日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください
現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。
崗上虜囚さん
小幡さん一人が浮いてましたね。でも、こういう学説が財務省にとって都合が良かったのでしょうね。
でも、これはマクロ経済学にはならないのですから・・・・・国民を騙すのには調度よかったのでしょう。
トンキン大学はウソを薬と言っているのか、地頭が悪いのかは・・・・わかりません。
>小幡さん一人が浮いてましたね。でも、こういう学説が財務省にとって都合が良かったのでしょうね。
彼は曖昧に言うだけで、まともに答えないですね。それに、まともな経済学者なら「小さな政府」なんて言わないでしょう。「小さな政府」なんて言っているのは、頭の可笑しいティーパーティ等の原理主義者です。
三橋さんだって、別に大きな政府を標榜している訳では有りません。考えるべきは、今が何が必要とされているのかとか、政府と民間支出のバランスです。
経済学者なら、国がやるべき事は一杯ある。いい塩梅にデフレ不況。金を刷る絶好のチャンスと考えます。
>でも、これはマクロ経済学にはならないのですから・・・・・国民を騙すのには調度よかったのでしょう。
インターネットで勉強している国民は騙せません。ひょっとしたら小幡さん自身が誰かに騙されているのではないでしょうか。「小さな政府」なんか官僚だって反対の筈です。
>トンキン大学はウソを薬と言っているのか、地頭が悪いのかは・・・・わかりません。
トンキン大学は騙される人が一杯です。昔マルクスやマッカサーに騙された老教授とか、グローバル主義に乗せられた若手とか。後の答えが正解と思います。
↑↑↑ は、私です。
ご考察の最終段を拝読して、いまさらながらに深く共感します。
「思想とは何か。家が一軒建つことだ」とは小林秀雄さんの言葉。
まあ、小林さんはフランス文学、ロシア文学を渉猟し、「まこと」を探し回ったが見つからず、最後は本居宣長の心を追究した方でしたから、比喩はバタ臭いところもあるが、心はたいへんよく伝わる方だと個人的に思っております。
戦後、雑誌の座談会で戦争の反省めいた言葉が相次いだ際に「利巧なやつはたんと反省するがいい。私はバカだから反省なぞしない」と言い放ってひんしゅくを買いましたが、難解すぎる文体へのこだわりなどマイナス面は認めても、このエピソードにうかがわれる「日本国民としての心」に学生時代から30年を経ても敬愛の念が去りません。
大東亜戦争は、日本国民みんなで戦った「運命への共闘」であったし、今もその志を継ぐ人間はいる。それが、民族の誇りと伝統でしょう。
初めての東京オリンピックは岸首相のときに決まっただったはず。「縁」「絆」を感じます。そのころのような「国際社会に認められるためのオリンピック」ではなく、日本ならではの団結と高度な想像力、技術力の結晶、同時にドサクサまぎれに(笑)、弱体化するアメリカからのくびきからの脱出と、本来的に内在する長く深い文明力の発揮が楽しみでなりません。
自らの欲を抑えることが民族の集団的パワーを最大限に発揮しうることを、いつの間にか身につけている民族のすごさがきっと現れるモノと楽しみにしています。
この楽しみが七年も続くのですから、実にありがたい。
アベノミクスの地方伝播など、ごもっともと思いますが、なに、あせりますまい。優れた人材を育て中央に送り出すことに自らの使命と楽しみを感じる人間も少数でなくいるのですから、わが国は奥深いです。
学問は「道具のひとつ」に過ぎず、本質は何かを自ら問い自分なりの答えを出し、社会にはたらきかける、たとえば三橋さんのような人材がドンドン出てくるし、注目する人も多いところがそもそも頼もしく、楽しいですね。
正直に申せば「オリンピックなんて、もっとやるべき事があるだろう」思っていた人間です。もっともTBSの関口宏のように落胆はしませんけど。
日本人は自分の為となると駄目民族ですが、人の為となると張り切る民族なようです。満州国は五族協和のため。その満州も、台湾経営も朝鮮経営も日本の大出費です。大東亜戦争は大東亜共栄圏の夢があったから燃えたのでしょう。終戦になったに関わらず、インドネシアやベトナムの独立戦争に参加した多くの日本兵がいたことが、それを裏付けています。
従って、日本人が考えるオリンピックの目的は、勝ち負けを超えた「お持て成し」だと思います。「お持て成し」、これこそ茶道に通じる日本精神ではないでしょうか。
福島の汚染水対策にもようやく政府が腰を上げました。私が「もっとやるべき事」と言ったのは福島の収束と復興です。それが外国からお客さんが来るので日本人もやる気になったようです。
>この楽しみが七年も続くのですから、実にありがたい。
これは、人を持て成す喜びが七年も続くということですね。
>学問は「道具のひとつ」に過ぎず、本質は何かを自ら問い自分なりの答えを出し、社会にはたらきかける
これも、あまり社会の有用性を考えると、傲慢になったりしますね。サヨク学者が良い例です。余計な使命感を持って、しかも傲慢です。「算術は無用の無用」と言ながら、片隅で社会を思っている関孝和のような学者が良いのでは、と思ったりしています。
他人様のために尽くす!
