http://kojoryoshu83.edoblog.net/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E3%83%BB%E7%B5%8C%E6%B8%88/f%EF%BD%B035%E3%81%AA%E3%81%A9%E8%B2%B7%E3%81%86%E3%81%AA%EF%BC%81%E9%98%B2%E8%A1%9B%E8%B2%BB%E3%82%92%E5%A2%97%E9%A1%8D%E3%81%97%E3%82%8D%EF%BC%81Fー35など買うな!防衛費を増額しろ!
【防衛費を増額する意義】
支那の脅威が言われながら日本の防衛費は依然1%未満である。この数字を見る限り、安倍政権は国防に関心がないようである。では1%超えれば評価されるかと言えば、それも無い。少なくても防衛費を3%近くにしないと、この政権は国防に無関心と言われても仕方が無いだろう。
そう言うと「何処にそんな金があるのだ」とか「金が無いから何も出来ないのではないか」と言う御仁が現れて来るが、それは「誰かが借金をしないと、お金は世の中に出て来ない」ことが分っていないのからである。そして借金とは投資のことである。
現在の日本のデフレギャップは20兆円程有るようであるが、誰かが借金をしないとこの金は世に出て来ない。と言う事は、現在の日本は金が無いどころか、投資先を待ちわびた金が20兆円も有るのである。そして国防は切迫した需要であり、また長期の保険でもあるが、過去の事例を見て分るように投資でもあるのだ。
では国防が投資で有った事例を見てみよう。否、そんな事を聞かなくても、GPS、インターネット、ICなどが軍事技術から生まれた事は知っていると言うかも知れない。だが無駄な戦争と思われている戦前の日本の軍事費、即ち戦前の日本の国防への投資の成果がどのようであったかを最認識すべきではないのか。そうは言っても、艦船も航空機も全て海の藻屑になったのだから、認識すべきは投資の成果である人的資産の事である。
【追いつきつつあった日本の航空技術】
日本の軍事技術がアメリカに一番接近したのは大東亜戦争最中であった。艦船の軍事技術については、日清日露戦争頃からの努力もあって粗同等。航空機については、エンジンでは3年遅れ、小型機機体設計技術は同等、若しくは日本の方が鼻の先リードと言った処までなっていたのである。それを可能にしたのが莫大な軍事費を使って養成された若きエンジニア達である。養成と言っても投資とは即ち冒険なので、投資の対象であった若きエンジニア達も、難しい技術、誰もやった事がない技術に挑戦したのである。
例えば零戦。零戦は初期に空中分解事故を2度起こしている。その事故原因究明をし、それがフラッターによるものであることを突き止めたのが海軍空技廠の松平精である。小型機機体設計で日本がアメリカを上回ることが出来た技術の一つは、彼のフラッターの研究により、限界速度が十数ノット程度の誤差範囲で推定が出来るようになり、より軽量な機体を設計できたからである。零戦の設計者の堀越二郎が軽量化を限界まで追求したおかげである。
また堀越二郎は部材の強度の安全率が形状・構造・加重の向きにも関わらず一律だったのを、不合理であると宣言して止めてしまう。それを不安視した海軍は金属疲労の研究を行うようになり、零戦以降、日本では機体その物を水槽に入れて荷重を加える疲労試験を一般的に行っていたが、欧米ではそうではなかった。欧米で日本と同様な試験を行うようになったのは、1953年から1954年のジェット旅客機コメット機の墜落事故からである。この研究を先んじた日本の機体はより軽量に出来たのである。
