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崗上虜囚の備忘録

日本よ!。私の日本への思いです。 コメントに返事を書かないこともあります。悪しからず。 コメントの投稿は日本人だけにしてください。 日本人でない場合は、国籍を書いてください。 注、google chromeで閲覧出来ませんので、filefoxかinternet explorerで閲覧してください

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最高のエントリーです

日枝の件ですが、先日述べたこと以上は情報をつかんでいなく、再コメントできませんでした。

しかしながら、日枝がフジを牛耳る過程においてライブドア事件などの騒動があり、ライブドアの重役や民主の永田も変な死に方をしたことから、相当やばい背後があるだろうとは思っております。

そのため私は、所謂国際金融資本陣営にのっとられたのではと勘ぐっておりました。

ご迷惑をおかけしました。

さて、今回のエントリーは全くの同感であり、感銘を受けております。

このような問題提起は、著名人と呼ばれる連中からはほとんど聞いたことがありません。且つ、チャンネル桜ではおなじみの富岡氏はその中でも日本語の重要性を述べてはおりますが、その論点は古典だけであり、現在の日本語の利便性及び重要性については触れられておりません。

日本語は英語と比べても、
①漢字などにより情報密度が高い
②節を単位に語順が自由(助詞が文の形を決めている)
③漢字カタカナの存在により品詞の区別が容易
と利点が多いのです。

また、英語では3単元のSにより当事者と第3者(単数)とでは動詞が変わる、もっと言ってしまえば、主語によって同じ動詞も意味が変わるということです。自分が食べるのと他人が食べるのとでは「食べる」こと自体の意味が違うということです。

日本の文化では、相手の気持ち立場を当たり前のように想定しますが、英語圏にしてみれば文法レベルからして想定していないのですから、想像以上に排他的であると認識するべきと思います。

さらに言えば、その排他性は、日本人日本文化では容認できないことでもあります。

そのことからも、一番日本が差別が少ないということは、当然の帰結なのかもしれません。

科学技術の分野でも日本語は英語(ラテン語圏)に劣ることはなく、現に関孝和の時代には線形代数のレベルは西洋を超えていたし、最近証明されたフェルマーの定理も日本人がかなりか関わっています。

もうそろそろ、わざわざ英語で書いた論文が認められるノーベル賞の盲信もやめるべきと思います。

そして、私も日本独自のOSを開発するべきと思っております。機密性を高めるためでも。それこそやる気があれば、直ぐにでもできる公共事業です。

ITに関しては、統一性を重視すると極端に効率化できるものです。ということはマクロ経済の観点からはデフレ促進に寄与してしまします。しかし、言語を独立にすることでも効率性は落ちます。その反面セキュリティーは上がることに成ります。今の日本における状況では、極めて必要なモノと思います。

>勿論、将来でも日本語は使われるであろう。しかしその時は、学術的な事は全て英語となり、日本語は、子供や知識人でない層の言葉として使われる筈である。

私も同様な危惧を持っております。
これでは発展途上国であります。

そんなに国際化したければ、日本語ができなければ生きていけないほど、技術、文化、国力を強くすればよいのです。

どうも教育関係は、主に下村博文が決めたようです。秋入学の推進者でもあり、新自由主義の手先の疑いもあります。

「奴隷の平和はいらない」と自民党政権時代に言ったことではないでしょうか。本末転倒なのです。

Re. 最高のエントリーです、Sura様

ありがとうございます。同意して頂ける方がいるのは、心強いです。

>そして、私も日本独自のOSを開発するべきと思っております。機密性を高めるためでも。それこそやる気があれば、直ぐにでもできる公共事業です。

今やパソコンは個人の一生を記録するものになりつつあります。それがころころ変わる脆弱なOSでは、それを務めることはできないでしょう。産総研などは、KNOPIXの日本語化などをやっていますが、こんな事をやるぐらいなら独自OSを開発すべきでしょう。やる人材も組織も有るのです。

>これでは発展途上国であります。

英語教育をしすぎると、世代間の分断、歴史の分断、即ち日本が過去に蓄積した情報も失うことになります。と言うことは発展途上国から一からやり直せというようなものでしょう。

>そんなに国際化したければ、日本語ができなければ生きていけないほど、技術、文化、国力を強くすればよいのです。

欧米では、すしブームから日本食全般に関心が持たれています。と言っても、日本料理は国際化を意識したものでは有りません。自分達が美味しいと思ったものを追求しただけのものです。

日本人が美味しさを追求した為、日本の食材は支那やフランスの倍程あり、そのお陰で日本人の味覚も発達したそうです。逆に食文化の貧しい英米では味音痴の人の割合も高いとか。

処が国際化国際化と煩い連中から見れば、何時までも偏狭な日本料理のこだわっていると見えるのかも知れません。料理人も英語必須って、なりそうです。

話は変わりますが、イタリア半島にあるサンマリノ共和国が神社を建てるそうです。日本人が持ち込んだ話でも無く、日本の資金援助で神社を建てるのでも有りません。建材や宮大工以外、全てサンマリノ共和国による計画の下に造られるそうです。因みに神主もサンマリノの人とか。

これだって、日本人が先祖代々守り尊んできたから外国の人の目に留まり、キリスト教国なのに神社を作る計画が生まれたのでしょう。別に英語が出来る神主が多かったからでは有りません。

英語は「てげ」でよか

鹿児島弁で、「英語は『テキトー』で十分」と言うとこうなります。

常日頃から国語講師を本業に、英語講師さらに数学講師の何でも屋をやっていますが、おおっぴらに言えないまでも私の本音は「英語などお付き合い程度でよい」というものです。

また逆に言うと、中学英語に毛が生えた程度のやさしい英語で表現できないような意見は大したものではないから、必要あれば自分の意見はそこまでかみ砕くようにしたほうがよいだろうとも。

ご意見の趣旨に全面賛成します。

アルファベットの組み合わせであらゆる事象を表現できると考える浅はかさが英語を母語とする人たちには無意識のうちに定着するように感じます。

漢語、英語まで取り込みながら広汎かつ深い自律的生存を続けているわれらが日本語は強力で、母語とする私たちにはたやすくものごとを断定しない思慮深さが備わります。一方で絶えず新しい生存のあり方を模索する求道のような生き方が可能だし、疲れたらその深みを保ったままで一息つくこともできるわけです。

