日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください
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>>原文では『皇帝が絶対に頼りたくない人間が、蒋介石と張学良だった』となっていたのを『世界中で一番最後に頼れる人物が、蒋介石と張学良だった』と間逆に訳している。
監修者が渡辺昇一とあるので、マサカと思いますが、皇帝溥儀自体、コウモリ的な人間で、男色家にして情緒不安定、とても信用が置ける人物では無かったと言う記述を読んだ事が有ります。
に、しても、皇帝の信頼の対象が張学良と蒋介石とは、有り得ない話でしょう。 結果論から導くにしても、皆の共感を得るにはカナリ難しいとおもいます。
溥儀が信用し頼って居たのが、元陸軍大尉の甘粕であり、彼を通じた関東軍であった事は有名な話です。
彼が日本への反発を示し始めるのは、日本が戦争に負けてから、自分も陛下と連座で処刑される事を恐れる余り、コウモリ的に行動発言したダケだと思います。
張学良と蒋介石、二人の間の最大の事件であった西安事件の前と後では、表に出てくる方針は180度違っているし、両者の立場も全く変わって居る筈なのに、然も、張学良は満州人、蒋介石が漢族温州人である事を知って居れば、満州国皇帝を推戴擁護する処に、両者共通のメリットが有ったとは全く考えの及ぶところでは無い。
張学良は当初、父親張作霖の爆殺の首謀者とされた位で、父親とは軌を別にして居た筈。 というのは、張学良はソ連留学組であり、、早くから赤化していた可能性が高かったからでしょう。
当時の理想主義と考えられていた共産主義にかぶれた学良にしてみれば、大清帝国の旧軍閥という立場を利用して、満州人民に勝手に重い課税を行い、民の恨みを買っていた父親に対する不信・不満は大きかっただろうし、西安事件に至る迄の赤匪との連絡自体、相互信頼関係無しには有り得ない事を考えれば、張学良が共産分子であった事はほぼ確定です。
蒋介石もそれは承知していた筈、西安事件は、蒋介石の油断であり、爾後は張学良を監禁したが、何故、叛乱者として処刑出来なかったかと言う疑問に応えられるモノは誰ひとりとして居ない。
その後彼は、国府軍に付き従い、後年蒋経国によって名誉を回復され、台湾で90歳以上の天寿を全うして居ます。 生涯、強固な反日であった事も知られて居ますね。
是等一連の事実を看るに、国府軍の背後には浙江財閥が、その背後には米国が居る事を考えれば、コミンテルン分子である事がほぼ確定の張学良の保護は一体何の為だったか。
それは、国共合作と言う考えられない反目勢力同士の協調を可能にした立役者は実はソ連の工作員であり、西安事件自体ソ連の陰謀であった事を、米国は隠蔽する為、ソ連は、英米に対する極東覇権の正当性の生き証人として、両国から必要とされたからだと思います。
但し、生涯軟禁状態にしておく必要があったワケですが。
>監修者が渡辺昇一とあるので、マサカと思いますが
スミマセン、文章力が無いので分かりにくかったかも知れません。間逆に訳したのは岩波文庫版で、それを完訳したのが渡辺昇一監修の祥伝社版です。文字色を変えました。
>張学良は満州人
張学良は満州人ですか?。母親は満州人の可能性がありますが。
>、ソ連は、英米に対する極東覇権の正当性の生き証人として、両国から必要とされたからだと思います。
成るほど、それで漢奸として処刑されなかったのですね。
世界中の人間が、日本がアメリカに戦争を吹っかけたと思わされています。
しかし、昭和初期の日本人でアメリカとの戦争を欲していたのは、海軍に少し居ましたが、それ以外には居ませんでした。
以前から西尾幹二氏が、「何故アメリカは日本と戦争をしたのか」と言っておられましたが、今GHQ焚書図書開封で、アメリカは何故日本に戦争を仕掛けたのかを明らかにしつつあります。
私は、記事に書いたように
①イギリスを助けたかったから。
②ソ連のスパイ達の暗躍によるもの(ソ連を助けたかったから)。
③有色人種の台頭が好ましくなかったから。
(+オスマン帝国での国王死去後の弟殺しのようなもの)
の3つの要素だと思っていますが、西尾氏がどう考えたのか是非知りたいものです。
私は、アメリカにまだ③+の要素を持っているのなら、危険と思っています。
