日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください
現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。
崗上虜囚 様、皆様
こんばんは。
ついに、捏造? 洗脳に発展か…?
2ch情報:
◇毎日新聞論説委員・青野由利
「日本人のルーツ…アイヌ民族は琉球人に近い。 本土人はアイヌ民族より韓国人に近いということです 」
▽毎日小学生新聞 2012年11月03日
mainichi.jp/feature/maisho/news/20121103kei00s00s007000c.html
然し、困りました。日本の起源やDNA関連の検索にも影響が…。暫くは新情報を探すの無理かな。(汗)
検索といえば…虜囚様の「天皇の遺伝子」がGoogleに載っていました…おめでとう御座います。
さて、2chの学問板も影響が出て、新情報が出てこなくなりました。罵倒や雑談が増え…。(苦笑)
でも情報が…真偽不明
「原籍・?陽南門趙氏、Y-DNA・O1a1、mt-DNA・B4a4という記述を見かけました。 この江蘇省の江陰趙氏は宋の皇室末裔らしい 」
との書き込みがありました。
支那大陸は ???…ですが判っている事は
モンゴル(チンギス・ハンも)は Y-C3 。
現在主流の Y-O系統は、スンダに Y-NO で入り Y-N と Y-O で北上を始め、支那大陸で Y-O が Y-O1 Y-O2 Y-O3 に分岐したらしい。また、 Y-O系は更なる分岐を各々して…各民族に別れた?(私の推測)。
こんな所でしょうか…。
>ついに、捏造? 洗脳に発展か…?
酒と泪とさんの『これらの嘘・本当?を情弱な人々に勘違いさせる意図が透けて見えます』とご推察どうり、工作活動でしょう。考古学は赤い学者の独壇場だったのですが、DNAや炭素年代のような科学的手法を使う人が現れてから、彼らの言っていたことが悉く覆されてくるようになったのです。しかも覆したのは考古学と関係なかった人達です。
今回のそれは、巻き返しと思われます。東大の権威を使って、DNAの分析しかしらない学者を使ってです。これに考古学の権威がくっ付いて出てきたら、巻き返しと断定です。
>本土人はアイヌ民族より韓国人に近いということです
なにが近いんでしょうかね。X染色体でしょうか。ミトコンドリアでしょうか。Y染色体は?。いずれ反論が出てくるでしょう。毎日小学生変態新聞ねえ。昔、小学生に出会い系を指南していた記事があったような。
『真実の歴史を認識し、国益最優先の外交や日本の核武装の実現を目指』さんのブログにありました。
森忠彦(もりただひこ)はブログを書いているのだが、信じ難いことに「毎日小学生新聞」の話題についてブログ記事を書きながら、その記事の最後の方で「デリヘル」の宣伝をしている。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/46212550.html
前も同じような工作を。本当にしつこい事。
崗上虜囚 様
情報ありがとう御座います。
変態子供新聞の編集長?ですか。
いままでの事からすると…在日ですね?、きっと。
いくら通名を使っても
頭かくして尻隠さず
お里知れてます。
本当に、日本は侵略されている…大汗。
最新情報
日本被験者259人の父系Y染色体(M・F・ハマー 2005)
Y-C1 (M8) 5.4%(日本だけに存在)
Y-C3 (M217) 1.9%(原シベリア・ツングース)
Y-C3a (M93) 1.9%(日本だけに散発的検出)
Y-C3c1 (M86) 1.2%(エヴェンキ・東胡ツングース)
Y-D2 (P37.1) 3.9%(縄文・アイヌ)
Y-D2a (M116.1) 16.7%(本州縄文・沖縄・ミクロネシア)
Y-D2a1 (M125) 12.0%(北回り?縄文系)
Y-D2a1a (P42) 2.3%(変異型?縄文系)
Y-I (P19) 0.4%(原コーカサス)
Y-NO (M214) 2.3%(分岐前の変異型・中国・モンゴル・マレー)
Y-N1 (LLY22g) 1.2%(テュルク系?)
Y-N1c1 N3a (M178) 0.4%(シベリア・北欧テュルク系?)
Y-O2a (M95) 1.9%(Austro-Asiatic・華南・東南アジア・ジャワ・インド)
Y-O2b (SRY465) 0.4%(インドネシア・ベトナム・朝鮮)
Y-O2b* (P49) 7.4%(西インドネシア・ミクロネシア・朝鮮系倭族)
Y-O2b1a (47z) 22.1%(弥生・朝鮮・ベトナム)
Y-O3 (M122) 6.6%(中国・フィリピン・ベトナム・ポリネシア)
Y-O3a3 (LINE1) 3.1%(ミャオ族・ヤオ族・ベトナム・インドネシア)
Y-O3a3c (M134) 10.5%(Sino-Tibetan)
Y-Q1 (P36.2) 0.4%(中央アジア・シベリア・東アジア)
www.isogg.org/tree/index.html
www.springerlink.com/content/p31g0300430k6215/MediaObjects/10038_2005_322_ESM_supp.(ピーデーエフ)
注:Y-O2bは祖系を表し、Y-O2b*は未確定分類を表す。
朝鮮人の父系Y染色体平均値
Y-C3 (M217) 9.3%(原シベリア・バイカル)
Y-D2 (P37.1) 1.3%(縄文・アイヌ)
Y-D2a1 (M125) 2.7%(北回り?縄文系)
Y-N1 (LLY22g) 1.3%(テュルク系?)
Y-N1a (M128) 1.3%(北東アジア・テュルク系?)
Y-O1a (M119) 2.7%(Austro-Tai)
Y-O2 (P31) 2.7%(東南アジア・ヤオ族・朝鮮)
Y-O2b (SRY465) 1.3%(インドネシア・ベトナム・朝鮮)
Y-O2b* (P49) 32.0%(西インドネシア・ミクロネシア・朝鮮系倭族)
Y-O2b1a (47z) 4.0%(弥生人・朝鮮・ベトナム)
Y-O3 (M122) 10.7%(中国・フィリピン・ベトナム・ポリネシア)
Y-O3a3 (LINE1) 9.3%(ミャオ族・ヤオ族・ベトナム・インドネシア)
Y-O3a3c (M134) 20.0%(Sino-Tibetan)
Y-R (M207) 1.3%(西ユーラシア・原アーリア)
参考: エヴェンキの父系Y染色体平均値
Y-C3 (M217) 13.7%(原シベリア・バイカル)
Y-C3c (M86) 54.7%(ツングース諸族共有)
Y-I (P19) 5.3%(原コーカサス)
Y-J (12f2.1) 2.1%(原アラビア? 中央アジア・コーカサス・地中海)
Y-N2 (P43) 2.3%(シベリア・ツングース・トルコ)
Y-N1c1 (N3a) 16.8% (M178) (シベリア・北欧テュルク系?)
Y-Q (P36) 4.2%(シベリア・原インディオ)
Y-R (M207) 1.1%(西ユーラシア・原アーリア)
以上、2ch情報でした。(多分、一次ソースの英文論文を日本語に翻訳し且つまとめた方に…感謝!!)
全く持って、日本人と朝鮮人は赤の他人なのがモロわかり…。
お疲れ様です。
マスコミの意図は韓流ドラマと同じですが、斉藤成也も朝鮮御用学者だったと言うことでしょう。
アイヌ人、本土日本人、琉球人の遺伝的関係については、基本的な点では総合研究大学院のプレスリリース通りと考えます。Y染色体ハプロタイプでは、本土日本人は「DE系統D亜型D2A」と「NO系統O亜型O2B1/O3」とのほぼ半々の混血と結果が出ていますし、この点は、今回、総合研究大学院のプレスリリースで裏付けられたという事が言えます。しかし、総合研究大学院の調査方法では、アイヌ人(D2*)と本土日本人(D2A)の遺伝的違いが判別出来なかったということです。他でも書きましたが、アイヌ人(D2*)は、縄文人(D2A)ではなく、同じ系列(D2亜型)の別集団(C3亜型が入ったのが証拠)と考えます。言語が違うのもそのせいでしょう。琉球(D2A)と似ているのは、本土日本人(D2A)でしょう。(D2*、D2A、C3はY染色体ハプロタイプによる系統亜型を示す。)
アイヌ人(D2*)とは若干の違いはありますが、本土日本人のD2Aに近い系統と言えます。朝鮮人(O2B*)と日本人(O2B1)は、O2Bとしては系統が近いですが、若干異なるので、韓国人=弥生人とはならないでしょう。ここまでは、Y染色体ハプロタイプで説明しましたが、問題はmtDNAです。日本はmtDNAに関しては調べつくしたと思いますが、mtDNAとY染色体の結果が何故異なるのか、東ヨーロッパでも似た現象が発生していますが、現在のところ、原因がわからない点がジレンマとなっています。総合研究大学院の(mtDNAではなく核遺伝子を使用した)調査方法は、mtDNA、Y染色体とはまた別の方法である為、もしかするとより真実に近い結果が得られるかもしれませんが、この方法では、アイヌ人と日本人、琉球人共通の「DE系統D亜型」内の違いと、弥生人と韓国人の「NO系統O亜型」内の違いまでは判別は出来ない欠点があるようです。総合研究大学院のプレスリリースは微妙に正直であると
いえます。一番重要な点はその内容を飛躍して考えないようにした方がいいという事です。例を上げると、弥生人の渡来ルートとして、「朝鮮半島経由」については、現段階では否定できませんが、日本の稲の遺伝子パターン等から、依然として別のルートの可能性も考えられるという事です。一つでも先入観があると飛躍した誤った理解となってしまいます。弥生人渡来時期は、今から2500年~3000年前です。朝鮮の百済とか任那は全く関係ありませんし、魏志倭人伝も関係ありません。なんとか歴史と関連付けようとするのは、まあ理解出来ますが、それは先入観となってしまいます。人間は「収束型」と「分散型」があると考えます。「収束型」は不要な物、根拠のないものを切り捨てる事により真実に近づいていきますが、「分散型」はよけいなものと関連させてわからなくさせてしまいます。
崗上虜囚 様、皆様
こんばんは。
渡来ルートについて さん、御意見を拝聴いたしました。
日本人の起源、まだまだ疑問?だらけですね…私の考えもアッチいったりコッチきたり。(汗)
今の考えは…
第一派は黒潮ルートの C1、沖縄~南九州~四国~紀伊~静岡・伊豆~房総と一気に広がった(3万年前?)。詰まり、C1 先住民説です。 C系とD系の関係深さに捕らわれすぎて…D2も、は勇み足だったようです。
第二派の本州の縄文人は、Gm遺伝子からバイカル湖系D2+C3 と考えていましたが…南下途中の青森県にC3が居ない?が疑問…。そこで、アイヌのC3と本州のC3は別部族かつ別ルートと考えています。
本州のC3は、半島ルート帰化人(百済難民)で青森まで北上しなかった?…九州に多い=庶民系?。 また、アイヌのC3はニヴフ系?で津軽海峡を渡れなかった。(つい最近?考古学的時間で)
詰まり、バイカル湖系D2は、C3から独立したグループ。 D2単体の部族で日本に渡来し南下した。(スッキリ)
北海道に残ったD2は、D2*と変異しアイヌの祖先となり、後にニヴフ文化を伴ったC3が合流。
本州に渡ったD2は南下を続ける途中でD2aに変異した。変異前で東北地方に残ったD2*は、一部が蝦夷の祖先となった?。
つづく
本州D2aは更に南下、C1と平和的な融合(海幸彦・山幸彦の棲み分け)をしつつ琉球まで南下した。然し、八重山諸島に行かず…だからD2がいない?。
縄文前期終わり頃、農耕文化が花開く(山内丸山など)。また、黒曜石交易などから推測し南方ルート交易?で陸稲を手に入れ栽培…6000年前の米プランクオパール。(半農半魚猟)
縄文晩期、陸稲交易ルートより支那の長江人O2b1が難民として、八重山経由の黒潮ルートで北上し北九州?に上陸。
陸稲は、日本で栽培?され始めた6000年前に、朝鮮半島で栽培されている遺跡は無い…朝鮮ルート伝来では無い。(キッパリ)
水稲は、遺伝子解析により長江中流域が原産地(熱帯ジャポニカ)と確定した。また、日本に入った稲遺伝子が半島では全部揃わない事から(欠損した遺伝子あり)…支那大陸北上→遼東文化→朝鮮→九州説は否定された。
更に、水稲の日本伝来時期は、半島北部や遼東文化圏では稲作ができない寒冷地であった事から…半島のO2b*が日本より前の時期に移民しO2b1と分岐し日本に渡来したとも考えられない。
以上から、半島のO2b*と同じ時期、別部族のO2b1が江南から水稲技術と共に日本へ渡来したと考えられる。(スッキリ)
尚、朝鮮の稲作は、北部が遼東由来、南部が江南又は日本由来説が主流になっている。
>>基本的な点では総合研究大学院のプレリリース通りと考えます
→研究の内容が問題なのではないです。
[総合研究大学院大学]
www.soken.ac.jp/news_all/2719.html
問題は、新聞などマスコミの確信犯的なミスリードにあります。
[悪質マスコミ「縄文・弥生混血説裏付け遺伝子解析」の朝鮮大好き報道]
tafu.iza.ne.jp/m/blog/entry/2914130/
(引用)
時事、共同の両社は、「中国大陸から朝鮮半島経由で渡来した弥生人」「朝鮮半島から渡ってきた弥生人」と書いているが、上記のプレリリースでは、「~北東アジアに居住していた人々の一派が日本列島に渡来してきた。」としか書いていない。つまり発表者は、北東アジアに居住していた弥生時代以降の渡来人がどのような経路で日本列島にやって来たかを特定していないのである。おそらくこれは、稲の日本への伝幡がDNA解析によって、「支那大陸の雲南地方→東支那海経由→九州→本州各地」というルートであると判明しているのを踏まえての事であろう。しかし時事、共同の両社は、発表内容を捏造してでも「弥生人が朝鮮半島経由で来た」と主張したいようである。よほど朝鮮半島に思い入れがあるに違いない。
(終了)
この後、半島や在日が『日本は弟だ祭り』になりましたね。(笑)
皆様今晩は。
>本土日本人は「DE系統D亜型D2A」と「NO系統O亜型O2B1/O3」とのほぼ半々の混血と結果が出ていますし
半々の混血と言う言い方は変ですよね。男同士混血は出来ないのですから。ここら辺が意図的だと感じるところです。
>mtDNAとY染色体の結果が何故異なるのか、東ヨーロッパでも似た現象が発生していますが
韓国人と日本人は異父兄弟のようですが、遺伝学者は女性は一種類しかいないとまで言う人もいます。南米の現地男性の遺伝子が白人に淘汰されても、現地女性のmtDNAが残っているように女性は生き抜く力が強いのです。
>弥生人渡来時期は、今から2500年~3000年前です。
それこそ弥生時代ではないので、記事が弥生人というのはおかしいですね。
で、全般的に酒と泪とさんの説に賛成です。
>問題は、新聞などマスコミの確信犯的なミスリードにあります。
私は、あの学者もお仲間と見ていますけどね。
>弥生人渡来時期は、今から2500年~3000年前です。
つまり、BC5~10世紀と云う事で、大陸では周王朝~春秋・戦国時代と云う事でしょう。 然し、従前から日本で「弥生」とされるのは、土器、生活特に住居の変化を画期とした、BC5世紀以降~AC4世紀位までの約千年間を云った筈ですから、虜囚さんの「弥生では無い」と云うご指摘に繋がりますね。
従前の史観は、「弥生時代の延長として現在が有る=我々は弥生人の子孫である」と云う、思いが感じられて居ました。
然し、遺伝子に拠る解明方法と云う新しい検証技術が開発されてその結果が開示されてみると、日本人全体の歴史に占めていた弥生時代自体の意味が薄れつつある様に感じます。
従前の説なら、弥生時代の千年間に約百万人の流入が起こったが、原住民であった縄文人が穏やかな人々で、水耕稲作や製塩法、製鉄等、大陸の高い文化を持った渡来人の渡来を歓迎したから、当初は、特に大きな争いも無かったが、次第に国家が生まれ、支配階層が生まれ、その支配階層同士の争いが倭国大乱に発展した。
と云う流れでした。
私は此の流れの裏には、「日本の支配層の出自は渡来系であった」と云う恣意が隠されている、と看ます。
新たに判った縄文の姿の中にも、支配・被支配の関係を持つ社会の痕跡は見つかって居ませんし、武器も出土して居ないのですから、「戦争」は渡来人が持ち込んだと看ても良いでしょう。
従前の説が建てられたのも、明治期以降の事でしょうから、日本が近代化するにつれての話で、決して、端から古来の文献や証拠がしめされて居たわけではありません。
何が云いたいのかと云えば、戦前にしてもソウですが、「我々は何処から来たのか」と云う日本の歴史の根底部分について恣意的なバイアスが懸っている可能性が高いと云う事です。
何か、非科学の匂いがするのです。
それらの恣意は、爾後の発見や考古学以外の学問の発達による検証によって、嘘と云う結果になって現れています。
例えば、水耕稲作は、明らかに半島経由では有り得ないのは、稲が元来熱帯植物で、水温15℃以下では結実すらしないと云う農業知識と、半島の南部沿岸地方なら判りませんが、殆どの半島の部分は、北緯35~50度の寒冷な大陸と地続の地に在ると云う地理や気象学の知識を用いれば、水稲の伝播経路は、大陸→列島が当然である事が判ります。
亦、半島や中国地方での鉄の産出、精錬の技術の伝播、当時文明を齎す種であった鉄ですから、歴史的な大事件であった筈が、その鉄を巡る争いについての歴史的な解明が全く手付かずなのにも恣意を感じます。
百済・新羅の永年に亘る不仲の原因が、馬韓(百済)が秦による圧政の難民に割譲した半島東部山岳地帯で、楚の難民たちが鉄を掘り出し、その利権を以て勝手に独立、辰(秦)韓=後の新羅と呼ばれる国を建てた事に起因するのは、流れを看て居れば明らかでしょう。
地政学的に半島は、大陸勢力の敗残者の逃亡先=吹き溜まりになり易く、勢い、雑多な民族の混淆状態になり易い。
馬韓=百済も殷の遺民が扶余族や穢族を纏め、北の高句麗の南下侵入を防ぐ為に建てた国であったし、ソウ云う大陸内の争いとは別次元の海からの渡来者の影響として、半島南部の海岸部、及びその後背地に列島勢力の影響が存在したのも寧ろ当然と考えられましょう。
所謂、弁韓や伽耶、後の任那は、半島と列島の間にある海域・島嶼を支配していた海人族集団の国であると考えるべきかと。
海人族は、東シナ海全域の海岸地帯を活動範囲とし、シナ大陸沿岸~古代日本本土~南西・琉球諸島を根城としていたから、分布は広範に亘り、然も、初めは血縁的な集団で在ったものが、活動域が次第に広範囲成るに従い、雑多な民族との交雑が行われ、その血縁的な特徴が次第に薄れて行き、この頃には、同業と云う纏まりになって居たのではないかと思うのです。
大陸からの人の渡来、産品の交易は必ず、この海人族が支配するルートを辿って居た筈ですから、「弥生」の渡来も静かに、平和裏に行われたのでは無く、カナリダイナミックな形が採られたのではないかと思います。
例えば500人程度が一度に流入~定住すれば、唯の侵略行為ですから、原住民との間で戦争に成るでしょう。
然し、流入してきても、原住民にとって従来不要で危うい地を灌漑し、やがて水稲と云う穀物を生産する様になって、その生産物を原住民に分け与えたならば、その数が、原住民の安全を脅かす数で無い限り、黙認するのではないでしょうか。
そうした流入は、BC500年という灼かな画期には限らず、遠く縄文時代の早期から有った筈で、縄文中期~後期にかけての大陸の小寒冷期や長江文明の滅亡期(BC20世紀)にも、多くの流入者が居たと考えられます。
そして、周の衰えが始まったBC700年位から序々に始まって居た大陸の戦火から逃れ来た難民=古代漢民族が弥生土器を持参したと云う事ではなかろうか。
是等の歴史変遷が事実だとすれば困る集団がいて、その理由が、隠されているのではないかと、私は疑っているのです。
ソロ様に感化されて、まだ纏まっていない考えを披露します。前提が長くなります…気長にお待ち下さい。
今まで、敢えて無視をしてきた在日史観のサイトの情報から浮かんだ疑問です。(情報の真偽は不明、裏が取れない)
前提となる、その情報を書き込む前に知っていただきたい情報を先に述べます。
[三日月城通信]さんより
◇Y-DNA分布情報◇
O1 台湾 日本(1%)
O1a タイ=カダイ系 フィリピン
O2a 楚人系?(チワン/タイ/ヴェトナム/インドネシア) 華南(30%) 日本(0%)
O2b* 旧O2b/O2b1 (O-M176,P49) 呉人系? 琉球南部(67%) タイ(6%) ヴェトナム(14%) 中国(0%) 日本(9%) 朝鮮(22%)
O2b1a (O-47z) 弥生人? 日本人に占めるO2b系の75%がO2b1(26%) 朝鮮では25%(8%)
O3 華北中国人(匈奴・鮮卑系?) 華北(66%) 朝鮮(40%) 日本(20%)
※系統名 改定
O2b1(O-P49)/O2b1a(O-47z)→ O2b*(O-M176/SRY465, P49, 022454)/O2b1(O-47z)
※2011 再改定
O2b(O-P49)→O2b
O2b1(M312) (add 2011)
O2b1(O-47z)→O2b1a(O-47z 2011)
O3e(O-M134)→O3a5(2006)→O3a3c(2008)→O3a2c1(2011)
O3e1(O-M117,M133)→O3a5a(2006)→O3a3c1(2008)→O3a2c1a(2011)
O-002611→O3a1c(add 2011)
O-021354→O3a3(add 2008)→O3a2(2011)
序2へ
Oグループは中国で分離したグループだと思われる。
O1グループが最初に南下し、台湾からフィリピンへ移動?。
O2グループは、長江で分離しO2aが長江中流から南下、O2bが長江下流域から日本に渡ったグループだと思われる(3万年前にO*から変化)。
O3は、華北で極端に強いため周・秦・中国北朝系と思われる。詰まり、西戎・匈奴・鮮卑=O3は更に細かいグループに分かれるので、実際には更に詳細な調査をしないとわからない(1万年前にO*から変化、 有史になってからO3c/O3eが産まれた可能性がある)
※O2b1は韓国起源などと書いているサイトがあった。O2bよりサブグループのO2b1の方が起源が古いと言うばらつきがあり、誰かちゃんと研究してくれ…江南稲作民O2b1は、3000年以上前に現れていて、まだ江南に入る可能性が高い。
弥生系O3はO3/O3c/O3eで構成されている様だが、O3が優勢、漢民族系のO3eがやや多く、ミャオ族系のO3cはごくわずかの様です。尚、朝鮮はO3cが比較的多い(13%と言う資料があった)様で、構造が全く違う可能性ある。
O3a-系列のグループ分けだとO3a3(M159)とO3a4(P103)が日本に存在するグループ、O3a1(DYS257/P27.2, M121)とO3a3b(M7)が漢民族に存在するグループ。
序3へ
O1はおそらく、最初に江南に移動したグループで、更に台湾、東南アジアに移動した(追い出された)グループで、日本にはごく少数が渡っている。春秋時代には中国より更に南下していたか少数民族で、孤立していた可能性が高い。楚・呉・越にかなり早い時代に吸収された可能性があるが、巴・蜀とも関係無さそうである。比率としては、O2bの弥生人グループにごく少数混血していた可能性がある程度の数字。呉の系統の可能性は薄くあるが。華北で出てこないとおかしい。
O2aは華南に多く、日本では出てこないグループのため、海沿いに住んでいなかった可能性が高い。また、タイで優勢の為、楚人=タイ系の可能性が高い。楚は、弥生人の移動後に呉・越を支配したのでヴェトナムで多く出てきてもおかしくはない。
O2bとO3はほぼ弥生人と思われるが(アイヌに存在しないため)、稲作を持ってきたのはO2bグループ(その中のO2b1グループが弥生人=倭人)だと思われる。
O3は後から流入した可能性が高い(琉球南部でO3が皆無)韓国にもO2bは居るが、O2b1は少ない。なお、現代中国ではO2bは見られないが、中国をわたってきたとしか考えられない。(しかし客家が不明な為、原漢民族がO3と証明出来ない)
(引用 おわり)
前提1へ
>酒と泪さん
カナリ、煮詰まってきましたね。
日本の遺伝子の多様性から云えば、大陸からの人の流入は、やはり、BC5世紀以前から定常的に有ったと看るべきなんでしょう。
O1はご推察通り、南下した遊牧民に追われて南に戻った古代スンダ人でしょうね、列島への渡来もこの人々が一番古いのかも。
O2aは所謂南蛮族ではないかと、南蛮族=苗、三苗族と思いますが、現代の苗族がO3eで、古代の三苗族の生き残りと思われる呉、若しくは越人が、O2bだと云うのなら、三苗族の殆どは、雲南の地の地に帰らなかったか、中世の弾圧の際に全滅したかですね。
現代の苗族は、その侵略者の血を受け継いでいるのかも、詰まり、母親は苗族だが、父親は漢族の可能性が有る、と云う事でしょうか。
日本に渡来した弥生人の殆どがO3系と云う事ですが、現代の日本人に占める比率は決して多くないのは、渡来人同士の殺し合いが多かったのかも知れませんね。
亦、列島の気象条件の具合での海進・海退現象を主に、台風、噴火、地震、津波、洪水等、天災のオンパレードの列島に在っては、防災設備が全くない時代なら、固まって住んで居ると全滅するので、大陸の様な戦争と云うファクター以外でも、遺伝子の編在が起こり易かったのではないでしょうか。
「我々日本人はどこからきたのか?」と云う問いに答える為には、日本や極東だけでなく、アジア全域で看ないと本当の処は判らないですね、本当に。
唯、半島経由の遺伝子霍乱ファクターである「侵略」は起こって居ないのは明らかです。
大陸の敗残兵や飢饉の難民で構成された半島に、早くから国家的な農業生産が起こり、国家的な纏まりがあった列島を侵略したり、文化的に感化出来る様な勢力は存在せず、逆に、列島へ避難したり、生業を求めて少数が移住して来た可能性は大いにあるでしょう。
日本列島に来た外来人は、その渡来ルートによって類別されるべきと考えると、半島経由の人達は寧ろ少数派で、江南の長江人の方が遥かに多かったと言えるでしょう。
大陸からの逃避先に成り易い半島に棲むモノは、安定で平和な定住を望んでも果たせない歴史を持ち易いのは、世界史にも現れている。
朝鮮族が、他人との連携や国に対する執着心が薄いのは、此の所為なのかと思い至りました。
ガラパゴス情報 (信頼度 ?? 嘘も有る?)
