵抗--と言わしめたアイタペの戦闘(昭和19年8月)に至るまで、日本軍は強猛に闘ったのであった(以上、伊藤正徳著:帝國陸軍の最後:光人社から)。
 
彼等は、碑文に有るが如く、人間として耐えうる限界をはるかに越えて祖国のため闘い、一身を捧げたのです。これに対して、安逸豊饒の泥海に浸る我々現代の日本人は、只頭を下げることしか出来ません。
 
又、この碑文に書かれている師団が所属している第18軍は昭和20年9月に降伏しましたが、その第18軍司令官安達二十三中将は、自らの弁護は一切行わずに部下の減刑嘆願のみを行い、部下の釈放が決まると果物ナイフで割腹した後、自らの首を圧迫する事により自決しました。
 
戦後ある自衛隊員がオーストラリア軍将校にキャンベラ市にある戦争博物館に案内されたことがありました。そのオーストラリア軍将校は、安達中将の遺品が有るところで止まると姿勢を正し『自分は安達中将を尊敬している』と言ったそうです。
 
    
 
        鎮 魂

国民の能力

前のエントリー「ロシアとの選択肢」で、ロシア情勢に詳しい訳では無いと書いたが、今一ロシアが良くわからないのである。わからないのはロシアのGDPが低い事である。天然資源に恵まれ、穀物輸出する程の国なのに、一人当たりの名目GDPは48位程度と、韓国(38位)以下である。

ロシアのGDPは8位であるが、支那に飲み込まれる可能性は、日本よりロシアの方が高いと言えるのではないだろうか。実際支那人のロシアへの流入は多く、逆にロシア人の方は海外に出て行くのが多いようである。ロシアは軍事大国であるが、日本が顔色を伺わねならないような国ではない。逆である。むしろロシアの命運を握っているのは日本の方であろう。

結局は、国力は国民の能力の結果である。GDPが示すようにロシアの国民の能力は高くない。では国民の能力とは何だろうか。

若かれし頃、始めて手を出したマイコン、COSMACのことを思い出す。COSMAC、即ちRCA社のCPU、CDP-1802のことである。日本人であるなら、マイコンを学ぶなら嶋正利氏が設計した80系を選ぶべきであったが、始めて目にする80系のニーモニック(アセンブリ言語)はチンプンカンプンであった。

処が雑誌に出ていたCOSMACの命令コードを見て、マイコンの何たるかの全てが分かった。COSMACのアーキテクチャは洗練されており、その後生まれた1命令1クロックのRISC_CPUのようであったが、残念ながらCOSMACは1命令16クロックも必要とする遅いCPUであった。でもCOSMACは、宇宙探査機ボイジャーに乗せられたこともある、超低消費が特徴のCPUである。しかし私がCOSMACに惚れ込んだのは、もう一つの理由であった。

それはCOSMACの原型は、RCA社の社員の一人が自宅で開発をしたものだったことである。雑誌でそれを知ったとき、「ヘーッ、アメリカ人でもそういう人間がいるんだ」と驚いた。でも良く考えれば、アメリカ人にはそのような人間が多いようである。ライト兄弟などは、その一人であろう。

発明は楽して儲かると思っている人は多いが、物を完成するためには時間が掛かる。多くの失敗を乗り越えなければ完成はない。恐らくCOSMACの原型を完成した彼も、成功した後の儲けの事も考えていたかも知れないが、それだけでは一人で自宅でコツコツと作業に勤しんだ理由にならない。彼は損得を離れて、CPU開発に熱中していたのである。

RCA社と言う中堅の半導体メーカの中で、CPUを開発したのが、自宅で開発をした彼一人だったのは、殆どのアメリカ人が損得だけを考えて何もしなかった事を物語る。それでもアメリカなら、彼のような人のは大勢いるように見える。

人が働くのは欲の為と思われている。欲があるから人は働き、結果経済が活性化し、それ故国も発展すると思われている。確かに貧乏に安住している人ばかりなら、その国の発展は無い。しかしRCA社の例を見れば分かるように、金の為だけに働く人ばかりでも、国は発展はしないだろう。発展しても限度がある筈である。

結論から言えば、国がさらに発展するかどうかは、物事に熱中する人間がいるかどうかである。

能力が高い国民性とは、多くの国民が働き者である事であるが、他人に指図される前に、自分の意思で率先して働く人間の数多さが国民の能力の大きさとなるだろう。

自分の意思で働くのは、欲が原動力である場合が多いが、原動力は欲だけでは無い。欲だけが原動力の国は、いずれ発展が頭打ちになる。それは欲が、人間のもう一つの原動力である、物事に熱中することを邪魔をするからである。

そう考えると日本は、物事に熱中する人が多い国である。損得を度外視し、こだわり、より追求し、極めることを目標にし、完成度の高い物を作り出そうとする人が多いのは、日本の文化的背景があるからだと言えるだろう。

例えば、日本の漫画家達が貧乏長屋に寄り集まって描いた漫画が、世界中で人気になった事などは、その作品が損得を度外視して、熱中した結果生み出されたからと思われる。

物事に熱中する日本人、所謂オタクである。ただこのオタク、アメリカと比べてスケールが小さい。例えば、フィギュアー制作などに熱中する日本人が多いのは、科学教育の欠陥と投資家の欲が結びついていないからかも知れないが、スケールが小さいのは全般的に日本社会は禁欲的だからと思われる。スケールが小くても、日本には物事を追求する人間は多い。

これに対してアメリカは、金銭欲の人間が多い分ダイナミックな社会となっているのであるが、アメリカ人の場合は、オタク本人も半分欲につられながら物事を追求するので、仕事が杜撰になっているようである。

