例えば、北米には先住民のインディアンが『土地や自然、全ての物はみんな物』の精神の下、極めて民主的で平穏な暮らしを営んでいた。そこに15世紀にメイフラワー号に乗った正教徒達がやって来きた。インディアンは飢えに苦しむ正教徒達に物を分け与えて彼等を救ったが、正教徒達がやった事は、彼等を救った酋長の息子を殺し、彼の妻子を奴隷商人に売り飛ばし、インディアンの土地を奪ったのだ。
これはアメリカ大陸だけで起きた事 では無い。むしろ世界の常識だったのだ。世界の歴史は、後からやって来た民族が先住民族を迫害し、又は奴隷にし、あるいはホロコーストをしたりして、国/土地を乗っ取った歴史でもあるのだ。
ところが日本だけが世界と違う。日本では先住民が後から来た民族を受け入れ、先住民による乗っ取りも起こらず、ホローコーストも起こらず、一つの民族になってしまったのだ。当然先住民指導の下、秩序ある受け入れが行われたのであろう。その証拠が先に示した天皇のY-DNAである。
図1をもう一度見て頂きたい。日本を特徴付けるD1b(濃緑色)のY-DNAと近縁のD*(緑色)系統のY-DNAであるが、現在の中国の中央に見かけないのはどうした事だろう。チベット、朝鮮、ウィグル、ヴェトナム等の辺境に追いやられているように見えるのは何故だろうか。
もう一つ注目してもらいたいのは、日本でD1b(濃緑色)の次に多いO1b2(黄橙)のY-DNAであるが、これは日本に稲作を伝えた長江人のY-DNAと考えられている。長江人とは世界で初めて水稲方式の稲作を発明し、黄河文明より1000年以上前に長江文明を作った民族である。
ところがこのO1b2(黄橙)のY-DNAも、日本、韓国、ヴェトナム、インドネシア、雲南の辺境では見かけるが、肝心の長江周辺には殆ど無いのである。実は長江文明は黄河流域の牧畜民の度重なる攻撃により滅ぼされたと考えられている。その長江人のY-DNAが日本人にいるのは、彼等の襲撃から逃げ延びてきた可能性が高いのである。
それにしても農民であった長江人が、田畑を捨てて脱出先を危険な海を選んだのは尋常な事では無い。それはヨーロッパの中央に住んでいたゴート人が、フン人のあまりの残虐さに恐れをなして逃げ出した時と同様な事が、東アジアの大陸でも起きていたと想像するしかない。
従って長江人のY-DNAと見られるO1b2が中国で殆ど見られないのはホロコーストによるものと考えられる。また中国の少数民族のY-DNAの過半がO2のY-DNAになっていることを見れば、アメリカ大陸の覇者が白人であったように、東アジアの大陸の覇者は中華人民共和国の人口の94%以上を占める漢族であることは間違いないだろう。何故ならO2は漢族のY-DNAと言われているからである。当然長江文明を滅ぼした牧畜民とは漢族だった事は推測できる。
縄文人と長江人の幸せな邂逅
然しながら、長江人と縄文人の出会は不思議なめぐり合わせである。この事を幸せな邂逅と言う人もいる。縄文時代は日本列島の人口は東高西低であった。それが縄文時代の後期から始まったの寒冷化により縄文人は南下をする。それでも縄文人の人口は激減する。
それを救ったのが長江人のボートピープルがもたらした稲作である。初めは陸稲栽培であったが水稲栽培が成功することによりに日本列島の人口は大幅に増える。それが弥生時代である。つまり弥生時代とは縄文人が長江人の助けで起こした生活革命だったのである。なので従来言われてきた「半島から渡来人が多数来て云々が弥生時代」の説は間違いである。それを裏付ける事実が以下である。
朝鮮半島にもO1b2のY-DNAを持つ長江人が流れ着いており、現在の朝鮮人の主要な一員になっているが、日本人の主流になっているO1b2のY-DNAはO1b2a1a1 で、朝鮮人の主流になっているO1b2のY-DNAはO1b2a1a2aと若干系統が違うのである。そのことは同じ長江人でも日本に流れ着いた集団と朝鮮半島に流れ着いた集団とは部族が違うと言うことであり、夫々の比に差が有るのは、その後に朝鮮半島から日本へ来る人の流れはそれ程活発で無かった事を物語る。