◇日本Y遺伝子 頻度◇
Y-D系統
D1* 0.6%
D2* 4.9%
D2a* 17.2%
D2a1* 5.4%
D2a1a* ND
D2a1a1 ND
D2a1b* 12.2%
D2a1b1 ND
D2a2 ND
D2a3 ND
Y-C系統
C1a 4.0%
C3a 2.9%
Y-N系統
NO* 0.9%
N1c 0.4%
Y-O系統
O1a 1.5%
O2a1 1.6%
O2b* 8.1%
O2b1a 20.5%
O3* 2.2%
O3a1c 5.7%
O3a2* 3.3%
O3a2c1 3.1%
O3a2c1a 4.6%
Y-P系統
P* 0.1%
Y-Q系統
Q1a1 0.1%
◇地域別◇
北海道:C1(-) C3a(6.3) C3c(-) D2(56.3) O1a(-) O2a(6.3) O2b(12.5) O2b1a(6.3) O3(12.5)
※→アイヌではなく北海道…C1(-)が不思議。開拓者にY-C1が居なかった? C3a(6.3)は、非アイヌ系だろうか?※
東北:C1(6.7) C3a(-) C3c(-) {D1(2.2)} D2(35.6) O1a(4.4) O2a(-) O2b(6.7) O2b1a(26.7) O3(11.1)
※→東北の特異点、C3a(-)とD1(2.2)。 C3aは、アイヌのC3* ?、詰まり別部族別ルート? D1は日本海交易による縄文時代移民? O1a(4.4)とO2b(6.7)は坂東武者(帰化人系)の末裔?※
前提2へ
関東:C1(1.5) C3a(2.2) C3c(-) D2(48.2) O1a(2.2) O2a(-) O2b(6.6) O2b1a(24.1) O3(14.6)
※→O1a(2.2)とO2b(6.6)は、帰化人(半島)貴族の末裔?※
中部:C1(4.3) C3a(1.4) C3c(-) D2(34.8) O1a(4.3) O2a(-) O2b(13.0) O2b1a(18.8) O3(21.7)
※→O1a(4.3)とO2b(13.0)は、坂東武者(帰化人系)の末裔?※
近畿:C1(5.9) C3a(7.0) C3c(-) D2(31.4) O1a(-) O2a(-) (O2b・O2b1a)(32.9) O3(17.1)
※→(O2b・O2b1a)(32.9)は、何故分けない? O2b=半島系がいないは、不都合?※
中国地方:C1(-) C3a(-) C3c(-) D2(18.8) O1a(18.8) O2a(-) O2b(12.5) O2b1a(18.8) O3(31.3)
※→本論で考察※
四国:C1(8.9) C3a(2.5) C3c(1.3) D2(25.3) O1a(-) O2a(3.8) O2b(6.3) O2b1a(21.5) O3(24.1)
※→C1(8.9)は流石に黒潮文化圏? C3a(2.5)とC3c(1.3)は半島難民(庶民系)?※
九州:C1(2.4) C3a(6.5) C3c(1.2) D2(28.8) O1a(1.2) O2a(1.2) O2b(22.4) O2b1a(10.6) O3(24.1)
※→流石に大陸からの玄関口、ごちゃ混ぜ…C3系とO2bが多い。※
沖縄:C1(6.8) C3a(1.5) C3c(-) D2(45.1) O1a(0.8) O2a(0.8) O2b(6.0) O2b1a(17.3) O3(18.8)
※→流石に、沖縄は支那江南地方からの玄関口※
本論へ
>海人族は、東シナ海全域の海岸地帯を活動範囲とし、シナ大陸沿岸~古代日本本土~南西・琉球諸島を根城としていた
魏志東夷伝に、済州島の住民は倭人でも馬韓人でないとしていますが、海人族ですかね。
>そして、周の衰えが始まったBC700年位から序々に始まって居た大陸の戦火から逃れ来た難民=古代漢民族が弥生土器を持参したと云う事ではなかろうか。
> 是等の歴史変遷が事実だとすれば困る集団がいて、その理由が、隠されているのではないかと、私は疑っているのです。
只、日本書紀などを見ると、支那を完全に別の国と見ていますね。親近感もないようです。
倭人が鉄を求めて半島に渡ったことは確かですが、その後の推移を見ても倭の方がGDPも大きいし、その分軍事力も大きかったように見えます。戦火を逃れて来た長江人もいる訳ですから。
ここに『たたら製鉄と日本刀』が書かれたサイトがあります、異説だそうですけど。
http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_130.htm
呉越の住民はタイ語に近い言葉を話していたとの情報があります。従って、呉越の時代には、O2b系統は大陸にいなかったのではないかと思います。
私は、弥生時代と言うのは、銅・鉄の金属文化の変革時代と思っています。つまり古代の明治維新です。西欧文明を触れたとたん、あっと言う間に西欧化したが、それ程西欧人が来た訳ではありません。
と言っても半島は近いので、それなりの人の流入は有ったと思いますが、大規模な流入は無かったと思います。人間にもテリトリーが有りますし、集落の規模が大きくなっているところに、大規模の集団が来れば戦争になります。
>C3a(6.3)は、非アイヌ系だろうか?
清朝代にアイヌは結構大陸と交易を行っています。北海道にいるC3はその時のものではないでしょうか。ニヴフはC3a?ですかね。
酒と泪とさん、ミャンマー人のY-DNAを知っていますか。ミャンマー人の性格は日本人に似ていると言います。人間の性格は古代からそれ程変化していないのではないかと思うようになったからですけど。
前置きが長くなりましたが、これから私の疑問を提議します…。(汗)
[日本人のガラパゴス的民族性の起源]のガラパゴス氏の地域詳細 Y-DNA は、元にしているデータのソース開示がありません。(隅から隅まで読んでいませんので…悪しからず)
ガ氏のファンタジー理論を展開するための??とも考えられますが…それにしても、中国地方のデータは他に比べて異常です。(出雲地方だけのデータと考えれば、ある程度納得できますが…)
中国地方全体が平均日本と違う、と考えるには無理があります。 日本の平準化してきた歴史に反し、とても信じられるレベルのデータでない。
もし、これが正しいデータなら…中国地方は別民族の国で日本と違う歴史を歩んだとしか考えられない…驚愕。
では、不思議なデータを見てみましょう。
中国地方の Y-DNA :
C1(-) ※→北海道を除き全国に万弁となく出現するC1なのに…非検出?※
C3a(-) C3c(-) ※→東北などなら可能性はあるが、大陸からの裏口とも言える山陰、玄関の北九州から瀬戸内海ルートで簡単に近畿へ進める山陽と考えると…とても非検出と思えない。※
D2(18.8) ※→雑多な九州より10%も下値の18.8%、此処では縄文系弥生人は虐殺された?※
提議2へ
O1a(18.8) ※→他地域に比べ多すぎ?。大陸直通もしくは半島からの大量移民と考えざるをえないが、歴史(侵略された)は無い。弥生時代に大量移民(征服)は考古学的証拠に反している??※
O2a(-) ※→C3a(-)C3c(-)と同じ。大陸からの裏口とも言える山陰、玄関の北九州から瀬戸内海ルートで簡単に近畿へ進める山陽…とても非検出と思えない。※
O2b(12.5) ※→O1a(18.8)に同じ。半島から大量移民したと考えざるをえないが、記録は無い。弥生時代に大量移民(征服)は考古学的証拠に反している??※
O2b1a(18.8) ※→逆に妥当すぎる数字が、他のY-DNAの数字に比べて不自然だ!?※
O3(31.3) ※→最大グループがO3(31.3)…他の侵略者系Y-DNAグループを全部足すと…O1a18.8 + O2b(12.5) + O3(31.3)=62.6 征服王朝の結果(先住民虐殺)と言える!?※
以上から、真理を求めると…
仮説A:全くのファンタジーで捏造データである。
仮説B:中国地方(日本も?)は半島の植民地だった。
仮説C:データは本物だが中国地方全体でなく、出雲地方だけの狭い範囲で調べたモノ。
真実は、どれ?
仮説A…在日よ、いい加減にしろ!
仮説B…他の事実に反している。証明しなさい!
仮説Cの考察へ(明日?)
仮説C:データは本物だが中国地方全体でなく、出雲地方だけの狭い範囲で調べたモノ。↓
出雲の国は大和民族(=縄文系弥生人+渡来系弥生人)の国ではない。(感覚的に…さもありなんと思う)
出雲といえば…大国主命やヤマタノオロチ伝説など、天孫族や天照大神と別系統の国と考えても不思議ではない。そこには、天叢雲剣(草薙の剣)という鋼鉄剣神話が絡み、「たたら吹き」による刀鍛冶と最先端技術の秘話もありそう…誠に縄文系弥生人どころか渡来系弥生人も吹っ飛び、古代漢民族の国だったとしてもおかしくない…。(大汗)
ガラパゴス氏のデータ 中国地方→ 出雲王朝と考え:
C1(-) C3a(-) D2(18.8) O1a(18.8) O2a(-) O2b(12.5) O2b1a(18.8) O3(31.3)
※1→征服戦争があった証拠が、原住民 C1(-)・C3a(-)・D2(18.8)。 詰まり、C1・C3aは元々の数が少なかったから殲滅された? D2は数が多かったから半数減に留まった?※
※2→先住民 O2b1a(18.8)は中立を保ち虐殺をのがれた? 侵略者O1a(18.8)・O2b(12.5)・O3(31.3)は、<三韓の新羅人の人種割合?>、古代漢民族と云うより半島国家に見える?※
仮説Cが真ならば、考古学・古代支那歴史書・日本の記紀が覆される大発見だ~。
やっぱり嘘だな…。
崗上虜囚 様、皆様
こんにちは。
ニヴフですが…。
北海道のY-DNA調査で注意しないといけない事は、「北海道は徳川時代末期から明治時代に和人の大量移民があった。」事実を考慮するですよね…アイヌ調査と区別が必要。
因みに、アイヌ系=C3cの情報を忘れていました。(汗)
然し、系統のサブグループ分けが進み細かい分岐で民族固定されると、話は簡単なんですが…例えば、C3c1cがニヴフとかになってたら。 と言っても、最近、Y-C3系統の大幅な改訂があったようです。 新情報が浸透しない間は、新旧が入り混じって訳が判らない状態でしょうね…。(大汗)
ミャンマー人のY-DNAデータの報告で、しっかりとしたものが見当たらないですが…ガラパゴス氏の処にありました。但し、インドのビルマ族です。
チベット・ビルマ語族/ インド: C系(1.1) D系(1.2) O*(1.7) O1a(-) O2*(-) O2a(17.1) O2b(-) O2b1a(-) O3(66.3)
ミャンマーは、最近まで学者が立ち入る政治状況でなかったから…此からでしょうか。
2ch情報では、チベット系でD1とD3がいる、D* 詰まりインド→ビルマ→スンダラントと移動した痕跡あり、などの書き込みを見ましたが真偽不明です。また、D系外のY-DNA情報の話は記憶にないな…。
さて、宿題終わった。(ホッ)
>>大陸からの流入は、BC5世紀以前から
…そう思います。縄文時代は交易は活発でしたが移民は??が付きますね。
弥生早期のBC5世紀から、新たなる血脈が導入されたのでしょう。 弥生時代の人口爆発から考え、渡来人は今の時代に多数の子孫を残した筈です。 縄文系を除外して、O2b1とO3系が候補ですが、稲遺伝子から稲作民説のO2b1はほぼ確定。 O3系が同じ時期から渡来していたとしても、人口分布的には不思議でないですね。(私は古墳時代の渡来説ですが)
>>母親は苗族だが、父親は漢族の可能性が有る、と云う事でしょうか
…支那の少数民族のO3系の由来は、どう考えても征服者の血筋としか思えません、私は。(絶滅を防いだ民族の知恵の結果?)