日本国民に入り込んだ個人主義を逆に使えば、自分以外のすべての他者に対して尽くすことにもなります。つまり、日本が日本のために積極的に努力することも同時にかなうわけです。貧乏たれの長かった時期から真の脱却だ!と私は喜んでいます。前へ進んでよいのです。
自分のためになることが他人のためになる、も十分立派ですが、他人のためになることが自分のためにもなる、という稀有な国民性を私は信じています。
大きな大きな器量をこそ、昔から我が国は大切にしてきましたからね。
「器量よし」が女性に対するいちばんの褒め言葉であったことが思い起こされます。
これ私ごとですが、中学時代の文化祭でオペレッタをやり、私はシンデレラをたたえる王子様を演じたんです。そのときにうたった歌詞にこの「国中一の器量よし」ということばがあり、考え込んだ思い出があります。そのときのシンデレラ役は若き日のからしまみどりさんでした(笑) ひらがな書きすれば検索にひっかかるまい(笑) 私のささやかな自慢(?)ですが、めでたさついでに書いてしまいます(笑)
>他人様のために尽くす!
西欧人も特亜人も、未だ他人様のために尽くす喜びを知らないようです。だから人を見れば、食い物にするか奴隷のように使ったりするので、件局不味い物を食わされたりするのです。
名の知れたフランスシェフが、日本の小料理屋を真似て店をカンター形式にした記事が有りました。店は小さいけど、客の喜ぶ顔を見るのは至福の喜びと言っています。これが茶道ともなると、主人と客の1対1の真剣勝負になります。その内、日本精神が世界標準になるでしょう。日本人が気が付けばですけど。
辛島美登里さん。ウィキペディアに載っていました。奈良女子大から歌手に。才色兼備の人だったのですね。王子様役がシンデレラボーイの役だったようで。いや、奥方との話です。
>以前も言ったが何回も言う。日本政府は通貨発行権を持っている。
何度も何度も、口が酸っぱくなるほど言わないといけないと思います。むなしさ極まりないのですが。
転載された動画とは別ですが、先週のCH桜のキャスター討論1時間目にて、消費税の議論となりましたが、少なくとも2名(井尻氏、鈴木氏)はその事実を理解していませんでした。
要約すると、「国家運営のために税金を負担しなければならない。」というものですが、金、米、ドルなどの本位制ならともかく、管理通貨制を採っているので、税と税金は異なることを理解していないことから、容易に判断できます。
管理通貨制において税金とは、金融引き締めという金融政策でしかありません。そして税とは、国富や供給力などの国力を納めることであります。大半の場合、国民の労働がそれにあたります。
通貨発行などの金融緩和、及び税金などの金融引き締めは、どこまで行っても金融政策です。
本位制と管理通貨制との違いを理解していれば行き着く結論ですけれども、「言葉」は知っていても理解していないのです。
もし工作員でなければ、知恵がない、あのメンバーの中では、はっきり言ってバカです。正直ショックです。
後藤新平氏の名言「金を残すは下、事業を残すは中、人を残すが上なり」は、管理通貨制度におけるマクロ経済を理解することで、良く理解できるのですけれども、きっと知っているのです言葉は、しかし理解しているのか怪しいものです。
知識と違って知恵は、少人数個別ならともかく、多人数相手の判断は非常に困難です。そのため、最高学府でも知恵遅れが紛れ込んでしまい、本来担ってはいけない知恵遅れが、工作員として飼いならされたり(単に悪人ということもありますが)重責についてしまうのでしょう。
笑い事ではなく、「活動的なバカ」「無能な味方」を垣間見れます、あの議論でも。
>むなしさ極まりないのですが。
国を憂う保守の人程、引っかかる問題ですね。保守だけあって米本位制の頭から抜け出ていないのでしょう。NHKの政治討論を聞いていたら、増税反対の共産党が「増税するとアベノミクス効果が薄れる」と正解を言っていました。
>管理通貨制において税金とは、金融引き締めという金融政策でしかありません。そして税とは、国富や供給力などの国力を納めることであります。大半の場合、国民の労働がそれにあたります。
金融を引き締めることで国民の労働を奪って、結局税金も足りなくなってしまうのですね。
崗上虜囚さん
小幡さん一人が浮いてましたね。でも、こういう学説が財務省にとって都合が良かったのでしょうね。
でも、これはマクロ経済学にはならないのですから・・・・・国民を騙すのには調度よかったのでしょう。
トンキン大学はウソを薬と言っているのか、地頭が悪いのかは・・・・わかりません。
