日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください
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大賛成
国家観!
国家観の認識はやはり教育でつちかわれるもの。
しかしながら日教組のはびこる現代ではそれは不可能。
であれば子供を持つものは親が、
後輩をもつものは先輩が。
友人を持つものは友人が。
伝えて行くべき概念だと思う。
個人主義で生きていけると勘違いしている人以外であれば理解できるはず。
国家観の教育に関しては、幼い時には国旗に対して自然に礼をするような躾け教育と、ある年齢からは世界は腹黒いことを教える必要が有ると思います。
今は、躾けはなっていないし、いい年の大人がお花畑にいる状態です。これは本来の日本の文化では有りません。相手に付け入る隙を与えず、礼で接するのが日本の文化だと思います。
私見を申さば、日本の国家観を形成完成させたのは、天武天皇だと思っております。 天武天皇は、実質、日本と言う国家を造り、世界に向けてその存在を発信した人だと思います。 勿論、それ以前に、聖徳太子も居られたし、崇神天皇もいらっしゃったワケですが、日の本と言う国を伊勢に鳥居を掲げて確定させたのは天武天皇でしょう。
その国家観とは、大海人皇子時代の行動から明らかです。 つまり、背景に崇神天皇以来の四道将軍家筆頭の吉備津家を擁する吉備系豪族の勢力を持つ兄、中大兄皇子と最初は協力して、自らの背景勢力である、同じく四道将軍家である丹波系豪族と協力して、聖徳太子を担ぎ、急速に台頭してきた蘇我氏の勢力に対抗、乙子の乱で入鹿の首を刎ね、その父親の蝦夷を自害させたのですが、ソウ云った豪族同士の勢力争いにのめり込んで行った兄天智天皇とは対象的に、本来の海人族の代表としてダケでなく、上に立つモノは、多くの庶民の声を聞き、民草の安寧と国家の鎮護を第一とすべきと言う理想を持つにいたった様です。
それは壬申の乱平定の折でも、敵方に回って居た仏教勢力が所持する荘園を安堵し、国分寺の権威に傷勝つかないよう配慮した点や、近畿の河内王朝にとって力の及ばない土地であった、東海、中部、北陸、甲信越、そして関東へと開拓の力を広げようとした、つまり、開墾・殖産による富国策を採り、耕地を増やす事で、飢える民を減らし、人口を増やした事です。
私怨に拘らず、民の先行きを案じ、現実的な選択が出来た天武こそ、大和の国の主に相応しいと申せましょう。
垂仁天皇が御示しになられた様に、国家とは民草のモノ、決して覇王やその一族の所有物に非ず、其れが故に、民草は自らの一命を擲ってでも、国家を、その象徴である大王を護ろうとするのです。
海ゆかば水漬く屍 山行かば草生す屍 大王の辺にこそ死なめ 顧みはせじ
の歌通りの現実があったのは、オホキミが民草の生活に心を致し、厳しい自然の変化を共に乗り切ろうとしたからです。
それと言うのも、日本には四季があり穏やかで美しいが、反面、地震、津波、大噴火、大雨、大風、旱魃、冷夏と突如として現れる自然の脅威に常に曝されて来たのも是亦現実ダカラです。
事象は善悪が一面的ではなく、明暗両面を併せ持つものであり、決して、人間の為だけにこの世が存在しているのではない事を、自然の在り様が示している。
自然は神に拠って与えられた崇高な至善の仕組みを持つ現象であり、人間の慾得の望みに随うものではない、随って、オホキミといえど、人は自然を傍観するしかない、与えられた環境に順応し、自然の仕組みを理解しつつ、その力を借りながら自然に生かされているのが本来の在るべき姿なのです。
此の辺が、人為の力無くしては生き延びる事も難しい厳しい生存条件の欧州や中東とは異なっている点です、随い、西洋には人為の力の究極である覇王が立ち、東洋には、王道を極める徳を以て立つ聖王こそが相応しいとされたワケです。