>>台風、噴火、地震、津波、洪水等、天災のオンパレード
…異邦人には逃げ出したくなる日本ですね。 郷に入り郷に従った人々だけが生き残ったのでしょう。
>>「我々日本人はどこからきたのか?」と云う問いに答える為には、アジア全域で看ないと…
…同感です。日本を考察には世界の中の日本を見る…何時の時代も同じですね。
>>半島経由の遺伝子霍乱ファクターである「侵略」は起こって居ないのは明らかです…
今回の考察を先に看破されてしまいました…。(大汗)
>>魏志東夷伝に、済州島の住民は倭人でも馬韓人でないとしていますが、海人族ですかね
私は、海人族と云う括りを倭人の上に位置させて考えておりますので、海人族かと言われたら、「ソウでしょうね」としか答え様が有りません。
但し、済州島の島民が半島民から4・3事件にみられる様に、植民地の異民族の様に扱われて来た事は重要だと思います。
両者間に在る言葉や形成する社会の差異は知りませんが、歴史的に認識が異民族の様に感じます。
現代にも色濃く残る
半島内部の地域間対立は、新羅と百済の争いの結果であろうと思いますが、千年もの昔の事だし、その後の社会の過酷さから云って、表出する、やれ白丁、常民、両班だとの申し立ては名ばかりで実情は殆ど同じ混血民でしょうに。
私は倭と云うのは、国では無く地域の名前だと思っております、即ち、東シナ海沿岸全域と日本海を活動域とし、玄界灘・対馬海峡・朝鮮海峡沿岸及び島嶼が広がる地域を倭と呼び、そこで活躍する海人族を倭人と呼んだのではないかと。
すると、壱岐対馬・五島列島・巨文島、そして済州島民、及び松浦や釜山に棲んだ一部の人々は、当時は、同じDNAを持っている可能性が有りますね。
この後(私の推論なら、AC1世紀以降)には、朝鮮の南部の鉄山の鉄が枯れ始め、代りに出雲の鉄鉱石や吉備の砂鉄が注目される。 この為、大陸からの侵略の危機に備える意味で、神武の東征が行われた。 東征とは言うものの、内実は大陸勢力に対する列島同盟の締結を目的とする「外交」の旅であったと思っています。
東征の最終目的は、新たな本拠地を造り上げ、其処に王として大陸勢力に対抗し得る勢力を指揮する事であったのですから、時間が懸る事も、一度で済むとも思って居なかったと思います。
その結果が、播磨・吉備勢を支持勢力とした河内王朝の誕生で、その影響外にいた日本海側の勢力、石見・出雲・伯耆・丹波、そして越三国との和解がその後の課題であったが、取り敢えず、半島伝いのシナ王朝の侵略の危機は免れるダケ武力的背景を倭同盟は持つ事になったのだと思います。
その時点では、決して日本が朝鮮を経由して大陸に攻めのぼる事など出来なかったのですが、後に倭の五王の時代になっても、倭の五王の誰ひとりとして、半島を攻め上ってシナ王朝に覇を唱えようとしたモノは居なかった。
半島南部の主要部=鉄交易の拠点に古墳を遺す程度で終わって居ます。 飽く迄、渡韓の目的は鉄の利権=製造、交易権の維持・拡大で、国家の支配では無かったと思います。
何故なら、日本が騎馬民族では無く、海戦を得意とする国だった事や、当時の稲作技術では、半島北部の寒冷地帯での稲作は絶望的で、侵略する価値が無いと云う、農耕民国家らしい判定がなされたと云う点で説明が着きます。
朝鮮半島で戦いに勝っても分け与える戦果=米を生産する農地=価値のある領地が無く、秀吉の死後急速に衰退した豊臣氏の例でも此の判断が正しかった事が判ります。
ただし、権益を侵す傾向には敏速に対応して居ます。 五王時代の直前、仲哀帝の御代(199年)に起こった新羅を中心とした国家群の離反の知らせに朝廷は、武内宿禰やその娘である妊娠中の后迄連れて九州へ出兵したが、謀反の首謀者が、神武帝の出自であり、九州の曾族の中心である熊襲族の企みであった事が判った。
帝は先に半島を攻めよとの神示を賜ったが、熊襲征伐を優先した。 帝は熊襲との戦いで、矢を受けて戦死されて終ったので、代りに大きなお腹の后=神功皇后が先頭に立って、半島征伐を行ったと歴史にあります。 此の時、后のおなかの中にいたのが後の応神帝だと謂われて居ます。
日本書紀をベースとする日本の歴史ではこの辺りは、120年の差がある説が並立して居る等、年表的にかなり曖昧になって居ます。
斟酌するに、河内王朝にとって初めての本家の危機ですから、初の海外遠征の上、熊襲鎮定迄加わったのでは、周囲は敵ダラケです。 大軍の援けなしには、全滅も覚悟しなくてはならない情況です、その生死を賭けた緒戦での帝の戦死は、遠征軍士気の上でも大きな脅威だったでしょう。
その後、熊襲や隼人族との120年近くに亘る戦いの中では、時に存続の危機さえあったかもしれず、その為、確かな記録が途切れて居るのではないかと、何せ、日本書紀が書かれたのは、それから500~700年後の8世紀初頭なのですから。
顕かな記録は残って居ないモノの、兎に角、遠征軍は熊襲や隼人を平定・鎮圧して、生き残ったのでしょう。
その後、割と簡単に平定出来たとされる半島南部と三韓征伐は、彼らの背後勢力である熊襲族を永い戦いの末に打ち破ったからではないかと思います。
此の戦いに勝ち残ったからこそ、以後の河内王朝の繁栄が有り、吉備播磨勢を従えた倭の五王の強権体制が完成したのでしょう。
此の熊襲退治の戦いの間、オソラク倭同盟は、半島勢力を抑え込み、彼等の武力的な南下を防ぐと云う重要な役割を担って居ます、河内で仲哀帝の子息2人が、義母神功皇后に対するクーデターを起こしますが、鎮圧されて居ます。
河内王朝の最大の敵と目されていた出雲・丹波勢力が倭族に連なる勢力であった事は、逆に幸いでした。 彼等が河内勢の背後を襲えば、大陸勢力が列島になだれ込む契機ともなりかねかった~です。
それ故、以後の倭族は列島内で王朝に近い存在として取り立てられ、神功皇后の背後勢力にもなって行きますが、息子の応神天皇以降、五世紀の五王の時代に再び、力を得た吉備播磨勢力が丹波・出雲勢力と対立する事になる。
是等の争いに終止符を打ったのが、三族の和=長江渡来人(呉系?)の吉備播磨勢力、倭同盟の出雲・丹波族(越系?)、そして、山岳地帯を縄張りとする古代からの列島原住民勢力の和合として、神功皇后を模した、天照大御神を主たる祭神とし、その頃のオホキミ家を祭祀司とするスメラミコトを司祭とする、後に古神道と呼ばれる祭祀が出来あがった。
神は山の頂付近に居られ、山体そのものが神域とされた。 その境目を示すのが鳥居で、嘗ては、山道の入り口に建てられた。 その神の地、山岳部に棲み神の使いとなるのは、戦いの際に決め手となる高速移動を可能とする「山の道」を熟知した森の民である列島原住民であり、祭祀の儀式も彼らのモノを尊重した。
お互いが奉戴する神を統一し共有する事で対立の根を断ち、三族の和が図られたのであるが、此の和が成って、初めて倭が和に変わり、国名も大和=ヤマト=山戸/山門となった。 ダカラ、倭=日本では無く、三族の和=日本なのである。
大和の目的は、長江時代からの対立相手である呉越の争いに終止符を打つ為だが、勢力的には一番弱い筈の原住民の神や民族をリスペクトする事で、彼等が大陸の過去を全て忘れ、日本列島民として、天照大御神が嘉する民として新生すると云う手段となった。
此処に弥生が終わり、新たな日本人が誕生したのだと思います。
天皇家の系譜は弥生以前からも続いているのですから、弥生の終わりは、新生日本の画期に過ぎませんが、この新生事業は、8世紀の天武帝による、オホキミとスメラミコトの分離=威力分離と「日本」の国名の誕生によって完成します。
崗上虜囚 様、皆様
こんにちは。
mt-DNAについての良サイトを見つけました。報告します。(汗)
※以下は私の見方です…。(大汗)
日本人になった祖先たち - DNAから解明するその多元的構造 篠田謙一 著 @ Kousyoublog
//kousyoublog.jp/?eid=1465
(抜粋)
mt-D系:
日本人で最大。 東アジアでも最大集団。 D4、東アジア東北部を中心に広がる。 D5、支那南部を中心に広がる。
日本 / D4,D5(40%)
※バイカル湖系縄文人(Y-D2)の伴侶 mt-D4,D5?
mt-B系:
日本人の第二集団。 支那南部で、4万年前に分岐。 支那南部・東南アジア・南太平洋・南米に分布。
日本 / B系(13%)
※渡来系江南人(Y-O2a/b/b1)の伴侶 mt-B?
mt-M7系:
a,b,c 3つのサブグループ。 M7は4万年以上前に分岐。 各サブグループは、2.5万年前に、今は海の底の黄海・東支那海で分岐。 M7aは、沖縄から本土へと広がった。
日本(本土) / M7a(7%)
日本(沖縄) / M7a(25%)
※黒潮人(Y-C1)の伴侶 mt-M7a?
mt-A系:
中央アジアから北アジアに広がり、北東シベリアや北中米では多数派。 旧石器時代にシベリアで分岐。 バイカル湖から南下し広がる。 A4、東アジア一帯。 A5、半島から日本へ広がった。
日本 / A4,A5(7%)
※バイカル湖系(Y-C3a)の伴侶 mt-A4,A5?
つづく
mt-G系:
データの蓄積必要。 日本(本土)やアイヌに分布。 中央アジア・カムチャツカ半島・北シベリアの先住民などの北方に多い、南には広がらなかった。
※北方系(Y-O3b/d/e)の伴侶 mt-G?
mt-F系:
東南アジア最大の集団。 支那南部・台湾先住民に分布。 エネルギー効率が北方に不適切。
日本 / F系(5.34%)
※渡来人(Y-O1a)の伴侶 mt-F?
mt-N9系:
N9a,N9b,Yのサブグループ。 北方から日本へ。 N9bは日本だけ。 Yはアイヌや北東シベリアに分布。
※モンゴル系(Y-C3c)の伴侶 mt-N9a? バイカル湖系(Y-C3a)の伴侶 mt-N9b? ニヴフ系(Y-C3c)の伴侶 mt-Y?
mt-M8a系:
漢民族(Y-O3)と同じDNA組成。
日本 / M8a(1.2%)
※漢族(Y-O3)の伴侶 mt-M8a?
mt-C系:
中央アジアから新大陸にかけて分布。
日本 / C系(0.5%)
※インディアン系(Y-Q)の伴侶 mt-C?
mt-Z系:
フィンランド先住民・カムチャツカ先住民・ロシア極北に分布。
日本 / Z系(1.3%)
※バイカル湖系(Y-N)の伴侶 mt-Z?
mt-M10系:
支那北部で分岐。 縄文人遺骨100体(茨城県取手市 中妻遺跡)のmt-DNA。 バイカル湖系のブリヤート人と同じDNA配列で一致。
日本 / M10(1.3%)
チベット / M10(8.0%)
※バイカル湖系縄文人(Y-D2)の伴侶2 mt-M10?
mt-HV系:
近代に欧州系が入った。日本では極少数。
(終)
2chの なかなかな意見…
(抜粋)
O2b*とO2b1の分岐は4000年程度前と推定されている
考古学上、弥生時代は紀元前3世紀(BC.300~201年)中頃の弥生人渡来から始まる
史書では晋書・梁書倭人伝に倭人は呉の太伯の末裔を自称したとあり
呉の滅亡は BC.473年とされる
史書の記述と考古学の見解は概ね一致している
分子人類学上、Y-O2b1が弥生人の主要に比定されるのは、Y-O2系統が長江流域を発祥とするため
呉の建国を始祖伝説上の太伯(BC.12世紀~11世紀)に遡ろうが寿夢(BC.585~561年)に遡ろうが
いずれにせよO2b*とO2b1の分岐は4000年前程度と推定されるので分岐後の話であり
呉人の主要なY染色体はO2b1であったと考えられる
倭人=弥生人は呉(中国華南)出身の民族で出自は朝鮮半島に無関係であり、DNAもそれを裏付けている
南北朝鮮の祖である新羅(辰韓)は秦の苦役から逃れてきた亡命者の国なんだから、朝鮮人と共通点が多いのは漢民族
朝鮮人が保有するY染色体のうち、一番割合が高いのは漢民族のO3
同 真偽不明情報
O3a3c+D1: 漢氏
※日本の漢氏の事か?
今、新たに期待して読んでいるサイト
[クロノ・ダイヴァー]
//app.m-cocolog.jp/t/typecast/677888/53596
失礼しました。
>仮説C:ガラパゴス氏のデータ 中国地方→ 出雲王朝と考え:
>誠に縄文系弥生人どころか渡来系弥生人も吹っ飛び、古代漢民族の国だったとしてもおかしくない…。
出雲王朝は出雲一国に止まるような小さなものではなく、熊野大社や諏訪大社が出雲系であるように全国的です。むしろ天皇系の神社が少ないくらいです。だから国譲りが有ったのでしょう。又、しめ縄は蛇を表すように、南方=長江系(長江人のトーテムは蛇)です。海流の関係から集団が流れ着いた可能性もあります。因みに私の先祖は出雲系です。
>縄文時代は交易は活発でしたが移民は??が付きますね。
縄文晩期前半の熊本県上野が原の米2粒検出と大分県大石遺跡の米検出や、岡山県姫笹原のプラントオパールが検出されたことは、明らかに稲作を行う人間が移住してきたためで、弥生の人口増大は農具の普及ではないかと思います。木の鋤だって、金属器が無いと作るのは大変です。
>呉人の主要なY染色体はO2b1であったと考えられる
あるとしたら越がO2b1が主体ではないでしょうか。越はベトナム人の祖先と言われていますが、ベトナムにはO2b1がいます。
感ですが、大陸にO2bがいないのは、O2bが殲滅させられた事件が古い時代だったように思われます。O2bが殲滅させられたのは、O3から見てO2bが異人種だからであって、呉の国の頃はO3とO2bは領主領民の関係でホロコースが起きる理由は少ないと思います。従って呉の国の主体はO2aではないかと..(寒いけど大汗)。
近年、日本固有の先住民族縄文人と朝鮮渡来の弥生人が混血して今の日本人が
形成されたと主張する一方的な見解が科学的な根拠も伴われず特定の人種から
主張去れている様だ。調査して確認してみた所、この諸説の出所は売国教育機関として
ある意味有名な九州大学の中橋、国立博物センターの馬場、筑波大の人類学研究チーム、
吉野ヶ里職員等、所謂弥生人渡来仮説の急先鋒の連中であることが分かる。
彼らは彼ら自身の顔つきがエラが張った朝鮮人に多い系統の顔付きであることが
よほど気に入らないのか、殊更似顔絵などで縄文人をエラが張った毛深い民族
として描き、どう調査しても朝鮮人系の弥生人を面長な一重の人間として
描いているのである。(国立博物館 馬場等)これらは漫画チックな幼稚プロパガンダ
の一種であろうが、これらの煽動工作で勢いを得たと勘違いした国内の
朝鮮人系日本人どもがネット上で仮説をあたかも実証済みの内容であるかのように
吹聴している点について疑問を感じる人々も少なからずいる事だろう。今回の
考察は顔学会等の所謂似非科学とそれに伴った朝鮮人系のプロパガンダに対し、
考察を進めることにする。
縄文人と弥生人の区分は文系の似非学者により、地理学的な移動ルート、化石や
発掘骨、並びに食性の痕跡等、間接的な資料からのみ論じられていることに注意されたい。
これは例えば恐竜の化石が太古の地層から発見されたとして、あの肉食恐竜は
これまで獰猛なハンターとされていたが実は草食に過ぎなかったという”説”がある、
等の言い回しである。この言い回しで勘の鋭い人なら感じるだろうが、この縄目の
土器はこの地層から発掘されたのだから、そして近層にこの骸骨が埋められていることも
見られるから、これは縄文人、そしてこういう生活をしていたのでは、というレベルの
内容であることを理解されたい。即ち、実際にその人種がそのように生活をしていた
と言う確証は全くないにも拘らず、あたかも実態であったかのように”勝手に”
決められ、それらが縄文時代、弥生時代、移動ルート、食性ルート、として
仮説に仮説を上書きする形で一人歩きしているのである。
これらは考古学や
歴史学全般に通じることで、確定的な証拠を土中から掘り起こす化石や遺跡等から
求めることは理論上不可能であると言う点、そして化石骨から人種を特定する
場合においてもボンドで顎や鼻を取替え、遺伝子上では辻褄を合わせたデータを
好き放題に捏造できる点、誰も国立博物館のショーケースをこじ開けてまで
その骨が完全に正しく組み合わせてあるかを確認しようとしない点までを
考慮しなくてはならないからだ。
これらの点を踏まえていけば、古い世代の
歴史教科書を見れば縄文人と弥生人とされる人骨は後者の例では非常に顎が大きく、
エラが張り、鼻筋が低い現代の朝鮮人の頭蓋骨が資料集等で掲載されている
ことを覚えている人もいるだろう。翻って現状では国立博物センターの馬場とか言う
似非学者が”似顔絵”で縄文人の特徴、弥生人の特徴、等と実際に調査もしていない
内容を無責任に垂れ流していることがおぼろげながらに理解できるのではあるまいか。
と言うのは、縄文人がそもそもD2なのかC系なのかさえも現実には確定していない
点も無視されているのである。D2の元はD1に系統を遡るが、これらの内四川のイ族に
至っては常染色体に共通内容がある為か、極めて日本人に形態が近い。
また、知っている人もいるだろうが、彼らは異民族を白イとして農耕奴隷として扱い、
自分たちはその農奴の年貢で生活し、武芸に励んでいるのである。
彼らは
所謂縄文系にありとあらゆる点で酷似しており、尚且つ貴族は黒イであり、
農奴層はO系が多いのである。従って、極めて縄文人と形態的に近い大陸の
縄文亜種が日本列島に渡来を試みた場合、そして先住民が取り分け残すmtDNA
の頻度を比較した場合では、日本本土の朝鮮人系(弥生人)の”雄だけ”が
頻度を減らし、尚且つ彼らは農奴層であったことが透けて見えてくるだろう。
所謂縄文系と言うとアイヌや沖縄で先住民で追いやられている人々なのではと
いうイメージを恐らくは植え付けられているだろうが、本土の日本人男性の半数以上
がD2、つまり縄文系で、2割がO3、所謂漢人系(これが恐らく稲作伝達担当)、
そして残りが劣等の弥生(O2b系)であることが消去法的に導かれることになる。
アイヌや沖縄が示すD2の割合は日本本土、九州、四国の分を合わせれば僅か
数%に満たないにも関わらず、拡大解釈、意図的な歪曲によって、事実を捻じ曲げ
られている現状について再考しなければならないことが分かることだろう。
これらの点を踏まえて考えていけば、所謂戦後から”常識”であった、縄文時代、
弥生時代と言うのは恐竜の食性や移動ルートを探るレベル程度の根拠しかなく、
直接的な確証足り得ないこと、また、現実に雄で分布を本土日本、九州、四国等で
拡大させているのはほぼD2系であり、彼らはその亜族が異民族を隷属させる
習慣を持っている点。そして、大陸側では稲作を行う層は農奴としてD系に
年貢を納める形で奉公する形を取り、一口に奴隷と言ってもその身分はいくつもの
階層に分かれている点は、日本の古代王朝の制度と極めて酷似している点を
無視できないことである。
極めつけはD2の頻度が増加した分、O2bの頻度が雌に比べ2割程度しか存在
しない点である。O2b系の雌は遺伝子を残し、雄は人口比に対して減らしている点
がこうした古代の奴隷王朝制度の現状を表していると言えるだろう。こうした点を
無視して、意図的に弥生人が盲目的に半島から渡ってきて縄文人を奴隷に~
等と抜かしている上記の似非研究機関の連中は、むしろこのような背景を多くの
人々に知られることを恐れ、マスゴミにそっくりな偏向報道を大学等の研究機関名を
逆手にとって、威圧を込めて垂れ流してきているという現状が少しづつでは
あるが理解できるはずである。
先住民が侵入民族のしかも女性と交雑し、そのY染色体”だけ”を侵入民族
よりも増やすと言うことは有り得ない。これらは元々先住民と移住民の定義を
逆にされていた内容がこれまで一方的に垂れ流されてきただけのことである。
ここまで述べれば結論も言わずとも分かるかもしれないが、今回の件もまた、
朝鮮半島系日本人と呼ばれる連中の内、取り分け日本の男の2割から3割を占める
エベンキによく似た朝鮮人系どもの偏向煽動であることが確認されると言うわけだ。
正しい歴史観をこうしたクズどもは破壊し、自分達が嘘を重ねやすい環境を
作ろうとしてくることは既出のことだが、参政権やらTPPを盲目的に推進する
売国奴と合わせてこうした歴史偽造を試みる似非科学者どもも我々は一匹残らず
狩りとって行かなければならないだろう。
Y染色体ハプロタイプの一部名称が変わりました。内容に変化はありませんが、名称が以下の通りかわりました。
今までは
D1←チベット民族
D2←日本人(アイヌ、琉球含む)
D3←チベット民族
D4←フィリピン・マクタン島住民
でしたが、
D1→D1A
D2→D1B
D3→D1C
D4→D2
とISOGG(遺伝的系譜国際学会)により変更になりました。日本人については、なじみ深いD2からD1Bとなりました。※「Wikipedia」では、まだ変更しきれていない部分があります。また、本来は「D1b」と記述しますが、見やすいように「D1B」と記載しています。
ISOGG(遺伝的系譜国際学会)
http://www.isogg.org/tree/
http://www.isogg.org/tree/ISOGG_HapgrpD.html
http://www.isogg.org/tree/ISOGG_HapgrpO.html
本土日本人(大和民族)は「縄文人」と「弥生人」とのほぼ半々の比率の混血民族です。「本土日本人、沖縄県民(琉球民族)」 と 「中国人(漢民族)、韓国人(韓民族)」とはかなり異なります。
↓Y染色体ハプロタイプ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA#Y.E6.9F.93.E8.89.B2.E4.BD.93.EF.BC.88.E7.88.B6.E7.B3.BB.EF.BC.89.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E7.B3.BB.E7.B5.B1.E5.88.86.E6.9E.90
↓2008年、住斉(すみ・ひとし)筑波大名誉教授による「縄文人特有mtDNA」と「弥生人特有mtDNA」による計算結果より
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/imgview/2009/05/24/a542e.jpg.html
(産経新聞より抜粋)
↓★★★「総合研究大学院大学のプレスリリース(2012年11月1日)」日本列島3人類集団の遺伝的近縁性より、まず最後の「図4a、図4b、図5」以外は全て「縄文的要素」だけについて述べられています。(以下のプレスリリースを開き、比較しながら以下の文を読んでみてください)
http://www.soken.ac.jp/news/5276/
「ミトコンドリアDNA(mtDNA)、Y染色体ハプロタイプ、HLA(人白血球型抗原)」の調査結果から、例えば「アイヌ」には「ニヴフ(Nivkh)」の系統が混じっていると、かなり以前から指摘されていました。
【アイヌ】Y染色体(C3)=12%、mtDNA(Y)=21%
【ニヴフ】Y染色体(C3)=43%、mtDNA(Y)=66%
単純計算で「((12÷43×100)+(21÷66×100))÷2 ≒ 30%」となります。但し、「ニヴフ」は「アイヌ」との交流の他、別の民族とも交流があったと見られ、今の構成の「ニヴフ」ではなく、過去はこうであったろうと推定される「ニヴフ」との交流があったという事です。現在より「ニヴフ」の「C3/Y」が高かったと推定されるので、個人的には「20%以下」ではないかと見ています。これは、「プレスリリース」であらためて言われるまでもなく、以前から知られていた事です。
また、
【縄文系】Y染色体=DE系統D、mtDNA=M7a、M10等
【弥生系】Y染色体=NO系統O、mtDNA=Z、N9a等
であり、「本土日本人と沖縄県民」は「縄文」と「弥生」との混血、「縄文」の「DE系統D」は他の東アジア集団には、ほとんど見られないとも指摘されていました。しかし、これらは単なる「マーカ」を調査した結果であり、常染色体そのものを調査した結果ではありません。そこで、常染色体についても調査してみよう、「縄文的要素」という観点で、日本列島3集団、合わせて他の東アジア集団も調査してみようというのが、この「プレスリリース」の主旨です。
「図1a、図3a、図3b」については「横軸(PC1)」が「弥生的要素⇔縄文的要素」を示し、「縦軸(PC2)」が「弥生的及び縄文的要素と相関関係にない他要素」を示します。「図1a」の説明の中に、