しかし、本来その担い手として期待される文学界は低迷を続け、長年読み続けてきた芥川賞作品に私個人はもう6~7年前から興味を失い、百人一首などの和歌や古事記あるいは江戸期の俳文等にシフトしています。

私事は措くとして、今後の日本人の技術、コンテンツの充実に国産OSの必要性に同意します。

敗戦後他分野の根幹で、どこか頭を抑えられなかなか突破できない状況がありますが、コンピュータの世界もそうで、まさしく国産OSトロンが邪魔されたことは象徴的です。在日が一枚かんでいたことも後日聞き及び、歯噛みする思いをしました。坂村教授はご健在で相変わらずご活躍ですが、政治家、官僚にトロンを護持する構えがなかった事態に、危惧を持ちます。

安倍さんはじめ、自民党の躍進はいまのところ歓迎していますが、さらに真剣に日本再生、復活、復権に励んでほしいところです。

Re. 英語は「てげ」でよか、篠の目様

>鹿児島弁で、「英語は『テキトー』で十分」と言うとこうなります。

現役の英語の先生に言われると、複雑な気持ちになりますが、小学校の英語教育は止めて、塾にすれば全て丸く収まります(笑)。心配はTPPです。公共事業発注の仕様書や、民間の取引でも英語を強制される可能性が有ります。そうなると日本は死語になるでしょう。稲作農家が無くなる以上の問題です。

>漢語、英語まで取り込みながら広汎かつ深い自律的生存を続けているわれらが日本語は強力で、母語とする私たちにはたやすくものごとを断定しない思慮深さが備わります。一方で絶えず新しい生存のあり方を模索する求道のような生き方が可能だし、疲れたらその深みを保ったままで一息つくこともできるわけです。

でも日本語は難しいですね。色々な言い回しがあるから迷ってしまいます。恐らく篠の目さんの言わんとする処は其れだと思いますが、文字を書くこと自体苦手なので、そこまで行っていません。

「武士の家計簿」を書いた磯田道史氏は、「薄暗い書庫の床に座り込んで、ほこりの中を古書をむさぼり読む・・」と言って、日本人の書いたものの中に宝を発見しているですから、英語を学ばなければ発見は無いと考えて人は、チルチル・ミチルと同じ過ちをするでしょう。

>今後の日本人の技術、コンテンツの充実に国産OSの必要性に同意します。

職場には回りに大勢の研究者がいますが、彼らにはワークステーションとパソコンを与えられます。全てワークステーションにすれば良いのですが、UNIXマシンは日本語環境が貧弱です。それでWindwsマシンが必要になるわけですが、無駄です。Windwsの日本語入力のIMEは支那で作っているとか。どういう訳か、このIMEは時々変な動作をします。トロンを潰したことで、日本人は色々なものを取り上げられたようです。

今からTORON開発をしても良いと思います。ソース公開で国民OSにすれば、脆弱性などは国民が指摘し、国民が改善策を考えてくれます。勿論IT技術者は増えます。TORONの頃はRISKかCISKの論争があり「CISKチップのトロンは時代遅れだ」なんて言う人がいましたが、今やRISKのワークステーションより、CISKのパソコンの方が早いので、新たなトロン・チップを開発しても良いと思います。半導体業界も助かりますが、若い技術者にチャレンジさせることで、苦手となってしまったCPU開発技術者を養成できます。

携帯電話でもガラパゴスだったので、パソコンだって許されるでしょう。

問題は、政治家の危機感と意思でしょう。

技術の売り方

日本の経営者に目を開いてほしいと願うに、「自社技術の再評価と戦略性の掘り下げ」と云う点が有ります。

 例えば、東芝がそれこそ社運を懸けて作った大分の半導体工場でしたが、ご存知の通り、半導体業界は、「ジェットコースター産業」と言われる様に、単年度の浮き沈みの幅が大きい。 是に業を煮やした東芝経営陣が早々に大分工場を閉鎖・撤退して終った。 

 この企業の振る舞いを評価するに、確かに、大分工場を建設する資金は回収出来たのかもしれません。 建設や生産に関わった従業員も実質解雇だったようですから、撤収するタイミングを採算性だけで諮ったら、経理面は大成功だった事になるでしょう。

 解雇された従業員は、僅かな退職金と共に失意の裡に、転職を模索する他はなかった。

 折しも、国家経済破綻の憂き目に遭って青息吐息だった韓国が、乾坤一擲、半導体産業に打って出ようと臍を固めていたから、此の失意の技術者集団に声を懸けた。

 「韓国の再生にご協力ください。 報酬は東芝の3倍で、重役待遇を用意して居ます」

 この誘いは、技術者集団にとって正に干天の慈雨出在った事は言うまでもない。 そして、サムスンは世界一の半導体企業になったワケです。

 此のサムスンの賭けの根拠とは、半導体生産の全部をサムスンが握れば、価格も握る事が出来ると云う「覇権主義」で在る事は容易に判りますが、米国も日本もそして欧州勢もそれを遣らなかった。 それはキット半導体の消費量を一定に保てる要因が未だ無かったからでしょう。 それは、日立・NECが後に対抗して建てたエルピーダが、覇権を握れず、価格の乱高下に巨額の赤字を計上して、終息して終った事で、今でも続いていると思います。

 そのサムスンも米国企業団に、株式を買い占められて、実質米国企業の傘下企業になって終いましたがね。

 問題にしたいのは、こう云う企業間の仁義なき戦いのモラル云々ではなく、何故、日本の企業は、「技術者を大事に扱えないのか?」と云う事です。

 日本社会は元々、漁労海産と水耕稲作を生業とする東夷族の影響を多く受けて居ます。 其、社会は、先ず、「船を造る」技術が基礎に在らねば、成立すら難しいでしょう。 船をつくる技術は、様々な範囲の知見・学識の集大成ですし、新たな要求に適した船を造る事で、そうした知見や学識の方も工場・発展できると云う相互関係を持っている。

 日本社会では、厳しい自然の中で生きてゆく裡に、造船、航海術の技術の習得や気象・海象の知見等々は、寧ろ。自然な形で吸収されて当たり前の水準が育ってきたから、明治以降の急速な工業化に伍して行く処か、僅か、50年後には彼等をはるかに凌駕する船や飛行機を生み出すに至ったのです。

 こういうポジティブな面は、近年よく知られて来た事ですが、その反面のネガティブな事象として、自分達の価値感や道徳観、教育や技術水準すら、世界に汎く行き亘っているとの、無意識の思い込みが存在します。

 「和を持って貴しとなす」日本の社会の価値観なら、「成果は、仕事に関わった多くの力のモノであるからには、技術者の仕事ばかり評価できない」と云う、評価法の観点は確かに正しいでしょう。

 然しそれで、技術者集団を繋ぎとめられるでしょうか?