>虜囚様
張学良の出自に疑問をi頂きましたのでモゥ一度調べてみました。 色々間違いが発見されましたので、謹んで訂正させて頂きます、間違い勘違い、お許しください。
唯、張学良が満州人であると言う根拠として、 父親の張作霖自身が遼東半島の寒村の出自ですが、彼の出生当時は未だ大清帝国であり、東三省=遼寧省、黒竜江省、吉林省は清帝国の故地で、皇帝は此の三省を聖域として居たので、彼がの両親が漢族である可能性は低いと思います。
然し、張学良が重度のアヘン中毒であった事を見落として居る事に気が付きました。 唯、30歳のときには1日に100本の注射を要するアヘン中毒患者だったのに、欧州旅行後にはすっかり恢復し、剩、100歳の長寿に到達できるものなのかという単純な疑問を持って居ます。
そしてここまでの張学良は、むしろ、強力な反共主義者の様に見えます、モスクワ留学は私の誤読だったのかなぁと、不思議な気がします。
寧ろ、反共と思っていた蒋介石の息子である蒋経国こそモスクワ留学したのであって、張学良は30代に欧州に滞在したに過ぎない事も判りました。
然も、蒋介石はスターリンの大枚の援助を受けており、国民党政府こそコミンテルンの手下であったとは、正しく青天の霹靂でした。
国府軍は国共合作が終了すると、再び共産軍との内戦を戦い、敗北するのですが、結果から看れば、蒋介石こそ謎が多い人物だと言えましょう。
亦、前述のように張学良は反共で、ソ満国境を侵すソ連軍に対し、2度に亘り戦争を挑み、何れも大敗して居る位で、スターリンにも忌み嫌われているのです。
その彼が31歳の時、麻薬中毒の治療と称し、ドイツ・イタリアの外遊に出て居ますが、その実際の目的は、国民党軍とナチスドイツの縁の取り持ちと考えて善いでしょう。
この後国民党軍は大量のドイツ製武器の購入と軍事顧問団を招へいを決めて、約5年後の昭和12年の上海陸戦隊への攻撃=日華事変の準備を始めたと思われます。
購入資金の一部は、張学良が相続した張作霖の遺産ではなかったか、貨車2両分もあって、彼の友人だった関東軍司令官本庄が、ワザワザ北京に居る彼あてに送り付けたもので、彼は一旦受け取りを拒否しますが、その後行方居不明となります。
張学良が欧州から帰ると、対共産党掃討の副司令官に任命されます、然し、連戦連敗するのですが、何故が、仇敵の筈の共産軍と次第に親密となって行きます。 蒋介石は、連敗する張学良の余りのだらしなさに業を煮やし、張学良と配下の軍を叱り着けます。 そんな或る日、蒋介石は突如張学良とモゥ一人の将軍に拘束され、共産党軍との第二次国共合作を認めるよう迫られて、応じて終います。(西安事件)
私が不思議に思うのは、重度のジャンキーだった張学良が、欧州旅行後には全快して居る上、強度の反共も一緒に治って終っていた事です。 一体欧州で何が起ったのでしょうか。 私は、張学良自身が、良く似た別人に掏り替えられた可能性が高いと思って居ます。
政治思想信条は、簡単ではありませんが変える事が出来ますが、ジャンキーは簡単には治らないからです、況してや、100歳の長寿は有り得ないでしょう。
そう云えば、汪兆銘も幾度か欧州に亡命したりして居ますが、彼の場合逃亡先は、ユダヤ商人サッスーンを介したロスチャイルドであったと思います、張学良も結局その手駒の一つでは無かったか、とも疑って居るのですが。
>彼の出生当時は未だ大清帝国であり、東三省=遼寧省、黒竜江省、吉林省は清帝国の故地で、皇帝は此の三省を聖域として居たので、彼がの両親が漢族である可能性は低いと思います。
分かりました。
張学良が反日になったのは、共産党の仕業かも知れませんが張作霖列車爆破事件と思います。彼にとって反日なら共産主義はどうでもよかったのではないでしょうか。
また麻薬中毒から抜け出るのは、道場と意思があれば出来ます。日本人馬賊の小日向白朗が全快しています。
テスト
まだ書き込めませんか?。
忍者ブログは、駄目なんですかね。政治ブログランキング一覧に携帯マークも付きませんし。
FC2に引っ越そうと思ったのですが、もう書く事はなくなったし、めんどくさいしねぇ。
少し試してみます。
崗上虜囚 様
携帯からはダメでした。
今回は、
忍者ツールトップ
が出ず、以前の 403エラー の表示でした。
愚考するに、昨日は[忍者ツール]か何かでの悪戯でしょうか?