機体にくらべ日本は航空エンジンの大馬力競争に負けていた。でも只遅れていたのでは無い。中川良一の設計による誉エンジン(ハ45)は、アメリカの同クラスのエンジンであるR-2800やR-3350に比べ、直径は小さく、燃費、重量あたりの馬力も勝っていた。遅れていたのは過給気であるが、それを除いてもエンジンが設計通りの性能を発揮出来なかったのは、部品の品質が悪かったことである。それは日本の工業力全般が遅れていたことによるもので、言い換えれば当時の殆どの日本国民の技術的スキルは低く、航空関係のエンジニアが一人気を吐いてた状況だったのである。
それでも日本の航空機設計が優秀だった証拠に、アメリカ軍でテストされた日本機は何れも高性能を発揮し、例えば時速596km/hの雷電21型(J2M2)が671km/h、時速610km/hの飛燕2(キ61-Ⅱ改)が680km/h、時速624km/hの疾風(キ84)が687km/h、時速609km/hの彩雲(C6N1)が695km/hと、10~14%ぐらい速度が早くなっているのである。陸軍の双発試作戦闘機キ83に至っては、エンジン不良のため全開試験を行えなえず682km/hが最高であったのが、米軍の燃料を吸っただけで実に762km/hの速度を記録している。これを見ても、日本の航空機が性能を発揮出来なかったのは、殆どの原因がガソリンの質であったと言えるだろう。
などと言うと、マニア達は「780km/hも出せるP-51Hムタングにはかなわない」、「F8Fベアキャットに勝てる日本機など有るわけがない」と言うだろう。だがどうだろう。戦後アメリカで海軍局地戦闘機・紫電改(N1K2-J)を試験飛行をした米軍中佐が来日した事があった。彼は「ライトフィールドで紫電改に乗って、米空軍の戦闘機と空戦の演習をやってみた。どの米機も紫電改に勝てなかった」と述懐したのである。戦後と言えばマニア推奨のP-51HもF8Fも実線配備されている。彼が「・どの米機も・」と言っている事は、P-51HもF8Fも模擬戦に参加していると見て良いのではないだろうか。おそらく紫電改は日本独自の自動空戦フラップ(注1)で米機を翻弄したのであろう。だが、紫電改が日本の最強の戦闘機ではない。終戦時に日本の最強の単発戦闘機と言えば艦上戦闘機烈風(A7M2)である。
烈風(A7M)は堀越二郎最後の設計となった艦上戦闘機である。軍の要求性能は最高速度639km/h以上、航続距離は空戦30分+巡航463km/hで2.5時間(≒2000km程であるが、巡航速度を零戦並にすれば、航続距離は零戦21型を超える筈である)、加えて空戦性能は零戦(A6M3)型並を要求された。軍の干渉により烈風は全幅14mと巨大な機体になったが、抵抗係数が零戦以下と空力性能は抜群に優秀である(A6M3=.0215、J2M2=0.241、A7M=.0207)。ところが軍指定の誉エンジンが不良のため性能が出ず、1割がた馬力の大きい三菱製MK9A(ハ43-11型)に換装して、ようやく仕様に近い性能が出るようになり、空戦性能も自動空戦フラップを使った場合は零戦を圧倒することができた。
と言ってもこの性能は当時の欧米の戦闘機と比べれば必ずしも素晴らしいとはいえないかも知れない。しかしこのMK9A(ハ43-11型)にしても、当時は燃料の質による性能低下があった筈なので、アメリカ製のガソリンを吸わせれば他の日本機と同様、10%程性能アップしたのではないだろうか。そうなれば烈風の速度は700km/h近くなり、空戦になればP-51HやF8Fを圧倒していた筈である。P-51Hが780km/h出るといっても、それは緊急時の出力。スロットル・レバーにあるワイヤーを切断しなければ出せない出力なのだ。
以上は日本の航空技術が軍事費を投入して、ようやくここまでなったと言う例である。その他にも戦前の日本では既に後退翼の研究も行われていたし、1950年年代にアメリカで発見された、超音速機は断面積の変化も流線型しなければならないという断面積分布法則(エリアルール)は、空技廠の北野多喜雄によって発見(注2)されていたりと、日本の方が一歩進んでいる事も有った。