その極みこそ、祭祀王であるスメラミコト、威徳王でしょう、民草の安寧を願い、神との仲立ちを行って、安寧な農業生産から秋の豊穣迄の神護をお願いする、すると、労働である農事さえ、農民個々が神聖な神に示し捧げるべきモノと言う事になりましょう。
こう云う国家観を、天武はオホキミとスメラミコトを分離する事で簡単に示して見せたのです。
労働を神に捧げるモノとすれば、その成果であるコメも亦、神聖です、お百姓さんの汗と願いが一粒一粒にこもっているのです。
私はその様に、父母から教わりました。
国家観を教えるのなら、ソロ様の父上様や母上様のように、じかに子供に教えるのが良いでしょう。それが自然です。ソロ様の話は私の知らない話ばかりです。お米は88人の人が作ったとは聞きましたけど。
私の親父も天皇大好き人間で本の虫でしたから、私にも何かを伝えたと思いますが、元来人の話を受け付けないひねくれものでしたので、聞き流していたのかも知れません。私が日本に天皇が無くてはならない存在だと気が付いたのは、かなり年になってからです。
なので私のような者が、世界は腹黒い等と教えたら、支那人のような人間に育ってしまうかも知れませんね。でも今は、毒の有る人間も必要だと思います。
参考。
http://ameblo.jp/adgjmptw-214c/entry-11092727588.html
国家観は、自然と国民に芽生えるわけでありませんよね。
その国や民族が自分自身で
艱難辛苦の歴史を歩み、何が必然か学び育てた物がその国や民族の国家観になるのでしょう。
国を奪われた民族の最後の砦が、民族固有の言語と言われます。
民族の歴史や文化また固有の神話を含めて、国民や民族に代々教え伝えれば
決して、亡くなった国や民族は征服者に同化されないとか。必ずや国を再復する…ポーランドとかフィンランドとか…。
翻って日本は…。
GHQが占領政策として、日本語のローマ字化を謀ろうとしましたが、かろうじて阻止しました。しかし、歴史教育やサムライ文化の制限など、多大な干渉をうけました(講和後は日教組に)。結果として、国家観無き国民が増え、売国奴にしか見えない政治家が国会議員に…。
我々は、被害者ですが加害者でも有ります。
今まで、その事に無関心。または事を荒立てるのが嫌で、見過ごした結果が今の状態を招きました。
今こそ戦後レジュームの脱却が必要です。
尚、戦前の米国は嫌いです。人種差別主義者で帝国主義者の国、米国が大嫌い…綺麗事を言ってるが。
ですが、戦後の現代のローマ足らんとする米国は好きです。
私は、米国のダメな所は駄目と言いますが親米です。
私は、みそ汁の具様のように難解な事を言っている訳では有りません。市民国家のベネツヴェネツィア市民でさえ、国家の為に命を捨てて戦う人間は称えられ、歴史の浅いアメリカ国民でさえ星条旗の元に戦います。
たかが旗の為です。元は自分達の生命財産を守る為の損得勘定から始まった事ですが、人は仲間の為に尽くす事に喜びを感じる動物です。その仲間という入れ物を国家と名付けて意識するようになり、そのシンボルが国旗となったのでしょう。
日本を見れば天皇が国を統一し、日本国名を名乗ってから1300年以上、天皇の歴史も2000年程度は有るのだから、他国の象徴とは重みが違うと言うことです。
ギリシャ問題を見れば、結局は人は国家から離れられない事が証明されました。ギリシャは人工国家ですけど、ギリシャ国民はさらなる愛国心を要求されるでしょう。
このエントリーは、『愛国心が無い人間は仲間がいない人間であり。いても周りの僅かの人間しか仲間としか思わない人間です。そんな人間が大きな仲間の日本の事など考える訳がない。まして日本を裏切り外国の為に働く人間等論外。そんな人間が大きな顔で、のさばっていたら不愉快。とっとと日本から出て行け』を言いたかったのです。
ついでに、2千年の歴史がある天皇の正等性を論じても無意味でしょう。新たな事実が発見されたように言う人がいますが、それは実証が出来ない推論だけで、日本が天皇を中心とした世界最古の国である事実と重みは動かせない筈です。