・「横軸(PC1)は、左にゆくほどより縄文的要素を、右にゆくほどより弥生的要素を示していると解釈できる」
・「縦軸(PC2)は横軸で説明された分散以外」
とあります。つまり「横軸(PC1)」は、縄文と弥生との差異が分かる要素(主成分)について、分散の度合いが最大になるように「線形代数」を用いて示しているのです。だから「★縄文的要素がどれ位あるか(横軸(PC1))」と「★別の要素がどれ位あるか(縦軸(PC2))」しか分かりません。図3a、図3bは左右は逆ですが、同じ内容を表しています(但し縦軸(PC2)の距離を狭めて他の東アジア集団も図に入るようにしています)。
「図1a、図3a、図3b」は「弥生的要素」内での差異を示すような要素は全く入っていません。あっても縦軸で示されます。つまり韓国人から「縄文的要素」を除けば、中国人(CHB=北京)と同じクラスタにほぼ入ってしまい中国人と全く区別がつかなくなります。これは本土日本人から「縄文的要素」を除いても同じ結果となります。
韓国人の「縄文的要素」は「10%」もないでしょう。「Y染色体ハプロタイプ」からも「mtDNAのM7a」も今のところ「数%」しか検出されません。しかし、比率が少なくても縄文と弥生との差異が大きいので影響も大きいという事も考えられます。よって、
・「図1a、図3a、図3b」の「横軸(PC1)」が「弥生的要素⇔縄文的要素」を示している以上、韓国人にも僅かとはいえ「縄文的要素」が存在する事を示しています(縄文的要素としてのクラスタに含まれる)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F#.E9.81.BA.E4.BC.9D.E5.AD.90.E7.9A.84.E7.B3.BB.E8.AD.9C
・韓国南部の一部地域は、その他の朝鮮半島とは異なったクラスタ構成を持っている。
・日本統治時代の痕跡(D1B、M7aなど)も見られる(同じような痕跡がミクロネシアでも見られる)。
-----【縄文人の正体について】-------------
「東アジアに定住したもっとも早期の現生人類とりわけチベット人集団と日本人集団の共通の起源に関するY染色体上の証拠について(2008年)」
↓英文の論文
http://www.biomedcentral.com/1741-7007/6/45
↓日本語翻訳
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/012_4Y_chromosome_no_kennkyuu.html
----------------------------------------------
「総合研究大学院大学のプレスリリース」の「図4a、図4b」は上記と異なり、「標準遺伝距離を東アジアの29人類集団間で計算し、それらに対して近隣結合法(塩基の置換数による測定)により系統樹を作成した結果」とあります。まず、弥生的系統内における違いは、縄文と弥生との差異と比べると段違いに小さいという事が前提となります。それだけ縄文は他とかけ離れた存在なのです。韓国人から「縄文的要素」を取り除いた「弥生的要素」と、日本人から「縄文的要素」を取り除いた「弥生的要素」が同じであれば、韓国人は「図4a、図4b」の日本列島クラスタの「枝」の途中(根元側に近い位置)に入りますが、入っていないので、韓国人と「弥生人」とは構成が異なる事を示します。韓国人の「縄文的要素」が日本列島クラスタの方向に引っ張っているにも関わらずです。沖縄県民(琉球民族)は「図5」からもわかる通り、弥生系は同じです。「縄文系+本土日本人=琉球民族」と示しているので、中国は(起源を主張するなどは)一言も言えないでしょう。
「弥生的要素」について、韓国人と日本人とで比較対象となる「Y染色体ハプロタイプ」は(C3はここでは除かれます)
・O2B系(O2B*とO2B1)
・03
の2つとなりますが、O2B*とO2B1は同じO2B系であり差異も少ないと考えられるため除外します。そうすると残るのは中国人の「主系統」でもある「O3」です。「O3」は「他O系」と比較しても20000~25000年(ISOGGによる)の隔たりがあり、「他O系」との差異もそれなりに存在すると考えられます。「O3」の比率を調べると、
・中国人:55~66%
・韓国人:45~50%(←「O3」は韓国人の主系統でもある)
・本土日本人:10~16%
となります。一概に上記の比率通りとは限りませんが、今の韓国人の約半分(混血)近くが「中国人の主系統」、これは、朝鮮民族が強く漢民族などの影響(混血)を受けている事を示しており、またこれは「HLA(人白血球型抗原)」による調査結果「朝鮮民族は満州族や中国東北部の漢民族と近い」とも一致します。しかし、韓国南部の一部地域は除外されるかもしれません。
「総合研究大学院大学のプレスリリース」からまとめると、
・「ミトコンドリアDNA、Y染色体ハプロタイプ、HLA」調査結果が「常染色体」にもあてはまる(そのままの値とは限りません)。
・日本人は他の東アジア集団には見られない「縄文的要素の特異性」があらためて確認された(Y染色体ハプロタイプD1Bの事が該当します)。
・「図1a、図3a、図3b」の「横軸(PC1)」が「弥生的要素⇔縄文的要素」を示している以上、韓国人にも僅かとはいえ「縄文的要素」が存在する。
・「図4a、図4b」で韓国人が日本列島クラスタの「枝」から外れていることは、日本人の弥生的要素と韓国人の弥生的要素に違いが存在する事を示す。
【Y染色体ハプロタイプ(日本人)】
・D1A
・D1B1/D1B2←本土縄文人特有★
・D1B*←アイヌ系縄文人特有★
・O1A
・O2A
・O2B*
・O2B1←弥生人特有☆
・O3←弥生人および有史以降の渡来人?☆
・C1←日本固有(徳島県に多い)★
・C3
・N
【ミトコンドリアDNA(mtDNA)(日本人)】
・D
・G
・M7a←縄文人特有★
・M7bc←縄文人特有★
・M8
・M10←縄文人特有★
・M←縄文人特有★
・A
・B
・F
・Z←弥生人特有☆
・N9a←弥生人特有☆
・Y←日本ではアイヌ民族特有
※mtDNAの特有とは、日本特有という意味ではありません。
【参考となる資料等】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D2_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)
【参考となる資料等】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E6%B0%91%E6%97%8F#.E3.83.81.E3.83.99.E3.83.83.E3.83.88.E7.B3.BB.E6.B0.91.E6.97.8F.E3.81.AE.E9.81.BA.E4.BC.9D.E5.AD.90
http://ja.wikipedia.org/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E3%81%AE%E5%88%86%E5%B8%83_(%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2)
-----
【日本3民族 遺伝子上(Y染色体ハプロタイプ)】
----------------------------------------
【 本土日本人 (%は混血比率)】
・DE系統D亜型D1B1/D1B2(約40~45% YAPあり)
・NO系統O亜型O2B1(約20~30%)
・NO系統O亜型O3(約10~16%)
※ 縄文人:D1B1/D1B2
※ 弥生人:O2B1(O3も含む可能性あり)
その他として数%「C1(日本固有)」「N」「C3」「O2B*」検出。
----------------------------------------
【 沖縄県民(琉球民族)(%は混血比率)】
・DE系統D亜型D1B1/D1B2(約50~60% YAPあり)←本土日本人より高い
・NO系統O亜型O2B1(約20%)
・NO系統O亜型O3(約20%)
----------------------------------------
【 アイヌ民族 (%は混血比率)】←★NO系統無し
・DE系統D亜型D1B*(約80% YAPあり)←極めて高い
・DE系統D亜型D1B1(約6% YAPあり)
・CF系統C亜型C3(約10~15%)←【*注】
【*注】オホーツク沿岸民族と推定される系統
----------------------------------------
「本土日本人、沖縄県民(琉球民族)」 と 「中国人(漢民族)、韓国人(韓民族)」とはかなり異なります。
----------------------------------------
【 中国人(漢民族 %は混血比率)】←★DE系統なし
・CF系統C亜型C3 (約 8%)
・NO系統O亜型O1A(約10%)
・NO系統O亜型O2*(約10%)
・NO系統O亜型O2A(約 5%)
・NO系統O亜型O3 (約54%)←★中国人(漢民族)の主系統
※地方差あり
----------------------------------------
【 朝鮮人(韓民族 %は混血比率)】←★DE系統なし
・NO系統O亜型O2B*(約30%)
・NO系統O亜型O3(約45%)←★中国人(漢民族)の系統
・CF系統C亜型C3(約12%)
その他として、数%「D1A」「O1A」「N」「K」「D1B」「O2B1」が検出。
----------------------------------------
朝鮮人は、O2B*とC3の混血をベースに、中国人(漢民族)が大量流入したように見える。「DE系統D亜型D1B1/D1B2」については、韓民族は全く含まれていませんから論外です。「O2B1(弥生人)」と「O2B*(韓民族)」ですが、
==============================================
・O2B*(O-M176*)→ベトナム、満州族、朝鮮民族(47z突然変異なし)
・O2B1(O-47z)→本土日本人、沖縄人(47z突然変異あり)
==============================================
「ISOGG Possible time of origin O-47z→7,870 [95% CI 5,720~12,630] years」 「47z突然変異」は約7870年前(最小5720年~最大12630年前 確率95%)に発生。
,,,,,,,,,,,,,,+----------------------- O2B*
O2B ---+
,,,,,,,,,,,,,+---★------------------ O2B1
,,,,,,,,,,,,,,,, O-47z発生
,,,,,,,,,, (5720~12630年前)
満州族、朝鮮民族、ベトナム民族等の「O2B*」と、弥生人の「O2B1」は、約7870年前に完全に別れ、その後、何ら接触がなかった。もちろん、弥生人は朝鮮半島を経由したのかもしれないし、あるいは中国から直接来たのかもしれない。しかし、経由でも痕跡くらいは残っているはずだが、中国東北部から「O2B1」が全く検出されない為、弥生人は中国本土から直接渡来した可能性がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F#.E9.81.BA.E4.BC.9D.E5.AD.90.E7.9A.84.E7.B3.BB.E8.AD.9C
-----
「Y染色体ハプロタイプ」から「日本民族」の系統を、おおよそでまとめてみると以下の通り。
私たち、現世人類(ホモサピエンス)は、東アフリカの熱帯で誕生(約20万年前)し、約14万年間はそこで暮らしていました。いわば熱帯産まれの熱帯育ちです。そこで、部族間で顔かたちがある程度異なるような多様化をしていたと思われます。 今から70000年~75000年前、インドネシアのスマトラ島にある「トバ火山」で、極めて大きな大噴火が発生し、噴煙が地球を覆って、地球規模の大寒冷化を引き起こしました。アフリカも、深刻な寒冷化、大干ばつが発生し、サピエンスを襲いました。 しかし、これをきっかけとして、今から約6万年前(もう少し早かったのではという説もありますが)に、生まれ故郷であるアフリカの熱帯を後にして、東へ向かったサピエンスが現れました。それが今、アフリカ以外の世界中に広まり、私達の元となった「CF系統」「DE系統」の民族です。(出アフリカを6万年前として以下にまとめてみます)
-----------------------------
・AとBはアフリカに留まりました。
・CF系統から約70000年前(アフリカ内)でCが産まれました(CF系統C)
・CF系統から約45000年前(インドあたり)でFが産まれました(CF系統F)
・DE系統から約68000年前(アフリカ内)でDが産まれました(DE系統D)
・DE系統から約55000年前(中東あたり)でEが産まれました(DE系統E)
-----------------------------
・CF系統C → 後のモンゴル人です(その他の民族もあります)。
・CF系統F → 後のヨーロッパ民族(白人)、東南アジア、中国人、朝鮮人、そして「弥生人」です。
・DE系統D → 後のチベット人、そして「縄文人」です。
・DE系統E → 後に中東、地中海沿岸、アフリカに広まった民族です。
-----------------------------
「DE系統DE」と「DE系統D」は、アフリカを出て東へ向かいましたが、中東付近で「DE系統DE」は留まりました。しかし、「D」は更に、東へと向かい、途中、インド洋のアンダマン諸島に一部を残して、更に東へと向かって、今から4~5万年前に、初めて東アジアに到達しました。東アジアに到達した「D」は、今から3万8千年前に、2つに分かれ、その一方は、日本列島に向かって、今の日本人(大和民族)、アイヌ民族、琉球民族の3民族の元となった民族(D1B、すなわち縄文人)となりました。そしてもう一方は、チベット、ブータンに至った民族(D1AとD1C)となります。さて、中東付近に留まった「DE系統DE」は、こちらも2つに分かれ、新たに産まれた「DE系統E」は中東、アフリカ、ヨーロッパ地中海沿岸(ギリシャ、イタリア、エジプト、その他)へと向かいました。しかし、2つの系統「D」と「E」を産み出した「DE系統DE」は、その後、地球上から消えてしまいます。
★日本人と「チベット民族、そして中東、地中海沿岸民族」とは近縁であるというのは、こういった経緯があるからです。そして、日本列島では、しばらくの間(1万年~2万6千年間)、縄文人(D1B)だけの世界が続きます。
↓ 「wikipedia」を参照して下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D2_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E6%B0%91%E6%97%8F#.E3.83.81.E3.83.99.E3.83.83.E3.83.88.E7.B3.BB.E6.B0.91.E6.97.8F.E3.81.AE.E9.81.BA.E4.BC.9D.E5.AD.90
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C#.E7.8F.BE.E5.9C.A8.E3.81.AE.E5.AD.A6.E8.AA.AC
「DE系統D」と同じ祖を持つ「DE系統E」
http://www.eupedia.com/europe/Haplogroup_E1b1b_Y-DNA.shtml
さて次に、やはり6万年前にアフリカを出て東へ向かった、別の系統「CF系統F」です。「CF系統CF」から「CF系統F」が誕生し、中央アジア(インド付近)に留まります。その後、幾たびかの変遷を経て、東アジアで一般的な「NO系統O」の民族が誕生します。2万年~2万5千年前に「O3」が誕生し、今の中国人(漢民族)となります。また「O2B」も誕生しますが、こちらは今から約7870年前に、2つに分かれ、その一方は、ベトナム人、満州族、韓国人(韓民族)の「O2B*」、もう一方は「弥生人」の「O2B1」となります。 「O2B1」に「O3」も加わって、有史以前の、今から3千年ほど前に日本列島に渡来しました(有史以降の渡来は少数です)。日本列島へ「弥生人(O2B1とO3)」が渡来した後、「縄文人(D1B)」との混血として今の日本人(大和民族)と琉球民族が誕生します。しかし、アイヌ民族は、弥生人と混血する事はありませんでした。
↓「総合研究大学院大学のプレスリリース(2012年11月1日)」
http://www.soken.ac.jp/news/5276/
本土日本人(大和民族)は「縄文人」と「弥生人」とのほぼ半々の比率の混血民族です。それは、「Y染色体ハプロタイプ」から見ても、
また「ミトコンドリアDNA(mtDNA)」から見てもほぼ半々の比率です。つまり男女とも半々の比率であることが分かっています。
↓Y染色体ハプロタイプ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA#Y.E6.9F.93.E8.89.B2.E4.BD.93.EF.BC.88.E7.88.B6.E7.B3.BB.EF.BC.89.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E7.B3.BB.E7.B5.B1.E5.88.86.E6.9E.90
↓2008年、住斉(すみ・ひとし)筑波大名誉教授による「縄文人特有mtDNA」と「弥生人特有mtDNA」による計算結果より
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/imgview/2009/05/24/a542e.jpg.html
(産経新聞より抜粋)
しかし、朝鮮民族は違います。
① 朝鮮民族について、Y染色体ハプロタイプの縄文的要素を示すマーカは殆ど「0(ゼロ)」、若しくはあっても痕跡程度にしか検出されない。
② 「HLA(人白血球型抗原)」による調査結果では、朝鮮民族は満州族や中国東北部の漢民族と近い。
③ 上記①②にもかかわらず「常染色体」については、僅かだが「縄文的要素」が存在する。
④ mtDNAについては、日本人と朝鮮民族は似た点が存在する。
上記4つの連立方程式が成り立つ回答を考えて見て下さい。
・「mtDNA」は今の朝鮮民族の姿を映していない、遥か過去2000年以上前の姿を映している。
・「朝鮮民族」の成り立ちです。ある条件で「Y染色体ハプロタイプ」の縄文的要素を示すマーカは少しずつ消えていきますが、「mtDNA」は殆ど変りません。
縄文人は、1万年~3万年前から日本列島付近(朝鮮半島を含む)に住んでいたのでしょう。また、弥生人は今から約3000年以上前(←これは現在の常識)に、おそらく「日本列島(九州)」と「朝鮮半島(南部)」にほぼ同時期に到着したのでしょう。到来ルートはおそらく中国沿岸ルート。これは、沖縄ルートについては、南琉球を除いては、沖縄本島の琉球民族のDNAについて弥生人が中継していった痕跡が見られない為です。朝鮮半島北部ルートは可能性としてはほとんど無いでしょう。1万年前から、黄河文明、長江文明があった中国です。相当以前から、中国沿海部は、海上進出が盛んであったと考えるべきでしょう。また、フィリピン、その他にも進出しています。対する朝鮮半島については、仮に中国東北部から回って朝鮮南部へ到達したとしても、大陸中央部(山間部)の民族です。この時期(今から3000年前)、海上進出は無理でしょうし、その(海上進出)理由もありません。
弥生人が持ち込んだ「稲」の問題もあります。「稲」の遺伝子パターンが、日本と朝鮮半島では合わず(異なる)、日本と中国とは合致する。そもそも、朝鮮北部は寒すぎて「稲作」に適さない。
日本列島については「縄文人」と「弥生人」の混血となって今に至ったが、朝鮮半島については、その後の中国東北部からの別民族が何度も多数到来が繰り返され(男女の比では、結果的に男の方が多かった=Y染色体ハプロタイプの縄文的要素を示すマーカは殆ど「0(ゼロ)」、しかし「常染色体」については「縄文的要素」が僅かに存在、例えば、戦争で全滅等をした場合、それは兵士(男子)であって、女子、子供は生き残る可能性が高い(根拠となる具体的な証拠はありませんが)。
そのようにして、現在の朝鮮民族(おそらく韓国南部の一部地域はそう言える)が形成されたと考えた方がいいでしょう。韓国南部の一部地域以外の朝鮮半島については、クラスタがかなり異なることからおそらく中国東北部からの移民が大多数でしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F#.E9.81.BA.E4.BC.9D.E5.AD.90.E7.9A.84.E7.B3.BB.E8.AD.9C
-----
結論として、弥生人は、中国沿海ルートで、中国から直接来たというのが、可能性として一番高いという事になるでしょう。
>結論として、弥生人は、中国沿海ルートで、中国から直接来たというのが、可能性として一番高いという事になるでしょう。
同意です。
詳細な情報を有難うございます。
弥生人はo2bであり、中国四川から移動してきたイ族系が古代日本人。それは日本の先住民が今まで渡来扱いされていた弥生という朝鮮半島系人と同等の個体を意味するという証拠は、mtDNAが首都を含めた本州で8割を男女で示すが、Y染色という男以外に持たない遺伝子は西日本でさえも最も頻度が多いのがD2だからだ。従って弥生人が渡来した根拠自体がないのに勝手に決められている様に詭弁を振るうかがこの煽りの単純なトリックであることを見破らなければならない。
非常に単純なことだ、文化的な影響であれば文系の仮説の上書きだけで終わる話だが、人種と言うのは生物の一種であり、それらは科学の研究対象となるためである。ミトコンドリアdnaは男女に受け継がれるがその両者は母親からのみしか伝わらないことは中高生でも知っていることだ。従ってこのような形で知識量の多さだけで誤魔化しを試みるペテン師というものが縄文弥生論とかいう絵空事の正体であることはもはや誰でも分かるレベルだろう。mtDNAが多いほうが先住民という根拠も誰でも知ってる通りだ。ブラジルのような先住民に白人が襲い掛かった地域ではY染色体は白人層のものばかりが全体の多くを占めるが男女問わずmtDNAは先住民のものばかりになることが知られている。それはインドでもそうであり、日本の男系直系先祖のイ族でもそうだ。mtDNAでは別種のdnaが測定されうるのは殺さずに隷属化するためであり、男が死んでも雌だけ残ればそれが増えるだけ。総合政策研究員も福岡出身のペテン師が東京のマス添え宜しく工作を続けているだけのようだがバレバレだということだ。お前たちの陽動工作は学問自体の信用を傷つけていることを安倍と竹中や福岡野郎にも伝えておくことだな。
60年代か70年代初頭と記憶しますが、「日本の人類学」という名の中央公論社の文庫本を持っています。その本の中身は、明治から大正時代、せいぜい昭和初期に行われた調査を元にしたものとなっています。いぶかしく思い、かつ明確に記憶に残っているのが、「畿内の人種は、遺伝的に他の地域の日本人とは異なり、そこだけが朝鮮と極めて近い。」とした内容です。日本近代史上で起こったことは、いわゆる「他民族」の本土への再(さらなる)流入であり、戦後は彼らには「優遇政策」が取られたことは確実ですので、当時と現在は、民族構成が異なることは覚えておくべきととらえます。民族構成は、100年前と、50年前、また現在では随分異なっています。現在の遺伝子調査は、明治以前とも明らかに異なり、帰化系の方もいらっしゃるので、本来の日本人の成り立ちを調べる上では、信頼性において、どうしても弱点が、と思われても仕方がない面がありますね。
崗上虜囚 様、皆様
こんばんは。
ついに、捏造? 洗脳に発展か…?