 現在の日本の家電業の苦境の原因とは、明らかに此の問いに、明快な答えを出せない処に在るのではないでしょうか。

 先進の技術の昇華である、新製品も、リバースエンジニアリングで簡単に、敵の手に渡るのですから、経営と技術開発が正比例の関係にない事は、既に自明の理です。 然も、生活に必要なモノは既に飽和状態に達している、随い、是からは、新製品を出せば飛ぶように売れる時代では無いでしょう。

 この先は、技術開発が目指す方向を変えて行くしかない。

 詰まり、従来目指した、もっと便利に、もっと早く、もっと安く、ではなく、もっと簡単に、もっと安全に、もっと長く使える様なモノを提供すればよいのです。

 その為には、メンテナンスエンジニアリングを磨いて行く事だと思います。

 電化普及度の低い開発途上国への「中古家電の輸出」は、未開拓の分野でしょうが、原発の建設があちこちで計画されている現状から、途上国でs¥電化製品が売れ始める事態は直ぐに具現化します。

 購買力が十分でない途上国へ対処するなら、先ずは、「中古品輸出」を可能にするべき、それには、耐久年数の延長やメンテナンス可能な形にする事こそ望ましい事でではないでしょうか。

 勿論、長期的な戦略性を加味すれば、別の答えも在ると思いますが。

Re. 技術の売り方、ナポレオン・ソロ様

>日本の経営者に目を開いてほしいと願うに、「自社技術の再評価と戦略性の掘り下げ」と云う点が有ります。

経営者と言うより、日本社会全般が技術者軽視になっていますね。政治家も同じです。英語教育重視なんかは、その最たるものです。科学立国と言いながら、なんで食っているか理解していないようです。士農工商と身分を決めた江戸時代の武士の方がまだ分かっています。あの時代は農本主義でしたからね。

といって技術者を養成しても、輸出立国を目指すのは間違ってます。円安を武器に輸出を当てにしたら、韓国と同じになってしまいます。輸出目当ての大量生産から、内需だけで高品質と生産性を如何に上げるかが、これからの日本の課題でしょう。

>その為には、メンテナンスエンジニアリングを磨いて行く事だと思います。

逆に若い時に開発・設計を行わすことが、メンテナンスエンジニアリング技術も磨くことになります。マニュアル人間ではメンテナンスはできません。多品種・少量生産になると開発・設計者は一杯必要になります。そこで余った(ロートル)人間をメンテナンスに回せ良いと思います。

最近は事務系の職場にいますが、そこでも技術系の人間の方が潰しが利きます。何事も専門家の養成は必要ですが、日本に必要なのは理科教育です。偏見を込めての意見と言うより、私の危機感からの意見です。

消費力は戦争を遠ざける

>>技術者を養成しても、輸出立国を目指すのは間違ってます
舌足らずだったかもしれませんね日本が是まで歩んで来た道程から考えれば、輸出立国等は過去の遺物です。

 私が目指してほしいのは、電化製品の新しい消費市場の開拓です。 それは、アラブイスラム圏の20億人、アフリカ圏の10億人の消費者で構成されています。

 其処で高い電化製品を売るには、今までの先進国に対する製品とはまた違う価値感を持たねばならないし、先ずは、購買力を育てる処から始めなくてはイケナイ。

 ちゃんとした野菜畑を造るには、イキナリ種をまくのでは無く、土壌や地の理迄考え、対策を講じてからと云うのに似て居ます。

 随い目指して居るのは、モノの輸出ではありません。 人や技術といった、極めて云えば、日本思想の輸出です。

 経済繁栄がもたらす、便利さや清潔さと云った豊かさを味わったモノは、その情況を維持しようと考えます。 

 その情況とは、平和です。

 戦争は、貧困から生まれますが、その貧困は利己主義から生じていると云う事に気が着けば、戦争で奪い取るのでは無く、平和を維持する事こそが、多くの人々の経済活動を盛んにし、社会に富を蓄積する事に繋がると云う、近代社会の法則を展開するに至る途である事を理解するのだと思います。

 日本は東南アジアで既にこの方式を成功させている、30億人を超える大消費地が、是から次第に目を覚まそうとして居ます。 

 東南アジアも嘗ては、常時戦火が止む時の無い地域であったが、次第にテロは有っても、近代化され、消費力が上がって来るに随い、戦火が遠ざかり、暴動や戦争は少なくなってきているのではないでしょうか。

知恵の評価は多数できない

>日本に必要なのは理科教育です。偏見を込めての意見と言うより、私の危機感からの意見です。

同感ですが、評価する側に立ってみれば、「理科教育」即ち知恵を評価するには、知識の有無よりはるかに面倒で、多人数の評価は難しいと思います。

資格などの試験も、当然知識を問うものとなるので、知恵がお座成りになる事情が、世間で知識偏重となるのではないかと思います。

やはり1対100以上となると、どうしても知恵は計れないので、社会構造を少人数多階層(例えば4~5人のグループのリーダーが一つ上の階層のグループを作り、そのグループも4~5人で構成され、そのリーダーが更に上の階層のグループと、フラクタル構造を持ったような様)にしないといけないような気がします。

具体的には、地域社会を密にすることでしょうか?原因が分かっても解決は難しいでしょう。

何れにしても、単純な多数集団の纏まりでは如何しても知識偏重の評価にならざるを得ないので、長期的にかつ継続的に社会構造を調整する必要があると思います。

今もそうが如何かわかりませんが、30年ほど前の小学校では児童5~6人の班を作らせていましたが、この方針は評価するべきとは思います。どうしても政治に興味を持ってしまうと、学校教育の問題を指摘しがちですが。

Re.消費力は戦争を遠ざける、ナポレオン・ソロ様

>>輸出立国を目指すのは間違ってます

は、世間の風潮のことを言ったので、ソロさんの事を言ったのでは有りません。でも「消費力は戦争を遠ざける」でしょうか。

日本は支那にそう思って支援しました。結果はさらに強欲を深めることになりました。唯一戦争を遠ざける可能性は、日本の文化に憧れを持つ支那人がいることです。それは、料理やアニメや工業製品を含む全ての物作りに、日本文化の特徴である、気配りや持て成しの心を感じたからではないでしょうか。

