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>>『人をもてなす事が人間の喜びである事』を忘れてはならない。それが日本の繁栄と幸福を両立させる道だからである。
確かに、更に云えば、そのもてなしが、「相手の心に届く」事が、もてなす側の無上の喜びとなるから、茶の湯は、芸術の域にまで昇華したのだと思います。
茶の湯の客の作法は、持てなしで得られた寛ぎや安寧、そして感謝の心を如何にしてそのまま、もてなし者の心に届けるか、を目的として居る。
是等の心の在り処とは、偏に、「他人を思いやる心」を起点として居る。 生存の厳しい社会に生きてきたが故に、利己主義鹿存在しない現代の朝鮮人やシナ人からは、この発想は出て来ない。
「雅さ」とは、心の余裕から生まれるものであるが、其れは決して物質的な豊かさを必須とはしないだろう。 然るにシナ朝鮮の社会は、上層階級さえ、我が身を護るに日々戦々兢々として居ては、雅さ等有りようもなかったろう、錦衣飽食するのが関の山です。
日本の凄さは、この雅さ迄が、庶民発の文化であると云う事です、相手を持て為す=如何に相手に喜んでもらうか、楽しんでもらうかに腐心する事で、日本人は茶道のみならず華道も編み出したし、四季折々の変化で目を楽しませる作庭道も生み出した。 私たちの身の周りには、古代長江文明から受け継いだ漆器、磁器、陶器と生活のあらゆる部分に、それらの心がちりばめられた産物が犇いているのです。
西洋のインテリが、日本文化の産物にこの心を発見して,魅入られるのは、彼らの感性に有る、安らぎや寛ぎを求める部分が、共鳴するからだと思います。
日本のファンは世界中に居るのです。 私たちはもっと日本人の心を知って、もっと自信を持ちましょう。
言い足りない事を言って頂き、有難う御座います。
後は、人をもてなす心を食い物にする民族がいる事に、注意すべきと言う事でしょうか。でも、真剣に人をもてなす心が有れば、邪な人間がいれば気付く筈かも知れません。
『日本人と支那人は、体つきがよく似ている。が、似ているのは体型だけで、性格は似ても似つかない。・・他人に対する態度が大きく違う。儲け話となると腰が低くなるのが支那人。日本人は違う。自然に腰が低くなり、礼をもって接すること自体に喜びを見出している。』
これは、ラルフ・タウンゼント著『暗黒大陸・中国の真実』にある言葉である。日本人と支那人の性格の違いを現したした言葉であるが、日本人の仕事の接し方、日本人の社会の中での生き方を現した言葉でもある。
最近こそ言われなくなったが、以前は日本人は仕事中毒と呼ばれていた。仕事が大変だと言いながら、日本人は実は仕事が好きだったのである。それが証拠に、定年退職すると殆どの人が落ち込んでしまう。
では日本人は、仕事の何処に喜びを感じていたのだろうか。それは古来からの日本文化、もてなしの心と関係がある。それが、傍から見ると『礼をもって接すること自体に喜びを見出している』ように見えるのだろう。
もてなしの心と言っても、人と接する職業だけ有るのではない。物作りの気配りの心も、人をもてなす為のものである。顧客の顔も見ないのに、部品の一個一個の品質にこだわるのも、実は根底は、もてなしの心から来ているのである。
代表的な日本文化である茶道や華道も、もてなしの心から来ている。日本人は、人をもてなす事こそ人間の喜びである事を知った民族である。働くの語源が傍楽から来ていると言うのは、こじつけであるが、日本人は傍楽と言ったほうがシックリくるだろう。
この点が、日本人と支那人(朝鮮人)、否、欧米人等とも違う処である。支那人・欧米人も労働は嫌な点では同じであり、働くのは金を儲けるためと言う。日本人とて、働かないと食べていけないので、働く目的を聞かれれば、欧米人と同じことを言うかも知れない。
しかしそれは違う。日本人なら違うと気付くべきである。金の為に働くと言う考えは、まだ人をもてなす事が人間の喜びである事を理解していない欧米人に教えられたものであり、日本の文化は、彼等の先を行っている事を知るべきである。