2ch情報:
◇毎日新聞論説委員・青野由利
「日本人のルーツ…アイヌ民族は琉球人に近い。 本土人はアイヌ民族より韓国人に近いということです 」
▽毎日小学生新聞 2012年11月03日
mainichi.jp/feature/maisho/news/20121103kei00s00s007000c.html
然し、困りました。日本の起源やDNA関連の検索にも影響が…。暫くは新情報を探すの無理かな。(汗)
検索といえば…虜囚様の「天皇の遺伝子」がGoogleに載っていました…おめでとう御座います。
さて、2chの学問板も影響が出て、新情報が出てこなくなりました。罵倒や雑談が増え…。(苦笑)
でも情報が…真偽不明
「原籍・?陽南門趙氏、Y-DNA・O1a1、mt-DNA・B4a4という記述を見かけました。 この江蘇省の江陰趙氏は宋の皇室末裔らしい 」
との書き込みがありました。
支那大陸は ???…ですが判っている事は
モンゴル(チンギス・ハンも)は Y-C3 。
現在主流の Y-O系統は、スンダに Y-NO で入り Y-N と Y-O で北上を始め、支那大陸で Y-O が Y-O1 Y-O2 Y-O3 に分岐したらしい。また、 Y-O系は更なる分岐を各々して…各民族に別れた?(私の推測)。
こんな所でしょうか…。
>ついに、捏造? 洗脳に発展か…?
酒と泪とさんの『これらの嘘・本当?を情弱な人々に勘違いさせる意図が透けて見えます』とご推察どうり、工作活動でしょう。考古学は赤い学者の独壇場だったのですが、DNAや炭素年代のような科学的手法を使う人が現れてから、彼らの言っていたことが悉く覆されてくるようになったのです。しかも覆したのは考古学と関係なかった人達です。
今回のそれは、巻き返しと思われます。東大の権威を使って、DNAの分析しかしらない学者を使ってです。これに考古学の権威がくっ付いて出てきたら、巻き返しと断定です。
>本土人はアイヌ民族より韓国人に近いということです
なにが近いんでしょうかね。X染色体でしょうか。ミトコンドリアでしょうか。Y染色体は?。いずれ反論が出てくるでしょう。毎日小学生変態新聞ねえ。昔、小学生に出会い系を指南していた記事があったような。
『真実の歴史を認識し、国益最優先の外交や日本の核武装の実現を目指』さんのブログにありました。
森忠彦(もりただひこ)はブログを書いているのだが、信じ難いことに「毎日小学生新聞」の話題についてブログ記事を書きながら、その記事の最後の方で「デリヘル」の宣伝をしている。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/46212550.html
前も同じような工作を。本当にしつこい事。
崗上虜囚 様
情報ありがとう御座います。
変態子供新聞の編集長?ですか。
いままでの事からすると…在日ですね?、きっと。
いくら通名を使っても
頭かくして尻隠さず
お里知れてます。
本当に、日本は侵略されている…大汗。
最新情報
日本被験者259人の父系Y染色体(M・F・ハマー 2005)
Y-C1 (M8) 5.4%(日本だけに存在)
Y-C3 (M217) 1.9%(原シベリア・ツングース)
Y-C3a (M93) 1.9%(日本だけに散発的検出)
Y-C3c1 (M86) 1.2%(エヴェンキ・東胡ツングース)
Y-D2 (P37.1) 3.9%(縄文・アイヌ)
Y-D2a (M116.1) 16.7%(本州縄文・沖縄・ミクロネシア)
Y-D2a1 (M125) 12.0%(北回り?縄文系)
Y-D2a1a (P42) 2.3%(変異型?縄文系)
Y-I (P19) 0.4%(原コーカサス)
Y-NO (M214) 2.3%(分岐前の変異型・中国・モンゴル・マレー)
Y-N1 (LLY22g) 1.2%(テュルク系?)
Y-N1c1 N3a (M178) 0.4%(シベリア・北欧テュルク系?)
Y-O2a (M95) 1.9%(Austro-Asiatic・華南・東南アジア・ジャワ・インド)
Y-O2b (SRY465) 0.4%(インドネシア・ベトナム・朝鮮)
Y-O2b* (P49) 7.4%(西インドネシア・ミクロネシア・朝鮮系倭族)
Y-O2b1a (47z) 22.1%(弥生・朝鮮・ベトナム)
Y-O3 (M122) 6.6%(中国・フィリピン・ベトナム・ポリネシア)
Y-O3a3 (LINE1) 3.1%(ミャオ族・ヤオ族・ベトナム・インドネシア)
Y-O3a3c (M134) 10.5%(Sino-Tibetan)
Y-Q1 (P36.2) 0.4%(中央アジア・シベリア・東アジア)
www.isogg.org/tree/index.html
www.springerlink.com/content/p31g0300430k6215/MediaObjects/10038_2005_322_ESM_supp.(ピーデーエフ)
注:Y-O2bは祖系を表し、Y-O2b*は未確定分類を表す。
朝鮮人の父系Y染色体平均値
Y-C3 (M217) 9.3%(原シベリア・バイカル)
Y-D2 (P37.1) 1.3%(縄文・アイヌ)
Y-D2a1 (M125) 2.7%(北回り?縄文系)
Y-N1 (LLY22g) 1.3%(テュルク系?)
Y-N1a (M128) 1.3%(北東アジア・テュルク系?)
Y-O1a (M119) 2.7%(Austro-Tai)
Y-O2 (P31) 2.7%(東南アジア・ヤオ族・朝鮮)
Y-O2b (SRY465) 1.3%(インドネシア・ベトナム・朝鮮)
Y-O2b* (P49) 32.0%(西インドネシア・ミクロネシア・朝鮮系倭族)
Y-O2b1a (47z) 4.0%(弥生人・朝鮮・ベトナム)
Y-O3 (M122) 10.7%(中国・フィリピン・ベトナム・ポリネシア)
Y-O3a3 (LINE1) 9.3%(ミャオ族・ヤオ族・ベトナム・インドネシア)
Y-O3a3c (M134) 20.0%(Sino-Tibetan)
Y-R (M207) 1.3%(西ユーラシア・原アーリア)
参考: エヴェンキの父系Y染色体平均値
Y-C3 (M217) 13.7%(原シベリア・バイカル)
Y-C3c (M86) 54.7%(ツングース諸族共有)
Y-I (P19) 5.3%(原コーカサス)
Y-J (12f2.1) 2.1%(原アラビア? 中央アジア・コーカサス・地中海)
Y-N2 (P43) 2.3%(シベリア・ツングース・トルコ)
Y-N1c1 (N3a) 16.8% (M178) (シベリア・北欧テュルク系?)
Y-Q (P36) 4.2%(シベリア・原インディオ)
Y-R (M207) 1.1%(西ユーラシア・原アーリア)
以上、2ch情報でした。(多分、一次ソースの英文論文を日本語に翻訳し且つまとめた方に…感謝!!)
全く持って、日本人と朝鮮人は赤の他人なのがモロわかり…。
お疲れ様です。
マスコミの意図は韓流ドラマと同じですが、斉藤成也も朝鮮御用学者だったと言うことでしょう。
アイヌ人、本土日本人、琉球人の遺伝的関係については、基本的な点では総合研究大学院のプレスリリース通りと考えます。Y染色体ハプロタイプでは、本土日本人は「DE系統D亜型D2A」と「NO系統O亜型O2B1/O3」とのほぼ半々の混血と結果が出ていますし、この点は、今回、総合研究大学院のプレスリリースで裏付けられたという事が言えます。しかし、総合研究大学院の調査方法では、アイヌ人(D2*)と本土日本人(D2A)の遺伝的違いが判別出来なかったということです。他でも書きましたが、アイヌ人(D2*)は、縄文人(D2A)ではなく、同じ系列(D2亜型)の別集団(C3亜型が入ったのが証拠)と考えます。言語が違うのもそのせいでしょう。琉球(D2A)と似ているのは、本土日本人(D2A)でしょう。(D2*、D2A、C3はY染色体ハプロタイプによる系統亜型を示す。)
アイヌ人(D2*)とは若干の違いはありますが、本土日本人のD2Aに近い系統と言えます。朝鮮人(O2B*)と日本人(O2B1)は、O2Bとしては系統が近いですが、若干異なるので、韓国人=弥生人とはならないでしょう。ここまでは、Y染色体ハプロタイプで説明しましたが、問題はmtDNAです。日本はmtDNAに関しては調べつくしたと思いますが、mtDNAとY染色体の結果が何故異なるのか、東ヨーロッパでも似た現象が発生していますが、現在のところ、原因がわからない点がジレンマとなっています。総合研究大学院の(mtDNAではなく核遺伝子を使用した)調査方法は、mtDNA、Y染色体とはまた別の方法である為、もしかするとより真実に近い結果が得られるかもしれませんが、この方法では、アイヌ人と日本人、琉球人共通の「DE系統D亜型」内の違いと、弥生人と韓国人の「NO系統O亜型」内の違いまでは判別は出来ない欠点があるようです。総合研究大学院のプレスリリースは微妙に正直であると
いえます。一番重要な点はその内容を飛躍して考えないようにした方がいいという事です。例を上げると、弥生人の渡来ルートとして、「朝鮮半島経由」については、現段階では否定できませんが、日本の稲の遺伝子パターン等から、依然として別のルートの可能性も考えられるという事です。一つでも先入観があると飛躍した誤った理解となってしまいます。弥生人渡来時期は、今から2500年~3000年前です。朝鮮の百済とか任那は全く関係ありませんし、魏志倭人伝も関係ありません。なんとか歴史と関連付けようとするのは、まあ理解出来ますが、それは先入観となってしまいます。人間は「収束型」と「分散型」があると考えます。「収束型」は不要な物、根拠のないものを切り捨てる事により真実に近づいていきますが、「分散型」はよけいなものと関連させてわからなくさせてしまいます。
崗上虜囚 様、皆様
こんばんは。
渡来ルートについて さん、御意見を拝聴いたしました。
日本人の起源、まだまだ疑問?だらけですね…私の考えもアッチいったりコッチきたり。(汗)
今の考えは…
第一派は黒潮ルートの C1、沖縄~南九州~四国~紀伊~静岡・伊豆~房総と一気に広がった(3万年前?)。詰まり、C1 先住民説です。 C系とD系の関係深さに捕らわれすぎて…D2も、は勇み足だったようです。
第二派の本州の縄文人は、Gm遺伝子からバイカル湖系D2+C3 と考えていましたが…南下途中の青森県にC3が居ない?が疑問…。そこで、アイヌのC3と本州のC3は別部族かつ別ルートと考えています。
本州のC3は、半島ルート帰化人(百済難民)で青森まで北上しなかった?…九州に多い=庶民系?。 また、アイヌのC3はニヴフ系?で津軽海峡を渡れなかった。(つい最近?考古学的時間で)
詰まり、バイカル湖系D2は、C3から独立したグループ。 D2単体の部族で日本に渡来し南下した。(スッキリ)
北海道に残ったD2は、D2*と変異しアイヌの祖先となり、後にニヴフ文化を伴ったC3が合流。
本州に渡ったD2は南下を続ける途中でD2aに変異した。変異前で東北地方に残ったD2*は、一部が蝦夷の祖先となった?。
つづく
本州D2aは更に南下、C1と平和的な融合(海幸彦・山幸彦の棲み分け)をしつつ琉球まで南下した。然し、八重山諸島に行かず…だからD2がいない?。
縄文前期終わり頃、農耕文化が花開く(山内丸山など)。また、黒曜石交易などから推測し南方ルート交易?で陸稲を手に入れ栽培…6000年前の米プランクオパール。(半農半魚猟)
縄文晩期、陸稲交易ルートより支那の長江人O2b1が難民として、八重山経由の黒潮ルートで北上し北九州?に上陸。
陸稲は、日本で栽培?され始めた6000年前に、朝鮮半島で栽培されている遺跡は無い…朝鮮ルート伝来では無い。(キッパリ)
水稲は、遺伝子解析により長江中流域が原産地(熱帯ジャポニカ)と確定した。また、日本に入った稲遺伝子が半島では全部揃わない事から(欠損した遺伝子あり)…支那大陸北上→遼東文化→朝鮮→九州説は否定された。
更に、水稲の日本伝来時期は、半島北部や遼東文化圏では稲作ができない寒冷地であった事から…半島のO2b*が日本より前の時期に移民しO2b1と分岐し日本に渡来したとも考えられない。
以上から、半島のO2b*と同じ時期、別部族のO2b1が江南から水稲技術と共に日本へ渡来したと考えられる。(スッキリ)
尚、朝鮮の稲作は、北部が遼東由来、南部が江南又は日本由来説が主流になっている。
>>基本的な点では総合研究大学院のプレリリース通りと考えます
→研究の内容が問題なのではないです。
[総合研究大学院大学]
www.soken.ac.jp/news_all/2719.html
問題は、新聞などマスコミの確信犯的なミスリードにあります。
[悪質マスコミ「縄文・弥生混血説裏付け遺伝子解析」の朝鮮大好き報道]
tafu.iza.ne.jp/m/blog/entry/2914130/
(引用)
時事、共同の両社は、「中国大陸から朝鮮半島経由で渡来した弥生人」「朝鮮半島から渡ってきた弥生人」と書いているが、上記のプレリリースでは、「~北東アジアに居住していた人々の一派が日本列島に渡来してきた。」としか書いていない。つまり発表者は、北東アジアに居住していた弥生時代以降の渡来人がどのような経路で日本列島にやって来たかを特定していないのである。おそらくこれは、稲の日本への伝幡がDNA解析によって、「支那大陸の雲南地方→東支那海経由→九州→本州各地」というルートであると判明しているのを踏まえての事であろう。しかし時事、共同の両社は、発表内容を捏造してでも「弥生人が朝鮮半島経由で来た」と主張したいようである。よほど朝鮮半島に思い入れがあるに違いない。
(終了)
この後、半島や在日が『日本は弟だ祭り』になりましたね。(笑)
皆様今晩は。
>本土日本人は「DE系統D亜型D2A」と「NO系統O亜型O2B1/O3」とのほぼ半々の混血と結果が出ていますし
半々の混血と言う言い方は変ですよね。男同士混血は出来ないのですから。ここら辺が意図的だと感じるところです。
>mtDNAとY染色体の結果が何故異なるのか、東ヨーロッパでも似た現象が発生していますが
韓国人と日本人は異父兄弟のようですが、遺伝学者は女性は一種類しかいないとまで言う人もいます。南米の現地男性の遺伝子が白人に淘汰されても、現地女性のmtDNAが残っているように女性は生き抜く力が強いのです。
>弥生人渡来時期は、今から2500年~3000年前です。
それこそ弥生時代ではないので、記事が弥生人というのはおかしいですね。
で、全般的に酒と泪とさんの説に賛成です。
>問題は、新聞などマスコミの確信犯的なミスリードにあります。
私は、あの学者もお仲間と見ていますけどね。
>弥生人渡来時期は、今から2500年~3000年前です。
つまり、BC5~10世紀と云う事で、大陸では周王朝~春秋・戦国時代と云う事でしょう。 然し、従前から日本で「弥生」とされるのは、土器、生活特に住居の変化を画期とした、BC5世紀以降~AC4世紀位までの約千年間を云った筈ですから、虜囚さんの「弥生では無い」と云うご指摘に繋がりますね。
従前の史観は、「弥生時代の延長として現在が有る=我々は弥生人の子孫である」と云う、思いが感じられて居ました。
然し、遺伝子に拠る解明方法と云う新しい検証技術が開発されてその結果が開示されてみると、日本人全体の歴史に占めていた弥生時代自体の意味が薄れつつある様に感じます。
従前の説なら、弥生時代の千年間に約百万人の流入が起こったが、原住民であった縄文人が穏やかな人々で、水耕稲作や製塩法、製鉄等、大陸の高い文化を持った渡来人の渡来を歓迎したから、当初は、特に大きな争いも無かったが、次第に国家が生まれ、支配階層が生まれ、その支配階層同士の争いが倭国大乱に発展した。
と云う流れでした。
私は此の流れの裏には、「日本の支配層の出自は渡来系であった」と云う恣意が隠されている、と看ます。
新たに判った縄文の姿の中にも、支配・被支配の関係を持つ社会の痕跡は見つかって居ませんし、武器も出土して居ないのですから、「戦争」は渡来人が持ち込んだと看ても良いでしょう。
従前の説が建てられたのも、明治期以降の事でしょうから、日本が近代化するにつれての話で、決して、端から古来の文献や証拠がしめされて居たわけではありません。
何が云いたいのかと云えば、戦前にしてもソウですが、「我々は何処から来たのか」と云う日本の歴史の根底部分について恣意的なバイアスが懸っている可能性が高いと云う事です。
何か、非科学の匂いがするのです。
それらの恣意は、爾後の発見や考古学以外の学問の発達による検証によって、嘘と云う結果になって現れています。
例えば、水耕稲作は、明らかに半島経由では有り得ないのは、稲が元来熱帯植物で、水温15℃以下では結実すらしないと云う農業知識と、半島の南部沿岸地方なら判りませんが、殆どの半島の部分は、北緯35~50度の寒冷な大陸と地続の地に在ると云う地理や気象学の知識を用いれば、水稲の伝播経路は、大陸→列島が当然である事が判ります。
亦、半島や中国地方での鉄の産出、精錬の技術の伝播、当時文明を齎す種であった鉄ですから、歴史的な大事件であった筈が、その鉄を巡る争いについての歴史的な解明が全く手付かずなのにも恣意を感じます。
百済・新羅の永年に亘る不仲の原因が、馬韓(百済)が秦による圧政の難民に割譲した半島東部山岳地帯で、楚の難民たちが鉄を掘り出し、その利権を以て勝手に独立、辰(秦)韓=後の新羅と呼ばれる国を建てた事に起因するのは、流れを看て居れば明らかでしょう。
地政学的に半島は、大陸勢力の敗残者の逃亡先=吹き溜まりになり易く、勢い、雑多な民族の混淆状態になり易い。
馬韓=百済も殷の遺民が扶余族や穢族を纏め、北の高句麗の南下侵入を防ぐ為に建てた国であったし、ソウ云う大陸内の争いとは別次元の海からの渡来者の影響として、半島南部の海岸部、及びその後背地に列島勢力の影響が存在したのも寧ろ当然と考えられましょう。
所謂、弁韓や伽耶、後の任那は、半島と列島の間にある海域・島嶼を支配していた海人族集団の国であると考えるべきかと。
海人族は、東シナ海全域の海岸地帯を活動範囲とし、シナ大陸沿岸~古代日本本土~南西・琉球諸島を根城としていたから、分布は広範に亘り、然も、初めは血縁的な集団で在ったものが、活動域が次第に広範囲成るに従い、雑多な民族との交雑が行われ、その血縁的な特徴が次第に薄れて行き、この頃には、同業と云う纏まりになって居たのではないかと思うのです。
大陸からの人の渡来、産品の交易は必ず、この海人族が支配するルートを辿って居た筈ですから、「弥生」の渡来も静かに、平和裏に行われたのでは無く、カナリダイナミックな形が採られたのではないかと思います。
例えば500人程度が一度に流入~定住すれば、唯の侵略行為ですから、原住民との間で戦争に成るでしょう。
然し、流入してきても、原住民にとって従来不要で危うい地を灌漑し、やがて水稲と云う穀物を生産する様になって、その生産物を原住民に分け与えたならば、その数が、原住民の安全を脅かす数で無い限り、黙認するのではないでしょうか。
そうした流入は、BC500年という灼かな画期には限らず、遠く縄文時代の早期から有った筈で、縄文中期~後期にかけての大陸の小寒冷期や長江文明の滅亡期(BC20世紀)にも、多くの流入者が居たと考えられます。
そして、周の衰えが始まったBC700年位から序々に始まって居た大陸の戦火から逃れ来た難民=古代漢民族が弥生土器を持参したと云う事ではなかろうか。
是等の歴史変遷が事実だとすれば困る集団がいて、その理由が、隠されているのではないかと、私は疑っているのです。
ソロ様に感化されて、まだ纏まっていない考えを披露します。前提が長くなります…気長にお待ち下さい。
今まで、敢えて無視をしてきた在日史観のサイトの情報から浮かんだ疑問です。(情報の真偽は不明、裏が取れない)
前提となる、その情報を書き込む前に知っていただきたい情報を先に述べます。
[三日月城通信]さんより
◇Y-DNA分布情報◇
O1 台湾 日本(1%)
O1a タイ=カダイ系 フィリピン
O2a 楚人系?(チワン/タイ/ヴェトナム/インドネシア) 華南(30%) 日本(0%)
O2b* 旧O2b/O2b1 (O-M176,P49) 呉人系? 琉球南部(67%) タイ(6%) ヴェトナム(14%) 中国(0%) 日本(9%) 朝鮮(22%)
O2b1a (O-47z) 弥生人? 日本人に占めるO2b系の75%がO2b1(26%) 朝鮮では25%(8%)
O3 華北中国人(匈奴・鮮卑系?) 華北(66%) 朝鮮(40%) 日本(20%)
※系統名 改定
O2b1(O-P49)/O2b1a(O-47z)→ O2b*(O-M176/SRY465, P49, 022454)/O2b1(O-47z)
※2011 再改定
O2b(O-P49)→O2b
O2b1(M312) (add 2011)
O2b1(O-47z)→O2b1a(O-47z 2011)
O3e(O-M134)→O3a5(2006)→O3a3c(2008)→O3a2c1(2011)
O3e1(O-M117,M133)→O3a5a(2006)→O3a3c1(2008)→O3a2c1a(2011)
O-002611→O3a1c(add 2011)
O-021354→O3a3(add 2008)→O3a2(2011)
序2へ
Oグループは中国で分離したグループだと思われる。
O1グループが最初に南下し、台湾からフィリピンへ移動?。
O2グループは、長江で分離しO2aが長江中流から南下、O2bが長江下流域から日本に渡ったグループだと思われる(3万年前にO*から変化)。
O3は、華北で極端に強いため周・秦・中国北朝系と思われる。詰まり、西戎・匈奴・鮮卑=O3は更に細かいグループに分かれるので、実際には更に詳細な調査をしないとわからない(1万年前にO*から変化、 有史になってからO3c/O3eが産まれた可能性がある)
※O2b1は韓国起源などと書いているサイトがあった。O2bよりサブグループのO2b1の方が起源が古いと言うばらつきがあり、誰かちゃんと研究してくれ…江南稲作民O2b1は、3000年以上前に現れていて、まだ江南に入る可能性が高い。
弥生系O3はO3/O3c/O3eで構成されている様だが、O3が優勢、漢民族系のO3eがやや多く、ミャオ族系のO3cはごくわずかの様です。尚、朝鮮はO3cが比較的多い(13%と言う資料があった)様で、構造が全く違う可能性ある。
O3a-系列のグループ分けだとO3a3(M159)とO3a4(P103)が日本に存在するグループ、O3a1(DYS257/P27.2, M121)とO3a3b(M7)が漢民族に存在するグループ。
序3へ
O1はおそらく、最初に江南に移動したグループで、更に台湾、東南アジアに移動した(追い出された)グループで、日本にはごく少数が渡っている。春秋時代には中国より更に南下していたか少数民族で、孤立していた可能性が高い。楚・呉・越にかなり早い時代に吸収された可能性があるが、巴・蜀とも関係無さそうである。比率としては、O2bの弥生人グループにごく少数混血していた可能性がある程度の数字。呉の系統の可能性は薄くあるが。華北で出てこないとおかしい。
O2aは華南に多く、日本では出てこないグループのため、海沿いに住んでいなかった可能性が高い。また、タイで優勢の為、楚人=タイ系の可能性が高い。楚は、弥生人の移動後に呉・越を支配したのでヴェトナムで多く出てきてもおかしくはない。
O2bとO3はほぼ弥生人と思われるが(アイヌに存在しないため)、稲作を持ってきたのはO2bグループ(その中のO2b1グループが弥生人=倭人)だと思われる。
O3は後から流入した可能性が高い(琉球南部でO3が皆無)韓国にもO2bは居るが、O2b1は少ない。なお、現代中国ではO2bは見られないが、中国をわたってきたとしか考えられない。(しかし客家が不明な為、原漢民族がO3と証明出来ない)
(引用 おわり)
前提1へ
>酒と泪さん
カナリ、煮詰まってきましたね。
日本の遺伝子の多様性から云えば、大陸からの人の流入は、やはり、BC5世紀以前から定常的に有ったと看るべきなんでしょう。
O1はご推察通り、南下した遊牧民に追われて南に戻った古代スンダ人でしょうね、列島への渡来もこの人々が一番古いのかも。
O2aは所謂南蛮族ではないかと、南蛮族=苗、三苗族と思いますが、現代の苗族がO3eで、古代の三苗族の生き残りと思われる呉、若しくは越人が、O2bだと云うのなら、三苗族の殆どは、雲南の地の地に帰らなかったか、中世の弾圧の際に全滅したかですね。
現代の苗族は、その侵略者の血を受け継いでいるのかも、詰まり、母親は苗族だが、父親は漢族の可能性が有る、と云う事でしょうか。
日本に渡来した弥生人の殆どがO3系と云う事ですが、現代の日本人に占める比率は決して多くないのは、渡来人同士の殺し合いが多かったのかも知れませんね。
亦、列島の気象条件の具合での海進・海退現象を主に、台風、噴火、地震、津波、洪水等、天災のオンパレードの列島に在っては、防災設備が全くない時代なら、固まって住んで居ると全滅するので、大陸の様な戦争と云うファクター以外でも、遺伝子の編在が起こり易かったのではないでしょうか。
「我々日本人はどこからきたのか?」と云う問いに答える為には、日本や極東だけでなく、アジア全域で看ないと本当の処は判らないですね、本当に。
唯、半島経由の遺伝子霍乱ファクターである「侵略」は起こって居ないのは明らかです。
大陸の敗残兵や飢饉の難民で構成された半島に、早くから国家的な農業生産が起こり、国家的な纏まりがあった列島を侵略したり、文化的に感化出来る様な勢力は存在せず、逆に、列島へ避難したり、生業を求めて少数が移住して来た可能性は大いにあるでしょう。
日本列島に来た外来人は、その渡来ルートによって類別されるべきと考えると、半島経由の人達は寧ろ少数派で、江南の長江人の方が遥かに多かったと言えるでしょう。
大陸からの逃避先に成り易い半島に棲むモノは、安定で平和な定住を望んでも果たせない歴史を持ち易いのは、世界史にも現れている。
朝鮮族が、他人との連携や国に対する執着心が薄いのは、此の所為なのかと思い至りました。
ガラパゴス情報 (信頼度 ?? 嘘も有る?)