また米の遺伝子は7種類ほどあるが日本で発見された米は2種類のジャポニカ種(短粒種)しかなく、朝鮮半島では6種類あるが日本で発見された1種類の遺伝子の米が無いのである。それは日本の米は朝鮮半島経由でないことを物語る。
さらに日本の水稲栽培3200年前から始まっているのに、朝鮮半島では1500年前程度しか遡れない事や、朝鮮半島の米の遺伝子が、日本の古来米の遺伝子に満州から入った米の遺伝子が交雑しているのが多いことから、朝鮮半島の水稲は日本から伝わったとの結論が中国政府の学術機関からも出ているのである。
まさに『豊葦原瑞穂国』の面目躍如の結論である。天皇が率先して長江人の助けを借りながら水稲栽培に力を注いでいる姿が目に浮かぶではないか。
石器時代のままであったが世界最古の土器を作り、世界最古の漆細工を作り、硬玉の翡翠を加工するなど物作りが得意な縄文人。これまた石器時代のままであったが縄文土器縄文漆細工と同時代に土器作成や漆細工を行っており、軟玉で有ったが翡翠工芸が得意で、水稲栽培を発明した長江人と縄文人の出会いは幸せな邂逅であった。
図2:縄文晩期勾玉、縄文前期赤漆塗櫛、
長江下流良渚文化玉璧、長江下流河姆渡遺跡赤漆塗椀
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リーダが強権を持たなくても機能する定住民型社会
縄文人と長江人の両者に共通するところはもう一つある。実は縄文人も長江人は落ちこぼれなのである。縄文人はナウマン象ハンターとして日本列島に入ったのだが、ナウマン象は取り尽した時には温暖化が始まったので陸続きだった日本列島は孤島してしまい、帰るに帰れずやむなく海辺や川辺で定住生活に入ったのである。
長江人もまた大陸での羊の囲い込み競争で遊牧民に敗れ、動物性たんぱく質を得ることが出来ないため、やむなく長江の川辺で漁労・採取の定住生活に入ったと考えられる。しかしそこは必要は発明の母、土器や漆工芸、特に稲作などは定住したからこそ生まれたのである。
それだけでは無い。定住することは人々の仕事を専門化し分業化することを促す。その利点は、一般的な共同作業で人々を協調させて仕事をさせるには、リーダを立てないとうまく進める事が出来ないが、人々が分業している世界ではリーダ無しでも専門家が色々居るだけで協調体制になっているのである。そうなると隣の人は生存競争の競争相手では無くなるのである。
日本ではリーダに能力が無くても何となくうまくいってしまうのは、縄文時代からの人々の生き方が身についているのではないだろうか。そして当然早くから定住生活に入っていた縄文人と長江人の出会いは、うまく行くことが約束されていたのである。
遊牧民型社会は乗っ取りか足の引っ張り合い
遊牧民も草原が有る大河の辺で牧畜・麦栽培等の定住生活に入るのだが、元々遊牧も牧畜も色々な専門家同士が分業する仕事は少ない。遊牧民同士が協調体制になるときは強力なリーダの指導下に他民族を襲うか他民族の襲撃から守るときぐらいである。その他の時は同じ部族同士でも競争相手、足の引っ張り合いも起きるわけである。国の乗っ取り、奴隷、人間を家畜のように去勢して使う宦官等は何れも遊牧民の発明である。
結局のところ習い性となる例え通り、定住しても元の遊牧民型の性質は隠しようも無い。中国が古代そのままにチベットやウィグルに侵攻して、乗っ取りとホロコーストを続けているのは漢民族の性なのだろう。文化大革命は遊牧民時代からの仲間内の足の引っ張り合いと考えれば納得する。
図3:支那の人口推移。
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図3のように、支那では王朝が変わる毎に人口が激減する。しかも何れの王朝も寿命が短い。
朝鮮半島も遊牧民型