世界に広めるべきは、気配りや持て成しの精神であり、日本人自身が意識して取り戻す必要がある文化です。当然発展途上国の人が、他人を持て成す喜びを感じるようになれば、戦争を遠ざけることになるかと思います。

その意味では輸出は反対ではありません。自分達が作った物を世界の人に提供したいと思うのを、妨げる理由は有りません。

Re.知恵の評価は多数できない、Sura様

日本の理科教育に対して、危機感と言ったのは、国力=国防に結びついているからですが、その他の意味としては、理科教育は即頭で考える能力がつくと言うより、文系の学問より子供の可能性が広がる事もあります。

子供の教育が、ある程度知識偏重になるのは、やむ得ないと思います。周期律表を中等教育で外しましたが、これが丸暗記であっても、覚えていればその内に何故と疑問が生まれます。記憶に無ければ疑問さえ沸きません。それに自然科学は、人類が共通して語り合える学問です。また一個人が追求しても、尽きない学問です。これを子供から取り上げるのは酷な話です。

只、理科教育は個々の能力を高めるだけで、集団としての生き方を教えてくれる学問ではないので、別の教育法も必要でしょう。昔の寺子屋のように、上級生が下級生を責任を持って、教え導く制度が有っても良いと思いますが、日本文明を捨てて西欧文明に接木してまった現在、出来るかどうか難しいところです。

家族崩壊、地域崩壊、国家意識の欠如。日本病とでも言える現在の日本の迷走は、ひょっとしたら日本が最先端にいるからかも知れません。そんな中、日本の過去の知恵にも可能性を見つけなければならないのに、英語教育は止めて欲しいものです。

英語教育は日本破壊のテロ

自民党教育再生実行本部(遠藤利明本部長)が、国公立大学の受験等に英語能力テスト「TOEFL」で一定以上の成績を求めることの提言を、安倍首相に提出したそうである。

提言には、その他に理数教育の刷新やICT(情報通信技術)教育の充実もあるが、目的が、世界で活躍できるグローバル人材育成策とあるので、日本の為と言うより、日本以外の国の要望のように見える。ひょっとしたTPPの為かもしれない。つまり、使いやすい奴隷の育成である。

科学技術立国と言われながら、放射線恐怖症患者の多さを見て分かるように、日本人の科学音痴を矯正するために、有る程度の理数教育必要かもしれないが、情報通信技術教育が必要って、なんだろうか。

日本が情報通信技術関連でアメリカに遅れを取ったのは、自民党政権時代であるが、国産OS=TORONを潰したことが原因の一つである。ソースがオープンで、日本語のドキュメントがあれば独学も可能であるが、オープンないWindowsや、ソースが公開のLinuxには技術文書が有るが、慣れない英語の為に脱落したエンジニアもかなりいると思われる。

だから英語教育が必要と言っても、今更WindowsやLinuxの教育を行ったとしても、世界最高水準のICT教育にはならない筈である。過去の技術をマスターするだけである。人口知能に類するソフト関連等は、まだまだ発展の余地はあるが、殆どのソフト産業は労働集約型の産業である。確かに頭は使うが、新たなイノベーションが生まれるような業界とは思われない。

国家戦略としてのICT教育というのなら、独自OSの開発からやるべきだろう。もっとも教育再生実行本部が、そこまで考えているとは思えない。ICT教育について、「小・中・高・特別支援学校を通じて、1 人1 台のタブレットPC(情報端末)、電子黒板、無線LAN、云々」と書かれているのだから、使い方を教えるだけのようである。

それなら自分でPCを買う年代が、講習会や各種学校の短期講習で学べば済むところを、教育再生実行本部がやらんとするICT教育は、学ぶべきものが一杯ある児童の学習の邪魔をするのが目的としか考えられない。ICT教育も馬鹿馬鹿しいが、それより問題は英語教育である。

現在、日本に関心を示す外国人が非常に多くなっている。彼らにとって日本は、柔道・空手に始まって、アニメ・漫画から寿司・日本食ブームと続いて、カメラ・日本車やロボット技術、はたまたホンダ・ジェットなど見て、日本は何でも有る国から、何かを生み出してくれる国と、希望に満ちた国になっているのである。つまり日本は何かを生み出してくれる、世界最先端な国と期待されているのである。

その行く先は、安倍政権が目指す成長戦略に合致する。当然、外国の人の期待に答えるなら、日本が進むべき道は、文化伝統を保存すると同時に、より科学教育や、技術者や職人の育成を行うべきであり、ICT教育などである訳が無い。英語教育などでは断じてない。

日本紹介のYoutube等のコメント欄で、「日本人は一つ物を追求して、より完成度の高い物にしてしまう」と言う外国人のコメントをよく見かけることがある。外国人も日本人の特質が分かってきたのである。

このことは、日本には、あらゆる伝統文化や科学技術等に、この道一筋のプロがいることに他ならない。それは日本社会は古来から、一芸に秀でることが賞賛される社会であり、それは一人一人が持っている特質を生かす社会であって、一つの価値基準で人間の順位をつける社会ではなかった事を意味する。

人によって得意なものと、不得意なものは違う。当然、数学・理科は得意であるが、英語が苦手な人間もいる。同じ脳を使う仕事でも、人によって言語を扱う能力、3次元空間を扱う能力は違うのである。場合によっては、言語が3次元空間の認識を妨げる場合だってある。

知り合いの研究者から、飛びぬけ優秀であるが、英語が大の苦手な研究者がいるとの話を聞いたことがあるが、これから、そういう人間はどう扱うのだろうか。TOEFLテストでふるい落とすのであろうか。

先に述べたように、日本が進むべきところは世界最先端の国である。世界最先端に到達するためには、脇目も振らずその道一筋に没頭しなければ、達成できないのである。わざわざ苦手な英語の学習に時間を費やし、外国の論文から学べというのだろかうか。

これを別な例えで言えば、その道一筋に向かわんとする人に、必要以上の英語教育を課すことは、マラソン選手に重量挙げや柔道の試験を課すのと同じではないだろうか。

上記の問題点は、必要以上の英語教育が個人の能力の発揮を妨げ、結果、先端科学の研究などを邪魔することが有りうる事であるが、自民党教育再生実行本部が提言した英語教育には、それを遥かに超える大問題を含んでいる。

