忍者ブログ

崗上虜囚の備忘録

日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

無題

大賛成
国家観!
国家観の認識はやはり教育でつちかわれるもの。
しかしながら日教組のはびこる現代ではそれは不可能。
であれば子供を持つものは親が、
後輩をもつものは先輩が。
友人を持つものは友人が。
伝えて行くべき概念だと思う。
個人主義で生きていけると勘違いしている人以外であれば理解できるはず。

Re. NONAME #99d047673a様

国家観の教育に関しては、幼い時には国旗に対して自然に礼をするような躾け教育と、ある年齢からは世界は腹黒いことを教える必要が有ると思います。

今は、躾けはなっていないし、いい年の大人がお花畑にいる状態です。これは本来の日本の文化では有りません。相手に付け入る隙を与えず、礼で接するのが日本の文化だと思います。

我々が習い受け継いできた事

 私見を申さば、日本の国家観を形成完成させたのは、天武天皇だと思っております。 天武天皇は、実質、日本と言う国家を造り、世界に向けてその存在を発信した人だと思います。 勿論、それ以前に、聖徳太子も居られたし、崇神天皇もいらっしゃったワケですが、日の本と言う国を伊勢に鳥居を掲げて確定させたのは天武天皇でしょう。

 その国家観とは、大海人皇子時代の行動から明らかです。 つまり、背景に崇神天皇以来の四道将軍家筆頭の吉備津家を擁する吉備系豪族の勢力を持つ兄、中大兄皇子と最初は協力して、自らの背景勢力である、同じく四道将軍家である丹波系豪族と協力して、聖徳太子を担ぎ、急速に台頭してきた蘇我氏の勢力に対抗、乙子の乱で入鹿の首を刎ね、その父親の蝦夷を自害させたのですが、ソウ云った豪族同士の勢力争いにのめり込んで行った兄天智天皇とは対象的に、本来の海人族の代表としてダケでなく、上に立つモノは、多くの庶民の声を聞き、民草の安寧と国家の鎮護を第一とすべきと言う理想を持つにいたった様です。

 それは壬申の乱平定の折でも、敵方に回って居た仏教勢力が所持する荘園を安堵し、国分寺の権威に傷勝つかないよう配慮した点や、近畿の河内王朝にとって力の及ばない土地であった、東海、中部、北陸、甲信越、そして関東へと開拓の力を広げようとした、つまり、開墾・殖産による富国策を採り、耕地を増やす事で、飢える民を減らし、人口を増やした事です。

 私怨に拘らず、民の先行きを案じ、現実的な選択が出来た天武こそ、大和の国の主に相応しいと申せましょう。

 垂仁天皇が御示しになられた様に、国家とは民草のモノ、決して覇王やその一族の所有物に非ず、其れが故に、民草は自らの一命を擲ってでも、国家を、その象徴である大王を護ろうとするのです。

 海ゆかば水漬く屍 山行かば草生す屍 大王の辺にこそ死なめ 顧みはせじ

 の歌通りの現実があったのは、オホキミが民草の生活に心を致し、厳しい自然の変化を共に乗り切ろうとしたからです。

 それと言うのも、日本には四季があり穏やかで美しいが、反面、地震、津波、大噴火、大雨、大風、旱魃、冷夏と突如として現れる自然の脅威に常に曝されて来たのも是亦現実ダカラです。

 事象は善悪が一面的ではなく、明暗両面を併せ持つものであり、決して、人間の為だけにこの世が存在しているのではない事を、自然の在り様が示している。

 自然は神に拠って与えられた崇高な至善の仕組みを持つ現象であり、人間の慾得の望みに随うものではない、随って、オホキミといえど、人は自然を傍観するしかない、与えられた環境に順応し、自然の仕組みを理解しつつ、その力を借りながら自然に生かされているのが本来の在るべき姿なのです。

 此の辺が、人為の力無くしては生き延びる事も難しい厳しい生存条件の欧州や中東とは異なっている点です、随い、西洋には人為の力の究極である覇王が立ち、東洋には、王道を極める徳を以て立つ聖王こそが相応しいとされたワケです。

 その極みこそ、祭祀王であるスメラミコト、威徳王でしょう、民草の安寧を願い、神との仲立ちを行って、安寧な農業生産から秋の豊穣迄の神護をお願いする、すると、労働である農事さえ、農民個々が神聖な神に示し捧げるべきモノと言う事になりましょう。