侵略者もいなかった縄文時代の人から見れば、国家を作るなど不自然な事だったでしょう。村の消防団だって、火災等無縁な村なら結成する事もないないのですから。
侵略の悲惨さでも味わっていれば、自然と国家観が生まれると思いますが、日本の庶民は侵略の悲惨さを味わっていません。幕末の黒船来航も危機を感じたのは一部の武士だけで、庶民は泰平を謳歌しています。
でも実際は日本人も新羅の入寇や刀伊の入寇・元寇など、悲惨な目に会っているのですが、武士や防人の奮戦で被害は最小限度で収まっているので、庶民が国家観を感じるまで至らなかったのでしょう。
明治維新は、植民地にされる危機感から始まったので、お花畑の国民に国家観を強要したのも当然でしょう。軍国教育を批判する人が居ますが、お門違いと言う物です。
問題は、アメリカに守られて泰平を謳歌して、持つべき国家観を捨てた現代日本人です。平和・国際協調と幾ら高尚に振舞っていても、我々人間は猿山の猿から大して進化していないと言うこと悟るべきでしょう。
2012/01/18(水) の中韓さんのブログを見ましたが、『香港上海銀行』を『2012/01/19(木) 12:30:49』氏が、完膚なく論破しましたね。『香港上海銀行』の言っている事は、反論する気も失せるような支離滅裂ですけど、よくまあ理論整然と反論してくれる人がいるものです。でも『香港上海銀行』は、日本人じゃなさそうなので、またしつこく同じ事を書くでしょうけど。
崗上虜囚 様
同意です。
香港上海銀行さん
日本人のメンタリーティが感じられません。
ご本人は気づいておられないのかもしれませんが、お説が立派でも日本人の振りをしている限り、日本人には眉唾扱いにされる。
だから、私は低級工作員と相手にしてません。時間がもったい無くて…。
しかし、惜しいですね。名無しで投稿とは、昔の常連の論客さんかな?
まさか、崗上虜囚 様?
三橋さんだったりして?
私は、経済学は?なのでとても真似できません。
それでは、お休みなさい。
大賛成
国家観!
国家観の認識はやはり教育でつちかわれるもの。
しかしながら日教組のはびこる現代ではそれは不可能。
であれば子供を持つものは親が、
後輩をもつものは先輩が。
友人を持つものは友人が。
伝えて行くべき概念だと思う。
個人主義で生きていけると勘違いしている人以外であれば理解できるはず。
国家観の教育に関しては、幼い時には国旗に対して自然に礼をするような躾け教育と、ある年齢からは世界は腹黒いことを教える必要が有ると思います。
今は、躾けはなっていないし、いい年の大人がお花畑にいる状態です。これは本来の日本の文化では有りません。相手に付け入る隙を与えず、礼で接するのが日本の文化だと思います。
私見を申さば、日本の国家観を形成完成させたのは、天武天皇だと思っております。 天武天皇は、実質、日本と言う国家を造り、世界に向けてその存在を発信した人だと思います。 勿論、それ以前に、聖徳太子も居られたし、崇神天皇もいらっしゃったワケですが、日の本と言う国を伊勢に鳥居を掲げて確定させたのは天武天皇でしょう。
その国家観とは、大海人皇子時代の行動から明らかです。 つまり、背景に崇神天皇以来の四道将軍家筆頭の吉備津家を擁する吉備系豪族の勢力を持つ兄、中大兄皇子と最初は協力して、自らの背景勢力である、同じく四道将軍家である丹波系豪族と協力して、聖徳太子を担ぎ、急速に台頭してきた蘇我氏の勢力に対抗、乙子の乱で入鹿の首を刎ね、その父親の蝦夷を自害させたのですが、ソウ云った豪族同士の勢力争いにのめり込んで行った兄天智天皇とは対象的に、本来の海人族の代表としてダケでなく、上に立つモノは、多くの庶民の声を聞き、民草の安寧と国家の鎮護を第一とすべきと言う理想を持つにいたった様です。