>小幡さん一人が浮いてましたね。でも、こういう学説が財務省にとって都合が良かったのでしょうね。
彼は曖昧に言うだけで、まともに答えないですね。それに、まともな経済学者なら「小さな政府」なんて言わないでしょう。「小さな政府」なんて言っているのは、頭の可笑しいティーパーティ等の原理主義者です。
三橋さんだって、別に大きな政府を標榜している訳では有りません。考えるべきは、今が何が必要とされているのかとか、政府と民間支出のバランスです。
経済学者なら、国がやるべき事は一杯ある。いい塩梅にデフレ不況。金を刷る絶好のチャンスと考えます。
>でも、これはマクロ経済学にはならないのですから・・・・・国民を騙すのには調度よかったのでしょう。
インターネットで勉強している国民は騙せません。ひょっとしたら小幡さん自身が誰かに騙されているのではないでしょうか。「小さな政府」なんか官僚だって反対の筈です。
>トンキン大学はウソを薬と言っているのか、地頭が悪いのかは・・・・わかりません。
トンキン大学は騙される人が一杯です。昔マルクスやマッカサーに騙された老教授とか、グローバル主義に乗せられた若手とか。後の答えが正解と思います。
↑↑↑ は、私です。
ご考察の最終段を拝読して、いまさらながらに深く共感します。
「思想とは何か。家が一軒建つことだ」とは小林秀雄さんの言葉。
まあ、小林さんはフランス文学、ロシア文学を渉猟し、「まこと」を探し回ったが見つからず、最後は本居宣長の心を追究した方でしたから、比喩はバタ臭いところもあるが、心はたいへんよく伝わる方だと個人的に思っております。
戦後、雑誌の座談会で戦争の反省めいた言葉が相次いだ際に「利巧なやつはたんと反省するがいい。私はバカだから反省なぞしない」と言い放ってひんしゅくを買いましたが、難解すぎる文体へのこだわりなどマイナス面は認めても、このエピソードにうかがわれる「日本国民としての心」に学生時代から30年を経ても敬愛の念が去りません。
大東亜戦争は、日本国民みんなで戦った「運命への共闘」であったし、今もその志を継ぐ人間はいる。それが、民族の誇りと伝統でしょう。
初めての東京オリンピックは岸首相のときに決まっただったはず。「縁」「絆」を感じます。そのころのような「国際社会に認められるためのオリンピック」ではなく、日本ならではの団結と高度な想像力、技術力の結晶、同時にドサクサまぎれに(笑)、弱体化するアメリカからのくびきからの脱出と、本来的に内在する長く深い文明力の発揮が楽しみでなりません。
自らの欲を抑えることが民族の集団的パワーを最大限に発揮しうることを、いつの間にか身につけている民族のすごさがきっと現れるモノと楽しみにしています。
この楽しみが七年も続くのですから、実にありがたい。
アベノミクスの地方伝播など、ごもっともと思いますが、なに、あせりますまい。優れた人材を育て中央に送り出すことに自らの使命と楽しみを感じる人間も少数でなくいるのですから、わが国は奥深いです。
学問は「道具のひとつ」に過ぎず、本質は何かを自ら問い自分なりの答えを出し、社会にはたらきかける、たとえば三橋さんのような人材がドンドン出てくるし、注目する人も多いところがそもそも頼もしく、楽しいですね。
正直に申せば「オリンピックなんて、もっとやるべき事があるだろう」思っていた人間です。もっともTBSの関口宏のように落胆はしませんけど。
日本人は自分の為となると駄目民族ですが、人の為となると張り切る民族なようです。満州国は五族協和のため。その満州も、台湾経営も朝鮮経営も日本の大出費です。大東亜戦争は大東亜共栄圏の夢があったから燃えたのでしょう。終戦になったに関わらず、インドネシアやベトナムの独立戦争に参加した多くの日本兵がいたことが、それを裏付けています。
従って、日本人が考えるオリンピックの目的は、勝ち負けを超えた「お持て成し」だと思います。「お持て成し」、これこそ茶道に通じる日本精神ではないでしょうか。
福島の汚染水対策にもようやく政府が腰を上げました。私が「もっとやるべき事」と言ったのは福島の収束と復興です。それが外国からお客さんが来るので日本人もやる気になったようです。
>この楽しみが七年も続くのですから、実にありがたい。
これは、人を持て成す喜びが七年も続くということですね。
>学問は「道具のひとつ」に過ぎず、本質は何かを自ら問い自分なりの答えを出し、社会にはたらきかける
これも、あまり社会の有用性を考えると、傲慢になったりしますね。サヨク学者が良い例です。余計な使命感を持って、しかも傲慢です。「算術は無用の無用」と言ながら、片隅で社会を思っている関孝和のような学者が良いのでは、と思ったりしています。
他人様のために尽くす!