 こう云う国家観を、天武はオホキミとスメラミコトを分離する事で簡単に示して見せたのです。

 労働を神に捧げるモノとすれば、その成果であるコメも亦、神聖です、お百姓さんの汗と願いが一粒一粒にこもっているのです。

 私はその様に、父母から教わりました。

Re.ナポレオン・ソロ様

国家観を教えるのなら、ソロ様の父上様や母上様のように、じかに子供に教えるのが良いでしょう。それが自然です。ソロ様の話は私の知らない話ばかりです。お米は88人の人が作ったとは聞きましたけど。

私の親父も天皇大好き人間で本の虫でしたから、私にも何かを伝えたと思いますが、元来人の話を受け付けないひねくれものでしたので、聞き流していたのかも知れません。私が日本に天皇が無くてはならない存在だと気が付いたのは、かなり年になってからです。

なので私のような者が、世界は腹黒い等と教えたら、支那人のような人間に育ってしまうかも知れませんね。でも今は、毒の有る人間も必要だと思います。

みそ汁の具

参考。

http://ameblo.jp/adgjmptw-214c/entry-11092727588.html

崗上虜囚 様、皆さま こんばんは。

国家観は、自然と国民に芽生えるわけでありませんよね。

その国や民族が自分自身で
艱難辛苦の歴史を歩み、何が必然か学び育てた物がその国や民族の国家観になるのでしょう。

国を奪われた民族の最後の砦が、民族固有の言語と言われます。
民族の歴史や文化また固有の神話を含めて、国民や民族に代々教え伝えれば
決して、亡くなった国や民族は征服者に同化されないとか。必ずや国を再復する…ポーランドとかフィンランドとか…。

翻って日本は…。

GHQが占領政策として、日本語のローマ字化を謀ろうとしましたが、かろうじて阻止しました。しかし、歴史教育やサムライ文化の制限など、多大な干渉をうけました(講和後は日教組に)。結果として、国家観無き国民が増え、売国奴にしか見えない政治家が国会議員に…。

我々は、被害者ですが加害者でも有ります。
今まで、その事に無関心。または事を荒立てるのが嫌で、見過ごした結果が今の状態を招きました。

今こそ戦後レジュームの脱却が必要です。

尚、戦前の米国は嫌いです。人種差別主義者で帝国主義者の国、米国が大嫌い…綺麗事を言ってるが。
ですが、戦後の現代のローマ足らんとする米国は好きです。
私は、米国のダメな所は駄目と言いますが親米です。

Re.KESSELRING 様:みそ汁の具

私は、みそ汁の具様のように難解な事を言っている訳では有りません。市民国家のベネツヴェネツィア市民でさえ、国家の為に命を捨てて戦う人間は称えられ、歴史の浅いアメリカ国民でさえ星条旗の元に戦います。

たかが旗の為です。元は自分達の生命財産を守る為の損得勘定から始まった事ですが、人は仲間の為に尽くす事に喜びを感じる動物です。その仲間という入れ物を国家と名付けて意識するようになり、そのシンボルが国旗となったのでしょう。

日本を見れば天皇が国を統一し、日本国名を名乗ってから1300年以上、天皇の歴史も2000年程度は有るのだから、他国の象徴とは重みが違うと言うことです。

ギリシャ問題を見れば、結局は人は国家から離れられない事が証明されました。ギリシャは人工国家ですけど、ギリシャ国民はさらなる愛国心を要求されるでしょう。

このエントリーは、『愛国心が無い人間は仲間がいない人間であり。いても周りの僅かの人間しか仲間としか思わない人間です。そんな人間が大きな仲間の日本の事など考える訳がない。まして日本を裏切り外国の為に働く人間等論外。そんな人間が大きな顔で、のさばっていたら不愉快。とっとと日本から出て行け』を言いたかったのです。

ついでに、2千年の歴史がある天皇の正等性を論じても無意味でしょう。新たな事実が発見されたように言う人がいますが、それは実証が出来ない推論だけで、日本が天皇を中心とした世界最古の国である事実と重みは動かせない筈です。