アメリカが、自動車等の物作りに日本に負けてきたのは、金銭欲が邪魔していると言えるだろう。それでもアメリカは、金のことを度外視して物事に熱中する人間が多いほうである。

ではこれを支那に当てはめるとどうであろう。支那人が熱中するのは金金金である。支那製の代名詞となった、欠陥商品、コピー商品を見れば、支那が世界に一歩先んずるものは持っておらず、彼等の物欲・金銭欲が全てを邪魔するようになり、支那の発展はいずれ頭打ちになるだろう。

韓国の場合はどうだろう。支那人が物欲、金銭欲オンリーだったのに比べ、朝鮮人は、名誉欲、出世欲が強く、競争心が旺盛である。従って、朝鮮人も、より追求して完成度の高い物を作り出そうとするような人は少なく、原動力は競争心だけであり、韓国の発展も望めないであろう。しかもこの競争心が、仲間同士の足の引っ張り合いとなっているのである。

そしてロシアであるが、北方領土侵略の例を見るように、貪欲な国民性がうかがわれるが、アメリカのようにダナミックな経済はない。と言うことは、損得を度外視してまで物事を追求する人間はいないのだろう。従って「ロシアとの選択肢」は有り得るが、その場合は日本が何でもかんでも面倒を見る羽目に陥るかも知れない。「ロシアとの選択肢」は、ロシアの得、日本の損のようである。




M-Vロケット廃止後、どうなることか心配していたが、イプシロンとして蘇えったようである。国のプロジェクトだけに、損得を度外視とは行かないが、その損得はロケットのコストパフォーマンスの事であり、コストパフォーマンスも含めて、こだわり、より追求し、極めることを目標にし、完成度の高いロケットを作り出したと言えるだろう。

そのような文化がある限り、それが科学の分野でもそれが生かされるなら、日本の更なる発展は保障される筈である。でもその日本で、名誉欲や出世欲が強く、競争心が旺盛な人間が官界を牛耳り、金銭欲オンリーのような人が財界で持て囃されている現状は気になる事である。

裁判所の越権行為

平成25年4月12日の産経新聞の正論に、土本武司筑波大名誉教授が『「選挙無効」は行き過ぎていないか』と投稿していた。詳しくは記事を見てもらうとして、その通りである。

一票の格差が2倍にもなっているのは、有権者の一人として甚だ遺憾と思っている。またそれを放置し、未だ有効な選挙制度を決められない政治家に対しても憤りを感じるが、その政治家を選んだのは国民である。

この一票の格差問題が示している処は、限りなく一票の格差がゼロに近い選挙であっても、無能な政治家が選出されれば、何時の間にか一票の格差は増大し、その国の民主主義が危機に陥る可能性があることを示している。しかし、これも程度の問題である。

だいたい選挙区を設けた時点で、一票の格差が出ることを是認しているのだから、直ちに選挙結果の有効/無効などと言えない筈である。一票の格差が問題なら、最初から一票の格差0を公約に掲げた政治家を、当選させなければならなかったのである。

人によっては1%の格差でも是認出来ないと言うかもしれないし、2倍の格差でもやむ得ないと言う人もいるかも知れない。それなら裁判官も人の子、「一票の格差が2倍はけしからん」と思う裁判官がいても不思議ではない。

しかしである。裁判官が一票の格差による選挙の有効/無効の判決を下すなら、裁判官は「何%以内の格差なら有効である」との基準を示さなければならないだろう。ところが、その何%の基準だって個人毎に違うのだから、結局の処、選挙制度が全国区でなければ、選挙無効の判決を下す裁判官が後をたたないことになる。

言ってみれば、裁判所が選挙の有効/無効の判決を出すことは、裁判所が選挙制度を決めることになるのである。勿論全国区にしたとしても、一人一票の選挙では大量の死票が出るので、裁判官の思い入れや嗜好によっては、選挙無効の判決を下す裁判官が出てくるだろう。

一般の人間でもこれは裁判官の越権行為と考える。当然法律を学んだ裁判官なら、一票の格差で選挙の有効/無効の判決を出すことなど出来ない筈である。

従って「違憲状態であるが有効」が、裁判官が出来うるぎりぎりの判決、否、職権を利用した抵抗であるが、この度の広島高裁の選挙無効判決は、司法の権限を大きく逸脱しており、裁判所が越権行為をしたと言えるだろう。

これだけでは無い。近年の裁判所の越権行為は目に余るものがある。この広島高裁の選挙無効判決と同様、裁判所の権限を逸脱した判決が国会を動かし、その結果悪法が生まれた原因となった事例を下に示す。

その例は、改正国籍法が生まれた原因となった最高裁判決である。これは従来の国籍法では、婚外子(非嫡出子)を、父母共に日本国民であるときのみ、日本国籍を認めるものであったが、それを、日本人男性と外国人女性との間の婚外子の国籍を認ていない国籍法は、憲法違法とした判決である。

その理由は、社会通念が変わったとか、日本の法が国際化の流れにそぐわないかのようであるが、国民がそのような判断を裁判所に委ねたことは無い。ところが何時の間にか裁判官は、裁判所が立法府もかねる機関と思い込んでいるようである。もとより裁判所には、その権限は無い。悪法と思うと、その法で裁くのが裁判官の務めである。

選挙無効の判決を下した広島高裁岡山支部の裁判官や、国籍法を憲法違反とした最高裁判事達に、一種独特の左翼の臭いを感じたのは私だけであろうか。国家観の無さ。論理性の欠如。要らざる使命感。馬鹿な左翼と同じである。

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