日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください
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ハリウッドの映画を見ていると感じることは彼らアメリカの自尊心のよりどころは最新鋭の戦闘機であると言うことですね。
どんな映画をみても、そこに彼らが縋ってるのがよく見えます。
もし、日本のそういった産業が健全ならば彼らのその最後の拠り所も崩れてしまうのでしょう。
日本の明治維新までの歴史において抜かったものがあります。
それは、締結ネジの有用性と、それを基本とした機構のユニットの発想が生まれなかったことです。
それと、零の概念でしょうか。
算盤には零の概念はありましたが、数学としては考えられていませんでした。
言いわけを言えば必要なかったとも言えるし、また道路整備は統治の負の側面に当たるとの認識がそういったことの発展の阻害だったのかもしれません。
今の日本の弱点はそういった核心部分への認識の欠如にありますね。あるいは、巧みにその部分から眼をそむけるように仕組まれているのか、、。
今の日本は正直にいえば風前の灯でしょうか。
強風が吹かないのを祈るしかない立場なんでしょうね。
強靭な意志を持たない指導者はその重圧に耐えかねない。
そんな時代とも言えるでしょう。
でも、私たちは少しずつでもそんな状況を変えていかなければいけませんね。
そうです、、。少しずつでいいからこ国の本来の姿を取り戻すことですね。
時代は進んでいます。
決して、退行はしていないと思えます。日本はこのところ足踏み状態ですがそろそろ一歩前に進むべき時にあるのではと思えますね。
>日本の明治維新までの歴史において抜かったものがあります。
私は、日本人に足りなかったのは危機感だと思います。西欧諸国が発展したのは、軍事技術の進歩によるものが大きかったと思います。「必要は発明の母」です。
只、日本人が危機感に目覚めたときの対応は早いですけど、現在の日本人の鈍さは死に至る病です。
仰っているのは、「戦後に日本人が喪ったモノ」と総括すれば宜しいのでしょうか。
実は私も、かなり長い間、日本の技術の大半は、西洋からの輸入モノだと思っていました、確かに、大容量のポンプ等は、外国製のポンプに日本なりの工夫を乗せたモノが多いですね。
然し、習った技術を十全に消化した上に、その工夫を着け加える事が出来る事が、日本の伝統力なのだと、気付くにいたったのです。
欧米にもこういう土壌があったから、僅か500年の間に、世界の先頭に立って、白人の時代を築いたのでは無かったか。
処が、何時かしら欧米の競争力が格段に落ちる現象が現れたのです、そして、何時か日本が先頭に立って終っている。
これは、欧米社会から技術を育めるダケの土壌が喪われているからではないかと思うのです、その 原因となったのは、行きすぎた合理・功利主義にあると思います。
技術を高めるのに無駄を省くのは必須の段階でもありますが、行き過ぎると目先の一時凌ぎでしかなくなる事に気づかねばならないのです。
一時凌ぎは技術の本体の重要な部分、「試行錯誤」と言う部分を枯らします。
試行錯誤自体、生産性を生み出す何かを創造し、成算を確立させる為に遣るのですから、此処に採算性を求める事自体がナンセンスなのですが、経理担当者としては、全体の功利性ダケの物差ししか持たされて居ませんから、まじめに仕事をやれば遣る程、生産性が上がらない部分は、無駄にしか見えなくなる。
この究極が、生産業の海外移転~産業の空洞化を招いているのは明らかです。 詰まり、技術開発自体が、出来なくなる恐れがあるワケです。
是では欧米の二の舞ですね。
SONYの凋落が声高に謂われて居ますが、それよりも酷いのは、PANASONICの筈です。 5200億円の赤字を出したSONYを上回る7800億円の赤字を出している筈のPANASONICの惨状がそれ程問題にならないのは、数年前に、同社は、方向を大きく転換して、「二番手商法」を止めて、弱電メーカーのあるべき姿に戻ったからだと思います。
製品メーカーの生命線とは、新技術・新商品の筈ですが、勿論、先の見えない技術開発と言う、経理的にはネガティブな面を持つ事を宿命として居ます。
PANASONICは、永らくその負の面を、金で買い取った他社に依存し、反対にSONYは自社で開発を行って、大向こうをうならせてきた。
処が近年、この2社が全く異なる方向に舵を切ったと云う事です。
現在の最大の問題とは、何故、iPadやタブレットがSONYやPANASONICから発売されなかったのか、ではないでしょうか。
