http://kojoryoshu83.edoblog.net/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E6%95%B5%E3%81%AF%E8%AA%B0%E3%81%8B%EF%BC%9F%EF%BC%92敵は誰か?2
昨日書店で雑誌『WILL』を購入しようとしたら「売り切れです」と言われた。内閣府の2012年12月の調査でも、 韓国に「親しみを感じない」59.0%、中国には80.6%であった。お花畑日本人もようやく気が付いてきたようである。恐らく現在はもっと数字は上がっている筈である。
現在の日本にとっての正面の敵は、支那・南北朝鮮であるが、むしろすぐさま対応しなければならない敵は国内にいる朝鮮人ではないだろうか。マスコミを乗っ取り、ある時は日本人に成りすまして世論を形成していたのは国内にいる朝鮮人であった。現在日本で問題となっているのは、沖縄の基地問題、教科書問題、憲法改正問題、靖国問題、人権問題、原発問題があるが、問題の裏には必ず朝鮮人の影有りである。
卑近な例を示せば、このブログや『中韓を知りすぎた男』のブログのコメント欄に出没していた『KESSELRING』とか『似非保守ネットワーク』等も朝鮮人である。彼らの目的は日本人の分断工作であるが、「日本から天皇をなくしたい」という彼らの願望を口にするので、朝鮮人であることを名乗っているようなもので、あまり工作になっていないようである。
その彼等が『安倍普三は日本の敵』の記事に賛同したからと言っても、彼等と日本人とは立ち居地が違う。そもそも彼等自体が日本の敵なのである。そんな彼等や支那・南北朝鮮が、安倍首相を目の敵にしていることを見れば、支那・南北朝鮮に関しては、安倍首相の働きは日本に役に立っているようである。
しかし本ブログで安倍普三が日本の敵と断じたのは、安倍首相がもう一つの敵に気づいていないのではないかと危惧したからである。
支那・南北朝鮮が国家ぐるみで反日であったのは、国を纏めるため日本を敵にする必要が有ったからと説明する人は多い。確かに反日教育によるところは大きいと考えられるが、朝鮮人は新羅のころから反日であった。遊牧民対定住民の話で書いたと思うが、支那人・朝鮮人は流浪の民、一方日本人は1万年以上の歴史を持つ定住民である。流浪の民が定住民を敵として付狙うのは本性である。
従って支那人・朝鮮人が日本人を敵とするのは本性であるが、それにしても戦後60年も平和時代が続いたにも関わらず、彼らが年を追う毎に益々反日になるのは何故なのであろうか。支那・南北朝鮮の国民が反日なのは教育によるものとの説明は付くが、そのような教育を受けていない在日朝鮮人の場合はどうであろうか。在日朝鮮人は如何なる教育で、反日の度合いを増したのであろうか。
そこで腑に落ちるのがGHQの占領政策でありアメリカの対日政策である。下は戦前から現在までの朝鮮に関してだけのアメリカの動きである。
・ヤルタ会談のカイロ宣言にある、戦争目的の一つである「奴隷状態の朝鮮人民の開放」。
・朝鮮人への批判を禁じた、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が発したプレスコード。
・「世界で最も過酷だった日本の植民地支配」と言って朝鮮人を炊きつけた、アメリカ文化センター元館長、マーク・R・ピーティー。
・「河野談話から後退したら、日米関係は破壊的になる」と発言した、シーファー元駐日米大使。
・『慰安婦に対する日本政府の謝罪を求める』下院125号決議。
・『慰安婦』でなく『性奴隷』の言葉の使用を指示したアメリカ議会調査局。
これを見ると、在日朝鮮人を反日に教育し続けていたのはアメリカだったのである。これがGHQの占領政策だけではないのは、アメリカは戦前から『奴隷状態の朝鮮人民』のプロパガンダを世界中で行っており、慰安婦の例を見れば戦後60年たった今でもそのプロパンダを取り止めていない処か、益々盛んに行っていると見るべきであろう。
勿論、反日教育の対象は在日朝鮮人だけでは無い。支那・南北朝鮮の国民に対しても、日本国民に対しても行っていると見るべきである。やっていることは支那・南北朝鮮と同様、日本を貶める事であるが、それは何の為、何時からなのであろうか。
それについては、日本が始めてアメリカと接触した黒船来航から、アメリカの姿勢を見て行く必要がある。
マッカーサーは戦艦ミズーリ号艦上で行われた降伏調印式に、わざわざペリーの黒船艦隊が用いた旗を取り寄せた。又ミズーリが停泊していた場所は、90年前にペリーが黒船ポータハン号を停泊させた位置と同じであった。
これを見るとペリーの来航の目的も、ルーズベルトが日本を戦争に追い込んだのも、アメリカの対日政策が『日本の屈服』であっただろうことが想像できる。
そし降伏調印式から60年後、つまりペリー来航から120年後の現在、大嘘の『従軍慰安婦』に日本人を謝罪させる儀式を強要しているのは、アメリカの一貫した対日政策が『日本の屈服』に他ならなかったことを証明しているのである。