今は、そのツールを削除した状態と思います。
尚、裏技1での書き込みです。
最近設置したのは、ブログ内検索かな。
ブログ内検索、バーコードも削除してみます。
携帯からです
>携帯からです
OKと言うことですね。じゃこの状態にしておきます。
また携帯から書けなくなりました。
不思議?
再度、携帯から挑戦。
崗上虜囚 様、皆様
こんばんは。
日本人の起源 情報です。
丸地三郎さん
[試論:DNA-日本人の起源とモンゴロイド]
[DNAから導きだされる日本人の起源]
を読みました。
丸地さんの鋭い視点に頷ける処が多いですが…
徐福系渡来人=征服者=天皇家及び貴族が基本になっていて、考古学的な縄文時代晩期から弥生早期の事実を無視している。 稲作時期とか発掘された人骨(縄文系)とか。
また、モンゴロイドを古モンゴロイド(Y- C系、D系)と新モンゴロイド(Y- N系、O系)に区別していない。
D系とO系が近い関係と思っている?
更に、C系とD系の密接な関係(≠親戚 Y-DNA)を知らない? D系とC系が一緒に移動したとする欧米学者の説を無視している。
参考:DNAのサイト
[三日月城通信 - 遺伝子で見る日本人との違い]
ガラパゴス何とかが半島ファンタジー?と同じく、これは支那人プロパガンダ?
日本人の起源なんか…支那朝鮮人は関係ないだろうに…不思議。
尚、中韓さんで考察のマトメを投稿しようかと考えています。
(サイト・アドレスが原因?)
>徐福系渡来人=征服者=天皇家及び貴族が基本になっていて、考古学的な縄文時代晩期から弥生早期の事実を無視している。
中田力著『日本古代史を科学する』も天皇の出自が徐福等の姫氏系統だとの説ですが、それ程
姫氏が誇らしいことなら、日本書紀に載せた筈です。古事記には支那の名称は出てきますが、それだけです。
やはり、韓国にはO2bばかりでO2b1が殆ど無く、逆に日本にO2b1ばかりでO2bが殆ど無く、支那にはO2b*が全然いない事実を知らないと、弥生はなんで有ったか分からないでしょう。
>ガラパゴス何とかが半島ファンタジー?と同じく、これは支那人プロパガンダ?
昔昼休みに良くみていましたが、プロパガンダというよりまだ理解が足りないだけと思います。考古学も遺伝子を扱うようになってからは、科学の分野になりましたから、プロパガンダの付け入る隙は無くなりました。
>尚、中韓さんで考察のマトメを投稿しようかと考えています。
そうですね。過去の記事にも投稿して賑やかにすると、お目覚めするかも知れません。
天岩戸か。
>サイト・アドレスが原因?
って、なんです?。
崗上虜囚 様、皆様
こんばんは。
前コメント
サイト・アドレスか?