Re.酒と泪 様

侵略者もいなかった縄文時代の人から見れば、国家を作るなど不自然な事だったでしょう。村の消防団だって、火災等無縁な村なら結成する事もないないのですから。

侵略の悲惨さでも味わっていれば、自然と国家観が生まれると思いますが、日本の庶民は侵略の悲惨さを味わっていません。幕末の黒船来航も危機を感じたのは一部の武士だけで、庶民は泰平を謳歌しています。

でも実際は日本人も新羅の入寇や刀伊の入寇・元寇など、悲惨な目に会っているのですが、武士や防人の奮戦で被害は最小限度で収まっているので、庶民が国家観を感じるまで至らなかったのでしょう。

明治維新は、植民地にされる危機感から始まったので、お花畑の国民に国家観を強要したのも当然でしょう。軍国教育を批判する人が居ますが、お門違いと言う物です。

問題は、アメリカに守られて泰平を謳歌して、持つべき国家観を捨てた現代日本人です。平和・国際協調と幾ら高尚に振舞っていても、我々人間は猿山の猿から大して進化していないと言うこと悟るべきでしょう。

話が変わりますけど。酒と泪 様

2012/01/18(水) の中韓さんのブログを見ましたが、『香港上海銀行』を『2012/01/19(木) 12:30:49』氏が、完膚なく論破しましたね。『香港上海銀行』の言っている事は、反論する気も失せるような支離滅裂ですけど、よくまあ理論整然と反論してくれる人がいるものです。でも『香港上海銀行』は、日本人じゃなさそうなので、またしつこく同じ事を書くでしょうけど。

就寝前に

崗上虜囚 様
同意です。

香港上海銀行さん
日本人のメンタリーティが感じられません。
ご本人は気づいておられないのかもしれませんが、お説が立派でも日本人の振りをしている限り、日本人には眉唾扱いにされる。
だから、私は低級工作員と相手にしてません。時間がもったい無くて…。

しかし、惜しいですね。名無しで投稿とは、昔の常連の論客さんかな?
まさか、崗上虜囚 様?
三橋さんだったりして?

私は、経済学は?なのでとても真似できません。

それでは、お休みなさい。

国家観

前のエントリーで東京大学の総長は国家観が無いと書いたが、以前書いた記事の神戸市役所の職員も同じように国家観が無かった。それどころか政権与党である民主党の政治家も国家観が無い。社民、公明、共産も同じであろう。自民党の政治家でも国家観が無いのは一杯いるだろう。今やかなりの日本国民が国家など忘れてしまったようである。

まあ東京大学を始め、全国の大学・学校が在日や反日左翼に占拠されたような状態になってしまったので、自分の頭で考えずに素直に教授や教師の言う事聞くような人間なら、国家の事など考えたことも無いだろう。

そして国家観の代わりに出て来たのが市民社会の考え方である。だとしても、お互い契約で成り立つ市民国家のことを考えればれば、国家観が有ってしかるべきである。

例えばヴェネツィア共和国は議会が権限を持つ都市国家であった。ヴェネツィア共和国は市民社会の国と言えるだろう。しかし国家である以上、ヴェネツィア市民は国家を守る義務がある。レパントの戦いでは多くの市民が志願し、多くの市民が戦死した。

そもそもヴェネツィアが、湿地に囲まれた所に位置したのは、外敵からの侵略を守る為であった。ヴェネツィアが国家になったのは、そこに逃げ込んだ人々が共同で守った時から始まる。あの時代は、共同で守らなければ、侵略者に欲しいままに略奪されるか、奴隷にされるかしかなかった頃である。

何処の国の成り立ちでも、共同で外敵から身を守る為から始まっている筈である。人間の脅威は人間なのである。集団の人間程危険な物は無い。それは今も変わらない。国家とは、その脅威から守る運命共同体であり、国家観とは、その運命共同体を守る意識の事である。

日本の縄文時代は、戦争も無い穏やかな時代であった。共通文化を共有しながら、侵略する者もなく、人々は国を形成して外敵から身を守る必要は無かった。それが弥生時代には、吉野ヶ里のような多くの都市国家群が有ったと言われる。都市国家を形成しなければ、身を守れない何らかの事情が出来たのであろう。