◇日本Y遺伝子 頻度◇
Y-D系統
D1* 0.6%
D2* 4.9%
D2a* 17.2%
D2a1* 5.4%
D2a1a* ND
D2a1a1 ND
D2a1b* 12.2%
D2a1b1 ND
D2a2 ND
D2a3 ND
Y-C系統
C1a 4.0%
C3a 2.9%
Y-N系統
NO* 0.9%
N1c 0.4%
Y-O系統
O1a 1.5%
O2a1 1.6%
O2b* 8.1%
O2b1a 20.5%
O3* 2.2%
O3a1c 5.7%
O3a2* 3.3%
O3a2c1 3.1%
O3a2c1a 4.6%
Y-P系統
P* 0.1%
Y-Q系統
Q1a1 0.1%
◇地域別◇
北海道:C1(-) C3a(6.3) C3c(-) D2(56.3) O1a(-) O2a(6.3) O2b(12.5) O2b1a(6.3) O3(12.5)
※→アイヌではなく北海道…C1(-)が不思議。開拓者にY-C1が居なかった? C3a(6.3)は、非アイヌ系だろうか?※
東北:C1(6.7) C3a(-) C3c(-) {D1(2.2)} D2(35.6) O1a(4.4) O2a(-) O2b(6.7) O2b1a(26.7) O3(11.1)
※→東北の特異点、C3a(-)とD1(2.2)。 C3aは、アイヌのC3* ?、詰まり別部族別ルート? D1は日本海交易による縄文時代移民? O1a(4.4)とO2b(6.7)は坂東武者(帰化人系)の末裔?※
前提2へ
関東:C1(1.5) C3a(2.2) C3c(-) D2(48.2) O1a(2.2) O2a(-) O2b(6.6) O2b1a(24.1) O3(14.6)
※→O1a(2.2)とO2b(6.6)は、帰化人(半島)貴族の末裔?※
中部:C1(4.3) C3a(1.4) C3c(-) D2(34.8) O1a(4.3) O2a(-) O2b(13.0) O2b1a(18.8) O3(21.7)
※→O1a(4.3)とO2b(13.0)は、坂東武者(帰化人系)の末裔?※
近畿:C1(5.9) C3a(7.0) C3c(-) D2(31.4) O1a(-) O2a(-) (O2b・O2b1a)(32.9) O3(17.1)
※→(O2b・O2b1a)(32.9)は、何故分けない? O2b=半島系がいないは、不都合?※
中国地方:C1(-) C3a(-) C3c(-) D2(18.8) O1a(18.8) O2a(-) O2b(12.5) O2b1a(18.8) O3(31.3)
※→本論で考察※
四国:C1(8.9) C3a(2.5) C3c(1.3) D2(25.3) O1a(-) O2a(3.8) O2b(6.3) O2b1a(21.5) O3(24.1)
※→C1(8.9)は流石に黒潮文化圏? C3a(2.5)とC3c(1.3)は半島難民(庶民系)?※
九州:C1(2.4) C3a(6.5) C3c(1.2) D2(28.8) O1a(1.2) O2a(1.2) O2b(22.4) O2b1a(10.6) O3(24.1)
※→流石に大陸からの玄関口、ごちゃ混ぜ…C3系とO2bが多い。※
沖縄:C1(6.8) C3a(1.5) C3c(-) D2(45.1) O1a(0.8) O2a(0.8) O2b(6.0) O2b1a(17.3) O3(18.8)
※→流石に、沖縄は支那江南地方からの玄関口※
本論へ
>海人族は、東シナ海全域の海岸地帯を活動範囲とし、シナ大陸沿岸~古代日本本土~南西・琉球諸島を根城としていた
魏志東夷伝に、済州島の住民は倭人でも馬韓人でないとしていますが、海人族ですかね。
>そして、周の衰えが始まったBC700年位から序々に始まって居た大陸の戦火から逃れ来た難民=古代漢民族が弥生土器を持参したと云う事ではなかろうか。
> 是等の歴史変遷が事実だとすれば困る集団がいて、その理由が、隠されているのではないかと、私は疑っているのです。
只、日本書紀などを見ると、支那を完全に別の国と見ていますね。親近感もないようです。
倭人が鉄を求めて半島に渡ったことは確かですが、その後の推移を見ても倭の方がGDPも大きいし、その分軍事力も大きかったように見えます。戦火を逃れて来た長江人もいる訳ですから。
ここに『たたら製鉄と日本刀』が書かれたサイトがあります、異説だそうですけど。
http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_130.htm
呉越の住民はタイ語に近い言葉を話していたとの情報があります。従って、呉越の時代には、O2b系統は大陸にいなかったのではないかと思います。
私は、弥生時代と言うのは、銅・鉄の金属文化の変革時代と思っています。つまり古代の明治維新です。西欧文明を触れたとたん、あっと言う間に西欧化したが、それ程西欧人が来た訳ではありません。
と言っても半島は近いので、それなりの人の流入は有ったと思いますが、大規模な流入は無かったと思います。人間にもテリトリーが有りますし、集落の規模が大きくなっているところに、大規模の集団が来れば戦争になります。
>C3a(6.3)は、非アイヌ系だろうか?
清朝代にアイヌは結構大陸と交易を行っています。北海道にいるC3はその時のものではないでしょうか。ニヴフはC3a?ですかね。
酒と泪とさん、ミャンマー人のY-DNAを知っていますか。ミャンマー人の性格は日本人に似ていると言います。人間の性格は古代からそれ程変化していないのではないかと思うようになったからですけど。
前置きが長くなりましたが、これから私の疑問を提議します…。(汗)
[日本人のガラパゴス的民族性の起源]のガラパゴス氏の地域詳細 Y-DNA は、元にしているデータのソース開示がありません。(隅から隅まで読んでいませんので…悪しからず)
ガ氏のファンタジー理論を展開するための??とも考えられますが…それにしても、中国地方のデータは他に比べて異常です。(出雲地方だけのデータと考えれば、ある程度納得できますが…)
中国地方全体が平均日本と違う、と考えるには無理があります。 日本の平準化してきた歴史に反し、とても信じられるレベルのデータでない。
もし、これが正しいデータなら…中国地方は別民族の国で日本と違う歴史を歩んだとしか考えられない…驚愕。
では、不思議なデータを見てみましょう。
中国地方の Y-DNA :
C1(-) ※→北海道を除き全国に万弁となく出現するC1なのに…非検出?※
C3a(-) C3c(-) ※→東北などなら可能性はあるが、大陸からの裏口とも言える山陰、玄関の北九州から瀬戸内海ルートで簡単に近畿へ進める山陽と考えると…とても非検出と思えない。※
D2(18.8) ※→雑多な九州より10%も下値の18.8%、此処では縄文系弥生人は虐殺された?※
提議2へ
O1a(18.8) ※→他地域に比べ多すぎ?。大陸直通もしくは半島からの大量移民と考えざるをえないが、歴史(侵略された)は無い。弥生時代に大量移民(征服)は考古学的証拠に反している??※
O2a(-) ※→C3a(-)C3c(-)と同じ。大陸からの裏口とも言える山陰、玄関の北九州から瀬戸内海ルートで簡単に近畿へ進める山陽…とても非検出と思えない。※
O2b(12.5) ※→O1a(18.8)に同じ。半島から大量移民したと考えざるをえないが、記録は無い。弥生時代に大量移民(征服)は考古学的証拠に反している??※
O2b1a(18.8) ※→逆に妥当すぎる数字が、他のY-DNAの数字に比べて不自然だ!?※
O3(31.3) ※→最大グループがO3(31.3)…他の侵略者系Y-DNAグループを全部足すと…O1a18.8 + O2b(12.5) + O3(31.3)=62.6 征服王朝の結果(先住民虐殺)と言える!?※
以上から、真理を求めると…
仮説A:全くのファンタジーで捏造データである。
仮説B:中国地方(日本も?)は半島の植民地だった。
仮説C:データは本物だが中国地方全体でなく、出雲地方だけの狭い範囲で調べたモノ。
真実は、どれ?
仮説A…在日よ、いい加減にしろ!
仮説B…他の事実に反している。証明しなさい!
仮説Cの考察へ(明日?)
仮説C:データは本物だが中国地方全体でなく、出雲地方だけの狭い範囲で調べたモノ。↓
出雲の国は大和民族(=縄文系弥生人+渡来系弥生人)の国ではない。(感覚的に…さもありなんと思う)
出雲といえば…大国主命やヤマタノオロチ伝説など、天孫族や天照大神と別系統の国と考えても不思議ではない。そこには、天叢雲剣(草薙の剣)という鋼鉄剣神話が絡み、「たたら吹き」による刀鍛冶と最先端技術の秘話もありそう…誠に縄文系弥生人どころか渡来系弥生人も吹っ飛び、古代漢民族の国だったとしてもおかしくない…。(大汗)
ガラパゴス氏のデータ 中国地方→ 出雲王朝と考え:
C1(-) C3a(-) D2(18.8) O1a(18.8) O2a(-) O2b(12.5) O2b1a(18.8) O3(31.3)
※1→征服戦争があった証拠が、原住民 C1(-)・C3a(-)・D2(18.8)。 詰まり、C1・C3aは元々の数が少なかったから殲滅された? D2は数が多かったから半数減に留まった?※
※2→先住民 O2b1a(18.8)は中立を保ち虐殺をのがれた? 侵略者O1a(18.8)・O2b(12.5)・O3(31.3)は、<三韓の新羅人の人種割合?>、古代漢民族と云うより半島国家に見える?※
仮説Cが真ならば、考古学・古代支那歴史書・日本の記紀が覆される大発見だ~。
やっぱり嘘だな…。
崗上虜囚 様、皆様
こんにちは。
ニヴフですが…。
北海道のY-DNA調査で注意しないといけない事は、「北海道は徳川時代末期から明治時代に和人の大量移民があった。」事実を考慮するですよね…アイヌ調査と区別が必要。
因みに、アイヌ系=C3cの情報を忘れていました。(汗)
然し、系統のサブグループ分けが進み細かい分岐で民族固定されると、話は簡単なんですが…例えば、C3c1cがニヴフとかになってたら。 と言っても、最近、Y-C3系統の大幅な改訂があったようです。 新情報が浸透しない間は、新旧が入り混じって訳が判らない状態でしょうね…。(大汗)
ミャンマー人のY-DNAデータの報告で、しっかりとしたものが見当たらないですが…ガラパゴス氏の処にありました。但し、インドのビルマ族です。
チベット・ビルマ語族/ インド: C系(1.1) D系(1.2) O*(1.7) O1a(-) O2*(-) O2a(17.1) O2b(-) O2b1a(-) O3(66.3)
ミャンマーは、最近まで学者が立ち入る政治状況でなかったから…此からでしょうか。
2ch情報では、チベット系でD1とD3がいる、D* 詰まりインド→ビルマ→スンダラントと移動した痕跡あり、などの書き込みを見ましたが真偽不明です。また、D系外のY-DNA情報の話は記憶にないな…。
さて、宿題終わった。(ホッ)
>>大陸からの流入は、BC5世紀以前から
…そう思います。縄文時代は交易は活発でしたが移民は??が付きますね。
弥生早期のBC5世紀から、新たなる血脈が導入されたのでしょう。 弥生時代の人口爆発から考え、渡来人は今の時代に多数の子孫を残した筈です。 縄文系を除外して、O2b1とO3系が候補ですが、稲遺伝子から稲作民説のO2b1はほぼ確定。 O3系が同じ時期から渡来していたとしても、人口分布的には不思議でないですね。(私は古墳時代の渡来説ですが)
>>母親は苗族だが、父親は漢族の可能性が有る、と云う事でしょうか
…支那の少数民族のO3系の由来は、どう考えても征服者の血筋としか思えません、私は。(絶滅を防いだ民族の知恵の結果?)