此処で日本の力の本質をモゥ一度確認して看る必要が有りはしないか、と思うのです。 その力とは、現実に即したモノを創りだす目と技の力だと思います。
詰まり、大衆化すると云う事です。
例えば、嘗てフィリピンで、回転式脱水槽付きの洗濯機が全く売れなかったので、昔のローラー式のモノに換えた処バカ売れしたと云う話はその参考になると思います。
自身が現在持つ技を新旧や、先進・陳腐といった従来の基準ダケで判定するのでは無く、飽く迄、消費者の使用環境水準に併せて一工夫を加えて行く事が必要ではないかと。
この先、多くの消費者とは、開発途上国の人々でしょう、そしてその数は、先進国の人口の数十倍、数百倍です。 現在市場があるのではなく、メーカーとして消費者の購買力を育てて、市場を創生して行く努力が必要なのです。
それが、真に「技の蓄積を力として表出する」と言う事ではないでしょうか。
>仰っているのは、「戦後に日本人が喪ったモノ」と総括すれば宜しいのでしょうか。
いいえ。そんな高尚なものでは、ありません。もっと唯物的な税の話です。
只、日本人が昔の資産を受け継ぎ、それを発展させ後世に伝える処まで考えれば、政府が民間で出来ない大掛かりな投資の話だけでなく、企業や個人が物作りを通して、先祖から授かった日本人の感性をより磨き、後世に伝えて行く話も含んでいると思います。
NHKラジオを聴いていたら、内橋克人氏が、『 現在の日本は過去の遺産を食い潰している状態である 』 との趣旨の話をしていた。内橋克人氏はNHKご用達の人間のようで、そこが引っかかるが、それでも内橋氏だけは注目している。そして内橋氏が言う、この『現在の日本は過去の遺産を食い潰している状態』は大いに頷ける。
内橋氏が日本の過去の遺産の一つとして上げたのが、零戦の開発で培われた様々な技術である。事実、新幹線は零戦と関係していた。
零戦は開発時に数度の空中分解事故を起こしている。その空中分解事故を解明したのは、海軍航空技術廠にいた松平精氏であった。零戦の空中分解の原因はフラッター(共振現象)であった。それは、零戦が海軍の厳しい要求仕様の為に、極度の機体軽量化を図った事で起きた事故で有った。
しかし日本は零戦の事故により、フラッター研究においては世界より一歩進むことになり、小型機に限れば、アメリカに優る機体設計技術を有することになった。
処が敗戦により、GHQは日本の航空機の製造と開発を禁止し、航空関連の技術者は職を失うことになった。松平精氏もその一人であるが、実は松平氏を初めとする航空技術者の一部は、当時の国鉄・鉄道技術研究所に拾われていた。
国鉄に入った松平氏は、D51蒸気機関車の脱線事故に出くわす。フラッターの専門家である松平氏は、レールと車体による共振現象=フラッターと直感する。しかし長年経験と感で設計をしていた国鉄の技術者は、レールの曲がりを主張し納得しない。そこで松平氏は模型を作り、鉄道でも特定な速度でフラッターが起きることを再現する。
こうした地道の努力により、鉄道技術者の間でも、鉄道にも航空機と同様な設計方式が必要であると認識されるようになった。従って、新幹線は戦後の技術で一朝に出来た物では無い。戦前の日本政府が先行投資をした結果の、鉄道と航空機技術の蓄積によるものである。
その先行投資は軍事技術でもあった。平和を謳歌している現在の日本国民の目からは、軍事技術など無駄な投資としか映らないのではないだろうか。
しかし無駄ではなかった。新幹線は、零戦が初飛行してから25年後に開業した。新幹線は25年前の投資の成果では無い。投資は戦前の政府が軍用機を国産のものにしようと決意してから始まっていた。欧米から技術者を招き、その指導の下、見よう見まねで航空機の製造設計を行って来た年を最初とすれば、新幹線は33年前から投資し続けてきた成果なのである。
処が、何事も目先の成果だけを追い、それ以外を無駄な投資と叩き続ける、現在の似非経済学者や、それに惑わされる政治家が、30年後の先を見越した先行投資など考えられるだろうか。
戦前の航空機やその設備が全て灰塵と帰した事を考えれば、投資するべきは、人的資源=物作りを通して日本国民のスキルを上げる事で有ることが、彼等に理解出来るであろうか。
結果はどうだろう。内橋克人氏が言うように、現在の日本は過去の遺産を食い潰している状態である。
現在の民主党政権は、道楽息子が将来の備えもせずに、親や祖父の資産を食い潰しているのと同じである。それ処か、世界が注目する山中伸弥教授のiPS細胞研究予算をアメリカの1/10程度にケチり、「はやぶさ」の予算を30億に値切る等、悉く日本の将来を潰している。
かと言って、只のバラマキに過ぎない子供手当てや高校無償化に数兆の金を使っていることを見れば、将来に投資する為の資金が無い訳では無い。