日本人は、中学・高校・大学と、6年から10年英語教育を受ける訳であるが、殆どの日本人は英語がしゃべれない。しゃべるだけでは無い。大卒であっても、すらすらと読み書きが出来る人は少ない。処がフィリピン人などは、英語・スペイン語やタガログ語などに加え、日本語もあっと言う間にマスターする。その違いは何だろうか。

それは日本語が全てを包蔵する言語だからである。日本語は、抽象的語彙も具象的語彙も豊富で、感情を言い表すこともできるし、論理的な記述も可能である。これは全て先人達が、新たな言葉を作り出し、不明な外来語があれば是を咀嚼して、新たに日本語に付け加えてくれた結果である。

現代日本人は、日本語を学ぶことだけで、労せずして先人達の蓄積も学べる訳である。ようするに日本人が英語に限らず、外来語音痴なのは、日本が簡便すぎて外国語を学ぶ気にならない処から来ているのである。

これについては、『中韓を知りすぎた男』のブログの記事日本語の力に興味深い話が載っている。

それはスリランカの大僧正、アーナンダ僧正が言った言葉「英語で会話するといま貴方と会話しているような深い所まで入っていけません、英語には深い言葉がありません,白か黒かだけであまりにも単純すぎます。その点日本語は、広くて、細かくて、大変深いです。日本語の凄さを知ってほしいから一度英語で会話しましょう、直ぐに、分かります」である。

詳しくは2008/09/19(金)の記事を是非見て頂きたい。


そして英語教育は、日本人から日本語を取り上げることになるのある。若し、これから英語教育を受けた日本人が多数を占める時代が来たらどうであろうか。現在、翻訳された多くの書籍が書店の棚に並んでいるが、将来は原文ばかりになるだろう。それだけでは無い。その時は日本人知識人の著書も英文で書かれるだろう。結果、日本語は有用な言葉として使われなくなり、日本語は死に絶えるのである。

勿論、将来でも日本語は使われるであろう。しかしその時は、学術的な事は全て英語となり、日本語は、子供や知識人でない層の言葉として使われる筈である。

これって見覚えがないだろうか。李氏朝鮮である。李氏朝鮮の支配階級でもあり、知識人である両班の使う言語は漢語である。国王が国民の為に作ったハングルは女・子供だけで使われ、両班達は馬鹿にして是を使わず。結果李氏朝鮮では支配階級と被支配階級が分断され、文化は低迷し、経済も発展せず、勿論庶民の文学など生まれなかったのである。

専門家を養成するための英語教育は必要であろう。しかし、自民党教育再生実行本部の出した英語教育の抜本的改革は、李氏朝鮮を見本にしているようなものではないか。恐らく、この英語教育の抜本的改革等の提言を行った遠藤利明本部長達の頭は、李氏朝鮮の両班が支那コンプレックスだったように、欧米コンプレックスの塊なのだろう。

=================================================================
首相官邸:政策会議ー教育会議再生実行会議
教育委員会制度等の在り方について(第二次提言案)から

英語教育の抜本的改革
------------------------------
1.大学において、従来の入試を見直し、実用的な英語力を測るTOEFL 等の一定以上の成績を受験資格及び卒業要件とする世界レベルの教育・研究を担う大学を30 程度指定し、その学生の卒業要件をTOEFL iBT 90 点相当とするとともに、集中的な支援によりグローバルに活躍する人材を年10 万人養成。

2.高等学校段階において、TOEFL iBT 45 点(英検2級)等以上を全員が達成する。

3.国家公務員の採用試験において、TOEFL 等の一定以上の成績を受験資格とする。
------------------------------
提言を実現するための施策
・ 英語教師について一定の英語力(TOEFL iBT 80 点(英検準1級)程度以上等)を採用条件
・ 求められる英語力を達成した教師の割合を都道府県ごとに公表
・ 外国語教師を目指す者全員に養成段階における留学機会を付与
・ 現職英語教師全員が今後5 年間の間に国内外で研修受講
・ 少人数指導等のための教師の増員
・ 小・中・高等学校における英語教育を抜本的に改革・強化、その一環として学校教育において英語に触れる時間を格段に増加(土曜日の活用、イングリッシュ・キャンプ、タブレットPC 等の活用)
・ 日本の伝統や文化など、日本人として必要な教養を身につけ、国際的に発信できる力を育成
・ 海外留学費用の負担軽減のための支援の抜本的拡充(予算及び税制)
・ 入試における帰国子女枠等において短期の留学も積極的に評価
・ 世界のトップ大学に進学できるコミュニケーション能力・論理的思考力などを備える人材を育成する「グローバル・リーディング・ハイスクール」(仮称)を各都道府県に最低1校ずつ整備し、その中で英語授業の改革も支援・ 授業の半数以上を英語で実施、留学生交流促進を行う30 程度の大学を重点的財政支援校に指定
・ 大学学部レベルにおいて、業務上英語を実践的に活用できる人材育成を目的とした教育プログラムを開発する100 程度の大学を支援校に指定
------------------------------------------------------------------

民主党政権の外国人参政権や人権侵害救済法等の日本破壊法案の反対運動を行ったが、今度は自民党政権のTPPや英語教育の反対運動を行わなければならなくなったようである



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日枝の件ですが、先日述べたこと以上は情報をつかんでいなく、再コメントできませんでした。

しかしながら、日枝がフジを牛耳る過程においてライブドア事件などの騒動があり、ライブドアの重役や民主の永田も変な死に方をしたことから、相当やばい背後があるだろうとは思っております。

そのため私は、所謂国際金融資本陣営にのっとられたのではと勘ぐっておりました。

ご迷惑をおかけしました。

さて、今回のエントリーは全くの同感であり、感銘を受けております。

このような問題提起は、著名人と呼ばれる連中からはほとんど聞いたことがありません。且つ、チャンネル桜ではおなじみの富岡氏はその中でも日本語の重要性を述べてはおりますが、その論点は古典だけであり、現在の日本語の利便性及び重要性については触れられておりません。

日本語は英語と比べても、
①漢字などにより情報密度が高い
②節を単位に語順が自由(助詞が文の形を決めている)
③漢字カタカナの存在により品詞の区別が容易
と利点が多いのです。

また、英語では3単元のSにより当事者と第3者(単数)とでは動詞が変わる、もっと言ってしまえば、主語によって同じ動詞も意味が変わるということです。自分が食べるのと他人が食べるのとでは「食べる」こと自体の意味が違うということです。