>>台風、噴火、地震、津波、洪水等、天災のオンパレード
…異邦人には逃げ出したくなる日本ですね。 郷に入り郷に従った人々だけが生き残ったのでしょう。
>>「我々日本人はどこからきたのか?」と云う問いに答える為には、アジア全域で看ないと…
…同感です。日本を考察には世界の中の日本を見る…何時の時代も同じですね。
>>半島経由の遺伝子霍乱ファクターである「侵略」は起こって居ないのは明らかです…
今回の考察を先に看破されてしまいました…。(大汗)
>>魏志東夷伝に、済州島の住民は倭人でも馬韓人でないとしていますが、海人族ですかね
私は、海人族と云う括りを倭人の上に位置させて考えておりますので、海人族かと言われたら、「ソウでしょうね」としか答え様が有りません。
但し、済州島の島民が半島民から4・3事件にみられる様に、植民地の異民族の様に扱われて来た事は重要だと思います。
両者間に在る言葉や形成する社会の差異は知りませんが、歴史的に認識が異民族の様に感じます。
現代にも色濃く残る
半島内部の地域間対立は、新羅と百済の争いの結果であろうと思いますが、千年もの昔の事だし、その後の社会の過酷さから云って、表出する、やれ白丁、常民、両班だとの申し立ては名ばかりで実情は殆ど同じ混血民でしょうに。
私は倭と云うのは、国では無く地域の名前だと思っております、即ち、東シナ海沿岸全域と日本海を活動域とし、玄界灘・対馬海峡・朝鮮海峡沿岸及び島嶼が広がる地域を倭と呼び、そこで活躍する海人族を倭人と呼んだのではないかと。
すると、壱岐対馬・五島列島・巨文島、そして済州島民、及び松浦や釜山に棲んだ一部の人々は、当時は、同じDNAを持っている可能性が有りますね。
この後(私の推論なら、AC1世紀以降)には、朝鮮の南部の鉄山の鉄が枯れ始め、代りに出雲の鉄鉱石や吉備の砂鉄が注目される。 この為、大陸からの侵略の危機に備える意味で、神武の東征が行われた。 東征とは言うものの、内実は大陸勢力に対する列島同盟の締結を目的とする「外交」の旅であったと思っています。
東征の最終目的は、新たな本拠地を造り上げ、其処に王として大陸勢力に対抗し得る勢力を指揮する事であったのですから、時間が懸る事も、一度で済むとも思って居なかったと思います。
その結果が、播磨・吉備勢を支持勢力とした河内王朝の誕生で、その影響外にいた日本海側の勢力、石見・出雲・伯耆・丹波、そして越三国との和解がその後の課題であったが、取り敢えず、半島伝いのシナ王朝の侵略の危機は免れるダケ武力的背景を倭同盟は持つ事になったのだと思います。
その時点では、決して日本が朝鮮を経由して大陸に攻めのぼる事など出来なかったのですが、後に倭の五王の時代になっても、倭の五王の誰ひとりとして、半島を攻め上ってシナ王朝に覇を唱えようとしたモノは居なかった。
半島南部の主要部=鉄交易の拠点に古墳を遺す程度で終わって居ます。 飽く迄、渡韓の目的は鉄の利権=製造、交易権の維持・拡大で、国家の支配では無かったと思います。
何故なら、日本が騎馬民族では無く、海戦を得意とする国だった事や、当時の稲作技術では、半島北部の寒冷地帯での稲作は絶望的で、侵略する価値が無いと云う、農耕民国家らしい判定がなされたと云う点で説明が着きます。
朝鮮半島で戦いに勝っても分け与える戦果=米を生産する農地=価値のある領地が無く、秀吉の死後急速に衰退した豊臣氏の例でも此の判断が正しかった事が判ります。
ただし、権益を侵す傾向には敏速に対応して居ます。 五王時代の直前、仲哀帝の御代(199年)に起こった新羅を中心とした国家群の離反の知らせに朝廷は、武内宿禰やその娘である妊娠中の后迄連れて九州へ出兵したが、謀反の首謀者が、神武帝の出自であり、九州の曾族の中心である熊襲族の企みであった事が判った。
帝は先に半島を攻めよとの神示を賜ったが、熊襲征伐を優先した。 帝は熊襲との戦いで、矢を受けて戦死されて終ったので、代りに大きなお腹の后=神功皇后が先頭に立って、半島征伐を行ったと歴史にあります。 此の時、后のおなかの中にいたのが後の応神帝だと謂われて居ます。
日本書紀をベースとする日本の歴史ではこの辺りは、120年の差がある説が並立して居る等、年表的にかなり曖昧になって居ます。
斟酌するに、河内王朝にとって初めての本家の危機ですから、初の海外遠征の上、熊襲鎮定迄加わったのでは、周囲は敵ダラケです。 大軍の援けなしには、全滅も覚悟しなくてはならない情況です、その生死を賭けた緒戦での帝の戦死は、遠征軍士気の上でも大きな脅威だったでしょう。
その後、熊襲や隼人族との120年近くに亘る戦いの中では、時に存続の危機さえあったかもしれず、その為、確かな記録が途切れて居るのではないかと、何せ、日本書紀が書かれたのは、それから500~700年後の8世紀初頭なのですから。
顕かな記録は残って居ないモノの、兎に角、遠征軍は熊襲や隼人を平定・鎮圧して、生き残ったのでしょう。
その後、割と簡単に平定出来たとされる半島南部と三韓征伐は、彼らの背後勢力である熊襲族を永い戦いの末に打ち破ったからではないかと思います。
此の戦いに勝ち残ったからこそ、以後の河内王朝の繁栄が有り、吉備播磨勢を従えた倭の五王の強権体制が完成したのでしょう。
此の熊襲退治の戦いの間、オソラク倭同盟は、半島勢力を抑え込み、彼等の武力的な南下を防ぐと云う重要な役割を担って居ます、河内で仲哀帝の子息2人が、義母神功皇后に対するクーデターを起こしますが、鎮圧されて居ます。
河内王朝の最大の敵と目されていた出雲・丹波勢力が倭族に連なる勢力であった事は、逆に幸いでした。 彼等が河内勢の背後を襲えば、大陸勢力が列島になだれ込む契機ともなりかねかった~です。
それ故、以後の倭族は列島内で王朝に近い存在として取り立てられ、神功皇后の背後勢力にもなって行きますが、息子の応神天皇以降、五世紀の五王の時代に再び、力を得た吉備播磨勢力が丹波・出雲勢力と対立する事になる。
是等の争いに終止符を打ったのが、三族の和=長江渡来人(呉系?)の吉備播磨勢力、倭同盟の出雲・丹波族(越系?)、そして、山岳地帯を縄張りとする古代からの列島原住民勢力の和合として、神功皇后を模した、天照大御神を主たる祭神とし、その頃のオホキミ家を祭祀司とするスメラミコトを司祭とする、後に古神道と呼ばれる祭祀が出来あがった。
神は山の頂付近に居られ、山体そのものが神域とされた。 その境目を示すのが鳥居で、嘗ては、山道の入り口に建てられた。 その神の地、山岳部に棲み神の使いとなるのは、戦いの際に決め手となる高速移動を可能とする「山の道」を熟知した森の民である列島原住民であり、祭祀の儀式も彼らのモノを尊重した。
お互いが奉戴する神を統一し共有する事で対立の根を断ち、三族の和が図られたのであるが、此の和が成って、初めて倭が和に変わり、国名も大和=ヤマト=山戸/山門となった。 ダカラ、倭=日本では無く、三族の和=日本なのである。
大和の目的は、長江時代からの対立相手である呉越の争いに終止符を打つ為だが、勢力的には一番弱い筈の原住民の神や民族をリスペクトする事で、彼等が大陸の過去を全て忘れ、日本列島民として、天照大御神が嘉する民として新生すると云う手段となった。
此処に弥生が終わり、新たな日本人が誕生したのだと思います。
天皇家の系譜は弥生以前からも続いているのですから、弥生の終わりは、新生日本の画期に過ぎませんが、この新生事業は、8世紀の天武帝による、オホキミとスメラミコトの分離=威力分離と「日本」の国名の誕生によって完成します。
崗上虜囚 様、皆様
こんにちは。
mt-DNAについての良サイトを見つけました。報告します。(汗)
※以下は私の見方です…。(大汗)
日本人になった祖先たち - DNAから解明するその多元的構造 篠田謙一 著 @ Kousyoublog
//kousyoublog.jp/?eid=1465
(抜粋)
mt-D系:
日本人で最大。 東アジアでも最大集団。 D4、東アジア東北部を中心に広がる。 D5、支那南部を中心に広がる。
日本 / D4,D5(40%)
※バイカル湖系縄文人(Y-D2)の伴侶 mt-D4,D5?
mt-B系:
日本人の第二集団。 支那南部で、4万年前に分岐。 支那南部・東南アジア・南太平洋・南米に分布。
日本 / B系(13%)
※渡来系江南人(Y-O2a/b/b1)の伴侶 mt-B?
mt-M7系:
a,b,c 3つのサブグループ。 M7は4万年以上前に分岐。 各サブグループは、2.5万年前に、今は海の底の黄海・東支那海で分岐。 M7aは、沖縄から本土へと広がった。
日本(本土) / M7a(7%)
日本(沖縄) / M7a(25%)
※黒潮人(Y-C1)の伴侶 mt-M7a?
mt-A系:
中央アジアから北アジアに広がり、北東シベリアや北中米では多数派。 旧石器時代にシベリアで分岐。 バイカル湖から南下し広がる。 A4、東アジア一帯。 A5、半島から日本へ広がった。
日本 / A4,A5(7%)
※バイカル湖系(Y-C3a)の伴侶 mt-A4,A5?
つづく
mt-G系:
データの蓄積必要。 日本(本土)やアイヌに分布。 中央アジア・カムチャツカ半島・北シベリアの先住民などの北方に多い、南には広がらなかった。
※北方系(Y-O3b/d/e)の伴侶 mt-G?
mt-F系:
東南アジア最大の集団。 支那南部・台湾先住民に分布。 エネルギー効率が北方に不適切。
日本 / F系(5.34%)
※渡来人(Y-O1a)の伴侶 mt-F?
mt-N9系:
N9a,N9b,Yのサブグループ。 北方から日本へ。 N9bは日本だけ。 Yはアイヌや北東シベリアに分布。
※モンゴル系(Y-C3c)の伴侶 mt-N9a? バイカル湖系(Y-C3a)の伴侶 mt-N9b? ニヴフ系(Y-C3c)の伴侶 mt-Y?
mt-M8a系:
漢民族(Y-O3)と同じDNA組成。
日本 / M8a(1.2%)
※漢族(Y-O3)の伴侶 mt-M8a?
mt-C系:
中央アジアから新大陸にかけて分布。
日本 / C系(0.5%)
※インディアン系(Y-Q)の伴侶 mt-C?
mt-Z系:
フィンランド先住民・カムチャツカ先住民・ロシア極北に分布。
日本 / Z系(1.3%)
※バイカル湖系(Y-N)の伴侶 mt-Z?
mt-M10系:
支那北部で分岐。 縄文人遺骨100体(茨城県取手市 中妻遺跡)のmt-DNA。 バイカル湖系のブリヤート人と同じDNA配列で一致。
日本 / M10(1.3%)
チベット / M10(8.0%)
※バイカル湖系縄文人(Y-D2)の伴侶2 mt-M10?
mt-HV系:
近代に欧州系が入った。日本では極少数。
(終)
2chの なかなかな意見…
(抜粋)
O2b*とO2b1の分岐は4000年程度前と推定されている
考古学上、弥生時代は紀元前3世紀(BC.300~201年)中頃の弥生人渡来から始まる
史書では晋書・梁書倭人伝に倭人は呉の太伯の末裔を自称したとあり
呉の滅亡は BC.473年とされる
史書の記述と考古学の見解は概ね一致している
分子人類学上、Y-O2b1が弥生人の主要に比定されるのは、Y-O2系統が長江流域を発祥とするため
呉の建国を始祖伝説上の太伯(BC.12世紀~11世紀)に遡ろうが寿夢(BC.585~561年)に遡ろうが
いずれにせよO2b*とO2b1の分岐は4000年前程度と推定されるので分岐後の話であり
呉人の主要なY染色体はO2b1であったと考えられる
倭人=弥生人は呉(中国華南)出身の民族で出自は朝鮮半島に無関係であり、DNAもそれを裏付けている
南北朝鮮の祖である新羅(辰韓)は秦の苦役から逃れてきた亡命者の国なんだから、朝鮮人と共通点が多いのは漢民族
朝鮮人が保有するY染色体のうち、一番割合が高いのは漢民族のO3
同 真偽不明情報
O3a3c+D1: 漢氏
※日本の漢氏の事か?
今、新たに期待して読んでいるサイト
[クロノ・ダイヴァー]
//app.m-cocolog.jp/t/typecast/677888/53596
失礼しました。
>仮説C:ガラパゴス氏のデータ 中国地方→ 出雲王朝と考え:
>誠に縄文系弥生人どころか渡来系弥生人も吹っ飛び、古代漢民族の国だったとしてもおかしくない…。
出雲王朝は出雲一国に止まるような小さなものではなく、熊野大社や諏訪大社が出雲系であるように全国的です。むしろ天皇系の神社が少ないくらいです。だから国譲りが有ったのでしょう。又、しめ縄は蛇を表すように、南方=長江系(長江人のトーテムは蛇)です。海流の関係から集団が流れ着いた可能性もあります。因みに私の先祖は出雲系です。
>縄文時代は交易は活発でしたが移民は??が付きますね。
縄文晩期前半の熊本県上野が原の米2粒検出と大分県大石遺跡の米検出や、岡山県姫笹原のプラントオパールが検出されたことは、明らかに稲作を行う人間が移住してきたためで、弥生の人口増大は農具の普及ではないかと思います。木の鋤だって、金属器が無いと作るのは大変です。
>呉人の主要なY染色体はO2b1であったと考えられる
あるとしたら越がO2b1が主体ではないでしょうか。越はベトナム人の祖先と言われていますが、ベトナムにはO2b1がいます。
感ですが、大陸にO2bがいないのは、O2bが殲滅させられた事件が古い時代だったように思われます。O2bが殲滅させられたのは、O3から見てO2bが異人種だからであって、呉の国の頃はO3とO2bは領主領民の関係でホロコースが起きる理由は少ないと思います。従って呉の国の主体はO2aではないかと..(寒いけど大汗)。
近年、日本固有の先住民族縄文人と朝鮮渡来の弥生人が混血して今の日本人が
形成されたと主張する一方的な見解が科学的な根拠も伴われず特定の人種から
主張去れている様だ。調査して確認してみた所、この諸説の出所は売国教育機関として
ある意味有名な九州大学の中橋、国立博物センターの馬場、筑波大の人類学研究チーム、
吉野ヶ里職員等、所謂弥生人渡来仮説の急先鋒の連中であることが分かる。
彼らは彼ら自身の顔つきがエラが張った朝鮮人に多い系統の顔付きであることが
よほど気に入らないのか、殊更似顔絵などで縄文人をエラが張った毛深い民族
として描き、どう調査しても朝鮮人系の弥生人を面長な一重の人間として
描いているのである。(国立博物館 馬場等)これらは漫画チックな幼稚プロパガンダ
の一種であろうが、これらの煽動工作で勢いを得たと勘違いした国内の
朝鮮人系日本人どもがネット上で仮説をあたかも実証済みの内容であるかのように
吹聴している点について疑問を感じる人々も少なからずいる事だろう。今回の
考察は顔学会等の所謂似非科学とそれに伴った朝鮮人系のプロパガンダに対し、
考察を進めることにする。
縄文人と弥生人の区分は文系の似非学者により、地理学的な移動ルート、化石や
発掘骨、並びに食性の痕跡等、間接的な資料からのみ論じられていることに注意されたい。
これは例えば恐竜の化石が太古の地層から発見されたとして、あの肉食恐竜は
これまで獰猛なハンターとされていたが実は草食に過ぎなかったという”説”がある、
等の言い回しである。この言い回しで勘の鋭い人なら感じるだろうが、この縄目の
土器はこの地層から発掘されたのだから、そして近層にこの骸骨が埋められていることも
見られるから、これは縄文人、そしてこういう生活をしていたのでは、というレベルの
内容であることを理解されたい。即ち、実際にその人種がそのように生活をしていた
と言う確証は全くないにも拘らず、あたかも実態であったかのように”勝手に”
決められ、それらが縄文時代、弥生時代、移動ルート、食性ルート、として
仮説に仮説を上書きする形で一人歩きしているのである。
これらは考古学や
歴史学全般に通じることで、確定的な証拠を土中から掘り起こす化石や遺跡等から
求めることは理論上不可能であると言う点、そして化石骨から人種を特定する
場合においてもボンドで顎や鼻を取替え、遺伝子上では辻褄を合わせたデータを
好き放題に捏造できる点、誰も国立博物館のショーケースをこじ開けてまで
その骨が完全に正しく組み合わせてあるかを確認しようとしない点までを
考慮しなくてはならないからだ。
これらの点を踏まえていけば、古い世代の
歴史教科書を見れば縄文人と弥生人とされる人骨は後者の例では非常に顎が大きく、
エラが張り、鼻筋が低い現代の朝鮮人の頭蓋骨が資料集等で掲載されている
ことを覚えている人もいるだろう。翻って現状では国立博物センターの馬場とか言う
似非学者が”似顔絵”で縄文人の特徴、弥生人の特徴、等と実際に調査もしていない
内容を無責任に垂れ流していることがおぼろげながらに理解できるのではあるまいか。
と言うのは、縄文人がそもそもD2なのかC系なのかさえも現実には確定していない
点も無視されているのである。D2の元はD1に系統を遡るが、これらの内四川のイ族に
至っては常染色体に共通内容がある為か、極めて日本人に形態が近い。
また、知っている人もいるだろうが、彼らは異民族を白イとして農耕奴隷として扱い、
自分たちはその農奴の年貢で生活し、武芸に励んでいるのである。
彼らは
所謂縄文系にありとあらゆる点で酷似しており、尚且つ貴族は黒イであり、
農奴層はO系が多いのである。従って、極めて縄文人と形態的に近い大陸の
縄文亜種が日本列島に渡来を試みた場合、そして先住民が取り分け残すmtDNA
の頻度を比較した場合では、日本本土の朝鮮人系(弥生人)の”雄だけ”が
頻度を減らし、尚且つ彼らは農奴層であったことが透けて見えてくるだろう。
所謂縄文系と言うとアイヌや沖縄で先住民で追いやられている人々なのではと
いうイメージを恐らくは植え付けられているだろうが、本土の日本人男性の半数以上
がD2、つまり縄文系で、2割がO3、所謂漢人系(これが恐らく稲作伝達担当)、
そして残りが劣等の弥生(O2b系)であることが消去法的に導かれることになる。
アイヌや沖縄が示すD2の割合は日本本土、九州、四国の分を合わせれば僅か
数%に満たないにも関わらず、拡大解釈、意図的な歪曲によって、事実を捻じ曲げ
られている現状について再考しなければならないことが分かることだろう。
これらの点を踏まえて考えていけば、所謂戦後から”常識”であった、縄文時代、
弥生時代と言うのは恐竜の食性や移動ルートを探るレベル程度の根拠しかなく、
直接的な確証足り得ないこと、また、現実に雄で分布を本土日本、九州、四国等で
拡大させているのはほぼD2系であり、彼らはその亜族が異民族を隷属させる
習慣を持っている点。そして、大陸側では稲作を行う層は農奴としてD系に
年貢を納める形で奉公する形を取り、一口に奴隷と言ってもその身分はいくつもの
階層に分かれている点は、日本の古代王朝の制度と極めて酷似している点を
無視できないことである。
極めつけはD2の頻度が増加した分、O2bの頻度が雌に比べ2割程度しか存在
しない点である。O2b系の雌は遺伝子を残し、雄は人口比に対して減らしている点
がこうした古代の奴隷王朝制度の現状を表していると言えるだろう。こうした点を
無視して、意図的に弥生人が盲目的に半島から渡ってきて縄文人を奴隷に~
等と抜かしている上記の似非研究機関の連中は、むしろこのような背景を多くの
人々に知られることを恐れ、マスゴミにそっくりな偏向報道を大学等の研究機関名を
逆手にとって、威圧を込めて垂れ流してきているという現状が少しづつでは
あるが理解できるはずである。
先住民が侵入民族のしかも女性と交雑し、そのY染色体”だけ”を侵入民族
よりも増やすと言うことは有り得ない。これらは元々先住民と移住民の定義を
逆にされていた内容がこれまで一方的に垂れ流されてきただけのことである。
ここまで述べれば結論も言わずとも分かるかもしれないが、今回の件もまた、
朝鮮半島系日本人と呼ばれる連中の内、取り分け日本の男の2割から3割を占める
エベンキによく似た朝鮮人系どもの偏向煽動であることが確認されると言うわけだ。
正しい歴史観をこうしたクズどもは破壊し、自分達が嘘を重ねやすい環境を
作ろうとしてくることは既出のことだが、参政権やらTPPを盲目的に推進する
売国奴と合わせてこうした歴史偽造を試みる似非科学者どもも我々は一匹残らず
狩りとって行かなければならないだろう。
Y染色体ハプロタイプの一部名称が変わりました。内容に変化はありませんが、名称が以下の通りかわりました。
今までは
D1←チベット民族
D2←日本人(アイヌ、琉球含む)
D3←チベット民族
D4←フィリピン・マクタン島住民
でしたが、
D1→D1A
D2→D1B
D3→D1C
D4→D2
とISOGG(遺伝的系譜国際学会)により変更になりました。日本人については、なじみ深いD2からD1Bとなりました。※「Wikipedia」では、まだ変更しきれていない部分があります。また、本来は「D1b」と記述しますが、見やすいように「D1B」と記載しています。
ISOGG(遺伝的系譜国際学会)
http://www.isogg.org/tree/
http://www.isogg.org/tree/ISOGG_HapgrpD.html
http://www.isogg.org/tree/ISOGG_HapgrpO.html
本土日本人(大和民族)は「縄文人」と「弥生人」とのほぼ半々の比率の混血民族です。「本土日本人、沖縄県民(琉球民族)」 と 「中国人(漢民族)、韓国人(韓民族)」とはかなり異なります。
↓Y染色体ハプロタイプ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA#Y.E6.9F.93.E8.89.B2.E4.BD.93.EF.BC.88.E7.88.B6.E7.B3.BB.EF.BC.89.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E7.B3.BB.E7.B5.B1.E5.88.86.E6.9E.90
↓2008年、住斉(すみ・ひとし)筑波大名誉教授による「縄文人特有mtDNA」と「弥生人特有mtDNA」による計算結果より
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/imgview/2009/05/24/a542e.jpg.html
(産経新聞より抜粋)
↓★★★「総合研究大学院大学のプレスリリース(2012年11月1日)」日本列島3人類集団の遺伝的近縁性より、まず最後の「図4a、図4b、図5」以外は全て「縄文的要素」だけについて述べられています。(以下のプレスリリースを開き、比較しながら以下の文を読んでみてください)
http://www.soken.ac.jp/news/5276/
「ミトコンドリアDNA(mtDNA)、Y染色体ハプロタイプ、HLA(人白血球型抗原)」の調査結果から、例えば「アイヌ」には「ニヴフ(Nivkh)」の系統が混じっていると、かなり以前から指摘されていました。
【アイヌ】Y染色体(C3)=12%、mtDNA(Y)=21%
【ニヴフ】Y染色体(C3)=43%、mtDNA(Y)=66%
単純計算で「((12÷43×100)+(21÷66×100))÷2 ≒ 30%」となります。但し、「ニヴフ」は「アイヌ」との交流の他、別の民族とも交流があったと見られ、今の構成の「ニヴフ」ではなく、過去はこうであったろうと推定される「ニヴフ」との交流があったという事です。現在より「ニヴフ」の「C3/Y」が高かったと推定されるので、個人的には「20%以下」ではないかと見ています。これは、「プレスリリース」であらためて言われるまでもなく、以前から知られていた事です。
また、
【縄文系】Y染色体=DE系統D、mtDNA=M7a、M10等
【弥生系】Y染色体=NO系統O、mtDNA=Z、N9a等
であり、「本土日本人と沖縄県民」は「縄文」と「弥生」との混血、「縄文」の「DE系統D」は他の東アジア集団には、ほとんど見られないとも指摘されていました。しかし、これらは単なる「マーカ」を調査した結果であり、常染色体そのものを調査した結果ではありません。そこで、常染色体についても調査してみよう、「縄文的要素」という観点で、日本列島3集団、合わせて他の東アジア集団も調査してみようというのが、この「プレスリリース」の主旨です。
「図1a、図3a、図3b」については「横軸(PC1)」が「弥生的要素⇔縄文的要素」を示し、「縦軸(PC2)」が「弥生的及び縄文的要素と相関関係にない他要素」を示します。「図1a」の説明の中に、
・「横軸(PC1)は、左にゆくほどより縄文的要素を、右にゆくほどより弥生的要素を示していると解釈できる」