しかし弥生の都市国家群は天皇による統一で一つの国、日本になる。それは天孫族(天皇一族)が小さな都市国家では守れないことを感じたからと思われる。それは、大陸半島からの人の流入や、大陸半島での侵略合戦を目にしたからであろう。

結局は縄文以来の共通文化圏は天皇による統一に救われる。支那人に食い荒らされること無く、半島のように度々異民族に侵略される事もなく、西欧人に植民地にされる事も無く、東洋で一番に文明国になったのは、天皇が国家として纏めたからである。

日本とは天皇が名付けた国名である。意識しようとしまいと自らを日本人と名乗り、住んでいる所を日本と言えば、自らを天皇が名付けた国の国民であることを言い、天皇によって統一された地の住民であることを言っているのだ。そうでなければ、自分が日本を作った訳でもないのに、日本人と言うのはおかしいでは無いか。

日本国の形成は古い。ヴェネツィアのようにお互い契約で成り立つ市民国家では無い。従って、日本国民とヴェネツィア市民が持つ国家観も違う。それでも国民国防の義務はヴェネツィア市民と同様である。違うのは、日本国民は天皇の臣民であることを意識することと、日本国は天皇の国であることを意識しなければならないと言うことである。

それが否なら、日本を出て行くべきだろう。そして、地球市民なので国防の義務を感じないと言って、受け入れてくれる国を探すべきだろう。受け入れてくれる国が有るとは思えないが。

国家観の第一歩は、国防の義務を感じる事である。
国防の事を言わない政治家は、全て偽者である。

レパントの海戦:この海戦で教皇・スペイン・ヴェネツィア連合軍は勝ったが、ヴェネツィアは多数の死傷者を出した。市民国家であろうと自己犠牲は国民の義務の発露である。

 
現在の日本の平和は、アメリカの多大の貢献によるものである。アメリカの青年達の自己犠牲により、日本の平和が守られていると言っても良い。私は慰安婦問題等でアメリカに批判的な立場であるが、それでも国家観の無い日本人より、日本の国防の一翼を担ってくれる米軍人の方が、はるかに親近感がある。国家観の無い日本人は、狡い卑怯者である。
PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

無題

大賛成
国家観!
国家観の認識はやはり教育でつちかわれるもの。
しかしながら日教組のはびこる現代ではそれは不可能。
であれば子供を持つものは親が、
後輩をもつものは先輩が。
友人を持つものは友人が。
伝えて行くべき概念だと思う。
個人主義で生きていけると勘違いしている人以外であれば理解できるはず。

Re. NONAME #99d047673a様

国家観の教育に関しては、幼い時には国旗に対して自然に礼をするような躾け教育と、ある年齢からは世界は腹黒いことを教える必要が有ると思います。

今は、躾けはなっていないし、いい年の大人がお花畑にいる状態です。これは本来の日本の文化では有りません。相手に付け入る隙を与えず、礼で接するのが日本の文化だと思います。

我々が習い受け継いできた事

 私見を申さば、日本の国家観を形成完成させたのは、天武天皇だと思っております。 天武天皇は、実質、日本と言う国家を造り、世界に向けてその存在を発信した人だと思います。 勿論、それ以前に、聖徳太子も居られたし、崇神天皇もいらっしゃったワケですが、日の本と言う国を伊勢に鳥居を掲げて確定させたのは天武天皇でしょう。

 その国家観とは、大海人皇子時代の行動から明らかです。 つまり、背景に崇神天皇以来の四道将軍家筆頭の吉備津家を擁する吉備系豪族の勢力を持つ兄、中大兄皇子と最初は協力して、自らの背景勢力である、同じく四道将軍家である丹波系豪族と協力して、聖徳太子を担ぎ、急速に台頭してきた蘇我氏の勢力に対抗、乙子の乱で入鹿の首を刎ね、その父親の蝦夷を自害させたのですが、ソウ云った豪族同士の勢力争いにのめり込んで行った兄天智天皇とは対象的に、本来の海人族の代表としてダケでなく、上に立つモノは、多くの庶民の声を聞き、民草の安寧と国家の鎮護を第一とすべきと言う理想を持つにいたった様です。