それは壬申の乱平定の折でも、敵方に回って居た仏教勢力が所持する荘園を安堵し、国分寺の権威に傷勝つかないよう配慮した点や、近畿の河内王朝にとって力の及ばない土地であった、東海、中部、北陸、甲信越、そして関東へと開拓の力を広げようとした、つまり、開墾・殖産による富国策を採り、耕地を増やす事で、飢える民を減らし、人口を増やした事です。
私怨に拘らず、民の先行きを案じ、現実的な選択が出来た天武こそ、大和の国の主に相応しいと申せましょう。
垂仁天皇が御示しになられた様に、国家とは民草のモノ、決して覇王やその一族の所有物に非ず、其れが故に、民草は自らの一命を擲ってでも、国家を、その象徴である大王を護ろうとするのです。
海ゆかば水漬く屍 山行かば草生す屍 大王の辺にこそ死なめ 顧みはせじ
の歌通りの現実があったのは、オホキミが民草の生活に心を致し、厳しい自然の変化を共に乗り切ろうとしたからです。
それと言うのも、日本には四季があり穏やかで美しいが、反面、地震、津波、大噴火、大雨、大風、旱魃、冷夏と突如として現れる自然の脅威に常に曝されて来たのも是亦現実ダカラです。
事象は善悪が一面的ではなく、明暗両面を併せ持つものであり、決して、人間の為だけにこの世が存在しているのではない事を、自然の在り様が示している。
自然は神に拠って与えられた崇高な至善の仕組みを持つ現象であり、人間の慾得の望みに随うものではない、随って、オホキミといえど、人は自然を傍観するしかない、与えられた環境に順応し、自然の仕組みを理解しつつ、その力を借りながら自然に生かされているのが本来の在るべき姿なのです。
此の辺が、人為の力無くしては生き延びる事も難しい厳しい生存条件の欧州や中東とは異なっている点です、随い、西洋には人為の力の究極である覇王が立ち、東洋には、王道を極める徳を以て立つ聖王こそが相応しいとされたワケです。
その極みこそ、祭祀王であるスメラミコト、威徳王でしょう、民草の安寧を願い、神との仲立ちを行って、安寧な農業生産から秋の豊穣迄の神護をお願いする、すると、労働である農事さえ、農民個々が神聖な神に示し捧げるべきモノと言う事になりましょう。
こう云う国家観を、天武はオホキミとスメラミコトを分離する事で簡単に示して見せたのです。
労働を神に捧げるモノとすれば、その成果であるコメも亦、神聖です、お百姓さんの汗と願いが一粒一粒にこもっているのです。
私はその様に、父母から教わりました。
国家観を教えるのなら、ソロ様の父上様や母上様のように、じかに子供に教えるのが良いでしょう。それが自然です。ソロ様の話は私の知らない話ばかりです。お米は88人の人が作ったとは聞きましたけど。
私の親父も天皇大好き人間で本の虫でしたから、私にも何かを伝えたと思いますが、元来人の話を受け付けないひねくれものでしたので、聞き流していたのかも知れません。私が日本に天皇が無くてはならない存在だと気が付いたのは、かなり年になってからです。
なので私のような者が、世界は腹黒い等と教えたら、支那人のような人間に育ってしまうかも知れませんね。でも今は、毒の有る人間も必要だと思います。
参考。
http://ameblo.jp/adgjmptw-214c/entry-11092727588.html
国家観は、自然と国民に芽生えるわけでありませんよね。
その国や民族が自分自身で
艱難辛苦の歴史を歩み、何が必然か学び育てた物がその国や民族の国家観になるのでしょう。
国を奪われた民族の最後の砦が、民族固有の言語と言われます。
民族の歴史や文化また固有の神話を含めて、国民や民族に代々教え伝えれば
決して、亡くなった国や民族は征服者に同化されないとか。必ずや国を再復する…ポーランドとかフィンランドとか…。
翻って日本は…。
GHQが占領政策として、日本語のローマ字化を謀ろうとしましたが、かろうじて阻止しました。しかし、歴史教育やサムライ文化の制限など、多大な干渉をうけました(講和後は日教組に)。結果として、国家観無き国民が増え、売国奴にしか見えない政治家が国会議員に…。
我々は、被害者ですが加害者でも有ります。