日本の文化では、相手の気持ち立場を当たり前のように想定しますが、英語圏にしてみれば文法レベルからして想定していないのですから、想像以上に排他的であると認識するべきと思います。

さらに言えば、その排他性は、日本人日本文化では容認できないことでもあります。

そのことからも、一番日本が差別が少ないということは、当然の帰結なのかもしれません。

科学技術の分野でも日本語は英語(ラテン語圏)に劣ることはなく、現に関孝和の時代には線形代数のレベルは西洋を超えていたし、最近証明されたフェルマーの定理も日本人がかなりか関わっています。

もうそろそろ、わざわざ英語で書いた論文が認められるノーベル賞の盲信もやめるべきと思います。

そして、私も日本独自のOSを開発するべきと思っております。機密性を高めるためでも。それこそやる気があれば、直ぐにでもできる公共事業です。

ITに関しては、統一性を重視すると極端に効率化できるものです。ということはマクロ経済の観点からはデフレ促進に寄与してしまします。しかし、言語を独立にすることでも効率性は落ちます。その反面セキュリティーは上がることに成ります。今の日本における状況では、極めて必要なモノと思います。

>勿論、将来でも日本語は使われるであろう。しかしその時は、学術的な事は全て英語となり、日本語は、子供や知識人でない層の言葉として使われる筈である。

私も同様な危惧を持っております。
これでは発展途上国であります。

そんなに国際化したければ、日本語ができなければ生きていけないほど、技術、文化、国力を強くすればよいのです。

どうも教育関係は、主に下村博文が決めたようです。秋入学の推進者でもあり、新自由主義の手先の疑いもあります。

「奴隷の平和はいらない」と自民党政権時代に言ったことではないでしょうか。本末転倒なのです。

Re. 最高のエントリーです、Sura様

ありがとうございます。同意して頂ける方がいるのは、心強いです。

>そして、私も日本独自のOSを開発するべきと思っております。機密性を高めるためでも。それこそやる気があれば、直ぐにでもできる公共事業です。

今やパソコンは個人の一生を記録するものになりつつあります。それがころころ変わる脆弱なOSでは、それを務めることはできないでしょう。産総研などは、KNOPIXの日本語化などをやっていますが、こんな事をやるぐらいなら独自OSを開発すべきでしょう。やる人材も組織も有るのです。

>これでは発展途上国であります。

英語教育をしすぎると、世代間の分断、歴史の分断、即ち日本が過去に蓄積した情報も失うことになります。と言うことは発展途上国から一からやり直せというようなものでしょう。

>そんなに国際化したければ、日本語ができなければ生きていけないほど、技術、文化、国力を強くすればよいのです。

欧米では、すしブームから日本食全般に関心が持たれています。と言っても、日本料理は国際化を意識したものでは有りません。自分達が美味しいと思ったものを追求しただけのものです。

日本人が美味しさを追求した為、日本の食材は支那やフランスの倍程あり、そのお陰で日本人の味覚も発達したそうです。逆に食文化の貧しい英米では味音痴の人の割合も高いとか。

処が国際化国際化と煩い連中から見れば、何時までも偏狭な日本料理のこだわっていると見えるのかも知れません。料理人も英語必須って、なりそうです。

話は変わりますが、イタリア半島にあるサンマリノ共和国が神社を建てるそうです。日本人が持ち込んだ話でも無く、日本の資金援助で神社を建てるのでも有りません。建材や宮大工以外、全てサンマリノ共和国による計画の下に造られるそうです。因みに神主もサンマリノの人とか。

これだって、日本人が先祖代々守り尊んできたから外国の人の目に留まり、キリスト教国なのに神社を作る計画が生まれたのでしょう。別に英語が出来る神主が多かったからでは有りません。

英語は「てげ」でよか

鹿児島弁で、「英語は『テキトー』で十分」と言うとこうなります。

常日頃から国語講師を本業に、英語講師さらに数学講師の何でも屋をやっていますが、おおっぴらに言えないまでも私の本音は「英語などお付き合い程度でよい」というものです。

また逆に言うと、中学英語に毛が生えた程度のやさしい英語で表現できないような意見は大したものではないから、必要あれば自分の意見はそこまでかみ砕くようにしたほうがよいだろうとも。

ご意見の趣旨に全面賛成します。

アルファベットの組み合わせであらゆる事象を表現できると考える浅はかさが英語を母語とする人たちには無意識のうちに定着するように感じます。

漢語、英語まで取り込みながら広汎かつ深い自律的生存を続けているわれらが日本語は強力で、母語とする私たちにはたやすくものごとを断定しない思慮深さが備わります。一方で絶えず新しい生存のあり方を模索する求道のような生き方が可能だし、疲れたらその深みを保ったままで一息つくこともできるわけです。

しかし、本来その担い手として期待される文学界は低迷を続け、長年読み続けてきた芥川賞作品に私個人はもう6~7年前から興味を失い、百人一首などの和歌や古事記あるいは江戸期の俳文等にシフトしています。

私事は措くとして、今後の日本人の技術、コンテンツの充実に国産OSの必要性に同意します。

敗戦後他分野の根幹で、どこか頭を抑えられなかなか突破できない状況がありますが、コンピュータの世界もそうで、まさしく国産OSトロンが邪魔されたことは象徴的です。在日が一枚かんでいたことも後日聞き及び、歯噛みする思いをしました。坂村教授はご健在で相変わらずご活躍ですが、政治家、官僚にトロンを護持する構えがなかった事態に、危惧を持ちます。

安倍さんはじめ、自民党の躍進はいまのところ歓迎していますが、さらに真剣に日本再生、復活、復権に励んでほしいところです。

Re. 英語は「てげ」でよか、篠の目様

>鹿児島弁で、「英語は『テキトー』で十分」と言うとこうなります。

現役の英語の先生に言われると、複雑な気持ちになりますが、小学校の英語教育は止めて、塾にすれば全て丸く収まります(笑)。心配はTPPです。公共事業発注の仕様書や、民間の取引でも英語を強制される可能性が有ります。そうなると日本は死語になるでしょう。稲作農家が無くなる以上の問題です。

>漢語、英語まで取り込みながら広汎かつ深い自律的生存を続けているわれらが日本語は強力で、母語とする私たちにはたやすくものごとを断定しない思慮深さが備わります。一方で絶えず新しい生存のあり方を模索する求道のような生き方が可能だし、疲れたらその深みを保ったままで一息つくこともできるわけです。