 それは壬申の乱平定の折でも、敵方に回って居た仏教勢力が所持する荘園を安堵し、国分寺の権威に傷勝つかないよう配慮した点や、近畿の河内王朝にとって力の及ばない土地であった、東海、中部、北陸、甲信越、そして関東へと開拓の力を広げようとした、つまり、開墾・殖産による富国策を採り、耕地を増やす事で、飢える民を減らし、人口を増やした事です。

 私怨に拘らず、民の先行きを案じ、現実的な選択が出来た天武こそ、大和の国の主に相応しいと申せましょう。

 垂仁天皇が御示しになられた様に、国家とは民草のモノ、決して覇王やその一族の所有物に非ず、其れが故に、民草は自らの一命を擲ってでも、国家を、その象徴である大王を護ろうとするのです。

 海ゆかば水漬く屍 山行かば草生す屍 大王の辺にこそ死なめ 顧みはせじ

 の歌通りの現実があったのは、オホキミが民草の生活に心を致し、厳しい自然の変化を共に乗り切ろうとしたからです。

 それと言うのも、日本には四季があり穏やかで美しいが、反面、地震、津波、大噴火、大雨、大風、旱魃、冷夏と突如として現れる自然の脅威に常に曝されて来たのも是亦現実ダカラです。

 事象は善悪が一面的ではなく、明暗両面を併せ持つものであり、決して、人間の為だけにこの世が存在しているのではない事を、自然の在り様が示している。

 自然は神に拠って与えられた崇高な至善の仕組みを持つ現象であり、人間の慾得の望みに随うものではない、随って、オホキミといえど、人は自然を傍観するしかない、与えられた環境に順応し、自然の仕組みを理解しつつ、その力を借りながら自然に生かされているのが本来の在るべき姿なのです。

 此の辺が、人為の力無くしては生き延びる事も難しい厳しい生存条件の欧州や中東とは異なっている点です、随い、西洋には人為の力の究極である覇王が立ち、東洋には、王道を極める徳を以て立つ聖王こそが相応しいとされたワケです。

 その極みこそ、祭祀王であるスメラミコト、威徳王でしょう、民草の安寧を願い、神との仲立ちを行って、安寧な農業生産から秋の豊穣迄の神護をお願いする、すると、労働である農事さえ、農民個々が神聖な神に示し捧げるべきモノと言う事になりましょう。

 こう云う国家観を、天武はオホキミとスメラミコトを分離する事で簡単に示して見せたのです。

 労働を神に捧げるモノとすれば、その成果であるコメも亦、神聖です、お百姓さんの汗と願いが一粒一粒にこもっているのです。

 私はその様に、父母から教わりました。

Re.ナポレオン・ソロ様

国家観を教えるのなら、ソロ様の父上様や母上様のように、じかに子供に教えるのが良いでしょう。それが自然です。ソロ様の話は私の知らない話ばかりです。お米は88人の人が作ったとは聞きましたけど。

私の親父も天皇大好き人間で本の虫でしたから、私にも何かを伝えたと思いますが、元来人の話を受け付けないひねくれものでしたので、聞き流していたのかも知れません。私が日本に天皇が無くてはならない存在だと気が付いたのは、かなり年になってからです。

なので私のような者が、世界は腹黒い等と教えたら、支那人のような人間に育ってしまうかも知れませんね。でも今は、毒の有る人間も必要だと思います。

みそ汁の具

参考。

http://ameblo.jp/adgjmptw-214c/entry-11092727588.html

崗上虜囚 様、皆さま こんばんは。

国家観は、自然と国民に芽生えるわけでありませんよね。

その国や民族が自分自身で
艱難辛苦の歴史を歩み、何が必然か学び育てた物がその国や民族の国家観になるのでしょう。

国を奪われた民族の最後の砦が、民族固有の言語と言われます。
民族の歴史や文化また固有の神話を含めて、国民や民族に代々教え伝えれば
決して、亡くなった国や民族は征服者に同化されないとか。必ずや国を再復する…ポーランドとかフィンランドとか…。

翻って日本は…。

GHQが占領政策として、日本語のローマ字化を謀ろうとしましたが、かろうじて阻止しました。しかし、歴史教育やサムライ文化の制限など、多大な干渉をうけました(講和後は日教組に)。結果として、国家観無き国民が増え、売国奴にしか見えない政治家が国会議員に…。