日本国民に入り込んだ個人主義を逆に使えば、自分以外のすべての他者に対して尽くすことにもなります。つまり、日本が日本のために積極的に努力することも同時にかなうわけです。貧乏たれの長かった時期から真の脱却だ!と私は喜んでいます。前へ進んでよいのです。
自分のためになることが他人のためになる、も十分立派ですが、他人のためになることが自分のためにもなる、という稀有な国民性を私は信じています。
大きな大きな器量をこそ、昔から我が国は大切にしてきましたからね。
「器量よし」が女性に対するいちばんの褒め言葉であったことが思い起こされます。
これ私ごとですが、中学時代の文化祭でオペレッタをやり、私はシンデレラをたたえる王子様を演じたんです。そのときにうたった歌詞にこの「国中一の器量よし」ということばがあり、考え込んだ思い出があります。そのときのシンデレラ役は若き日のからしまみどりさんでした(笑) ひらがな書きすれば検索にひっかかるまい(笑) 私のささやかな自慢(?)ですが、めでたさついでに書いてしまいます(笑)
>他人様のために尽くす!
西欧人も特亜人も、未だ他人様のために尽くす喜びを知らないようです。だから人を見れば、食い物にするか奴隷のように使ったりするので、件局不味い物を食わされたりするのです。
名の知れたフランスシェフが、日本の小料理屋を真似て店をカンター形式にした記事が有りました。店は小さいけど、客の喜ぶ顔を見るのは至福の喜びと言っています。これが茶道ともなると、主人と客の1対1の真剣勝負になります。その内、日本精神が世界標準になるでしょう。日本人が気が付けばですけど。
辛島美登里さん。ウィキペディアに載っていました。奈良女子大から歌手に。才色兼備の人だったのですね。王子様役がシンデレラボーイの役だったようで。いや、奥方との話です。
>以前も言ったが何回も言う。日本政府は通貨発行権を持っている。
何度も何度も、口が酸っぱくなるほど言わないといけないと思います。むなしさ極まりないのですが。
転載された動画とは別ですが、先週のCH桜のキャスター討論1時間目にて、消費税の議論となりましたが、少なくとも2名(井尻氏、鈴木氏)はその事実を理解していませんでした。
要約すると、「国家運営のために税金を負担しなければならない。」というものですが、金、米、ドルなどの本位制ならともかく、管理通貨制を採っているので、税と税金は異なることを理解していないことから、容易に判断できます。
管理通貨制において税金とは、金融引き締めという金融政策でしかありません。そして税とは、国富や供給力などの国力を納めることであります。大半の場合、国民の労働がそれにあたります。
通貨発行などの金融緩和、及び税金などの金融引き締めは、どこまで行っても金融政策です。
本位制と管理通貨制との違いを理解していれば行き着く結論ですけれども、「言葉」は知っていても理解していないのです。
もし工作員でなければ、知恵がない、あのメンバーの中では、はっきり言ってバカです。正直ショックです。
後藤新平氏の名言「金を残すは下、事業を残すは中、人を残すが上なり」は、管理通貨制度におけるマクロ経済を理解することで、良く理解できるのですけれども、きっと知っているのです言葉は、しかし理解しているのか怪しいものです。
知識と違って知恵は、少人数個別ならともかく、多人数相手の判断は非常に困難です。そのため、最高学府でも知恵遅れが紛れ込んでしまい、本来担ってはいけない知恵遅れが、工作員として飼いならされたり(単に悪人ということもありますが)重責についてしまうのでしょう。
笑い事ではなく、「活動的なバカ」「無能な味方」を垣間見れます、あの議論でも。
>むなしさ極まりないのですが。
国を憂う保守の人程、引っかかる問題ですね。保守だけあって米本位制の頭から抜け出ていないのでしょう。NHKの政治討論を聞いていたら、増税反対の共産党が「増税するとアベノミクス効果が薄れる」と正解を言っていました。
>管理通貨制において税金とは、金融引き締めという金融政策でしかありません。そして税とは、国富や供給力などの国力を納めることであります。大半の場合、国民の労働がそれにあたります。
金融を引き締めることで国民の労働を奪って、結局税金も足りなくなってしまうのですね。
カレンダー
リンク
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
最新トラックバック
プロフィール
アーカイブ
最古記事
アナライズ
カウンター