朝鮮半島も後から来た異民族による乗っ取りの歴史である。まず朝鮮半島ではBC10000からBC5000の間に人が住んでいた形跡が無い。その後長江からのボートピープルが流れ着いたと考えられる。そこに魏志東夷伝に登場する三韓の一つの馬韓は長江人が築いた国と考えられる。
馬韓はその後百済になり、百済は遊牧民族の扶余が作った国と自称していたが、披支配階級とは言語が異なるとあるので馬韓は乗っ取られたことは確かである。しかし百済は新羅に滅ぼされる。
ところがその新羅の前身は魏志東夷伝に登場するもう一つの国の辰韓だが、辰韓は唐の支配から逃れて来た難民を馬韓の王が土地を分け与えて出来た国である。つまり馬韓は二重に乗っ取られたのである。
百済を滅ぼした新羅はその後李氏朝鮮そして現在の南北朝鮮に繋がるのだが、現在全羅道と呼ばれるかって馬韓があった地域は、統一国家が出来て1300年になろうとするのに依然差別の対象地域なのである。
百済は繁栄するが短命。李氏朝鮮は長命だったが衰退する一方。乗っ取ることは上手でも国作りは下手なようである。
異民族の受け入れは厳正な秩序が必要
縄文人と長江人の邂逅が幸せな邂逅と言っても、無秩序な異民族の受け入れだったら、その後単一民族と言われる程の融和的混合は無かったろう。それが出来たのは先住民である縄文人の指導の下、後から来た民族の勝手、すなわち徒党を組んで内なる外を作ることを許さなかったからである。
その悪しき例が現在の欧州での難民受け入れである。例えばスウェーデン。スウェーデンは善意で難民を受け入れたのだが、難民は一部地域に塊って住み、その地域には元から住んでいたスウェーデン市民は勿論、消防車さえ警察官が一緒ででなければ入れなくなっているのである。
図4:スウェーデン国旗を燃やす難民。テレビクルーに暴力を振る難民。デモで天皇の骸骨かざす在日外国人。日の丸をうんこの形に変形して、参政権をよこせとデモをする在日外国人。
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日本で長江人を受け入れたとき、天皇の先祖がその地域の長だったかどうかは分らないが、その後の天皇の時代では日本は高句麗や百済からの難民を受け入れ、移り住んだ彼等が日本民族の良き一員となっているところを見れば、権威を持つ天皇が居たからこそ秩序ある受け入れが出来たと思われる。
人は集団の中でしか生きることが出来ない。その集団の秩序があってこそ人は安らかでいられる。その秩序を得るには集団を治める長が必要になる。そして長は権威がないと集団を治めることが出来ない。残念ながら我々は未だ長を必要とする猿なのだ。日本ではその長が天皇なのだ。
では権威はどのようにして得ることが出来るのだろうか。天皇の場合は国民が担ぎ上げる事で出来上がる。そこにはチンギス・ハーンのような能力もカリスマ性も必要が無い。逆にそれだからこそ日本が現存する一番古い国なのだ。つまり天皇は神輿なのだ。そして国民がお互いに謙って神輿を担ぐ姿こそ、日本型民主主義の発露なのである。
それに対して西欧型民主主義はどうだろう。お互い権利を主張し衝突するので裁判官、弁護士、警察官がより必要いなる。渋谷のスクランブル交差点が外国人の観光のメッカになる理由は、日本型民主主義を見ての驚きなのである。図6も日本型民主主義の成果の一つである。
図5:
左、膝を突いて被災者を見舞われる両陛下のお姿を見て海外の多くの人が感動した。
右、天皇賞で貴賓室の天皇皇后両陛下に最敬礼する優勝したイタリアのミルコ・デムーロ騎手。
しかしこれも多くの日本国民が陛下に敬愛の念を持ってこそ。
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ついで言えば、本来なら日本では天皇以外の権威は不要である。 例えば何を勘違いしたのか、恰も権威者の如く発言する例えば学術審議会等の人がいるが、日本型民主主義を理解していない不遜な人だと言えるだろう。
図6、OECD諸国の強姦発生率(
拡大)