やはり民主党の目的は日本解体なのであろう。当然、日本の将来を潰していくのも手段の一つである。馬鹿な国民は、バラマキの飴で黙らせておけば、一石二兆とふんでいるのかも知れない。
そして民主党政権が考え付いた、国民を黙らせるもう一つの手段が財政赤字である。財政赤字を放置すると国は破綻する、将来年金は無くなると恐怖を煽り、出てきた政策が増税である。
日本国民諸君。騙されてはいけない。仮に現在、日本の国の財政が大幅黒字になったとしても、国民の貯蓄が幾らあろうと、日本のGDPが将来とことん落ち込めば、その時の日本の円は無価値になるのである。
それに貨幣価値は絶対的なものではない。貯蔵した食料にカビが生えるように、保管していた金属が錆びるように、貨幣の価値は年々落ちて行くものだ。それを貨幣価値は永遠に変わるべきでは無い、と思っているのは只の守銭奴でしかない。
金は使われてこそ意義がある。日本の将来、子供の将来を心配するなら、国が明日の準備をどれだけしているかを心配すべきではないか。日本が、どれだけの金を将来に投資しているかを心配すべきではないか。
国が将来の為にどれだけ投資できるかは、その時の国民の生産余力で決まる。企業が仕事が無いとぼやいているとか、大学を出たが職が中々決まらず、そのくせ食べていける現在の日本のような状態は、十分生産余力がある時である。
『でも国は赤字で金が無いから何も出来ない』と思うのは間違いである。それは国と家庭の台所を同じと思っているからある。国は必要と有らば貨幣を発行できる。国は国債を日銀に買い取らすことも出来る。第一増税できること自体、国と家庭は違う。
金は人を働かせるためにある。国が一円を持っていなくても、貨幣を発行する・国債を日銀に買い取らす・増税する、の何れかの手段で、国民を働かせることが可能なのである。
確かに過度の貨幣発行は貨幣の信用を失わせ、経済を混乱させるかも知れない。経済を冷え込ます恐れがなければ、増税するのも良いだろう。でも目的は国民を働かせることでなければならない。
しかし野田政権がやらんとする増税の目的は、将来の為の投資は含まれていない。目的は、財政再建と言う名で国民を黙らせての、緊縮財政である。
先端技術の研究予算をさんざん削ったのだから、日本の将来の為の投資など初めからする気が無い。民主党のスローガンが『コンクリートから人へ』だったので、将来へのインフラ整備もする気が無い。勿論、経済活性もする気が無いし、復興することさえも疑わしい。
やらんとするのは、子供手当ての時と同じ、年金の飴で国民を釣り、緊縮財政で日本の将来を潰す事と日本の経済を疲弊させる事である。
国家の重大事項は、国防、エネルギー、食料、そして人的資源=国民のスキルの4つである。
それを言わない政治家は偽者である。
(拡大)
2000馬力級航空機エンジンとしては、世界最小の正面面積を誇った中島飛行機製の星型エンジン『誉』の写真である。設計者の中川良一氏は、プリンス自動車を経て日産・プリンスに移る。
戦前の航空機技術者が散った先は、国鉄だけでは無い。一番多かったのは自動車メーカである。戦前の日本で、一番優秀な人間が集まる所は航空機設計部門であった。敗戦により、やむなく自動車メーカに入社した彼等で有ったが、これにより日本の自動車メーカが何れ世界に冠たる地位になる事が約束された。
おまけ。フラッターの恐怖。タコマの吊橋
http://www.youtube.com/watch?v=3mclp9QmCGs
ハリウッドの映画を見ていると感じることは彼らアメリカの自尊心のよりどころは最新鋭の戦闘機であると言うことですね。
どんな映画をみても、そこに彼らが縋ってるのがよく見えます。
もし、日本のそういった産業が健全ならば彼らのその最後の拠り所も崩れてしまうのでしょう。
日本の明治維新までの歴史において抜かったものがあります。
それは、締結ネジの有用性と、それを基本とした機構のユニットの発想が生まれなかったことです。
それと、零の概念でしょうか。
算盤には零の概念はありましたが、数学としては考えられていませんでした。
言いわけを言えば必要なかったとも言えるし、また道路整備は統治の負の側面に当たるとの認識がそういったことの発展の阻害だったのかもしれません。
今の日本の弱点はそういった核心部分への認識の欠如にありますね。あるいは、巧みにその部分から眼をそむけるように仕組まれているのか、、。
今の日本は正直にいえば風前の灯でしょうか。
強風が吹かないのを祈るしかない立場なんでしょうね。
強靭な意志を持たない指導者はその重圧に耐えかねない。
そんな時代とも言えるでしょう。