もっとも、現在デフレ不況で仕事が無い。仕事が無ければ、傍楽こと、即ち人をもてなす事もできない。そこで憂国の士が盛んに円を刷り、国は仕事を創出せよと叫んでいる。国は公共事業を行えと叫んでいる。同意である。民間で仕事を作り出すことが出来なければ、国は仕事を作るべきである。
しかし、気をつけなければならない事は、日本人にとって、仕事は人をもてなす為の仕事でなければならない事である。やりがいの有る仕事とは、人をもてなす事になる仕事だと言う事である。国民に仕事をさせるなら、やはりやりがいの有る仕事を与えるべきである。その点だけ注意して、公共事業も大いにやるべきである。
実は私は経済鎖国論者である。エネルギーに関していえば、日本は自給自足が出来る可能性を秘めた国である。食料も広大な海洋と潤沢なエネルギーを使うことを考えれば、自給自足が出来るようになる筈である。
しかし考えることは、有り余る食料やエネルギーで、日本人が満ち足りた生活を送るようになるかと考えると、そうでは無さそうなことである。日本は海外資源を購入する代金を得る為、輸出に力を入れて来た。しかしそれだけではない。輸出型企業や商社で働く日本人は、世界の人をもてなす事に喜びを感じている可能性がある。
それなら当然経済鎖国をしても、彼等の喜びを奪うべきではないであろう。むしろ貿易を通して、人をもてなす事が人間の喜びである事を、世界の人に知らすべきかも知れない。
何れにしても、日本が食料・エネルギーで自給自足が出来るまで、まだ時間があるだろう。その間、食べるため生きるために日本は貿易をしなければならないであろう。しかし、その間であっても『人をもてなす事が人間の喜びである事』を忘れてはならない。それが日本の繁栄と幸福を両立させる道だからである。
こんな茶碗でもてなされても、分からない外国人もいるかも知れませんが。
>>『人をもてなす事が人間の喜びである事』を忘れてはならない。それが日本の繁栄と幸福を両立させる道だからである。
確かに、更に云えば、そのもてなしが、「相手の心に届く」事が、もてなす側の無上の喜びとなるから、茶の湯は、芸術の域にまで昇華したのだと思います。
茶の湯の客の作法は、持てなしで得られた寛ぎや安寧、そして感謝の心を如何にしてそのまま、もてなし者の心に届けるか、を目的として居る。
是等の心の在り処とは、偏に、「他人を思いやる心」を起点として居る。 生存の厳しい社会に生きてきたが故に、利己主義鹿存在しない現代の朝鮮人やシナ人からは、この発想は出て来ない。
「雅さ」とは、心の余裕から生まれるものであるが、其れは決して物質的な豊かさを必須とはしないだろう。 然るにシナ朝鮮の社会は、上層階級さえ、我が身を護るに日々戦々兢々として居ては、雅さ等有りようもなかったろう、錦衣飽食するのが関の山です。
日本の凄さは、この雅さ迄が、庶民発の文化であると云う事です、相手を持て為す=如何に相手に喜んでもらうか、楽しんでもらうかに腐心する事で、日本人は茶道のみならず華道も編み出したし、四季折々の変化で目を楽しませる作庭道も生み出した。 私たちの身の周りには、古代長江文明から受け継いだ漆器、磁器、陶器と生活のあらゆる部分に、それらの心がちりばめられた産物が犇いているのです。
西洋のインテリが、日本文化の産物にこの心を発見して,魅入られるのは、彼らの感性に有る、安らぎや寛ぎを求める部分が、共鳴するからだと思います。
日本のファンは世界中に居るのです。 私たちはもっと日本人の心を知って、もっと自信を持ちましょう。
言い足りない事を言って頂き、有難う御座います。
後は、人をもてなす心を食い物にする民族がいる事に、注意すべきと言う事でしょうか。でも、真剣に人をもてなす心が有れば、邪な人間がいれば気付く筈かも知れません。
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