でも日本語は難しいですね。色々な言い回しがあるから迷ってしまいます。恐らく篠の目さんの言わんとする処は其れだと思いますが、文字を書くこと自体苦手なので、そこまで行っていません。

「武士の家計簿」を書いた磯田道史氏は、「薄暗い書庫の床に座り込んで、ほこりの中を古書をむさぼり読む・・」と言って、日本人の書いたものの中に宝を発見しているですから、英語を学ばなければ発見は無いと考えて人は、チルチル・ミチルと同じ過ちをするでしょう。

>今後の日本人の技術、コンテンツの充実に国産OSの必要性に同意します。

職場には回りに大勢の研究者がいますが、彼らにはワークステーションとパソコンを与えられます。全てワークステーションにすれば良いのですが、UNIXマシンは日本語環境が貧弱です。それでWindwsマシンが必要になるわけですが、無駄です。Windwsの日本語入力のIMEは支那で作っているとか。どういう訳か、このIMEは時々変な動作をします。トロンを潰したことで、日本人は色々なものを取り上げられたようです。

今からTORON開発をしても良いと思います。ソース公開で国民OSにすれば、脆弱性などは国民が指摘し、国民が改善策を考えてくれます。勿論IT技術者は増えます。TORONの頃はRISKかCISKの論争があり「CISKチップのトロンは時代遅れだ」なんて言う人がいましたが、今やRISKのワークステーションより、CISKのパソコンの方が早いので、新たなトロン・チップを開発しても良いと思います。半導体業界も助かりますが、若い技術者にチャレンジさせることで、苦手となってしまったCPU開発技術者を養成できます。

携帯電話でもガラパゴスだったので、パソコンだって許されるでしょう。

問題は、政治家の危機感と意思でしょう。

技術の売り方

日本の経営者に目を開いてほしいと願うに、「自社技術の再評価と戦略性の掘り下げ」と云う点が有ります。

 例えば、東芝がそれこそ社運を懸けて作った大分の半導体工場でしたが、ご存知の通り、半導体業界は、「ジェットコースター産業」と言われる様に、単年度の浮き沈みの幅が大きい。 是に業を煮やした東芝経営陣が早々に大分工場を閉鎖・撤退して終った。 

 この企業の振る舞いを評価するに、確かに、大分工場を建設する資金は回収出来たのかもしれません。 建設や生産に関わった従業員も実質解雇だったようですから、撤収するタイミングを採算性だけで諮ったら、経理面は大成功だった事になるでしょう。

 解雇された従業員は、僅かな退職金と共に失意の裡に、転職を模索する他はなかった。

 折しも、国家経済破綻の憂き目に遭って青息吐息だった韓国が、乾坤一擲、半導体産業に打って出ようと臍を固めていたから、此の失意の技術者集団に声を懸けた。

 「韓国の再生にご協力ください。 報酬は東芝の3倍で、重役待遇を用意して居ます」

 この誘いは、技術者集団にとって正に干天の慈雨出在った事は言うまでもない。 そして、サムスンは世界一の半導体企業になったワケです。

 此のサムスンの賭けの根拠とは、半導体生産の全部をサムスンが握れば、価格も握る事が出来ると云う「覇権主義」で在る事は容易に判りますが、米国も日本もそして欧州勢もそれを遣らなかった。 それはキット半導体の消費量を一定に保てる要因が未だ無かったからでしょう。 それは、日立・NECが後に対抗して建てたエルピーダが、覇権を握れず、価格の乱高下に巨額の赤字を計上して、終息して終った事で、今でも続いていると思います。

 そのサムスンも米国企業団に、株式を買い占められて、実質米国企業の傘下企業になって終いましたがね。

 問題にしたいのは、こう云う企業間の仁義なき戦いのモラル云々ではなく、何故、日本の企業は、「技術者を大事に扱えないのか?」と云う事です。

 日本社会は元々、漁労海産と水耕稲作を生業とする東夷族の影響を多く受けて居ます。 其、社会は、先ず、「船を造る」技術が基礎に在らねば、成立すら難しいでしょう。 船をつくる技術は、様々な範囲の知見・学識の集大成ですし、新たな要求に適した船を造る事で、そうした知見や学識の方も工場・発展できると云う相互関係を持っている。

 日本社会では、厳しい自然の中で生きてゆく裡に、造船、航海術の技術の習得や気象・海象の知見等々は、寧ろ。自然な形で吸収されて当たり前の水準が育ってきたから、明治以降の急速な工業化に伍して行く処か、僅か、50年後には彼等をはるかに凌駕する船や飛行機を生み出すに至ったのです。

 こういうポジティブな面は、近年よく知られて来た事ですが、その反面のネガティブな事象として、自分達の価値感や道徳観、教育や技術水準すら、世界に汎く行き亘っているとの、無意識の思い込みが存在します。

 「和を持って貴しとなす」日本の社会の価値観なら、「成果は、仕事に関わった多くの力のモノであるからには、技術者の仕事ばかり評価できない」と云う、評価法の観点は確かに正しいでしょう。

 然しそれで、技術者集団を繋ぎとめられるでしょうか?

 現在の日本の家電業の苦境の原因とは、明らかに此の問いに、明快な答えを出せない処に在るのではないでしょうか。

 先進の技術の昇華である、新製品も、リバースエンジニアリングで簡単に、敵の手に渡るのですから、経営と技術開発が正比例の関係にない事は、既に自明の理です。 然も、生活に必要なモノは既に飽和状態に達している、随い、是からは、新製品を出せば飛ぶように売れる時代では無いでしょう。

 この先は、技術開発が目指す方向を変えて行くしかない。

 詰まり、従来目指した、もっと便利に、もっと早く、もっと安く、ではなく、もっと簡単に、もっと安全に、もっと長く使える様なモノを提供すればよいのです。

 その為には、メンテナンスエンジニアリングを磨いて行く事だと思います。

 電化普及度の低い開発途上国への「中古家電の輸出」は、未開拓の分野でしょうが、原発の建設があちこちで計画されている現状から、途上国でs¥電化製品が売れ始める事態は直ぐに具現化します。

 購買力が十分でない途上国へ対処するなら、先ずは、「中古品輸出」を可能にするべき、それには、耐久年数の延長やメンテナンス可能な形にする事こそ望ましい事でではないでしょうか。