【軍事予算の成果物(例)】
松平 精 :海軍空技廠でフラッターの研究を行う。戦後、鉄道技術研究所で鉄道車両の脱線事故の多くが共振現象によるものであることを実証した。共振対策が新幹線の安全性の一つとなったのは彼のおかげである。
山名 正夫:海軍空技廠で艦上爆撃機の彗星、陸上爆撃機銀河を設計。戦後、東大等で航空工学の講義を行う。
土井 武夫:川崎航空機(現川崎重工)で飛燕(キ61)他、多数の機体を設計。戦後YS-11の開発の指導的立場だった。ロッキード事件で潰された対潜哨戒機PXLの開発にも従事。現在のP1は彼の遺産で出来たと言える。
中川 良一:中島飛行機で誉エンジンを開発。戦後プリンス自動車→日産。現在もアメリカ等で根強い人気のスカイラインGT、GTR、R380は彼がいたから生まれたのである。
糸川 英夫:中島飛行機の戦闘機隼や鍾馗の蝶型フラップは彼が考案したものである。戦後、日本の宇宙開発・ロケット開発の父である。彼がいなければ日本の宇宙開発は・・。
内藤 子生:中島飛行機で層流翼を設計。戦後富士重工で戦後初となる純国産ジェット練習機の開発に従事。
長谷川龍雄:立川飛行機の高高度戦闘機キ94IIの設計者。戦後トヨタ自動車のパブリカ等の設計主査。彼が立川飛行機で研究した『TH翼』が、戦後アメリカからの特許攻勢から日本の航空研究開発を巣救うことになる。
久保 富夫:三菱重工業で100式司偵(キ46)、双発戦闘機キ83を設計。戦後、三菱自動車社長。
菊原 静雄:川西航空機(現新明和工業)で二式大型飛行艇、紫電改等を設計。戦後新明和工業で飛行艇PS-1の開発に関与。YS-11の開発に関与。世界に冠たる飛行艇US-1も二式大型飛行艇開発時のアイデアが使われている。
【消え行く積み上げた資産】
此処に上げたのは、ほんの一例の人であるが、以上を見てわかるように、膨大な投資(軍事予算)の成果は人的資産だけであった。だがそれが戦後の日本で如何に有用な人的資産であったか。彼等は『やらせば出来る子』どころではなかったのだ。軍がなんの投資をしなかったら、現在の日本は人材もいないショボイ国になっていただろう。
でも「膨大な投資して成果は金ではないのか」とか「金でない成果など成果ではない」と言う人もいるかも知れないが、もう一度言おう。「お金と言う物は、誰かが借金をしないと世の中に出て来ないのだ」。と言う事は、投資した成果物をお金で欲しいのなら、もっと投資しなければならないのである。
残念ながら日本が次なる投資をして来たとは言いがたい。若し日本政府に航空産業を育成する気が有ったなら、航空産業の分野で日本が露・仏・英・中などの後塵を拝してる事など無かった筈である。それどころか自動車産業がそうだったように、アメリカの牙城を脅かしていたことは必至であろう。
そこで安倍政権であるが、安倍政権は国防もやる気が無いが投資をする気もない。安倍のミクスと言いながら、消費増税を引っ込めず、カジノや観光で小銭を稼ごうとしてるのは経済が分っていないのだろう。そんな彼を信じてF-35の購入を喜んでいる人がいるが、F-35を購入することで、僅かな研究費さえ削られ、育つべき人的資産が失われる事を理解しているのだろうか。そして今の日本が戦前の遺産を食い潰して生きていることが不安ではないのだろうか。
注1:空戦フラップ原理。
注2:北野の十字翼を使った断面積効果
-------------------------------------------------------------
許しがたい人間が3(4)人いる。賄賂で国産対潜哨戒機PXLを潰した田中角栄、国産FSXを潰しに暗躍した小沢一郎、トロン潰しの孫正義(棚橋祐治)である。もう一人に安倍晋三が加わらないことを祈る。
PR