は、紹介サイトの
(h)ttp や .(pdf) が原因で 403エラー(≠忍者ツール画面)だったようです。
紹介サイトのアドレスを全て消したら、書き込めましたので…。
何か規約が変わったのかと思います。
U18343
P11165
E10006
Y6103
Q11351
B8636
U4292
a9420
M3520
l19194
f18839
e4207
zlinks!@#
O3398
p18128
T16447
http://zaporka.net - Неподвижные опоры в ППУ
>>原文では『皇帝が絶対に頼りたくない人間が、蒋介石と張学良だった』となっていたのを『世界中で一番最後に頼れる人物が、蒋介石と張学良だった』と間逆に訳している。
監修者が渡辺昇一とあるので、マサカと思いますが、皇帝溥儀自体、コウモリ的な人間で、男色家にして情緒不安定、とても信用が置ける人物では無かったと言う記述を読んだ事が有ります。
に、しても、皇帝の信頼の対象が張学良と蒋介石とは、有り得ない話でしょう。 結果論から導くにしても、皆の共感を得るにはカナリ難しいとおもいます。
溥儀が信用し頼って居たのが、元陸軍大尉の甘粕であり、彼を通じた関東軍であった事は有名な話です。
彼が日本への反発を示し始めるのは、日本が戦争に負けてから、自分も陛下と連座で処刑される事を恐れる余り、コウモリ的に行動発言したダケだと思います。
張学良と蒋介石、二人の間の最大の事件であった西安事件の前と後では、表に出てくる方針は180度違っているし、両者の立場も全く変わって居る筈なのに、然も、張学良は満州人、蒋介石が漢族温州人である事を知って居れば、満州国皇帝を推戴擁護する処に、両者共通のメリットが有ったとは全く考えの及ぶところでは無い。
張学良は当初、父親張作霖の爆殺の首謀者とされた位で、父親とは軌を別にして居た筈。 というのは、張学良はソ連留学組であり、、早くから赤化していた可能性が高かったからでしょう。
当時の理想主義と考えられていた共産主義にかぶれた学良にしてみれば、大清帝国の旧軍閥という立場を利用して、満州人民に勝手に重い課税を行い、民の恨みを買っていた父親に対する不信・不満は大きかっただろうし、西安事件に至る迄の赤匪との連絡自体、相互信頼関係無しには有り得ない事を考えれば、張学良が共産分子であった事はほぼ確定です。
蒋介石もそれは承知していた筈、西安事件は、蒋介石の油断であり、爾後は張学良を監禁したが、何故、叛乱者として処刑出来なかったかと言う疑問に応えられるモノは誰ひとりとして居ない。
その後彼は、国府軍に付き従い、後年蒋経国によって名誉を回復され、台湾で90歳以上の天寿を全うして居ます。 生涯、強固な反日であった事も知られて居ますね。
是等一連の事実を看るに、国府軍の背後には浙江財閥が、その背後には米国が居る事を考えれば、コミンテルン分子である事がほぼ確定の張学良の保護は一体何の為だったか。
それは、国共合作と言う考えられない反目勢力同士の協調を可能にした立役者は実はソ連の工作員であり、西安事件自体ソ連の陰謀であった事を、米国は隠蔽する為、ソ連は、英米に対する極東覇権の正当性の生き証人として、両国から必要とされたからだと思います。
但し、生涯軟禁状態にしておく必要があったワケですが。
>監修者が渡辺昇一とあるので、マサカと思いますが
スミマセン、文章力が無いので分かりにくかったかも知れません。間逆に訳したのは岩波文庫版で、それを完訳したのが渡辺昇一監修の祥伝社版です。文字色を変えました。
>張学良は満州人
張学良は満州人ですか?。母親は満州人の可能性がありますが。
>、ソ連は、英米に対する極東覇権の正当性の生き証人として、両国から必要とされたからだと思います。
成るほど、それで漢奸として処刑されなかったのですね。
世界中の人間が、日本がアメリカに戦争を吹っかけたと思わされています。
しかし、昭和初期の日本人でアメリカとの戦争を欲していたのは、海軍に少し居ましたが、それ以外には居ませんでした。
以前から西尾幹二氏が、「何故アメリカは日本と戦争をしたのか」と言っておられましたが、今GHQ焚書図書開封で、アメリカは何故日本に戦争を仕掛けたのかを明らかにしつつあります。
私は、記事に書いたように
①イギリスを助けたかったから。
②ソ連のスパイ達の暗躍によるもの(ソ連を助けたかったから)。
③有色人種の台頭が好ましくなかったから。
(+オスマン帝国での国王死去後の弟殺しのようなもの)