我々は、被害者ですが加害者でも有ります。
今まで、その事に無関心。または事を荒立てるのが嫌で、見過ごした結果が今の状態を招きました。

今こそ戦後レジュームの脱却が必要です。

尚、戦前の米国は嫌いです。人種差別主義者で帝国主義者の国、米国が大嫌い…綺麗事を言ってるが。
ですが、戦後の現代のローマ足らんとする米国は好きです。
私は、米国のダメな所は駄目と言いますが親米です。

Re.KESSELRING 様:みそ汁の具

私は、みそ汁の具様のように難解な事を言っている訳では有りません。市民国家のベネツヴェネツィア市民でさえ、国家の為に命を捨てて戦う人間は称えられ、歴史の浅いアメリカ国民でさえ星条旗の元に戦います。

たかが旗の為です。元は自分達の生命財産を守る為の損得勘定から始まった事ですが、人は仲間の為に尽くす事に喜びを感じる動物です。その仲間という入れ物を国家と名付けて意識するようになり、そのシンボルが国旗となったのでしょう。

日本を見れば天皇が国を統一し、日本国名を名乗ってから1300年以上、天皇の歴史も2000年程度は有るのだから、他国の象徴とは重みが違うと言うことです。

ギリシャ問題を見れば、結局は人は国家から離れられない事が証明されました。ギリシャは人工国家ですけど、ギリシャ国民はさらなる愛国心を要求されるでしょう。

このエントリーは、『愛国心が無い人間は仲間がいない人間であり。いても周りの僅かの人間しか仲間としか思わない人間です。そんな人間が大きな仲間の日本の事など考える訳がない。まして日本を裏切り外国の為に働く人間等論外。そんな人間が大きな顔で、のさばっていたら不愉快。とっとと日本から出て行け』を言いたかったのです。

ついでに、2千年の歴史がある天皇の正等性を論じても無意味でしょう。新たな事実が発見されたように言う人がいますが、それは実証が出来ない推論だけで、日本が天皇を中心とした世界最古の国である事実と重みは動かせない筈です。

Re.酒と泪 様

侵略者もいなかった縄文時代の人から見れば、国家を作るなど不自然な事だったでしょう。村の消防団だって、火災等無縁な村なら結成する事もないないのですから。

侵略の悲惨さでも味わっていれば、自然と国家観が生まれると思いますが、日本の庶民は侵略の悲惨さを味わっていません。幕末の黒船来航も危機を感じたのは一部の武士だけで、庶民は泰平を謳歌しています。

でも実際は日本人も新羅の入寇や刀伊の入寇・元寇など、悲惨な目に会っているのですが、武士や防人の奮戦で被害は最小限度で収まっているので、庶民が国家観を感じるまで至らなかったのでしょう。

明治維新は、植民地にされる危機感から始まったので、お花畑の国民に国家観を強要したのも当然でしょう。軍国教育を批判する人が居ますが、お門違いと言う物です。

問題は、アメリカに守られて泰平を謳歌して、持つべき国家観を捨てた現代日本人です。平和・国際協調と幾ら高尚に振舞っていても、我々人間は猿山の猿から大して進化していないと言うこと悟るべきでしょう。

話が変わりますけど。酒と泪 様

2012/01/18(水) の中韓さんのブログを見ましたが、『香港上海銀行』を『2012/01/19(木) 12:30:49』氏が、完膚なく論破しましたね。『香港上海銀行』の言っている事は、反論する気も失せるような支離滅裂ですけど、よくまあ理論整然と反論してくれる人がいるものです。でも『香港上海銀行』は、日本人じゃなさそうなので、またしつこく同じ事を書くでしょうけど。

就寝前に

崗上虜囚 様
同意です。

香港上海銀行さん
日本人のメンタリーティが感じられません。
ご本人は気づいておられないのかもしれませんが、お説が立派でも日本人の振りをしている限り、日本人には眉唾扱いにされる。
だから、私は低級工作員と相手にしてません。時間がもったい無くて…。

しかし、惜しいですね。名無しで投稿とは、昔の常連の論客さんかな?
まさか、崗上虜囚 様?
三橋さんだったりして?

私は、経済学は?なのでとても真似できません。

それでは、お休みなさい。

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

フリーエリア

最新トラックバック

プロフィール

HN:
崗上虜囚
性別:
非公開

アナライズ

カウンター