『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』加瀬英明、ヘンリー・S・ストークス、共著(祥伝社)。この手の本は食傷気味であるが、やはり読んでおくべき本であろう。
ヘンリー・S・ストーク氏は上の本の中で、精神分析学者で思想家の岸田秀氏がペリーとマッカーサー比較した論考に『レイプ・オブ・江戸』の罪についての話があることを紹介している。『レイプ・オブ・江戸』とは『レイプ・オブ・南京』のもじりであるが、岸田氏の分析ではアメリカ人の願望は、日本と言う国家をレイプすることのようである。この点では、アメリカ人も支那人も朝鮮人も同じである。
そんなアメリカからTPPのお誘いである。今までのアメリカの対日政策を見れば、それが対等な条約を目指していないことは明らかである。
TPPの交渉では、現在通貨統合の話までが行われていると聞く、関税自主権放棄に続いて通貨発行権も放棄である。それは独立国としての権利を放棄するのみならず、経済政策から言っても、デフレ不況対策に打ち出したアベノミクス政策とは悉く相反するものである。
TPPを推進する人は、貿易こそが経済発展の道だとの思い込みがあるが、これは間違いである。日本の成長の鍵、すなわち経済発展の道は国内投資にこそ有ると言うのがアベノミクスの本質なのである。
アベノミクスについては、ノーベル賞学者のポール・クーグルマンもジョセフ・E・スティグリッツも、大々的に支持している。クーグルマンもスティグリッツもTPPについては懐疑的である。それでもアベノミクスの金融緩和により円安となり、日本の輸出企業は一服付くことが出来た。それが若し通貨発行権まで奪われたら、その手法も使われなくなるのである。
そう言っても「日本企業には競争力が有り、貿易戦争に勝つ」と思っている人がいるかも知れないが、アメリカで起きたトヨタ自動車の大規模訴訟の事を思いだして欲しい。トヨタ車には欠陥が無かったにも関わらず、トヨタ・バッッシングが収まったのはトヨタの社長の涙ながらの謝罪である。不条理なことにまで謝罪させられる『日本の屈服』の縮図そのものではないか。
当然アメリカが推し進めるTPPに日本の勝ちは許されない。それより思い出すべき事は、アメリカには奴隷制度が有ったことである。奴隷制度は人間を動物と思えば安く使えるからだ。西欧も同じであった。それが西欧で流行らなくなったのは、植民地を作り、現地人を安く使えば同じだと考えた結果である。アメリカが最後まで国内に奴隷を抱えたのは、植民地争奪競争に遅れを取ったからに他ならない。
奴隷制度が無くなり植民地が無くなっても、アメリカ人の人間を動物のように安く使いたいとの思いは変わらない。アメリカ企業が安い労働力を求めて世界に工場を作ったのはその為である。
処が、現地人が同じ製品を作れるようになった事で、その目論見は失敗に終わる。アメリカ企業の競争力は落ち、加えてアメリカ国内の失業率の低下と言う歪まで抱え込むことになったからである。アメリカを真似た日本も同じ問題を抱え込むことになった。日本はアベノミクスで解を見つけたかに見えた。
それに対して、アメリカが考えたのがTPPである。アメリカの強い企業の固定化と強い産業の固定化、海外の安い労働力の固定化である。植民地のときと同様、伸びようとする若い芽は摘まれるのである。日本のような先進国に対しては、ISD条項によるアメリカ企業が日本政府を訴訟することで、日本企業の勝ちを許さない仕組みが作られる。中野剛志氏は、ISD条項でアメリカ企業が負けた例は無かったと言う。
恐ろしいことに、TPP下では、国民総意で作られた法であっても、アメリカ企業が不利との判定がでれば、訴えられた政府が負けになり、その法律は無効になるのだ。結局はTPP下の日本政府の役割は、もっぱら日本企業を取り締まることになる。日本国民の総意は無視され、民主主義も破壊されるのがTPPなのである。
前述の経済学者のジョセフ・E・スティグリッツ は、「TPPとは管理貿易であり、自由貿易ではない。国の利益ではなく産業の利益を代表するものである」と言う。
だが、TPPを推進しているのはアメリカ政府である。当然管理貿易の主体となるのはアメリカ政府である。それもアメリカ企業のと複合化したアメリカ政府である。日本は、又アメリカの管理下に置かれるのである。
ようするに、TPPは新たな奴隷制度、第2の植民地主義、日本の第2の敗戦、日本の最終占領、レイプ・オブ・ジャパンの完成である。つまり安倍普三が気付いていないもう一つの敵とはアメリカの事である。
近衛内閣が締結した日独伊三国同盟のおかげで、日本はアメリカの罠に嵌ることになった。三国同盟さえ無ければ、イギリスが日米開戦を阻止した筈である。
TPPは正にアメリカの罠である。安倍首相が第2の近衛文麿にならないか心配である。
PR