・「縦軸(PC2)は横軸で説明された分散以外」
とあります。つまり「横軸(PC1)」は、縄文と弥生との差異が分かる要素(主成分)について、分散の度合いが最大になるように「線形代数」を用いて示しているのです。だから「★縄文的要素がどれ位あるか(横軸(PC1))」と「★別の要素がどれ位あるか(縦軸(PC2))」しか分かりません。図3a、図3bは左右は逆ですが、同じ内容を表しています(但し縦軸(PC2)の距離を狭めて他の東アジア集団も図に入るようにしています)。
「図1a、図3a、図3b」は「弥生的要素」内での差異を示すような要素は全く入っていません。あっても縦軸で示されます。つまり韓国人から「縄文的要素」を除けば、中国人(CHB=北京)と同じクラスタにほぼ入ってしまい中国人と全く区別がつかなくなります。これは本土日本人から「縄文的要素」を除いても同じ結果となります。
韓国人の「縄文的要素」は「10%」もないでしょう。「Y染色体ハプロタイプ」からも「mtDNAのM7a」も今のところ「数%」しか検出されません。しかし、比率が少なくても縄文と弥生との差異が大きいので影響も大きいという事も考えられます。よって、
・「図1a、図3a、図3b」の「横軸(PC1)」が「弥生的要素⇔縄文的要素」を示している以上、韓国人にも僅かとはいえ「縄文的要素」が存在する事を示しています(縄文的要素としてのクラスタに含まれる)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F#.E9.81.BA.E4.BC.9D.E5.AD.90.E7.9A.84.E7.B3.BB.E8.AD.9C
・韓国南部の一部地域は、その他の朝鮮半島とは異なったクラスタ構成を持っている。
・日本統治時代の痕跡(D1B、M7aなど)も見られる(同じような痕跡がミクロネシアでも見られる)。
-----【縄文人の正体について】-------------
「東アジアに定住したもっとも早期の現生人類とりわけチベット人集団と日本人集団の共通の起源に関するY染色体上の証拠について(2008年)」
↓英文の論文
http://www.biomedcentral.com/1741-7007/6/45
↓日本語翻訳
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/012_4Y_chromosome_no_kennkyuu.html
----------------------------------------------
「総合研究大学院大学のプレスリリース」の「図4a、図4b」は上記と異なり、「標準遺伝距離を東アジアの29人類集団間で計算し、それらに対して近隣結合法(塩基の置換数による測定)により系統樹を作成した結果」とあります。まず、弥生的系統内における違いは、縄文と弥生との差異と比べると段違いに小さいという事が前提となります。それだけ縄文は他とかけ離れた存在なのです。韓国人から「縄文的要素」を取り除いた「弥生的要素」と、日本人から「縄文的要素」を取り除いた「弥生的要素」が同じであれば、韓国人は「図4a、図4b」の日本列島クラスタの「枝」の途中(根元側に近い位置)に入りますが、入っていないので、韓国人と「弥生人」とは構成が異なる事を示します。韓国人の「縄文的要素」が日本列島クラスタの方向に引っ張っているにも関わらずです。沖縄県民(琉球民族)は「図5」からもわかる通り、弥生系は同じです。「縄文系+本土日本人=琉球民族」と示しているので、中国は(起源を主張するなどは)一言も言えないでしょう。
「弥生的要素」について、韓国人と日本人とで比較対象となる「Y染色体ハプロタイプ」は(C3はここでは除かれます)
・O2B系(O2B*とO2B1)
・03
の2つとなりますが、O2B*とO2B1は同じO2B系であり差異も少ないと考えられるため除外します。そうすると残るのは中国人の「主系統」でもある「O3」です。「O3」は「他O系」と比較しても20000~25000年(ISOGGによる)の隔たりがあり、「他O系」との差異もそれなりに存在すると考えられます。「O3」の比率を調べると、
・中国人:55~66%
・韓国人:45~50%(←「O3」は韓国人の主系統でもある)
・本土日本人:10~16%
となります。一概に上記の比率通りとは限りませんが、今の韓国人の約半分(混血)近くが「中国人の主系統」、これは、朝鮮民族が強く漢民族などの影響(混血)を受けている事を示しており、またこれは「HLA(人白血球型抗原)」による調査結果「朝鮮民族は満州族や中国東北部の漢民族と近い」とも一致します。しかし、韓国南部の一部地域は除外されるかもしれません。
「総合研究大学院大学のプレスリリース」からまとめると、
・「ミトコンドリアDNA、Y染色体ハプロタイプ、HLA」調査結果が「常染色体」にもあてはまる(そのままの値とは限りません)。
・日本人は他の東アジア集団には見られない「縄文的要素の特異性」があらためて確認された(Y染色体ハプロタイプD1Bの事が該当します)。
・「図1a、図3a、図3b」の「横軸(PC1)」が「弥生的要素⇔縄文的要素」を示している以上、韓国人にも僅かとはいえ「縄文的要素」が存在する。
・「図4a、図4b」で韓国人が日本列島クラスタの「枝」から外れていることは、日本人の弥生的要素と韓国人の弥生的要素に違いが存在する事を示す。
【Y染色体ハプロタイプ(日本人)】
・D1A
・D1B1/D1B2←本土縄文人特有★
・D1B*←アイヌ系縄文人特有★
・O1A
・O2A
・O2B*
・O2B1←弥生人特有☆
・O3←弥生人および有史以降の渡来人?☆
・C1←日本固有(徳島県に多い)★
・C3
・N
【ミトコンドリアDNA(mtDNA)(日本人)】
・D
・G
・M7a←縄文人特有★
・M7bc←縄文人特有★
・M8
・M10←縄文人特有★
・M←縄文人特有★
・A
・B
・F
・Z←弥生人特有☆
・N9a←弥生人特有☆
・Y←日本ではアイヌ民族特有
※mtDNAの特有とは、日本特有という意味ではありません。
【参考となる資料等】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D2_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)
【参考となる資料等】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E6%B0%91%E6%97%8F#.E3.83.81.E3.83.99.E3.83.83.E3.83.88.E7.B3.BB.E6.B0.91.E6.97.8F.E3.81.AE.E9.81.BA.E4.BC.9D.E5.AD.90
http://ja.wikipedia.org/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E3%81%AE%E5%88%86%E5%B8%83_(%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2)
-----
【日本3民族 遺伝子上(Y染色体ハプロタイプ)】
----------------------------------------
【 本土日本人 (%は混血比率)】
・DE系統D亜型D1B1/D1B2(約40~45% YAPあり)
・NO系統O亜型O2B1(約20~30%)
・NO系統O亜型O3(約10~16%)
※ 縄文人:D1B1/D1B2
※ 弥生人:O2B1(O3も含む可能性あり)
その他として数%「C1(日本固有)」「N」「C3」「O2B*」検出。
----------------------------------------
【 沖縄県民(琉球民族)(%は混血比率)】
・DE系統D亜型D1B1/D1B2(約50~60% YAPあり)←本土日本人より高い
・NO系統O亜型O2B1(約20%)
・NO系統O亜型O3(約20%)
----------------------------------------
【 アイヌ民族 (%は混血比率)】←★NO系統無し
・DE系統D亜型D1B*(約80% YAPあり)←極めて高い
・DE系統D亜型D1B1(約6% YAPあり)
・CF系統C亜型C3(約10~15%)←【*注】
【*注】オホーツク沿岸民族と推定される系統
----------------------------------------
「本土日本人、沖縄県民(琉球民族)」 と 「中国人(漢民族)、韓国人(韓民族)」とはかなり異なります。
----------------------------------------
【 中国人(漢民族 %は混血比率)】←★DE系統なし
・CF系統C亜型C3 (約 8%)
・NO系統O亜型O1A(約10%)
・NO系統O亜型O2*(約10%)
・NO系統O亜型O2A(約 5%)
・NO系統O亜型O3 (約54%)←★中国人(漢民族)の主系統
※地方差あり
----------------------------------------
【 朝鮮人(韓民族 %は混血比率)】←★DE系統なし
・NO系統O亜型O2B*(約30%)
・NO系統O亜型O3(約45%)←★中国人(漢民族)の系統
・CF系統C亜型C3(約12%)
その他として、数%「D1A」「O1A」「N」「K」「D1B」「O2B1」が検出。
----------------------------------------
朝鮮人は、O2B*とC3の混血をベースに、中国人(漢民族)が大量流入したように見える。「DE系統D亜型D1B1/D1B2」については、韓民族は全く含まれていませんから論外です。「O2B1(弥生人)」と「O2B*(韓民族)」ですが、
==============================================
・O2B*(O-M176*)→ベトナム、満州族、朝鮮民族(47z突然変異なし)
・O2B1(O-47z)→本土日本人、沖縄人(47z突然変異あり)
==============================================
「ISOGG Possible time of origin O-47z→7,870 [95% CI 5,720~12,630] years」 「47z突然変異」は約7870年前(最小5720年~最大12630年前 確率95%)に発生。
,,,,,,,,,,,,,,+----------------------- O2B*
O2B ---+
,,,,,,,,,,,,,+---★------------------ O2B1
,,,,,,,,,,,,,,,, O-47z発生
,,,,,,,,,, (5720~12630年前)
満州族、朝鮮民族、ベトナム民族等の「O2B*」と、弥生人の「O2B1」は、約7870年前に完全に別れ、その後、何ら接触がなかった。もちろん、弥生人は朝鮮半島を経由したのかもしれないし、あるいは中国から直接来たのかもしれない。しかし、経由でも痕跡くらいは残っているはずだが、中国東北部から「O2B1」が全く検出されない為、弥生人は中国本土から直接渡来した可能性がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F#.E9.81.BA.E4.BC.9D.E5.AD.90.E7.9A.84.E7.B3.BB.E8.AD.9C
-----
「Y染色体ハプロタイプ」から「日本民族」の系統を、おおよそでまとめてみると以下の通り。
私たち、現世人類(ホモサピエンス)は、東アフリカの熱帯で誕生(約20万年前)し、約14万年間はそこで暮らしていました。いわば熱帯産まれの熱帯育ちです。そこで、部族間で顔かたちがある程度異なるような多様化をしていたと思われます。 今から70000年~75000年前、インドネシアのスマトラ島にある「トバ火山」で、極めて大きな大噴火が発生し、噴煙が地球を覆って、地球規模の大寒冷化を引き起こしました。アフリカも、深刻な寒冷化、大干ばつが発生し、サピエンスを襲いました。 しかし、これをきっかけとして、今から約6万年前(もう少し早かったのではという説もありますが)に、生まれ故郷であるアフリカの熱帯を後にして、東へ向かったサピエンスが現れました。それが今、アフリカ以外の世界中に広まり、私達の元となった「CF系統」「DE系統」の民族です。(出アフリカを6万年前として以下にまとめてみます)
-----------------------------
・AとBはアフリカに留まりました。
・CF系統から約70000年前(アフリカ内)でCが産まれました(CF系統C)
・CF系統から約45000年前(インドあたり)でFが産まれました(CF系統F)
・DE系統から約68000年前(アフリカ内)でDが産まれました(DE系統D)
・DE系統から約55000年前(中東あたり)でEが産まれました(DE系統E)
-----------------------------
・CF系統C → 後のモンゴル人です(その他の民族もあります)。
・CF系統F → 後のヨーロッパ民族(白人)、東南アジア、中国人、朝鮮人、そして「弥生人」です。
・DE系統D → 後のチベット人、そして「縄文人」です。
・DE系統E → 後に中東、地中海沿岸、アフリカに広まった民族です。
-----------------------------
「DE系統DE」と「DE系統D」は、アフリカを出て東へ向かいましたが、中東付近で「DE系統DE」は留まりました。しかし、「D」は更に、東へと向かい、途中、インド洋のアンダマン諸島に一部を残して、更に東へと向かって、今から4~5万年前に、初めて東アジアに到達しました。東アジアに到達した「D」は、今から3万8千年前に、2つに分かれ、その一方は、日本列島に向かって、今の日本人(大和民族)、アイヌ民族、琉球民族の3民族の元となった民族(D1B、すなわち縄文人)となりました。そしてもう一方は、チベット、ブータンに至った民族(D1AとD1C)となります。さて、中東付近に留まった「DE系統DE」は、こちらも2つに分かれ、新たに産まれた「DE系統E」は中東、アフリカ、ヨーロッパ地中海沿岸(ギリシャ、イタリア、エジプト、その他)へと向かいました。しかし、2つの系統「D」と「E」を産み出した「DE系統DE」は、その後、地球上から消えてしまいます。
★日本人と「チベット民族、そして中東、地中海沿岸民族」とは近縁であるというのは、こういった経緯があるからです。そして、日本列島では、しばらくの間(1万年~2万6千年間)、縄文人(D1B)だけの世界が続きます。
↓ 「wikipedia」を参照して下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D2_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E6%B0%91%E6%97%8F#.E3.83.81.E3.83.99.E3.83.83.E3.83.88.E7.B3.BB.E6.B0.91.E6.97.8F.E3.81.AE.E9.81.BA.E4.BC.9D.E5.AD.90
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C#.E7.8F.BE.E5.9C.A8.E3.81.AE.E5.AD.A6.E8.AA.AC
「DE系統D」と同じ祖を持つ「DE系統E」
http://www.eupedia.com/europe/Haplogroup_E1b1b_Y-DNA.shtml
さて次に、やはり6万年前にアフリカを出て東へ向かった、別の系統「CF系統F」です。「CF系統CF」から「CF系統F」が誕生し、中央アジア(インド付近)に留まります。その後、幾たびかの変遷を経て、東アジアで一般的な「NO系統O」の民族が誕生します。2万年~2万5千年前に「O3」が誕生し、今の中国人(漢民族)となります。また「O2B」も誕生しますが、こちらは今から約7870年前に、2つに分かれ、その一方は、ベトナム人、満州族、韓国人(韓民族)の「O2B*」、もう一方は「弥生人」の「O2B1」となります。 「O2B1」に「O3」も加わって、有史以前の、今から3千年ほど前に日本列島に渡来しました(有史以降の渡来は少数です)。日本列島へ「弥生人(O2B1とO3)」が渡来した後、「縄文人(D1B)」との混血として今の日本人(大和民族)と琉球民族が誕生します。しかし、アイヌ民族は、弥生人と混血する事はありませんでした。
↓「総合研究大学院大学のプレスリリース(2012年11月1日)」
http://www.soken.ac.jp/news/5276/
本土日本人(大和民族)は「縄文人」と「弥生人」とのほぼ半々の比率の混血民族です。それは、「Y染色体ハプロタイプ」から見ても、
また「ミトコンドリアDNA(mtDNA)」から見てもほぼ半々の比率です。つまり男女とも半々の比率であることが分かっています。
↓Y染色体ハプロタイプ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA#Y.E6.9F.93.E8.89.B2.E4.BD.93.EF.BC.88.E7.88.B6.E7.B3.BB.EF.BC.89.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E7.B3.BB.E7.B5.B1.E5.88.86.E6.9E.90
↓2008年、住斉(すみ・ひとし)筑波大名誉教授による「縄文人特有mtDNA」と「弥生人特有mtDNA」による計算結果より
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/imgview/2009/05/24/a542e.jpg.html
(産経新聞より抜粋)
しかし、朝鮮民族は違います。
① 朝鮮民族について、Y染色体ハプロタイプの縄文的要素を示すマーカは殆ど「0(ゼロ)」、若しくはあっても痕跡程度にしか検出されない。
② 「HLA(人白血球型抗原)」による調査結果では、朝鮮民族は満州族や中国東北部の漢民族と近い。
③ 上記①②にもかかわらず「常染色体」については、僅かだが「縄文的要素」が存在する。
④ mtDNAについては、日本人と朝鮮民族は似た点が存在する。
上記4つの連立方程式が成り立つ回答を考えて見て下さい。
・「mtDNA」は今の朝鮮民族の姿を映していない、遥か過去2000年以上前の姿を映している。
・「朝鮮民族」の成り立ちです。ある条件で「Y染色体ハプロタイプ」の縄文的要素を示すマーカは少しずつ消えていきますが、「mtDNA」は殆ど変りません。
縄文人は、1万年~3万年前から日本列島付近(朝鮮半島を含む)に住んでいたのでしょう。また、弥生人は今から約3000年以上前(←これは現在の常識)に、おそらく「日本列島(九州)」と「朝鮮半島(南部)」にほぼ同時期に到着したのでしょう。到来ルートはおそらく中国沿岸ルート。これは、沖縄ルートについては、南琉球を除いては、沖縄本島の琉球民族のDNAについて弥生人が中継していった痕跡が見られない為です。朝鮮半島北部ルートは可能性としてはほとんど無いでしょう。1万年前から、黄河文明、長江文明があった中国です。相当以前から、中国沿海部は、海上進出が盛んであったと考えるべきでしょう。また、フィリピン、その他にも進出しています。対する朝鮮半島については、仮に中国東北部から回って朝鮮南部へ到達したとしても、大陸中央部(山間部)の民族です。この時期(今から3000年前)、海上進出は無理でしょうし、その(海上進出)理由もありません。
弥生人が持ち込んだ「稲」の問題もあります。「稲」の遺伝子パターンが、日本と朝鮮半島では合わず(異なる)、日本と中国とは合致する。そもそも、朝鮮北部は寒すぎて「稲作」に適さない。
日本列島については「縄文人」と「弥生人」の混血となって今に至ったが、朝鮮半島については、その後の中国東北部からの別民族が何度も多数到来が繰り返され(男女の比では、結果的に男の方が多かった=Y染色体ハプロタイプの縄文的要素を示すマーカは殆ど「0(ゼロ)」、しかし「常染色体」については「縄文的要素」が僅かに存在、例えば、戦争で全滅等をした場合、それは兵士(男子)であって、女子、子供は生き残る可能性が高い(根拠となる具体的な証拠はありませんが)。
そのようにして、現在の朝鮮民族(おそらく韓国南部の一部地域はそう言える)が形成されたと考えた方がいいでしょう。韓国南部の一部地域以外の朝鮮半島については、クラスタがかなり異なることからおそらく中国東北部からの移民が大多数でしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F#.E9.81.BA.E4.BC.9D.E5.AD.90.E7.9A.84.E7.B3.BB.E8.AD.9C
-----
結論として、弥生人は、中国沿海ルートで、中国から直接来たというのが、可能性として一番高いという事になるでしょう。
>結論として、弥生人は、中国沿海ルートで、中国から直接来たというのが、可能性として一番高いという事になるでしょう。
同意です。
詳細な情報を有難うございます。
弥生人はo2bであり、中国四川から移動してきたイ族系が古代日本人。それは日本の先住民が今まで渡来扱いされていた弥生という朝鮮半島系人と同等の個体を意味するという証拠は、mtDNAが首都を含めた本州で8割を男女で示すが、Y染色という男以外に持たない遺伝子は西日本でさえも最も頻度が多いのがD2だからだ。従って弥生人が渡来した根拠自体がないのに勝手に決められている様に詭弁を振るうかがこの煽りの単純なトリックであることを見破らなければならない。
非常に単純なことだ、文化的な影響であれば文系の仮説の上書きだけで終わる話だが、人種と言うのは生物の一種であり、それらは科学の研究対象となるためである。ミトコンドリアdnaは男女に受け継がれるがその両者は母親からのみしか伝わらないことは中高生でも知っていることだ。従ってこのような形で知識量の多さだけで誤魔化しを試みるペテン師というものが縄文弥生論とかいう絵空事の正体であることはもはや誰でも分かるレベルだろう。mtDNAが多いほうが先住民という根拠も誰でも知ってる通りだ。ブラジルのような先住民に白人が襲い掛かった地域ではY染色体は白人層のものばかりが全体の多くを占めるが男女問わずmtDNAは先住民のものばかりになることが知られている。それはインドでもそうであり、日本の男系直系先祖のイ族でもそうだ。mtDNAでは別種のdnaが測定されうるのは殺さずに隷属化するためであり、男が死んでも雌だけ残ればそれが増えるだけ。総合政策研究員も福岡出身のペテン師が東京のマス添え宜しく工作を続けているだけのようだがバレバレだということだ。お前たちの陽動工作は学問自体の信用を傷つけていることを安倍と竹中や福岡野郎にも伝えておくことだな。
60年代か70年代初頭と記憶しますが、「日本の人類学」という名の中央公論社の文庫本を持っています。その本の中身は、明治から大正時代、せいぜい昭和初期に行われた調査を元にしたものとなっています。いぶかしく思い、かつ明確に記憶に残っているのが、「畿内の人種は、遺伝的に他の地域の日本人とは異なり、そこだけが朝鮮と極めて近い。」とした内容です。日本近代史上で起こったことは、いわゆる「他民族」の本土への再(さらなる)流入であり、戦後は彼らには「優遇政策」が取られたことは確実ですので、当時と現在は、民族構成が異なることは覚えておくべきととらえます。民族構成は、100年前と、50年前、また現在では随分異なっています。現在の遺伝子調査は、明治以前とも明らかに異なり、帰化系の方もいらっしゃるので、本来の日本人の成り立ちを調べる上では、信頼性において、どうしても弱点が、と思われても仕方がない面がありますね。
カレンダー
リンク
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
最新トラックバック
プロフィール
アーカイブ
最古記事
アナライズ
カウンター