世界各国の強姦発生率である。日本は最下位。日本は女性の人権について遅れていると言う人がいるが、これを見てどう反応するだろうか。それは日本が単一民族だからと言う人もいるかも知れないが、それは違う。Y-DNAの配分を見ても分かるように、日本は東アジアで滅亡した民族を含め多様な民族で構成されている。それを単一民族にしたのが日本なのだ。
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北海道独立論・沖縄独立論
最近北海道では、『日本人に虐げられている先住民族アイヌ』の構図を作りだそうとしている人達がいる。最初にそれを言い出したのはアメリカ人だったが、現在は在日韓国人もその運動に加わっているようである。アメリカ人の場合は自分達の悪行を日本に転化する為であり、韓国人の場合は日本の悪評を広めることが自分達の地位を上げると信じているからである。
では江戸時代の日本人はアイヌ人をどう見ているかと言うと、幕末のおり千島列島に上陸して捕虜になって日本人をつぶさに観察したロシア仕官ゴローニンが、日本人はクリル人(千島アイヌ人)と日本人はかって同一民族だったと信じており、それに対して日本人は支那人同じ祖先と考えることすら忌み嫌ってことを書き残しているのである。事実、世界中で同じY-DNA持つ民族は日本人しかいない。当然同胞と思っているアイヌを日本人が迫害する訳がない。
また沖縄でも同様に中国が『琉球人と中国人は同じ民族だった』などと、沖縄を日本から切り離すために盛んに沖縄独立を行っているが、Y-DNAを見る限り沖縄人と現代中国人は殆ど関係が無い。沖縄人の主流なY-DNAは本土と同じD1bであり、漢族のY-DNAのタイプと言われているO2の割合は、日本本土の20%程に比べて沖縄ではおよそ16%と、沖縄の方が少ないぐらいである。
ではこのO2のY-DNAが何処から来たかであるが、例えば中国には日本に来た長江人のY-DNA(図1、O1b2=黄橙)と少しタイプが違うが、やはり長江人と考えられているミャオ族(図1、O1b1=濃橙)のような少数民族がいる。ミャオ族は明の時代まで漢族に抵抗した民族であったが、ところが彼等のY-DNAの割合は殆どO2で占められているのである。その理由は北米のインディアンのY-DNAの殆どが白人のDNAになっていることと同じである。
従ってこれは日本全体に言えることだが、日本列島のO2のY-DNAの殆どは、漢族が長江人女性に生ませた男子のY-DNAと言うことである。つまりそれは漢族ではなく長江人であり、少なくとも長江文明が滅んだ後の漢族とは別民族である。また本土の方がO2のY-DNAの割合が多いのは、朝鮮半島からの流入の為であるが、それも少数である。
琉球方言は古い日本語の万葉言葉。稲作も本土から伝わるなど沖縄は完全に日本の文化圏なのだ。
もう一つ。こじつけかも知れないが、ひょっとしたら沖縄人は火照命の子孫かも知れない。日本の古称はヤマトである。漢字では大和と書くが、倭・日本をヤマトと言う時もある。しかしヤマトは山人ではないだろうか。山幸彦と海幸彦の神話があるが、山幸彦は火遠理命(ほおりのみこと)で天皇の直系にあたり、海幸彦は火照命(ほでりのみこと)のことで火遠理命の兄にあたる。山幸彦が山人なら海幸彦は海人、つまり沖縄方言ではウミンチュとなるのである。
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あらためて日本に天皇以外、権威は必要が無いと思う。このチラシを作るため10冊以上の本が側にあるが、納得いった結論に至ったのはネット発信しくれた一般人の情報である。と言ってもこれ等の本を書いてくれた専門家に文句を言っている訳ではない。彼等とて、いい加減な研究から本を書いたわけではないだろう。色々な情報を発信してくれた事には感謝している。只、彼等をNHKなどが権威者として登場させるのが気に入らない。人々が新しい情報を知ることさえも阻害するのだ。あらゆる事に日本に権威者などいないと物事を進めれば、日本は多少は良くなるのではないだろか。