 勿論、長期的な戦略性を加味すれば、別の答えも在ると思いますが。

Re. 技術の売り方、ナポレオン・ソロ様

>日本の経営者に目を開いてほしいと願うに、「自社技術の再評価と戦略性の掘り下げ」と云う点が有ります。

経営者と言うより、日本社会全般が技術者軽視になっていますね。政治家も同じです。英語教育重視なんかは、その最たるものです。科学立国と言いながら、なんで食っているか理解していないようです。士農工商と身分を決めた江戸時代の武士の方がまだ分かっています。あの時代は農本主義でしたからね。

といって技術者を養成しても、輸出立国を目指すのは間違ってます。円安を武器に輸出を当てにしたら、韓国と同じになってしまいます。輸出目当ての大量生産から、内需だけで高品質と生産性を如何に上げるかが、これからの日本の課題でしょう。

>その為には、メンテナンスエンジニアリングを磨いて行く事だと思います。

逆に若い時に開発・設計を行わすことが、メンテナンスエンジニアリング技術も磨くことになります。マニュアル人間ではメンテナンスはできません。多品種・少量生産になると開発・設計者は一杯必要になります。そこで余った(ロートル)人間をメンテナンスに回せ良いと思います。

最近は事務系の職場にいますが、そこでも技術系の人間の方が潰しが利きます。何事も専門家の養成は必要ですが、日本に必要なのは理科教育です。偏見を込めての意見と言うより、私の危機感からの意見です。

消費力は戦争を遠ざける

>>技術者を養成しても、輸出立国を目指すのは間違ってます
舌足らずだったかもしれませんね日本が是まで歩んで来た道程から考えれば、輸出立国等は過去の遺物です。

 私が目指してほしいのは、電化製品の新しい消費市場の開拓です。 それは、アラブイスラム圏の20億人、アフリカ圏の10億人の消費者で構成されています。

 其処で高い電化製品を売るには、今までの先進国に対する製品とはまた違う価値感を持たねばならないし、先ずは、購買力を育てる処から始めなくてはイケナイ。

 ちゃんとした野菜畑を造るには、イキナリ種をまくのでは無く、土壌や地の理迄考え、対策を講じてからと云うのに似て居ます。

 随い目指して居るのは、モノの輸出ではありません。 人や技術といった、極めて云えば、日本思想の輸出です。

 経済繁栄がもたらす、便利さや清潔さと云った豊かさを味わったモノは、その情況を維持しようと考えます。 

 その情況とは、平和です。

 戦争は、貧困から生まれますが、その貧困は利己主義から生じていると云う事に気が着けば、戦争で奪い取るのでは無く、平和を維持する事こそが、多くの人々の経済活動を盛んにし、社会に富を蓄積する事に繋がると云う、近代社会の法則を展開するに至る途である事を理解するのだと思います。

 日本は東南アジアで既にこの方式を成功させている、30億人を超える大消費地が、是から次第に目を覚まそうとして居ます。 

 東南アジアも嘗ては、常時戦火が止む時の無い地域であったが、次第にテロは有っても、近代化され、消費力が上がって来るに随い、戦火が遠ざかり、暴動や戦争は少なくなってきているのではないでしょうか。

知恵の評価は多数できない

>日本に必要なのは理科教育です。偏見を込めての意見と言うより、私の危機感からの意見です。

同感ですが、評価する側に立ってみれば、「理科教育」即ち知恵を評価するには、知識の有無よりはるかに面倒で、多人数の評価は難しいと思います。

資格などの試験も、当然知識を問うものとなるので、知恵がお座成りになる事情が、世間で知識偏重となるのではないかと思います。

やはり1対100以上となると、どうしても知恵は計れないので、社会構造を少人数多階層(例えば4~5人のグループのリーダーが一つ上の階層のグループを作り、そのグループも4~5人で構成され、そのリーダーが更に上の階層のグループと、フラクタル構造を持ったような様)にしないといけないような気がします。

具体的には、地域社会を密にすることでしょうか?原因が分かっても解決は難しいでしょう。

何れにしても、単純な多数集団の纏まりでは如何しても知識偏重の評価にならざるを得ないので、長期的にかつ継続的に社会構造を調整する必要があると思います。

今もそうが如何かわかりませんが、30年ほど前の小学校では児童5~6人の班を作らせていましたが、この方針は評価するべきとは思います。どうしても政治に興味を持ってしまうと、学校教育の問題を指摘しがちですが。

Re.消費力は戦争を遠ざける、ナポレオン・ソロ様

>>輸出立国を目指すのは間違ってます

は、世間の風潮のことを言ったので、ソロさんの事を言ったのでは有りません。でも「消費力は戦争を遠ざける」でしょうか。

日本は支那にそう思って支援しました。結果はさらに強欲を深めることになりました。唯一戦争を遠ざける可能性は、日本の文化に憧れを持つ支那人がいることです。それは、料理やアニメや工業製品を含む全ての物作りに、日本文化の特徴である、気配りや持て成しの心を感じたからではないでしょうか。

世界に広めるべきは、気配りや持て成しの精神であり、日本人自身が意識して取り戻す必要がある文化です。当然発展途上国の人が、他人を持て成す喜びを感じるようになれば、戦争を遠ざけることになるかと思います。

その意味では輸出は反対ではありません。自分達が作った物を世界の人に提供したいと思うのを、妨げる理由は有りません。

Re.知恵の評価は多数できない、Sura様

日本の理科教育に対して、危機感と言ったのは、国力=国防に結びついているからですが、その他の意味としては、理科教育は即頭で考える能力がつくと言うより、文系の学問より子供の可能性が広がる事もあります。

子供の教育が、ある程度知識偏重になるのは、やむ得ないと思います。周期律表を中等教育で外しましたが、これが丸暗記であっても、覚えていればその内に何故と疑問が生まれます。記憶に無ければ疑問さえ沸きません。それに自然科学は、人類が共通して語り合える学問です。また一個人が追求しても、尽きない学問です。これを子供から取り上げるのは酷な話です。

只、理科教育は個々の能力を高めるだけで、集団としての生き方を教えてくれる学問ではないので、別の教育法も必要でしょう。昔の寺子屋のように、上級生が下級生を責任を持って、教え導く制度が有っても良いと思いますが、日本文明を捨てて西欧文明に接木してまった現在、出来るかどうか難しいところです。

家族崩壊、地域崩壊、国家意識の欠如。日本病とでも言える現在の日本の迷走は、ひょっとしたら日本が最先端にいるからかも知れません。そんな中、日本の過去の知恵にも可能性を見つけなければならないのに、英語教育は止めて欲しいものです。

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