今まで、その事に無関心。または事を荒立てるのが嫌で、見過ごした結果が今の状態を招きました。
今こそ戦後レジュームの脱却が必要です。
尚、戦前の米国は嫌いです。人種差別主義者で帝国主義者の国、米国が大嫌い…綺麗事を言ってるが。
ですが、戦後の現代のローマ足らんとする米国は好きです。
私は、米国のダメな所は駄目と言いますが親米です。
私は、みそ汁の具様のように難解な事を言っている訳では有りません。市民国家のベネツヴェネツィア市民でさえ、国家の為に命を捨てて戦う人間は称えられ、歴史の浅いアメリカ国民でさえ星条旗の元に戦います。
たかが旗の為です。元は自分達の生命財産を守る為の損得勘定から始まった事ですが、人は仲間の為に尽くす事に喜びを感じる動物です。その仲間という入れ物を国家と名付けて意識するようになり、そのシンボルが国旗となったのでしょう。
日本を見れば天皇が国を統一し、日本国名を名乗ってから1300年以上、天皇の歴史も2000年程度は有るのだから、他国の象徴とは重みが違うと言うことです。
ギリシャ問題を見れば、結局は人は国家から離れられない事が証明されました。ギリシャは人工国家ですけど、ギリシャ国民はさらなる愛国心を要求されるでしょう。
このエントリーは、『愛国心が無い人間は仲間がいない人間であり。いても周りの僅かの人間しか仲間としか思わない人間です。そんな人間が大きな仲間の日本の事など考える訳がない。まして日本を裏切り外国の為に働く人間等論外。そんな人間が大きな顔で、のさばっていたら不愉快。とっとと日本から出て行け』を言いたかったのです。
ついでに、2千年の歴史がある天皇の正等性を論じても無意味でしょう。新たな事実が発見されたように言う人がいますが、それは実証が出来ない推論だけで、日本が天皇を中心とした世界最古の国である事実と重みは動かせない筈です。
侵略者もいなかった縄文時代の人から見れば、国家を作るなど不自然な事だったでしょう。村の消防団だって、火災等無縁な村なら結成する事もないないのですから。
侵略の悲惨さでも味わっていれば、自然と国家観が生まれると思いますが、日本の庶民は侵略の悲惨さを味わっていません。幕末の黒船来航も危機を感じたのは一部の武士だけで、庶民は泰平を謳歌しています。
でも実際は日本人も新羅の入寇や刀伊の入寇・元寇など、悲惨な目に会っているのですが、武士や防人の奮戦で被害は最小限度で収まっているので、庶民が国家観を感じるまで至らなかったのでしょう。
明治維新は、植民地にされる危機感から始まったので、お花畑の国民に国家観を強要したのも当然でしょう。軍国教育を批判する人が居ますが、お門違いと言う物です。
問題は、アメリカに守られて泰平を謳歌して、持つべき国家観を捨てた現代日本人です。平和・国際協調と幾ら高尚に振舞っていても、我々人間は猿山の猿から大して進化していないと言うこと悟るべきでしょう。
2012/01/18(水) の中韓さんのブログを見ましたが、『香港上海銀行』を『2012/01/19(木) 12:30:49』氏が、完膚なく論破しましたね。『香港上海銀行』の言っている事は、反論する気も失せるような支離滅裂ですけど、よくまあ理論整然と反論してくれる人がいるものです。でも『香港上海銀行』は、日本人じゃなさそうなので、またしつこく同じ事を書くでしょうけど。
崗上虜囚 様
同意です。
香港上海銀行さん
日本人のメンタリーティが感じられません。
ご本人は気づいておられないのかもしれませんが、お説が立派でも日本人の振りをしている限り、日本人には眉唾扱いにされる。
だから、私は低級工作員と相手にしてません。時間がもったい無くて…。
しかし、惜しいですね。名無しで投稿とは、昔の常連の論客さんかな?
まさか、崗上虜囚 様?
三橋さんだったりして?
私は、経済学は?なのでとても真似できません。
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