でも、私たちは少しずつでもそんな状況を変えていかなければいけませんね。
そうです、、。少しずつでいいからこ国の本来の姿を取り戻すことですね。
時代は進んでいます。
決して、退行はしていないと思えます。日本はこのところ足踏み状態ですがそろそろ一歩前に進むべき時にあるのではと思えますね。
>日本の明治維新までの歴史において抜かったものがあります。
私は、日本人に足りなかったのは危機感だと思います。西欧諸国が発展したのは、軍事技術の進歩によるものが大きかったと思います。「必要は発明の母」です。
只、日本人が危機感に目覚めたときの対応は早いですけど、現在の日本人の鈍さは死に至る病です。
仰っているのは、「戦後に日本人が喪ったモノ」と総括すれば宜しいのでしょうか。
実は私も、かなり長い間、日本の技術の大半は、西洋からの輸入モノだと思っていました、確かに、大容量のポンプ等は、外国製のポンプに日本なりの工夫を乗せたモノが多いですね。
然し、習った技術を十全に消化した上に、その工夫を着け加える事が出来る事が、日本の伝統力なのだと、気付くにいたったのです。
欧米にもこういう土壌があったから、僅か500年の間に、世界の先頭に立って、白人の時代を築いたのでは無かったか。
処が、何時かしら欧米の競争力が格段に落ちる現象が現れたのです、そして、何時か日本が先頭に立って終っている。
これは、欧米社会から技術を育めるダケの土壌が喪われているからではないかと思うのです、その 原因となったのは、行きすぎた合理・功利主義にあると思います。
技術を高めるのに無駄を省くのは必須の段階でもありますが、行き過ぎると目先の一時凌ぎでしかなくなる事に気づかねばならないのです。
一時凌ぎは技術の本体の重要な部分、「試行錯誤」と言う部分を枯らします。
試行錯誤自体、生産性を生み出す何かを創造し、成算を確立させる為に遣るのですから、此処に採算性を求める事自体がナンセンスなのですが、経理担当者としては、全体の功利性ダケの物差ししか持たされて居ませんから、まじめに仕事をやれば遣る程、生産性が上がらない部分は、無駄にしか見えなくなる。
この究極が、生産業の海外移転~産業の空洞化を招いているのは明らかです。 詰まり、技術開発自体が、出来なくなる恐れがあるワケです。
是では欧米の二の舞ですね。
SONYの凋落が声高に謂われて居ますが、それよりも酷いのは、PANASONICの筈です。 5200億円の赤字を出したSONYを上回る7800億円の赤字を出している筈のPANASONICの惨状がそれ程問題にならないのは、数年前に、同社は、方向を大きく転換して、「二番手商法」を止めて、弱電メーカーのあるべき姿に戻ったからだと思います。
製品メーカーの生命線とは、新技術・新商品の筈ですが、勿論、先の見えない技術開発と言う、経理的にはネガティブな面を持つ事を宿命として居ます。
PANASONICは、永らくその負の面を、金で買い取った他社に依存し、反対にSONYは自社で開発を行って、大向こうをうならせてきた。
処が近年、この2社が全く異なる方向に舵を切ったと云う事です。
現在の最大の問題とは、何故、iPadやタブレットがSONYやPANASONICから発売されなかったのか、ではないでしょうか。
此処で日本の力の本質をモゥ一度確認して看る必要が有りはしないか、と思うのです。 その力とは、現実に即したモノを創りだす目と技の力だと思います。
詰まり、大衆化すると云う事です。
例えば、嘗てフィリピンで、回転式脱水槽付きの洗濯機が全く売れなかったので、昔のローラー式のモノに換えた処バカ売れしたと云う話はその参考になると思います。
自身が現在持つ技を新旧や、先進・陳腐といった従来の基準ダケで判定するのでは無く、飽く迄、消費者の使用環境水準に併せて一工夫を加えて行く事が必要ではないかと。
この先、多くの消費者とは、開発途上国の人々でしょう、そしてその数は、先進国の人口の数十倍、数百倍です。 現在市場があるのではなく、メーカーとして消費者の購買力を育てて、市場を創生して行く努力が必要なのです。
それが、真に「技の蓄積を力として表出する」と言う事ではないでしょうか。
>仰っているのは、「戦後に日本人が喪ったモノ」と総括すれば宜しいのでしょうか。
いいえ。そんな高尚なものでは、ありません。もっと唯物的な税の話です。
只、日本人が昔の資産を受け継ぎ、それを発展させ後世に伝える処まで考えれば、政府が民間で出来ない大掛かりな投資の話だけでなく、企業や個人が物作りを通して、先祖から授かった日本人の感性をより磨き、後世に伝えて行く話も含んでいると思います。
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