の3つの要素だと思っていますが、西尾氏がどう考えたのか是非知りたいものです。
私は、アメリカにまだ③+の要素を持っているのなら、危険と思っています。
>虜囚様
張学良の出自に疑問をi頂きましたのでモゥ一度調べてみました。 色々間違いが発見されましたので、謹んで訂正させて頂きます、間違い勘違い、お許しください。
唯、張学良が満州人であると言う根拠として、 父親の張作霖自身が遼東半島の寒村の出自ですが、彼の出生当時は未だ大清帝国であり、東三省=遼寧省、黒竜江省、吉林省は清帝国の故地で、皇帝は此の三省を聖域として居たので、彼がの両親が漢族である可能性は低いと思います。
然し、張学良が重度のアヘン中毒であった事を見落として居る事に気が付きました。 唯、30歳のときには1日に100本の注射を要するアヘン中毒患者だったのに、欧州旅行後にはすっかり恢復し、剩、100歳の長寿に到達できるものなのかという単純な疑問を持って居ます。
そしてここまでの張学良は、むしろ、強力な反共主義者の様に見えます、モスクワ留学は私の誤読だったのかなぁと、不思議な気がします。
寧ろ、反共と思っていた蒋介石の息子である蒋経国こそモスクワ留学したのであって、張学良は30代に欧州に滞在したに過ぎない事も判りました。
然も、蒋介石はスターリンの大枚の援助を受けており、国民党政府こそコミンテルンの手下であったとは、正しく青天の霹靂でした。
国府軍は国共合作が終了すると、再び共産軍との内戦を戦い、敗北するのですが、結果から看れば、蒋介石こそ謎が多い人物だと言えましょう。
亦、前述のように張学良は反共で、ソ満国境を侵すソ連軍に対し、2度に亘り戦争を挑み、何れも大敗して居る位で、スターリンにも忌み嫌われているのです。
その彼が31歳の時、麻薬中毒の治療と称し、ドイツ・イタリアの外遊に出て居ますが、その実際の目的は、国民党軍とナチスドイツの縁の取り持ちと考えて善いでしょう。
この後国民党軍は大量のドイツ製武器の購入と軍事顧問団を招へいを決めて、約5年後の昭和12年の上海陸戦隊への攻撃=日華事変の準備を始めたと思われます。
購入資金の一部は、張学良が相続した張作霖の遺産ではなかったか、貨車2両分もあって、彼の友人だった関東軍司令官本庄が、ワザワザ北京に居る彼あてに送り付けたもので、彼は一旦受け取りを拒否しますが、その後行方居不明となります。
張学良が欧州から帰ると、対共産党掃討の副司令官に任命されます、然し、連戦連敗するのですが、何故が、仇敵の筈の共産軍と次第に親密となって行きます。 蒋介石は、連敗する張学良の余りのだらしなさに業を煮やし、張学良と配下の軍を叱り着けます。 そんな或る日、蒋介石は突如張学良とモゥ一人の将軍に拘束され、共産党軍との第二次国共合作を認めるよう迫られて、応じて終います。(西安事件)
私が不思議に思うのは、重度のジャンキーだった張学良が、欧州旅行後には全快して居る上、強度の反共も一緒に治って終っていた事です。 一体欧州で何が起ったのでしょうか。 私は、張学良自身が、良く似た別人に掏り替えられた可能性が高いと思って居ます。
政治思想信条は、簡単ではありませんが変える事が出来ますが、ジャンキーは簡単には治らないからです、況してや、100歳の長寿は有り得ないでしょう。
そう云えば、汪兆銘も幾度か欧州に亡命したりして居ますが、彼の場合逃亡先は、ユダヤ商人サッスーンを介したロスチャイルドであったと思います、張学良も結局その手駒の一つでは無かったか、とも疑って居るのですが。
>彼の出生当時は未だ大清帝国であり、東三省=遼寧省、黒竜江省、吉林省は清帝国の故地で、皇帝は此の三省を聖域として居たので、彼がの両親が漢族である可能性は低いと思います。
分かりました。
張学良が反日になったのは、共産党の仕業かも知れませんが張作霖列車爆破事件と思います。彼にとって反日なら共産主義はどうでもよかったのではないでしょうか。
また麻薬中毒から抜け出るのは、道場と意思があれば出来ます。日本人馬賊の小日向白朗が全快しています。
テスト
まだ書き込めませんか?。
忍者ブログは、駄目なんですかね。政治ブログランキング一覧に携帯マークも付きませんし。
FC2に引っ越そうと思ったのですが、もう書く事はなくなったし、めんどくさいしねぇ。
少し試してみます。
崗上虜囚 様
携帯からはダメでした。
今回は、
忍者ツールトップ
が出ず、以前の 403エラー の表示でした。
愚考するに、昨日は[忍者ツール]か何かでの悪戯でしょうか?
今は、そのツールを削除した状態と思います。
尚、裏技1での書き込みです。
最近設置したのは、ブログ内検索かな。
ブログ内検索、バーコードも削除してみます。
携帯からです
>携帯からです
OKと言うことですね。じゃこの状態にしておきます。
また携帯から書けなくなりました。
不思議?
再度、携帯から挑戦。
崗上虜囚 様、皆様
こんばんは。
日本人の起源 情報です。
丸地三郎さん
[試論:DNA-日本人の起源とモンゴロイド]
[DNAから導きだされる日本人の起源]
を読みました。
丸地さんの鋭い視点に頷ける処が多いですが…
徐福系渡来人=征服者=天皇家及び貴族が基本になっていて、考古学的な縄文時代晩期から弥生早期の事実を無視している。 稲作時期とか発掘された人骨(縄文系)とか。
また、モンゴロイドを古モンゴロイド(Y- C系、D系)と新モンゴロイド(Y- N系、O系)に区別していない。
D系とO系が近い関係と思っている?
更に、C系とD系の密接な関係(≠親戚 Y-DNA)を知らない? D系とC系が一緒に移動したとする欧米学者の説を無視している。
参考:DNAのサイト
[三日月城通信 - 遺伝子で見る日本人との違い]
ガラパゴス何とかが半島ファンタジー?と同じく、これは支那人プロパガンダ?
日本人の起源なんか…支那朝鮮人は関係ないだろうに…不思議。
尚、中韓さんで考察のマトメを投稿しようかと考えています。
(サイト・アドレスが原因?)
>徐福系渡来人=征服者=天皇家及び貴族が基本になっていて、考古学的な縄文時代晩期から弥生早期の事実を無視している。
中田力著『日本古代史を科学する』も天皇の出自が徐福等の姫氏系統だとの説ですが、それ程
姫氏が誇らしいことなら、日本書紀に載せた筈です。古事記には支那の名称は出てきますが、それだけです。
やはり、韓国にはO2bばかりでO2b1が殆ど無く、逆に日本にO2b1ばかりでO2bが殆ど無く、支那にはO2b*が全然いない事実を知らないと、弥生はなんで有ったか分からないでしょう。
>ガラパゴス何とかが半島ファンタジー?と同じく、これは支那人プロパガンダ?
昔昼休みに良くみていましたが、プロパガンダというよりまだ理解が足りないだけと思います。考古学も遺伝子を扱うようになってからは、科学の分野になりましたから、プロパガンダの付け入る隙は無くなりました。
>尚、中韓さんで考察のマトメを投稿しようかと考えています。
そうですね。過去の記事にも投稿して賑やかにすると、お目覚めするかも知れません。
天岩戸か。
>サイト・アドレスが原因?
って、なんです?。
崗上虜囚 様、皆様
こんばんは。
前コメント
サイト・アドレスか?
は、紹介サイトの
(h)ttp や .(pdf) が原因で 403エラー(≠忍者ツール画面)だったようです。
紹介サイトのアドレスを全て消したら、書き込めましたので…。
何か規約が変わったのかと思います。
U18343
P11165
E10006
Y6103
Q11351
B8636
U4292
a9420
M3520
l19194
f18839
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